大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

ハラカルラ 第4回

2023年10月23日 21時15分31秒 | 小説
ハラカルラ    第4回




上目遣いだった目を半分伏せ、小さく頷いてみせている。 間違いなくあのことの話しらしい。

「えと・・・分かり合っている者同士で暮らせばいいんじゃないかな。 他の人には分かってもらえないし・・・」

そりゃそうだ。 たとえ雄哉であろうとそう簡単には信じてはくれないだろう。

「俺についてくれば分からないことが分かる、そう言ったのはこういうこと。 まぁ、まだまだ詳しく話せるけどな。 でもそれはついて来てからのことだ」

思わず反対隣を見た。
おじさんがニヤリと笑っている。

「前に言ったように衣食住にも困らん。 バイト、きつかっただろ。 大学ももう殆ど行かなくていいんだろ? あとは卒論くらいだろ」

何を言っている、どうして知っている、どこまで何を知っているというのか。

「ここまで来て中退ってのもなんだしな、卒論さえ提出すればいい話なんだろ? 行き先はちょっと遠いんでな、送り迎えくらいするよ」

「い、いったい何なんですか!」

人のプライバシーに勝手に入り込んできて送り迎えやらなんやら、勝手が過ぎるだろ。

「あ、あの、落ち着いて。 その、手荒なことになりたくないんだ」

気弱そうな声が背中に突き刺さる。 手荒って何だよ。

「はぁ?」

思わず反対隣を見る。 右に左にと忙しい。 出来れば二人並んで座っていてほしかった。

「君が快く承諾してついてさえ来てくれれば・・・その、穏便にというか・・・。 それに気になるでしょ? ・・・水のこと」

気になるさ、ああ気になるよ。 お前が何を言ってるのかがなっ。 何だよ手荒とか穏便とか。

「まぁ、そう睨んでやってくれるな。 こいつ気が弱いんだ、ビビらせないでくれ」

それは顔に出ていて大体わかる。 今度はおじさんを睨んでやる。

「おっと、そんな顔しちゃいい男が勿体ない。 まぁ、俺もこいつも口が下手でな、そこんとこは許して欲しい」

お道化るように言ったかと思うと今度は真顔になった。 だからと言って水無瀬がビビるわけではない。

「でもまぁ、事実なんだ、血の気が多いのがいてな。 こいつが言ったように俺も手荒なことはしたくない。 だから、分かるだろう? 兄ちゃんが拒もうが逃げようがこっちに来てもらうことになる。 それなら最初っから兄ちゃんの足で来ないか?」

「・・・なんだよそれ。 変な宗教かよ」

おじさんがクックと笑う。
馬鹿にされていない事は分かるが、水のことを考えると冗談ではなくそんな風に考えてしまった。 よく 『あなたの後ろに何か良からぬものが見えます。 我らが神がそれを救ってくれます。 どうぞこのお水をお飲みなさい。 我らが神からの御恵みです』 とかって聞くから。 だが笑われた。 宗教と言ったのが失敗だったか。

「宗教でも何でもない。 薬や壺を扱う関係でも自衛隊でもな。 まぁ、怪しいと思うだろうが一度来てみないか?」

「一度? 一度で済むはずは無さそうなんですけど?」

まだ半分笑っていたおじさんの顔が真顔になった。

「そうだな・・・」

正面を見て一度下げた頭を持ち上げて、まるで最後の宣告をするかのように水無瀬に目を合わせる。

「兄ちゃんが迷ってる猶予はない」

「猶予?」

「今この場で返事をもらいたい」

「何を勝手なことを。 そっちの勝手な猶予でしょう、それがあるか無いかなんて俺には関係ない」

立ち上がると今度は抑えられることは無かったが、代わりに気弱そうな声が耳に入ってくる。

「お願い、一緒に行こう? そうすればちゃんと説明できるから」

その顔、声、殆ど泣き落としじゃないか。 だからと言ってそんなことに絆(ほだ)される俺じゃない。

「断る」

水無瀬を見上げている目を見てはっきりと言うと次におじさんを見た。

「これが返事です」

おじさんが寂しそうな顔をして笑った。 そしてゆっくりと正面を見るとポツリと言う。

「そうかい。 じゃ、悪いが手荒にさせてもらうよ」

出しかけた足を止めた。

「悪いと思ったことはやらない、俺はそう教えられましたけどね」

このままでは逃げ去るような気がして言い返してやった。 そして何気に手荒なことはしないで欲しいと、気付かれないように言葉に懇願を含ませる。

「大人の世界はそう簡単にいかないんだ」

言い返したのに説教じみたことを言われてしまった。 言葉に包んだ懇願も届かなかったようだ。
もう何も言うまい。 俺はそのまま歩いて行った。 手荒なことと言っていたからには、この陽の高い時に何かがあるわけじゃないだろう。

