『ハラカルラ』 目次
『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。
『ハラカルラ』 リンクページ
ガシガシと髪を拭きながらボディバッグを手に取る。 拭いていたタオルを首にかけ、ボディバッグを開けてスマホを取り出す。 着信の音量はミュートにしていた。
長に連れられライの家に来た途端、疲れただろうと丁度ナギが風呂から上がって来たところだからと、そのまま風呂に入るよう勧められ、スマホチェックはほぼ丸二日していない。
見てみると着信ランプが点滅している。 電源ボタンを押しロック画面からホーム画面に変える。 ラインの着信が5となっていて電話にも着信が7となっている。
「雄哉かな」
電話の画面を開くと大学で同じ講義を受けていた友達からの連絡だった。 留守録に数人からの打ち上げ吞み会のお誘いが録音されていた。
続いてラインを見ようとした時、外から声がかかった。
「水無瀬上がってる?」
ライの声である。
「ああ、うん」
「入っていいか?」
「うん」
ガラガラガラと引き戸が開けられた。
「あ、ドライヤーまだだったか」
まだ濡れている水無瀬の髪を見ながら言う。
「あ、使うんだったら、いいよ」
「あーん、いいんだ。 どうせナギだし」
そういえば丁度ナギが風呂から上がってきたところだとライの母親が言っていた。 まだドライヤーをしていなかったのか。
「ああ、いい。 俺、出るから。 ナギにドライヤー使ってって言って」
「んじゃ、水無瀬が言ってきて。 俺風呂入る。 ナギは台所。 風呂来るまでにあっただろ?」
「うん、分かる」
ライがどんどんと服を脱いでいく。
ライが湯に浸かってる時にここでナギがドライヤーで髪を乾かす。 水無瀬には考えられないが兄妹とはそういうものなのだろうか。
手の中にあったスマホのライン画面を開ける。 やはりこちらも同じ講義を受けていた大学仲間からだった。 こちらも打ち上げ呑み会のお誘いであった。 雄哉を通さないで直接連絡してくるとは珍しいが、この友達たちは雄哉と接点がない。 水無瀬が最後の講義を受けたとどこかで聞いたのだろう。 同じ講義を受けていたのだから打ち上げでもしようということなのだろう。
「あとで返信しよ」
風呂ではバシャバシャと音がしている。
スマホをボディバッグに戻し洗面所を出た。
硝子戸を開けると、ライは台所と言ったがそこにはテーブルもある。 従ってダイニングキッチンであった。 そんな洒落た作りではないが。
「お先に頂きました」
「まぁ、ご丁寧に」
皿を持って振り返った母親。
「あら、髪の毛は?」
「あ、あとでいいです。 ナギ、今ライが風呂に入ってるけどドライヤーをって・・・」
尻切れトンボになる。 なんと言っていいのか分からない。
「え? もうライってば、夕飯だって言うのに」
「いいじゃない、どうせ烏なんだし」
それは泳ぐ烏でも飛ぶ烏でもない。 烏の行水ということである。
「ドライヤーしてくる」
「早く終わらせてよ」
「はーい」
ん? という表情をした水無瀬だが、水無瀬から見てナギの言葉が不自然に聞こえるのは仕方のないことである。
後姿を見せていたナギが立ち上がり、硝子戸近くに立っている水無瀬に顔を向ける。
「うっ・・・」
あまりの驚きにそれ以上声が出なかったがナギにひと睨みされた。 そのナギが素知らぬ顔で水無瀬の横を過ぎていく。
(パックしてたのかよ・・・)
心臓が止まるかと思った。
水無瀬の心臓が止まりかけたことなど知らない母親が水無瀬に声をかけてきた。
「田舎料理なんだけど」
テーブルには煮物や和え物が並んでいる。 昨日の煉炭の家もそうだったが、水無瀬にしてみれば有難いメニューである。
