Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

A3 Champions Cup ジェフ韓国から勝利......

2006-08-31 | Football Asia
ジェフ先制から4分後、李天秀は左サイドを早いドリブルで駆け上がり右の崔成国へ。崔成国は水本を落ち着いて外して右足を一振りし同点ゴールを齎した。たった2人のプレーで1点を挙げるあたりさすが代表選手と言ったところか? その後も李天秀のドリブル突破からレアンドロがシュートに持ち込む等、他の選手との格の違いを見せる。蔚山のスーパースター李天秀はドリブルの速さ、上手さに加えてパスを出した後の動き出しも素早く“パス & ゴー” がきちんと出来ている。一方のジェフも楽山が左サイドを突破してチャンスを作ろうとするがペナルティーエリア付近での蔚山DFも硬い。特に巻が近づいてくると必ず誰か1人が付き、クロスが送られるともう1人が競りに来る。これで前半は 1-1 かな?と思われた43分、今度は崔成国が右サイドを突破して中に入れる。そこには李天秀がおりそのままジェフゴールに蹴り込んで 2-1 と逆転をした。この崔成国のドリブルも高速で相対する水本、結城が振り切られる場面が目に付く。蔚山サポーターは大喜び。女の子も含めて数人が左右に動いて歓声を上げる。2得点とも人気、実力でもチームの中心選手の2人が絡んでいるのだからその喜びぶりも想像通りだ。あぁやっぱり韓国は強いなぁ。と思ったときに今度は反対側のゴール裏に陣取るジェフのサポーター団が大歓声を上げる事に。左から突破して来たクルプニコビッチの入れたクロスに巻が頭でなくスライディングで飛び込み蔚山ゴールに押し込み同点とする。うぅぅぅんやはりジェフは違う?のか、日本サッカーが進歩しているのか? そして更に1分後またもやクルプニコビッチが左から侵入し、フリーの佐藤勇人へボールが佐藤の足の間に挟まってしまい佐藤は転倒。するとボールはフリーの羽生の前に転がり、そのまま羽生がシュート。蔚山GK金志赫を破りあっという間にジェフが再逆転してしまった。この2分ほどの間に3ゴールが生まれた。1996年マレーシアで開催されたアトランタ五輪決勝戦の日韓戦を思い出す。ただあの時は韓国が2点を入れたが。 前半だけで5点も入ったが後半に入っても両チーム共選手交替は無いが動きは落ち無い。53分には李天秀が連続してスルーパスを出す。ドリブルだけでなくパスも出せるのか。55分に蔚山、金正男監督はDFビニシウス、FWレアンドロのブラジル人2人を下げてもう1人のブラジル人FWマチャドそしてユース代表候補の李相湖を入れて攻撃を厚くする。この金正男監督。確か1986年韓国が32年ぶりにワールドカップ出場を果たしたときの代表監督。その前年、ここ国立競技場で行われた日本との最終予選の試合を指揮している。この試合の作戦は何だろう? この時間帯から韓国の選手の当たりが更にきつくなる。58分には柳京烈の肘が巻に入り巻はピッチの外に運び出される。審判はカードを出さないのでジェフサポーターからは大ブーイングだ。62分にジェフのアマル監督はMF水野に替えて181cm のMF山岸を入れる。これはロングボール対策か?この山岸が70分にナイスクロスを巻に上げるが、どフリーの巻はこれを外してしまう。その直後、今度は蔚山が直接FKのチャンス。李天秀の放ったFKはGK立石がパンチで防ぐ。72分、1999年 U-21代表、そして韓国代表歴もある FW朴圭善を下げてMF金英三を投入。 中盤を厚くしてマチャドをトップに張り付かせる。しかし、ここでシュートの雨を降らせるのはジェフ。73分左から持ち込んだ巻がフリーで、76分には佐藤勇人のミドルが79分には更に巻がフリーでそれぞれ蔚山ゴールに迫るがGK金志赫が神がかり的なセーブで追加点を許さない。ジェフは80分FWクルプニコビッチを下げて坂本を、83分には羽生を下げてハースを入れる。坂本の投入は崔成国のマークか?しかし83分蔚山は絶好の同点機を迎える。李天秀へのタックルがファールに取られPKが蔚山に与えられる。キッカーは李天秀。 蔚山サポは“ リ!チョンスッ~ リ!チョンスッ~”と悲鳴に近い声援を送る。あぁ巻よだから決められる時に決めておかないとぉ...と思うが、これをGK立石が足でストップ。静まり返る蔚山サポーター達。そして対面からジェフサポーターの雄叫びがこだまする。 結局3分あったロスタイムも両チーム得点を挙げることが出来ず、ジェフが逃げ切りA3杯で初めて日本チームがKリーグクラブから白星を挙げた。 試合終了後、淡々と旗や太鼓を片付ける蔚山サポーター達。 みな韓国語で話をしているので韓国から来たのだろう。大連実徳と異なり、日本に居る韓国人との“融合応援”は見られないのは、同じ韓国人でも韓国に住む韓国人と在日の間に溝があるからだと後で判った。それでもこちらからリーダーらしき人に握手を求めると彼も笑いながら握手に応じて肩を叩いてくれた。こんなとき韓国語が話せれば色々サッカーの話ができるのになぁ……
帰りの地下鉄の中で友人に亀田の世界タイトルマッチの結果をメールで訊ねたが驚いたことにようやく始まったばかりだった。明日のスポーツ紙の朝刊は亀田だろうなぁと考えながら大会プログラムに目を落とした….

結局この大会は最終日にジェフがガンバに敗れたため蔚山現代が優勝をさらった。MVPは大会6得点の李天秀。ガンバとの試合はテレビで見たが、宮本が簡単に振り切られていた。李天秀のすごさもさることながら宮本のモチベーションを心配していいたら後日代表からの引退を示唆するコメントが。 まだまだやれると思うのだが。 蔚山の実力は優勝にふさわしいものだ。だが残念な事が。大会公式ホームページの書き込みに“独島は…. “ とか”韓国は… “とハングルで何か書き込まれていた。 こんな事を書くところじゃないのにね。 スポーツと喧嘩は別にしていただきたいものだ。 

A3 Champions Cup 日韓対決

2006-08-31 | Football Asia
誰でも、どこにいても自分の隣には負けたくは無いものだ。例えば学校時代の隣のクラスや同級生がいれば隣の家。自治会対抗で運動会があれば“隣の自治会には負けられねぇな。” これは国同士での同じだ。オランダ対ベルギー1970年代初めにヨハン=クライフの出現によってオランダが世界サッカー界の列強として名を連ねるまで、ベルギーはオランダをリードしていた。しかし1974年大会にオランダがトータルフットボールを掲げて準優勝を収めて以来、世界のサッカーファンは今でも“オランダなら何か華麗なプレーを見せてくれる。”と期待する様になった。しかし、オレンジ色のユニフォームを纏った選手達の進撃に歓呼するベルギー人はいただろうか? 
日本と韓国。隣国とは言えない。日本海(彼らから言わせれば東海)を隔てた対岸上の両国。歴史的な背景も大いにあるだろう。お互いに“あいつらだけには負けたくない。”と思っているだろう。スポーツでの日韓(韓日?)対戦で言えば、“負けたくない気持ち”は韓国の方が強いだろう。それは歴代の男子サッカーでの直接対決での勝敗に現れている。 だがスポーツの世界ではライバルをつくる事は大切だ。最近の日韓対決を見ると、サッカーではようやく互角に近い戦いが出来るようになったが、その他のスポーツではどうだろう?韓国女子ハンドボールは世界でもトップクラスでアテネ五輪では銀メダルでソウル、バルセロナ五輪は連続金メダルだ。 男子ハンドボールもソウル五輪以降、韓国がアジア王者の座を守っている。(最近は中東諸国が台頭しているが。)男子バスケット、男子ホッケーそれから男子バレーボールは現在、韓国が上だ。しかし、女子となるとそれらは日本がリードしている。それから女子ソフトボールに、女子サッカー。男女そろってリードするのは水球くらいか?あぁ大事な事を忘れていた。 WBCで日本のプロ野球が World Champion になった事を。 
8月3日(もう1ヶ月近くも前になってしもた…. ) A3 Champions Cup の開幕日。ガンバ大阪対大連実徳の試合に続いて韓国王者の蔚山現代が登場した。 対するのは前年ナビスコ杯王者のジェフナイテッド千葉。ワールドカップ終了後、ジーコ前代表監督の後任として当時未だ JEF の監督だったイビチャ=オシム氏が内定してからこのチームにスポットが当りだした。 このA3 大会も大会自身の展望よりもオシム監督が“愛弟子達”を見に来る、来ないの方に話題が集中していた。 だが私から言わせると、前身の古河電工はかつてアジアクラブ選手権の王者。ずっと前からクラブレベルではアジアでの戦いを経験している。そう言う事にもマスコミは言及すべきだ。 対する蔚山現代。AFC Champions League では東京ベルディを軽く一蹴して準々決勝進出を決めて9月17日にはサウジアラビアの Al Shabab との試合が待っている。韓国勢ではもう1つの全北モータースも準々決勝に進出している。 蔚山はワールドカップには2人の選手を代表に送り、予備メンバーに柳京烈が入っていた。 だが韓国代表の李浩は大会後ロシアのゼニト・サンクトペテルスブルグに移籍してしまった。しかし代表での中心選手李天秀は健在。そしてもう1人の私のお目当ては崔成国。一時は柏レイソルでもプレーし、2003年 UAE で開催された FIFA U-20 では日本相手に先制ゴールも挙げている。もう少し調子がよければ今年のワールドカップにもメンバー入り出来ただろうに。 70~80年代、代表レベルや学生選抜レベルでは韓国に歯が立たなかったがクラブレベルではどうなのか非常に興味があった。 1979 年に韓国農協がフジタ工業と対戦したがこれはこの年からクラブレベルでもリーグ戦優勝者同士で定期戦をしましょう、と言う催しが始まった第1回目であった。しかし、私はこの試合結果を覚えていない。むしろフジタ工業との試合の後に行われた日本リーグ選抜との試合の方が印象に残っている。釜本を初め、ラモス、ジャイロ、ジョージ与那城、小見、GK瀬田のいたテクニック溢れるチームが韓国王者を圧倒し釜本のゴールなどで勝利したのを覚えている。 しかし翌年にマレーシアで開催されたモスクワ五輪代表には韓国農協からは選ばれなかった。韓国銀行や軍隊所属の選手が多かった。そしてこの五輪予選が終わりプロチーム、ハレルヤが誕生する。それ以降このクラブレベルでの定期戦はどうなったのだろう.. 
最近の対戦では代表はほぼ互角に、学生選抜はむしろ日本の方がリードしているがクラブチームは本当に分が悪い。A3杯ではまだ日本のクラブは韓国勢に勝った事が無い。私が日韓対決を観戦するのは1988年の日韓定期戦以来2度目。そのときもここ国立での観戦。私はジェフのサポーターでは無いがここは是非頑張ってもらいたかった。 
第一試合終了後観戦場所を移動し、蔚山サポーターの陣取る“アウェー”側に移動した。中段下のフィールドが良く見える位置に来るが、ゴール前を拡声器が邪魔してよく見えない。しかたなく少しゴール裏側による。そこには蔚山のサポーターがちらほらと。反対側には織田記念ポールがある。このポールは織田記念ポールと言う名でアムステルダム五輪にて日本陸上競技史上初の金メダルを勝ち取った織田幹夫氏の栄誉を記念して立てられその長さが当時の優勝記録と同じ 長さ15.21mだ。大学時代インカレ出場したときにこのポールの手前で先行する選手を抜き去り予選通過を決めた事を思い出す。国立競技場に試合観戦に来られた人はこのポールが邪魔で試合が見づらいといわれる人もいるが、陸上競技経験者の私はこの前に平伏すべきだろう? この試合を観戦した韓国や中国の人はこのこと知っているかな? 
さて試合が始まるとジェフと数は少ないが蔚山の両サポーターが歓声を上げる。蔚山は、趙世権、柳京烈。朴東赫の3バックで趙と朴の2人はシドニー五輪メンバー。朴東赫は少々遠めでもシュートをよく撃ってくる。ジェフは巻がワントップ気味で左から楽山、右から水野が上がってくる。開始9分から連続してCKのチャンスを得たが得点にはならなかった。こういうセットプレーの時には巻が何処にいるか目で追ってしまう。その巻へのマークはワールドカップメンバーと言う事がよく知られているのか、やはりきつい。12分には巻が倒されるがその前に蔚山の選手が倒されており、さらにその直前にはジェフの選手が倒されている。特に3番の朴炳圭がきついマークをする。韓国はロングボールを多用。その標的となるのは 187cm 長身ブラジルFWのレアンドロ。韓国特有のキックアンドラッシュに対してジェフも走るサッカーで対抗するので攻守の切り替わりが早い。この高温多湿の状況下、これは持久戦になる。先制点が大事かなと思っていた21分、クルプニコビッチの上げたFKをドンピシャのタイミングで中島が頭で捕らえてジェフが先制点を上げた。きついマークを続けていた朴炳圭も完全に競り負けていた。私の近くにいた蔚山サポーターは黙ってしまった。しかし、彼らをすぐに元気付けたのはワールドカップの得点者李天秀だった...

世界バスケ観戦記 その2 スター軍団 

2006-08-30 | バスケ ハンド
この日の第2試合にはアメリカが登場する。別にアメリカが目的でここに来た訳ではなく、この8月27日の午前中にしか時間が取れなかっただけだった。だが私の様な都合でこの時間にここに来た人は少なかっただろう。おそらくバスケ通が聞けば“何て幸運な….”と言われたかもしれない。試合開始の何十分前だったかコートに米国の選手が何人か出て来てシュート練習を始め出した。すると多くの観客がアリーナ席、スタンドS席、それぞれのゾーンの最前列に出て来て写真撮影を始め出した。本来の私の座席はスタンドS席ではあったが、やや上方だった。すぐ横の一角がぽっかり開いていたので第1試合の開始前からそこの最前列にしれ~っと座って観戦していた。その私の座っていたところの近くに ”ちょっとすみません。“と丁寧に断りを入れて写真を熱心に撮る人が後を断たなかった。バスケと言うよりも、NBAの知識が乏しい私は何だか申し訳ない気分になって来た。そして半時間程度前になると、米国の選手がコートに現れた。それだけで場内はすごい歓声だ。そして観客席のあちこちでフラッシュが一斉に焚かれる。 そしてカメラマンも彼らを追いかける。少し遅れて豪州の選手達がやって来たが悲しいかなほとんど注目されない。アメリカはすぐにシュート練習を始めた。だれかがダンクを決めたり、テクニックや豪快さを含んだシュートを決める度に場内からは歓声があがる。一方の豪州は最初はボールを使わずステップを踏んだり、淡々とアップを始め出した。 この両国、結構な因縁がある。私が覚えているのは米国が最初に”ドリーム・チーム“を結成したバルセロナ五輪の前、オーストラリア代表の誰かがエイズ感染を恐れるコメントを吐露した。それはご存知”マジック“ジョンソンの事である。2年前のアテネ五輪でも対戦をしている。またソウル五輪の準決勝でソ連に76-82 で破れた後3位決定戦でオーストラリアを 78-49 で破り銅メダルを得たがこの五輪の結果が”ドリームチーム“結成のきっかけとなった。 あのソウル五輪の米ソ対決、そういえばテレビで見ていたなぁ。両国の五輪での対決はあの”疑惑“のミュンヘン五輪決勝戦以来だったらしい。そんな事を思い出していると ”本日はビデオ、写真での撮影は禁止とさせていただいております。ご協力をお願い致します….” ってな場内アナウンスが。第1試合ではそんなアナウンスなんて無かったのに。やがて両チームがそれぞれオレンジ色のシャツを(このシャツなんだろう?)を着て記念撮影をすべく並び始めると、カメラマン達のポジション争いが…. でもなく穏やかに。しかし、アメリカに次いでオーストラリアチームが整列してもポジション争いは更に穏やかだった。そして両チームメンバーの紹介が始まる。 選手の名前がアナウンスされる度に沸き上がる歓声のボルテージからスター軍団アメリカの中でもドウェイン=ウェイドがスーパースターだと言う事が判った。D.ウェイドは今季のNBA ファイナルの MVP。他ではレブロ=ジェームス、カーメロ=アンソニーへの歓声が高かった。ウェイドを含めて3人はアテネ五輪の経験者で前年 2003年のドラフト1位だったというのは後で知った。このチームはサッカーで例えると何だろう?最強のセレソン?全盛期のACミラン?ウェイドはジダンかワールドカップ開幕前のロナウジーニョか? ただ言えるのは、価値の判らない私にとっては“贅沢な”観戦なのだろうか? 両国国歌に続いて試合が始まる。選手の名前やスコアが示される電光掲示板がコートの上からぶら下がっておらず、会場の隅に2箇所掛かっている。1つは座席の対角線の最遠方にありスコア以外はさっぱり見えない。もう1つは頭の上だが私は丁度真裏に座っていたので全く見えない。その上に、プログラムには選手の背番号が入っていないので折角のスター軍団、だれがだれかさっぱりわからない。アメリカのスタメンは L.ジェームス、S.バティエー、C.ポール、E.ブランド。スーパースター、ウェイドはベンチだった。いよいよゲームが始まる。まずアメリカが 203cm のS.バティエーの 3Pで先制すると、1分33秒 PG のC.J.プルートンの3P で 3-3 とする。すると米国はC.アンソニー、E.ブランドの連続ゴールで 8-3 。ここで奮起したのが?オーストラリア4番のアンドリュー=ボガット。10-13 からゴール、3Pを立て続けに決めて一気に 15-13 と米国からリードを奪う。米国はC.アンソニーのFT, K. ハインリックのゴールで 18-17と逆転するが B. ニューレイの 3Pで再逆転。豪州もなかなかやるな?と思うがそう言う豪州の期待を覆したのがD.ウェイド。この試合初得点を決めて 19-18 とまた逆転を。だがこれ以降豪州にリードを許す事はなかった。ドイツも B. ニューレイのダンクなどで追いすがるが D.ウェイドがもう一度決めるなど、第1Qを 27-23 アメリカリードで折り返した。 それでも点差は4点。オーストラリアもなかなかやるな。と言う印象が残った。6月のワールドカップで日本を破った事でサッカーのオーストラリア代表“ Socceroo “ が知られるようになったが、バスケットの方がオーストラリアは実績がある。五輪ではソウル、アトランタそしてシドニーと3回4位に入っている。世界選手権は5位が最高(94年トロント大会 82年コロンビア、カリ大会)で世界ランクも9位だ。今大会のメンバーにはNBAでプレーする212cm のアンドリュー・ボガット、イタリアでプレーするサム・マッキノン、212cmのウェイド・ヘリウェルの他にNCAA 所属の選手が3名、地元 Sydney Kings に所属する選手が5名いる。 アテネ五輪では9位に終わり、その後若返りをはかり今大会と北京五輪でのメダルを狙うらしい。恐らくニュージーランドと同様、地元ではバスケよりラグビーの3カ国対抗戦、Tri Nationsの話題で独占だろう。しかし、このアメリカとの対戦は地元でも関心を寄せられていると思う。その試合で大いに存在感を示したいところだろう。 しかし、第2Qの立ち上がりC.アンソニーの F.T. , C.ボッシュのダンクで米国に先行された後、マッキノンの F.T. で何とか 24-31 と追いすがると残り7分38秒でアメリカベンチからJ.ジョンソン、カーク=ハインリッツ、S.バティエそしてD.ウェイドの4人が一気にコートに投入されるや、(あと1人はドワイト=ハワード)NBA軍団のショータイムとなってしまった。ペイントエリア付近でのパスワークにその速さ、そしてリバウンドにシュートやリング下での個々の技術力の高さ、その力強いプレーの一つ一つに観客席からは溜息が漏れる。私でさえ、”おぉぉ~っ“と声が思わず出てしまう。そしてアメリカはどんどん得点を重ねるがオーストラリアはスコアが全く変わらない。わずかに1度マッキノンからボガッドへのアリウープ (これは以前読んだスラムダンクに描かれていたので知っていた。) が決りかけた時、オーストラリアのプレーに対して歓声が1度だけ上がった。個々の能力で対抗出来るのはNBA所属のボガットだけ。そのボガットとD.ハワードとのマッチアップを横に座っていた2人組が”ドラフト1位対決だね。“と言っていた。あぁやはりボガットはそういったレベルの選手か、と再確認させられた。アメリカはあっと言う間に連続で15得点を重ね 46-24 と突き放してしまった。そしてオーストラリアC.J.プルートンのシュートがようやく決まり、4分52秒振りに得点を挙げると観客からは大きな拍手が。しかしその後もアメリカは順調に得点を重ね最後はJ.ジョンソンの3P, F.T. そしてスティールからのダンクが連続して決まり 59-29 で前半が終わった。この Quarter だけでアメリカは32点、オーストラリアは6点しか取れなかった。 ハーフタイムの間、超ナイスバディのダンサー達の演技を見てからおトイレに立つ。ここ、さいたまスーパーアリーナはこれまでもこれからも様々なイベントが催されるが昨年夏、”韓国四天王“がコンサートを行い世のおば様たちが集結した会場でもある。そのせいか御婦人用トイレばかりで殿方用がなかなか見つからない。携帯ストラップやミニボール等のお土産を買って座席に戻ると既に後半が始まっていた。第3Qに入ってアメリカはややペースを落としたせいか、オ-ストラリアは連続失点を喫する事は少なくなった。観客席には熱心なオージー達が数名おり、劣勢にもかかわらず” Go ! Australia !! “ と声援を送っている。アメリカのサポーターが “ USA!! USA!! “ と御馴染みの声援を始めるとそれにあわせて “ Australia ! Australia !! “ と声援を送る。それに奮起したかNBAプレーヤーのボガットがディフェンスリバウンドを取れるようになった。それが更なる大量失点を食い止める。そしてE.ブランドのマークを掻い潜って鮮やかなシュートを決め一人気を吐く。しかしアメリカはその上を行く。第3Qの最後はD.ウェイドのパスを受けたB.ミラー、そしてS.バティエが2本、最後はD. ウェイドと4連続 3P が決まり 88-49 で第3Qを終えた。オーストラリアも頑張ってこの Quarter は20点を取った。第4Qの立ち上がりはルーク=ケンダルの 3P を含むオーストラリアの3連続得点で幕が開く。第3Qの中盤から感じていたがオーストラリアのPG アーロン=ブルースはドリブルが上手い。さすがNCAAでプレーするだけある。身長も191cm でもこれで PG かぁ。とジーコ前監督じゃないが、欧米人との体格、フィジカルの差だけはなぁ…. 試合の中盤にちょっとしたハプニングが。アメリカがF.T.を得た時に反対側のゴール下でコートのすぐ後ろで待機していたダンサー達がコート内に入り整列をしてしまった。あれ?このFTのあとすぐにタイムアウトかな?どちらか取っていたっけ?と思う。恐らく観客席もそんな雰囲気だ。するとレフリーからコート外に出るように促され、彼女達とそれから大会マスコットの人形がいそいそと駆け出ていく。会場からは思わず失笑と拍手が。でも彼女達の恥ずかしそうな表情もたまらなく可愛い。この直後にC.ボッシュの F.T. が決まりアメリカの得点は遂に100点となる。この Quarter も211cmのD.ハワードのアリウープ等、アメリカのプレーが観衆を魅了する。私も必然的に9番の D.ウェイドを追う様になる。彼の披露するプレーそのものがどれだけ素晴らしいかはバスケ経験者なら更によく判るだろう。 オーストラリアも第4 Quarter は24点を上げ健闘したが最終スコアーは 113-74 。
ボガットがC.アンソニーと並んで20得点を挙げて意地を見せた。観客は総立ちでコートを後にする両国選手に拍手を送る。(恐らくアメリカ選手達に?)そして“ Australia ! Australia ! “ と “ USA ! USA !! “ の歓声も。
少々の混雑はあったがアリーナを抜け出ると駅まではスムースに歩けた。夏休み最後の日曜日。子供連れも多かったが、こういう世界最高峰の試合こそもっと多くの子供達に楽しめる様に地上波でのテレビ中継が何故無いのかと思う。 駅の周りには Houston Rockets のユニフォームを着る多くの日本人?が。いや中国人だった。そうか、この後中国対フランスの試合があったのか。彼らを羨ましく感じながら電車に乗り込んだ。 

世界バスケ観戦記その1 手に汗握る......

