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0079 長谷川明則氏「赤橋登子─足利尊氏の正妻─」(その4)

2024-05-03 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第79回配信です。


一、前回配信の補足

加子…「かじ」と読んでしまったが、正しくは「かこ」
加子基氏(生没年不詳)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%8F%A4%E5%9F%BA%E6%B0%8F

二、長谷川論文の続き

p226
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●鎌倉脱出と幕府滅亡
 元弘元年(一三三一)九月、父貞氏が死去し、尊氏が足利家の当主となった。その頃、畿内では後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を目指し、山城国笠置山(京都府相楽郡笠置町)に兵を集めて立て籠もった(元弘の変)。同月、尊氏は大仏貞直や金沢貞冬らとともに幕府側の大将を命じられた。討伐のため西上した尊氏らの働きによって笠置山は陥落し、捕らえられた後醍醐天皇は隠岐島(島根県)に流罪となった。
 変の終息によって尊氏は鎌倉へ帰還し、翌年には、功績が認められて従五位上に叙された。しばらくは登子や義詮とともに穏やかな日々を過ごしたものと思われるが、元弘三年閏二月、後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、伯耆国船上山(鳥取県東伯郡琴浦町)に籠って各地に挙兵を呼びかけた。幕府は再び尊氏に討伐を命じ、名越高家とともに出兵させた。『太平記』によれば、尊氏が登子と義詮を引き連れて上洛しようとしたところ、得宗(北条氏嫡流の家督で幕府の実質的な最高権力者)の北条高時は、尊氏に起請文を提出させるとともに、二人を鎌倉に留め置くよう命じたとされる。尊氏が裏切らないようにするための人質である。そもそも討伐に行くのに妻子を連れて行こうとすること自体が不自然であり、『太平記』の記述が史実を反映しているとは考え難いが、御家人足利氏の生活の拠点は鎌倉にあったことから、義詮が鎌倉に留まったのは確かであろう。
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『難太平記』の足利尊氏「降参」考(その1)〔2020-10-29〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2bdfb8e70f1853746d3cf35e2a023377
謎の女・赤橋登子(その3)〔2021-03-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/371e3fdbeeefccc7a8ad219311d75f7f
直義の眼で西源院本を読む(その3)-「たとひ偽つて起請の詞を載せられ候ふとも」〔2021-07-17〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b5374f8ace85c3c3e436561337f53cb
起請文破りなど何とも思わない人たち(その1)〔2022-11-04〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f499d617f18376f321811a045398e40c

兵藤裕己校注『太平記』全六巻(岩波文庫、2016)
https://www.iwanami.co.jp/book/b278910.html

第六巻に「人名索引」
「足利尊氏の御台(登子)」は「⑨1」とあるのみ。
赤橋登子は『太平記』四十巻の中にただ一か所、第九巻第一節に登場するのみ。
他は第三十二巻第十節「直冬上洛の事」の最後に「継母の讒」との表現があるが、登子と明示している訳ではない。

謎の女・赤橋登子(その10)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f523dc6318081a68d0d6786e192c21b2

続き。(p227)
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 船上山に向けて進軍していた尊氏は、丹波国篠村荘(京都府亀岡市)で幕府に反旗を翻し、全国各地の武士に挙兵を呼びかけた。五月七日には、集結した武士とともに六波羅探題(京都にあった幕府の出先機関)に攻めかかり、幕府軍との激戦の末、陥落させることに成功する。『太平記』によれば、それに先立つ五月二日夜、義詮が鎌倉の足利邸から脱出し、尊氏の離反が鎌倉市中に知れ渡った。義詮はまだ四歳の幼児であり、実際は登子や足利氏の被官によって連れ出されたものと思われる。五月十二日、義詮は新田荘世良田(群馬県太田市)で倒幕の兵を挙げた。新田荘での義詮挙兵は、新田本宗家・岩松氏・世良田氏といった新田一族が、この周辺で倒幕活動を起こしていたのと連動していた。足利氏と祖先を同じくする彼らは、鎌倉末期までに有力御家人の地位を確立していた足利氏の下で、「足利一門」の一員としての意識を有するに至ったと指摘されている〔田中二〇二一〕。義詮の世良田での挙兵、さらには登子と義詮の鎌倉脱出は、新田一族の手引きによってなし得たものと考えられる。
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謎の女・赤橋登子(その4)〔2021-03-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2b878e24056e3a1c120263f82ca51606
謎の女・赤橋登子(その7)〔2021-03-05〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6b9ea58a03901c6047d60f9cd0cfedcc
「足利高氏は妻子を失い滅亡する可能性もあった」(by 谷口雄太氏)〔2021-07-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2beff379de15d0d07cff16070c7227d6
「利氏元弘三年五月十二日馳参上野国世良田、令参将軍家若君御方之処」〔2021-08-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a9bbb0a254035f4cf6032a6c2e819560
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