「ラーメンばっかりですから嬉しいです」
「まぁ、そうなの? それは身体によくないわねー。 あと少しで出来上がるからあっちに座ってて」
あっちと言われたのは台所との境の硝子戸が開け放たれた居間で、こたつが置かれている。 天板には籠に入ったミカンもある。 テレビは点けられてはいない。
田舎の家の一室という感じだ。 爺ちゃん婆ちゃんの家は決して田舎ではなかったが、それでも年寄二人で過ごしていた。 よく似ている。 今は既に婆ちゃんも亡くなってしまって家は手放されてはいるが、時々遊びに行った家を思い出す。
風呂上りでもあるし部屋の中は暖かい。 こたつの布団を少し押して座った。
「水無瀬君、たまには実家には戻ってるの?」
「あんまり」
振り返り答える。
「ご実家でご両親寂しくしてらっしゃらない?」
話しが長くなるのだろうか、それならばと身体全身を台所に向ける。
「どうでしょうか。 うちの両親仲が良いんで二人で楽しくやってると思います」
「まぁ、それは別よ。 夫婦は夫婦、子供は違うわよ」
「そんなものでしょうか」
ライたちの母親の話し方に少し疑問を感じた。 昨日の煉炭の母親の話し方と違う。
「あの、おばさんはこの村出身なんですか?」
「ああ、違うの。 ふふ、イントネーションとか違うでしょ? ずっと使ってきた言葉はなかなか直らなくて。 言ってみれば余所者、あ、つまはじきにはされてないわよ。 みんないい人だから。 子供も村のみんなで育てるって感じで楽できちゃってるの。 でも初めて来た時にはこんな山の中だとは思ってなかったけど」
「そうなんですか」
この村の人たちがしていることを知っているのだろうか。 もし知っているとしたら、初めて聞いた時には驚いただろう。
「さ、出来た」
最後の皿をテーブルに置いた時だった、硝子戸が開いた。
「おっ、ナイスタイミング」
(え? もう上がってきたのか?)
早すぎるだろう。
「ナギは?」
「顔のパーツの位置整えてる」
途端、バシッという音がした。
ナギが後ろからライの頭を叩いた音であった。
「誰がそんなことしてるっていうんだ?」
「ナギ、言葉遣い」
「はーい」 と言ったナギだが、二人がほぼ同時に戻って来た。 ということは、ナギがドライヤーをかけている後ろでライが身体を拭き、スウェットを着ていたということか?
とてもじゃないが水無瀬には理解できない世界だ。
「水無瀬、さっとドライヤーかけてきたら?」
「そうね、風邪でも引いたら大変」
「あ、じゃあ、すぐに終わらせてきます」
殆ど乾きかけているが。
さっとドライヤーを終わらせ台所に戻ってきた水無瀬。
「まだお替わりはあるからね、いっぱい作ったからいくらでも食べてちょうだい」
「有難う御座います」
テーブルの上を見ると箸が四膳。 大皿はおいておいても、茶碗も和え物も取り皿も四皿。 今ここに居る人数と同じ。
「あの、おじさんは?」
「親父は首脳会議」
「え?」
「と言う名のドンチャン」
「あ、呑み?」
「この煮物とかはその為に作ってたってこと。 あっちこちから持ち込み呑みだな。 久しぶりにゆっくり出来るってんでな」
「ゆっくりって・・・」
自分のことを言われているのだろうか。
「水無瀬がここに居るからに決まってんだろ」
やはりそうか。
「ライ、その言い方はないでしょ。 水無瀬君気にしないでね」
「そうそ、お父さんたちは矢島のことでずっと忙しかったんだから」
ナギの口から矢島と聞いて長が言ったことを思い出した。 『ナギが矢島の遺体と対面して泣き崩れた』 そう言っていた。 それに矢島と一緒に写真に写っていたとも。
「そうよ、水無瀬君が気にすることじゃないから。 さ、座って」
空いている席はライの隣だった。 当たり前といえば当たり前だが。
「遠慮しないで食べてね。 ラーメンばっかりじゃいけないわよ」
母親が言う横でナギが下ろしたままの長い髪の毛を団子にしてヘアクリップで留めている。
女になったことが無い水無瀬は女の人はよくこういうことをしているが、器用なもんだといつも思っている。
「はい、いただきます」
こういう料理はそうそう食べられるものではない。 練炭の家でもそうだったが、しっかりと遠慮なく頂いた。
夕飯の席では色んな話を楽し気に母親がきかせてくれた。 ライたちの両親の馴れ初めもその中にあった。
「一目惚れってとこね」
少し前、この村の人たちがしていることを知っているのだろうか、それならば初めて聞いた時には驚いただろうと思っていたが、そうではなかったらしい。 聞いたということではなかったらしく、いずれにせよ村の人たちがしていることを知っていたということであった。
「親父のどこに一目ぼれしたんだか」
「あらぁ、カッコよかったものぉ」
キャー、水無瀬君の前で恥ずかしい、と言いながら何故か隣に座るナギをバンバンと叩いている。
その母親を横目で見ながらライが両親の出会いの話をする。
矢島の先代が村を出た時に影から護衛をしていた時だったという。
朱門に襲われかけ、あのキツネ面を付けた数人で対峙し戦いが始まったところを偶然部活帰りのライの母親が見たらしく、挙句にクナイが足元に飛んできた。
それに気付いたライの父親が母親を庇いながら逃がしたということだった。 だから初めては聞いたのではなく見たということになる。
見られたことで長からかなり叱責を受けたらしいが、決して口止めで結婚したわけではないということだった。
「もう、アクションスターそのものだったわ」
母親はそういう系が好きらしく、映画もよく見に行っているということだったが部活は茶道部ということだった。 その時も文化祭の準備で遅くなっていたらしい。
「面を付けてたから顔が見えないもんな」
「あら、岩みたいで頼りがいがあるじゃない」
顔は岩らしい。 この二人、顔は母親に似て正解だったようだ。
三人が三人とも気を使ってくれていたのか、矢島の跡の話しや水の世界に行ってどうだったか、これからどうするのか、などということを訊かれることはなかった。
夕飯のあと水無瀬が案内されたのは、二階の一室の六畳の畳間で部屋にはエアコンがついていて、すでに暖められていた。 リモコンが枕の横に置いてある。
喉が乾けば勝手に台所に行って飲めばいい、用があれば隣の部屋がライの部屋だからと、ライが自分の部屋に戻って行った。
畳間には既に布団が敷かれている。 枕とリモコンをどけてその布団に大の字になって転がる。
今日一晩泊めてもらってどうしようというんだ、俺は。
“矢島さん、どうして欲しいですか” またそれが浮かんだ。
俺は・・・矢島さんと秘密を共有している。 歴代の守り人とも。
少なくとも黒の守り人たちは、きっと青の人間たちのやったこと、いや、人間がやったことではなく、異変のことを口にしたくなかったのかもしれない。
烏が言っていた。
『二十年前の異変はおかしかったのだろう』 『二十年前の異変はどこかが狂っていたのかもしれない』 と。
それを口にしたくなかった。 それは・・・不安にさせたくなかったから。 そう考えると、青の人間たちが飛ばされ居なくなったことは知っていた、ということに頷ける。 その筋が残っていると思うと不安になるだろう。
「ああ・・・俺なに考えてんだ。 あ、返信」
スマホを出しラインに返信を入れる。 電話相手にもラインで返信を入れた。 どちらにも『悪い、ちょっとパス』 と。
スマホを置き両腕を枕にして寝転ぶ。
少なくとも考えるということがおかしい。 この話に乗る気がなければ考えなければいいことだ。 バイトと就活それに専念すればいいこと。 朱門のことは長に任せればいいのだから。
枕を引き寄せ胸に抱く。
『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』 『あとを頼む』 矢島の声が頭にひびく。
“これ” というのは便箋のこと、それは矢島が選んだという証。 “あとを頼む” というのは・・・守り人のこと。
便箋に何が書かれてあるのか気にはなっていた。 だから長から聞いて納得はできたものの、それが “あとを頼む” に繋がるというのは考えもしなかった。
“あとを頼む” それは便箋を誰かに渡すとか、そういうものではなかった。
そんなにハラカルラが大切なのだろうか。
この世と重なった世。 クロスしている世。 こっちの世で不浄というものがあると、ハラカルラに影響が出る。
持って帰られない不浄、心の不浄、それは穢れ。
枕を抱いたままごろりと横を向く。
喧嘩、万引き、詐欺、強盗、抗争、テロ、銃の乱射、デモ、汚職、あらゆる事件。
軽いものはそう影響を受けないと烏は言っていたが、どこまでが軽いものなのだろうか。
「戦争」
少なくとも戦争は軽いものではない。 どれだけハラカルラは影響を受けていたのだろうか。
過去形では終われない。 今もどこかで戦争が起きている。
矢島達歴代の守り人が水を抑えて宥めていた。
「矢島さんは正義感を持っていたということなのかな」
百人が百人とも矢島と同じような正義感など持てないだろう。 現に烏から話を聞かされた水無瀬は二つ返事が出来ていない。 矢島のような正義感が無いということになる。
(この村の人たちは生まれながらにして、守り人の補佐をしているってのに・・・俺は・・・)
だがそれは生まれた場所の違いなのだろう。 水無瀬もここに生まれていれば何の疑問も持たず補佐をしていただろう。
(明日・・・もう一度・・・)
烏に会いに行こうか。
そして矢島のことを訊こうか。
烏といえば思い出したことがあった。 水無瀬が自分のフルネームを烏に言った時のことだ。
水無瀬は烏の声に被して、烏曰くのフネネームを言った。
フルネームの無い人間なんて今の時代いないんだよ、と言わんばかりに。 だがその声に力は無かったが。
するとまたもや烏に漢字を訊かれた。 その返事が 『ほほー、鳴る海か。 鳴る水であれば良かったのになぁ。 まぁ、仕方があるまい、そちらの方がまだ良いな』 だった。
苗字だけではなく名前にもケチをつけられた。 それに水が鳴っては異変とやらが起きたということになるのではないのか? と思うが烏は大きな音を立ててと言っていた。 そこまで大きな音でなければいいのだろうか、鳴る程度であればいいのだろうか。
水から始まって水で終る名前って何だよ。 シャレかよ。 と心の中で突っ込んでいると烏に言われた。
『お前は変わっておるのぉ』 と。
喋る烏に変わってるとは言われたくなかったが、あの時の水無瀬にはもう言い返す元気はなかった。
エアコンで乾燥しているのだろう、喉が渇いてきた。
水でも飲みに行こうかと身体を起こし部屋を出た。 と、隣の部屋からもライが丁度出てきた。
「ん? どした?」
「水でも飲もうかなって」
「ああ、エアコンって乾くもんな。 水なんてしょぼいこと言うなよ、いいよ、持って来てやるよ。 部屋で待ってな」
ライが階段を降りていった。
「おーい、開けてー」 と襖の外から声がかかった。 戻って来たライの手にコップが二つ握られている。 それぞれストロー付きである。
「死んだ顔してんぞ、あんまり考えすぎんなよ」 そう言ってコップが差し出された。
「ありがとう」 二つの意味で。
差し出されたコップを見るとアイスココア。
(なんでココア?)
