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医師>外科医>理髪外科医

2009-08-30 | ヨーロッパの歴史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 8月30日(日)17時41分14秒

現代人から見ると、命を救ってくれるはずの外科医の地位が非常に低かったというのは少し変な感じがしますが、さらにその下に「理髪外科医」がいたわけですね。

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 近代解剖学の端緒になった一五四三年のヴェサリウスの『人体の構造について』(通称『ファブリカ』)の序文には「上流階級の医師たちは古代ローマ人をまねて手の仕事を軽蔑し、・・・調剤は薬種商に、手術は理髪師に任せてしまった」とある。ここで「医師」というのは大学で教育を受けた内科医を指している。「彼らはまるでペストでも見るかのように手の仕事を忌避し」、薬の処方や食事の指示だけを与え、手術もふくめて手をもちいる治療のいっさいを「彼らが外科医と呼んでほとんど奴隷のように見下していた者たちに委ねていた」のである。(中略)
 そもそもが英語の「外科(surgery)」も、フランス語やドイツ語で「外科」をさすchirurgieとともにギリシャ語の「手仕事」を語源とし「手をもちいた治療(manuum operatio)」全般を意味し、「外科医」とは手作業に従事する「医療職人」を指していた。そして「長衣をまとった医師たちは、外科医や薬屋は自分たちより劣った存在であると考え、医師という名誉ある職業から排除しようとした」のである。ちなみに、ヴェサリウスの先の引用に「理髪師」とあるが、理髪師は事実上外科医の仕事を担っていた。実際、彼らは整髪や洗顔だけでなく、切開手術やヘルニアの整復から抜歯、はては梅毒の治療まで手広くこなす「理髪外科医」であり、外科医のさらに下に見られていた。(p109~110)

 外科と外科医が下級、医学と医師が上級というこの差別構造は中世から近代にかけてヨーロッパ全土に行き渡っていた。もちろんドイツでも状況は変わらない。いや、ドイツでは差別はより峻厳であった。(中略)ドイツにはサン・コーム学院にようなものはなく、外科は理髪師や浴場主の家業として受け継がれていたが、一三・一四世紀以降、理髪師と浴場主は皮剥ぎや羊飼い、森番、粉挽き、道路清掃人、捕吏、墓堀り人、犬革なめし工、娼婦、陶工、芸人などとともに差別の対象──とされていた。ドイツ社会においてその差別が生じたそもそもの由来についてはいくつかの説があるようだが、どもかくその差別の実態はかなり厳しいもので、例えば職人の徒弟となるには理髪師や浴場主の子ではないことの証明を必要としたと言われる。つまり職人以下であった。(p137)
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こうした状況が、ペストや梅毒に大学の医学が全く無力であったこと、そして重火器の登場で戦争の様相が一変し、外科医・理髪外科医が銃弾や砲弾による複雑で大量の戦傷に対処したこと等を通じて、急速に変化して行ったようです。

Andreas Vesalius
http://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Vesalius

↓のサイトでは、『ファブリカ』の内容を見ることができますが、「骨格人」「筋肉人」「静脈人」たちはなかなかユーモラスですね。

http://archive.nlm.nih.gov/proj/ttp/books.htm
http://archive.nlm.nih.gov/proj/ttp/vesaliusgallery.htm
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