恨むのは理由がある。原因は何か。なぜ恨み続けるのか。韓国の少女の像が、韓国のみならず、世界じゅうに置かれている。
日本の蛮行を示すのだというこの像は、どんな意味を持つだろうか。それを、いつまでも言い続ける意味はどこにあるだろうか。
日本がキチンと反省していないということを言いたいのだろうか。日本は、牙を抜かれて、戦争は絶対にしないという憲法を持つ。アメリカは、勝者として、日本をそのようにした、と言われている。
日本は、そのアメリカの子分として、振舞ってきた。そうするより生きる道がないと思ったに違いない。だが、事情は変わりつつある。
人類の歴史は、戦争、侵略、略奪、奴隷、強姦、搾取、収奪、・・・あらゆる悲惨な状況を生み出してきている。強者は、弱者から奪い尽くし、ときに、その存在さえ奪う。
奪われた者は、悔しいに違いない。とりかえそうとするだろう。だが、両者がどちらも自分の物だと主張すれば、解決の仕様がない。
闘うしかないとなる。およそ、生物の世界は、そうである。食うか食われるか、熾烈な闘いのなかで、その存在を守るべく、戦ってきた。負ければ、滅びるのみとなる。
人類もそうなるより仕方がないのだろうか。そんなはずはないと思うのだが、韓国の状況をみていれば、簡単なこととは思えない。そこには、論理もない可能性がある。闘うしかないと思っている相手なのかもしれない。逃げるか、やむを得ず、闘うのか。