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大川小学校の事故検証委員会

2013-12-23 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年12月23日(月)08時17分57秒

今日の『河北新報』に次の記事が出ていました。

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大川小事故検証委 最終報告、来年1月以降に

 東日本大震災で児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の事故検証委員会の8回目の会合が22日、市内であり、児童遺族が検証を求めた地震発生から避難開始まで約50分間かかった意思決定の遅れに関して議論が交わされた。年内に予定していた最終報告は、来年1月以降に持ち越した。
 避難行動の分析によると、地震発生後に校舎から校庭に避難した教員たちは津波の情報収集を積極的に行わず、学校を津波が襲う危険性も具体的に想定していなかった。
 学校裏山への避難に言及した教員はいたが、安全性が確認できないと判断したとみられる。新北上大橋たもとの堤防道路に移動を始めたのは、津波到達数分前の午後3時33~34分ごろという。
 検証委は「意思決定の遅れが被災の最大要因。避難の目的地の選定についても検証しないといけない」と指摘。学校の災害対応マニュアルの不備や市の防災体制、不十分だった教員への防災教育などの分析を進めることを確認した。
 遺族との意見交換では「避難について教員間でどんな議論があったのか」「裏山への避難を指摘した教員が強く主張できなかった要因として、教員間の人間関係の分析も必要では」などの声が上がった。(後略)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/12/20131223t13012.htm

大川小学校の問題、第三者委員会による報告書のとりまとめが難航しているようですね。
遺族の考え方も分裂しており、原因追及などに関わりたくないと思っている遺族もいれば、石巻市教育委員会に非常に厳しい立場を取る遺族もいて、率直に言って後者の動きには地元でも強い反発がありますね。
また、ネットで見る限り、被災地に詳しいと自負している人々の相当多くが後者に批判的なようです。
地元の反発の背後には、石巻市全体が甚大な災害に見舞われ、教育委員会のやるべき仕事は沢山あったのに、一部遺族がいつまでも騒ぎ立てたために他の重要な教育事業への対応が遅れてしまった、という不満があり、これはこれでもっともな話です。
私は自分で大川小学校付近を何度も歩いてみた結果、「裏山」についての認識のズレが問題を分かりにくくしているのだろうなと思っていて、結論的には後者の立場にかなり同情的です。
ただ、徹底的な事実解明は実際上は責任追及として機能しますから、第三者委員会で誰でも納得できる結論が出るはずもなく、最終的には訴訟に解決を委ねることになるんでしょうね。

私の現在の考え方はこちらで書いています。

「春の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55492680.html
「大川小学校の裏山再訪(その4)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54661115.html
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