「疲れた時には甘いモノ」
心の声が聞こえたのだろうか。
ライは矢島のことをどれだけ知っているのだろうか。
「いま、ヒマ?」
「忙しくはないし用はない」
それをヒマという。
「ちょっといいか?」
「あーいいけど・・・俺の部屋くる? 和室汚すと母ちゃん煩いし」
「あ、じゃ、お邪魔します」
「ん」
ライの部屋に入ると六畳の洋室でベッドと勉強机、フローリングにミニテーブルが置かれてあり、その上にポテトチップスの袋が広げてあった。
さっきライが言った汚すというのは、ポテトチップスの食べこぼしのことだったのだろう。
「適当に座って」
ライが自分のコップを置きミニテーブルの前に座りながら言う。 その傍らにはちょっと前まで読んでいただろうバイク雑誌が置かれている。
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ハラカルラ 第21回
ガシガシと髪を拭きながらボディバッグを手に取る。 拭いていたタオルを首にかけ、ボディバッグを開けてスマホを取り出す。 着信の音量はミュートにしていた。
長に連れられライの家に来た途端、疲れただろうと丁度ナギが風呂から上がって来たところだからと、そのまま風呂に入るよう勧められ、スマホチェックはほぼ丸二日していない。
見てみると着信ランプが点滅している。 電源ボタンを押しロック画面からホーム画面に変える。 ラインの着信が5となっていて電話にも着信が7となっている。
「雄哉かな」
電話の画面を開くと大学で同じ講義を受けていた友達からの連絡だった。 留守録に数人からの打ち上げ吞み会のお誘いが録音されていた。
続いてラインを見ようとした時、外から声がかかった。
「水無瀬上がってる?」
ライの声である。
「ああ、うん」
「入っていいか?」
「うん」
ガラガラガラと引き戸が開けられた。
「あ、ドライヤーまだだったか」
まだ濡れている水無瀬の髪を見ながら言う。
「あ、使うんだったら、いいよ」
「あーん、いいんだ。 どうせナギだし」
そういえば丁度ナギが風呂から上がってきたところだとライの母親が言っていた。 まだドライヤーをしていなかったのか。
「ああ、いい。 俺、出るから。 ナギにドライヤー使ってって言って」
「んじゃ、水無瀬が言ってきて。 俺風呂入る。 ナギは台所。 風呂来るまでにあっただろ?」
「うん、分かる」
ライがどんどんと服を脱いでいく。
ライが湯に浸かってる時にここでナギがドライヤーで髪を乾かす。 水無瀬には考えられないが兄妹とはそういうものなのだろうか。
手の中にあったスマホのライン画面を開ける。 やはりこちらも同じ講義を受けていた大学仲間からだった。 こちらも打ち上げ呑み会のお誘いであった。 雄哉を通さないで直接連絡してくるとは珍しいが、この友達たちは雄哉と接点がない。 水無瀬が最後の講義を受けたとどこかで聞いたのだろう。 同じ講義を受けていたのだから打ち上げでもしようということなのだろう。
「あとで返信しよ」
風呂ではバシャバシャと音がしている。
スマホをボディバッグに戻し洗面所を出た。
硝子戸を開けると、ライは台所と言ったがそこにはテーブルもある。 従ってダイニングキッチンであった。 そんな洒落た作りではないが。
「お先に頂きました」
「まぁ、ご丁寧に」
皿を持って振り返った母親。
「あら、髪の毛は?」
「あ、あとでいいです。 ナギ、今ライが風呂に入ってるけどドライヤーをって・・・」
尻切れトンボになる。 なんと言っていいのか分からない。
「え? もうライってば、夕飯だって言うのに」
「いいじゃない、どうせ烏なんだし」
それは泳ぐ烏でも飛ぶ烏でもない。 烏の行水ということである。
「ドライヤーしてくる」
「早く終わらせてよ」
「はーい」
ん? という表情をした水無瀬だが、水無瀬から見てナギの言葉が不自然に聞こえるのは仕方のないことである。
後姿を見せていたナギが立ち上がり、硝子戸近くに立っている水無瀬に顔を向ける。
「うっ・・・」
あまりの驚きにそれ以上声が出なかったがナギにひと睨みされた。 そのナギが素知らぬ顔で水無瀬の横を過ぎていく。
