自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★震災から25年、風化に挑む

2020年01月17日 | ⇒メディア時評

   阪神・淡路大震災(1995年1月17日)は震度7だった。午前5時46分、金沢の自宅で睡眠中だったが、グラグラと揺れたので飛び起きた。テレビをつけると大変なことになっていた。当時民放テレビ局の報道デスクだったので、そのまま出勤した。テレビ局はテレビ朝日系列で、ABC朝日放送(大阪)に記者とカメラマンを応援に出すことを決め、応援チームはその日のうちに社有車で現地に向かった。見送りながら、取材チームの無事を祈りながらも、日本の安全神話が崩壊したと無念さを感じたものだ。金沢は震度3だった。

   あれから25年、ABCはウェブサイト「阪神淡路大震災25年 激震の記録1995 取材映像アーカイブ」を今月10日に公開した。この専用サイトでは、震災直後から8月23日までに取材した映像の中から38時間分を公開している。日時やキーワードで検索できるほか、被災地の地図に表示されたアイコンをクリックすると、場所ごとの映像が表示される。映像は当時のニュース映像ではなく、部分的ではあるもののノーカット編集がほとんどだ。その分、災害のリアリティさが伝わってくる。

   このサイトの映像をチェックして見て、ABCは「風化」と闘っている、と推察した。被災地から離れているテレビ視聴者は時間とともに災害の記憶が遠ざかる。何も忘れっぽい日本人だけではない。260年前、アダム・スミスは『道徳感情論』という講義で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。風化という視聴者のハードルをどう乗り越えるか。被災地との意識のギャップを埋めるに、ABCは「忘れてほしくない」とメッセージを送ったのだろう。

   もう一つのメッセ-ジを感じた。キー局に対してだ。「既視感」との闘いだ。被災地のローカル局と東京キー局との報道スタンスは異なる。ローカル局は被災者に寄り添う番組づくりを心がけているが、キー局は視聴率を重視している。ローカル局からキー局に全国放送の番組提案があっても、キー局は「どこかで見たことがある」と既視感を理由に提案を却下することがままあるのだ。

   当時カメラ撮影で使ったテープは四半世紀を経てそろそろ処分する時期に来ている。これを機に、ABCは震災の風化を防ぎ、今後の防災・減災に役立てたいと映像公開の膨大な作業にチャレンジしたのだろう。

⇒17日(金)夕・加賀市の天気   はれ

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