ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

北朝鮮の地獄のような強制収容所から脱出したシン・ドンヒョクさんの話を聞きに行く

2014-02-11 11:10:49 | 北朝鮮のもろもろ
 1月28日(火)の夜(18:30~19:30)、北朝鮮の強制収容所から脱出した申東赫(シン・ドンヒョク)さんの話を聞くという催しに行ってきました。会場は参議院議員会館です。

 北朝鮮の強制収容所といっても<革命化区域><完全統制区域>の2種類あって、前者は一定期間を経て審査が通れば(ワイロを効かせれば)出所できるのですが、後者は死ぬまで収容される終身収容所です。
 申東赫さんは、その後者の収容所から脱出した唯一の人物です。それも収容所で生まれて、脱出した23歳までの地獄のような生活を経て・・・。
 ※その場所は平安南道价川(ケチョン)の第14号管理所。北朝鮮の強制収容所については、ウィキペディア(→コチラ)にかなり詳しく記されています。

 私ヌルボ、以前彼が書いた「収容所に生まれた僕は愛を知らない」というとても衝撃的な本を読みました。彼とこの本については、過去記事(→コチラや、→コチラ)で書いたことがありますが、彼の想像を絶するような体験は、次の記事に詳細に記されています。

▶<e-Story Post> 「北朝鮮の強制収容所で生まれ育った脱北者が明かす、地獄のような牢獄生活」
▶三浦小太郎(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表) 「政治犯収容所で政治犯として生まれた私 (シン・ドンヒョク)」

 2008年以来2度目という彼の今回の来日は、3月1日から渋谷ユーロスペース等で公開されるフランスのドキュメンタリー映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」の紹介・アピールが主目的ですが、25日~29日(かな?)の間明治大学での試写会&トーク等の催しのほか、多くのマスコミの取材があったりという過密スケジュールで、28日夜は相当お疲れのようすでした。

 で、やっとその28日夜の催しの報告です。
 最初の有田芳生参議院議員や北朝鮮難民救援基金の加藤博さんの話も含めて1時間という限られた時間で、申東赫さん自身の話は正味15分くらい。あまり具体的な話はなく、残り15分くらいが質問にあてられました。

 加藤博さんの話では、まず上述のような政治犯収容所の概要や、12号・13号・26号の各管理所(収容所)が秘密が露見したため閉鎖されたこと、咸鏡北道の11号管理所は「金日成の別荘を建てるため閉鎖されたこと等が説明されました。
 管理所はとても広大で、行政区画でいえば道の下の郡が丸々相当するほどとのこと。
 ※後で調べたら、咸鏡北道化成(ファソン)郡の第16号収容所は面積約560km²。ソウル市(605.2km²)や東京23区の面積(621km²)にも迫るほどの広さで、そこに約2万人が収容されているとみられているそうです。(2011年時点)
 14号(价川)や15号(耀徳.ヨドク)等の管理所は山奥の谷間に立地していて、そのさらに奥にはダムがある。そして北朝鮮の体制崩壊というような危機の際は、ダムを破壊して管理所全体を水没させ、証拠を隠滅をするということです。(この話は、一昨年12月の小川晴久先生の著書「北朝鮮いまだ存在する北朝鮮強制収容所」の出版記念講演会の時に<NO FENCE>事務局長の宋允復(ソン・ユンボク)さんから初めて聞きました。)
 また、北朝鮮の人権侵害状況を調べる国連調査委員会は、昨年申東赫さんや安明哲さん等から聞いた証言をもとに今年3月に報告書を提出し、10月に総会にかけられるとのことでした。(この件についての関連情報は→コチラ。)

 申東赫さんは、今回の来日で横田さん夫妻と会って、日本にも拉致された人が大勢いることを知ったと語りました。韓国の拉致被害者家族に対して韓国政府は無関心で、支援もないことと比べると、日本の政府や世論は国際社会にアピールしていますが、そのような努力ににもかかわらず解決されないまま迷路にはまっているようなので、もっと強い力をかけていかなければ・・・とも。
 「強制収容所の収容者も拉致被害者も、北朝鮮の独裁者によって受けた苦痛はまったく同じなので、思いを共有することができる」という彼の言葉には、私ヌルボももちろん深く共感しました。
 ただ、「北朝鮮の政権は、対話を通じて問題を解決できるようなものではありません。国際社会は無駄に時間を浪費しているようで、いらだちを覚えます」という発言については、たとえば韓国の進歩陣営や日本の人権派の中では「あくまでも対話重視」という人が多いと思います。(私ヌルボも人権派のはずなんですけど・・・。)

