『ハラカルラ』 目次
『ハラカルラ』 第1回から第30回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。
『ハラカルラ』 リンクページ
「なー、水無ちゃん、いい加減に機嫌治してよー」
「別に悪くしてない」
広世はもうここに居ない。
結局、水無瀬にしてみれば黒門から白門に移ったというだけだった。 白門は水無瀬をここから出す気はないらしい。
「悪くしてないんだったらどうして俺に背中向けてんの。 大体、ずっと着拒してた水無ちゃんが悪いんだろ。 ラインの返事も何あれ、実家で親孝行って嘘並べて」
“嘘” と言われてしまった。 確かに嘘を書いた。 嘘をつかれて怒りまくっていた自分なのに、その自分が雄哉に嘘をついていた。 何を言い訳してもそれは言い訳にしかならない、身をもって知っている。
「ごめん、そこは謝る」
“謝る” 長に何度も謝られた。 だからもう謝らなくていいと言った。 自分の嘘は長たちのように優しい嘘ではなかった。 単に面倒臭いから嘘をついた。
「俺、サイテーだな」
「よく分かってるじゃん。 なら許そう」
そういう意味で言ったのではないが、こういうところは雄哉の能天気に感謝してそういうことにしておこう。 百八十度向きを変え雄哉に向き合う。
「で? あの時何の用だったんだ?」
「あ、うーん・・・」
ポリポリと人差し指で頬を掻く。 それは困った時の雄哉の癖。 伊達に高校からこの歳まで友達をしていたわけじゃない。 雄哉の癖などお見通しだ。
「どした?」
「うーん、もう過ぎたからいいや」
まだ指は動いている。 どういうことだろうか。
「過ぎたって? 彼女のご紹介じゃなかったのか? あ! もしかしてもう振られた?」
嬉しそうに言う水無瀬を半眼で見る雄哉。 指が止まり手が下ろされる。
「なに嬉しそうな顔してんの」
「いやー、それはご愁傷様。 それにしても最短記録」
「バーカ、彼女なんてまだ出来てないわ」
水無瀬と雄哉が話しているのを聞いている広世たち。
「くっ、賑やかだな」
「あの雄哉ってのを引き込んで正解だったな」
「ええ、高校からの友達だったらしいんで彼も気を緩めてくれますよ」
「今回は祥貴(しょうき)の手柄だな」
「矢島さんの時にはお手伝い出来ませんでしたから」
「じゃ、あとは頼んでいいか?」
「はい」
二人が出て行き部屋の中は広世一人となった。 広世、フルネームを広世祥貴。
ソファーに座っていた足を組み背もたれに背中をあずけると、去って行く足音を聞きながら嘲弄するかの如く鼻から息を吐く。
「頭を使うことを知らないやつら」
黒門のことは任せるようにと事前に聞かされてはいたが、頭部を殴ることで昏倒させたと聞いた。 まさかそんな荒い手を使うとは思いもしていなかった。
「さて、雄哉君、これからどんな働きをしてもらおうか」
少し離れた目の先に置かれているモニターに視線を移す。 そこには雄哉と水無瀬が映し出されていた。
「おい!」
身体を揺すられ黒門の男が目を覚ました。
「痛・・・」
後頭部に手をやる。
「いったいどうした!?」
どうしたと訊かれても自分にいったい何が起きたのか・・・。 岩に手を着きながらふらふらと立ち上がる。 まだはっきりしない目で辺りを見回すと岩陰に隠れるようになのか隠すようになのか、黒門の人間が倒れていて数人が揺すり起こしているのが目に入る。
「水無瀬は!」
「・・・分からない」
男が岩壁を上がって行き穴を通り水から顔を出したが水無瀬がいない。 もしかしてまだ烏のところに居るかもしれないとは思ったが、いつもならもう戻っているはずである。
「歩けるか?」
顔から落ちていた面を拾ってやる。
「ああ・・・」
倒れていた男達の中には肩を貸さなければ歩けない者もいた。 肩を借りながら、借りずともまだふらふらとしながらと、おぼつかない足取りで全員が黒門の村に戻って来た。
今日、水無瀬についていた者たちが戻って来ないということで、すでに爺たちも集まっている。 水無瀬が居なくなったと穴を覗いた者が長代理や爺に報告をした。
「なんだと! 朱門か!」
