ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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2004年8月1~6日 「中国東北部と中朝国境の旅」全記録 ⑧4日目午後:延吉市内・図們大橋

2014-12-28 22:03:13 | 2004年8月・中国東北部と中朝国境の旅
※参考図書からの引用は、次のような略号で記した。
 「中国歴史散歩 1」(山川出版社.1993)=[歴]
 「地球の歩き方03~04 大連と中国東北地方」(ダイヤモンド社.2002)=[地]
 谷崎光「北京の愉しみ」(角川春樹事務所.2004))=[北]
 岡田和裕「満州辺境紀行」(光人社.2003)=[満]

◎4日目:8月4日(水)
 13:35~14:20 (バス)>※以下緑色現地ガイド沈さんの話。
・「延吉はレストラン、カラオケ、タクシーが多い。タクシーは上海に次ぐ。」
・街にノレパンや全州ピビンパ屋(ハングル表記)が見える。沐浴湯=銭湯も。
・「延辺大学には5つの学部がある」
 ・「犬は口の長いのがおいしい。」

・中国石油のスタンドで給油。はリットル、単价は単価のようだ。
・「朝鮮族の家屋は前の方が白い。白いものが好き。」
・図們への高速道路に入る。
・「北朝鮮は山に兵を配備していて越境しようとする人を撃ってくる。韓国のパスポートは5000元くらい。」
・図們の中心部へ。信号がないぞ。
 14:20~15:02 図們大橋・豆満江を挟んで対岸が北朝鮮。こちら側はもう観光ポイントといってよい。韓国人観光客が多い。皆記念撮影してる。

・橋の長さは200mくらいか? しかし川の流れの幅は50mもないかも・・・。両岸の間に日常的に通交がある方がむしろ自然な距離といえよう。

・おばあさんが近寄ってきて、なんと日本語で言うには「84歳になるが身寄りがなく生活が苦しい。お金を・・・。」(下の写真右端の木の下に座っている人がそのおばあさん。) また12歳くらいの少年も物乞い。もしかして脱北者の人たち?


・[満]によると「中国側の国境ゲートは1991年江沢民来訪記念に建てられたもの。」
ゲートの上は展望台。中央に高く中国国旗を掲揚。望遠鏡(無料)が備えてある。覗いて北側を見ると人の姿も見える。<キムジョンイル将軍・・・>とかハングル文字で書かれた横断幕?も見えた。川を小さな快速艇が行き来している。[地]によるとコースにより30元と20元。川の中央より向こうにはみ出したりしてるぞ。[地]には<竹のイカダ>というのもあるが・・・。
    


・ゲート上には売店もあって、北朝鮮の切手、例のバッジ、タバコ等を売っている。私もタバコ2種購入。1箱20元。
・中国側に目を移すと、すぐ近くに道奉大厦というホテル。ホテル名の前に<韓国独資企業>とあり、玄関前に韓日中あと不明2計5カ国の国旗が掲揚されている。その前の道を[地]にも写真が載ってる三輪リキシャが行く。
・付近の店になるほどの有料トイレ。1元。
・沈さん「渡日前に父は他界。母は今韓国。」 
 15:02~15:48 (バス)・「新疆の少数民族の子供はしつこく観光客にからむ。」
・「図們のホテルは1泊120~150元くらい。」(安いなあ。来るまでが大変だが・・・。)
 15:48~16:10 延吉の市場・市街の中心部にある生鮮食料品主体の市場。入ると<すごい濃ゆ~い感じ>。独特の臭いが漂う。肉売り場は牛肉・鶏肉等の表示と並び犬肉も。その下で3.5匹の犬が腹を上に並べられていた。う~む。表の通りも含め惣菜もいろいろ売られている。
 

