Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Daiki Ito 札幌で快挙

2012-02-12 | 冬季五輪
1月29日。楽しみにしていた FIS World Cup Ski Jumping 札幌大会2日目のテレビ中継。2日目は中継は民放だった。
この日も前日に続いて HS134 。もう 70m 級、いやNormal Hill はやらないのかなぁ…と思った。

札幌の 70級、忘れもしない子供の時に見た札幌五輪の日の丸飛行隊の表彰台独占…あれを見て“俺もオリンピック選手になりたいなぁ…” と思った。 全然届かなかったけど。



あの 70m級は宮森シャンツェで行われ、そして90級がこのワールドカップでも使われた大倉山で開催された。その90m級ジャンプは確か学校が休みの日に行われ、トライアルから中継された。1回目で2位に着けた笠谷選手の2回目が待ち遠しくてたまらなかった。 優勝した70m級が行われた時は学校がありその快挙は帰宅してからニュースで知った。それだけに目の前で金メダルの瞬間が…と期待していた。しかし2回目は振るわず7位に沈みものすごくがっかりしたのを憶えている。

前日は1回目トップだった伊東。この日の1回目は前日第3位だったStoch Kamil ( Poland ) 115.3 , Peter Preva ( Slovenia ) 112.5に続いて 109.0 で3位だった。
Word Cup ポイント首位の Andreas Kofler ( Austria ) 105.8 は5位。Anders Bardal ( Norway ) 86.0は25位。Thomas Morgenstern ( Austria ) 101.6 は 6位だった。札幌の雪質は欧州と異なるのかワールドカップポイント上位陣は ポイントを伸ばせなかった。 100.0 を越えたのは7位の Rune Velta の100.2 までだった。前日は1回目上位18位までが100.0 を越えたがそれは Gate の違いがあったからかもしれない、と思ったら 28日は7,8番ゲートが使われ 29日は10,11 番ゲートが使われた。
28日は“ Large Hill でこれだけ低い位置から飛び出した事は記憶にない….” とテレビ解説者に云わしめる位置だったらしい。
それだけ大倉山シャンツェは難しいのかもしれない…
そして Kamikaze 葛西は33位で2回目に進めなかった。 長野五輪の英雄岡部も47位に終わった。葛西は1回目30位のKrzystof Mietus ( Poland ) とは5ポイント差。距離にして約 3m 差だった。しかし今後の奮起に期待したい、と思った。

2回目が始まり、1回目あまり良い風を貰えず16位に留まった Slovenia の Peter Prevc が 129.5m を飛んだ。しかも Window Compensationは僅か -9.1 だったのでトップに出て来た。前の週、Poland の Zakopane 大会では6位と4位に入った選手だ。
そしてその3人後に飛んだ竹内拓が128.5m を飛んだが残念ながら Prevc は抜けなかった。結局竹内はこの日は8位に終わったがいつ表彰台に立ってもおかしくない選手となったと原田解説員は連呼していいた。
1回目11位の Vegard Houkoe Sklett ( Norway ) が2回目に 131.5m を飛び Prevc を抜いてトップに。 
今シーズン前半は Continental Cup に出場をしていた選手。 Norway も人材に事欠かないなぁ…と思う。 
その後に飛んだ選手はなかなか距離を延ばせない.。1回目8位、前日 0.1pt 差で伊東に優勝を譲った Anders Bardal ( Norway) は2回目115m に終わりこの日は 14位に留まった。
1回目6位だった昨年のワールドカップ総合王者 Morgensternが登場した。昨日は16位に終わっているが2回目の跳躍次第では上位に食い込める。しかし向かい風僅か 0.79m の中 123.5m に留まりこの時点で4位。最終的に竹内に続く9位に終わった。 
そして1回目5位の現在ワールドカップポイントトップの Anders Kofler ( Austria ) が出て来た。1回目は向かい風 0.27m の中 122.5m に留まった。2回目も風はあまり良くなく向かい風 0.6m だったが 135m まで距離を伸ばし2人の審判員が飛型点 19.0 を出した。そしてこの前まで 220.8 で首位だった Sklett を抜いて 241.3 でトップに立った。 この風でここまで飛んでくるのか…
さすがだなぁ…と思う。
こうなると伊東を含めた残り4選手の心境はいかに…だ。 次に飛んだ Roman Koudelka ( Czech Rep. ) は気負ったか 129m 。総合ポイントも 220.8 で Kofler を抜けず、この時点で2位。最終成績は4位だった。 今シーズンはまだ表彰台に立っていない。チャンスだったんだけどなぁ…昨日も5位だった。
そして1回目3位の伊東大輝が登場した。 お起きた期待を受けての2回目のトライアル。 飛び出しはあまり高くは見えなかったがランディングバーンが近づけば近づくほどぐんぐん距離を伸ばす大飛行。 飛距離は Kofler の 135m を越して 137m 更に飛型点も4審判が 19.0 を出した。 案じられた Window Compensation を含めても合計134.7ポイント。総合 243.7 pt で Kofler を 2.4pt 上回り首位に就けた。この時点で表彰台も決まった。 



