五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

義経との縁

2012年04月27日 | 第2章 五感と体感
ここ7年ほど、思っていることがあります。
それは、私が思う思わざるに関わらず、何故か義経がいつも近くに居るのです。

兄頼朝に鎌倉入りを拒まれた腰越・万福寺と義経を祀る藤沢の白幡神社に仕事場としての縁が生まれ、定期的に通っています。
特に白幡神社は、私の気合の場所でもあり、仕事前には必ず白幡神社と向き合うCaféで珈琲を頂き、心身を整えます。

今回の平泉の旅は、何となく御縁が繋がった義経に対しての思いも強く、平泉という場所の風土を身体で感じたかったことも訪問の理由の一つです。

何年か前に鞍馬寺を訪れた時は、木の根っこが張った山道を登りながら身軽な九郎義経が飛ぶように山を駆け巡ったであろうことを想像し、奥の院でしみじみと祀られた石を礼拝しました。

鞍馬寺から鎌倉腰越、藤沢、そして、平泉訪問は私の心の中では義経への思いの結願といっても相応しいかもしれません。

中尊寺と毛越寺を訪れた翌日の小雨降る中、いよいよ高館義経堂(たかだちよしつねどう)に。

狭い階段を上り、山の尾根に添った道に立つと、目の下に北上川が柔らかな「くの字」で滔々と流れているのが見えます。川の向こうには程好い高さの山が聳え、夏は大文字が焼かれるそうです。

数年前に義経を愛する方々が藤沢の白幡神社から、この義経堂まで歩いて来られたことを聞きました。

兄を慕いながらも、それが叶わなかった義経の不憫さが、この北上川に義経の魂と共に記憶されているようにも感じ、京都や鎌倉で命を奪われる最期よりも義経は恵まれていたかもしれない、という思いが私に湧き出てきました。
藤沢から平泉まで歩かれた方々も、きっと何度もそのことを思ったに違いありません。

藤原三代から芭蕉が旅する時代と今現在は、多分高速道路が出来たくらいの違いで、地形的にはほぼ変わらないことを思うと、芭蕉がこの高館で詠んだ「夏草や兵どもも夢の跡」の句が、ジワジワと体感として伝わってくることに深い深い喜びを感じました。

歴史の出来事の地層のような重なりを知ることが、現代を生きる私達の醍醐味であろうし、日本人の持つ「もののあわれ」の原型に触れることが私達のアイデンティティをより強くしていくようにも思います。

私自身、義経に触れる環境はまだまだ続きますが、義経を追って、方々を旅出来たことに達成感を得ることができました。
まさしく、私にとっての義経詣の結願です。

北上川のあの風景を観たことは、生涯の宝物になりそうです。

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