自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★坂網猟師とカモ、共生という関係

2020年01月26日 | ⇒トピック往来

   冬のこの時期、北陸ではズワイガニや寒ブリなど海の幸もあるが、山の幸ではカモに魅かれる。交配種のアイガモではない、正真正銘のマガモだ。鮮やかな赤身の肉で、鳥肉としては高級感が漂う=写真・上=。鴨鍋よし、串焼きよし、おじやよしで満足度が高い。

   このカモの料理を楽しめるのは金沢の南、福井県との県境にある加賀市だ。ラムサール条約湿地の「片野の鴨池」がある。ここで伝統的な坂網猟(さかあみりょう)が受け継がれている。猟師にお願いして、狩猟の現場を見学させてもらったことがある。夕暮れになると、鴨池のカモがエサを求めて群れをなして飛び立つ。周囲の丘を飛び越えるのを狙って、群れをめがけて坂網を空に向かって投げ上げる。

   坂網は長さ3.5㍍、Y字形の網の部分は幅1.3㍍ほど=写真・下=。材質はヒノキと竹、ナイロン網などで、重さは800㌘ほどだろうか。ベテランの猟師は羽音で距離感を測り、カモの群れをめがけて数㍍、あるいは10㍍も投げ上げる。猟期は11月15日から2月15日までと決められている。猟師は19人。かつてカモが大量に飛来したときは、1人で300羽も捕れた時代もあったが、今では全員でも200羽ほどだそうだ。

   ではなぜ坂網猟のカモがおいしいのか。カモは坂網にかかった後、地上に落ちてくるが、ほどんどが無傷で生きたまま捕獲される。肉に血が回らないので、臭みがなく、肉の味を損なうこともない。猟銃で仕留めるカモとの違いだ。

   坂網猟が始まったのは300年ほど前で、大聖寺藩主が武士の鍛錬として坂網猟を奨励したのが始まりだった。この道のベテラン、小坂外喜雄氏からこんな話を聞いたことがある。戦前、金沢に司令部を置く陸軍第九師団が鴨池周辺の砂丘地などで演習を行うことがあり、音に驚いてカモが寄り付かなくなった。そこで、猟師たちは九師団長に嘆願書を提出して演習区域から外してもらったそうだ。

   さらに終戦後、今度はGHQ(連合軍総司令部)のアメリカの中将らが鴨池に何度かやって来て銃でカモなど野鳥を撃ちまくった。当時の組合長は片野鴨池は古来より銃猟が禁止されている旨をGHQに直訴し、銃猟を止めさせたこともある。

   坂網の猟師たちは、一網打尽ではなく、伝統的な猟法を守ることで、カモと共生する関係性を築いてきた。そして、鴨池の野鳥を脅かす外部からのリスクには敢然と立ち向かってきたのだ。そんなストーリーを聞くと、坂網の鴨料理がさらにおいしく感じる。

⇒26日(日)夜・金沢の天気    はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする