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高村直助『歴史研究と人生─我流と幸運の七十七年』(その2)

2018-12-05 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 5日(水)10時18分50秒

前回投稿で「持ち前の要領の良さ、逃げ足の早さを生かして」と書いたのは私の多少悪意を含んだ解釈で、高村氏の表現ではありません。
経済史とは全然関係ありませんが、以前、この掲示板でも樺美智子について少し触れたことがあるので、樺美智子伝説の一資料として、少し高村氏の表現を引用してみます。

「かの学園紛争」
「国史学科」の樺美智子氏

まず、高村氏の安保闘争前の状況ですが、

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【前略】
高村 その頃からだんだん反党的になってきて、あれは五八年の秋ですかね、それには僕は行かなかったけれども、学生党員達が代々木の党本部を占拠してしまった。結局、東大学生細胞が、ほぼ丸ごと分離してしまったのです。
上山 あのブントですか。
高村 残ったのは本当に数人だけ。もちろん幽霊党員はそこで消えたと思いますが。僕は名指しで除名されてはいない。「党章」制定に伴う新たな党員章を交付されなかっただけです。大口さんなどは麗々しく除名宣告が『赤旗』に出た。
 僕はLCではやはり情宣担当で、当時、年に四回でしたが、『マルクス・レーニン全集』という機関誌を出していたのです。薄っぺらいけれども大判の。結構、全学連関係者には読まれていたのですけれども、最後の編集長は私なのです。それは日本共産党の東大学生細胞の機関誌だった。ブントに移行したら、もう出ないわけです。
 ただし僕はブントになってから、実際にはほとんど活動していない。「体調が悪い」などと言ってサボってしまったね。事務所にも行ったことがない。【中略】
 それと、正直言って、社会主義は歴史の必然だから、それを推し進める責務があるというのは本当かという疑問が膨らんできていた。【中略】
 ですからだんだん足が遠のいた。何があったかというと、時々臨時で使われるのです。命令ではないのだけれども、「お前は学籍がないので大学に処分されることはないから、ビラまきをやれ」などと。
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といった具合です。(p32以下)
「ブント(共産主義者同盟)」は今や死語ですが、青木昌彦氏(スタンフォード大学名誉教授、1938-2015)が極めて有能なブントの指導者で、その経歴がアメリカ渡航の障害になった、などという話は経済学に全く縁のない私も耳にしたことがありました。
なお、「上山」は上山和雄氏(国学院大学名誉教授、1946生)ですね。

共産主義者同盟

ま、それはともかくとして、樺美智子(1937-60)の登場する場面に移ります。

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老川 以前、樺美智子さんと一緒にデモに行かれたという話を聞きましたが。
高村 樺さんね、彼女は二年下でしょうが、極めて生真面目な女性で、本当に裏も表もない。逆に言えば、思い込んだら命懸けというようなところがあった。
上山 それは先生が大学院に入られてから。
高村 六・一五事件は一九六〇年でしょう。あの年の四月に僕は大学院に入っています。だから、彼女が特に頑張ったのは、その少し前からだけれども、国史の学生で文学部学友会委員長をやったのが、一年下の栗山君と二年下の道広君で、道広君と樺さんが同期。
 それで、彼女が特にラジカルになったのは、羽田事件で逮捕された後か先か、選挙に落ちてしまったのだ。要するに学科二人の学友会委員に対立候補が出てきて、そちらは、第四インター系の女性なのだけれども、負けてしまったのです。それがかなりショックだったのではないかと思う。
 しかし樺さんは、生きていたら、大学院を受けていたのではないかと思いますけれどもね。最後に、『明治維新史研究講座』の地租改正の部分が机の上に開いてあったというから。その日に大口さんが卒論の相談を受けているのですね。
上山 そうですか。
高村 午前中に授業を受けて卒論の相談をして、午後に国会デモに行くという、そのような人だったのです。その日、僕は見物人で国会の周りをうろうろしていたら、彼女がデモ隊の中にいて、「今日は突入するの」、「もちろんやります」などと言葉を交わした。この日は真夜中までいましたね、現場に。危ういところ、僕の一人後ろまで警官の鞭でやられた。
上山 鞭ですか。
高村 指揮棒の先が鞭のようになっていて、あれでピシッとやった。十二時過ぎたら凶暴に、要するにもう報道陣がいなくなって暗くなってきたから。道路脇に車が停まっていて、僕は小柄だからその隙間から抜け出した。僕らは一〇人ぐらい、知り合いのアパートに逃げ込んで、要するにメーデー事件のことが頭にあったから、山手線の駅に行くのは避けて夜明かしした。
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途中ですが、ここで切ります。
なお、「老川」は老川慶喜氏(立教大学教授、1950生)です。

>筆綾丸さん
『絹と明察』は面白そうですね。
早速、読んでみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

絹と明察 2018/12/04(火) 17:46:47
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E6%AD%A6%E4%BB%81
https://www.jcer.or.jp/about-jcer/enjyoji
小島武仁氏は、本年度の円城寺次郎記念賞を受賞した優秀な経済学者ですが、数学に挫折して経済学に転じたようです。武仁(ふひと)は、四柱推命ではありませんが、(藤原)不比等を踏まえているのでしょうね。
主な論文はすべて英文ですが、私にはひとつも理解できないだろうな、と思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B9%E3%81%A8%E6%98%8E%E5%AF%9F
紡績業を専門とする経済学者は誰も読まないでしょうが、『絹と明察』は三島の小説の中で好きな作品のひとつです。

追記
Fuhito Kojima のツイートを暇潰しに読むと、『昆虫すごいぜ!』の香川照之の書き込み(11月8日)を発見しました。文学部出身らしいパセチックな(?)文章ですね。
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な、なんと…深夜0時撮影終わりで自宅に帰ると、ベランダの壁でハラビロカマキリが産卵しているではないか!
去りゆく秋の物悲しさそのままに、黒く傷付いたその翅の揺らめきは、何としても次の世代の命を残すために、最後の力を振り絞っている執念のようにも思える。
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