こうなったら不謹慎だけど続く2選手のジャンプは…と思ってしまう。 その願が通じたか?1回目2位の Richard Freitag ( Germany ) はK点越えがやっとの 120m 。もっと飛ぶかと思われたけど失速してしまい最終的に6位に終わった。前日も1回目5位に就けて2回目伸びずに8位に終わった。 前の週の Zakopane 大会では2日間とも2位だっただけに狙っていたんじゃないかなぁ….
そして1回目トップの Kamil Stoch がスタートに入る。 1月20日の Zakopane 大会初日で地元優勝を果たした。翌日は7位に終わったが。 12月3日 Lillehamer 大会で3位。 12月18日のスイス Engelberg 大会では2位。前日も伊東、 Bardal に続いて3位に入った実力者2週連続で優勝する為には、伊東を上回る為には1回目飛んだ131.5m よりも飛ばねばならない。その飛行は 130m を越えたが飛型点で4審判が 18.5 を出した。そして最終成績で….. 2位と出て伊東の連勝が決まった。
やった~。良かった~…と声を出して喜んだ。  札幌で2連勝。 あの笠谷選手でも出来なかった快挙だ。この二日間。なんて幸せな気分に浸れたのだろう…



札幌五輪以来ずっと興味を持ってジャンプを見続けて来た。 欧州勢に唯一対抗出来るのは日本勢かカナダの Horst Bulau くらいだった。ワールドカップ、世界選手権で上位に入ると日本が勝ったと言うよりも欧州勢を破ったと言う事が嬉しかった。勿論オリンピックでも。 
長野の栄光は翌年オーストリア Ramsauで開催された世界選手権 LH で表彰台を独占した事でピリオドが打たれた。
以降、2003年イタリア Vel Di Fiemme で開催された世界選手権にて Kamikaze 葛西が1人気を吐き L120, K95 でそれぞれ銅メダルを勝ち取った以外、五輪、世界選手権でのメダルは 2007年札幌大会、 2011年 Liberec 大会での Team Jump の銅メダルのみ。
ここ数年、世界のジャンプ界ではオーストリア勢とポーランドの Adam Malysz らがジャンプ界のハリーポッターことスイスの Simmon Ammann を追い掛ける、そこにドイツ勢、ノルウェー勢のかなから好調だった選手が“参戦” すると言った状況だった。
ワールドカップでは日本選手がたまに Top 10 に入ってくる事もあったが驚愕なのはかつての王国フィンランドの凋落。
トリノ五輪 NH で Hautamaeki が銅メダルを勝ち取って以来、目立った戦績は世界選手権札幌大会 HS134 で2位に入った Olli Harri くらいだ。
昨シーズンが終了し Malysz が引退した。 残念ながら札幌五輪 LH でWojciech Fortuna が勝ち取って以来の金メダルには手が届かなかった。 Simmon Ammann の壁は高かった。最後の地元 Zakopane でのワールドカップで Kofler, Ammann を抑えて優勝した時は嬉しかっただろう…。しかし彼の出現は Fortuna 以来30年間眠り続けていたポーランド Ski Jumping 界を掘り起こさせるものだった。そして五輪金メダルの夢は Kamil Stoch に託されている。



