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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

裁判員制度は危険である。

2007年12月09日 12時08分35秒 | 思考試行
裁判員制度は、けっこう大変なんだな、と思う。安直に考えると、エライコトになる。重大な刑法犯罪が対象になるということだが、従来、かなり、綿密にやられていたことが、素人がはいるということで、簡易化されるという。

裁判の成否も問題だが、参加する人の都合ということになると、サラリーマンも事業主も、ギリギリの状態で仕事をしている人にとっては、死活問題になりかねないし、そのことについて、どうも、解決策は、全然講じられていない。まさに、戦前の徴兵制に似ている。

国のためなら、命でもなんでも差し出さなければ、非国民となり、弾圧を食らう。それに近い。国のためなら、いかなる犠牲もやむを得ない、とする考え方である。個人の尊厳、思想、信条も無視している。

いい加減な審理で、裁判がされることに危惧をもつならば、こういう裁判員になることは、拒否する自由があって、しかるべきだが、それは、認めないという。これでは、憲法に違反するのではないか。

手段としての、拒否が取りざたされているようだが、参加したくないという人に強制することが許されるのならば、その一点でもこの制度は、何らかの、国家的意識を高揚させようとする動きの一つであると思う。

油断大敵である。拒否の自由を確保すべきであり、そうでなければ、実質的にその権利を行使すべく、工夫をしなければならない。

このネライの根幹を見抜かなくてはならない。その裏には、国家主義的なニオイ、がする。国民の生活を真に守る姿勢からでてきたわけではない。裁判員の選定の作業のなかで、膨大な個人情報が集められることになる。この情報はいつでも、徴兵制などに活用可能である。いま、マスコミはそんな分析はしていない。国民の知らないところで、事態は進行している。

元気な、うどん屋さん。

2007年12月08日 16時47分34秒 | 思考試行
買い物に行ってきた。さすがに、すごい人手である。正月用品の売り出しで、ある。店員は「品切れがでてきていますよ。」と連呼している。

どこも、実用品関係の店、食べ物関係の店はよく、客がはいっているようである。
不要不急のものは、後回しという感じがある。

昼食にはいった店は、妻が割りによく行く店なのだが、そこは、避けてと思ったがいろいろ見て結局はそこになる。

夫婦二人でやっているが、品数も多く、狭い店ながら、自分でうどんを伸ばし、(簡単な、麺伸ばしの機械を使っている。)なかなか繁盛している。嫁さんが、コマネズミのように、くるくると、よく働いている。愛想良く、声もよく、とにかくジッとしているヒマがない。それでいて、余裕がないわけではない。

夫は、無愛想な感じで、調理しているが、配膳のときには、チャント笑顔を忘れない。ただ、嫁さんより、人馴れをしていない風だが、そのアンサンブルも悪くない。やはり、繁盛している店は、魅力がある。

全力をだしていながら、疲れをみせない。商売を、楽しみながら、やっている。

時代の流れで、問屋街であったのが、駐車場になり、マンションに変わってきている。そのなかで、間口が一間ぐらいしかない細長い店で、気をはいている。こちらも元気をもらった。

今日は買い物。

2007年12月08日 10時37分55秒 | 思考試行
今日は土曜日。買い物に出かける予定。

今年の出来事は、父の死を初め、久しぶりの二泊三日の旅行、目の治療、妻の母との、短期同居生活の開始、加賀乙彦さんの「宣告」を読んだこと、池波正太郎さんの作品にふれたこと、西村寿行さんの作品にふれたこと、放送大学を事実上、休学してしまったこと、その他、ここには書けないこと。などなど。

生きているからこその出来事である。

好奇心を忘れずに、新しい世界を求めて、生きていこう。

病院帰りに、米原万里さんの本を買った。若くして亡くなられたが、もっと、彼女のことを知りたいと思った。生涯独身で、下ネタ話が得意で、仕事にのると風呂にもはいらず、着替えもしないという、こんな魅力的な人に、本当にあいたかった。才女で、とても相手にはならないが、お話しをきくだけでも、胸がわくわくしそうである。同時代に生きていたということだけで、満足しなければならない。

昨日、懸案の仕事を片付けて、集金した。すんでみれば、何のことはないのだが、終わるまでは、本当に集金までいくのだろうか、などと、頭をかすめることがある。

今日は、家内につきあって、とにかく買い物だ。

オノヨーコさんに学ぶ。まずは自分から。

2007年12月07日 10時05分01秒 | 思考試行
 テレビで、オノヨーコさんの番組をみた。意見は、当然に思える内容であり、本当に安心できる人である。世界観が共通していて、違和感ゼロ。まるで身内の人の感じがした。

 違いはなんだろうか。行動の規模が違う。成果が違う。でもそれは仕方がない。彼女の仕事が、うまく機能していて、チャリティー活動で、学校も60近く作ったという。仕事は、それだけではない。それは、ごく一部であって、他にも、地球規模で仕事をし、宇宙までその視野は広がっている。