2006-08-28 | バスケ ハンド
8月27日。さいたまスーパーアリーナに ”世界バスケ” 観戦に出掛けた。バスケットはサッカーや野球ほど興味は無かったが、世界選手権がさいたまスーパーアリーナで開催される事が決った、さいたま新都心が着工する前から、この大会を観戦するのを楽しみにしていた。2001年のヤングメン大会の時は処々の理由で会場に行けなかっただけに今回は..との思いがあった。本音は日本代表の応援だった。大会の開催を知ったときはさいたまスーパーアリーナで全ての試合が集中開催されると思っていたのだが….
会場のあるさいたま新都心駅に向う京浜東北線の車中でもバスケファンと思しき人々が見受けられたが、4年前のワールドカップ時ほどの混雑振りではなかった。駅に到着すると結構外国人が目に付き、世界選手権の雰囲気を醸し出してくれる。さいたまスーパーアリーナまでの通路には地元の小学生が描いた大会の絵が張り出されており歓迎ムードを感じさせる。こういう企画は日本ならではだ。アリーナの入り口でボディチェックと携行品検査を受けるがワールドカップの様にペットボトルや缶類の持込は禁止されていなかった。バスケの試合でも物を投げられる事はあるのかな? 座席は10,000円也のスタンドS席。本当はアリーナ席で観戦したかったが、Sold Out で入手出来ず。アリーナ席は12,000円、 だったが、着席してその 2,000円 の価格差以上の差がある事が解り、“何故もう数日前に、アリーナ席に空席がある事を知った時に買わなかったのだろう”と激しく後悔した。ワールドカップは結構良い席で見れたのだが世界バスケはそうでなかった。これも観戦歴の差が出たか?
お客の入りは7分程度。おそらく第二試合のアメリカ戦前にはもっと観客の入りは増えるだろうなと思っていると第1試合に登場するナイジェリアとドイツの国歌が始まった。“全員御起立の上、御脱帽にご協力お願い申し上げます。”との場内アナウンスに促されて起立をする。ドイツはグループリーグで日本とも戦っているので馴染みがあったが、ナイジェリアは少し“予習”が必要だった。そこで入場前に購入した大会プログラムを開いたのだが、そこには各選手の登録背番号と所属クラブが記載されておらず、有用性は先般購入した“月刊バスケットボール”の方が上を行っていた。これを持参すればよかったなぁ…。
これは後で判ったのだが、ナイジェリアはアイミ=ウドゥカが NBA でプレーする他、3名が NCAA 傘下でプレーする大学生(でいいのかな?) その他選手全員が国外のクラブに所属し200cm のムネオケは韓国の Seoul Knight でプレーする。日本と同じグループだったアンゴラとは対照的だ。 ナイジェリア国内リーグはチーム数等、どの様な機構なのだろう?人口1億人以上のナイジェリアは原油も採掘出来て、もっと豊かでインフラの整備された国になっても良いと思うのだが(と言いながら未だ言った事は無いのです。)登録12人中6人が 200cm 以上。だがドイツのノヴィツキー、ヤグラの様な 7 footer はいない。グループリーグでは強豪アルゼンチン、セルビア=モンテネグロが同居する(ワールドカップでもそうだったけど?) Group Aに所属するがワールドカップと異なりレバノンがフランスを破るなど大混戦。ナイジェリアは最終戦のレバノンを破り、レバノン、フランスと共に2勝3敗で3カ国が並んだ。そして得失点差で台風の目であったレバノンが涙を飲み、ナイジェリアは辛くも決勝トーナメントに進んだ。 一方のドイツはご存知、NBA選手のノヴィツキーがいる。7 Footer は彼を入れて合計3名。こちらも6名の2m 選手を擁する。だがドイツは日本戦でも明らかになった通り“ノヴィツキーの調子次第のチーム”。試合は開始早々はグレーネ、ノヴィツキーの得点で 4-1とリードするが、その後3連続得点を喫っしナイジェリアに 8-4 とリードを許す。しかしその直後にノヴィツキーが長身を生かしたプレーで得点。その後、ロシアでプレーする 203cm のPF オクラヤの Free Throw で 14-16 とリードを奪うと更にターンオーヴァーからノヴィツキーがダンクで18-14 と離しにかかる。しかし、ナイジェリアも特にリバウンドに強さを見せてムネオケのシュートで 21-21と追いつく。終了直前に NCAA でプレーするヘルベルが得点を決めてドイツが 25-22 とリードして第2Qに入った。この Quarter と Quarter の間はハーフタイム以外は2分間のブレイクがあるが、その間やタイムアウトの間にスタイル抜群の外人娘が節度と妖艶度抜群のダンスを踊り会場を盛り上げるが、果たしてベンチの方はこんなにがんがん音楽を鳴らされてコーチのアドヴァイスは耳に入るのだろうか? 第2QはトルコリーグのベシクタシュでプレーするPGデミレルの3ポイントで幕が開け 28-22 とリードを広げる。ここでナイジェリアベンチはアナゴエン、ムエルケを下げる。これが効いたのか?イスラエルでプレーするアウオショビの連続得点で 25-28 と迫る。しかしここでまたもやノヴィツキーが今度はオフェンス、ディフェンスに渡ってリバウンドを拾いまくりデミレルの FT ( フリースロー)、そしてギリシャのパナシナイコス・アテネでプレーする(なんだかサッカー選手みたい??)7 Footer のフェメルリンクの連続得点で 37-27 と点差を10に広げる。 しかしここでズルズルと行かないのがさすが決勝トーナメント(ドイツ語では Achtel Finale : 1/8 決勝戦 ) ポルトガルでプレーするセンターヌワンコの連続3Pで 39-41 とたちまち1ゴール差。 その後はノヴィツキーの得点もあり 48-44 ドイツリードで第2Q、前半を終えた。 後半、第3 Qに入ると両軍選手身体が冷えたのか?最初の2分はスコアが動かない。ようやくPGハマンがシュートを決めた。ハマンはFrankfurt Skylines 所属。高原を知っているかな?
そしてノヴィツキーが決めて 52-44とまた8点差に広げたところでナイジェリアベンチはタイムアウトを取った。その間、待機していたダンサー達が登場して踊りを披露するが、今度の Music は Nena の 99 Luftballon 思わず私も口ずさむが観客席に陣取るドイツサポーター達からはひときわ大きな歓声が。そしてダンサー達は赤、黄、黒の3色の風船を用いたドイツ国旗の人文字を作ってフィニッシュ。ドイツ人サポーターを中心にやんや、やんやの拍手喝さいが起こる。でもこれはもっとニュートラルな立場で無いといけないのでは? しかし、これに奮起したかナイジェリアが3連続得点であっという間に 49-52 と点差を縮める。ここはNCAAでプレーする 206cm のPFイペケが頑張り全得点に絡んだ。今度はドイツがタイムアウトを取る。その後両チーム得点を同じ様に重ねるが、ノヴィツキーをベンチに下げるやムネオケ、アウショビの両SFの連続得点でナイジェリアは58-58の同点に追いついた。ドイツベンチはたまらずノヴィツキーを戻す。するとノヴィツキーの連続FTで再び突き離し 62-58 で第3Qを終えた。この Quarter だけだと 14-14 、残り10分でナイジェリアは追いつけるのだろうか?第4Qはスペインでプレーする 205cm のPFアナゴンエの得点で 60-62 と2点差に迫るがドイツもノヴィツキーがFTを2本とも決めてまた4点差。そしてオラクヤノの3P、そしてバスケットカウント、ノヴィツキーの好パスを受けての3Pと一気に得点を加算し 73-64 と9点差にする。ナイジェリアもムネオケのダンクで 69-73 と4点差に戻すがノヴィツィーの得点とバスケットカウントで 69-76 と残り時間3分29秒で7点差に。ナイジェリアは第4Qこれまで与えられた4つのFTで挙げた得点は4点。2本とも入れられないのだ。残り2分28秒でドイツはPGデミレルのスティールからノヴィツキーがダンクで 78-71 と7点差にまた拡げた後にナイジェリアに与えられたFTもイペケは1本しか決められず 78-72 だがイペケはその後アナゴンエの素晴らしいパスを受けてシュートを決めて 74-78 そのシュートに観衆から“おぉぉぉ~ ”と歓声と拍手が沸く。そして残り1分2秒、ナイジェリアは与えられたF.T.を今度は NCAA でプレーする 196cm のチェンバレン=オグチがついに2本とも決めて 76-78 と1ゴール差に迫る。これからは文字通り手に汗握る攻防だ。ドイツは焦りからかシュートが入らないそしてリバウンドも取れない。残り35秒、ドイツは痛い5つ目のファールを犯し、ナイジェリアにF.T.が与えられる。しかしアウオショビは1本外し 77-78 とまだナイジェリアは1点ビハインドだ。しかしドイツは攻撃時間を24秒目一杯使ってもまだナイジェリア側に攻撃のチャンスが残されるので、ここはゴールを決めねばならない。残り13秒、ノヴィツィーのシュートが外れてエンドラインを割るが、それはナイジェリア選手に当たっての事で未だドイツボールだ。残り8秒、またもやノヴィツキーのシュートが外れる。そしてそれを拾ったナイジェリア選手が脱兎の如くゴールに迫るが最後のベルギールージュでプレーするエビ・エレのシュートが態勢に入る。それを阻むドイツ選手達の手が何本も出て来る。そしてそのシュートは決らずホイッスルが鳴る。 窮地を脱したドイツ選手達は大喜び。しかし、ナイジェリア選手は“ディフェンスファールがあったのでは。”と抗議を。主審が恐らくその確認に入ったのだろう、審判団と協議をしている。しかし“試合終了でございます。試合結果はご覧の通りに…..”と日本語のアナウンスが流れてドイツの勝利が確認された。 最後の1分半のスリリングな試合展開に私を含めた観衆は惜しみない拍手を送る。
ドイツは本当にノヴィツキーのコンディションというよりも存在が大きく左右するチームだ。一方のナイジェリア。個々の能力はサッカー同様に非常に高いのだろう。だが今大会の代表選手全員が国外でプレーする事に寄与するのかコンビネーションが今一で序盤はパスミスが目立った。そして F.T. がもう少し正確なら違った結果になったかもしれない。 
さて次はアメリカ対オーストラリア。恐らく日本中の殆どのバスケファンが日本戦の次に最も見たいであろう、アメリカ戦だ…

頑張れ日本バスケット  世界バスケから

2006-08-27 | バスケ ハンド
対アンゴラ戦 当面の敵に完敗 でもアフリカ選手は手が長いなぁ
この試合に勝てば日本は決勝トーナメント進出に大きく近づく。NBAプレーヤーを擁するナイジェリア、セネガルと言った国々を破ったアフリカチャンピオンのアンゴラは世界ランク17位。日本は開始直後から主導権を握り一時は21-10 とリード。“やはり地元開催は強みだね….” と思うもつかの間、第1Q終盤に連続得点を決められ、何とかリードして第2Qに入るも、ここで身体能力の強さを見せ付けられる。それはアンゴラの攻撃よりもむしろ日本が攻撃する時に顕著に感じた。文字通りゴールが遠く、ようやく中に切り込めてシュート態勢に入ってもアンゴラ選手の長い手が”ミョ~ッ“っと出て来て上からはたかれる。焦りからかロングシュートが入らない。そしてリバウンドを拾われそのまま攻め込まれて得点を重ねられる。 第2Q、日本は9得点しか挙げられなかった。状況は第3Qになっても変わらず、日本は失点を重ねるばかり。サッカーだとアンゴラ代表くらいなら何とかなるのに….. と一緒に看ていた子供と話す。日本も竹内兄弟の公輔がダンク、3ポイントを含む13得点で意地を見せるがアフリカ王者はカルロス・アルメイダが19得点、アブデル・ムサが16得点し、カルロス・モライスも13得点、エドゥアルド・ミンガスも11得点をマーク。87-62で日本に圧勝し、パナマ戦に続いて2連勝。ファイナルラウンド進出をほぼ確実なものにした。そう言えばライプツィヒで観戦したワールドカップの試合のとき隣に座っていたアンゴラ人男性はこの試合を看ているのだろうか…. 試合後、選手の“2点差まけも25点差負けも負けは負け。切り替えて次に臨みたい”とのコメントが救いか? でもこの次からの試合放映時刻は深夜なのだなぁ….

対パナマ戦 日本世界選手権で歴史的勝利
大会の目標だった決勝トーナメント進出の為には負けられない試合、と言うよりも世界ランク32位は日本よりも格下。世界選手権も20年ぶりの出場でいわゆる“絶対に負けられない相手”であった。しかしパナマには205cm の元NBAプレーヤーのベテランパワーフォワード、ルーベン=ガルセス、203cm 121kg のセンター、ジェイム=ジョレーダらがおり、ベッチオ監督はアトランタ五輪でアルゼンチン代表監督だったらしく、その後の史上最強のアルゼンチン代表の礎を作った功績があるらしい。けっしてイージーな相手では無い。立ち上がりの日本はリズムが悪い。それは長身のパナマ選手達のガードがきつくてシュートレンジに入れない。そしてロングシュートも決らない。その上、パナマはオフェンスリバウンドがしつこく、日本は流れに乗れず第1Qを 14-22 とリードを許す。しかし第2Qから投入された桜井が開始から直後から連続得点を挙げる等一気に 20-22 とする。そしてPG を五十嵐から柏木に替えたのがリズムを替えたのか?今年6月からパナマ代表の指揮を取り出したデッチオコーチの選手起用が裏目に出たか?完全に日本のリズムに。この前半残り2分3秒、川村が3ポイントを決めて31-28 とついに逆転。その後残り1分9秒でJレビーに逆転ダンクを許すが、終了4秒前に竹内譲二が3ポイントを決めて 36-33 と日本がリードで前半を終えた。 後半に入ると折茂の3ポイントで幕を開け3分1秒には桜井のFTでついに43-33 と10点差がついた。パナマはゴール前でパスが繋がらず強引なドライブでディフェンスファールを得るのが頼みの綱。そして前半あれほど優位だったオフェンスリバウンドも取れなくなってしまった。フラストレーションがつのるパナマは途中で投入された五十嵐のテクニカルファールを受けた5番の選手がホイッスル後その五十嵐を踏みつけ日本にもFTが与えられる始末。第3Qを終えて57-45 と日本のリードは 12点に拡がった。第4QはPGを五十嵐、柏木の2枚にした事が功を奏し竹内譲二のダンク、五十嵐の連続得点で70-52 。残り3分25秒五十嵐が見事なインターセプト(スティールって言うんだったっけ?)で 78-53 と25点差まで拡がった。これで日本は打ち止め?残り1分でジェリコ監督が“引き締め”のタイムアウトを取る。その後日本の追加点はならなかったが、残り10秒から観衆のカウントダウンが始まり78-61 でタイムアップ。世界選手権での勝利は前回出場した8年前の順位決定戦でのセネガル戦以来。そしてグループリーグでの勝利は史上初めてらしい。 試合後竹内譲二、五十嵐の両選手は“観客の声援”に感謝するコメントをインタビューで残した。そしてジェリコ監督も“ドイツ戦とこの試合の戦いは今後期待できる証と話した。次の Tall Blacks 戦が本当に楽しみだった.......

最終戦のスペイン戦は勇猛果敢に挑んだが 55-104 で完敗。実力差がそのまま出てダブルスコアを免れるのがやっとだった。しかしこの試合前にニュージーランドが実力通りパナマを破ったので日本のベスト16入りの夢は潰えていた。
アジア勢では中国がスロベニアに劇的な逆転勝利でベスト16進出を決めた。そしてフランスを破り2勝を挙げたレバノンは最終戦でナイジェリアに破れて惜しくもさいたま行きの切符を逃した。カタールは全敗だった。
これで世界バスケの地上波での放映は決勝戦まで無い。このバスケットボール界最大のイベントをもっと小、中、高校生達に広く見せられないものか?そして私の様な“バスケど素人”でさえ、世界選手権が日本で開催される事にこれだけ興味を持つのに、バスケをずっと応援する人達にもっともっと触れ合える機会が作れないものかな?サッカーのワールドカップなら放映権を取り合うくせに。私は今でもサッカー中継はNHKとテレビ東京以外ですべきではないと思っている。
この大会を通じてバスケの日本代表の試合を観て、またすこしずつ日本バスケットに興味を持つ人が増えた事を祈る。そしてバスケ少年、バスケ少女達はこれからもバスケを続けてくれぃ。 私には自分自身で日本スポーツを強くは出来ない。ただ出来る事は応援する事だけだ。 
来年徳島で行われる五輪予選。アジア最強の中国は開催国枠で自動出場。あとレバノン、カタール、韓国と残りの出場枠(あと1カ国だけかな?)を争う。 ジェリコ監督の契約は更新されない事になり、折茂、節政、古田のベテラン選手、今後も日本代表に残るのか?田臥勇太が五輪予選には代表入りをするという噂がある。(五十嵐も柏木も私は好きになったけど) がんばれ日本バスケット。
そして私はサークルKに明日のさいたまアリーナでの決勝トーナメントのチケットを買いに行った。今年はこれでワールドカップに次いで2大会目の世界選手権観戦だ……

世界バスケ開幕 日本代表は.....

2006-08-27 | バスケ ハンド
対ニュージーランド まさかの逆転負け。でもこれで終わらないでくれぃ
8月23日いや日付は24日になっていた。深夜、Tall Blacks ことニュージーランド代表、PF キャメロンが3ポイントシュートを決めて同点ついに最大18ポイントあった点差を埋められてしまった。そして残り時間は1分17秒。 Tall Blacks は押せ押せ、日本選手達はどうだったのだろう?そして残り29秒、SGカーク=ケニーの3ポイントが決まりこの試合初めて Tall Blacks がリードを奪った。でもまだ時間はある。しかし残り2秒、日本PG五十嵐がファールを取られてこれで5ファールで退場。そして Tall Blacks にはフリースローが与えられる。これを二本とも外してくれたが、そのままタイムアップ。日本はまさかの逆転負けを喫して悲願であった決勝トーナメント進出の夢はこの時点で霧散してしまったと言えよう。 この試合はもっと早い午後7時に行なわれていた。この試合の放映開始時刻まで結果を知るまいと全てのスポーツニュースをキャンセルし、愛するジャイアンツと京都パープルサンガの試合経過はIモードでチェックしていた。残念だった。残念で残念で仕方が無かった。サッカーの日本代表がワールドカップの1次予選敗退が決まった瞬間よりもずっと悔しかった。バスケの日本代表の試合を始めて必死で応援した数日間だった。考えてみれば、日本代表の国際試合公式戦試合のテレビ中継なんてモントリオール五輪以来だったのだ。翌日 New Zealand Herald 紙のサイトを見ると、スポーツ欄では Tri Nations に臨む All Blacks の事を大きく報道していた。そして Tall Blacks に記事は… “ NZ keep hopes alive with comeback victory “ と言うヘッドラインがあった。そこには日本代表を “身長で劣る日本は背の高い相手にどう戦うかとのレッスンを施した。”と評価し、立ち上がりの Tall Blacks を“コンクリートのシューズを履いた様に ponderous (重苦しい)” と表現。
また竹内兄弟、譲二のドライブ(Kamikaze Style と表現されていた。)とARIMO ( 網野でしょ?)のロングシュートが効果的と評されていた。第1Q 26-13 前半終わって 38-20 第3Q終了時でも 46-33 だった。そして第4Q開始前にはTall Blacks は5名の選手が既にファールを3つ貰っていた。 それでも日本は逃げ切れなかった。Tall Blacks が24点取ったのに日本は9点しか挙げられなかった。 前回は衝撃の4位に入ったTall Blacks の世界ランクは16位(日本は25位) ショーン=マークス エド=ムックが出場辞退していた。しかしNCAA でプレーするブラッドショーを始めイタリア、ロシア、トルコ、イスラエルでプレーする選手もいる。またマーク=ディッケルがこの試合から薬物使用での出場停止が解禁される。(もう1試合休めよ。) 彼らもアンゴラに敗れて背水の陣でこの試合に臨んでいた事だろう。日本は歴史に名を残すチャンスを逸してしまった。しかし試合後、ニュージーランドのコーチ、タブ・ボールドウィンは日本代表を賞賛し、日本のプレイぶりを「勇ましい奮闘、彼らに同情する。私たちが救われたのは同じぐらいに勇敢だったからにすぎない」と評した。 選手達のショックは直ぐには拭いきれないだろう。しかし、頭を上げてくれ。年末にはアジア大会がカタールで、来年8月には徳島で五輪予選がある。前を向いてくれ。そして協会はバスケを取り巻く環境をもっと改善してくれ。サッカーの様にアジアでもトップクラスになれる世界を築いてくれ。それほどバスケを見続けてきた訳ではない自分がそう思うのだ。バスケファンはもっと願っていることだろう。 

対ドイツ 世界選手権ついに開幕 11点差負けは大会の展開を勇気付けた….
いよいよ開幕したバスケットの世界選手権。サッカーで言えばワールドカップ。それが日本で開催されているのに何故か盛り上がりと話題性に欠けるなぁ。 大会が始まる数日前に月間バスケットボール誌を購入した。バスケは“専門外”なので?こういう副読本を読んで予習しないと試合について行けない。だがこの月刊誌が実に簡潔にしかもこちらの知りたい事を載せてくれている。PG五十嵐は“小柄”に見えるが180cmもある。竹内兄弟は京都洛南高校出身。頑張れ同郷の星達。折茂、節政、古田は8年前の世界選手権経験者。2mを越える選手が4名いる。昔日本代表には岡山と言う228cmの選手がいたが、200cm選手が4人も揃うようになったのはいつ頃からだろう? サッカーのワールドカップ前に大会展望号がわんさと出版されたが、参考になるものは3冊も無かった。海外の WEB SITE で収集した情報の方がよっぽど。サッカーに関るマスコミはもう少しバスケを見習うべきだろう。
初戦の相手ドイツは世界ランク13位。欧州選手権は2位。東西ドイツ統一前は共にバスケットは列強ではなかった。五輪では西ドイツが地元開催のミュンヘン五輪で12位になり、東側諸国ボイコットのおかげで繰り上げ出場となったロス五輪で8位になっただけ。東ドイツは上背のある人材をバレーボールに集中させる為にバスケット国家代表は組まなかった。だからドイツがバスケと言ってもぴんと来なかった。しかし欧州でもプロ化が急激に進みバスケの Bundesliga や Champions League が興隆することにより前回大会では銅メダルを。その中心選手ダーク・ノビツキーは身長213cm ( Seven Footer と言うらしい。また勉強になった。)はNBAのDallas Mavericks 所属。日本も五十嵐のスピードで対抗したが、序盤、折茂武彦の3ポイントシュートで11-10まで迫ったが、ノビツキーの3ポイントシュートを皮切りに連続得点を重ね第1クォーター終了時点で34-20とドイツがリード。
ダーク・ノビツキーは第1クォーターにこの日の27得点のうち、20得点をあげた。 そして第2クォーター、アデモラ・オクラヤの2連続ゴールでドイツが38-20と日本を引き離す。残り55秒、46-32とリードしたところで、ノビツキーが交錯してベンチにさがると日本も挽回を始める圧巻は第3クォーターの残り34秒での竹内公輔のドライビング・ダンクで64-56の8点差に迫った瞬間。テレビ放映が始まり中継をするアナウンサーの開口一番 “日本中のバスケファンが広島に集まりました”と言う“名セリフ”を思い出し胸が熱くなる。そして解説者もしきりに“折茂があいています”と連呼し3ポイントを促す。 最終的に70-81 と11点差まで迫ったところで試合終了。第2Q 3Qだけを取れば日本がリードしたんだけどなぁ…強豪相手の11点差は今後に繋がったかもしれない。 続く

バスケットボールとのかかわり 世界バスケから

2006-08-24 | バスケ ハンド
バスケットボールとの関りは中学生の時に遡る。 バスケ部員の印象は“持久力がある”と言うことだった。 特に後にバスケ部の主将となったO君は中学1年のときに1500m 走を4分台で走った。しかもそのタイムは体育の授業での持久走の時間でのタイムトライアルでの記録だ。他にも持久走をすれば同学年で上位を占めるのはバスケ部でその中に野球部、サッカー部が1人、2人と顔を出す程度だった。当時私は水泳部員だった。室内プールなんて皆無に近い時代、冬場の練習は心肺機能を上げる為にひたすら走りこんでいた。そのせいか?中学2年の秋には私も持久走が早くなり、学年でもトップテンに顔を出すようになり、それがトップ5に入り、仕舞いには学年ナンバー2になった。こうなると負けず嫌いの私はO君のタイムを上回る事を目標にしたが、彼の記録には届かなかった。その後O君は地元の公立高校に進学しバスケを続け、大学は関西の名門、関西大学に進学しそこのバスケット部の主将を務めたらしい。私は大学では陸上競技を始め、種目は中距離走。ある時共通の友人からO君が“あいつは陸上を専門にしているからもう1500じゃ勝てないよ。”と言っていたと教えてもらい、本当に嬉しく思った事を思い出す。O君がバスケの世界でどれだけ名が通っていたかは判らない。高校時代は近畿大会まで行ったそうだ。残念ながらO君はバスケット選手としては身長が少し足らなかったかもしれない。私より少し低い170cmそこそこだったと思う。だが彼が陸上競技を専門にし、中距離走の練習を本格的に行えば、恐らく私よりも速くなっていただろう、と言う事は陸上選手としてもかなりのレベルだ。この私がインカレに出場したり実業団にまで行ったのだから。そして自分が陸上競技で頑張れたのも中学時代、飛びぬけた持久力を持っていたO君やバスケ部の連中を見たからだ。
また中学校時代の同学年の“マドンナ”もバスケ部だった。女の子の中では身長がすらりと高かったのを憶えている。私も幸運にも?3年の時に彼女と同じクラスになり、友人の多くが羨んだ。何度か彼女と話をした事があったが、今から考えれば彼女は完全に“大人”で私の精神年齢は子供であった。そして中学卒業後、高校や大学の友人に中学時代の卒業アルバムを見せると誰もが彼女を指差し“この娘がいちばん可愛いな”と言った。 

もう何年も前になるだろう、10年以上は経っていたか?社会人になり通勤で利用していた京浜東北線沿線にある看板が出ていた。“2001年ヤングメン 2006年男子バスケ世界選手権 埼玉で開催”と書かれていた。 私はこれは楽しみだと興奮したのを覚えている。直ぐに当時建設中(いやまだ着工前だったかな?)のさいたまアリーナで開催される事を調べあてた。 だが驚いた事に昔バスケをしていたと言う人に訊いてもその事を知る人は3人もいなかった。当時からバスケと言えばNBAで、NHK BSで NBA のゲームが放映されていた。そして日本代表に関する情報は専門誌以外では全く皆無に近い状態。それは1976年モントリオール五輪以降、男子はアジアの壁が28年間破れないと言う現状からか? 男子のサッカーがメキシゴ輪で銅メダルを勝ち取って以来次に五輪出場を果たしたのは28年後。その間の苦悩を私はよく憶えているが、日本のバスケファンも同じ思いをしている事だろう。 それでも1997年サウジアラビアで開催されたアジア選手権(Asia Basketball Championships ) ではグループリーグで韓国をそして準決勝ではサウジアラビアを破り、決勝では再び相対した韓国に敗れたものの 1983年香港大会以来の決勝進出で、1998年にアテネで開催された世界選手権に出場した。これは31年ぶりの快挙であった。私はこの大会を楽しみにしていたが知らない間に大会は始まり、知らない間に終わっていた。そして新聞の片隅に“日本31年ぶりの勝利”とセネガル戦での勝利が報道されていた。日本バスケット界のこんな快挙もマスコミは取り上げなかった、いや知らなかったのだ。 そして3年後の2001年さいたまアリーナで開催された22歳以下(ヤングメン)世界選手権。楽しみにしていた大会だがテレビ中継は全くされず。僅かにあるケーブルテレビで中継され、私は日本対韓国の試合を近所の上新電機で看ていた。試合は田臥勇太率いる日本が先行するが韓国もしつこく食い下がり終了直前に韓国が同点に追いついた。するとテレビ中継はそのまま“予定通り”終わり、日本代表の勝利を知ったのは翌日の朝刊であった。夜のスポーツニュースではこの大会自体すら報道しなかった。 
女子バスケは低迷する日本の球技界の中で結構頑張っているほうだ。1975年コロンビアで開催された世界選手権では当時ずば抜けた実力を兼ね備えていたソ連に次いで2位に入る快挙を。そして生井けい子が大会得点王に輝き、翌年のモントリオール五輪ではメダルが期待された。アメリカ、カナダを連覇し幸先の良いスタートを切ったが、エース生井が徹底的にマークされ続くブルガリア、チェコスロヴァキアそしてソ連に連敗5位に終わった。その後、世界選手権には出場を続けるものの、五輪出場の壁は厚く世間の関心から全く遠ざかっていたが、1996年のアトランタ五輪では大会出場枠が8カ国から12カ国に増えた事から、アジアでの出場枠が3に増やされた事も手伝い、アトランタ、アテネと出場権を得ている(シドニー大会はアジア枠は1。韓国が出場。)。
今のバスケットボール界を取り巻く環境を見ると、70年代から80年代末にかけての暗黒のサッカー界低迷の時代の様だ。それでも世界選手権や女子が五輪に出場している。なのに何故マスコミは8月19日から開催されている男子世界選手権を取り上げないのだろう? その最たる悪は日本バレーボール協会か?フジテレビか?同じ時期に何故グランドチャンピオン大会をぶつけてくるのか理解に苦しむ。しかも10月にはバレーボールは世界選手権があるんだろう?“グラチャン”で勝てば五輪に出場させてくれるのかい?? それとも球技はテレビ局の視聴率争いの代理戦争か??? 
TBSもこんな大きな大会の放映権を得たのに第三戦以降は深夜の中継録画だ。夏休み中とは言え、小学生、中学生のバスケ少年、少女達がこの大会をテレビで楽しめないなんて可愛そうだ。この大会はサッカーで言えばワールドカップに相当するのだ。日本バスケットボール界の将来の為に何とか“活用”できないものか?….. そんな環境を改善すべく、今大会日本代表には奮起してもらいたかったのだ…….. 続く