戻って来た男たちが互いに目を合わす。 そして誰もが首を振る。
「全員が後ろから何かで殴打されました。 後ろからだったので・・・」
「誰も相手を見ておらんということか」
爺たちが腕を組む。
「どうする」
「あ・・・待って下さい」
殴打された男の一人が小さく声を上げた。
「なんだ」
「今思い出しましたけど、倒れたあと・・・薄っすらとですが見えました」
「面は」
狐面であれば朱門である。
「いいえ、面は着けていませんでした。 目だし帽を被っていました」
思わず爺たちが黙る。 黒門と朱門は必ず面を着ける。 黒門はカオナシのような面、朱門は狐面。 面を外すことは無い。
「それは・・・青門か白門ということか」
「いずれにしても、どうして水無瀬を」
水無瀬が通された家に布団が二枚敷かれている。 雄哉が敷いた。 そこに水無瀬と雄哉が仰向きに寝転がっている。
「で? 雄哉が俺の心静め役ってのはどういうことだ?」
「ああそれね、広世さんに頼まれた」
水無瀬が雄哉の方に首を振る。
「雄哉はどこまで何を知ってるんだ?」
まだ電気は消していない、雄哉の目があちこちを彷徨っているのが見える。
「どこまでも何をも知らない。 水無ちゃんが暴れなければそれでいいだけ」
「さっき何も言わないで聞いてたよな」
「さっき?」
「俺と広世さんが話してるの」
「ああ」
「じゃ、少なくとも門の話を知ってるってことだよな」
雄哉が水無瀬を見る。
「聞いてただけ、ってか、居ただけで聞いてもない。 水無瀬、もう寝よう」
水無ちゃんではなく水無瀬と言った。 雄哉が本気だということだ。 いったい何に本気だと言うのか。
「雄哉―――」
「聞こえなかったのか」
雄哉が立ち上がり電気を消した。
電気を消されたとて水無瀬に眠りが訪れるはずはない。 そっと立ち上がろうとした時、雄哉の声がした。
「水無瀬、寝ろ」
「雄哉・・・」
いったい雄哉に何があったのか。
翌日、ワハハおじさんたち四人が二台の車に分乗し村を出た。 あまり沢山で出てしまうと爺たちにバレるということもあったが、黒門の人間にも怪しまれてしまうということでもあった。
拡大地図からして簡単に村に入り込むことは出来そうにない。 朱門の村と同じように孤立した村のようで、余所者が入ってくればすぐに分かるだろう。
「モヤ(靄)さん、ライはどんな具合ですか」
ハンドルを握りながらワハハおじさんが訊くが、モヤさんと呼ばれたライの父親が助手席で首を横に振る。
「まだ時間がかかりそうだ。 あんなにメンタルが弱いとは思ってもいなかった」
「ライが一番、水無瀬君と接してましたからねぇ。 その上で黒門の顔をして話していたんですからライはその時から辛かったでしょうし、直接水無瀬君に言われたわけですから時間もかかるでしょう」
「まぁ、切り替えが出来ればケロッとした顔で部屋から出てくるだろうがな」
まだ部屋に籠っているのか。
「早気の時みたいに?」
「あの時は怒る気も失せたわ、こっちの気も知らんと」
「モヤさんはライに継がせたかったんですからねぇ」
「ああ。 だがナギはそこのところをよく分かっている」
「ナギは村の外に嫁に出る気がないんでしょう、自分の子に弓を教えますよ」
「そんなことを話したのか?」
「いいえ、そんな話でもしたらぶっ飛ばされますよ」
「違いない。 わしでもまだそんな話は恐ろしいわ。 いったいあの気のきつさは誰に似たのやら」
「恐ろしいと言うよりも父親としてまだ嫁に出したくはないんでしょう? そんな話も聞きたくないってとこじゃないんですか?」
「なんだ? 煉にもすでにそう思っているのか?」
「俺以外の男にはやりませんから」
岩のような顔をしたモヤが笑った。
農地沿いの道路にワハハおじさんがブレーキを踏んで車を停止させた。 この道路にはバスも走っている。
ワハハおじさんとモヤが車を降りる。
朱門の村の山を下りてからは二台つるむという形は取っていない。 もう一台は目視出来ない程に離れた所を移動しているはずである。
「あの山の中腹ってとこですか」
今は稲など植えられていないが稲が実を結ぶ頃には、辺り一面が黄金の絨毯になるだろう農地がずっと続いている先に山が見える。
「うちと同じようなものか。 山の裾まで行っても様子は分からんな」
「そのようですね。 他の村を通過しなくてはならないかもしれませんし。 最悪、極力日中近くまで行き、夜に忍び入るしかありませんか」
車の中でスマホの着信音が鳴った。 すぐにワハハおじさんが運転席に置いてあったスマホを手に取り、モヤの方に歩きながらスピーカーにして話し出す。
「着いたか?」
『ああ、いま着いたところだ』
「こっちもさほど変わりはない、着いたところだ。 どのあたりに居る?」
『かなり裾野に近いところまで来た』
ワハハおじさんとモヤが目を合わす。
「畔を走ったのか」
『ああ、農作業用の車を走らせる畔に迷い込んだって態を踏んでな』
「普通、畔に迷い込むかよ」
『いや、経験者がそう語ったからな』
「経験者って・・・」
チラリとモヤを見るとそれでなくても岩のような顔なのに、その顔をしかめている。
「キリ(霧)さんか」
電話の相手の相棒はモヤの二卵性の双子の兄である。 どこか似た顔をしているがモヤと違い面長で瘦身である。
『モヤ、聞いてるか』
キリの声である。
「聞いてる」
『ちょっくら行ってくる』
「行ってくるって、それ以上踏み込むのか?」
『経験者に任せろ』
「あ、待て・・・」
切られてしまった。
学校から帰って来た煉炭。 すぐに工作室に走ってレシーバーの電源を入れる。
「あれ? こんな時間なのに」
「点滅してるね」
いつもならハラカルラに入っている時間のはずなのに。
「昨日と変わってないよね?」
「うん、同じ場所だよね」
「どういうことだろう?」
二人が声を合わせいっちょ前に腕を組むが、傾けた顔が可愛らしく、いっちょ前が飛んでいく。
「水無ちゃん、外で遊ばない?」
「遊ぶって、雄哉学校どうなってんのさ」
「うん? 水無ちゃんボケてる? 今はまだ休み。 ギリ三月」
「あ・・・そうなんだ」
そう言えばアイツが言っていたか、そろそろ春学期だと。 全くカレンダーも見なければ日付も曜日感覚もなくなってしまっていた。
「春学期はいつからだったっけ」
年間スケジュールでは一日からだと聞いていたが、変更になりそうだとの話も耳にしていた。
「急遽五日からになった。 多分、インフルの関係じゃないかなって話し。 教授の間で蔓延したみたい」
「で? 単位はどうなった?」
「あー・・・訊かないでほしい。 まっ、それなりにするよ」
「そうだな、履修提出までにしっかり計画立てるしかないな」
「まぁ、な」
雄哉の返事が雄哉らしくない。 いつもならこんな殊勝な返事などしない。 それに話し方に違和感を覚える、甘えるように話す時がある。 水無瀬がここから出られないことを昨日聞いたからだろうか。 いや、それより以前から知っていたのだろうか。
「これからどうするか広世さんから聞いてる?」
「いや? 知らない」
「雄哉―――」
「水無ちゃんって変わらないよな」
「え?」
「考えてることが顔に出る」
「そうか?」
雄哉の目がまたあちこちを彷徨っている。 こんなことは今までになかった、いったいなんだというのだろうか。
「雄哉、その、雄哉の喋り方なんだけ―――」
「外はいいか。 なんか甘いもんでももらってくる」
「あ、うん・・・」
モニターを見ていた男が、同席していたもう一人に言う。
「饅頭でも用意してやれ」
それから三日間、白門も黒門も朱門も動くことは無かった。 白門は自ら動かず、黒門と朱門は動くに動けない状態と言った方が正確だろう。
黒門は水無瀬がどこに行ったか分からない状態がまだ続いていて、朱門にしてもキリたちがかなり山の裾を走ったということだったが、裾野の村の余所者に対する目が厳しく、簡単にその奥の黒門の村に行きつける感じではなかったということであったし、煉炭が進言したことで迷いの縁にあった。
「煉炭が見ている限りでは新しい場所から動いていないということだ」
いつもならハラカルラに居るべき時間にも動いていないと聞いて、ワハハおじさんとナギが黒門の穴に出向いたが、煉炭の言うように水無瀬が来ることは無かった。 もちろん黒門の人間も来てはいなかった。
