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御岳行者皇居侵入事件(その4)

2018-09-09 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 9月 9日(日)22時53分42秒

続きです。(p171以下)

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既に十八日暁、私ども十人異体の装にてにたり船へ乗り組み、同正八つ時元船を離れ、八町堀幸七方へ立ち寄り、鍛冶橋へ着船、それより上陸の折、幸七一人を召し連れ来候につき、にたり船は幸七に任せ置き、旧本丸大手御門を御座所と相心得、利兵衛始め一同相進み寄せ、高声に御門相開き通り候様申し入れ候ところ、御守衛兵隊衆より、何れより来り何れへ通行の者にこれあり候や御尋ねにつき、我々は高天が原より天降る行者にて、 主上へ直訴候間通し候様大声に申し答へ候ところ、開門これなきにつき、常吉は短刀、嘉七は棒をもって御門扉を突きなど仕り候へども、曾て開門これなきにつき、常吉御門の下を潜り入り、潜り戸を開き候につき、一同込み入り、元の戸締め、なお内の門に至り高声に前申し候通り申し入れ候へども、開門これなく、
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途中ですが、ここで切ります。
熊沢利兵衛の弟、山口幸七は伊豆加茂郡白田村出身ですが、若年の頃に東京に出て八丁堀に居住しており(p175)、異装の十人を乗せた荷足船は、まず八丁堀の幸七方に寄って幸七を乗せた後、鍛冶橋に船を着けます。
そして幸七を荷足船に残して皇居に向い、最初の門で開門するように大声で申し入れるも、警備の兵隊は全く事情が分からないので、どこから来てどこへ行こうとするのか、という当然の質問をしたところ、我々は高天原から来た行者で天皇に直訴したいから通せ、という無茶苦茶な返答だったので、当然ながら門を開けてくれません。
そこで、常吉は短刀、嘉七は棒で門扉を突くなどして騒いだ後、常吉が何とか門の下を潜って潜り戸を開けたので、一向は中に入りますが、次の門で同様な申し入れをしたところ、これまた当然ながら入れません。

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その内御番の人々橋の方へ相廻り候につき、再三再四大音にて右の段申し入れ相迫り候へども、利兵衛申し聞けるには、このまま差置き候はば法力により自ら八字過ぎには開門相成り申すべき趣申し聞きおり候内、御門内より、刀棒等差出し候はば一人ずつ通行致さすべき由申し聞くこれあり候へども、利兵衛ほか先達二人より、その方ども兵卒にて何も心得まじく、一同相通すべく暴言致し候内、
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利兵衛は法力により八時過ぎには自然と門が開くのだ、などと言っていた訳ですが、当然ながらそんなことはありません。
ただ、警備側もそれほど居丈高ではなく、刀や棒を差し出せば一人ずつ通行させてもよいという対応だったにも拘らず、利兵衛・嘉七・常吉は、お前たちは下っ端の兵卒だから何も分っていないのだ、いいから通せ、と暴言を吐きます。

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囲内より五、六人顕れ出で、厳重の御取締りに相成り、升形内に囲い込められ候につき、利兵衛・嘉七等所持罷りあり候樫棒をもって御門扉を打ち破り候存じよりか、頻りに打ち叩き乱暴仕り候上、発砲相成り候につき、私ども相驚き逃げ去り候心得のところ、利兵衛・常吉等帯びおり候剣抜き離し、敵を見相退き候者は切り捨て申すべきと大音に呼ばはり、兼ねて申し聞きおる通り、銃丸などは決して当たり申さずなどと広言相発し、狂乱の体にて縦横に馳せ廻り、門扉へ暴突き打破申すべき体候へども、兵隊衆より烈しく発砲なされ候につき、ますます憤怒の気色にて乱暴仕り候、
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すると門内から五、六人の警備兵が出てきて厳しい態度を見せるも、いきなり発砲するようなことはしません。
しかし利兵衛等は門扉を棒で叩くなど反抗するので、ここでやっと警備兵は発砲するも、最初はあくまで威嚇射撃のようです。
発砲に驚いた源之助等が逃げ去ろうとしたところ、利兵衛らは剣を抜き、敵を見て逃げる裏切り者は切り捨てるぞと大声を出し、自分たちには銃弾など当たらないのだと言って、狂乱の体で走り回り、門扉を打ち破ろうとするので、さすがに警備兵は烈しく発砲しますが、利兵衛らの動作が早すぎてなかなか当たらないようです。

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私どもは容易ならざる者に随従、かく大変に立ち至り、遁るべき道もこれなく、三人とも塀の影に隠れおり候ところ、利兵衛・嘉七等臆病なる者と申し聞き、その方等を打て我等自殺致すと申し、私どもへ切り掛かり、少々ずつ怪我仕り候。右狼狽の折から、四人の者銃丸にて即死、三人怪我仕るうち一人ほどなく絶命仕り候。
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源之助等が塀に隠れていたところ、利兵衛・嘉七等は臆病者のお前たちを殺して我々は自殺するぞと言って源之助らに切り掛かり、三人とも少しずつ怪我をします。
そしてこの騒動の結果、利兵衛・嘉七等四人が射殺され、常吉が負傷後間もなく絶命。

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私ども三人実以て愚昧にして、右利兵衛・常吉・嘉七等に神勅などと申し聞き、相誑かされ、恐れ多くも 主上御側へ相迫り、容易ならざる所業に及ぶべくなど評議仕り候段、凶力を以て相迫られ、やむを得ず同組し候事故、今日に至り先非悔い悟り仕り候。前条の通り非常の形装にて御門へ相迫り、終に凶暴の挙動仕り御召し捕りに相成り、厳重の御吟味を蒙り、一言の申し上ぐべき様御座なく、重々恐れ入り奉り候、この上如何様の厳科に処せられ候へども、聊かも御恨みがましき儀御座なく候。
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ということで、源之助ら三人は、自分たちはあくまで利兵衛らに誑かされ、脅されたので仕方なく参加したのだ、と死人に口なしの言い訳をして証言を終えます。
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