A3 Champions Cup ガンバ逃げ切る

2006-08-17 | Football Asia
後半に入っても立ち上がりから主導権を握るのはガンバだった。開始早々右からのFKに實好がヘッドで合わせる。そして54分にはアウベスがドリブル突破の個人技からあっさりとゴールを破り3点差としてしまった。後半開始から“加油! 加油!!“ と声援を送る大連サポーターは黙ってしまった。 
3失点目の直後、リン=レフォン大連実徳監督は、MF権磊に替えてFW登録の朱挺を投入し、これで全員が180cm以上の選手となった。この交替が功を奏したか2分後の57分に大連が1点を返す。パンチリッチが右サイドを突破し入れたクロスにヤンコビッチが合わせてシュート。ガンバGK松代が一旦は良くセーブをしたがそのこぼれ球を中国代表出場歴のあるFW鄒捷が押し込んだ。チャンスを作ったのは比較的ボールキープの出来る欧州勢であったが、ガンバが3点目を取ってからパンチリッチがポジションを下げてボールに絡む機会が増えていた。失点は喫したが、ガンバはこの後も攻勢を続ける。幡戸が連続して惜しいシュートを放ち続ける。幡戸は1999年日本ユース代表がナイジェリアで開催されたワールドユース大会で準優勝をした時のメンバーだ。しかし、この大会で幡戸の出場機会が少なかったのは足の故障が原因か、それとも監督が清雲からトルシエに替わったからか?前年のアジアユースでは自慢の俊足を生かして活躍をしたのだが。その後同世代の小野、高原、稲本、中田浩二、遠藤、小笠原とは水を空けられフル代表入りすら果たしていない。走るサッカーを目指すオシムジャパンの構想に入れるだろうか? だがこの時間帯もそうだが前半の2得点目以降の10分間にもあった好機を生かせなかった事がガンバに苦戦を招く。後半20分頃から大連が主導権を握り始める。王聖が積極的に右サイドを上がってきて起点になったりシュートに持ち込んだり。交替出場の鄒捷はボールキープが出来る。しかしシュートが下手だ。また大連DFからロングボールが両サイドから入れられ左サイドを交替出場の朱挺の上がりも顕著になる。その分ガンバがサイドの主導権を握られてしまった。そして71分、赤いスパイクを履いている趙旭日のスルーパスが王聖に渡りそのままゴールイン。大連サポーター達の気勢が大いにあがる。76分にはそれまでゲームメーカー的な役割をしていた張亜林に替えて閻嵩を入れ、ワントップに据えて2列目をヤンコビッチ、パンテリッチの外国人勢が占め、攻撃時には184cmの長身MF翟彦鵬が上がってくる。しかし80分には王聖を下げて劉成を入れてしまったので、攻撃が左サイド偏重になってしまった。それでも大連の波状攻撃が続く。84分にはパンチリッチの力強いドリブルからあげられたクロスに朱挺が飛び込むが身長で4cm劣る山口がしっかりと競ってシュートを枠から外させる。後方に陣取るおばぁさま達から”いいよ、山口。いつでもジェフに還っておいで。”と声が飛ぶ。86分にはスルーを受けた朱挺がフリーで撃つがGK松代がナイスセーブ。そして終了直前のペナルティーエリアから僅かに外側で得たFKのチャンスも、パンチリッチが直接狙うがまたもや松代が防ぎ何とかガンバが逃げ切った。あともう5分試合時間があれば大連に3点目が入っていたかもしれない。
この試合の宮本は出番が無かった。ワールドカップショックから立ち直れたかな?加地もプレー時間が短かった。
そして大連サポーター達はジェフサポーター達の拍手に送られて出口に向っていった。恐らく留学生達であろう、“ジェフ!がんばーれっ!!、ジェフ!がんばーれっ!!”と連呼しながら座席を立って行った。私も席を立って今度は反対側のゴール裏に向った.......

国立競技場にて A3 Champions Cup

2006-08-17 | Football Asia
かつて五輪予選やワールドカップ予選の殆ど、そして外国のクラブチームや代表チームが来日した際によく国際試合が開催された国立競技場。 今や横浜、埼玉を初め他の都市の方が近代的な競技場を持つようになり、サッカーの国際試合の開催数はすっかり減ってしまった。 しかし、天皇杯の決勝や全国高校サッカーの準決勝戦以上はここで開催され、“聖地”国立競技場のステータスは変らない。
90年代の初めまで“日本サッカー後援会”と言う会があり個人なら年間1口1万円支払えば、国際試合等日本サッカー協会の主催する試合を無料観戦出来た。 Jリーグ発足前の日本リーグ時代。国立競技場でもよく試合は開催され、1989年2月に今の川淵キャプテン、明石家さんまさんが音頭をとって“たのむさかい満員の国立で日本リーグの選手達に試合さしたってぇなぁ”と言うスローガンで無料券を大量放出し国立を満員にさせた事があった。そしてJSL最後の試合となった1992年4月の日産自動車対読売クラブの試合には少なくとも半分以上、3万人近くの観客動員があったと思う。今はもう何もしまなくても代表の試合であればここはほぼ満員になり、Jリーグの試合でも数万人単位の観客が動員される。
また“聖地”という面ではサッカーのみならず、陸上競技やラグビー等のメジャーな試合はここで開催される。
私も大学時代、2度インカレに出場したがそれは国立競技場で開催され、ここに試合観戦に来ると当時を思い出さずにいられない。 
先日(と言ってももう1週間以上前)開催された第4回A3チャンピオンズカップの観戦に久々に国立競技場を訪れた。日本リーグ時代からJリーグが発足し、何度も足を運んだ国立。しかし、客の入りは日本リーグ時代なみであった。その分、ゆったりとスペースが取れて、牧歌的な80年代のサッカーを懐古することが出来た。 
今回で4回目となるA3チャンピオンズカップ。参加クラブは大連実徳(中国) 蔚山現代(韓国)そしてガンバとジェフ。 日本勢は第1回大会で鹿島アントラーズが優勝以来、低迷が続いている。代表レベルではアジアでもトップだがクラブレベルではAFCチャンピオンズリーグでもさっぱりだ。問題は派遣チームの選出方法と大会への力の入れ方だ。 今シーズンはガンバ大阪と東京ヴェルディが出場したが、ヴェルディが天皇杯で優勝したのは実質2004年のシーズンだ。昨年は2部落ちするほどの低迷振り。今年の元日に天皇杯優勝の美酒を味わった浦和レッズのAFCチャンピオンズリーグ出場は来年まで待たねばならない。また我が愛する京都パープルサンガは天皇杯で優勝した時はこの大会には出場させて貰えなかった。
また大会への力のいれかたが中東勢とは比較にならない。彼らはオーナーの豊富な資金力を元に欧州のクラブで燻っている選手を大金で連れてくる。大会3連覇を狙うサウジアラビアのアル=イテハードはボルトン所属のメキシコ代表のエースストライカー、ハレド=ボルヘッティの獲得交渉を始めている。ただボルヘッティは先のワールドカップでは不調で出場試合は2試合(イラン戦、アルゼンチン戦)でノーゴール。そして戒律の厳しい酒も飲めないサウジで陽気なメキシカンが生活に馴染めるかな?
第一試合はガンバ大阪対大連実徳。 大連こそ中国で最もサッカーの盛んな街と地元の人は豪語するが、外れてはいないらしい。 1989年横浜スタジアムで当時のJSLチーム、全日空が大連選抜と親善試合を行ったのと観戦に言った事がある。全日空には前田、モネールそして現五輪監督の反町がいた。大連市のある遼寧省からはこの年のワールドカップ予選には6人の代表選手を輩出していた。特徴は身長が高い事だった。そしてプレーが激しく、試合終盤にはモネール、ピッコリといったアルゼンチン選手と激しくやりあっていた。中国Cリーグ優勝8回を誇る大連実徳も特徴は体格とスピード。身長180cm以上の選手が並ぶ。それでも五輪代表候補の劉宇は8月7日北京で行われた日本との試合に備えて来日していなかった。その五輪チームの賣秀全監督はかつてこの日の対戦相手ガンバ大阪に所属していた。なんだか歴史と言うか巡り合わせを感じる。そして今年のAFCチャンピオンズリーグではこの両者は同じグループで対戦をしておりガンバはホームで勝ったが ( 3-0 ) アウェィでは破れている ( 0-2 ) そしてこのグループから準々決勝に進出したのは韓国の全北モータースだった。
試合は開始からガンバペース。左から家長、幡戸がチャンスを作る。7分にはアウベスがシュート、11分には遠藤のシュートがバーに当たるがいずれも左の崩しから。7月29日の2-2で引分けた福岡戦からDF宮本、MF加地のワールドカップ出場組それに二川が外れてベンチだ。その分ワールドカップで出番の無かった遠藤が張り切っているようだ。そしてあっさりと先制点がガンバに生まれた。ペナルティエリアからやや出た右サイドの位置で得たFKを家長が入れると山口智がドンピシャでヘディングしそのままゴール。大連のDF陣は全員が184cm以上だが177cmの山口にあっさりと合わされてしまった。更に2分後右サイドを家長が突破し上げたクロスにアウベスが頭で合わせて追加点。大連の選手の動きが悪いのか?ガンバの動きが早いのか?25分には遠藤のパスを受けた家長がダイレクトで中に入れて幡戸が頭で狙うがこれはGK正面。昨年のワールドユースでもいいプレーを見せた家長の今後に期待を抱かせる動きだ。でもU-21 の北京遠征には選ばれなくていいのかな?“ガンバの14番(家長)とのマッチアップを楽しみにしている”と大会プログラムに述べていた王聖は家長を捕まえ切れない。26分に大連はようやくFKからそのリバウンドを張耀坤がヘッドで狙い、ファミリー席に陣取った大連サポーターを沸かせた。張耀坤は4月のAFCチャンピオンズリーグのガンバ戦で得点を決めた選手だ。大連の先発メンバーはMF権磊以外は全て身長180cm以上。一方のガンバはシジクレイが187cmで他は180cm未満の選手ばかりだ。大連はもっと高さを生かせばと思うが、その前に起点となる選手が見当たらない。大連にもブルガリア人MFヤンコビッチ、セヴィリア人FWのバンテリッチといった外国人がおり、彼らはボールキープ力はあるのだがその後、他の選手の寄せや動きが皆無なのでそこから先に繋がらない。その後もガンバの攻勢は続き、27分にアグベスが速攻に入ると振り切られた趙旭日がたまらずジャージを引っ張りファウル。そのFKを遠藤が直接狙うがわずかにポストの上。34分には寺田からボールを受けた幡戸が俊足を生かしてドリブルシュートを放つなどガンバサポーター達の歓声があがるシーンが続く。かれらはこの試合のために関西から来たのかな?次の試合は見て帰るのかな?そしてそのままスコアは動かず前半が終わった。私はこの試合は第二試合でジェフのホーム側と自由席のバックスタンドで観戦していた。既に数十人のジェフサポーター達がこの試合を観戦しており、私の後ろには初老のおばぁさん2人組が熱心に試合を見ていた。訊けばジェフのサポーターらしく、同じ年代のお友達も後で合流するとの事。彼女達の選手達の見る目は“孫の活躍を見守る目”の様に見られ、これも地域密着をモットーとしたJリーグの理念が根付いたその結果かもしれない。ハーフタイム中に大連のサポーター達がこちらのゴール裏席に大挙してやって来た。そしてゴールの真後ろに陣取ろうとするのだがそこには先乗りで来ていたジェフのサポーター達数人がいた。そこで日本語を話す大連のサポーターと協議をし、ジェフサポーターのリーダーと思しき人が“この試合終了までここを大連のサポーターに使ってもらいますから場所を空けてください。彼らは試合後すみやかにここを空けてくれることを約束してくれました。”と拡声器で場所を一時譲る事を承諾した事、そして場所を空ける事を他のサポーター達に要請した。大連のサポーター達と黄色のレプリカを着たジェフのサポーター達が握手をしたり一緒に写真を撮影したりしている。すばらしい日中友好のシーンだ。大連サポーターに訊いたら半分くらいは大連からやってきた留学生で日本語も流暢だ。後ろのおばぁさん達も“場所を貸してあげるから次のジェフの試合には負けて貰う様にお願いしないと。”と笑いながら言っておられる。私はいつか中国の国内リーグを観戦したいと思っている。きっと多くの観客で地元チームのチャンスには独特の“うぉぉぉぉ~っ”と言う歓声が湧き上がるだろう。そんな雰囲気を見てみたいと思っていた。しかし、上海から来日している知人に訊くと“中国の国内リーグは一時八百長が横行しており多くの選手がそれに関わっていた。それに連座していた選手が今もプレーしている。だから試合を見に行く人は激減している”と教えてくれた。2年後の北京五輪のサッカーについても“選手達は自分を亀田の様に思っている。”と比喩する。それは“自分は何でも出来ると思っている。ボクシングからそれでもかまわないがサッカーはそうはいかない。だからばらばらだ。”と。選手達のコメントから聞こえてくる言葉の端々からそういうニュアンスが受け取れるのはさすがネィティブだ。これくらい中国語を私も理解できれば、もっと人生も開けてくるだろうに...... 