「機械の故障でなければどういうことだ? 黒門は水無瀬君を守り人として動かしたいはずだ」
「行ってみるか?」
現在点滅している地点に。
「まずは明日朝一番、煉炭に拡大地図を出させる」
だが黒門の村のようなところであれば無駄足に終わるかもしれない。
「水無ちゃん、そろそろ退屈になってきた?」
いつもならまだ寝ているはずの雄哉だが、ここに居る間は早起きなようで毎日早朝から起きている。 今も朝食を済ませ午前八時になったところである。
「ずーっと前から、ここに来る前から退屈の塊だよ」
「へ? そんなに退屈マンだったの?」
「変な名前つけんなよ。 それに雄哉だって退屈だろうが」
雄哉は時々席を外すことはあるが、基本ずっと水無瀬と一緒に居て部屋から出ることはない。 今までの雄哉の生活からすれば退屈この上ない筈である。
「カラオケとかって行きたくなってんじゃないのか?」
「あー、まぁ、言えてるかな」
こんな話には返事をしてくる。 だが門の関係の話やこれからどうするかという話になると “水無ちゃん” から “水無瀬” に変わって話を受け付けようとしない。 夜、水無瀬が立ち上がりでもすれば “水無瀬、寝ろ” とも言ってくる。
(雄哉は・・・)
水無瀬を見張っているのだろうか。 だがそうならばどうして。
「水無ちゃん、考え事してるの顔に出てる」
「え? そんなことない」
「昔っからそうなんだよ、顔に出るからすぐに分かる。 俺に下手な嘘つくんじゃないよ」
また雄哉の目が彷徨っている。
「雄哉」
「なに? トランプでもする? ババ抜きとか」
「すぐに勝負がつくだろ。 ババ持ってるのがどっちか雄哉でも分かるし」
「俺でもってどういう意味だよ」
「広世さんを呼んできてくれ」
意表をつかれてしまった。 “水無瀬” と止める間もなかった。
「何の用? 俺が代わりに聞く」
「雄哉では分からない」
「広世さん今忙しいんだよ。 教授に付くらしくって―――」
「雄哉」
水無瀬が雄哉の言葉に被せ続ける。
「呼んでこい」
「水無ちゃん・・・」
煉炭が何枚もの地図をワハハおじさんに渡す。 その地図を順々に見ていく。 やはりここも山の中であったが、黒門の村とは全く違う場所であるし山の裾野にあるようだ。
「どういうことだ」
各門の村が山の中というのは分かる。 ハラカルラの入り口のことを考えると、どうしても山になるということは分かるが、これはどういうことだろうか。
母ちゃんが言ったように救急で病院にでも運ばれ、山の中にある病院に移されたのだろうか。 もしそうであればどんな病状なのだろうか。
「隔離病棟?」
隔離病棟のある病院?
黒門に無理を強いられ精神的にまいってしまった? それともなにか質の悪い病気が見つかった?
「いや、病院と限ったわけじゃない」
それによく見ると病院らしき建物が描かれているわけではない。 母ちゃんの言葉に踊らされてしまっていたようだ。 それなら一体ここはどこなのだろうか。
「鳴海が来んなぁ」
「ああ、他の者とは違うはずなのだから、来んはずはないのだがなぁ」
「そう言えば鳴海が水見のことを言っておったな」
「ああ、そうだったか。 どのみち吾はあの男は好かんかったから丁度良かった」
「お前が好くのはそうそう居らんだろうて。 じゃが鳴海のことは気に入っているようだの」
「それはそうだろう。 お前もだろうが」
「ん・・・まぁな」
「ここ何百年かで留守を預けられたのは、矢島と鳴海くらいのものか」
「とは言え、矢島でもこれほど早くから預けることは無かったからのぅ」
「まぁな。 で? どうする? そんな鳴海にもう言葉や文字を教えるか?」
ハラカルラの言葉や文字を。
「うーむ・・・お前はどう思う」
「吾としては良かろうとは思うが、鳴海自身がまだまだ疑問を持っているような。 その疑問がなくなった時が良かろうな」
「ほぅ、珍しく意見が同じだわい。 まぁ、鳴海のこと、すぐに言葉も文字も覚えるだろうて」
「ほぅ、珍しく考えが同じだわい」
なぜか互いに視線を合わせ火花を散らせているようだ。 この烏たち仲がいいのか悪いのか。