 集会参加者は主催者・関係者等含めて約40人。その会場からの質問で個人的にウンザリしたのは、「収容所でどんな拷問を受けたのですか?」とか「どのようにして脱出したのですか?」というような、本を読まなくても事前にちょっとネット検索をすればわかるような基本事項を質問した人がいたこと。(どちらの質問も同じ人。) それまでの取材の新聞記者の中にもそんな人がいたそうですけど・・・。またその中で「疲れさせるような質問」(母や兄の処刑に関する質問だったようです。)をする人もいたようです。
 ドキュメンタリー映画や、申東赫さんの本の韓国での反応は?・・・という質問の答えは、案の定一言でいえば「無関心」といったものでした。
 今回の映画は韓国では上映されず、前記の著書「収容所に生まれた僕は愛を知らない」日本では1万部売れたそうですが、韓国では3000部印刷して売れたのがわずか500部だったとは!
 その後2012年にアメリカ人ジャーナリストのブレイン・ハーデン氏が彼のインタビューをもとにを刊行した「ESCAPE FROM CAMP 14」(もちろん英語)は25ヵ国で読まれ、大きな反響があって、表彰されたりもしたそうです。
 ※昨年5月の<VOA>の記事(→コチラ.韓国語)によると、スイス・ジュネーブにある国際国連監視機構のUN WATCHから<2013年MORAL COURAGE AWARD>(モラルの勇気賞)を受賞しています。

 「将来の希望は?」という質問に対して、彼の答えは「収容所の地も自然だけは美しかった。星も美しかった。その場所で静かに暮らしたい」というもの。また自ら「(血液型A型のとおりに?)もともと用心深く気が小さい」と語る性格のとおりに、穏やかな感じの、ふつうにどこでもよく見かけるような青年で、私ヌルボとしてはなんとなく少し救われたような気持ちになりました。
 ※「強制収容所で生まれたシン・ドンヒョクさん、自由や家族という言葉は最近まで知らなかった」と題した<シネマトゥデイ>の1月27日の記事(→コチラ)でも同様のことが記されていました。また次のようなことも・・・。

 脱走後、もっとも衝撃を受けたのは、収容所の外の北朝鮮の普通の人たちの暮らしを見たときだったという。「収容所のすぐ外に、好きなものを食べ自由に語り合い、警察に恐怖を感じない世界があった、ということが信じられなかった」とシンさん。

 1月28日の集会については以上ですが、その後「ESCAPE FROM CAMP 14」の日本語訳「14号管理所からの脱出」を読んでみました。
 管理所での体験の部分は「収容所に生まれた僕は愛を知らない」とほぼ同じですが、母と兄の処刑に至る経緯については、ハーデン氏が彼から直接聞いた驚くべき「新事実」が書かれています。
 また、とくにこの本で興味深いのは、収容所を脱出した後がいろいろ書かれていること。北朝鮮領内から中国への脱出、中国での生活、偶然に上海領事館を経て韓国へ、韓国社会での違和感と適応の困難、アメリカでの生活まで。
 すでに2万人を超える韓国内の脱北者が北で受けてきた教育や、そこでの常識といったものがほとんど南では役に立たないどころか障害になり、またそれが感情面や人間関係においても問題を生じることも具体例があげられています。まして彼の場合は北の中でも「特殊」な所だからなおさらです。

     
  【500部しか売れなかったという申東赫の韓国版の著書「世の中の外に出て来る 北韓政治犯収容所 完全統制区域】

※脱出後して韓国に来てからの彼について、韓国紙「中央日報」(日本語版)に詳しい記事がありました。
 →北朝鮮収容所、肉体的拷問より残酷な「表彰結婚」(2012年2月29日)
 →“北朝鮮の政治収容所生まれ”シン・ドンヒョク氏の半生を綴った本が25カ国で出版(2013年5月3日)

