投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 4月 1日(水)10時44分23秒
>筆綾丸さん
>大変な秀才
私は木村草太氏の著書・論文は読んだことがありませんが、新聞記事等で見る限り、奇妙な議論をする人という印象が強いですね。
例えば沖縄新聞の3月26日付記事に、集団的自衛権について、
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同権行使は憲法9条が認めていないことに加え、内閣の権限を定めた73条に他国の主権を制圧する「軍事権」が定められていないことに着目し、違憲の根拠に挙げた。行使には、「憲法を改正して軍事権を設ける選択肢しかない」と述べ、憲法解釈の変更のみによる行使は「法の支配の破壊につながる」と強い危機感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=108878
とありますが、「軍事権」云々はあまり筋の良くない形式論のような感じがします。
朝日新聞2014年6月7日付の「(集団的自衛権 行方を問う)解釈改憲には訴訟リスク 憲法学者・木村草太氏」でも、木村氏は
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つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。たとえば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟を提起される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11177550.html
と言われていますが、集団的自衛権の憲法適合性を正面から論じず、国家賠償訴訟を提起される可能性があるから不安定だ、などという議論は珍妙ですね。
裁判で権利を主張するのは国民の自由ですから木村氏が挙げる形態以外でもいくらでも訴訟の可能性はあるでしょうが、集団的自衛権の行使が合憲であれば結論として原告敗訴になるだけの話です。
ウィキペディアを見ると、木村氏は東大法学部卒業後、大学院法学政治学研究科助手を経て僅か26歳で首都大学東京の准教授だそうで、確かに秀才には違いないのでしょうが、歴史学などと異なり、法学系では全く珍しい経歴という訳でもないように思います。
最近、たまたま読んだ河野有理編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版、2014)の河野有理・大澤聡・與那覇潤氏による「討議 新しい思想史のあり方をめぐって」に、河野氏がローマ法の木庭顕教授について述べた後、次のようなやりとりがあります。(p380)
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河野 (前略)それで、木庭先生のもとへ、日本近代で勉強したいといいに行ったら、いきなり叱られるわけですよ。日本人だから日本近代という発想がダメで、まずはデカルトを原書で全部読んでからまたきなさい。と。
與那覇 恐ろしい。まだそんな世界があるんですね。帝国大学が生きているというか。
河野 大学院に進むということが、法学部ではふつうではないのですよ。つまり院を受けるなら、いったん、先生に相談に行くというカルチャーがある。まあ、だいたい「やめておけ」といわれるわけですが。
與那覇 身元引受人が要るわけですね。入口で徹底的に絞るかわりに、一度入れたら最後まで手とり足とり面倒をみる「古きよき日本的経営」が残っている、最後の聖域ともいえそうです。駒場の大学院はそのあたりが「新自由主義的」ですから、まったく違う。
河野 駒場はとりあえず入れて、淘汰される文化ですね。
大澤 前提的には放置。ほとんど個人芸で成り立っている世界とでもいいましょうか。学生にせよ教員にせよ。その放置加減が自分にあいそうだと思える学生だけが進学すればよいのだけれど、現状そうでないから。難しいですね。
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東大法学部の場合、大学院に進む時点で厳しく選別される代わりに、入った後の就職先は恵まれているようですね。
特に首都大学東京、昔の都立大学との間には強いつながりがあるようで、遥か昔、全く不勉強な学生で、欠片ほどにも大学院に進もうなどと思ったことはなかった私ですら、「都立大(法学部)は東大(法学部)の植民地」みたいな言い方を聞いたことがあります。
実際に都立大学から東大に戻ってきたり、定年後に都立大学に行ったりする教員が多かったですね。
木村草太氏の「身元引受人」も何となく想像がつくのですが、ここに書くのはまずいような感じもするのでやめておきます。
『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「国の物語の象徴としての憲法」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7750
※追記
この投稿をした時点では、私は「助手」という制度もよく理解しないまま書いていました。
5月21日の下記投稿で補足しています。
「木村草太氏について(その2)」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9361001ce6121e7eff612c6251d62b3b
>筆綾丸さん
>大変な秀才
私は木村草太氏の著書・論文は読んだことがありませんが、新聞記事等で見る限り、奇妙な議論をする人という印象が強いですね。
例えば沖縄新聞の3月26日付記事に、集団的自衛権について、