Simmon Ammann はバンクーバー五輪のシーズン以降また飛距離が落ちている。 目立ったのは 2011年 Osloでの世界選手権 HS134 で Schlirerenzauer , Morgenstern に次いで3位に入った事くらい。この時でも3位 Morgenstern とは30pt 以上も開けられた。 今年の札幌大会は参加しなかった。2010年大会は優勝を果たした…



今シーズンも強いのはオーストリア勢。 Kofler ( 1) Schlierenzauer ( 3 ) Morgenstern ( 4 ) らが上位に並ぶ。そして2位には Anders Bardal ( Norway ) が3強に食い込んでおり Norway 勢は11番目に Vegard-Haukoe Sklett が入っている。
5番目に Stoch ( Poland ) ドイツ勢 , Richard Freitag ( 6 ) Severin Freund ( 10 ) スロヴェニア勢 Robert Kranjec ( 8 ) Peter Prevc ( 13 )  チェコ勢 Roman Koudelka ( 9 ) Lukas Hlava ( 15 ) が。そして伊東は大会直前は10位だった。
今回の札幌大会ではTOP15 の中から3位の Schlierenzauer と 12位の Ammann 以外は全て参戦してくれた。

午後4時半にスタートした札幌大会の初日。3番目にベテランの岡部が登場した。飛距離は 112.5m . 33位に終わり6.8pt 差で2回目に進めなかった。 しかし Kamikaze 葛西は1回目に 126m を飛び 17位に入り、2回目のトライアルに進んだ。
39番目に飛んだ竹内拓は 110.5m 92.9pt とK点にも届かなかった。風が悪すぎた。この時点で18位。1回目は26位になり何とか2回目進出を決めた。
伊東の1人前の Prevc が 111.5m に留まり 35 位に沈み2回目に進めなかった。 ここまでのトップは何と10番目に飛んだ
Anders Fannemel ( Norway ) 。 131m 123.8pt の素晴らしい跳躍でこの前までトップだった同じ Norway の Andreas Stjernen を一気に 36.5 pt も上回ってしまった。 2人とも Continental Cup 転戦組で1月20日の札幌大会にも出場しそのままここの留まりワールドカップ挑戦権を得た。
Norway 勢の選手層の厚さが見られる。
しかし伊東は134m 123.9pt の大飛行で Fannemel を抜いてこの時点でトップに立つ。大倉山に大歓声が沸き上がる。久々に日本人選手がこの順番でトップに立ったのを見た。 出来ればこの順位のまま2回目に…と皆願っただろう。
その願いが通じたか?ワールドカップポイント TOP 10 の選手達は伊東どころか Fannemel の記録にも届かない。 46番 Stoch が 130m 122.0pt を飛んで Fannemel を抜くが伊東には届かない。 47番 Freitag は 137m の最長不倒を見せるが飛型が悪く3審判が 16.0 を出し、 Windows Compensation が -24.5pt で 119pt 5位に。 Window Compensation が無くてもぎりぎり伊東が上回っていたけど….
続く Morgenstern は反対に風を貰えず 114m 96.2pt で23位に沈む。 49番 Bardal は伊東と同じ 134m を飛び 19.0pt の飛型点も出たが Windows Compensation が -23.2pt 。得点は 122.0pt に減額され伊東、 Stoch そして Fannemel を上回れなかった。
そして1回目最後に登場したのは Anders Kofler 。昨年はここで優勝している。しかし今度は風を貰えず 117.5m 105.8pt 18位に沈み伊東の1回目トップが決まった。 それにしても大倉山の風を味方にするのは容易じゃないんだなぁ~と思った。



