ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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北朝鮮 150人に1人は政治犯収容所に・・・・

2009-10-26 23:32:25 | 北朝鮮のもろもろ
 先週、韓国政府発表による北朝鮮政治犯収容所の実態が報じられていました。
 当然ながら、韓国紙や「統一日報」(←在日による保守系日本語紙。統一教会とは関係ナシ)では詳しく伝えています。
 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトにもかなり詳しく載っていました。

 これらによると、北朝鮮には6ヵ所の収容所に総計政治犯約15万4000人が収容されているとのことです。
 これは北朝鮮住民のおよそ150人に1人が収容されている計算になります。

 6ヵ所の収容所の内訳は以下の通りです。

①14管理所=平安南道价川(1万5000人)
②15管理所=咸鏡南道耀徳(5万人)
③16管理所=咸鏡北道化城(1万5000人)
④18管理所=平安南道北倉(1万9000人)
⑤22管理所=咸鏡北道会寧(5万人)
⑥25管理所=咸鏡北道清津(5000人)

 これらの収容所は、北朝鮮では<管理所>とよばれていて、国家保衛部が管理しています。
 上記の中で、②15管理所=耀徳収容所は、一定期間を経て審査が通れば出所できる<革命化区域>ですが、その他の5ヵ所はすべて<完全統制区域>すなわち死ぬまで収容される終身収容所です。
(2014年2月11日の補足。現在ウィキペディアを見ると、「2013年、革命化区域がなくなり完全統制区域のみになったという証言あり」とある。)
※2000年まであった11管理所=平安南道天摩、21管理所=咸鏡南道端川、23管理所=咸鏡南道徳城、21管理所=慈江道東新の4ヵ所はその後閉鎖されたとのことです。

 北朝鮮の収容所の実態については、これまでハンナラ党が情報公開を要求してきましたが、金大中・盧武鉉政権は「南北関係を悪化させる」として拒否してきました。
 李明博政権になって、この16日、国会提出の報告書「北韓の政治収容所現況」として公表するに至ったというわけです。

 報告書によると、収容者は主に失脚した幹部や脱北者などで、また金日成・金正日を批判したり、政治批判の失言をした一般住民も多く含まれています。
 収容者は1日10時間以上の強制労働を課せられ、医療はまったく受けられず、食事も1日平均100~200グラムが配給されるだけ。食糧配給制を実施する北朝鮮の0~4歳の配給基準が234グラムであることを考えれば、生存そのものが危ぶまれる水準です。

 私ヌルボも、これまで何冊もの北朝鮮脱出者の手記を読みました。
 昨年刊行された申東赫(シン・ドンヒョク)「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)はとくに衝撃的でした。
 著者略歴は以下の通りです。
 1982年11月19日、价川(ケチョン)14号管理所で収容者夫婦の息子として生まれ、囚人生活を始める。1996年11月、母と兄が脱出を企て失敗、公開処刑される。2005年2月、中国に脱北。2006年8月、韓国入国。

     

 この本に記された収容所の実態も、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトにくわしく載っています。

 日本でも、拉致問題に対して、安倍晋三元首相のような右翼的な政治勢力の声ばかりが大きく、逆に他の場面では<人権擁護>を訴えてきたはずの革新勢力の多くは「北朝鮮との国交正常化」の方を優先しているようですが、これは韓国内と同じ図式ですね。
 上記の<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>サイト内の記事も雑誌「正論」に掲載されたものとのことだし・・・・。

 李明博政権の場合も、このところ、進歩的メディアや労組等の反対勢力に対する露骨な弾圧を進めている一方で北朝鮮に対しては人権を語っているわけですから・・・・。

 自らの地位・権力活維持が大事の北朝鮮の権力層、「性急に統一を求めず、北朝鮮の経済水準が一定程度まで上昇するまで待つ」という韓国・李明博政権、朝鮮半島の現状を維持したい中国、朝鮮半島の政治的混乱はもちろん望まない日本・・・・。
 そんな中で、多くの北朝鮮の人たちは文字通り生存権でさえも持ちえず、今後も希望が見えない状況です。

 日本の保守勢力や、韓国の保守派の人たちとは別の観点から、つまり<国家>とか<国益>とか<安保>とかとは対極の、本来的な個々人の人権の観点から、何か新しい動きが出てきてほしい、と思うんですが・・・、と言ってるだけでは変わらないって?