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同権行使は憲法9条が認めていないことに加え、内閣の権限を定めた73条に他国の主権を制圧する「軍事権」が定められていないことに着目し、違憲の根拠に挙げた。行使には、「憲法を改正して軍事権を設ける選択肢しかない」と述べ、憲法解釈の変更のみによる行使は「法の支配の破壊につながる」と強い危機感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=108878
とありますが、「軍事権」云々はあまり筋の良くない形式論のような感じがします。
朝日新聞2014年6月7日付の「(集団的自衛権 行方を問う)解釈改憲には訴訟リスク 憲法学者・木村草太氏」でも、木村氏は
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つまり、集団的自衛権の行使の結果、政府が訴えられれば、巨額の賠償責任を負う可能性があるということだ。たとえば命令を拒否して懲戒処分になった自衛官や、本土への報復攻撃で被害を受けた人々から、国家賠償訴訟を提起される可能性がある。不安定な法的基盤のもとでは、首相は不安を抱えて集団的自衛権を行使することになる。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11177550.html
と言われていますが、集団的自衛権の憲法適合性を正面から論じず、国家賠償訴訟を提起される可能性があるから不安定だ、などという議論は珍妙ですね。
裁判で権利を主張するのは国民の自由ですから木村氏が挙げる形態以外でもいくらでも訴訟の可能性はあるでしょうが、集団的自衛権の行使が合憲であれば結論として原告敗訴になるだけの話です。
ウィキペディアを見ると、木村氏は東大法学部卒業後、大学院法学政治学研究科助手を経て僅か26歳で首都大学東京の准教授だそうで、確かに秀才には違いないのでしょうが、歴史学などと異なり、法学系では全く珍しい経歴という訳でもないように思います。
最近、たまたま読んだ河野有理編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版、2014)の河野有理・大澤聡・與那覇潤氏による「討議 新しい思想史のあり方をめぐって」に、河野氏がローマ法の木庭顕教授について述べた後、次のようなやりとりがあります。(p380)
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河野 (前略)それで、木庭先生のもとへ、日本近代で勉強したいといいに行ったら、いきなり叱られるわけですよ。日本人だから日本近代という発想がダメで、まずはデカルトを原書で全部読んでからまたきなさい。と。
與那覇 恐ろしい。まだそんな世界があるんですね。帝国大学が生きているというか。
河野 大学院に進むということが、法学部ではふつうではないのですよ。つまり院を受けるなら、いったん、先生に相談に行くというカルチャーがある。まあ、だいたい「やめておけ」といわれるわけですが。
與那覇 身元引受人が要るわけですね。入口で徹底的に絞るかわりに、一度入れたら最後まで手とり足とり面倒をみる「古きよき日本的経営」が残っている、最後の聖域ともいえそうです。駒場の大学院はそのあたりが「新自由主義的」ですから、まったく違う。
河野 駒場はとりあえず入れて、淘汰される文化ですね。
大澤 前提的には放置。ほとんど個人芸で成り立っている世界とでもいいましょうか。学生にせよ教員にせよ。その放置加減が自分にあいそうだと思える学生だけが進学すればよいのだけれど、現状そうでないから。難しいですね。
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東大法学部の場合、大学院に進む時点で厳しく選別される代わりに、入った後の就職先は恵まれているようですね。
特に首都大学東京、昔の都立大学との間には強いつながりがあるようで、遥か昔、全く不勉強な学生で、欠片ほどにも大学院に進もうなどと思ったことはなかった私ですら、「都立大(法学部)は東大(法学部)の植民地」みたいな言い方を聞いたことがあります。
実際に都立大学から東大に戻ってきたり、定年後に都立大学に行ったりする教員が多かったですね。
木村草太氏の「身元引受人」も何となく想像がつくのですが、ここに書くのはまずいような感じもするのでやめておきます。
『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「国の物語の象徴としての憲法」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7750
※追記
この投稿をした時点では、私は「助手」という制度もよく理解しないまま書いていました。
5月21日の下記投稿で補足しています。
「木村草太氏について(その2)」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9361001ce6121e7eff612c6251d62b3b
都立大の定年は国立と同じですが、定年後に都立大に行くってあり得るんですか?
たとえば誰ですか?
完全な勘違いでした。
内藤謙氏は東大で定年後、千葉大に行ったそうで、そういえば松尾浩也氏も千葉大に行っていますから、同じ国立大でも定年の違いはあるんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E8%AC%99
指導教官のつもりだけど、何が言いたいの。
このことを踏まえれば、「身元引受人」が指導教官のことであるという弁明も意味不明ですし、「定年後に都立大学に行ったりする教員が多かった」とする文脈で「身元引受人」に言及するのも意味不明です。
そちらこそなにがいいたいの?
<「定年後に都立大学に行ったりする教員が多かった」とする文脈>ではなく、別の文脈で書いています。
読み取れないなら仕方ないけど。
二度と来ないでね。