中田英寿は前半終了後控え室に戻るときに何やら川口に話しかけていた。ワールドカップが終わって中田の引退番組を見た時にあれはロナウドに得点を許し、川口に“今のはキーパーだろ。”と言っていたシーンだった事が解った。この大会のヒデはどちらかと言うと守備面での貢献が非常に高い。この試合では彼の攻撃的な能力を見せてほしい。“あと2点必要ですか。”“えぇ。立ち上がりで交通事故的に1点取って。終了間際に偶発的にもう1点。てな事になりませんかねぇ。”地元のビールを飲みながらGさんと会話を交わす。キックオフ直後、さっそくカカーがミドルを撃ち、6分にはロナウジーニョのヒールパスをロナウドがダイレクトで撃つが外してくれた。まだツキはあるかも。前線で玉田の動きが良い。それだけにマークもしつこい。ニュルンベルグで隣に座ったグランパスサポーターの事を思い出す。そしてその話をGさんにもする。しかし、53分。セレソンはいとも簡単に追加点を奪う。ロナウジーニョから右サイドに大きなロブが送られる。これはゴールラインを割ったかに見えたがシシーニョが追いついて中に入れる。一旦は坪井がヘッドで左にクリアするがそれをコーナーフラッグの直前でロビーニョに拾われ、後ろのジウベルトに繋がれ、中に入れる。そこにはジュニーニョ=ペルカンブカーノが待ち構えており。そのまま狙い澄ましてミドルを炸裂さすとGK川口の正面を破ってゴールネットを揺らした。“川口とれないかなぁ?”“いやぁ、川口が取れなければ日本人は取れないですよ。”“これであと3点必要になったね。”“う~ん。厳しすぎるなぁ。”と言うよりも、これで事実上終わりだった。あと日本が3点取るなんて考えられない。でも不思議と悔しさは沸いてこない。56分に仲田浩二が小笠原に替わって投入される。そして中田英、中村が2列目に上がる。その直後に中田英がミドルを放つ。画面ではクロアチアが追加点を挙げ勝点4で2位に浮上した。59分にはロナウジーニョの大きな縦パスを受けたジウベルトがドリブルシュートを決めて3点目。もう試合の結果よりももう1点取ってくれないかと思う。ブラジル相手に2点以上奪うなんて過去何カ国あっただろう。60分には巻に替わって高原が投入される。“高原、今日はスタメンじゃなかったのか。”Gさんが呟く。Gさんおお店の前を数回通った高原。ハンブルグ在住の邦人達に愛された彼も大会後はハンブルグを後にする。“置き土産がほしいですね。” しかし、ブラジルの猛攻が続く。ロビーニョが放ったミドルは川口がセーブする。高原がファンと交錯して倒れて起き上がれない。担架で運び出される。大丈夫かな。もう交替枠は2人を使っている。一旦はピッチに入ったが、やはりダメ。大黒と交替してしまった。“なんだ、高原もう交代?”“えぇ、元々足に故障を持っていたから。”Gさんも残念そうだ。71分にはパレイラ監督はロナウジーニョ、カカーを下げてリカルジーニョ、ゼ・ロベルトを入れてきた。ロナウジーニョを下げてくれたので、何とか得点機をと思うが、この2人も強烈だ。スタンドからはやがてセレソンサポーターの“オーレ!オーレ!”から“オ~オォ~、ブラジル!!”の歌が始まる。1978年大会前にセレソンの応援歌としてリリースされ、1982年大会ではブラジルの試合ではテレビ音声から結構聞こえてきた御馴染みの歌だ。この歌の前で日本がワールドカップでプレーしている。何て幸せなんだろう。テレビに映し出される代表選手達に口には出さないがエールを送る。“どんどん行けよ。相手はセレソンだ。負けても恥じゃない。こんな機会は滅多にないぞ。”CKのチャンスの中澤が上がって来る。“中澤行けよ。見せてやれよ。”と心の中で叫ぶ。“俊輔、ドリブルで上がれよ。ヒデ、前だ、前。加地いいぞ、もっと勝負してやれ。玉田、あと20分弱だ。前線で掻き回してやれ。川口気にするな、次のシュートを抑えれば良いぞ。” 79分にオーストラリアが同点に追いつき勝点4で再び2位に浮上する。もう日本の2位はおろか、3位も無いだろう。そして81分にロナウドにとどめの4点目を入れられる。ロナウドはこれで完全に復調したかもしれない。日本が“育ての親”になってしまったようだ。そしてブラジルは最後の交替枠を使ってGKを替えた。“もう余裕だね。” この試合後もブラジルではサッカーが下手な人を“ジャポネーゼ”と言い続けるのだろうか? 85分、ブラジルゴール前でFKを得る。蹴るのは中村だ。“ここで1点欲しいですね。”“そうだね。最後に見せて欲しいね。”しかし我々の願いも空しく、俊輔のシュートはわずかにゴール右に数メートル外れる。そしてホイッスル。“あぁ。残念。終わったねぇ”“終わりましたね。”そして試合中継もあっさりと終わってしまった。今頃日本では延々と“ワールドカップを振り返って”とか“4年後に向けての課題は。”とテレビから聞こえて着ている事だろう。 結局ブラジルとの差なんてこの日の点差以上にあったのだ。それを発展の軌跡と言うのか?それとも途上段階と捉えるのか? “4年後も見に行くの?”“いや、南アフリカですから。それに日本も出られるか。” そんな話を少しGさんとした。時計の針はもう11時半だ。睡魔が急に襲ってきた。“どうぞ。お疲れでしょう?あちらのベッドで。” Gさんに挨拶をして、ベッドに潜り込む。あぁ、終わったんだなと思うがすぐに眠りに落ちてしまった。明日は帰国かぁ……
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