30人に絞られた2回目。5番目に早々と竹内が登場したがここは意地の大ジャンプ。 129.5m まで距離を伸ばし総合 211.0 でこの時点で文句なしのトップ。これが2本揃っておれば…と本人は悔やんだだろう。この日は18位に終わった。
しかし2年後のソチ五輪まで間に合わせてくれ。
竹内の3人後に Morgenstern が2回目に臨むがこれも 132.5m まで距離を伸ばし Window Compensation -13.0pt を含めても総合 213.3 で竹内を抜いた。しかし最終順位は16位。 
13番目に Kofler が登場する。向かい風 1.21m の中 129.5m の“本来”の跳躍を見せ 122.9 pt が追加され総合 228.7pt で当然の様に首位に立った。 最終的には9位。この日オーストリア勢では最高の成績だった。
16番目にKamikaze 葛西が大歓声に包まれてスタートラインに着く。 この時点でトップの Morgenstern を上回るには…と言うよりも1回目以上のジャンプを見せて上位にと留まる事を…と願うが 122.5m 104.4pt と1回目に届かない。総合 213.4pt で 0.1pt Morgenstern を上回ったが最終結果は15位。それでも今シーズンワールドカップ最高の成績で World Cup Point もゲットした。
以降の活躍を期待したい。
1回目の Top 10 がいよいよ出て来る。 この時点での 1等は Anders Kofler. 1回目9位の Sklett が何と 138.5m 133.2pt の素晴らしいジャンプを見せ総合246.1pt で Kofler を大きく引き離しこの時点で首位に。 やっぱりこのクラスは違うなぁ…と思わせられる。 しかし続く Severin Freund は104m 71.4pt の失敗ジャンプで27位に沈む。 1回目7位 114/7pt の Kranjec ( Slovenia ) は130m 123.8pt を飛ぶ。しかし総合 238.5pt で Sklett を上回れない。 Koudelka ( Czech ) も 130m 122.0pt の飛行を見せるが 240.0pt で Sklett に及ばない。 続く 1回目137m のFreitag は 128.5m と今一伸ばせず 235.4pt 。
そして1回目134m 4位の Bardel は135m 130.5pt のジャンプを見せ 252.2pt でトップに躍り出る。さすが実力者。今シーズンワールドカップは3勝している。 続く同じ Norway の Fannnel は 125.5m 113.9pt と伸びず、総合 237.7pt で7位に終わった。
しかし見事ワールドカップポイントをゲットした。 続く Stoch は風に恵まれない中 127m まで伸ばして来たが 120.6pt で総合 247.2pt で Bardal を上回れずこの時点で2位。最終順位は3位に。
そして最後に伊東大輝が登場する。 優勝する為には 123.8pt が必要だ。しかし Window Compensation が加算されるので何m 飛べばいいのか….風が結構強くなってきた。ここで地元の風が…と思うも風が強すぎて仕切り直しとなっていまった。
あぁ集中切らさずにいてくれれば..と思う。 あの時は、札幌五輪の時はもっとすごいプレッシャーだっただろうなぁ…..
仕切り直しの後、伊東のアプローチにから飛び出し 86.1km とスピードが表示される。距離は伸びて行きテレビに映し出される青色のラインに着地する。 微妙なところだ。 しばしの静寂の後大歓声が沸き上がり伊東の優勝が発表された。2回目は 130m 123.9pt 総合で Bardal をわずか 0.1pt 上回る 252.6pt で首位の座を守った…..あぁ、良かった。本当に良かった~。と思った。



見事な伊東の地元での2連勝だった。ここ数年低迷する日本ジャンプ界に光が差して来た。
今シーズンは札幌大会の前迄でも Garmisch-Partenkirchen , いわゆるジャンプ週間の1戦 HS140 で3位に入ったのをはじめ3度表彰台に立っている。札幌では2010年大会でも3位に入っていた。これまで何度も表彰台には立っていたが遂に頂点に立てた。それも2日連続で。
それは昨シーズンより導入されたルール変更にも寄与しているかのかもしれない。 Gate の位置と跳躍時の風の方向、風力によりポイントが加減される事となったが、もし初日の戦績にこの compensation が加減されていなければ伊東は 273.2pt となり134m/135m を飛んだ2位の Bardal の283.2pt、4位の Sklett ( 129/138.5m 280.5pt ) に及ばず3位と言う事となる。 
3位の Stoch は 259.6pt ( 130/127m ) は7位になるところであった。 
しかし2日目は Gate, Window Compensation を除いても伊東を含めた Top 5 は変わらなかった。 
今のところこの Compensation point は日本勢には“順風”となっている様だが、五輪前にまた変えられないか心配だ。

