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南三陸町・戸倉小学校と「七十七銀行女川支店」の比較

2016-11-09 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 9日(水)13時18分30秒

ここでちょっと視点を変えて、南三陸町・戸倉小学校のケースと七十七銀行女川支店のケースを比較してみたいと思います。
戸倉小学校は海のすぐ近くに位置し、校舎は鉄筋コンクリート三階建の頑丈な建物でしたが、約20mの津波に襲われて屋上の給水塔まで水没し、仮に地震発生当時校舎内にいた児童91人が屋上に避難していたら全員が死亡したはずでした。
隣接する戸倉保育所にも21人の園児がいたのですが、こちらも津波の場合、戸倉小学校屋上への避難をマニュアル化していて、仮に園児も含めて屋上へ避難していたら合計112人の園児・児童が死亡する事態となったはずです。
しかし、実際には校長・保育所長の判断で海と反対側の「宇津野高台」に避難し、全員が無事でした。
戸倉小学校の校舎は既に解体されて更地になっていますが、私は2012年3月に訪問し、屋上にも上ってみました。
また、翌4月に「宇津野高台」も訪問して、戸倉小学校と「宇津野高台」の位置関係を確認してみたのですが、これは七十七銀行女川支店と「堀切山」の位置関係に非常に似ていますね。
近い過去に津波の記憶のある土地に所在し、建物屋上と高台の二つの避難先があり、高台への距離と移動時間はほぼ同じ、襲来した津波の高さもほぼ同じです。
そして、戸倉小学校・戸倉保育所のケースでは管理者が直ちに高台へ避難することを選択して全員が生存、七十七銀行女川支店の場合は1人を除き死亡という対照的な結果となったのですが、この差異をもたらしたものは一体なんだったのか。
法的に「過失」と言えるかどうかは別として、結果的に銀行支店長の判断には何らかのミスがあった訳で、それはいったい何故生じたのか。
これを少し考えてみたいと思います。

戸倉小学校については『河北新報』2011年05月11日付の「とっさの判断高台へ 在校児童ら犠牲逃れる 南三陸」という記事が詳しく、リンク先ページに保存しておきました。
http://chingokokka.sblo.jp/article/54486582.html

2012年3月16日時点での戸倉小学校屋上の様子はこちらです。
http://chingokokka.sblo.jp/article/54486972.html

同日、屋上から「宇津野高台」を撮影したのが次の写真で、小さく見える鳥居あたりから下の杉林は伐採されていますが、これは津波をかぶって枯れてしまったからで、鳥居の上、五十鈴神社が鎮座するごく僅かな範囲だけが津波被害を免れました。
http://chingokokka.sakura.ne.jp/sblo_files/chingokokka/image/2012_0316_144345-IMG_9687.JPG

そして、2012年4月15日、「宇津野高台」から海側を見た様子がこちらです。
http://chingokokka.sblo.jp/article/56900217.html

戸倉小学校の屋上にあった給水塔は相当高いものですが、この全てが水没したそうですね。
http://chingokokka.sakura.ne.jp/sblo_files/chingokokka/image/2012_0415_144842-IMG_5629.JPG
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