 お金をたくさん持っている人達が、このような考え方をしていたら、地球はもっと快適になるだろうし、戦争もなくなるだろう。環境だって、変わるだろう。

 現実は、欲に目がくらみ、金儲けのみに躍起となっている連中が、見境なしにヘンテコな行動を続けているところに、その原因がある。なんとかならないものだろうか。

 それは、一人ひとりが自分の力なんて、ちっぽけでなんてことであきらめないことである。

 人類は、一人ひとりで、構成されているのだから、その単位で変わらないことには、始まらない。

 まずは、自分のできるところで、変えていこうではないか。そこに希望の芽はある。そこしかない、ともいえる。

仕事

2007年12月06日 10時07分59秒 | 思考試行
 ようやく、懸案の仕事が一段落した。しかし、あとがある。仕事があることの幸せ感が、本当にはなく、贅沢なことをいっている。

 父のお参りに、小学校時代からの友人が来てくれた。昔話に花がさく。彼はもう完全リタイヤで、山登りや釣り、近所の碁会を楽しんでいるのだが、長年のサラリーマン生活で、今日何をしようと思うときに、辛さを感じるようである。

 それにくらべて、小生の場合は、なんだか知らないが、必ずやるべきことがいくつかあって、適当に追われている感じがずっとある。密度がある、というのではないが、一つふたつとあって、解放されることがない。

 やるべきことを後回しにして、遊んでいるという感じが、常につきまとっているのである。少し、後ろめたい気持ちがある。すっきりと、遊んでみたいものだが、現役の悩みなのであろう。

 以前、近所の医師と電車の帰り道に、一緒となった際、その医師が、仕事について、悩みらしいことを言っていたのは、まさに、完全に整理がつかない状態が続くことを挙げていた。たしかに、何人もの患者を相手にして、次から次から、ペンディングとなるわけだから、うなづける。

 それに比べれば、小生の場合は、はるかに単純な仕事ぶりで、相当らくチンなのはいうまでもないが、収入もまるで違うわけだから、ソロバンはあっている。

 

反応。

2007年12月05日 09時48分36秒 | 思考試行
 高速道路を雨の日に走っていると、道路を横切る橋がある。車が通る橋もあるが、歩行者のみのような、幅の狭い橋もある。
 どんな、幅の短い橋であっても、その下を通る際に、雨脚の音が一瞬変化する。100キロ近くの高速で走っていると、その橋の下を通過する時間は、ごく短時間であり、また、橋から路面までの間は10メートルぐらいはあるだろうから、雨が橋のところで遮られても、路面につくころには、その違いはなくなっているのでは、と思うのだが、高速を走っていて、橋の下を通る度に、確実に音の変化は感じられる。 しっかりとその影響がある。注意しないと聞き逃すかもしれないが、注意すれば、必ずわかる。橋があることによる変化がわかるということは、何につけてもと言う風に、連想することができる。
 何事かをなす。構築することは、必ず変化を生ずる元となる。
 自らの力を無力と嘆く前に、この変化の存在を知って、一人ひとりが何事かを成して行くことが、重要なことだと思う。人生をどう生きていくのか、単に相対的な勝ち負けにこだわるだけでいいのかどうか、よくよく考えなくてはならない。

心がけ。

2007年12月04日 09時59分49秒 | 思考試行
 どげんかせんといかん、が流行語大賞となった。二つあって、もう一つは、はにかみ王子という。
 始めの方は、いつもみんなが考えていることのように思う。それが、東国原知事の誕生で、脚光を浴びた。これは、宮崎に限らず、どこでも当てはまることであり、いいことである。世の中、課題がおおい。
 二つ目は、スター誕生といったところか。それも、人間社会でときどきあらわれるさわやかな出来事といえば、そうである。まだ、若いだけに、素直に伸びていってほしいものだ。
 今年もあとわずか、人生、長いようで短く、短いようで長い。心して、しっかり生き抜いていきたいものだ。
 インターネットで、いろんなことを学んだ。触発されるサイトがあって、久しぶりに、新婚時代にもどってみた。
 やはり、新しい発見がある。あきらめたり、こんなもんだ、という思い込みをすてて、挑戦するなかで、人生を膨らませることも、心がけ次第という感じがする。

戦争勢力にまけない価値観をしっかり持とう。

2007年12月02日 11時37分43秒 | 思考試行
 誰も戦争なんかしたくない。ところが、他人を戦争に行かせることには、何の抵抗もない連中がいる。自分や自分と階層を同じくする連中が、きめていて、かれらの親族は、戦争に行くことはない。
 こんな狭い地球で、狭い視野をもっている連中が、勝手なことをしている。マスコミは本当にしっかりしてくれないと困る。アベのボッチャンとか、コイズミのバカたれとか、アメリカのお尻にくっついて、国民に貧富の差をもちこみ、憲法改悪の方向をそうとう程度高めてきた。
 教育基本法に「国」を持ち込み、狭い視野の愛国心をもちこみ、戦争に参加できる「ものの考え方」を注入しようとした。戦争をしたがる階層の連中の思惑に応えた政策である。
 そこには非人間的な考え方が、底流に流れている。見える人には見えるが、これを覆い隠し、騙し、自らの権益を確保する。
 その行動の本質は狭く、汚く、ヒドイものであっても、一見社会的な意味を持たせることも可能だから、表面的には、はっきりしなかったりする。騙せるのである。
 大事なことは、事の本質である。自分さえ良ければという感覚を、丸出しにして、その優位な立場を守ろうとしている。こういう狭さ、汚さを暴き、そこから脱却することが、人類の課題である。