※韓国の民間団体がやった、風船にビラと1ドル紙幣を結びつけて北朝鮮に飛ばすという作戦はかなり効果があったようですね。

[2014年2月11日の補足]
 以下は本ブログ中の関連記事です。
 →北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(上)
 →北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(下)
 →北朝鮮の地獄のような強制収容所から脱出したシン・ドンヒョクさんの話を聞きに行く
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在日韓人歴史資料館に行ってきました!

2009-10-26 22:21:17 | 韓国・朝鮮と日本の間のいろいろ
 韓国でいうところの<安重根義士の義挙>、すなわちハルビン駅での伊藤博文暗殺から今日がちょうど100年です。このところKBSラジオでも安重根関係のいろいろを放送していましたが、(中国が安重根義士に対して冷淡だとか・・・。)今日はやっぱり大々的。
 
 「毎日新聞」夕刊で、今日ソウルで開かれた記念行事を伝える記事に添えて、安重根の看守だった千葉十七の菩提寺の、宮城県栗原市・大林寺で法要が行われたこと、千葉が安重根から託された墨書が79年に韓国に返還されて国宝になっていること等が載せられていました。ここらへんが「毎日新聞」らしい。(?)

 話は全然かわって・・・
 韓国関係の料理店が多いといえば、現在では新大久保(職安通り)方面を思い浮かべる人が多いでしょうが、以前から在日の多い上野・三河島方面にも焼肉店等がたくさんあるし、また韓国大使館の近くの赤坂~麻布一帯には高級な店がいろいろあるようです。(私ヌルボは高級な店とかとはまず無縁なのでよくわからないのです。)
 そもそも麻布・赤坂方面自体、新宿・渋谷などと比べるとめったに行きません。

 しかし、二ノ橋にある、前の韓国文化院にはときおり行ったものです。
目的は、月1回開かれる韓国映画上映会。無料ということもあって、年3~4回程度は行きました。
 今でこそ地下鉄麻布十番駅(大江戸線&南北線)ができ、ずいぶん便利になりましたが、以前はホントに不便な所でした。

 今年5月11日に新しい韓国文化院が四谷に開館しました。
 地下鉄丸ノ内線・四谷三丁目駅から徒歩2分、特異な形態のすぐ目につく建物です。
 ・・・といっても、私ヌルボはまだ行ってません。(汗)
韓国文化院のHPによると、最初池袋サンシャインシティで開館したのが1979年。1995年以降麻布なんだそうです。
※韓国文化院のHP中の映画等のリスト、いろんな作品がそろってますよ!

    
       【真露とロッテの広告がいかにも韓国らしい】

 で、今年四谷に移ったといっても麻布の建物がなくなったわけではなく、現在は韓国中央会館別館になっています。
 その中に、今回見学してきた「在日韓人歴史資料館」があります。2005年11月に開設されたとのことで、知ってはいたのですが、訪れたのは今回(10月22日)が初めてです。

 何やら内装工事をやっていて、アレレ?と思ったのですが、入れました。
資料館はこの建物全体からみればほんの一部。3階に受付と資料室等があって、2階が展示室です。
 展示室も、思っていたよりもかなり狭い感じ。・・・とはいっても、展示資料一つひとつ見ていくと、貴重なもの、めずらしいものがいろいろありました。

 在日の人たちが昔用いていたものを寄付したと思われる展示物も多く、かつての苦しかった生活が偲ばれるというものです。

 展示室のドアから屋外テラスに出て、まず目に入ったのが巨大な鐘! 慶州にある伝説の鐘<エミレの鐘>のレプリカで、大阪万博の時韓国館に展示されたものとか・・・。

      
         【エミレの鐘は近くでみると、すごくでかい!】

 長い在日の歴史の中で、貴重な資料や記録、遺されるべき文化等々はまだまだ山ほどあるでしょう。そういった意味では、まだ完成途上の資料館ということでしょう。
 資料館のパンフ(「100年のあかし」や、図録「写真で見る在日コリアンの100年」を販売していたので、購入してきました。

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