アパートに戻り鉄筋階段を上がり切った時、丁度隣の部屋のドアが閉まったのが目に入った。 一瞬だったが黒くストレートの長い髪の毛の束が踊るのが目に入った。

「あ、もう隣に誰かが入ってきたんだ」

引越したその日に次の人が入ってくるとは、アパートの家主はウハウハだろう。

「ふーん・・・今度は女子か」

髪の毛を括っていてその束が踊るのが目に入った。 おばさんならあそこまで髪を伸ばしていればもっと髪の毛が傷んでいるだろうし、高い位置で括ってもいないはず。

「って、偏見か?」

そんなおばさんも居るかもしれない。 少ないだろうが。 それにこの安アパートに若い女子が入ってくるのも有り得ないのではなかろうか。 もっとオートロックとかある洒落たマンションとかを選ぶのではないだろうか。
それもそれで偏見だろうか。

「ま、隣に誰が住もうと関係ないか」

今の時代、隣に越してきたからと挨拶があるものでもなく、この安アパートで長く住むとは限らない。 それに壁一枚で仕切られているだけで生活の音がよく聞こえる。 ある程度の音や声でどんな人物かは想像できる。 とんでもない人物でなければそれでいい。
鍵を開けると部屋に入った。

どこかでおじさんが言っていたことを気にしていたのだろう、部屋の中が荒らされていなかったと、どこかホッとしている自分がいる。
でもよく考えると水無瀬自身に用があるようなのだから、部屋を荒す意味はないだろう、何かを盗む必要もないだろう。

「ったく、なんだよ」

リュックを下ろしダウンジャケットを脱ぐ。 こたつのコンセントをさすと玄関横にある小さな台所にある電気ポットに水を入れる。 湯が沸く間にインスタントコーヒーをカップに入れる。

「まだ暫くは寒いなぁ・・・」

カチッと音を立て電気ポットのスイッチが上がり、湯をカップに注ぐとすぐにこたつに足を突っ込んだ。

「電気ストーブ・・・買おうかなぁ」

エアコンなどという発想はない。
ああ、そう言えばと思い出す。 隣りに挨拶に行けばよかったと。 隣りはいい年をしていた、電気ストーブの一つくらいあったかもしれない。 引っ越し先にはエアコンを買っているだろう、要らなくなった物だったら貰っておけば良かったと。

