photo:kyoto/Genkoh-an
お母様が困り果てて、相談にいらっしゃる場合、それは「子供が考えるべき問題なのか」「お母様自身が考えるべき問題なのか」を傾聴します。
お母様の言葉が「子供は」が主語になる場合、「私は」から「子供は」にすり替わっていく流れを更に否定も肯定もせず傾聴していきます。
「問題意識を持つ」ことは、生きてゆく上で、自分が向上しながら進んでいく事と大きく関わっていくものです。
でも、その問題意識の矛先が、自分では無く「子供が」にすり替わっているとしたら、それは問題意識と言い難いのです。
子供だけのことではなく、「相手が悪い」、「相手が変われば自分が安心する」等、いつも自分のことを棚に上げ、他者の批評と批判をしたところで、自分に宿る不安感は解消されないのです。
でも、「あなたは、自分のことを主語にして話さなくてはなりません」と説得することもできないのです。
自分が自分を見据えることができるような問いかけを少しずつ増やしていくことから、自分と他者はべつのものであることに気付くと、自分の悩みが自分のものとして意識されていくようです。
問題意識を持つことは、この先の一歩を踏み出すきっかけとなります。
でも、それが、自分の問題なのか他者の問題なのか、整理できていないと、どんどんと他者の問題に乗り変わり、自分と他者との区別がつかなくなってしまいます。
「私」を主語に話していくことを意識することから、何かが始まっていくように思います。
母が、
父が、
子供が、
上司が、
兄弟姉妹が、
夫が、
妻が、
と、言う前に、「私が」どうなのかということが、自分の問題意識の扉であるようです。
クリック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング