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北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(下)

2011-08-27 23:52:05 | 北朝鮮のもろもろ
 (上)で記したように、アムネスティのサイトから朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮):政治囚収容所の実態と題された調査報告をダウンロードできます。上記リンク先から、<朝鮮民主主義人民共和国メディアブリーフィング>を選んでください。

 その報告から、具体的な収容所の実態についての記述を、読みやすい形にまとめました。

○管理所(政治囚収容所)に移送される人々
・指導部を批判した人々(ほとんどが公務員)。
政策の実施で失敗したと見なされた公務員と党幹部
・他国(たいていの場合、中国)で韓国人と接触した人々。
・食糧危機で政府の政策を批判した人々を含む、反政府勢力に属しているとみなされた人々。
韓国の放送を視聴した人々
・朝鮮戦争時の未送還戦争捕虜。
・韓国NGOと一緒に、または宗教書を所持して、あるいは軍・政治指導層と関係して、韓国へ向かう途中に国境を越えて中国で捕らえられた人々。

○収容所の概況
・耀徳(ヨドク)収容所(第15号管理所)では推計20万人の犯罪者と家族が2種類の区域に収容されている。
・耀徳収容所の冬季の平均気温は、零下20~30度だが、ほとんどの収容所に毛布はない。衣類は作業着を年1回支給。
・耀徳収容所では200人に一つのトイレしかない。
・各収容所でトウモロコシ、ジャガイモ、スイカ等の栽培、豚、羊、アヒル等の飼養、味噌、菓子、麺類、酒類、料理用油、タバコ等の食品・嗜好品の製造、軍服、タイヤ、セメント、紙、硝子、陶器、箸、陶器、屋根瓦、セメント等の製造、石炭、石灰石の採掘等をさせている。

○公開処刑とその「罪状」
・収容者の面前で公開処刑が行われる。インタビューを受けたすべての元被収容者は、それぞれ少なくとも一つの公開処刑を目撃した。公開処刑の数は、ここ数年で急増している。2010年には60人が公開処刑されたことが知られている。処刑は射殺または絞首で、看守の裁量で行なわれる。
・シン・ドンヒョクは第14号管理所で生まれ、23年間をそこで過ごした。彼は母と兄の公開処刑(銃殺)を父とともに群衆の最前列で目撃するように強制された。(2人は逃亡を図ったため処刑された。)
・チェ・クワンホは「北朝鮮ではもう暮らしていけない」と言ったために耀徳収容所に送られた。飢えに負けて作業班から抜け出して野イチゴを取りに行き、2001年4月に公開処刑された。
・26歳のドン・ジュルミは、宗教を理由に1999年に処刑された。

○食糧事情・衛生事情
・价川(ケチョン)市の第14号管理所では食物は1日1人につき700グラム支給。耀徳管理所では、1日にトウモロコシ600グラム(子どもは300グラム)、1年に粥を1回、米を2回支給。得長里の第18号管理所では1日1人につき300~900グラム支給。
・被収容者の推定40パーセントが栄養失調で死亡する。
・収容所の元看守は、囚人は蛇やネズミを捕まえて食べ、豚の餌さえも食べていると話した。
・シン・ドンヒョクの証言。ある日運よく、牛の糞の中にトウモロコシの実を見つけ、拾って袖で拭いて食べた。
・パク・インシクは、酔って国の経済構造を批判したため2001年9月38 歳で第15号管理所に送られてきた。2003年ハチの巣から蜜を取って食べて捕まり、独房に送られ栄養失調で死亡した。
・適切な医療を受けられない。
・耀徳の元収容者の証言によると、囚人たちは何年間もシャワーを浴びていないため体は悪臭を放ち、シラミに覆われていて、垢が厚い層になっているが、全員が臭いので、その悪臭に気づかなくなっていた。

○連座罪
・被疑者の家族の3世代までが耀徳管理所に送られる。父母、祖父母、兄弟姉妹、甥姪、従兄弟までが含まれ得る。数万人が連座罪で管理所に収容されていると思われる。連座罪で収容所に送られた人は裁判を受けられず、いつ釈放されるかも分からない。

○拷問
・秩序を乱すとされた者は、立つことも横になることもできない独房に入れられる。独房には最低限で1週間閉じ込められる。13 歳の少年が8ヵ月間収容されていたケースもあった。
・「飛行機」という拷問。手足を後ろにして縛って、顔を地面に向けて吊るす。1日に最高5回、1回に30分間吊るされる。
・水責めの拷問。ビニール袋を頭からかぶらされ、長い間水に沈められる。元収容者の証言。「低い机に縛り付けられ、ヤカンを口に押し込まれ、無理やり水を飲まされた。鋭い痛みを感じ、息がつまって失神した。気がつくと尋問官が腹の上に置いた板の上でジャンプして水を吐き出させた。・・・腕を縛られて繰り返し吊るされた。別の時には、黒いビニール袋を頭から被され、長い間水の中に沈められた。5ヵ月間、毎日ではないが拷問が続き、拷問がある日は一日中続いた。最後には彼らの思い通りに自白してしまった。」
・シン・ドンヒョクは、13歳の時、失敗に終わった母親と長男の脱獄計画のことで拷問を加えられた。彼は手錠をかけられ目隠しをされて管理所の地下拷問室に連れて行かれ、暗い小部屋に拘禁された。翌日拷問室で裸にされ、足には手錠をかけられ両手はロープで縛られて天井から宙吊りにされた。・・・誰かが炭火を起こし、彼は腰が焼けるのを感じて金切り声をあげると、拷問者たちは彼が身をよじるのを止めるために、鋼鉄の鉤針で股間のあたりを突き刺した。痛みのあまり彼は失神した。
・その他、睡眠剥奪、爪の下に鋭利な竹片を刺す、手錠、手首を縛って吊るすなどの拷問が行われている。

