学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

「中世との断絶ではなく、近似した土台の上での変容」(by 深谷克己氏)

2022-11-22 | 唯善と後深草院二条

深谷氏の書評は全体が三節に分かれていて、第一節は大河内著の要約です。
そして、前回投稿で引用した「近世起請文についての検討に加わった数少ない研究者として本書に紹介」云々は第二節の冒頭に出てきますが、この節は大河内著の批評を超えて、「誓約」という現象を通して深谷氏の立場から見た古代・中世・近世の「政治文化」の比較となっています。
深谷氏独特の用語を交えた「大きな視野」からの議論なので、些か分かりにくい点もありますが、私が理解した範囲で整理すると、

古代   :「誓約」に際して「書式」不要
中世・近世:「書式をともなった誓約」が必要
近代   :(「神威性」が希薄となったので)「誓約」そのものが不要

ということになりそうです。
深谷氏によれば、

-------
 冒頭で著者が前提においた起請文の基本的概念規定である「自己呪詛」という言葉は、いかにも過激な印象を与えるが、ここから少し考えたい。この表現は著者以前の研究史を受け継いだものだが、その意味は、起請文とは約束を破れば厳罰を我が身に受けることを「約束の担保」とすることで自分自身を縛る約束が成り立つ約束の仕方ということである。それが「呪詛」と言われるのは、生きた人間である相手(主君・朋友)からではなく、超常的な存在から超常的な譴責として与えられる身体罰だからである。このような様式で成り立つ誓いだとすれば、そのことは、「起請文」というものの歴史的位置に大きく枠組みを与える一つの条件になろう。
 というのは、そうした誓い方が生きている歴史上の時代は、相互の信頼が十全でないことを知ることになった時代の誓約の仕方だと考えられるからである。長いアニミズム・シャーマニズムの時代から政治社会化(古代化)の姿を整えた、国家シャーマニズムとでも呼ぶことのできる時代に入った古代のどこかで、書式をともなった誓約が必要とされるようになってくると想定してよいだろう。
 文字と筆墨紙の広がりという条件は十分でない。なぜなら国家・寺社の権門勢家の面々は、起請文が現われるよりもはるかに古くから文字も筆紙も手に入れている。だから、こうした手段がなかったことが起請文の初出を遅らせた理由ではない。つまり、古代から中世へ移行する時間の中には、社会関係の変容に影響された口頭の誓約の変化が徐々に進んでいき、やがて書式を必要とする誓約の時代に到達して起請文への飛躍の時期を迎えたものと考えられる。
-------

とのことですが(p109以下)、これでは古代の律令国家が「相互の信頼が十全」だった「国家シャーマニズムとでも呼ぶことのできる時代」となってしまい、何か根本的な誤りがあるように感じます。
律令法は相当に合理的であって、佐藤雄基氏によれば、「律令法に淵源をもつ公家法は、怪力乱神を語らない一種の合理性をもち、《法源》である律令の運用解釈によって判断を根拠づけることを志向していた」(「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」『史学雑誌』120編11号、2011、p111)とのことであり、公家法に起請文が浸透するようになったのは幕府からの影響ですね。

佐藤雄基氏「日本中世前期における起請文の機能論的研究─神仏と理非─」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4098ae9be11cbdecadb8c3b406031d3d

ま、私も古代のことは詳しくないので、とりあえず先に進むと、

-------
 誓約の力の弱さが自覚されれば(神威の弱まりでもある)、今度は逆に誓約の力を弱まらせまいとする意欲と工夫が増進するであろう。これこそが誓詞の様式を生み、次第に拡大させていく要因であろう。大きな視野に収めれば、中世の起請文も、近世の起請文もそういう「中世期的位相」の中にあったと言えよう。中世と近世の区別を考える際には、中世と近世の違いを絶対化するのではなく、誓約の歴史の中での中世と近世の差異性という限定された見方が必要であろう。
 つまり大きな段階差は、書式を必要としない(と考えられていた)時代と国民国家の公法的対人契約時代との間にある中世・近世の誓約方式ということである。国民国家時代でも社会・国家に神威性がゼロになるのではないが、運営上の利便(制約条件でもある)から後景に置かれるか「分離」されると思われる。利便が優位になるのは、新たな国際的競争関係とそこでの勝敗の必要が選択されるからであって、絶対的に非宗教的になるからではない。
-------

とのことですが(p115)、私自身は中世と近世の間に相当大きな違いを感じるものの、ここは「大きな視野」の話なので、こういう立場もあるかと思います。
ただ、これに続く中世との比較はどうなのか。

-------
 本書に取りあげられた私の見解は、近世の起請文が「法神習合」、すなわち神威と法威の習合した状態にあって、実質的には「法的支配の下支え」という役割を果たしたというものであった。そのこと自体は間違っていないと今も思っているが、中世との比較を考える際には、もう一つ、「実力行使」と「国家」(法制)との関係の変化という流れを組み込まなければならない。
 歴史の中の、不可逆的な進み方の一つに、「実力行使」と「法制支配」の対抗、そして後者の優勢化という流れがある。つまり、社会の中の実力行使で決着あるいは解決してきたことが、国家の法制で決着あるいは解決される比重ないしは領域が増すという流れである。「神威」と「法威」との対抗と後者の優勢化がほぼそれに併走すると考えられる。
 国家は古代の入り口で確立してそのままの質量で歴史を刻むのではなく、不断に社会と拮抗し、国家の側に取り込みながら、法制や組織を拡張していく。国家は成長していく組織体であり、社会を従える意識調達の触手は伸長し続ける。日本史の中世と近世の大きな変化は、同じ系列の武家政権史の時間を刻みながら、この法制的支配の前進という方向に変化していくということである。私が、「法神習合」と表現したのは、中世との断絶ではなく、近似した土台の上での変容を言おうとしたのである。本書の論証作業によって、私は多くのことを教えられたが、著者の手堅い論証が示してくれた全体は、ここで述べた分脈で理解することが適切であることを教えてくれる。
-------

うーむ。
あまり賛成できない、というか殆ど賛成できないのですが、少し長くなったので、感想は次の投稿で書きます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「近世起請文についての検討... | トップ | 不可逆的な深谷克己氏について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

唯善と後深草院二条」カテゴリの最新記事