(パックしてたのかよ・・・)
心臓が止まるかと思った。
水無瀬の心臓が止まりかけたことなど知らない母親が水無瀬に声をかけてきた。
「田舎料理なんだけど」
テーブルには煮物や和え物が並んでいる。 昨日の煉炭の家もそうだったが、水無瀬にしてみれば有難いメニューである。
「ラーメンばっかりですから嬉しいです」
「まぁ、そうなの? それは身体によくないわねー。 あと少しで出来上がるからあっちに座ってて」
あっちと言われたのは台所との境の硝子戸が開け放たれた居間で、こたつが置かれている。 天板には籠に入ったミカンもある。 テレビは点けられてはいない。
田舎の家の一室という感じだ。 爺ちゃん婆ちゃんの家は決して田舎ではなかったが、それでも年寄二人で過ごしていた。 よく似ている。 今は既に婆ちゃんも亡くなってしまって家は手放されてはいるが、時々遊びに行った家を思い出す。
風呂上りでもあるし部屋の中は暖かい。 こたつの布団を少し押して座った。
「水無瀬君、たまには実家には戻ってるの?」
「あんまり」
振り返り答える。
「ご実家でご両親寂しくしてらっしゃらない?」
話しが長くなるのだろうか、それならばと身体全身を台所に向ける。
「どうでしょうか。 うちの両親仲が良いんで二人で楽しくやってると思います」
「まぁ、それは別よ。 夫婦は夫婦、子供は違うわよ」
「そんなものでしょうか」
ライたちの母親の話し方に少し疑問を感じた。 昨日の煉炭の母親の話し方と違う。
「あの、おばさんはこの村出身なんですか?」
「ああ、違うの。 ふふ、イントネーションとか違うでしょ? ずっと使ってきた言葉はなかなか直らなくて。 言ってみれば余所者、あ、つまはじきにはされてないわよ。 みんないい人だから。 子供も村のみんなで育てるって感じで楽できちゃってるの。 でも初めて来た時にはこんな山の中だとは思ってなかったけど」
「そうなんですか」
この村の人たちがしていることを知っているのだろうか。 もし知っているとしたら、初めて聞いた時には驚いただろう。
「さ、出来た」
最後の皿をテーブルに置いた時だった、硝子戸が開いた。
「おっ、ナイスタイミング」
(え? もう上がってきたのか?)
早すぎるだろう。
「ナギは?」
「顔のパーツの位置整えてる」
途端、バシッという音がした。
ナギが後ろからライの頭を叩いた音であった。
「誰がそんなことしてるっていうんだ?」
「ナギ、言葉遣い」
「はーい」 と言ったナギだが、二人がほぼ同時に戻って来た。 ということは、ナギがドライヤーをかけている後ろでライが身体を拭き、スウェットを着ていたということか?
とてもじゃないが水無瀬には理解できない世界だ。
「水無瀬、さっとドライヤーかけてきたら?」
「そうね、風邪でも引いたら大変」
「あ、じゃあ、すぐに終わらせてきます」
殆ど乾きかけているが。
さっとドライヤーを終わらせ台所に戻ってきた水無瀬。
「まだお替わりはあるからね、いっぱい作ったからいくらでも食べてちょうだい」
「有難う御座います」
テーブルの上を見ると箸が四膳。 大皿はおいておいても、茶碗も和え物も取り皿も四皿。 今ここに居る人数と同じ。
「あの、おじさんは?」
「親父は首脳会議」
「え?」
「と言う名のドンチャン」
「あ、呑み?」
「この煮物とかはその為に作ってたってこと。 あっちこちから持ち込み呑みだな。 久しぶりにゆっくり出来るってんでな」
「ゆっくりって・・・」
自分のことを言われているのだろうか。
「水無瀬がここに居るからに決まってんだろ」
やはりそうか。
「ライ、その言い方はないでしょ。 水無瀬君気にしないでね」
「そうそ、お父さんたちは矢島のことでずっと忙しかったんだから」
ナギの口から矢島と聞いて長が言ったことを思い出した。 『ナギが矢島の遺体と対面して泣き崩れた』 そう言っていた。 それに矢島と一緒に写真に写っていたとも。
「そうよ、水無瀬君が気にすることじゃないから。 さ、座って」
空いている席はライの隣だった。 当たり前といえば当たり前だが。