・市場入口前の売店でハングルの新聞を2種購入した。「종합신문(綜合新聞)」と「생활안내(生活案内)」。
・表通りに<韓国人との結婚相談>という表示のあるボックスを見かける。
 16:10~16:23 (バス)・「少し前までは延辺でも4と9は死と苦に通じるので避けた。」
・「朝鮮族はで小学校は朝鮮語で教わる。中学校から中国語を学ぶ。」
・韓国では町でよく당구(タング=撞球。玉突き。)の店をみかけたが、この地にも多いようだ。ただし中国語の表記は台球となっている。
 16:23~16:48 クマ公園・基本的には熊の胆を採るための施設。多くのクマを年齢ごとに分けて飼っている。子グマの耳には黄色い札。われわれの後に続く韓国人の団体のガイドは「皆さんの住民登録証のようなもの」と説明しているのはなるほどネ。
・われわれ一行は一室に集められ説明を聞く。政府機関で1800頭のクマがいるとか。別の本でも読んだが、殺さずに注射器で胆汁を採取するらしい。「視力回復によい」という。「酒と混ぜて飲むとよい」ということで盃1杯分試飲。なかなかに強烈な味と香り。お値段は150ドルと100ドル。※このあたりでカメラがバッテリー切れのため画像がなく残念!
 16:48~17:00 (バス)・延吉の街にも自転車用の信号あり。また赤信号があと何秒続くかの数字も表示される。
 17:00~18:15 夕食(店名不明)
 (店⑨)
・ビル3F。1Fはショップ。空港近くの外国人観光客専用店。前部にステージがある広いフロアだが、じき韓国人客で一杯になる。100人以上になる。朝鮮料理。のりまき、キムチ、トーフ等々。スープにはニンニクがいっぱい。
・2Fは改装中?だがマツタケを売ってた。3Fから下りる時「ソンポソッ・・・」とか声をかけられた。すると別の従業員が「マツタケというんだ」と教えていた。
・1F売店で沈さんにこの付近と思われる抗日戦争の戦跡青山里はどの辺か尋ねる。「長白山に行く途中の安図県のほう」だが、とくに遺物・施設等はないとのこと。彼が青山里を知ったのはガイドになってからのことというのも意外だった。韓国では歴史教科書にあるから、韓国人観光客が多く来るようになって対応したということか。また沈さんの言によると、「抗日軍の組織規模からみれば洪範図の方が金佐鎮より上だが、彼は共産党の側の人間なので韓国人の間では金佐鎮の方が評価が高い」とのことだった。洪範図らが戦った봉오동(鳳梧洞)戦跡は沈さんから教わった。(私も以前何かで読んだはずだが記憶になかった。) ※帰国後、韓国のサイトで調べると、現地は図們市内で、「鳳梧洞反日戦跡地」という表題以下1920年6月7日の戦闘の経緯について記された記念碑(1993年6月7日建立)があるとのこと。また延辺大学構内に<抗日無名英雄記念碑>があり、また延辺歴史記念館という立派な施設もあるではないか。歴史館の前には<革命烈士記念塔>もある。胸像の写真の<허성숙烈士><왕덕태烈士>とはどういう人? 現地ガイド氏、この話題で何も語らなかったのは配慮?
・買い物。扇子2つで3000ウォン。たまたま財布にあった昨夏のソウル旅行の時の5000ウォン札で支払った。
 18:15~18:20 (バス)
 18:20~21:50 延吉空港・空港内へは水を持って入れないということで、全然飲んでないボトルの水(昨日長白山に行く時にもらった)を半分飲んで残りを捨てる。
・えっ、飛行機が遅れる!? それも21時までは待つ!? ということで理由不明のまま延々と待つ。3人で2Fのコーヒー店へ。お茶のメニューが豊富(10数種はあった)で、よくわからないのでジャスミン茶に。<1壺(ポット)>で注文。
・20:00経過を聞くため集合。しかし見通し立たずとのことで2Fの別のコーヒー店へ。<チョイス・コーヒー>(10元)と、またジャスミン茶。先の店は文字通り壺だったが、ここは日本でも見かけるガラス製の物。しかしデカい。ポットのお湯は適宜足しに来る。
・20:20集合。列に並ぶ。タバコ2箱購入。<玉溪>(30元)と<长白山>(20元)、前者は雲南のタバコ。
・20:50~<安检>(安全検査)は人大勢で長い列。所持品&ボディ・チェックの女性係官は全然愛想なく、私のポケットのボールペンを「これは何?」とクルクル回してみたり、携帯ラジオにも好奇心を示したりで、こんなに遅れている上行列が滞っているにもかかわらずジツに念の入った仕事ぶり。いや、これも遅れの一因かも・・・。21:26やっと関門通過、21:37やっと機上の人となる。離陸は21:50。予定では19:20発だったのに・・・。
 21:50~22:50 (空路)・飛びはじめてまもなく、ズボンのポケットの財布がないのに気づいた! それも日本国内用と今回の旅行用の2つ。前者にはカードいろいろに免許証、家とバイクのカギも入っている。現金もすべて。あっというまに一文無し。添乗員氏に告げると慣れてるようす?で冷静に対応してくれた。こんな時団体旅行は心強い。パスポートは身に着けていたのが不幸中の幸い。
 22:50~23:10 瀋陽空港・予定では20:30着のはずが・・・。(実は2時間ばかりの遅れで驚いてはいけないということを、この後わかってくる。)
 23:10~23:53 (バス)・やや大きめのキレイそうなバス。
・現地ガイドは呂さん。以下紫色は呂さんの説明部分。
・「瀋陽は朝夕の温度差が大きい。今は19℃くらい。空港は2001年11月に新空港ができた。瀋陽は遼寧省の省都で東北三省の中心。人口は2年前で720万人。35民族が居住している。漢民族が9割以上で、モンゴル族・朝鮮族・回族・女真族と続く。四季の変化が大きい。夏7月には32~35℃になるが、冬は氷の世界で-30℃になる。4~6月と9~10月がさわやかで観光シーズン。」
 ・「皆さんお金があったらここで会社を作ってください。3年間無税です。」