翌日、オーストリア、ドイツの新聞 WEB SITE を覗いて見ると写真付きで伊東を称える記事が並んでいた。




“3位に入った事は素晴らしい事だ。この日は素晴らしい大会だった。札幌で勝つには少し幸運が必要だけどここに遠征に来た甲斐は充分にあった。” Kofler はこの様に語った。そして“初日は少しアンラッキーだった。”と風の事も悔んでいた。それでも“ フォームはよくなって来ている。だから次の大会が楽しみだ。ここでの伊東はとても太刀打ちできる相手では無かった。”とも述べた。
オーストリア勢は2日間で表彰台に立ったのは2日目3位の Kofler だけだった。
それから初日3位の Poland の Kamil Stoch が2日目も2位に入り伊東と並んで連日表彰台に立った。

“素晴らしい週末だった。日本に来られてとても嬉しかった。ここで貴重なポイントを稼げたからだ。
この日(2日目)の出来は満足している。特に1回目のジャンプは。この日の競技は非常に拮抗していてハイレベルなものだった。“ この様に語っていた。

ドイツ紙の方では初日 8位に終わったRichard Freitag が3試合連続で表彰台に立てなかったことを報道。
“飛行距離からしてこの順位は妥当だろう。” Freitag 自身は語っている。1回目137mを飛んでいながら…とも書かれていた。 また、ベテラン Martin Schmidt が怪我の為に札幌遠征に参加出来なかった事も…

翌週イタリア Val di Fiemme で行われたワールドカップではオーストリア勢が奮起した。
札幌大会に参加しなかった Schlirerenzauer が初日で優勝を果たし、今シーズンワールドカップ個人戦5勝目を上げた。翌日は2位となったが表彰台は9回目だった。 初日は2位に Severin Freund ( ドイツ ) が入り Morgenstern が3位に入った。
翌日は 初日7位に終わったKamil Stoch が優勝を果たし、 Norway の Bardar が3位に入った。 
期待の伊東は初日は11位に終わりニッカネン以来のワールドカップ3連勝は果たせなかった。 伊東は翌日は順位を少し上げ8位に入った。 竹内は初日14位、2日目12位だった。
ワールドカップポイントトップを行く Kofler は初日は6位に入ったが翌日は16位に終わった。  日本はあまり報道しないなぁ….

でも私は信じている。 次の五輪では Kamikaze 葛西が大飛行を見せてくれることも…




今や韓国のお家芸? バンクーバー五輪スピードスケート

2010-03-07 | 冬季五輪
バンクーバー五輪が閉幕して1週間が経った。日本選手団は前回よりもメダル数は上回ったが金メダルは勝取れなかった。(金0、銀3、銅2 ) 橋本聖子氏日本スケート連盟会長も金メダルを獲得出来なかった事に無念の意を表したとの事だった。

   

そして隣国、大韓民国 ( 金6、銀6、銅2 ) 、中国 (金5、銀2、銅4 ) の躍進も目立った。ただ意外だったのはフィンランドが今回も金メダルを取れなかった事と、ロシアが金メダル3個 ( 銀 5 銅7 ) の不振に終わったこと。冬季五輪の勢力図も変わりつつあると言う事か? 私から見れば冬季五輪ではかつて日の丸飛行隊が札幌五輪で表彰台を独占した事はあったが、“6位入賞”の記事を見て大喜びしたものだった…..

女子フィギュアースケートでは浅田真央と激戦の末、韓国のヒロイン金姸児が金メダルを勝ち取ったが、韓国6個の金メダルのうちショートトラックで2個そしてスピードスケートで3個の金メダルを勝ち取った。かつてはショートトラック以外はメダルに縁が無いと思われていた韓国の冬季五輪であったが、今やこの種目ではアジアはおろか世界の列強に肩を並べようとしている。 

前回のトリノ五輪男子 500m では李康奭が日本の及川、長島、加藤らの前に立ちはだかり銅メダルを勝ち取った。そして今回は更にパワーアップした韓国勢がこの種目、メダル独占もあるのではと思われた。 
今シーズン。五輪前迄の World Cup での結果は下記の通りだった。

11月6日 Berlin
1位 李康奭 34.80 2位李奎爀 35.02  3位 長島 35.13  6位加藤 35.32

11月8日 Berlin
 1位 Fredricks ( USA ) 35.06 2位李康奭 35.100 3位李奎爀 35.105 
 4位 芳賀 35.22  6位文俊 35.269  6位長島 35.269 
13位 加藤  35.58 15位及川 35.59

