生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年09月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
この幸福病については私もしばしば行っているので、皆さまは、そう深刻に考えないで、気楽にお読みください。なぜ、このような思索をするかといいますと、出来れば私が「幸福感」を感じたら周囲も幸福感を感じるような、そんな生き方がしたいからです。高校生の頃、小学生時代後半、疎開先で私をいじめた子供が高校に入ってきて、さっそく虐めの対象にしたそうな気配と動きがありました。私はもうこりごりでしたので、逆に居直り柔道部に入り勉強をしないで腕を磨き、逆に喧嘩をうっては相手を張り倒していきます。私は幸福でしたが周囲は不幸でした。「生き甲斐の心理学」ではこの事例をどう解釈しているでしょうか?異常にストレスが蓄積した場合、私のようにして発散する少年もいれば忍耐、また、忍耐して大人になる人もいます。私の生育史は軍人の家庭でしたから「負けられません、勝つまでは」のアイデンティティーがあり、この生き方を私がよし、とした必然の生き方でした。異常なストレスの蓄積をその人独自の生育史上の考え方でまずは解消していかないと、いつか精神障害が出ると言われています。信仰の力で美しく解消している人もいれば、私のような暴力少年もいたわけです。私の少年時代は戦後ですから戦争の匂いが激しく存在していましたので、現代の今、私のような解消法をしたら直ぐ処罰されたことでしょう。しかし、終戦当時は、世間は私を支持した先生も居て、私は幸福感に満ち溢れ、私を虐めた少年達は不幸だったと今、クラス会で笑いながら、その喧嘩相手と談笑しています。
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