自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★2012ミサ・ソレニムス~5

2012年12月28日 | ⇒メディア時評

  この一年、マスメディアは迷走した。印象に残るのは、ことし10月上旬、山中伸弥教授(京都大学)のノーベル賞授賞の発表直後、「ハーバード大客員講師」を名乗る男性がiPS細胞の臨床応用に成功したというニュースを読売新聞などが報じた事件だ。「世界初」のスクープだったのだが、ハーバード大学側は「無関係」とし、手術が行われたことも否定した。これを受けて、読売を始め、共同通信、日経新聞、毎日新聞、日本テレビなどマスメディアは相次いで誤報の検証やおわび記事を掲載した。この話はこれで済んだのか。構造的な問題はないのだろうか。

          iPS細胞の臨床応用の誤報問題を考える

  読売新聞は検証記事(10月26日付)で、「当時の取材は、実験記録や年齢、肩書など確認が不十分だった」など取材の不備を認めた。共同通信も「速報を重視するあまり、専門知識が必要とされる科学分野での確認がしっかりできないまま報じてしまった」という。しかし、これは言い訳にすぎない。報道に「伝えない」という選択肢はなく、伝える以上は裏付けに手を尽くすのが報道機関の使命である。当然、その結果責任はつきまとう。

  こう考える。新聞やテレビの記者は「夜討ち朝駆け」でネタを取る。ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。新人記者は警察取材(サツ回り)を通じて、そうトレーニングされて育つ。

 ここに問題が浮かぶ。スクープ記事では匿名が多い。「政府関係者によると」「警察関係者によると」など、これでライバル紙より速ければ許されるのである。裏付けは「二の次」になりがちだ。情報をリークする側も匿名なので、たとえば捜査過程での進捗状況を話すことになる。「警察の○○部長によると」などと名指しはされないので、推察の域を出ないことも話してしまう可能性がある。これが誤報や冤罪を生む土壌となってきた、と言えないか。

 iPS細胞の臨床応用の誤報の問題に話を戻す。この場合、匿名ではなく、実名である。無名の大学の研究者だったら眉唾ものだが、本人は「東京大学」「ハーバード大学」の名刺を持っている。実名を出してよいと本人が言っている、まさか嘘をつくとは思わないだろう。ましてや、読売新聞の場合、本人の研究に関して206年2月から6本のも記事を書いている。ある意味で「常連さん」である。ここに、ノーベル賞授賞の発表直後であり、記事にするタイミングが重なった。編集局では、「それ行け」とアクセルがかかったことは想像に難くない。他社も読売の一面の記事を後追いをした。ここに、裏付け取材という地道な作業が入る余地はなかったのだろう。

 このiPS細胞の臨床応用の取材に関して、専門家と渡り合う知識、自覚や節度はあったのだろうか。お詫び訂正は出したものの、マスメディア側が「あいつに騙された」と思っているならば、誤報は繰り返される。

⇒28日(金)朝・金沢の天気   くもり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする