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もしも三浦光村が慈光寺本を読んだなら(その23)─「判官次郎ハ広綱ニハ烏帽子子ナガラ聟ゾカシ」

2023-03-22 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

続きです。(p319以下)

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 平判官ハ是ヲ見テ思フ様、「院ノ御軍〔おんいくさ〕ノ門出〔かどで〕ニ、大将軍胤義一番ニ射落サレタリト云レン事、公私〔おほやけわたくし〕ノ為悪〔あし〕カリナン」ト思テ、誹謗〔ひはう〕ヲハヌ先ニトテ、門ノ外ヘゾ引帰ル。六郎左衛門押寄テ戦ケルガ、戦〔たたかひ〕負テ帰ニケリ。山城守広綱片手弓ハゲテ進寄〔すすみよせ〕テ申ケルハ、「昨日マデハ互ノ雑事〔ざふじ〕ノ中ナレドモ、時世ニ随フ事ナレバ、宣旨ヲ蒙テ和殿打〔うち〕ニ寄タル也。判官次郎ハ広綱ニハ烏帽子子ナガラ聟〔むこ〕ゾカシ。互ノ手次〔てなみ〕、今日ニテ有」ト宣玉〔のたま〕ヘバ、「和殿ハ光季ニハアハヌ敵ゾ。ソコノキ給ヘ。軍〔いくさ〕シテ見セ申サン。和殿ノ、判官次郎ト軍シタクハ、シ給ヘ」トテ内ニ立入〔たちいり〕、「寿王、トクトク立出〔たちいで〕テ、舅〔しうと〕ノ山城守ノ見参〔げんざん〕セヨ」トゾ云レケル。寿王、父ノ命〔めい〕ニ随テ、十六差タル染羽ノ矢カキ負〔おひ〕、大庭ニコソ歩下〔あゆみおり〕ケレ。「アレハ山城殿ノヲハスルカ。光綱ヲバ誰トカ御覧ズル。伊賀判官ガ次男、判官次郎光綱トハ我事ナリ。生年十四ニ罷成〔まかりなる〕。元服ノ時給ハリタリシ矢奉返〔かへしたてまつる〕」トテ、思フ矢束飽マデ引テ放タレバ、舅ノ山城守ノ鎧ノ袖ニ篦中〔のなか〕マデコソ射立タレ。
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三浦胤義が逃げた後、前日に光季を呼んで酒宴を催した「山城守」佐々木広綱が登場し、「判官次郎ハ広綱ニハ烏帽子子ナガラ聟〔むこ〕ゾカシ」と言うので、ここでやっと広綱と光季・寿王父子の関係が明確になります。
光季は「和殿ハ光季ニハアハヌ敵ゾ」として自身は広綱と戦うことはせず、その代わりに寿王に広綱の相手をするように命ずると、寿王が登場します。
そして、寿王は「アレハ山城殿ノヲハスルカ。光綱ヲバ誰トカ御覧ズル。伊賀判官ガ次男、判官次郎光綱トハ我事ナリ。生年十四ニ罷成」と言いますが、これは広綱も百も承知の内容ですから、何だか間抜けなセリフですね。
流布本では寿王の烏帽子親は佐々木広綱ではなく、その従兄弟の「佐佐木弥太郎判官高重」ですが、寿王の方から佐々木高重に、

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「人は幾千万寄させ給候へ共、見知ねば恥敷〔はづかしく〕て物も不被申、弥太郎判官殿と承る程に、寿王こそ是に候。兼ては、子にせん親に成んと御約束候し、よも御忘候はじ。我等も忘不進。給て候し矢をこそ、未持て候へ。(恐候へ)共、親の只今打死仕〔つかまつり〕候最後の供を仕候時、(矢一筋)進らせんと存ずる」

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c2008e1b27068f6e8451c443891fff45

と声をかけて矢を射るという順番です。
そして、この矢を受けた高重は、周囲の人々に「聟に取ると約束し、烏帽子子とした寿王が、私に矢を放ちました。そのときの言葉は大人びていて、心も立派なものです。このような寿王と戦わねばならないとは、王土に住む武士の身程悲しいものはありません」と言って、涙を流し、その日は戦わず、これを見聞きした人々も皆、高重は情けある人よと涙を流しました、という良い話になっています。
しかし、慈光寺本では、