※<残虐な人権侵害-決して見逃さない>というブログに、韓国での状況や国連の対応等が記されています。
 → “北朝鮮の政治収容所生まれ”シン・ドンヒョク氏が嘆く 韓国での北朝鮮人権問題の関心の低さ(2013年5月4日)
 →北朝鮮の人権問題の突破口になるか “北朝鮮の政治収容所生まれ”シン・ドンヒョク氏が期待する国連事実調査委員会(2013年5月15日)
 →当事国である韓国の北朝鮮人権問題の世論の関心の低さに国連北朝鮮人権委員会委員長が怒りを表す(2013年8月27日)

※加藤博さんのテーブル上に「北韓人権白書2010」の日本語版が置かれていました。
 「北韓人権白書」は韓国の統一研究院が毎年出しているもので、最新版(韓国語.2013年版)は→コチラで直接ダウンロードできます。英語版は→コチラから。
 ただ、日本語版は2010年版以降は出ていません。しかし、大きくは変わっていないようです。
 この「北韓人権白書2010」は、<北朝鮮難民救援基金>(→公式サイト)中の→コチラのページ(の右上)
からPDFファイルでダウンロードすることができます。(E-bookとして読むこともできる。)
    
        【「北韓人権白書2010」(日本語版)の目次】

    
  【「北韓人権白書2010」(日本語版)中の公開処刑に関する記事。あまりのひどさに言葉を失う。】

※2月4日(火)「産経新聞」<きょうの人>に、申東赫さんがとりあげられていました。→コチラ

☆<アムネスティ>のサイトから ・映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」の紹介記事は→コチラ
 ・「朝鮮民主主義人民共和国で、不当に拘禁されている人びとを救う!」ハガキ書きアクション等については→コチラ
 ・「朝鮮民主主義人民共和国:衛星画像が語る収容所の抑圧」→コチラ
 ・「衛星画像が示す抑圧施設の拡大(2013年12月.アムネスティ・インターナショナル報告書)」(PDF)→コチラ

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 期待以上だったポン・ジュノ監... | トップ | 韓国内の映画 Daumの人気順... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (くれど)
2014-04-06 08:33:31
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/33392133.html#more だいたい 強制収容所地域と どうも 核実験の場所が重なるように思うのは 私の気のせいでしょうか?

北朝鮮の核の話では TVに出てくる 白い防護服きて 作業をやっている人たちは あれは 強制収容所送りになった人たちが している仕事と想像するのは まちがいでしょうか?
返信する
北朝鮮内の各地方 (ヌルボ)
2014-04-07 02:07:35
シン・ドンヒョクさんがいた第14号強制収容所は、たしかに核施設で知られる寧辺近くです。

収容者たちの労働について、区域内にある炭鉱労働の話は私も詳しい話を聞いたことがありますが、<NOFENCE>のサイト内のQ&Aのページを見ると、それ以外にも「核施設の建設、地下核実験のトンネル工事など」が書かれています。 →
http://nofence.jp/QA.html

TV映像の出所はよくわかりませんが、強制収容所の収容者では?・・・という推定はむしろ当たっている可能性が十分ありそうです。

リンク先の「くれどの日記」の記事、興味深く拝読しました。
私が「西北(ソブク)」という言葉を知ったのは金石範の「火山島」を読んだのが最初です。済州島四三事件で多くの島民を惨殺したならず者右翼集団といったイメージでした。
また黄暎の小説「客人(ソンニム)」は、朝鮮戦争当時北朝鮮の西海岸側の黄海道で起こった信川虐殺事件について書かれたもので、そこでも西北の歴史にふれられていました。→過去記事
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/f8e0de9b464f35a931f8b38045236418

「くれどの日記」の記事によると、さらにそれ以前からいろいろあったということですね。
何かについて歴史的背景をたどっていくと、どんどんキリがなく歴史をさかのぼっていくことになるのが常ですが、これについてもそのようです。
返信する

コメントを投稿

北朝鮮のもろもろ」カテゴリの最新記事