『ハラカルラ』 第1回から第30回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。
『ハラカルラ』 リンクページ
ハラカルラ 第35回
「なー、水無ちゃん、いい加減に機嫌治してよー」
「別に悪くしてない」
広世はもうここに居ない。
結局、水無瀬にしてみれば黒門から白門に移ったというだけだった。 白門は水無瀬をここから出す気はないらしい。
「悪くしてないんだったらどうして俺に背中向けてんの。 大体、ずっと着拒してた水無ちゃんが悪いんだろ。 ラインの返事も何あれ、実家で親孝行って嘘並べて」
“嘘” と言われてしまった。 確かに嘘を書いた。 嘘をつかれて怒りまくっていた自分なのに、その自分が雄哉に嘘をついていた。 何を言い訳してもそれは言い訳にしかならない、身をもって知っている。
「ごめん、そこは謝る」
“謝る” 長に何度も謝られた。 だからもう謝らなくていいと言った。 自分の嘘は長たちのように優しい嘘ではなかった。 単に面倒臭いから嘘をついた。
「俺、サイテーだな」
「よく分かってるじゃん。 なら許そう」
そういう意味で言ったのではないが、こういうところは雄哉の能天気に感謝してそういうことにしておこう。 百八十度向きを変え雄哉に向き合う。
「で? あの時何の用だったんだ?」
「あ、うーん・・・」
ポリポリと人差し指で頬を掻く。 それは困った時の雄哉の癖。 伊達に高校からこの歳まで友達をしていたわけじゃない。 雄哉の癖などお見通しだ。
「どした?」
「うーん、もう過ぎたからいいや」
まだ指は動いている。 どういうことだろうか。
「過ぎたって? 彼女のご紹介じゃなかったのか? あ! もしかしてもう振られた?」
嬉しそうに言う水無瀬を半眼で見る雄哉。 指が止まり手が下ろされる。
「なに嬉しそうな顔してんの」
「いやー、それはご愁傷様。 それにしても最短記録」
「バーカ、彼女なんてまだ出来てないわ」
水無瀬と雄哉が話しているのを聞いている広世たち。
「くっ、賑やかだな」
「あの雄哉ってのを引き込んで正解だったな」
「ええ、高校からの友達だったらしいんで彼も気を緩めてくれますよ」
「今回は祥貴(しょうき)の手柄だな」
「矢島さんの時にはお手伝い出来ませんでしたから」
「じゃ、あとは頼んでいいか?」
「はい」
二人が出て行き部屋の中は広世一人となった。 広世、フルネームを広世祥貴。
ソファーに座っていた足を組み背もたれに背中をあずけると、去って行く足音を聞きながら嘲弄するかの如く鼻から息を吐く。
「頭を使うことを知らないやつら」
黒門のことは任せるようにと事前に聞かされてはいたが、頭部を殴ることで昏倒させたと聞いた。 まさかそんな荒い手を使うとは思いもしていなかった。
「さて、雄哉君、これからどんな働きをしてもらおうか」
少し離れた目の先に置かれているモニターに視線を移す。 そこには雄哉と水無瀬が映し出されていた。
「おい!」
身体を揺すられ黒門の男が目を覚ました。
「痛・・・」
後頭部に手をやる。
「いったいどうした!?」
どうしたと訊かれても自分にいったい何が起きたのか・・・。 岩に手を着きながらふらふらと立ち上がる。 まだはっきりしない目で辺りを見回すと岩陰に隠れるようになのか隠すようになのか、黒門の人間が倒れていて数人が揺すり起こしているのが目に入る。
「水無瀬は!」
「・・・分からない」
男が岩壁を上がって行き穴を通り水から顔を出したが水無瀬がいない。 もしかしてまだ烏のところに居るかもしれないとは思ったが、いつもならもう戻っているはずである。
「歩けるか?」
顔から落ちていた面を拾ってやる。
「ああ・・・」
倒れていた男達の中には肩を貸さなければ歩けない者もいた。 肩を借りながら、借りずともまだふらふらとしながらと、おぼつかない足取りで全員が黒門の村に戻って来た。
今日、水無瀬についていた者たちが戻って来ないということで、すでに爺たちも集まっている。 水無瀬が居なくなったと穴を覗いた者が長代理や爺に報告をした。
「なんだと! 朱門か!」