「って、もう荷造りが終わってたんだから遅いか」

要らない物なら既に処分していただろう。
カップを握りしめ手を温める。

「あー、侘(わび)しい生活・・・」

衣食住に困らん・・・おじさんの言葉が甘く脳内を走る。

「いやいや」

自分を諭すように首を振る。

「あと一年バイト生活。 それで晴れて社会人。 ちゃんとした給料が入ってくる。 そしたらこの安アパートともおさらば」

そしてエアコンのある生活をするのだ。 夏の扇風機ともおさらばだ。

「社会人になりたいみたいだな」

「そのようだ」

児童公園に横付けされている車中での会話である。 水無瀬の独り言が車内にひびいている。

「さて、失敗に終わったからにはこっちに任せてもらおうか」

運転席の後ろに座っているおじさんがブスッとした顔で腕を組む。 口は閉ざしたままである。

「あの・・・上は何て?」

後部座席から気弱な青年が助手席に座っている男に訊ねる。 自分たちが断られたと知るとすぐに連絡を取っただろう。

「爺さんらか。 ああ、とっとと連れてこいってさ。 万が一を考えて応援をよこすってことだから、今日明日ってとこだろうな」

「そうですか・・・」

「で? 水に反応したのは確かなんだな?」

「はい・・・」

「水も認識したか」

ハンドルに手を乗せながら運転席の男が言う。

「そりゃ、魚を見れば誰でもそこに水があるって思うだろうよ」

「どうかな・・・。 俺たちはそれを当たり前だと分かっているが、知らない者は空を飛ぶ魚だと思うかもしれない」

「けっ、マンガじゃあるまいし」

そこにスマホの着信音が鳴った。 水無瀬の部屋から流れてくるスピーカーのボリュームを下げると助手席の男がスマホに出る。

「ああ、ああ」 と何度か言い頷いている。

「分った。 それじゃ、次の連絡を待ってる」

受話器を置く画面をタップしスピーカーのボリュームを上げる。

「なんて?」

「爺さんが一人スッテンコロリン。 よって応援に向かうのが遅れるらしい」

「爺さん一人にか?」

「長だ」

「長・・・って、爺さん呼ばわりするなよ。 紛らわしい」

「爺さんには間違いないだろ。 救急車で運ばれたってさ」

救急車と聞いては尋常な転び方ではなかったのだろう。

「どうする?」

運転席の男がミラー越しに後ろに座るおじさんと呼ばれた男を見る。

「いったん戻ったほうがいいか・・・」

「何言ってんだ、その間に敵にすっぱ抜かれたらそれで終わりだろう。 それに戻って来いとは言われなかった」

水無瀬の部屋から着信を知らせる音が響いてきた。 誰もが口を閉ざす。
短い着信音、メールかラインであろうことが分かる。

「ちっ、電話なら良かったのに」

電話なら相手の声が聞こえずとも話している内容が多少なりともわかるが、文章のやり取りではこっちには何も聞こえてはこない。

「ん? 雄哉か」

スマホを天板から持ち上げたような音がする。

「ふーん・・・」

ふーん、だけでは何が書かれているのか分からない。

「そうだな・・・。 ま、いっか」

何がいいのか。
返信を打っているのだろうか声が止んだがすぐ後に「ほい、送信」 という声が聞こえた。
スタンプだけを送信したのか、短い文章を送信したのか、それならばいったいどんな内容を送信したのか。

「どうする? 明日から学校には行かないようだし、バイトもまだ休むってことだ」

日常が今までとは随分と変わってくる。 そうなればこんなに離れたところに居ては水無瀬の行動を把握しかねる。
ミラー越しに視線を感じ、隣りの座席からは様子を窺うようにチラリと視線をこちらに向けられたのが分かった。

「そうだな・・・。 俺と誠司は面が割れてる。 お前ら二人が物陰にでも隠れて見張ってるか?」

「物陰に隠れるんなら、面が割れていようがなかろうが関係ないだろうよ」

「どうせ昼間のことだけだ。 向こうだって今日のことを考えると暫くは夜に出歩いたりしないだろう。 物陰に隠れるのが嫌だったら少し離れたところに居ればいい。 部屋を出た時には盗聴器で分かる、その時にはすぐに連絡を入れる」

「けっ、爺さんのせいで計画が崩れる」

「長だ」

一言いい残すと運転席に座っていた男が車から出ていった。

「あ・・・」

小さな声がスピーカーから漏れてきた。 三人が聞き耳を立てるが、それからは何も聞こえてこない。

水無瀬の目の前が揺らめき、まるで水の中に居るような錯覚に襲われる。 と、段々と周りの風景が違ってきた。 水無瀬の部屋の中であったはずなのに、テレビも硝子戸もまるで消されたかのように徐々にその存在がなくなっていった。
顔を下げると座っている自分の足が見える。 さっきまで触っていたスマホはどこに行った? 足を突っ込んでいたこたつは?
そんなことを考えていると違ったものが目に映ってきた。
岩、それにくっついているイソギンチャク。 揺れる藻。 その藻の中で何かが泳いでいる。 小さな魚だろうか。

(ここは・・・海?)

自分は海の中に居るのか? 海の中で座っている? 身体が浮くこともなく?
上を見上げる。 何かが見えるということは光があるということ。 海だとしたらその光源は太陽としか考えられない。 太陽であるのならば上にしかない。
燦燦と光が落ちてきている筋が見える。 だが・・・太陽だろうか。 太陽には違いないだろうが確信がない。
今の自分の状況を考えると、当たり前のことが当たり前と受け取れなくなってきた。

(・・・息)

思わず息を止めた。 だがよく考えると今の今まできっと知らず息をしていたはず。 そっと息を吐く。 泡となった空気が口から出ない。 だが息を吐いているのは間違いない。 息を吐く勇気はあっても吸う勇気はないが、いつまでも息を止めてはいられない。 そっと息を吸ってみた。

(吸える・・・)

どういうことだろうか、ここは海の中ではないということなのだろうか? それならどうして藻が揺れている? イソギンチャクの触手も揺れている? 何かが泳いでいる?
だが何と言っても息の心配はなくなった。 指を一本立て、その指を口に咥えてみる。 海水の味がするかと思ったが、単なる指の味でしかなかった。 指の味というのも何なのだが。

(・・・あ)

どうしてさっきまで気付かなかったのか、いく匹もの魚が泳いでるのが見える。

(いや・・・気付かなかったというより、今初めて見えたような・・・)

これだけの魚の数に気付かなかったはずはない。 きっと最初に部屋の中が段々と違ってきたように、そして最後には一切の部屋の中が消えたように、それと反対のことが起きている。 段々と違う風景が見えてきている。

(なんで?)

