学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「これはお金になるから駄目」(by 有馬頼義夫人)

2015-05-20 | 歴史学研究会と歴史科学協議会

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 5月20日(水)22時34分3秒

>筆綾丸さん
>『河原ノ者・非人・秀吉』
服部英雄氏の文体、暑苦しいですね。

>『日本近代思想体系7 法と秩序』(石井紫郎・水林彪校注)
これ、石井紫郎氏は総論的なことをチラッと書いているだけで、詳細な解説と校注は水林彪氏が担当されてますね。

>「まえがき」
ここだけ妙にロマンチックで、本文のサバサバした内容と対照的ですね。
伊藤氏は父親が苦学した人で、ご本人もなかなか就職先が決まらず貧乏に苦しんだためか、史料がらみでもお金の話題がけっこう多く、有馬頼義の「奥様」の「これはお金になるから駄目」(p112)や『昭和天皇独白録』に関するマリコ・テラサキ・ミラーの息子とのやり取り(p190以下)は面白いですね。
樺美智子合同慰霊祭の「一文無しで始めたこのイベントは黒字になりました」(p18)は、ここで笑っちゃいけないと思いながら、ついつい笑ってしまいました。
また、岡義武のエピソードなど、伊藤氏と法学部との関係も興味深いですね。
p13には、

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 岡先生には木戸日記研究会にも誘っていただき、『木戸幸一日記』の仕事もやりました。社会科学研究所の助手の任期が終わり、職がなくて困っていた時に、東京都立大学(現首都大学東京)法学部助教授に押し込んでくださったのも岡先生です。
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とあり、ついでp66に、

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 昭和四十三年、岡義武先生が行き場のない私をかわいそうに思って、「君ね、法学部だけどいいか」と、都立大学法学部の助教授に押し込んでくれました。まだ目黒の八雲にあった頃のことです。その時、岡先生は、文学部の井上光貞先生のところへ行って、「伊藤君をお預かりします。必要な時にはいつでもお返しします」と挨拶してくれたそうです。
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とあります。
まあ、それなりの美談なんでしょうが、東大法学部で職を回すだけでなく、文学部の人まで「押し込」むことができ、しかも「必要な時にはいつでもお返し」できるだなんて、東大法学部と都立大法学部の関係は一体どうなっているのか、という感じも否めないですね。
以前、「都立大(法学部)は東大(法学部)の植民地」みたいなことを書きましたが、これもその例証のひとつですかね。

木村草太氏について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/49f3699c2a0418d62e3c685cb52ada39

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

明治伝奇集 2015/05/19(火) 18:27:50
ザゲィムプレィアさん
ご指摘、ありがとうございます。質量とエネルギーの等価性ということですね。
CERNの運転再開でダークマターの謎の一端が明らかになるのではないか、と期待されていますが、ダークマターとダークエネルギーにも「E=m×cの2乗」のような関係が成り立つのかどうか・・・成り立たないことを期待したいのですが。

小太郎さん
服部英雄氏がこだわる『河原ノ者・非人・秀吉』のテーマの背景が、少しわかるような気がしました。
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76250-0
池田信夫・與那覇潤両氏の対談『「日本史」の終わりー変わる世界、変われない日本人』は、半分くらい読みました。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784104717026
松浦寿輝氏の『明治の表象空間』は、第?部の1~7(内務省と警察、戸籍、刑法)に惹かれて拾い読みしていますが、新律綱領(1870年)の偏執狂的な「罪刑法定主義」を論じた以下の記述は面白いですね。(煩瑣のため、ふりがな及びフリガナは省略します)
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たとえば、殺人罪に関する人命律において、一家三人以上を殺した場合だの(「凡謀殺・故殺・放火・行盗シテ、一家ノ死罪ニ非ザル三人以上ヲ殺シ、若クハ人ヲ支解スル者ハ、皆梟」-なお「支解」は両手・両足を切り離すこと、「梟」は梟首すなわち晒し者の刑[松浦註])、人を呪術で呪い殺そうとした場合だの(「凡魘魅ヲ行ヒ、符書ヲ造リ、呪詛シテ、人を殺サント欲スル者ハ、各謀‐殺ヲ以テ論ズ」)、深い川を浅い川と詐称して溺死させた場合だの(「凡津河水深ク泥濘ナルヲ平浅ト詐称シ、及ビ橋梁・渡船朽漏ナルヲ牢固ト詐称シ、人ヲ過渡セシメ、因テ陥溺死傷ニ致ス者ハ、闘‐殺‐傷ヲ以テ論ズ」)、さらにまた家長が自分の従者を殺した場合だの(「凡奴婢、死罪ヲ犯スニ、家長、官ニ告ゲズ、擅ニ殺ス者ハ、杖七十」)が列挙され、すべて同じ資格で並置されてゆくさまを目にすると、われわれは呆気にとられ、何か眩暈に襲われるような気持にならないわけにはいかない。こうした列挙によって殺人行為の変異態のすべてを網羅し尽くそうとする言説的欲望はほとんどシュルレアリスム的であり、われわれはまるでボルヘスの短編小説を読んでいるような興趣さえ覚える。かと思うとそこに突如、自家の敷地内で発見した死体を官憲に無断で他所に運んで埋めてしまう人物が登場したりもする(「凡地界内ニ死屍アルヲ、里長・地主・隣佑人、官司ニ申報セズ、 輙ク他所ニ移シ、及ビ埋蔵スル者ハ、杖七十」)。(106頁)
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明治の『新律綱領』を、シュルレアリスムやボルヘスの短編小説に喩えたのは、奇想天外というか、見事なものです。松浦氏の肩書は「作家、詩人、仏文学者、批評家」とありますが、この喩えは「詩人」として感応したものなのでしょうね。まるで西脇順三郎の詩のようだ、とも言えますが、西脇にするといろいろ差障りがあるでしょうね。
参考文献は、『日本近代思想体系7 法と秩序』(石井紫郎・水林彪校注)岩波書店、とあるので、眺めてみようかと思います。沈没船に眠る財宝を発見できるやもしれぬ・・・。

煙草 2015/05/20(水) 18:33:23
伊藤隆氏『歴史と私』を拾い読みしてみました。

「まえがき」は、大正末から昭和初期の、たとえば江戸川乱歩の短編の一節のような味わいがありますね。タクシーの運転手といい、門衛といい、侍従といい、バルトのいう「空虚な中心」の登場人物として必要欠くべからざるもので・・・。

「菊の御紋の入った煙草をいただきました。まずい煙草だなと思いました」
私もこの煙草は吸ったことがありますが、JTへの特注のはずなのにあきれるほど不味いので下賜品にしかならず、陛下御自身は高級なものを嗜まれているのだろうか、と思ったくらいです。

平泉澄のプロレス好き(155頁)や松野頼三の政治的入院(236頁)や藤波孝生の俗物論(238頁)や渡邉恒雄の童貞の話(251頁)・・・など、なんというか、能天気な感じがしますね。
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