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 山城守是ヲ見テ、門外ニ引帰リ、「是ヲ見玉ヘ、殿原。十四ニ成〔なる〕判官次郎ガ射タル弓勢〔ゆんぜい〕ノハシタナサヨ」トテ折懸〔おりかけ〕タリ。間野二郎左衛門是ヲ聞〔きき〕、「弓矢取〔ゆみやとり〕ノ道心事〔だうしんごと〕ハ有ベカラズ。其儀ナラバ宗景カケン」トテ、連銭葦毛ノ馬乗、門南腋〔みなみわき〕ニゾ打立タル。
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ということで、せっかくの良い話に「間野二郎左衛門」が無粋なケチをつけます。
この「間野二郎左衛門」は「廻文ニ入輩」の中に「間野次郎左衛門尉」と出て来て(p310)、ここで「宗景」という名前であることが明らかにされます。
流布本では「間野次郎左衛門尉」宗景は登場しませんが、「間野左衛門尉時連」という紛らわしい名前の人物がいて、「間野左衛門尉時連」は光季と胤義の問答が始まる直前の場面で、

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京極面に数百騎扣へたる兵共、馬の鼻を双べて、我先にと乱入。火威の鎧に白葦毛なる馬に乗たる武者、間野左衛門尉時連と名乗て、相近〔ちかづ〕く。「如何に伊賀判官、軍場〔いくさば〕へは見へぬぞ」。光季、「茲〔ここ〕に有、近寄て問ぬか。よるは敵か」とて相近に指寄たる。判官よつ引て放矢に、時連が引合せ篦深〔のぶか〕に射させて退にけり。
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という具合いに、光季に射られてあっさり退却してしまいます。
しかし、慈光寺本の「間野次郎左衛門尉」宗景は大変な勇士です。
即ち、

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伊賀判官是ヲ見テ、「門ノ南腋ニ、甲〔かぶと〕モキズシテ火威〔ひをどし〕ノ冑〔よろひ〕ニハツブリ計カケタルハ、間野次郎左衛門ト奉見〔みたてまつる〕ハ僻事〔ひがごと〕カ。ソニテマシマサバ、日来〔ひごろ〕ノ詞〔ことば〕ニモ似ヌ者哉。間近ク押寄〔おしよせ〕候ヘ。見参セン」トゾ云ハレケル。間野二郎左衛門ハ是ヲ聞〔きき〕、「神妙〔しんべう〕也トヨ、判官殿。人シモコソアレ、宗景ニシモ被仰〔おほせらるる〕面目サヨ。サラバ参ラン」トテ、胡籙〔やなぐひ〕トキテ築地ニ寄〔よせ〕カケ、剣計〔つるぎばかり〕ヲ抜〔ぬき〕テ宗景目近〔まぢか〕ク寄タリケリ。判官ハ、間野次郎左衛門ニ弓弦〔ゆんづる〕キラレテ、出居ノ内ヘゾ入給フ。治部次郎、立出テ戦ケルガ、弓手ノ腹ヲ切ラレテ、縁ヨリ下ヘゾ落ニケル。仁江田三郎父子三騎、立出テ戦ケルガ、次郎左衛門ノ手ニ懸テ、是モ打〔うた〕レニケリ。伊加羅武者、立出テ戦ケルガ、内股〔うちまた〕切ラレテ、大庭ニ転〔まろび〕ニケリ。間野次郎左衛門、是ヲ見テ、「奴〔きやつ〕ゾ、恥アル者」トテ、頸カゝントテウツブキタル所ヲ、判官、出居ノ内ヨリ射タル矢ニ、間野次郎左衛門ガ眉間ヨリ後ノ烏帽子ノ結〔むすび〕トヘゾ射出シタル。正念〔しやうねん〕乱レテ、此世ハ早ク尽ニケリ。其間ニ、鏡ノ左衛門・田野部〔たのべ〕十郎寄タリケリ。鏡ノ左衛門、戦〔たたかひ〕負テ引返ス。田野部十郎打レニケリ。
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ということで、弓矢を置いて剣だけを抜き、光季の弓弦を切って光季を出居に追いやった後、治部次郎の「弓手ノ腹」を切り、「縁ヨリ下へ」落としてから「仁江田三郎父子三騎」を討ち、更に「伊加羅武者」の「内股」を切って大庭に転げさせます。
「伊加羅武者」を「恥を知る者」と認めた「間野次郎左衛門尉」宗景が、「伊加羅武者」の首を取ろうとして俯いたところを、出居に逃げていた光季が矢を射て、「間野次郎左衛門ガ眉間ヨリ後ノ烏帽子ノ結トヘゾ射出シ」、やっと殺すことができたとのことで、間野一人を相手に光季・治部次郎・「仁江田三郎父子三騎」・「伊加羅武者」の六人がかりでようやく仕留めた訳ですね。

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