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小川剛生氏「謡曲「六浦」の源流─称名寺と冷泉為相・阿仏尼」(その2)

2022-04-01 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 4月 1日(金)12時00分43秒

称名寺の「青葉の楓」、何代目かは知りませんが、今はこんな感じだそうですね。

https://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/aobanokaede.html

さて、小川論文で私にとって一番重要に思えたのは第五節です。
少し引用します。(p8以下)

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   五、阿仏尼と金沢北条氏

 そして、金沢北条氏と為相との、歌道での関係を証するのが、つぎに掲げる金沢貞顕の仮名書き書状である(金文四九七+四九八号)。

 いま宮殿よりの古今
 たまはり候ぬ、民部卿入道の
 後家手にて故殿
 御時さたなと候ける
 御ほんにて候なれは、」
 [   ]□ろ□ひ入候、
 順教か申候し者
 [   ]これにて
 さふらひける、いま宮殿への
 御ふみもまいらせ候、
 おほしめしよりて候
 御こゝろさし猶々
 申つくしかたくよろこひ<○以下欠>

 光明真言念誦次第の第一紙・第二紙の紙背として伝わるもので、これまでは別々の書状とされていたが、一通の書状の第一紙(第二紙は欠)を構成することが判明した。年代は貞顕の六波羅探題南方在職期、嘉元三年(一三〇五)と見られる。
 「いま宮殿」とは亀山法皇の皇子恒明親王。貞顕が恒明から古今集の写本を贈られたことへの礼状である。ただ恒明は当時三歳の幼児であったし、貞顕との直接の関係は見出せない。生母昭訓門院あるいは後見の西園寺家関係者との間を媒介した人物に宛てられたものであろう。
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いったん、ここで切ります。
恒明親王が何者かを知らないと何故に三歳の幼児から貞顕に贈り物が来るのか訳が分からないと思いますが、恒明親王は亀山院(1249-1305)の晩年に生まれた子で、母親は西園寺実兼の娘・瑛子(昭訓門院、1273-1336)です。
亀山院は恒明親王を溺愛し、恒明親王を皇太子にするように後宇多院(恒明親王の三十六歳上の兄)に命じて後宇多院もいったんは了承してしまうのですが、嘉元三年(1305)九月十五日、亀山院が没すると一大相続争いが勃発し、後宇多院は前言を翻して恒明親王を皇太子とすることを断固拒否し、恒明親王を保護する西園寺公衡(実兼息、昭訓門院の兄、1264-1315)を勅勘に処したりします。
大騒動の挙句、結局は幕府が後宇多院を支持することになって恒明親王は皇太子にはなりませんが、この騒動は後々まで大覚寺統に大きな亀裂をもたらすことになります。
さて、続きです。

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 内容はたいへん興味深い。貞顕は謝意を表し、「故殿(亡父顕時)」の時に「民部卿入道の後家の手にて」「沙汰など候ける御本」であると語った。まず、この「沙汰」の具体的内容について解説したい。
 これは顕時のもとで古今集の談義や本文の校合などが行なわれたことを意味する。【中略】
 貞顕書状に言う「民部卿入道」とは為家であり、「後家」は阿仏尼である。顕時の「沙汰」の時に利用されたのが阿仏尼自筆本であったと解される。当然その本は定家の校訂した証本に基づく。偶然入手したものではなく、この機会に顕時に書き与えられたのであろう。阿仏尼は弘安二年(一二七九)に東下、四年後に鎌倉で没した(すでに実時は没、顕時は三十二歳から三十六歳の壮年である)。その間、現地で武士に歌道を教えたと推定されてが、ここに具体的な事績が明らかになる。
 そして、この阿仏尼筆古今集がいかなる事情か、後に恒明のもとに渡り、改めて貞顕に下賜されたことになる。これについて「順教」が何事かを証言したという。この順教は、当時鎌倉・京都で活動していた遁世歌人、順教房寂恵を指す。その前身は宗尊親王時代の幕府に仕えた陰陽師安倍範元、遁世後は為家に入門、阿仏尼とも親しかった。歌学にも造詣深く、度々歌書を書写校合した。実時の古今集校合にも関与して、いちはやくその成果を利用し得る立場にあった。その縁が続いていたからこそ、貞顕はこの古今集を順教に見せ、証言させたものであろう。
 わずかに一紙の残闕であるが、この貞顕書状から得られる情報は、阿仏尼の伝記はもちろん、和歌史・歌学史上にも新知見を提供する。さしあたっての問題に言及すれば、顕時の代にすでに金沢北条氏と阿仏尼との間に歌学での交流があり、貞顕もそれを承知しているとすれば、為相がこの時期の称名寺歌会の指導者として臨んでいたことが十分に想定されるのである。
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検討は次の投稿で行いますが、私の関心は小川氏とは少し違っていて、この文書の政治史上の意義にあります。
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