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私がヒッグスの海で溺れかけた場所

2009-09-13 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 9月13日(日)19時41分42秒

『磁力と重力の発見』でエーテルについて多少聞きかじった私は、ヒッグスの海ってエーテルとどこが違うのか、という初心者っぽい疑問を抱いたのですが、ま、そのあたりは親切な回答がありました。

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 対称性が破れるという概念と、電弱ヒッグス場が実際に対称性を破っているという事実が、素粒子物理学と宇宙論の分野で重要な役割を果たしているのは間違いない。しかし、あなたはこんな疑問をもつかもしれない。普通はからっぽだと思われている空間がヒッグスの海で満たされており、しかもその海は目に見えないというなら、それはまるで、とうの昔に葬られたエーテルが復活したようではないか?この疑問に対する答えは「イエス」であり、「ノー」でもある。
 「イエス」だというのは、ヒッグスの海にはたしかにエーテルに似たところがあるからだ。凝結したヒッグス場は、エーテルと同様、空間を満たし、いたるところに存在し、あらゆる物質に染み込んでいる。それはからっぽの空間がもつ特徴であり、取り除くことは決してできない(宇宙を再加熱して※度よりも高い温度にしないかぎり、取り除くことはできない)。それは「無」の概念を再定義するものだ。しかし、音波が空気を伝わるように、光を伝える透明な媒質として導入されたエーテルとは異なり、ヒッグスの海は、光の運動とは関係がない。ヒッグスの海は、光の速度にはいかなる影響も及ぼさない。光の運動を調べることによりエーテルを葬り去った十九世紀末の実験は、ヒッグスの海に対しては何の意味もないのだ。
 さらに、ヒッグスの海は等速度運動をする物体には影響を及ぼさないため、エーテルとは異なり、どれかひとつの視点を特別なものとして選び出すことはない。それどころか、たとえヒッグスの海が存在しても、等速度運動をしている観測者は相変わらず対等の立場に立っているので、ヒッグスの海は特殊相対性論と矛盾しない。もちろん、だからといってヒッグスの海が存在する証拠にはならない。むしろ以上のことからわかるのは、ヒッグスの海にはエーテルに似たところもあるが、その存在はいかなる理論や実験とも矛盾しないということだ。(p39)
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