五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

東北の旅・平泉

2012年04月26日 | 第2章 五感と体感
念願叶い平泉を詣でて参りました。

桜咲き始めの平泉。
ゴールデンウィークを控え、それほどの混雑も無く悠々と境内を散策してきました。

中尊寺には17の寺があり、毎年3回、その寺の僧侶が集まり中尊寺内の白山神社の能舞台にて能(喜多)を奉納します。
(奉納能日日程:5月4日5日,8月14日,11月4日)

囃子方、地謡に至るまで、すべてを賄うそうです。
藤原三代の風格と東北の地で生き抜く人々のチームワークと結束の知恵と言うべきでしょうか。現代に至るまで守られいる風習から、850年に慈覚大師円仁が開山した以来の文化の層の厚みを感じます。

世界遺産に制定される前に世田谷美術館にて大きな展覧会がありました。そこで東北の人々の持つ技術と心の繊細さに改めて感嘆し、一度は行かなくちゃ人生もったいない。。。と、思い続けてきました。

細やかな手先の器用さは、東北の気候風土を象徴しているように思います。大きな伽藍に宇宙のスケール感を求めるものとは違い、コンパクトな出来上がりの中に凝縮した思いを入れ籠める手法と精神は見事なものです。杉木立の中尊寺の寺社を歩きながら深く思い至りました。

「和」という言葉の中に秘められた唖吽の呼吸のようなものが、根付いているといっても言い過ぎではないかもしれません。

毛越寺(もうつうじ)の境内は、4時過ぎに入館したお陰で人もまばらで、山から引かれている鑓水から注がれる池に平安の都が憧憬として映り、天国浄土を歩いているような心地になると同時に、学び舎の址に佇むと多くの学僧がこの地で豊かに学問に集中できたのであろうと羨ましくもなり、何となく東大寺の学び舎址と同じような思いが湧いてきました。石礎の上に両足を乗せていつまでもそこに居たい情動が起こったのは、奈良の都と平安の都が両方混じり合ったような感覚がきっと身体の中に宿る記憶が懐かしさを呼び起こしてくれたことに違いありません。

西の都より少し早い夕暮れ時に、白い鹿に合いそうな予感を含みながら境内を後にしました。
足元に白い毛でも落ちていないか、見渡しながら^^…(慈覚大師が落ちていた白い毛に気付き、出会った白鹿がもうつう寺の名の由来だそうです)

明日は義経のお話^^を書きます。

クリック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする