学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

2010-03-19 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月19日(金)00時16分30秒

に喩えられたら二条良基も気分が良くなかろうと思いますが、小川氏はなかなか適切な比喩と思われたようです。

---------------
──『二条良基研究』の魅力は、南北朝時代の忘れられた巨人を掘り起こした研究だったと思うし、それをわが敬愛する先輩の小川さんがやってくださったのは、私にとっても嬉しいことです(笑)。

小川 いま牛にたとえられたけど、確かに良基には得体の知れない部分が多すぎて、切り開いたら何が出てくるかわからない。不愉快ではないけど、決して評判がいい人物でもありません。

──権力欲は強いし、一応忠義を尽くしているような感じはあるけど、自分の生まれた二条家をいかに拡大、定着させていくかに巧みな人でもある。

小川 そうです。三種の神器が南朝に奪われたとき、北朝側から「三種の神器のかわりに自分と将軍がいるから恐れることはない」と言って新たな天皇を即位させるなんて、ちょっと尋常な人間のできることではない。一見これはただの陰謀にしか見えないかもしれないけれど、それをやりきった自信は、一国の執政としてすごいことだと思うのです。

──自分が即位させた北朝の天皇に対し、「三種の神器をもってない天皇じゃないか」と言われると、「いや、足利が剣になる、俺が璽(じ)になる」と言う。

小川 さらに彼は「神器なんてものは関係ない。正しい政道をやっているところが正統と言っていいのだ」だとか「こんな乱世に神器なんて意味がない」と言い放っているわけです。

──となるともう明らかに「権力の由来というのは、神代から伝えられてきた伝統に基づくものにあらず」と、人間宣言じゃないけど、もう超人ですよね(笑)。
(後略)
---------------

小川氏は『増鏡』の作者を「尋常な精神の持ち主じゃない」とし、二条良基の行為を「尋常な人間のできることではない」と言われているので、両者に「尋常」じゃないという共通点を見ているようですが、私の印象はちょっと違います。
『増鏡』の作者と二条良基はいずれも強靭な精神の持ち主と言ってよいでしょうが、『増鏡』の作者には精神の荒廃の要素が全くないの対し、二条良基にはどこか荒んだ、病的なところがあるように私は思います。
その点は後で具体的に見て行くつもりです。

>筆綾丸さん
>忠守
小川氏は忠守のことをやたら詳しく書いてますけど、『増鏡』の作者としては忠守クラスでは身分が低すぎて全然駄目ですね。
2005年に『二条良基研究』が出たころ、私は書店でこの本を手に取り、一番最初に筆綾丸さんが指摘された部分を読んで、論理が支離滅裂だなとあきれてしまい、購入はしませんでした。
その後、確かこの掲示板で筆綾丸さんが『二条良基研究』を話題にされた後、私はやっと購入したのですが、パラパラと眺めた程度でした。
今回、即位灌頂は良いきっかけになりましたので、全体を丁寧に読んでみたいですね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブログ用の補足 | トップ | 「異様な果実」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新潟生活」カテゴリの最新記事