戻って来た男たちが互いに目を合わす。 そして誰もが首を振る。
「全員が後ろから何かで殴打されました。 後ろからだったので・・・」
「誰も相手を見ておらんということか」
爺たちが腕を組む。
「どうする」
「あ・・・待って下さい」
殴打された男の一人が小さく声を上げた。
「なんだ」
「今思い出しましたけど、倒れたあと・・・薄っすらとですが見えました」
「面は」
狐面であれば朱門である。
「いいえ、面は着けていませんでした。 目だし帽を被っていました」
思わず爺たちが黙る。 黒門と朱門は必ず面を着ける。 黒門はカオナシのような面、朱門は狐面。 面を外すことは無い。
「それは・・・青門か白門ということか」
「いずれにしても、どうして水無瀬を」
水無瀬が通された家に布団が二枚敷かれている。 雄哉が敷いた。 そこに水無瀬と雄哉が仰向きに寝転がっている。
「で? 雄哉が俺の心静め役ってのはどういうことだ?」
「ああそれね、広世さんに頼まれた」
水無瀬が雄哉の方に首を振る。
「雄哉はどこまで何を知ってるんだ?」
まだ電気は消していない、雄哉の目があちこちを彷徨っているのが見える。
「どこまでも何をも知らない。 水無ちゃんが暴れなければそれでいいだけ」
「さっき何も言わないで聞いてたよな」
「さっき?」
「俺と広世さんが話してるの」
「ああ」
「じゃ、少なくとも門の話を知ってるってことだよな」
雄哉が水無瀬を見る。
「聞いてただけ、ってか、居ただけで聞いてもない。 水無瀬、もう寝よう」
水無ちゃんではなく水無瀬と言った。 雄哉が本気だということだ。 いったい何に本気だと言うのか。
「雄哉―――」
「聞こえなかったのか」
雄哉が立ち上がり電気を消した。
電気を消されたとて水無瀬に眠りが訪れるはずはない。 そっと立ち上がろうとした時、雄哉の声がした。
「水無瀬、寝ろ」
「雄哉・・・」
いったい雄哉に何があったのか。
翌日、ワハハおじさんたち四人が二台の車に分乗し村を出た。 あまり沢山で出てしまうと爺たちにバレるということもあったが、黒門の人間にも怪しまれてしまうということでもあった。
拡大地図からして簡単に村に入り込むことは出来そうにない。 朱門の村と同じように孤立した村のようで、余所者が入ってくればすぐに分かるだろう。
「モヤ(靄)さん、ライはどんな具合ですか」
ハンドルを握りながらワハハおじさんが訊くが、モヤさんと呼ばれたライの父親が助手席で首を横に振る。
「まだ時間がかかりそうだ。 あんなにメンタルが弱いとは思ってもいなかった」
「ライが一番、水無瀬君と接してましたからねぇ。 その上で黒門の顔をして話していたんですからライはその時から辛かったでしょうし、直接水無瀬君に言われたわけですから時間もかかるでしょう」
「まぁ、切り替えが出来ればケロッとした顔で部屋から出てくるだろうがな」
まだ部屋に籠っているのか。
「早気の時みたいに?」
「あの時は怒る気も失せたわ、こっちの気も知らんと」
「モヤさんはライに継がせたかったんですからねぇ」
「ああ。 だがナギはそこのところをよく分かっている」
「ナギは村の外に嫁に出る気がないんでしょう、自分の子に弓を教えますよ」
「そんなことを話したのか?」
「いいえ、そんな話でもしたらぶっ飛ばされますよ」
「違いない。 わしでもまだそんな話は恐ろしいわ。 いったいあの気のきつさは誰に似たのやら」
「恐ろしいと言うよりも父親としてまだ嫁に出したくはないんでしょう? そんな話も聞きたくないってとこじゃないんですか?」
「なんだ? 煉にもすでにそう思っているのか?」
「俺以外の男にはやりませんから」
岩のような顔をしたモヤが笑った。
農地沿いの道路にワハハおじさんがブレーキを踏んで車を停止させた。 この道路にはバスも走っている。
ワハハおじさんとモヤが車を降りる。
朱門の村の山を下りてからは二台つるむという形は取っていない。 もう一台は目視出来ない程に離れた所を移動しているはずである。
「あの山の中腹ってとこですか」
今は稲など植えられていないが稲が実を結ぶ頃には、辺り一面が黄金の絨毯になるだろう農地がずっと続いている先に山が見える。
