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直義の眼で西源院本を読む(その3)-「たとひ偽つて起請の詞を載せられ候ふとも」

2021-07-17 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 7月17日(土)11時14分11秒

それでは早速、第一巻から直義になりきって読んで行きたいと思います。
といっても直義が最初に登場するのは第九巻「足利殿上洛の事」であって、ここまでは特に不満もなかったでしょうね。
ま、『太平記』には作り話が多いので、気になる箇所は多々あったでしょうが、直義は「史官」ではなく超大物政治家なのでスルーしたと思います。
そして「足利殿上洛の事」は次のように始まります。

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 先朝船上に御座あつて、討手を差し上せられ、京都を攻めらるる由、六波羅の早馬頻りに打ち、事難儀に及ぶ由、関東に聞こえければ、相模入道、大きに驚いて、「さらば、重ねて大勢を差し上せ、半ばは京都を警固し、宗徒は船上を攻め奉るべし」と評定あつて、名越尾張守を大将として、外様の大名二十人催さる。
 その中に、足利治部大輔高氏は、所労の事あつて起居も未だ快からざりけるを、また上洛のその数に載せて催促度々に及べり。足利殿、この事によつて心中に憤り思はれけるは、われ父の喪に居して未だ三月に過ぎざれば、悲歎の涙乾かず。また病気身を侵して負薪の愁へ未だ止まざる処に、征伐の役に随へて相催す事こそ遺恨なれ。時移り事反して、貴賤位を易ふと云へども、かれは北条四郎時政が末孫なり。人臣に下つて年久し。われは源家累葉の貴族なり。王氏を出でて遠からず。この理りを知りながら、一度は君臣の儀をも存ずべきに、これまでの沙汰に及ぶ事、ひとへに身の不肖によつてなり。所詮、重ねてなほ上洛の催促を加ふる程ならば、一家を尽くして上洛し、先帝の御方に参じて六波羅を攻め落とし、家の安否を定むべきものをと、心中に思ひ立たれけるをば、知る人更になかりけり。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/371e3fdbeeefccc7a8ad219311d75f7f

「足利治部大輔高氏」の上洛はこれが二度目であり、一度目の元弘元年(1331)の上洛を描いた第三巻「東国勢上洛の事」にも、

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 相模入道、大きに驚いて、「さらば、やがて討手を差し上せよ」とて、一門他家の軍勢六十三人を催さる。大将軍には、大仏陸奥守、金沢右馬助、遠江左近大夫、足利治部大輔、侍大将には、長崎四郎左衛門(後略)
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と登場しますが(兵藤裕己校注『太平記(一)』、p35)、名前だけですね。
さて、「反逆の企てすでに心中に思ひ定め」ていた尊氏(高氏)がグズグズしていると、高時を補佐する長崎入道円喜の助言で、尊氏に対し、正室の赤橋登子と「幼稚の御子息」(千寿王=義詮)を人質とし、更に起請文を提出することが使者を通じて命ぜられます。
尊氏の「鬱陶いよいよ深まりけれども」、もちろんそんな感情を出すことなく使者を返した後、尊氏は弟の「兵部大輔殿」直義に相談しますが、これが『太平記』に直義が登場する最初の場面です。(p38以下)

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 その後、御舎弟兵部大輔殿を呼びまゐらせて、「この事いかがあるべき」と、意見を訪〔と〕はれければ、且〔しばら〕く思案して申されけるは、「この一大事を思し召し立つ事、全く御身のためにあらず。ただ天に代はつて無道〔ぶとう〕を誅して、君の御ために不義を退けんためなり。その上の誓言〔せいごん〕は神も受けずとこそ申し習はして候へ。たとひ偽つて起請の詞〔ことば〕を載せられ候ふとも、仏神、などか忠烈の志を守らせ給はで候ふべき。就中〔なかんずく〕、御子息と御台〔みだい〕とを鎌倉に留め置き奉らん事、大儀の前の小事にて候へば、あながちに御心を煩はさるべきにあらず。公達は、いまだ御幼稚におはし候へば、自然の事もあらん時には、そのために残し置かるる郎従ども、いづくへも懐き抱へて逃し奉り候ひなん。御台の御事は、また赤橋殿さても御座候はん程は、何の御痛はしき事か候ふべき。「大行〔たいこう〕は細謹〔さいきん〕を顧みず」とこそ申し候へ。これら程の小事に猶予あるべきにあらず。ただともかくも相州入道の申されんやうに随ひて、かの不審を散ぜしめ、この度御上洛候ひて後、大儀の計略を廻らさるべしとこそ存じ候へ」と申されければ、足利殿、至極の道理に伏して、御子息千寿王殿と御台赤橋相州の御妹をば、鎌倉に留め置き奉り、一紙の告文〔こうぶん〕を書いて、相模入道の方へ遣はさる。相州入道、これに不審を散じて、喜悦の思ひをなし、乗替〔のりかえ〕の御馬とて、飼うたる馬に白鞍置いて十疋、白覆輪〔しろぶくりん〕の鎧十両引かれけり。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be18e0b821a943d858475427b61f1f64

尊氏から相談された直義は、起請文など別に心配する必要はない、「天に代はつて無道を誅して、君の御ために不義を退けんため」にする偽りの誓言ならば神も受けないと申し習わされているし、「たとひ偽つて起請の詞を載せられ候ふとも」、仏も神も、強い忠義の心をお守りくださらないことがありましょうか、という御都合主義の理論を展開します。
そして、正室と子息を人質の取られようとも、子息は幼児だから万一のときには郎従が抱えてどこにでも逃がせるし、正室は執権・赤橋守時の妹だから幕府も手を出すはずがない、「大行は細謹を顧みず」(大事業を行うときは、些細な慎みは顧みない)と言われているように、起請文や人質といった小さなことは気に懸けず、当面は北条高時の命令にハイハイと従っておいて、上洛した後に大事業を行いましょう、と提案します。
そして、これを聞いた尊氏は「至極の道理」だと感心して、直義の提案をあっさり了解してしまいます。
以上、直義にしてみれば、実情をロクに知らないにもかかわらず、よくもここまで見てきたように嘘が書けるなと感心したことでしょうね。
ただ、自分たち兄弟はこんな風に見られていたのだな、と面白くも思ったでしょうし、起請文に関する直義の極めてドライな感覚を含め、別にわざわざ修正を要するような記述はないので、超大物政治家である直義はこの程度の創作は全てスルーしたと思います。
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