投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月10日(水)17時45分12秒
続きです。(井上宗雄『増鏡(上)全訳注』、p256以下)
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上はいつしか所々に御幸しげう、御遊びなどめでたく、今めかしきさまに好ませ給ふ。中宮も位さり給ひて、大宮女院とぞ聞ゆる。やすらかに常は一つ御車などにて、ただ人のやうに花やかなる事どものみひまなく、よろづあらまほしき御有様なり。院の上、石清水の社に詣でさせ給へば、世の人残りなくつかうまつる。さるべき事とはいひながら、なほいみじ。御心にも一年の事おぼし出でられて、ことにかしこまり聞えさせ給ふべし。
石清水こがくれたりしいにしへを思ひ出づればすむ心かな
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中宮は宝治二年(1248)六月、院号宣下があって大宮院となります。
後嵯峨院が「御心にも一年〔ひととせ〕の事おぼし出でられて」というのは、夢に「椿葉の影ふたたびあらたまる」と聞いたという話ですね。
歌は「岩間の清水が木隠れに流れて誰にも知られないような身だった昔、この石清水社に詣でて神託を賜ったことを思い出すと、有難さに我が心は清く澄んでくる」といった意味で、『続古今集』巻七・神祇に入集しています。
「巻四 三神山」(その2)─承明門院
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b30a619207c3fdaa00cde48035428776
さて、この先、後嵯峨院の華やかな遊宴御幸の話が続きます。
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宝治の頃、神無月廿日余りなりしにや、紅葉御覧じに宇治に御幸し給ふ。上達部・殿上人思ひ思ひ色々の狩衣、菊・紅葉の濃き薄き、縫物・織物・綾錦、すべて世になききよらを尽し騒ぐ。いみじき見物なり。殿上人の舟に楽器まうけたり。橘の小島に御船さしとめて、物の音ども吹きたてたる程、水の底も耳たてぬべく、そぞろ寒き程なるに、折しり顔に空さへうち時雨れて、真木の山風あらましきに、木の葉どもの色々散りまがふ気色、いひ知らずおもしろし。女房の船に色々の袖口、わざとなくこぼれ出でたる、夕日にかかやきあひて、錦を洗ふ九の江かと見えたり。平等院に中一日渡らせ給ひて、さまざまのおもしろき事ども数しらず。網代に氷魚のよるも、さながらののしりあかして帰らせ給ふ。
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「物の音ども吹きたてたる程、水の底も耳たてぬべく、そぞろ寒き程なるに」のあたり、なかなかの名文ですね。
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