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「マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡」

2019-02-14 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 2月14日(木)22時16分35秒

2月3日のNHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」に出てきたマッカーサーの原爆投下目標の件、朝鮮戦争に関する最新の論文を片っ端からチェックしなければならないのかな、などと思っていたのですが、近くの図書館でたまたま手に取った29年前の本に回答が出ていました。
しかもそれは饗庭孝典・NHK取材班『NHKスペシャル 朝鮮戦争~分断38度線の真実を追う~』(日本放送協会、1990)であって、29年前のNHKスペシャルの担当者が纏めた本ですね。
同書の「第六章 核が準備された」に、

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マッカーサーは中ソ攻撃のために核使用を考えていた

 しかし、マッカーサーは全く違うことを考えていた。彼は中国共産党がアジアでの政治不安の根源であり、この機会に徹底的に巻き返し、蒋介石の大陸復帰を実現しようと考えていたようだ。
 マッカーサーの回顧録は、原爆使用問題についてきわめて短く、控え目にしか書いていないが、それでも「敵の主要補給路の全部にまたがって放射性廃棄物、つまり原爆製造の際の副産物を投下し、朝鮮を満洲から遮断する」と述べている。一二月二〇日付の、マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡が残っているが、そこには「戦略空軍の原爆攻撃の目的は、極東におけるソビエト軍の潜在的戦争能力をなくすことにあるとすれば、次のような通信、潜水艦基地を含む都市が目標となる」として、

 ウラジオストック 2 /ウォロシロフ 1 /ハバロフスク 2 / 旅順 1/
 北京 1/ 大連 2/ ドレンスク・サハリン 1/ コムソモルスク 2

 など、ソビエトのシベリア、極東地方と、中国東北部にある二一の都市の名を並べ、そこに投下する原爆の数を示している。一部の研究者は、マッカーサーが北朝鮮の背後にある中ソを攻撃するため二六個の原爆を要求したと書いているが、文面からすると二六個必要だというのではなく、使える原爆の数の問題もあるだろうから、攻撃すべき都市に優先順位をつけ、そこを破壊するのに必要な原爆の数を示したものである。マッカーサーはこれらを全部たたかなければだめだと主張しているのではなく、メモの中でも「これらは連合国の情報機関や現地の日本人引き揚げ者の話を聞いてまとめたものであり、現地視察や航空偵察の成果を取り入れ修正すべきだ」としている。このメモはまた、これらの都市のほか、中ソ軍の上陸集中地点に四個、空軍拠点の飛行場攻撃に四個が必要だとしている。
 マッカーサーのこのメモが正式文書としてどこまで上がったのか不明だが、トルーマンや軍首脳がこれを取り上げた記録はない。むしろ原爆は、国連軍が中国軍の攻撃で朝鮮半島から追い落とされるような事態になったら、それを防ぐため、または完全撤退を無事に遂行するために使用を認めるとした。トルーマンの核政策を示すものといえよう。
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とあります。(p184以下)
2月3日の番組内容と細部まで一致するので、この文書で間違いないですね。

NHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d440315666695ad31d96482297b7d126
原爆?(筆綾丸さん)
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9780
マッカーサーの暗号電
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ec3faba7bed1d3497fa8c04ec51130d1

さて、今回のNHKスペシャルの制作責任者は、当該文書が、

(1)「マッカーサーから陸軍参謀本部G3のボルテ将軍宛ての個人的書簡」であって、
(2)「戦略空軍の原爆攻撃の目的は、極東におけるソビエト軍の潜在的戦争能力をなくすことにあるとすれば」と仮定した上の議論であり、しかも、
(3)「使える原爆の数の問題もあるだろうから、攻撃すべき都市に優先順位をつけ、そこを破壊するのに必要な原爆の数を示した」だけで、「マッカーサーはこれらを全部たたかなければだめだと主張しているのではなく」、
(4)「これらは連合国の情報機関や現地の日本人引き揚げ者の話を聞いてまとめたものであり、現地視察や航空偵察の成果を取り入れ修正すべきだ」という暫定的性格の文書であり、更に、
(5)「正式文書としてどこまで上がったのか不明」

だという事情を熟知しながら、そのような説明を一切せず、視聴者が内容を判別できない態様で文書をチラッと見せるという手法を取った訳で、放送倫理的にどうなのだろうかという疑問が生じます。
それにしても、最新の研究成果なのかと思ったら29年前の番組の焼き直しだと分かって、些か拍子抜けの心境です。

>筆綾丸さん
学校群制度で没落するまでの日比谷高校は旧制高校みたいな雰囲気だったのかもしれないですね。
もっとも、

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The ratio of boy and girl at the school was 3:1, which was delicate but heartless arrangement. Such ratio gave us consciousness of the opposite sex. We tried to enjoy the pair dance like folk dance under such abnormal combination. The frustration might increase our mental energy of inflation
男女の比率が3対1というのも非情な組合せだったと思う。異性を意識しないようで意識するような人数比で、フォークダンスときなど困った。あの頃のフラストレーションもまた精神のインフレーションのエネルギーとなっていたのかも知れない。

http://park17.wakwak.com/~kobakan/contents/9916classdiaryafter310000hours_R.html

という事情は戦後ならではでしょうが。
様々な可能性を秘めた優秀な生徒を教えるのは大学での講義やゼミとは別の楽しみもあったはずで、次田氏にとっても充実した時期だったのでしょうね。

次田香澄(1913-97)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A1%E7%94%B0%E9%A6%99%E6%BE%84

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
霞草 is appearing.
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9789

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