「うちと同じようなものか。 山の裾まで行っても様子は分からんな」
「そのようですね。 他の村を通過しなくてはならないかもしれませんし。 最悪、極力日中近くまで行き、夜に忍び入るしかありませんか」
車の中でスマホの着信音が鳴った。 すぐにワハハおじさんが運転席に置いてあったスマホを手に取り、モヤの方に歩きながらスピーカーにして話し出す。
「着いたか?」
『ああ、いま着いたところだ』
「こっちもさほど変わりはない、着いたところだ。 どのあたりに居る?」
『かなり裾野に近いところまで来た』
ワハハおじさんとモヤが目を合わす。
「畔を走ったのか」
『ああ、農作業用の車を走らせる畔に迷い込んだって態を踏んでな』
「普通、畔に迷い込むかよ」
『いや、経験者がそう語ったからな』
「経験者って・・・」
チラリとモヤを見るとそれでなくても岩のような顔なのに、その顔をしかめている。
「キリ(霧)さんか」
電話の相手の相棒はモヤの二卵性の双子の兄である。 どこか似た顔をしているがモヤと違い面長で瘦身である。
『モヤ、聞いてるか』
キリの声である。
「聞いてる」
『ちょっくら行ってくる』
「行ってくるって、それ以上踏み込むのか?」
『経験者に任せろ』
「あ、待て・・・」
切られてしまった。
学校から帰って来た煉炭。 すぐに工作室に走ってレシーバーの電源を入れる。
「あれ? こんな時間なのに」
「点滅してるね」
いつもならハラカルラに入っている時間のはずなのに。
「昨日と変わってないよね?」
「うん、同じ場所だよね」
「どういうことだろう?」
二人が声を合わせいっちょ前に腕を組むが、傾けた顔が可愛らしく、いっちょ前が飛んでいく。
「水無ちゃん、外で遊ばない?」
「遊ぶって、雄哉学校どうなってんのさ」
「うん? 水無ちゃんボケてる? 今はまだ休み。 ギリ三月」
「あ・・・そうなんだ」
そう言えばアイツが言っていたか、そろそろ春学期だと。 全くカレンダーも見なければ日付も曜日感覚もなくなってしまっていた。
「春学期はいつからだったっけ」
年間スケジュールでは一日からだと聞いていたが、変更になりそうだとの話も耳にしていた。
「急遽五日からになった。 多分、インフルの関係じゃないかなって話し。 教授の間で蔓延したみたい」
「で? 単位はどうなった?」
「あー・・・訊かないでほしい。 まっ、それなりにするよ」
「そうだな、履修提出までにしっかり計画立てるしかないな」
「まぁ、な」
雄哉の返事が雄哉らしくない。 いつもならこんな殊勝な返事などしない。 それに話し方に違和感を覚える、甘えるように話す時がある。 水無瀬がここから出られないことを昨日聞いたからだろうか。 いや、それより以前から知っていたのだろうか。
「これからどうするか広世さんから聞いてる?」
「いや? 知らない」
「雄哉―――」
「水無ちゃんって変わらないよな」
「え?」
「考えてることが顔に出る」
「そうか?」
雄哉の目がまたあちこちを彷徨っている。 こんなことは今までになかった、いったいなんだというのだろうか。
「雄哉、その、雄哉の喋り方なんだけ―――」
「外はいいか。 なんか甘いもんでももらってくる」
「あ、うん・・・」
モニターを見ていた男が、同席していたもう一人に言う。
「饅頭でも用意してやれ」
それから三日間、白門も黒門も朱門も動くことは無かった。 白門は自ら動かず、黒門と朱門は動くに動けない状態と言った方が正確だろう。
黒門は水無瀬がどこに行ったか分からない状態がまだ続いていて、朱門にしてもキリたちがかなり山の裾を走ったということだったが、裾野の村の余所者に対する目が厳しく、簡単にその奥の黒門の村に行きつける感じではなかったということであったし、煉炭が進言したことで迷いの縁にあった。
「煉炭が見ている限りでは新しい場所から動いていないということだ」
いつもならハラカルラに居るべき時間にも動いていないと聞いて、ワハハおじさんとナギが黒門の穴に出向いたが、煉炭の言うように水無瀬が来ることは無かった。 もちろん黒門の人間も来てはいなかった。
