五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

一貫性という個性

2012年04月09日 | 第2章 五感と体感
成城の桜を愛でながら人混みの路を横に逸れ、猪股邸に活けた花を堪能しました。

「腕を上げた」というのは人生の先輩に向かって云うコメントでは無いと思うのですが、魂と心と体が欲する欲が表現力を一層豊かにし、同時にどんどん削げてきていると感じました。

自己の一貫性は、歳を重ねる毎に、より強化されるということも、ひょっとしたら本当にそうなんだ…、と、自分の人生を振り返って、そのことは否定できないと笑いながら痛感することも、ある程度見えてきた自分の一貫性の自己受容にも繋がるかもしれません。

友人の花の会を後にし、更に長年の友人達(とりあえず先輩なんだけれど)と、それぞれの経験をそれぞれ体験しつつも、なんら変わらないどころが、顕著に表れる昔のままの個性が一貫していることで、安心感を覚えました。

「私のために」「自分のために」と頭を切り替えながら乗り越えて体得してきたものが、更に個性に磨きをかけたのかもしれないし、「私が私でしかないこと」を若いうちに気付くことのできた感受性が、今を面白くしているのかもしれません。

兎にも角にも、自分の個性を愛してきた人たちが集まる会話は、一途で素直で見通しが良く気持が良いものです。

結局は生きてきた通りの道筋の延長に自己実現があるだけの話で、自分のありようが決して刹那的ではないことを確認したような時間を過ごしました。

飲んで食して、笑って泣いて、自分と他者を愛することは人生の基本だ、と笑い飛ばしてSpain Barを出ると、ヨーロッパの旅先で感じる風が吹いてきて、なんだかキュンとした心地良さに包まれました。

ありがたや。

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戦う相手の的を外すと

2012年04月07日 | 第2章 五感と体感
問題を抱えているのに、その問題と直接関わり合う事を恐れ、対象を変えながら逃避していく現象は、よくよく考えてみると私自身にも該当することです。

現状と向き合う事を避けて、次々と自分の環境を乗り換えていっても、元が糺されていないと、問題を解決するどころかどんどんと泥沼にはまっていきます。

浮草が池を漂っているくらいならイメージできますが、池から川に流され、そのうち海に漂うようになったら掴みどころが無くなります。

戦う相手と抱えている問題が、自分の中でぴたりと一致しているうちに解決できると、健康を損なうリスクが低くなるように思います。

逃避を重ねていくと、意識化されたストレスが段々と抑圧(意識または自覚できない自己の抑制のこと)となり、家族や同僚を巻き込んでいく可能性もあります。自分の抱えている問題なのに、それを逃避し続けていると、何も罪の無い自分の子供に何らかの影響が出たりすることも多々あるお話です。

できることなら、そうならないうちに、自分が戦うべき相手と的に向き合っているか?自分自身で検証してみることも健康的に生きていくための一つの方法ではないでしょうか。

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日本人のアイデンティティ2

2012年04月06日 | 第2章 五感と体感
先日の日本人のアイデンティティについての続きです。

1穢れと禊ぎ
2侘びと寂び
3甘えの構造
4幽玄美
5もののあわれ
6恥の文化

以上が日本人のアイデンティティの特徴的な6つの要素である、と習いました。
これらは外国人の学者が日本人を考察した結果、あぶり出されてきた特徴であるとすると、日本人の両親の間に生まれ、日本で生まれ育った私から他に何が見えてくるだろう…、という思いが湧いてきました。

そこで、ふと思い立ったのは、「許し」です。

日本の文化から生まれた芸事や道(どう)を嗜んでいる人ならピンとくるかもしれませんが、師が弟子に「許し」を与えていくことで、次のステップが踏まれていくことを度々経験してきました。
相手に勝つとか、負けるとかの判断ではなく、決まった答えの中で〇と×があるのではなく、経験や人間関係から判断されていく「許」。フェアーではないように思いますが、それが文化を継承してきた要のアイデンティティかもしれません。

それが、甘えの構造に繋がったり、恥に繋がったりしていくのかもしれませんが、「許の文化」はしっかりと日本社会に根付いているように思います。

根本的に一神を信じている民族では、神の前において人は平等であるという意識から物事が判断されていく傾向が見受けられますが、多くの神様を受容している民族は、契約という意識が薄いことも特徴的です。

最近では、議事録を取った取らないという問題が起きましたが、欧米では考えられないことも例の一つに上げられるでしょう。
議事録を取っていないことを呆れているだけで世間が許容してしまったことも、いかにも日本人のアイデンティティだと感じています。多分、欧米だと、議事録を取っていない会議自体が病理だと判断されるはずです。

しかし、日本の中では病理ではなくても欧米だと病理だと判断されることがあると同時に、欧米だと病理でなくても日本では病理とみなされることもあるわけです。

自分のアイデンティティが見えてこないのは、当たり前のことを当たり前だと感じているからです。
いちいち自分が感じることを分析していたら、それこそストレスだらけになりますが、他国、他宗教、他民族の中に身を置いたり、知ることで、そこから湧き上がるストレスから比較考察することは、自分を知る良い機会です。

「自分」という道具を使いながら、学ぶことは沢山あります。

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不器用

2012年04月05日 | 第2章 五感と体感
自分を表現することの一つに「不器用」という表現方法があります。

だいたい「私は器用な人間だ」と明言する人は聞いたことがありません。他者が相手を評価する時、「あの人は器用な人だ」と表現する場合、結果においての人物評価である事が多く、その人そのものの性格を指しているわけでは無さそうです。

器用だと思われる人ほど、先を読む想像力があり、守りも強く、案外、心配性のように思う事もあります。心配な事を先回りしてして、先手を打ち、上手く立ち回ることができたらいいのにと日々思うのですが、「それができてりゃ、こんな生活しとらんわ!」と笑い飛ばす会話を何度してきたことでしょう(笑)

そもそも不器用って何でしょう。

表装の師匠からも「不器用な人ほど長続きする」と言われ、その言葉をお守りのように信じてきたようにも思います。

技術のこと。
人柄のこと。
それぞれを評価することにおいて、「器用」「不器用」は、誰でも解りやすい言葉ではあるのですが、この言葉ほど深い言葉は無いのです。

自分の本音を大切にすることで敵を作り、衝突も多く悩みも深かったりすると「不器用な人ね」と言われたり、かといってそつなく対応し守備万端の人に対して「器用な人ね」と言われたり…。

どちらかというと、「不器用な人ね」という表現のほうが、愛らしく親しみが湧くのが一般的かもしれません。

昨日の新聞でAKBのあっちゃんの写真集に「不器用」というタイトルが付けられていることを知り、つらつらとそんなことを想ったわけです。

何かの技術にしても、手先が器用で「私は出来る」と思っている人よりも、じっくりと悩みながら工夫しながら学んでいく方が、技術だけではなく、その背景にある精神性も深くなっていくように思うのです。

私も自信を持って不器用だと言うことができます。

年度の始まり、今年度の私の目標は不器用さをさらけ出す。。。っていう目標でいいのかな。。。と思ったりしております。

不器用さをさらけ出して居直るのではなく、真摯に向き合う精神を大切にできれば、と思うわけです。

あっちゃんをよく知らない私でも、こんなことを考えさせるアイドルってスゴイ…^^;

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大嵐と新年度

2012年04月04日 | 第2章 五感と体感
春の嵐といえば、映画ショコラを思い出します。
ショコラの嵐は南フランスのミストラルのことですが。

今年の日本は、春の嵐が2月にやってこず、昨日は今更になってドカンと嵐に日本列島が踏み荒らされた一日となってしまいました。
入学式だった学校もあり、大変な目にあった新入生も多かったことでしょう。

昨日は腰越の勉強会を中止にしたことは正解でした。早いうちに江ノ電も東海道線も止まってしまい、そのうちあちらこちらで電車が動かなくなり、早めに勉強会を終えたとしても、家の最寄り駅に辿りつくには相当の時間がかかったことでしょう。

夕方に竜巻注意報が発令されたのには怖さを感じましたが、外に出ず静かに家で過ごしたおかげで、年度末の整理と新年度の打ち合わせができ、ファイルも頭もすっきりしました。

今日は快晴です。昨日の嵐で身を固くしていた桜の花も一気に伸びやかに開花しますね。
春の嵐に踏み荒らされたというより一掃されたと解釈して、澄んだ空気を吸いながら爽やかに一日を過ごしたいものです。

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始まりの月

2012年04月03日 | 第2章 五感と体感
4月が入学式であるのは、会社の決算時期と合わせることと関係があることを何かの本で読んだことがあります。
東京大学が9月入学を検討し出すと、他の大学も段々その気になり、9月が学校の新年度が常識になるのも時間の問題かもしれません。

桜の入学式から、十五夜の入学式というイメージになるのでしょうか?

インフルエンザの猛威を恐れながら寒い中受験するよりも、梅雨の時期が受験のほうが安心感があります。
受験が終わると夏となり、解放的に羽を伸ばすことを考えると、9月入学も悪くないなぁ~と、思います。

社会の行事と季節の関わりが薄くなっても、自分の体感で感じる季節感は変わりません。

自分にとっての始まりの月が、ほんとうの自分の始まりの月なのです。

草木の芽を眺めると湧いてくる情動
春霞で感じる感情
自分のやるべきことに囚われて季節の風情を見落とすより、自然の変化から自分のやるべきことが見えてくるほうが無理がありません。
また、進級したり、入学することで自分の環境が変わる時期を上手く利用することもできそうです。つまり、環境が変わることに便乗して、自分を故意に変化させる良い機会でもあります。

「自分の始まり」をどのように意識するか。

多くの人が色々と始まる4月に煽られず、焦らず、丁寧に暮らすことを心がけたいものです。

近くの公園の柳の新芽に芽吹きの喜びを貰い、スーパーの買い物帰りに「始まり」を意識したのも自然の成り行きと言えそうです。

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日本人のアイデンティティ

2012年04月02日 | 第2章 五感と体感
3日間の勉強会を終え、すっきりした気分の朝を過ごしています。

今回は、平家物語の一番最初、そして一番最後の部分をじっくり音読することから始まりました。

もともと語りであった平家物語。琵琶で奏でる平家物語は、従姉の親友である女性琵琶奏者のファンになったことがきっかけで随分聴いてきました。その方は、若くして亡くなりもうこの世には居ませんが、たびたび渋谷の「ジャンジャン」で聴いた平家物語が耳から離れません。魂が震えるくらいの衝撃を受けた彼女の語りは、自己の生命が凝縮を予知していたかのようなものだったと解釈しています。最近では、奈良に住む僧侶であり琵琶奏者である方の力強い平家物語が私のお気に入りです。

今回は琵琶もなければ旋律も無い音読です。自分で語り、体感し、湧きあがる感情を自分の言葉で口に出してみると、自分の内にある日本人のアイデンティティが、何となく浮き上がってくるのが不思議です。

日本人のアイデンティティは、西洋から発達した心理学や心理療法では、病理だと解釈されかねないものもあり、勿論西洋文化が中心となるわけなので、日本のみならず、アジアやアフリカ、南アメリカ諸国、中東等、地域によって、概念は違うわけです。
日本人ではあっても、両親や祖父母が他国の方であれば、そこでも違いが出まが、それを語ってしまうと、地球の人口分の個性を語らなくてはならなくなってしまうので、国という「ひとつの括り」から見た傾向を軸として考察していくことも大切なのです。

植村先生から教えられた日本人のアイデンティティを考察する上で必要な項目をここに書き記しておきます。

1穢れと禊ぎ
2侘びと寂び
3甘えの構造
4幽玄美
5もののあわれ
6恥の文化

この6つの項目をじっくり考えてみると、自分の悩みや自分の傾向が病的なものではないことに気付く方もいらっしゃるかもしれません。

穢れていると思ってしまうこと。
水に流す。
白黒はっきりつけることを好まない。
自己実現を言語化しない。
なんとなく湧き出すじんわりとした情。
恥をかきたくない自分。
他者に対する依存。
季節に移ろうグラテーションのような変化。
曖昧…等、

これらのことを×だと考えている自分がいるとしたら、「6つの項目のうちの何が自分を生き延びさせてきたか」を立ち止って思索してみると。。。あな不思議。。。自分の中にある好きな自分、嫌いな自分が、これらの項目に乗っ取って浮き上がってくるやもしれませぬ…。

心の中は自由です。どんなことを考えたって構いません。

新年度の始まりに、こんな思索をしてみるのも「あり」かな、と思います。

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