さいたまシティカップ 憧れのバイエルン その2

2006-08-14 | EURO Football
バイエルンの選手達は前日の朝に成田に到着したらしい。そしてその足でカーン等数人の選手は駒場競技場でのサッカースクールに参加した。到着直後に時差になれるのとコンディショニングの為にすぐに身体を動かす事は海外のチームは必ずと言って良いほど行う。しかし、カーンを初めこのスクールに参加してくれた選手には本当に感謝すべきだ。
バイエルンサポーターから見ればこの試合の見所は1FC Köln から移籍してきてチームデビューとなるポドルスキーのプレーだっただろう。試合開始からバイエルンはテンポ良く攻め、29分にはネネのファウルで得たFKからフリーでヘッド、36分にも惜しいシュートを放った。そして元オランダ代表のロイ=マカイーも前半は3度(25分、31分、37分)にあわやというシュートを放った。31歳のマカーイ。ワールドカップには残念ながら選ばれなかった。2年後の欧州選手権には代表復帰を目指すのかな? またGKカーンも見せ場を。30分、黒部のドリブルシュートを倒れこんで好捕。すると観客席からは大歓声が。試合前の練習で姿を現した時も拍手が送られ、右手を上げてこたえていた。38分にはカーンからのゴールキックを受けたバンニュイテンがダイレクトで戻したボールがゴールに転がり込んだが、これは“ペナルティーエリアを出ていないのでノーゴール”。なかなか魅せてくれる。 一方の浦和レッズ。二日前に酷暑の甲府で何とか 1-1 と引分。甲府戦スタメンのGK山岸を始め、闘莉王、平井、長谷部、田中達也が外れている。“闘莉王はいないけどネネがいますね。わざわざミュンヘンから来ていただいている選手に怪我をさせなければ良いのですが。”とIさんが言う。“そうですね。替わりに浦和の選手を貸しますからなんて言っても受けてくれないでしょうね。” しかし、さすがと唸らせたのは小野伸二だ。シュバインシュタイガー、オードルに囲まれてもボールをキープしたり、ワンタッチでパスを出したり。圧巻は12分。中盤でボールを受けてドリブルで突破。1人残ったバイエルンDFもかわしてフリーではなったシュートはポストを叩いてしまった。小野は前半で下がったが彼のワールドクラスのプレーにバイエルンフロントも獲得を考えてくれたかな?バイエルンは日本市場のマーケティングも考えて日本選手の獲得を考えていた時期があった。一時はガンバと言うよりも代表のDF宮本の名前も上がったらしい。しかし、アジアからスカウトする選手はカリミを始めイランの選手ばかり。小野なんかいい仕事すると思うんだけど。ただし怪我さえなければ。ワールドカップではわずか11分しかプレー時間がなく、自身3回出場したワールドカップでは最短のプレー時間に甘んじた小野伸二。レッズサポーターはいかに思うかわからないがもう一度欧州でプレーして欲しいものだが。だがこの試合は、後半に小野が下がってからの方がレッズはチャンスを掴む。小野がいるとどうしても彼を頼って中に、中にボールが集ってしまうが、小野が抜けた事によってサイドにボールが散るようになった。ただこの日の小野のポジションがFWだったのでそうなったのかも。特にこの日スタメンの岡野は右サイドをよく疾走する。また左サイドは相馬がチャンスを作る。75分には近藤のヘッドを演出するクロスを送れば、79分にはダイレクトパスから抜け出してシュートを放つ。相対する19歳のバイエルンユース所属のフェルストナーは後方から警告タックルで止めるしかない。それでもシュートシーンはバイエルンが多く演出する。特に浦和の右サイドをシュバインシュタイガー、ラームそして後半から投入されたパラグアイ代表のサンタクルスが仕掛けてくる。岡野も守備に腐心し前に出られない時間が続く。だがGK山岸の好セーブもあり得点は許さない。“このまま親善試合らしく 0-0 で終わりますかね?”Iさんが言う。まださいたまシティカップで無得点試合は無いが、このままだとレッズは前回に続いて2試合連続完封を喫する事になる。 レッズサポーターからは次第にボルテージが上がる。 そして89分。左からのバイエルンのクリアーボールが右サイドにいた岡野に渡ってしまう。岡野の前にはシュバインシュタイガーがいたがそなままドリブルでシュバインシュタイガーを振り切りクロスを入れると中にはフリーの黒部がそのまま頭で押し込んでレッズサポーターの陣取る前で先制点を挙げた。“黒部、初ゴールじゃないですか?”Iさんが教えてくれた。“そうですねぇ。使わないんだったら我が京都パープルサンガに返してくれませんかね?” 黒部のゴールもそうだったが、ワールドカップ開始前に加地を怪我させたシュバインシュタイガーを振り切ってクロスを上げた岡野のドリブルも痛快だった。だが黒部の様子を見るとあまり嬉しそうでは。チーム内では浮いているのかな?だったらサンガに帰って来いよ、と本気で思う。

試合後ブッフバルト監督の“この時期にこれだけのワールドクラスの選手を従えて来日し、プレーをしてくれたBayern Münchenに感謝する。”“欧州でも最高のクラス選手達を相手に勝利できたことをうれしく思う。”というコメントはバイエルンのホームページにも掲載されていた。またマガト監督の“後半に入って能力では劣る浦和の選手達が元気付いてしまった。我々は前線で動ける選手がいなかった。この試合の結果は妥当なものだ。”と述べたのも同じくホームページに掲載されていた。Bayern Münchenの選手達は試合後そのまま成田空港に向かい帰国し、Bundesliga Cup の Schalke 04 戦に臨んだらしい。
昔は今回のバイエルンの様な日程で来日したクラブチーム相手にしても日本代表でさえ勝てなかった試合がいくつもあった。それが今や1クラブチーム単独でも互角以上の勝負を行えるようになった。1977年に 1FC Köln が来日した際にバイスバイラー監督が“偶然”見た奥寺をそのままチームの傘下に入れてしまった。この試合でもそういった選手は見られたかもしれない。 だがBayern Münchenのホームページでは得点者を Masayuki Okano としている。 これはいけない早速抗議のメールを送らねば......

さいたまシティカップ 憧れのバイエルン その1

2006-08-14 | EURO Football
7月31日。さいたまスタジアム2002 にさいたまシティカップを観戦に出掛けた。今年で4回目のこの試合。フェイエノールト、インテル=ミラノ、バルセロナに続いて今回は憧れのBayern Münchenを迎えた。今から31年前、1975年1月にBayern Münchenは初来日。シュバルツェンベック、ゲルハルト=ミュラー、若き日のカールハインツ=ルンメニンゲそしてベッケンバウアーらが日本代表と2試合を行った。当初の噂では半年前にワールドカップで優勝した西ドイツ代表が来日するとの事であったらしい。それはワールドカップ期間中に日本代表が西ドイツに遠征しその際に西ドイツ代表の来日が非公式に発表されたのが根拠らしい。それがBayern Münchenになったのだが、UEFA Chamipons Cup でアヤックスの4連覇を阻んで優勝したBayern Münchenの来日は当時の世界でのサッカーでの力関係を考えれば大変な企画であった事が後になって解った。 当時の日本代表は釜本、永井、森、藤島、GK横山らがいた。森がドリブルで駆け上がったり、釜本のシュートが僅かに外れたり、誰かのシュートがあわやゴールインとまで行ったりと日本もチャンスが何度かあった。結果は2試合ともBayern Münchenが 1-0 での勝利。アナウンサーが“世界一のチーム相手に健闘しました。”と言っていたのを思い出す。しかし、後に会社の先輩に貸して頂いた当時のサッカー専門誌によると“ピッチコンディションは最悪で、それがBayern Münchenの最少得点に繋がった。日本の健闘もあったが力の差は歴然。この差を埋めないと世界では戦えない。”との総括。その差を縮めるのに20数年かかったのだ。そしてベッケンバウアーの当時の来日の最高の思いでは“婚約指輪とネックレスを紛失したがそれを日本のファンが届けてくれた事。”らしい。
2回目の来日は1990年1月。これはテレビ東京の開局25周年記念の行事であった。当時積極的に世界のサッカーを見せてくれたのはテレビ東京系列であり、今でも私は他の民放が争ってサッカー中継を行う事に違和感をしか覚えない。この時はワールドカップイタリア大会を半年後に控えていた。Bayern Münchenにはシュテファン=ロイター、ユルゲン=コーラー、クラウス=アウゲンターラー、ライモント=アウマン、ハンス=プリュクラー、オラフ=トーンの西ドイツ代表組、それからソウル五輪メンバーのフランク=ミルがいた。対戦したのは日本リーグ選抜。木村和司、ラモス、金田稔喜、岡田武史らがメンバーにいた。当時の日本リーグは三浦カズが帰国する直前で、加茂周監督率いる日産自動車の全盛期。残念だったのはその日産の得点源レナト(後に柏レイソルの創設期に移籍)が怪我で参加できなかった事だった。 この試合、私は国立競技場に観戦に行った。観客の入りは半分以下だった。初来日時は超満員になったのに。試合は開始直後はバイエルンの選手も舐めていたのかあまり強く前に出てこなかったが、木村和がFKを直接狙いそれがクロスバーを直撃すると彼らも目の色が変わったのがプレーを見ていて解った。したそれでもラモスと木村和のコンビは、もう十年以上も共にプレーしているみたいで、ダイレクトで浮き球のワンツーで抜けたり、トリッキーなパス交換でバイエルンのDF陣を幻惑。先制ゴールは木村和がドリブルで持ち込んで相手DFをかわしてのものだった。その瞬間私は大声で“ナイス、シューッッッッッッッッ”と叫んだ。その後も後にレッズでプレーした田口のシュートがポストを直撃するなどチャンスを作った。1970年代、日本代表が低迷している時、外国のチームを呼んで日本代表と並んでJSL選抜との試合も組んだりしていた。そこには代表を引退していた釜本を初め、ラモス、ジョージ=与那城、ジャイールらブラジル人選手。小見などテクニックの高い選手が並び、大変魅力的な試合を繰り広げた。特に釜本のゴールで 1-1 と引分けた、ニースケンス、ベッケンバウアーを擁したニューヨーク=コスモスとの試合は圧巻だった。 それを思い出させた試合でもあった。しかし結局後半2得点を入れたBayern Münchenが逆転勝ち。 そのシーズンBayern Münchenは Champions Cup の準決勝まで進み、全盛期の AC Milan に 破れたが欧州でも屈指の強豪であることは間違いなかった。 
以降、欧州チャンピオンになり TOYOTA CUP で来日。そして夏の興行で何度か来日しているが、私はまだ日本がアジアレベルでも発展途上時期にあった70年代と90年初めの来日の方がずっと印象的だ。
16:30 から始まった“前座”試合のOB戦はBayern Münchenが余裕の 4-1 の勝利であった。私はむしろこの試合を楽しいみにしていた。しかし、というかやっぱりと言うか、ベッケンバウアーはいなかった。一緒に観戦したIさんに“3回目の奥さんとの新婚旅行とちゃいますか?30歳年下やもんなぁ。”と。そしてIさんは“ブッフバルト監督は怪我しているのでプレーしないらしいですよ。”と教えてくれた。相手のマガト監督は出るのに?でもマガト氏は現役時代はHSVハンブルグで欧州チャンピオンに輝いたのだから、バイエルンのOBとはなぁ?。試合前にBayern Münchenのホームページを覗いて見ると、けっこうこのOBチームは欧州でこういった Exhibition Game を行っているらしい。だがこの試合はGミュラーや問題児マリオ=バスラー(喧嘩別れして1999-2000のシーズンに出て行ったのによくOBチームに入れてもらえたなぁ?)と言った目玉選手は来日せず。それでもハンジ=ミュラー、ブレーメ、ルンメニンゲ、プリュグラーらは名を連ねていた。浦和の方は三菱重工、三菱自工世代の選手も多く登用しており、落合そして杉山隆一が起用されているのには泣けた。今でも杉山の様な俊足で正確なクロスを上げられる選手がいればなぁと思う。そして釜本の様な絶対的なストライカーも。 やがて日は暮れてきて“本番”のキックオフの時刻がやってくる。 観客の入りは約半分強(後の発表では29,000 人 過去最低の動員数) もう少し入ってあげても良いとおもうんだけどなぁ.......

6月22日 サムライブルーのフィナーレ その2

2006-08-13 | FIFA World Cup
中田英寿は前半終了後控え室に戻るときに何やら川口に話しかけていた。ワールドカップが終わって中田の引退番組を見た時にあれはロナウドに得点を許し、川口に“今のはキーパーだろ。”と言っていたシーンだった事が解った。この大会のヒデはどちらかと言うと守備面での貢献が非常に高い。この試合では彼の攻撃的な能力を見せてほしい。“あと2点必要ですか。”“えぇ。立ち上がりで交通事故的に1点取って。終了間際に偶発的にもう1点。てな事になりませんかねぇ。”地元のビールを飲みながらGさんと会話を交わす。キックオフ直後、さっそくカカーがミドルを撃ち、6分にはロナウジーニョのヒールパスをロナウドがダイレクトで撃つが外してくれた。まだツキはあるかも。前線で玉田の動きが良い。それだけにマークもしつこい。ニュルンベルグで隣に座ったグランパスサポーターの事を思い出す。そしてその話をGさんにもする。しかし、53分。セレソンはいとも簡単に追加点を奪う。ロナウジーニョから右サイドに大きなロブが送られる。これはゴールラインを割ったかに見えたがシシーニョが追いついて中に入れる。一旦は坪井がヘッドで左にクリアするがそれをコーナーフラッグの直前でロビーニョに拾われ、後ろのジウベルトに繋がれ、中に入れる。そこにはジュニーニョ=ペルカンブカーノが待ち構えており。そのまま狙い澄ましてミドルを炸裂さすとGK川口の正面を破ってゴールネットを揺らした。“川口とれないかなぁ?”“いやぁ、川口が取れなければ日本人は取れないですよ。”“これであと3点必要になったね。”“う~ん。厳しすぎるなぁ。”と言うよりも、これで事実上終わりだった。あと日本が3点取るなんて考えられない。でも不思議と悔しさは沸いてこない。56分に仲田浩二が小笠原に替わって投入される。そして中田英、中村が2列目に上がる。その直後に中田英がミドルを放つ。画面ではクロアチアが追加点を挙げ勝点4で2位に浮上した。59分にはロナウジーニョの大きな縦パスを受けたジウベルトがドリブルシュートを決めて3点目。もう試合の結果よりももう1点取ってくれないかと思う。ブラジル相手に2点以上奪うなんて過去何カ国あっただろう。60分には巻に替わって高原が投入される。“高原、今日はスタメンじゃなかったのか。”Gさんが呟く。Gさんおお店の前を数回通った高原。ハンブルグ在住の邦人達に愛された彼も大会後はハンブルグを後にする。“置き土産がほしいですね。” しかし、ブラジルの猛攻が続く。ロビーニョが放ったミドルは川口がセーブする。高原がファンと交錯して倒れて起き上がれない。担架で運び出される。大丈夫かな。もう交替枠は2人を使っている。一旦はピッチに入ったが、やはりダメ。大黒と交替してしまった。“なんだ、高原もう交代?”“えぇ、元々足に故障を持っていたから。”Gさんも残念そうだ。71分にはパレイラ監督はロナウジーニョ、カカーを下げてリカルジーニョ、ゼ・ロベルトを入れてきた。ロナウジーニョを下げてくれたので、何とか得点機をと思うが、この2人も強烈だ。スタンドからはやがてセレソンサポーターの“オーレ!オーレ!”から“オ~オォ~、ブラジル!!”の歌が始まる。1978年大会前にセレソンの応援歌としてリリースされ、1982年大会ではブラジルの試合ではテレビ音声から結構聞こえてきた御馴染みの歌だ。この歌の前で日本がワールドカップでプレーしている。何て幸せなんだろう。テレビに映し出される代表選手達に口には出さないがエールを送る。“どんどん行けよ。相手はセレソンだ。負けても恥じゃない。こんな機会は滅多にないぞ。”CKのチャンスの中澤が上がって来る。“中澤行けよ。見せてやれよ。”と心の中で叫ぶ。“俊輔、ドリブルで上がれよ。ヒデ、前だ、前。加地いいぞ、もっと勝負してやれ。玉田、あと20分弱だ。前線で掻き回してやれ。川口気にするな、次のシュートを抑えれば良いぞ。” 79分にオーストラリアが同点に追いつき勝点4で再び2位に浮上する。もう日本の2位はおろか、3位も無いだろう。そして81分にロナウドにとどめの4点目を入れられる。ロナウドはこれで完全に復調したかもしれない。日本が“育ての親”になってしまったようだ。そしてブラジルは最後の交替枠を使ってGKを替えた。“もう余裕だね。” この試合後もブラジルではサッカーが下手な人を“ジャポネーゼ”と言い続けるのだろうか? 85分、ブラジルゴール前でFKを得る。蹴るのは中村だ。“ここで1点欲しいですね。”“そうだね。最後に見せて欲しいね。”しかし我々の願いも空しく、俊輔のシュートはわずかにゴール右に数メートル外れる。そしてホイッスル。“あぁ。残念。終わったねぇ”“終わりましたね。”そして試合中継もあっさりと終わってしまった。今頃日本では延々と“ワールドカップを振り返って”とか“4年後に向けての課題は。”とテレビから聞こえて着ている事だろう。 結局ブラジルとの差なんてこの日の点差以上にあったのだ。それを発展の軌跡と言うのか?それとも途上段階と捉えるのか? “4年後も見に行くの?”“いや、南アフリカですから。それに日本も出られるか。” そんな話を少しGさんとした。時計の針はもう11時半だ。睡魔が急に襲ってきた。“どうぞ。お疲れでしょう?あちらのベッドで。” Gさんに挨拶をして、ベッドに潜り込む。あぁ、終わったんだなと思うがすぐに眠りに落ちてしまった。明日は帰国かぁ……

6月22日 サムライブルーのフィナーレ

2006-08-13 | FIFA World Cup
ハンブルグの AOLアリーナからGさんの寿司ティクアウェィ店に戻り、置かせてもらっていた荷物をピックアップし19日の夜に泊めて頂いたGさんの自宅に向う。 そして“お疲れでしょう。お風呂どうぞ”のお言葉に甘えて先の一風呂浴びさせて頂いた。本当に後で自分の厚かましさには呆れ、Gさんの心温まる歓待にはただただ頭が下がる思いだ。外はまだまだ明るいが時計の針は午後9時を少し回っている。夏時間を割り引いても午後8時。ハンブルグから遠く離れたドルトムントでは日本代表とブラジル代表の試合が始まっている。“日本戦、テレビでやっていますよ。どうぞ,どうぞ,ゆっくりしてください。私夕飯の準備を始めますから。”とGさんに教えて貰い早速テレビ観戦を始める。試合は既に5分ほど過ぎていた。幸運な事にまだ 0-0 のままだ。日本は玉田、巻が先発だ。コンディションの心配された中村もいる。出場停止の宮本に替わって坪井が起用されている。小笠原、加地がクロアチア戦に続いてスタメンだ。一方のブラジル。メンバーを落としてくれないかな?とロナウド、ロナウジーニョを探すが二人ともテレビに映っている。パレイラ監督は不振のロナウドを日本戦で使って調子を取り戻させようとしているのだろう。その為にはロナウド1人よりもロナウジーニョも居た方が効果的と言う事か?それに不安視されているファン、ルシオもそのまま出ているのも3試合連続完封させて決勝トーナメントに自信を付けさす為か? 7分にはさっそくロナウジーニョからロナウドにスルーが通り、坪井が振り切られシュートを撃たれるが川口がファインセーブで防ぐ。テレビのアナウンサーは“ヨシカツ=カワグチ。ユビロ=イワタ”と紹介。ドイツ語の Jubilo の発音はユビロとなる。9分にはロナウドが中田英をかわしてシュートを放つが上に外してくれた。11分には右サイドをロビーニョが突破しシュートを放つがまた川口がセーブ。セレソンはサイドバックのロベルト=カルロス、カフー、ディフェンシブ=ハーフのゼ・ロベルト、エメルソン。それからFWのアドリアーノをスタメンから落としている。それでも両サイドバックにはシシーニョ ( レアル・マドリード ) 、ジウベルト ( ヘルタ・ベルリン ) 、ボランチにはジュニーニョ=ベルナンブカーノ ( オリンピック・リヨン ) 、ジウベウト=シルバ ( アーセナル ) 。そしてFWはロビーニョ (レアル・マドリード ) これで控えなのだから王国の選手層の厚さを今更ながら認識させられる。でも日本の巻誠一郎だって頑張っている。13分にはインターセプトをするが足を取られる。でも彼のがむしゃらなプレーは共鳴を覚える。“いいぞ。どんどん行け。遠慮するな。”心の中で叫ぶ。15分には巻が頭で落としたのを中村が拾い加地に戻し、中の稲本へ。稲本がそのまま撃つが大きく枠を外す。その直後にはロナウジーニョ、カカと繋がれ最後はロビーニョに撃たれるが川口がセーブ。20分巻、小笠原そして玉田と繋がりシュートに持ち込むがGKジダが難なくキャッチ。21分にはロナウド、23分にはジュニーニョが連続して放ったシュートは川口がまたまたセーブで防ぐ。10年前のアトランタ五輪を思い出す。あの時は 1-0 で勝ったが今回は2点差勝利が必要だ。テレビ音声から日本のサポーターの大声援が聞こえてくる。今大会初めてのナイトゲームの日本はやはり動きが良い。クロアチア、オーストラリア、どちらかが炎天下の試合で無ければ結果はもっと違ったかもしれない。テレビの片隅にはたまにF組の順位が映し出される。クロアチアが勝点4で2位になっている。シュツッツガルトで行われているクロアチア対オーストラリア戦は 1-0 でクロアチアがリードしている。日本はまだ勝点2で4位のままだ。ボール支配率がJapan 40 Brazil 60 と映し出される。大波の様に押し寄せるセレソンの攻撃。防波堤は川口だけなのか?ここであるシーンを思い出した。1977年3月イスラエルのテルアビブで行われたイスラエルとのワールドカップ予選のダイジェストがNHKのニュースセンター9時と言う番組で紹介された。試合はホームで地力に優るイスラエルが徹頭徹尾攻め続けているがGK田口が必死でセーブをする。アナウンサーも“日本はゴールキーパー1人でやっている感じです。”と。あれから約30年。舞台はワールドカップ、相手はブラジル。日本サッカー界の進歩の跡だ。そして34分。日本サッカー界歴史的瞬間が訪れる。中田からボールを受けた玉田が稲本にはたき前線に。稲本は左の三都主に渡し、走りこんで来た玉田にスルーが通る。玉田は落ち着いてルッシォを振り切りそのままシュート。ボールはゴールネットを豪快に揺らし日本が先制ゴールを決めた。テレビ音声からは大歓声が聞こえてくる。アナウンサーは何やら早口言葉でまくし立てるが聞き取れるのはタマダ、とヤーパンのみ。“Gさん。入りましたよ。日本が先制しましたよ。”とキッチンのGさんに歴史的ゴールを教える。Gさんは小走りにやってきて映し出されるリプレイを食入る様に見る。ブラジルの失点は日韓大会の準々決勝イングランド戦以来5試合ぶり。日本にとっては本当に歴史的な得点だ。ワールドカップでブラジル相手にリードするなんて何十年も夢見た、いや夢にも出て来ないシーンだった。この時間の為に沢山に人が努力をしたのだ。 “でも、あと1点必要でしょ。”とGさんは冷静なコメント。そうだ。あと1点だ。 これでセレソンは本気になったかパス回しが早くなった様だ。そして画面の片隅にJapan が勝点4で3位に上がってきた。あと1点取ってシュツッツガルトがそのままならば2位に上がる。予感はあった。稲本から巻におしいスルーが渡れば、右サイド加地の突破をジウベルトがファールで止める。その中村から放たれたFKに巻が飛び出して頭に当てるがオフサイド。そしてロスタイムが1分と表示される。何とかこのまま後半を迎えたい、と願う。そしてロナウジーニョが日本ゴールに上がると右のシシーニョに浮き球のパスを。それをシシーニョがヘッドで中に入れ、ロナウドがそのまま頭で押し込み同点ゴールを喫してしまった。スロービデオを見ているみたいだった。Gさんが夕飯の準備を終えてキッチンを出て来る。“今追いつかれましたよ。”と言うと選手達が控え室に吸い込まれていくシーンが映し出される。“あぁ前半が終わったのですか?”“そうです。あと10秒くらいでしたかね。” 本当にあと十数秒だった。この十数秒を埋める為に更に積み重ねが必要なのだろう。 Gさんが丹精を込めてこしらえてくれた夕飯に舌鼓を打ちながら、色々な話をする。今のお店を立ち上げたのはワールドカップ日韓大会終了後から。ドイツ大会のワールドカップも楽しみにしておられたけど過ぎてしまえば本当に早いものと言っておられた。この時勢でまた次の大会がやってくるのでしょうとも。その時に開設間近の2店舗目が更に発展している事を願う。テレビ画面では選手達が出て来た。日本のテレビ局は兎に角しつこい、というかうるさい、と言うか。このドイツのシンプルさを見習って欲しい。画面の片隅にはオーストラリアが勝点4で2位となっている。38分に同点に追いついたのだ。日本は再び勝点2で最下位となっている。こうなるとオーストラリア戦の3失点目が重くのしかかってくる。中田英が右手に前半は巻いていなかったバンテージを巻いていた.....続く

