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図書頭森林太郎「帝諡考」を読んでみた。

2017-06-08 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月 8日(木)11時31分38秒

昨日は『大日本永代節用無尽蔵』を調べるついでに岩波の『鴎外全集』第20巻(1973)に収録されている「帝諡考」も読んでみました。
「帝諡考」については、同書「後記」に、

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帝諡考 元号考

 この二編については、昭和二十八年七月十日、岩波書店発行の『鴎外全集』著作篇第十三巻の後記(森潤三郎)をまず再掲する。

「帝諡考」は歴代天皇の諡号の出典を考証したもので、図書頭に就任した当時、図書寮で帝諡考を編輯するや否やが問題になつてゐたさうであるが、就任後直ちにこれを編輯することに決定し、一年半後の大正八年十月三日稿を畢り、同十年三月、図書寮から、限定版一百部、毎冊番号入りで刊行、関係諸官及び特別縁故ある者に配布された。美濃板和紙和装二三四頁で、むろん非売品である。【後略】
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とあり(p800)、鴎外が一作家としてではなく、「図書頭森林太郎」としての公的な立場から執筆したものですね。
分量的には古代が相当の割合を占め、私には難解な記述が多いのですが、取り急ぎ院号・天皇号の点のみ概観してみると、村上以前は「陽成院」「宇多院」「朱雀院」を除き、全て「天皇」ですね。
そして「冷泉院」以降は安徳・仲恭・後醍醐・後村上を除き、光格の一代前の「後桃園院」まで全て「院」です。
『帝室制度史』と比べると後村上を「院」ではなく「天皇」としている点が特徴的ですが、何でかな、と思って該当部分を見ると、

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後村上<神皇正統記>
 按スルニ追号ノ由リテ来タル所ヲ詳ニセス後村上天皇ハ後醍醐天皇ノ第十二子ニシテ村上天皇は醍醐天皇ノ第十六子ナリ
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となっていて、何じゃこれ、という感じがしないでもありません。
「帝諡考」で面白いのは「院」のついた天皇は「冷泉院天皇」「後鳥羽院天皇」「順徳院天皇」「後深草院天皇」「亀山院天皇」「後水尾院天皇」という具合に全て「○○院天皇」と書いていることで、これは刊行が大正10年(1921)だからですね。
この後、大正14年に「院」は全ての天皇号から削除されてしまい、淳和天皇の異称「西院帝」を受けて「後西院」との院号を贈られた人も「後西天皇」という意味不明な名前にさせられてしまった訳ですね。
この点は以前書きました。

検索してみたら「帝諡考」は「国会図書館デジタルコレクション」で見ることができますね。
リンク先の「コマ番号」に例えば106を入れると「順徳院」が、112を入れると「後村上」が出ています。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185521

また、山崎一穎氏の「帝室博物館総長兼図書頭時代の森林太郎・鴎外」(『跡見学園女子大学国文科報』第22号、平成6年)には鴎外が宮内省図書頭に就任した事情や「宮中某重大事件」との関わりなどが書かれていて興味深いのですが、p101に、

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 かくして博物館総長兼図書頭に就任した鴎外は、月水金を午前八時より午後四時まで博物館に勤務し、水木土を午前八時より午後四時まで図書寮に勤務する。
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とあるのは謎ですね。
ま、これは「水木土」ではなく「火木土」が図書寮勤務で、博物館と図書寮に隔日勤務していたということなんでしょうね。

http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/atomi-koku-22-6.pdf?file_id=19671
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