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星倭文子氏「鎌倉時代の婚姻と離婚」(その5)

2022-01-27 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 1月27日(木)14時49分21秒

私は北条泰時(1183-1242)と時房(1175-1240)の関係が「北条本家」と「庶家」に固定化されていたとは考えませんが、時房の子息のうち、時村(?-1225)と資時(1199-1251)が若くして出家、朝直(1206-64)も愛妻との離縁を強要する父に反発して出家しかけたことを見ると、時房流が結果的に「庶家」となったのもやむを得ない感じがしますね。
前妻に未練を残していた朝直に嫁し、二人の子を産んだ後、名越光時に再嫁した泰時娘は、光時が宮騒動(1246)で流罪になってしまった後はどのような人生を送ったのか。

北条朝直
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%9C%9D%E7%9B%B4
名越光時
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E5%85%89%E6%99%82

さて、朝直・泰時娘の離婚は泰時娘側の申し出による協議離婚ではないかと思われますが、妻の側の申し出による離婚の例をもう一つ引用させてもらうことにします。
山本みなみ論文で重視されている「牧の方腹」の宇都宮頼綱室の話ですね。(p286)

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  2 宇都宮頼綱室・為家室の母の離婚

 藤原定家の息・為家の妻の母は、北条時政と牧の方との娘で、宇都宮頼綱の妻となった女性である。

(21)天福元年(一二三三)五月十八日条
  金吾(定家息・為家)の縁者妻の母天王寺に於いて入道前摂政の妻と為る之由、わざわざ女子並びに
  もとの夫の許に告げ送ると云々。自ら称す之条言語道断の事か。<禅門六十二歳、女四十七歳>

 定家は、為家妻の母が、わざわざ娘の為家妻と元夫頼綱に前摂政藤原師家の妻になることを自ら告げることはいかがなものか、と非難している。しかしこの場合は男性側からの離婚宣言ではなく、女性側が離婚宣言し六十二歳の師家と再婚したと書いている。離婚の原因は不明であるが、鎌倉期の武家女性は婚姻関係の明白な状態を潔としており、田端氏は、実態として妻からの離婚は武家層にあったと考えられると述べているが、これも同様な事例である。
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この『明月記』の記載で、山本みなみ氏の言われる「牧の方腹」の「八女」が天福元年(1233)に四十七歳、従ってその生年が文治三年(一一八七)であることが分かる訳ですね。
星氏は「離婚の原因は不明であるが」と書かれていますが、シンプルに新しい男ができたから、と考えればよいと思います。
松殿師家(1172-1238)は「前摂政」とはいえ、これは遥か昔の寿永二年(1183)、源義仲と結んだ父・基房が僅か十二歳の師家を摂政にしたという強引な人事ですね。
義仲失脚とともに基房・師家父子も失脚、松殿家は摂政・関白を出せる家柄ではなくなり、師家は半世紀以上、一度も官職に就けない人生を送った訳ですから、政治的には敗者です。
しかし、そういう人物に再嫁したということは、前・宇都宮頼綱室の選択は決して権勢や金目当てではなく、「愛情」に基づくことを示していて、こうした事情が分かる事例は本当に珍しいですね。
そして、藤原定家の目を白黒させた四十七歳の前・宇都宮頼綱室のあっけらかんとした自由気儘な行動も、おそらく彼女が相当の財産家であったことが裏づけとなっているはずですね。

松殿師家(1172-1238)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%AE%BF%E5%B8%AB%E5%AE%B6

山本みなみ氏「北条時政とその娘たち─牧の方の再評価」(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ef41bcf1a0d10ec33c2c9d187601ddc8

なお、「田端氏は、実態として妻からの離婚は武家層にあったと考えられると述べているが」に付された注を見ると、これは「日本中世社会の離婚」(『日本女性史論』、塙書房、1994)で、私は未読です。
ただ、「実態として妻からの離婚は武家層にあったと考えられる」こと自体は、古文書・古記録や系図類を扱っている研究者には常識的な話かと思います。
星論文にはまだまだ興味深い事例が載っていますが、いったんこれで紹介と検討を終えることにします。
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