生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

<お節介>か、<天使の思いやり>か?

2006年01月22日 | 第2章:心理療法の基本
生き甲斐探索の途上で、一期一会の人、知人、友人、お邪魔虫、この方々は広い意味で人生の恩人でもあります。<自分にとって>の嫌な人のお陰で、どれだけ人の在りようや、人間の実状を深く理解する事が出来たか、今から想うに感謝です。愛し合っていると、魂が融合しているせいか、相手の要求が何となく分かりますが、少々<苦手な人>の場合は<鈍感>です。<地獄で仏>の諺のように相手に本当に役立てば成功ですが、大体は<お節介>と言われてしまいます。<天使の思いやり>と言われたいものです。この違い<お節介>と言われる心理療法家は明らかに、心理療法での理論<感受性訓練の欠如><精神力動への洞察力不足><過程方程式への無知>から来ています。説教タイプの精神科医、セラピスト、カウンセラーによくある<訓練不足現象>です。訓練の一番重要な方法が<日常生活>。<この人の生き甲斐は何か><この人の悔いのない人生とは何か>を言葉にしないで、天使のような暖かい眼差(心理学での<慈眼>の事)で、洞察する事。<邪眼>で見たら人間関係が破綻していきます。特に<わたしとあなた>の関係の中で<自分の生き甲斐と相手の生き甲斐>を楽しみながら、静かに見守る内に、何とも言えない愛の雰囲気が生まれてきます。本当に深く愛し愛される関係では<お節介>は殆どなく、いつも<天使の思いやり>の中で悔いのない人生が送れます。ではまた明日お会いしましょう.:<62-4>:

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