「遠慮しないで食べてね。 ラーメンばっかりじゃいけないわよ」
母親が言う横でナギが下ろしたままの長い髪の毛を団子にしてヘアクリップで留めている。
女になったことが無い水無瀬は女の人はよくこういうことをしているが、器用なもんだといつも思っている。
「はい、いただきます」
こういう料理はそうそう食べられるものではない。 練炭の家でもそうだったが、しっかりと遠慮なく頂いた。
夕飯の席では色んな話を楽し気に母親がきかせてくれた。 ライたちの両親の馴れ初めもその中にあった。
「一目惚れってとこね」
少し前、この村の人たちがしていることを知っているのだろうか、それならば初めて聞いた時には驚いただろうと思っていたが、そうではなかったらしい。 聞いたということではなかったらしく、いずれにせよ村の人たちがしていることを知っていたということであった。
「親父のどこに一目ぼれしたんだか」
「あらぁ、カッコよかったものぉ」
キャー、水無瀬君の前で恥ずかしい、と言いながら何故か隣に座るナギをバンバンと叩いている。
その母親を横目で見ながらライが両親の出会いの話をする。
矢島の先代が村を出た時に影から護衛をしていた時だったという。
朱門に襲われかけ、あのキツネ面を付けた数人で対峙し戦いが始まったところを偶然部活帰りのライの母親が見たらしく、挙句にクナイが足元に飛んできた。
それに気付いたライの父親が母親を庇いながら逃がしたということだった。 だから初めては聞いたのではなく見たということになる。
見られたことで長からかなり叱責を受けたらしいが、決して口止めで結婚したわけではないということだった。
「もう、アクションスターそのものだったわ」
母親はそういう系が好きらしく、映画もよく見に行っているということだったが部活は茶道部ということだった。 その時も文化祭の準備で遅くなっていたらしい。
「面を付けてたから顔が見えないもんな」
「あら、岩みたいで頼りがいがあるじゃない」
顔は岩らしい。 この二人、顔は母親に似て正解だったようだ。
三人が三人とも気を使ってくれていたのか、矢島の跡の話しや水の世界に行ってどうだったか、これからどうするのか、などということを訊かれることはなかった。
夕飯のあと水無瀬が案内されたのは、二階の一室の六畳の畳間で部屋にはエアコンがついていて、すでに暖められていた。 リモコンが枕の横に置いてある。
喉が乾けば勝手に台所に行って飲めばいい、用があれば隣の部屋がライの部屋だからと、ライが自分の部屋に戻って行った。
畳間には既に布団が敷かれている。 枕とリモコンをどけてその布団に大の字になって転がる。
今日一晩泊めてもらってどうしようというんだ、俺は。
“矢島さん、どうして欲しいですか” またそれが浮かんだ。
俺は・・・矢島さんと秘密を共有している。 歴代の守り人とも。
少なくとも黒の守り人たちは、きっと青の人間たちのやったこと、いや、人間がやったことではなく、異変のことを口にしたくなかったのかもしれない。
烏が言っていた。
『二十年前の異変はおかしかったのだろう』 『二十年前の異変はどこかが狂っていたのかもしれない』 と。
それを口にしたくなかった。 それは・・・不安にさせたくなかったから。 そう考えると、青の人間たちが飛ばされ居なくなったことは知っていた、ということに頷ける。 その筋が残っていると思うと不安になるだろう。
「ああ・・・俺なに考えてんだ。 あ、返信」
スマホを出しラインに返信を入れる。 電話相手にもラインで返信を入れた。 どちらにも『悪い、ちょっとパス』 と。
スマホを置き両腕を枕にして寝転ぶ。
少なくとも考えるということがおかしい。 この話に乗る気がなければ考えなければいいことだ。 バイトと就活それに専念すればいいこと。 朱門のことは長に任せればいいのだから。
枕を引き寄せ胸に抱く。
『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』 『あとを頼む』 矢島の声が頭にひびく。
“これ” というのは便箋のこと、それは矢島が選んだという証。 “あとを頼む” というのは・・・守り人のこと。