11月13日 Heerenveen
 1位 長島 34.98 2位 Fredericks ( USA) 35.00  3位 Mulder ( HOL ) 35.07  
 4位 李康奭 35.10 8位及川 35.22

  


11月14日 Heerenveen
 1位 加藤 34.98 2位 Smeekens ( HOL ) 35.02 3位 李康奭 35.13
 8位 長島 35.29 9位 及川 35.30 12位 李奎爀 35.39



12月4日 Calgary
  1位 Poutala 34.38 2位 加藤 34.452  3位 Gregg (CAN ) 34.458  
  4位 及川 34.47 5位 李奎爀34.50  7位長島 34.55 10位 李康奭 34.66

12月5日 Calgary
  1位 李奎爀 34.28 2位Poutala 34.38 3位 Fredricks 34.50
  4位 加藤 34.52  5位牟太釩 34.527 6位李康奭 34.56 7位 及川 34.71
 12位 長島 34.98

12月11日 Salt Lake
 1位 李奎爀 34.26 2位 及川 34.27  3位 Poutala (FIN ) 34.31  
 4位 李康奭 34.42 6位長島 34.45 8位 加藤 34.54

12月12日 Salt Lake
  1位 李奎爀 34.26 2位 李康奭 34.28  3位 Fredericks ( USA ) 34.35  
  4位 Gregg ( CAN ) 34.36 5位長島 34.38 6位 及川34.48 11位 加藤 34.63


韓国の李奎爀、李康奭らの躍進が大いに目立った。 昨年 Richmond で開催された距離別世界選手権では1位李康奭、2位李奎爀と韓国勢が上位を占めた。
しかし金メダルを勝ち取ったのは同じ韓国でも牟太釩だった。今シーズンのワールドカップ、500mでは12月12日の Salt Lake 大会と Calgary 大会でそれぞれ7位に入ったのが最高だった。そして1000mでは Berlin 大会が7位、 Heerenveen 大会3位。そして Salt Lake 大会は6位と4位だった。World Cup では500m のみならず 1000m にも出場していた。他の韓国選手では李康奭が Salt Lake 大会で2位、そして同じく Salt Lake 大会で李奎爀も2位に入っている。 韓国勢は 500m と 1000m を滑り切れる選手がいるのだが日本は 500m 専門であったといえるか? 五輪の 500m は1日2本滑る。そういう意味ではスタミナが必要条件となるだろう。


  

女子も韓国の李相花が金メダルを勝ち取ったが今シーズンのWorld Cup ではドイツの Jenny Wolf が圧倒的な強さをみせており8戦中6勝を挙げていた。そして中国の王北星が11月7日の Berlin 大会と 12月12日の Salt Lake 大会で1位となりそれ以外の大会は全て2位だった。李相花は12月4日の Calgary 大会から4大会連続3位であった。日本勢では小平が11月7日の Berlin 大会で3位に入ったのが最高。メダルの可能性があるとしたら李相花との3位争いかと思われたが….
1回目、 Wolf に 0.058 秒差、王北星に 0.138 秒差の 38.249 で首位に立つと2回目、 Wolf が37.838 に対して李相花は 37.850 で滑り切り 0.046 の差を付けて見事に金メダルを勝ち取った。 昨年の世界距離別選手権、世界スプリントの 500m では Jenny Wolf, 王北星の二人を破る事が出来なかったが五輪と云う大舞台で見事に金メダルを勝ち取った。 そして 500m では韓国勢が男女ともに金メダルを勝ち取った。


そして今や李相花は韓国では金姸児に続く”アイドル”らしい。




しかし韓国勢が勝ち取ったメダルは 500m だけではなかった。 1000m では牟太釩が銀メダル。
 

そして李承勲が 5000m で銀メダルそして 10000m で金メダルを勝ち取った。 李承勲は今シーズンの World Cup では Heerenveen 大会 5000m で8位、Calgary 大会5000mでは5位だった。この種目はオランダの Sven Kamera Bob de Jung ノルウェーの Havard Booko らの争いと思われていた。そこにアジアから韓国の李承勲が割って入って来た。特に 5000m はスピードスケート最初の種目だったのでこの種目での銀メダルは韓国勢に勢いが大いについたであろう。そして 10000m では12分58秒55の五輪記録で圧勝だった。

