生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年09月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
奈良・猿沢池は東大寺はじめ興福寺等古代歴史を思い出さしめる重要な場所で、かつ池の風景を回想するだけで非常に心地よいのですが、日本の大学に入った頃、まだ高校生時代を思い出す頃は、猿沢池という言葉だけでも、実は嫌な思い出がありました。昭和50年代の頃の話ですが新潟県長岡からの高校時代の修学旅行での出来事です。私は終戦と同時に、神奈川県葉山町から疎開先の山村に小学3年生の移住しましたが、その頃、私を虐めた少年が同じ高校に来ていましてその嫌な少年も当然ながらの修学旅行でした。その旅行先の自由時間の散歩で、猿沢池のほとりでばったり遭遇、私にいちゃもんをつけてきます。小学生の頃は数名で私をいびった少年でしたが、その頃の私は、内々で柔道を身に付けて復讐の機会をうかがっていましたので、これ幸いと猿沢池に彼を背負い投げでぶち込んでしまったのです。私はすぐ逃げ出したのですが、大人が彼を救いあげたようです。それを巡り色々あったのですが、猿沢池とこの思い出が、あの美しい奈良の都を暗いものにしていたのです。今はクラス会で笑い話をしながら、その少年と美味しくビールを飲みますが、猿沢池と藤原氏がこのように私の大脳の中では、雑炊のようにごちゃごちゃしているわけです。この少年時代の思い出が今、古代史を楽しみながら奈良を訪問しますと飛鳥奈良時代と我が人生が奇妙な所で深い味を醸し出し命の喜びを色濃く味わうというわけです。遠い歴史がこの体験で更に生きる喜びを更に深めてくれています。
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