韓明淑首相 ご乱心めされるな。

2006-08-08 | Football Asia

「日本のせいでアジアには多くの“めぐみさん”がいる」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/05/20060805000019.html

韓明淑(ハン・ミョンスク)首相は3日、ソウル政府総合庁舎で行われた日本経済新聞との単独インタビューを行った。韓首相は横田めぐみさんをはじめとする北朝鮮による日本人拉致問題について、「日本の関心と努力を十分に理解している。アジアには今でも(従軍慰安婦など)過去の日本の行為によって本人の意志とは関係なく強制的に動員された数多くの“めぐみさん”がいる」と話したと、日本経済新聞は報じた。

8月4日付けの日本経済新聞朝刊にこのインタビュー記事が掲載されていた。 この韓明淑(ハン・ミョンスク)首相は62歳。終戦前に平壌で生まれたと女性首相だ。朴正熙時代は女性人権、民主化運動を展開したことから2年間投獄されたことも。金大中政権下では初代女性相、廬武鉉政権下では環境相を努め、今年の4月20日に首相に就任した。政暦を見ただけでも左翼傾向にあると人目で判る。この御時世でも北とは“宥和政策”を堅持する姿勢を打ち出し、米韓(韓米)関係も“調整可能”と。廬武鉉大統領が9月に訪米する事も明らかにした。(その時はイチローのサインボールでも上げればいいか?) 相変わらず竹島問題に触れ靖国参拝“問題”と内政に干渉する“姿勢”を見せている。 これが無ければ韓国では国会議員ではいてられないのであろう。首相就任までは日韓(韓日)議員連盟の副会長を務めるなど与党“ウリ党”内では“知日派”で通っているらしい。それは名門梨花女子大を卒業後、これまた名門御茶ノ水大学に留学経験があるからか?留学時代は年齢からすると1960年代終盤から1970年代初期の恐らくニクソンドルショックそして石油ショック以前の好景気の時期。さぞ日韓の庶民的、経済的なインフラなどの差を目の当りにした事だろう。
まぁ朝鮮半島内の問題は南北当事者同士でやって頂くとして、拉致問題と従軍慰安婦“問題”を同レベルで見るなど聞き捨てならない。 現代の韓国人女性達の多くは従軍慰安婦は日帝が韓国女性、中国女性をさらって来て日本軍人にあてがったものだと思い込んでいるらしい。慰安婦の中に日本女性が“いること”を知らなかった人もいる。それに本人の意思と関係なく“動員” 慰安婦はいるのか?確かに悪徳口入屋(就職を斡旋する人)によってだまされて戦場に行かされた人、借金の肩に取られた娘達もいただろう。だが国家ぐるみで慰安婦を強制動員したことなんて何の歴史史料も無く、それを日本の拉致問題と同等に扱うなんて怒り以外の何物も沸いてこない。 日本の政治指導部の歴史認識が“正しい”方向に変われば来日も“検討”出来るらしいが、日本からすれば別に来て頂く必要はございません。 平壌生まれで北朝鮮に思い入れがあるのはわかるが、首相ならば“融和政策”や“宥和政策”ばかり推進しないで離散家族や韓国の拉致家族の救助でも考えた方がいいのではないかな? 我々は別に首相の来日は望まない。李承や崔志宇といった人たちに来て頂きたいものであります。 

灼熱の8月 台風来る

2006-08-08 | プロ野球
8月に入り連日の猛暑が続き、私の秘密の“かぶとむしの里”でも連日元気なかぶとむしが採集できるようになった。今年は既に12匹捕まえたがどうもメスが少なく、なかなか男女のバランスが取れない。男子校出身の私としてはオス達の気持ちは良く解る。ここは何とかメスを重点的に採集せねばと思う。最終的な目標は自宅での繁殖だが今年はその念願かなってようやく一匹オスかぶとむしの孵化に成功した。子供と共に喜ぶが家内は“そんなの外から飛んできたか、あんた達の数え間違いでしょ。”とそっけない。今年こそ大規模な繁殖に結び付ける元気な女の子(かぶとむし)を採集せねばと思いきや三つの台風が太平洋上で発生しそのトップを切って台風7号が関東地方を直撃するとか??? 夏と言えばナイター見物にナイター中継に高校野球と子供の時は相場が決まっていた。我が愛するジャイアンツは4月のスタートダッシュはどこえやら、横浜と最下位を争うと言う低迷ぶり。小久保を始め主力の戦線離脱が原因だが、若手育成を怠ったツケが今季もおおきくのしかかる。そんな中一人気を吐くのが李承。8月7日終了時点で出場試合数100 、ホームラン35本はダントツで1位、打率.326 は2位、打点75点で3位.。 彼が居なければジャイアンツはどうなっていただろう? この6試合(阪神3連戦、横浜3連戦 ) では22打数8安打9打点4本塁打。何とか最下位に転落しないのは 李承のおかげとしか言えない。 先日の阪神戦では日韓通算400号をち、KBOのお偉方も来日して表彰を受けた。韓国のマスコミの喜び様も想像通りか?朝鮮日報より下記の記事を拾ってみた。

イ・スンヨプは本当にチャンスに弱いのか? 
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/05/20060805000017.html
3日現在、ホームラン34本、得点76点、塁打数248塁打、長打率6割7分と4部門でトップ、打率3割3分で2位、打点72点で4位、出塁率3割9分で5位。
今季日本プロ野球の個人タイトルを総なめにしているといっても過言ではないほど目覚しい活躍をしている読売ジャイアンツの4番イ・スンヨプ。イ・スンヨプは「チャンスに弱い」「球場が狭いのでホームランが多い」「左投手に弱い」という批判をたゆまぬ努力で克服してきた。

◆左投手に弱い? 
一般的に左打者は左投手に弱いというのが定説。昨年まではこの「左対左の法則」がイ・スンヨプにも当てはまった。昨年イ・スンヨプは右投手を相手に2割7分3厘の打率を記録したが、左投手には2割1分6厘と苦手にしていた。30本のホームランのうち、左投手から記録したホームランはわずか4本だった。だが、今季34本のホームランのうち、13本を左投手から記録している。対左投手の打率も3割5分2厘(145打数51安打)と対右投手の打率(0.316、225打数71安打)よりはるかに高い。

◆東京ドーム効果が大きい? 
イ・スンヨプは今季、本拠地東京ドームで20本のホームランを記録している。東京ドームは風がなく、湿度が低いことから、空気抵抗が少なく、打球が良く伸びるのは事実。しかしそうだとしても、イ・スンヨプのホームランの飛距離に注目すれば、事情は変わる。イ・スンヨプの34本のホームランの平均飛距離は123.4メートル。これだけの飛距離ならば、どこの球場でもホームランだ。6月3日東京ドームでの西武戦で放ったホームランはライトスタンドの看板を直撃する150メートル級の特大アーチだった。

◆チャンスに弱い? 
イ・スンヨプの打率は走者がいる場合、3割4分1厘と、いない場合の3割2分より高かった。得点圏打率は3割9厘。ホームランは走者がいない場合(21本)が多かった。チャンスに弱いというよりは「チームプレーに徹している」と言ったほうが説得力がある。つまり、走者がいる場合は確立の低い一発よりもヒットを打つことに専念しており、走者がいない場合は思い切り良く一発を狙うということ。ホームランが飛び出す試合状況については、同点の状況6本、1点~2点リードされている状況9本、ダメ押し6本となっている。ホームランに比べ、打点が少ないのはそれだけ前の打者が出塁できていないということだ。

◆たゆまぬ努力の賜物 
イ・スンヨプは前述のように弱点がなかったわけではない。たゆまぬ努力を通じ、弱点を克服したにすぎない。試合後、相手投手の特徴を研究して配給パターンを予想し、球質とコースを予測するいわゆる“読み”が格段に向上した。初球での打率が5割6分3厘、ホームラン11本と多いのは相手投手の配給を事前に読んで、打席に入っている証拠。空振りがシーズン序盤に比べ、少なくなったのも、慣れないセ・リーグの投手の特徴をつかんだためだ。

上記の解説は珍しく的を得ている。本塁打の割りに打点が少ないのは高橋由伸や小久保の怪我での離脱、1,2番が発展途上の状態で彼の前になかなかランナーが出ないのがジャイアンツ低迷の原因の一つ。そして5番打者もいまいちなので勝負を避けられる事がある。野球は一人で勝てるものではない。だからこそ李承の打棒を生かすべく他の選手達の奮起が期待される。だけど今シーズンは誰が李承を「チャンスに弱い」「球場が狭いのでホームランが多い」「左投手に弱い」なんて言っていたっけ? 守備の点は指摘されていたけど??
そしてやっぱりと言うか、韓国のマスコミらしい記事が8月4日付けの朝鮮日報紙に。 

「日本球界はイ・スンヨプの活躍を認めざるを得ないだろう」
WBC韓国代表金寅植監督、イ・スンヨプの活躍に溜飲下げる
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/04/20060804000060.html

韓火の金寅植(キム・インシク)監督も読売ジャイアンツのイ・スンヨプに対してかなりご満悦な様子だ。何よりも日本特有の思い上がりを打ち砕けたことで溜飲を下げたらしい。
金監督3日、釜山ロッテとの試合前に「日本の選手より(ホームランを)10本も上回っているからには、彼らは何も言えはしないだろう」とコメントした。
2日までイ・スンヨプはホームラン34本で、中日のウッズ(25本)、横浜の村田(24本)に大きく水を開けている。後半戦に入りさらにその差を広げている。
金監督は「日本の野球がいくらプライドが高くても、イ・スンヨプの活躍に関しては認めざるを得ないだろう。日本人選手よりも10本も差をつけている選手を英雄視するのは当然」と語った。
金監督は「日本では相手が少しでも弱点を見せると見下す傾向がある。イ・スンヨプも現在のような調子じゃなかったらかなり軽く見られていたはず」と付け加えた。 金監督は続いて日本野球のプライドを打ち砕いたエピソードを紹介した。
2004年末、韓火の監督に就任した金監督は2軍選手団を率い、最終調整ため長崎に行った。そこで地元実業団チームの三菱重工長崎が練習試合を申し込んできた。実践練習でチームの実力を試してみたかった金監督はその申し込みを快諾したという。
実業団野球の強豪として知られる三菱重工長崎は、当時韓火のチェ・イルウォン投手コーチから「金泰均(キム・テギュン)、李机浩(イ・ボムホ)を除けば、全員2軍選手」という言葉を聞いて意気揚々としたらしい。
しかし、韓火は1回戦でキム・インチョルのホームランで逆転勝利を収め、2回戦も完勝した。韓国野球を甘く見た三菱重工長崎はプライドをズタズタにされ、その後は練習試合の申し込みもこなくなったという。
金監督は「彼らは相手が大したことなさそうに見えて得意になっていたようだが、2度も負けたのでおそらく相当傷ついたはず」とし、笑みをこぼした。
金監督としてはイ・スンヨプが日本人の鼻っ柱をへし折ってくれて、痛快極まりないといったところだ。

一度彼らは報知新聞を熟読したほうがいいだろう。今シーズンにはいって李承のバッティングにけちをつけた人間は皆無に等しい。 「日本では相手が少しでも弱点を見せると見下す傾向がある…..」 のコメントについて言いたい。WBCで韓国マスコミによって捏造されたイチローの”30年妄言“で発行部数を伸ばし、WBCで日本に敗れた後は意気消沈したかと思えば、メジャー開幕直後のイチローの不振を面白がる様に書き立て、イチローの打棒が復活し打率3割を大きく上回ると韓国人メジャー(3Aはメジャーじゃないか。)選手の事は一言も触れずに再び意気消沈。どちらが ” 相手が少しでも弱点を見せると見下す傾向がある “のだろう? 
韓国のマスコミ軍団に教えてあげよう。李承が来日時調子の出なかったのは明らかに君達のせいだ。李承の行くところに退去して着いてまわり、仕舞いには打撃練習の李承を追って打撃コーチの前に立ちはだかる。球団広報の再三の“練習の邪魔をしないで下さい。”の“依頼”もなんのその。紳士である李承はその地元マスコミの愚行をすっかり気に病み関係者に謝り倒していたのだ。 その心労さえ無ければ彼のマリーンズでの成績はもっと違ったものになっていただろう。 今シーズン、小関の前代未聞の“ベース踏み忘れ取り消し”で自分の本塁打を取り消され敗戦に繋がった試合後“小関先輩には気にしないで早く立ち直って欲しい”と言う掲揚されるべく彼の残したコメントも“海のむこうで”同胞のマスコミにこんな事を書かれてはかすんでしまうと思わないかぃ??シーズン前に原監督が“4番は李承に任せる”と公言しそれが李承の好調に繋がっている。原監督も“見下す傾向がある”と言えるのだろうか? 

だがこれらはあくまでもマスコミの発言、叙述。私は韓国の首相が信じられない?考えの持ち主であると言うと事が判った……