便箋に何が書かれてあるのか気にはなっていた。 だから長から聞いて納得はできたものの、それが “あとを頼む” に繋がるというのは考えもしなかった。
“あとを頼む” それは便箋を誰かに渡すとか、そういうものではなかった。
そんなにハラカルラが大切なのだろうか。
この世と重なった世。 クロスしている世。 こっちの世で不浄というものがあると、ハラカルラに影響が出る。
持って帰られない不浄、心の不浄、それは穢れ。
枕を抱いたままごろりと横を向く。
喧嘩、万引き、詐欺、強盗、抗争、テロ、銃の乱射、デモ、汚職、あらゆる事件。
軽いものはそう影響を受けないと烏は言っていたが、どこまでが軽いものなのだろうか。
「戦争」
少なくとも戦争は軽いものではない。 どれだけハラカルラは影響を受けていたのだろうか。
過去形では終われない。 今もどこかで戦争が起きている。
矢島達歴代の守り人が水を抑えて宥めていた。
「矢島さんは正義感を持っていたということなのかな」
百人が百人とも矢島と同じような正義感など持てないだろう。 現に烏から話を聞かされた水無瀬は二つ返事が出来ていない。 矢島のような正義感が無いということになる。
(この村の人たちは生まれながらにして、守り人の補佐をしているってのに・・・俺は・・・)
だがそれは生まれた場所の違いなのだろう。 水無瀬もここに生まれていれば何の疑問も持たず補佐をしていただろう。
(明日・・・もう一度・・・)
烏に会いに行こうか。
そして矢島のことを訊こうか。
烏といえば思い出したことがあった。 水無瀬が自分のフルネームを烏に言った時のことだ。
水無瀬は烏の声に被して、烏曰くのフネネームを言った。
フルネームの無い人間なんて今の時代いないんだよ、と言わんばかりに。 だがその声に力は無かったが。
するとまたもや烏に漢字を訊かれた。 その返事が 『ほほー、鳴る海か。 鳴る水であれば良かったのになぁ。 まぁ、仕方があるまい、そちらの方がまだ良いな』 だった。
苗字だけではなく名前にもケチをつけられた。 それに水が鳴っては異変とやらが起きたということになるのではないのか? と思うが烏は大きな音を立ててと言っていた。 そこまで大きな音でなければいいのだろうか、鳴る程度であればいいのだろうか。
水から始まって水で終る名前って何だよ。 シャレかよ。 と心の中で突っ込んでいると烏に言われた。
『お前は変わっておるのぉ』 と。
喋る烏に変わってるとは言われたくなかったが、あの時の水無瀬にはもう言い返す元気はなかった。
エアコンで乾燥しているのだろう、喉が渇いてきた。
水でも飲みに行こうかと身体を起こし部屋を出た。 と、隣の部屋からもライが丁度出てきた。
「ん? どした?」
「水でも飲もうかなって」
「ああ、エアコンって乾くもんな。 水なんてしょぼいこと言うなよ、いいよ、持って来てやるよ。 部屋で待ってな」
ライが階段を降りていった。
「おーい、開けてー」 と襖の外から声がかかった。 戻って来たライの手にコップが二つ握られている。 それぞれストロー付きである。
「死んだ顔してんぞ、あんまり考えすぎんなよ」 そう言ってコップが差し出された。
「ありがとう」 二つの意味で。
差し出されたコップを見るとアイスココア。
(なんでココア?)
「疲れた時には甘いモノ」
心の声が聞こえたのだろうか。
ライは矢島のことをどれだけ知っているのだろうか。
「いま、ヒマ?」
「忙しくはないし用はない」
それをヒマという。
「ちょっといいか?」
「あーいいけど・・・俺の部屋くる? 和室汚すと母ちゃん煩いし」
「あ、じゃ、お邪魔します」
「ん」
ライの部屋に入ると六畳の洋室でベッドと勉強机、フローリングにミニテーブルが置かれてあり、その上にポテトチップスの袋が広げてあった。
さっきライが言った汚すというのは、ポテトチップスの食べこぼしのことだったのだろう。
「適当に座って」
ライが自分のコップを置きミニテーブルの前に座りながら言う。 その傍らにはちょっと前まで読んでいただろうバイク雑誌が置かれている。