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内田力「一九五〇年代の網野善彦にとっての政治と歴史」へのプチ疑問(その2)

2018-12-17 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月17日(月)14時34分45秒

内田力氏は「党幹部伊藤律との関係を示唆する証言」として今谷明(1942生)の「時局下の網野先生」(『網野善彦著作集』第六巻「月報」、2007)の次に犬丸義一(1928-2015)の「証言」を挙げますが、内田氏も認めるように、後者に登場する「薄紙」は「伊藤から受け取ったものかは不明」なので、結局、「党幹部伊藤律との関係を示唆する証言」は今谷のエッセイだけですね。
そして、この今谷のエッセイを読むと、内田氏の言う「証言」とは、今谷が名古屋大学助教授時代の網野善彦(1928-2004)と「よく飲み歩いた」際に、「(網野)先生から「自分は伊藤律の指令を下部へ伝達する役」を担っていたと承ったことがある」だけなのだそうで、その程度の話を「証言」と表現する内田氏の言語感覚が私には理解できません。
ま、対象を黒く描いてからその黒さを批判するのは私の好むところではありませんので、まずは今谷のエッセイを紹介しておきたいと思います。(p4以下)
なお、原文では文中の引用箇所は全体を二字分下げています。

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時局下の網野先生

 網野善彦先生は、自身の昭和二〇年代のことをほとんど語られなかった。『歴史評論』の「若狭における封建革命」(一九五一年一月)、河出書房の『日本歴史講座』の「封建制度とは何か」(五一年一二月)の二論文を発表しておられるが、後年、この二論文を自身で激しく忌避、否定されていたことは、学界では周知に属する。まず、先生自ら回想されるこの時期の身辺について、ふり返ってみよう。

"学問"の名の下に特権的な道に身をよせつつ、卒業後、歴史学研究会の委員となってからは、勤務していた日本常民文化研究所での文書整理の仕事をサボりつづけ、人々を歴史学の中での運動、やがて国民的歴史学といわれた運動に駆り立てる役割をするようになった。(中略)しかし自らは真に危険な場所に身を置くことなく、会議会議で日々を過し、口先だけは"革命的"に語り、(中略)そのころの私自身は、自らの功名のために、人を病や死に追いやった"戦争犯罪人"そのものであったといってよい。(網野「戦後の"戦争犯罪"」<『歴史としての戦後史学』二〇〇〇年>)

このように、先生は卒業後、常民研時代の言動について「懺悔」されているのだが、佐野眞一氏の「網野善彦」(『アエラ』二〇〇一年四月九日号)によると、先生の革命運動についての叙述はかなり異なる。

網野はやがて日本共産党の指導で組織化された反ファッショ、民主戦線をスローガンとする民主主義学生同盟の副委員長兼組織部長に抜擢される。だが共産党が暴力革命路線を打ち出すに伴い、現在の民青の前身の民主青年団が結成され、そこに民主主義学生同盟が吸収されると、網野は、おまえは大学に残って勉強しろと言われ、役職を離れた。(中略)運動に距離をおきはじめた網野は、50年に東大を卒業すると、当時月島にあった日本常民文化研究所の分室に入った。

と記す。佐野のルポルタージュは、どう読んでも網野先生は卒業以前に党務、ないし運動を離れたとしか読み取れない。佐野氏の記述が正しいとすると、先生の時局は四八-四九年頃の、民学同組織部長時代の短い間となる。
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この後、小島晋治氏(東大名誉教授、中国近代史、1928-2017)の「証言」があり、当面の課題とは関係ないので省略しようかとも思いましたが、時代の雰囲気を感じさせる部分があるので、これも引用します。

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 東大細胞時代の先生について、後輩の小島晋治氏の証言(『一九会文集』─旧制水戸高の同窓会誌)がある。

あの頃、歴史の学生に秘密党員というのがあったらしいんです。あの頃松本新八郎という学者が共産党の文化部にいて、ほかの学科はどうか知らんが歴史学科については将来学者にするのに、つまりあとで大学に残ったりするのに表に出すと具合が悪いというので(中略)我々みたいにビラ貼ったり、ビラまきやったりという派手な活動はさせない、ということになっていたらしい。たしか網野さんはちょうどその境目くらいだったと思います。あの人は正直な人で、つい出て来ちゃうんだけど、たしか網野さんはそういうメンバーじゃなかったかと思います。

このように先生は優遇身分であったらしく、ガリ切り、ビラ貼りに奔走させられた児島氏は「おかしな政党だと腹が立つ」と不満を述べている。先生の「特権的な道」への悔悟は、この優遇身分を指すとも受け取れる。
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長くなったので、いったんここで切ります。
なお、小島氏はブチブチ不満を言っていますが、少なくとも網野は共産党系の団体であることを全然隠さなかった「民主主義学生同盟の副委員長兼組織部長」をやっているので、およそ「秘密党員」とは言えないですね。
ビラ貼り・ビラまきのような下っ端党員のやる仕事はしなかったのかもしれませんが、「あとで大学に残ったりするのに表に出すと具合が悪い」存在ではなく、小島氏の「証言」には疑問を感じます。
また今谷の引用の仕方も変ですね。

小島晋治
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E6%99%8B%E6%B2%BB
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