たてまえや、力関係、筋などどうでも良い、強いものが勝つのだ。強いものが正しいのだ。そうやって人間は生きてきた。人道や道徳や、あれこれいっても、最終的には、ちからこそすべてだ。
本音のところ、役所でいえば、下級役人など、上司は屁とも思っていない。出世しなければ、トコトン落ちるほかない。大企業、大組織など、例外なしにそうだろう。日大は、別段特殊ではない。どこの組織も日本の場合は、似たり寄ったりの可能性がある。
日本は、それほど、すばらしくないのだと思う。安倍首相しかり、籠池氏だって、時代錯誤の教育者だ。こんな人が権勢をふるえば、戦前の日本社会が普通となる。
日大の監督、コーチのやり方は、何日も前から、「工作」をしている。これだけバレバレになっても、アンケートをすると1パーセントの人は、監督側が正しいという人がいるそうだ。82パーセントは、監督側のウソとしている。で、捜査機関に任せるとどうなるのか。
ここもたぶんに、日大的体質があるのではないか。正しいことが、力を持つ、というようになればいいのだが、そうはいかない。要領のいいもの、うまくたちまわるもの、現世では、そういうことになる実態がある。
大きな変換が始まるのか、始まらないのか、潮流はどうなっていくのだろう。