ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

洛北のまほろば

2005年12月04日 22時10分55秒 | 生活

まことに京の寺院庭園には、
それぞれに趣があり、
石、砂、草木を配したその様は、
あたかも折々に移ろう季節の瞬間を、
とこしえに閉じ込めたがごとき
悠久の宇宙をかもしている。
今日見た景色は、今日だけのものでも、
私の心には永遠に刻まれる。
「一瞬」は「永遠」の化身に過ぎないがごとく、
「今」そのものがそれぞれのすべてであると教えている。

うつろうは幻、人の心にまことはひとつなり。

さような寺院が、京にはあまたある中で、
とりわけ、洛北の山すそに
その昔、後水尾天皇が造営された幡枝離宮の跡として、
ひっそりと佇む
E通寺の庭は
今という名前を借りた永遠が、
厳然と閉じこめられたまほろばであると言える。

同天皇が長年を費やし京を巡り、
その地に離宮を定めた大きな理由は、
その地より望む
霊峰比叡の姿にあった。
離宮であるがゆえに、信仰の対象となる仏の姿はなく、
大きく開け放たれた長部屋から、
一様でない間隔を持つ柱ごしに眺める庭は、
苔むした地と岩と樹木が絶妙に配された、
見事と云うほかはない枯山水。
その向こうには
立ち並ぶ数多くの樹木で構成された混ぜ垣が
その見事な直線ゆえに遠近感の錯覚をいざない、
庭外のおもむきと隔絶しつつも
瀟洒な風情を損なわぬよう
配慮を尽くした垣根を形成している。
そしてその上に見える杉木立はまた、
空を支える柱のようにすっくと立ち並び、
その柱の合間からみえる
霊峰比叡の姿が圧倒的な存在感で、
見るものの心に永遠を刻みこむ。



かつて後水尾天皇が感じた「今」が、
「永遠」であることを人はその時に知るであろう。
そして
まさに、われらの今はすべて永遠の一つに過ぎず、
あだやおろそかに今を過ごす事なかれと、
その庭は静かに語りかけてくるのである。

合掌


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