・[歴]17世紀初め後金(清が建国、1625年瀋陽を国都とし、やがて盛京と改称した。1644年北京に遷都した後も陪都とされる。1657年奉天と改称。はじめは漢族の入植を許さなかったが清朝後期に制禁を緩め、漢族が進出、市街地が形成される。19世紀初め鉄道敷設で東北の中心都市に。1907年奉天省設置、1929年遼寧省に改称。
・「遼寧省テレビ塔は高さ305.5m。中国で4番目、世界で10番目。1位は上海の468m。瀋陽の雪花ビールは青島ビールに次いで有名。1930年代に麒麟麦酒の技術を導入。
・夜12時過ぎで交通量は少ないが、自転車の男女相乗りがいるよ。
・「朝6~8時この公園(?)で大勢太極拳をしています。市役所から音楽が流される。」
・「幼い頃朝鮮人と暮らしていた。それでキムチや冷麺、犬肉も好き。」
 ・「この町も工事が多い。しばらく前は平屋だったが今は高層。」
 23:53~ 瀋陽・グロリアホテル・<凯莱大酒店>と書いてグロリアプラザホテル。さっそく添乗員氏に電話してもらって財布中にあったカード止める。


【10年後の付記】
・図們大橋の横で向こう岸の北朝鮮を眺めている時近寄ってきたおばあさんのことを今も時おり思い出します。どんな人生を送ってきたのか? 団体旅行でなければいろいろ話を聞きたかった・・・。さる情報通の人によると、やはり日本がらみの脱北者だった可能性が高そう。
・文章でも、また画像や動画でも伝えられないのが嗅覚の思い出。延吉の市場の臭いは、食欲をそそるどころか、正直なところとても耐えがたかったです。
韓国は21世紀に入ってどんどんキムチ臭さ・ニンニク臭さ等が薄れてきています。飛行機内・地下鉄内も、以前はもっと独特の臭いがあったようです。現代化が進んで食文化のみならずいろんな面にわたって洗練されてきたということでしょう。もしかして延吉方面もその後ずいぶん変わってきているのではないでしょうか?
 今年7月に延吉を訪れた方の旅行記(→①図們大橋 →②延吉市内 →③長白山)を見ると、犬食文化などは依然として(韓国よりも)堂々たるもののようです。
 ※1つ前の記事で載せ忘れましたが、21日(日)ソウルの弘大・駐車場通りでは犬猫食用反対の署名運動をやっている人(団体?)がいました。

・10年経っても変わらないのが北朝鮮の体制。韓国や中国の「観光客」を、彼らに「見られる対象」の北朝鮮の人々はどう見ているのでしょうか?
・それにしても、空港での所持品チェックの際サイフを失くしたのは大失敗。団体旅行だったため予備のお金を回してもらえたのは不幸中の幸い。サイフその他、金属類はすべてトレーに載ったりしていたのがその原因。バッグに入れておけばいい、ということを教わったのは最近のこと。なんで皆早く抜けられるのか長いことわかりませんでした。(恥笑^^;)
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