○強制労働
・ある元囚人の証言によると、10歳の時、1日に3回、土30キロ入りの袋を持ち上げるように言われた。きちんとできないと先生たちに棒で叩かれた。
・シン・ドンヒョクの証言。管理所にある5年制の小学校で読み書きと足し算引き算のみを習った。12歳になった時に母親から離されて中学校へ送られた。中学校では実際の授業はなく、草刈り、収穫、肥やし運び等の肉体労働をさせられた。13~16歳の頃危険な作業を強要されたが、作業中に多くの子どもたちが死ぬのを見た。時には一日に4~5人の子どもが死んだ。一度は事故で8人の人が死ぬのを目撃した。高いセメントの壁の上で3人のが作業をして、下の方で15歳の少女3人と少年2人がモルタルの補給作業をしていたが、男性がモルタルを子どもたちの所に運んでいる最中にセメントの壁が崩れ落ち、8人は何トンものモルタルに生き埋めになった。しかし誰も助けようとする者はなく、それどころか警備員たちは『作業を止めるな』と言った
・カン・チョルファンの証言。彼のクラスの子どもたちは土を掘り、その土を200メートル離れた作業場に運ぶよう命令された。12人の子どもたちがシャベルで穴を掘り、その他の子どもたちが土を袋やバケツに入れて運んだ。とても柔らかい土で、いつ崩れるか分からないと恐れていたが、監督の先生たちは子どもたちに掘り続けるよう言った。3日後にこの小山が突然崩れた。その頂上には6人の子どもがいたが、3人が死亡し、あとの3人が重傷を負った。それにもかかわらず、先生たちは子どもたちの不注意だと責めた。

○「思想闘争会議」
・シン・ドンヒョクの証言。彼は1982年~94年の間の最初の12年間を母と一緒に第14号管理所で暮らした。母は農業の任務を課せられ、朝5時に仕事を始め、夜の11時に戻ってきた(11時以降は外出禁止)。夜9時半には仕事を終えても、他の囚人と同じく強制的に「思想闘争会議」に毎日1時間半参加させられていた。母は忙し過ぎ、疲れていて私に愛情を示すことができなかった。だから、母のことを思い出しても特別の感情を持てない。1992年10歳の時、苗を植えるのを手伝うよう命令されていたので母について田圃に行った。母は顔色がとても悪く衰弱していて頭痛を訴えていたが、仕事は免除されなかった。母の仕事がのろく割り当て量をこなすのが無理に見えると、役人は激怒して、他の囚人たちの昼食時間中、母に、陽が照る中で両手を挙げ、泥道にひざまずいているよう命令した。1時間半後に戻ってくると、役人は母に仕事を始めるよう命令した。母はできる限りやったが、3時半頃意識を失った。その晩の「思想闘争会議」で母は2時間ひざまずかされ、他の40人の囚人たちに怠慢さを罵られた。
・元収容者のキムとリの証言によると、彼らは農場で午前7時から午後8時までトウモロコシを栽培していた。10~15人の班に分けられて生産目標を与えられ、その日の目標を達成できない場合は班の全員が罰せられた。収容されていた3年の間、飢えと衰弱で目標を達成できないことがしばしばあった。罰として殴打され、食料の割り当てを減らされた。仕事の後の「思想闘争会議」で、目標を達成できなかった者は他の囚人から厳しく非難され叩かれた。病気になれば、生産しなかったということで食事は与えられなかった
北朝鮮では、「思想闘争会議」がすべての社会階層において、地域社会で定期的に持たれ、そこでは人々が自らの欠点を述べ、他人を批判するよう仕向けられている。一般社会では、このような集会はほぼ週単位で行なわれ、しばしば中年の女性が取り仕切り、見つけたことを当局に報告する。当局が政治的だと見なした罪で報告された人は収容所送りということになる。


 ・・・このような生存権さえ否定されている人々が20万~30万人(?)もいて、運よく中国に脱出しても、<経済難民>は「難民条約上の難民とはいえない」との理由で北朝鮮に送り返されたりしているという現実、またナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の時とは違って北朝鮮の場合は脱北者の証言等から実態がかなり知られているという現実、またこんなひどい状態が何十年も続いているという現実・・・。これをどう考えればいいのでしょうか?

 言いたいことはいろいろありますが、今回の記事の趣旨はアムネスティの報告の概要を知らせるということですので、ここまでにしておきます。

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2 コメント

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非人道的な国 (Unknown)
2011-09-12 01:29:52
アンミョンチョルさんの 著書を何冊か 貪る程読みました ビックリしました 狂った国が 直ぐ変わる訳はなく 多少被害は出ますが 北朝鮮を 壊滅すべきだと 思いました。
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いかにして・・・ (ヌルボ)
2011-09-12 20:15:53
北朝鮮・韓国、そして中・露・日・米すぺての政府が北朝鮮の崩壊を望んでいない中で、多くの人々が悲惨な状況に放置されている。しかし、どうすれぱあの国の体制を変えることができるのかが大難問ですね。
一市民の立場としては、事実をより多くの人に知られるようにして、国内&国際世論を高めるしかない、ですかねー・・・。
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