「機械の故障でなければどういうことだ? 黒門は水無瀬君を守り人として動かしたいはずだ」
「行ってみるか?」
現在点滅している地点に。
「まずは明日朝一番、煉炭に拡大地図を出させる」
だが黒門の村のようなところであれば無駄足に終わるかもしれない。
「水無ちゃん、そろそろ退屈になってきた?」
いつもならまだ寝ているはずの雄哉だが、ここに居る間は早起きなようで毎日早朝から起きている。 今も朝食を済ませ午前八時になったところである。
「ずーっと前から、ここに来る前から退屈の塊だよ」
「へ? そんなに退屈マンだったの?」
「変な名前つけんなよ。 それに雄哉だって退屈だろうが」
雄哉は時々席を外すことはあるが、基本ずっと水無瀬と一緒に居て部屋から出ることはない。 今までの雄哉の生活からすれば退屈この上ない筈である。
「カラオケとかって行きたくなってんじゃないのか?」
「あー、まぁ、言えてるかな」
こんな話には返事をしてくる。 だが門の関係の話やこれからどうするかという話になると “水無ちゃん” から “水無瀬” に変わって話を受け付けようとしない。 夜、水無瀬が立ち上がりでもすれば “水無瀬、寝ろ” とも言ってくる。
(雄哉は・・・)
水無瀬を見張っているのだろうか。 だがそうならばどうして。
「水無ちゃん、考え事してるの顔に出てる」
「え? そんなことない」
「昔っからそうなんだよ、顔に出るからすぐに分かる。 俺に下手な嘘つくんじゃないよ」
また雄哉の目が彷徨っている。
「雄哉」
「なに? トランプでもする? ババ抜きとか」
「すぐに勝負がつくだろ。 ババ持ってるのがどっちか雄哉でも分かるし」
「俺でもってどういう意味だよ」
「広世さんを呼んできてくれ」
意表をつかれてしまった。 “水無瀬” と止める間もなかった。
「何の用? 俺が代わりに聞く」
「雄哉では分からない」
「広世さん今忙しいんだよ。 教授に付くらしくって―――」
「雄哉」
水無瀬が雄哉の言葉に被せ続ける。
「呼んでこい」
「水無ちゃん・・・」
煉炭が何枚もの地図をワハハおじさんに渡す。 その地図を順々に見ていく。 やはりここも山の中であったが、黒門の村とは全く違う場所であるし山の裾野にあるようだ。
「どういうことだ」
各門の村が山の中というのは分かる。 ハラカルラの入り口のことを考えると、どうしても山になるということは分かるが、これはどういうことだろうか。
母ちゃんが言ったように救急で病院にでも運ばれ、山の中にある病院に移されたのだろうか。 もしそうであればどんな病状なのだろうか。
「隔離病棟?」
隔離病棟のある病院?
黒門に無理を強いられ精神的にまいってしまった? それともなにか質の悪い病気が見つかった?
「いや、病院と限ったわけじゃない」
それによく見ると病院らしき建物が描かれているわけではない。 母ちゃんの言葉に踊らされてしまっていたようだ。 それなら一体ここはどこなのだろうか。
「鳴海が来んなぁ」
「ああ、他の者とは違うはずなのだから、来んはずはないのだがなぁ」
「そう言えば鳴海が水見のことを言っておったな」
「ああ、そうだったか。 どのみち吾はあの男は好かんかったから丁度良かった」
「お前が好くのはそうそう居らんだろうて。 じゃが鳴海のことは気に入っているようだの」
「それはそうだろう。 お前もだろうが」
「ん・・・まぁな」
「ここ何百年かで留守を預けられたのは、矢島と鳴海くらいのものか」
「とは言え、矢島でもこれほど早くから預けることは無かったからのぅ」
「まぁな。 で? どうする? そんな鳴海にもう言葉や文字を教えるか?」
ハラカルラの言葉や文字を。
「うーむ・・・お前はどう思う」
「吾としては良かろうとは思うが、鳴海自身がまだまだ疑問を持っているような。 その疑問がなくなった時が良かろうな」
「ほぅ、珍しく意見が同じだわい。 まぁ、鳴海のこと、すぐに言葉も文字も覚えるだろうて」
「ほぅ、珍しく考えが同じだわい」
なぜか互いに視線を合わせ火花を散らせているようだ。 この烏たち仲がいいのか悪いのか。