『俺についてくれば分からないことが分かる』 『お願い、一緒に行こう? そうすればちゃんと説明できるから』
二人の言っていた言葉が思い出される。 ついて行けばこの状況の説明をしてもらえるのだろうか。
魚が正面から泳いできた。 その身体を水無瀬の真正面で九十度変え・・・目が合う。 口角が上がっている。

(また・・・)

水無瀬のことをじっと見ながらゆっくりと泳いでいく。
前に見た時とは違う魚。 釣りもしなければ魚の種類も知らないが、全く違う魚だということは分かる。

(え・・・)

何匹もが水無瀬の前を泳ぎながら水無瀬と目を合わせていく。 と言うより水無瀬を見ている。
完全に認識されている。
・・・魚に。
思わず立ち上がろうとして思いっきり膝を打った。
ガン、という音が響き、目の前にこたつが現れた。

「痛ってー!!」

膝を抱えようとしてもう一度打った。 こたつの場所が段々とずれていく。

車中では三人が耳を押さえている。 何も聞こえなくなったが為、ボリュームを最大限に上げ、尚且つ、スピーカーを三人の間に置き、ほとんど耳をくっ付けていた状態だったからである。

「こんの・・・馬鹿ヤロウが! ただの捕獲で終わらせられると思うなよ!」

勧誘だった筈なのに捕獲に変わっている。 かなり手荒なことになりそうである。 後部座席の誠司が痛む耳を押さえながら、それでなくても下がっている眉尻を更に下げた。

「と! とにかくボリューム! ボリュームを下げろ!」

ボリュームの調整はフロント座席側を向いている。
痛ってー痛ってー、とまだ叫んでいる声が段々と小さくなっていく。

「隣・・・賑やか」

「・・・みたい」

二対の瞳が呆れたように水無瀬の部屋との境の壁を見ていた。

それから一週間が何もなく過ぎ去った。 いや、何もなくというのは決して何もなかったわけではない。 あれから何度もあの光景を見た。 何も無かったというのはおじさんや誠司が言っていた手荒なことということである。
そして膝の痛みもこの一週間で引いていった。 恨みつらみを言いたい膝痛だったが、あれがあったが為、分かることがあった。

目の前に現れる光景はあくまでも見えるだけというもので、逆に自分の居る場所にあるものが見えなくなっても、ただ見えなくなったということでそれらは存在している。 だから見えなかったこたつで膝を打ち、あの光景が海の中ならば海に沈んでいるはずの自分の指が塩辛くなかった、息も出来たということになる。
だがどうしてそんなものが見えるのか。 それを考えると分からなくなってしまっていた。
魚が水無瀬を認識していたということは、水無瀬はそこに居たということになる。 そこというのは海の中のはず。 だが水無瀬はそこに居なく。 といった具合にグルグルと迷走していた。

「おっと、時間」

それからワンテンポ遅れてダウンジャケットを羽織った音が聞こえる。
車中でそれぞれの目つきが変わった。
夜に出歩くなどこの一週間に無かった。 それもそうだろう、手荒なことをされるかもしれないと分かっているのだから。
だが今日はまだだ。 連絡では明日応援が来るということになっている。

「この一週間で気が緩んだか。 丁度いいじゃないか、明日も出かけてくれると捕獲しやすい」

「じゃ、俺行ってきます」

助手席の後ろのドアが開けられた。 今日、水無瀬を尾行するのは誠司である。

「ああ、顔を晒すんじゃないぞ」

この二人の顔は水無瀬に知られている。 昼間の尾行であれば顔を知られていない二人がするが、夜ならば夜陰に隠れることが出来るということで、夜の場合は顔の割れている二人のどちらかがすることになっていた。
尾行の理由は、水無瀬が逃げたとしてもその後を追えるようにということと、敵の接触がないかということを見る為である。

「はい」

パタンとドアが閉められる。 ドアの閉め方も大人しいものだ。 だがいくら気弱な顔をしていても大人しくても、以前に助手席の男が言ったようにあくまでも肉体派である。 ドアを閉めたと同時にまるで風のように走り出す。

「けっ、相変わらず早いな」

身の軽さも一番であるが、他の二人がそんなことを言えば助手席に座るこの男はへそを曲げるだろう。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハラカルラ 第3回 | トップ | ハラカルラ 第5回 »
最新の画像もっと見る

小説」カテゴリの最新記事