 


日本勢は女子が頑張り Team pursuit で銀メダルを勝ち取る等全種目で入賞を果たしたが、総合成績では韓国には遠く及ばなかった。 

戦前は朝鮮籍のスケート選手が多かったらしい。しかし戦後は日本もこの競技に世界レベルの選手が出て来た。1960年代には今回のバンクーバー五輪の日本チームの総監督だった、鈴木恵一が一時世界記録を保持していいた。

その後しばらく低迷期が続くが80年代に黒岩彰が出て来たことを知る人は多いだろう。以降、日本のスピードスケートは世界レベルに達してきたが、この五輪では韓国勢の後塵を拝した事は否めない。 

今ソウルには室内リンクがあり1年のうち10ヶ月間ここで選手達は存分に練習できるらしい。 一方日本はどれだけ室内リンクがあるのだろう?東京に公式の大会が行える室内競技場はあるのだろうか……?
何度も報道されるが日本の五輪振興に使われる予算は韓国の4分の1以下、ドイツの10分の1以下だ。その上さらに民主党政権に“事業仕分け”されて減らされようとしている。  新しく発足した“共産主義”政権は日本よりも隣国が五輪で勝つ方が良いと思っているのだろう。

この現実….やっぱり民主党は喜ぶ結果なんだろうなぁ………


ノルディック勢 メダルに届かず… 健闘なのか、苦戦なのか…

2010-02-28 | 冬季五輪
現地時間の2月23日、日本時間の24日早朝。ジャンプ競技と云うよりもノルディック種目で最もメダルに近いと思っていた Team Large Hill ( HS140 ) で日本チームは5位に終わりこれで3大会連続メダル無しの結果に終わろうとしていた。
でも入賞は何度も、90年代に入り欧州の列強とはアジアからただ1カ国肩を並べるまでになった日本であるが、その後欧州勢に勝たせる為のルール改正にもひるまず世界選手権では上位に入る事も少なくない。それでも世界に存在意義を示すのにはやはり五輪でのメダルを見せつけたかったなぁ…でもそうなるとまたルールを変えられるかもしれないなぁ……

LH では葛西が1人気を吐き8位に入賞した。しかし私を含め多くのノルディックファンはこの Team Large Hill にメダルの期待をかなり掛けていた事だろう。世界選手権では 2007年札幌、2009年 Liberec 共に3位。Vancouver ではオーストラリアが断然抜けていたが鳥人 Simon Ammann のスイスは 2009年世界選手権 Large Hill 金メダルのKüttel こそいるが4人まではメンバーが揃わない。 Adam Malysz のPoland も Stefan Hulla 以降の選手は力がおちる。そしてドイツ勢、フィンランド勢はかつての勢いはない。特にフィンランドは復帰して Normal Hill で4位に入った Ahonnen が怪我で Team LH には出場出来ない。 Large Hill に強いはずの Norway は Tom Hillde の11位が最高。上手くすれば銀メダルの可能性もあると期待は高まるばかりだった。しかし試合後よく考えればそれは勝手な私の胸算用に過ぎなかった。 
今回の L.H. の結果を見ても葛西こそ8位に入ったが伊東大貴は 20位。栃本、竹内は2回目に進めなかった。一方ライバル国を見るとノルウェーは最も成績の良かった Hillde は11位で葛西の後塵を拝したが、Jacobsen が12位、さらに Top 30には Evensen ( 15位 ) Bardel ( 22位) と4人が入り、ドイツは6位に Neumayer , LH 4位のUhrman が25位、そしてかつての英雄 Martin Schmitt が30位に入った。 Uhrman, Schmitt がもし本来の力を出してしまえば日本は太刀打ち出来ない。 

列強ばかりではない、チェコ、スロベニアはTop 30 にそれぞれ3人ずつ入っている。ポーランドも LH で30以内に入った選手は銀メダルの Malysz と19位の Hulla の二人だけだが、この二人の合計点が 486.6 ( Malysz 269.4, Hulla 217.2 ) は日本の 466.1 ( 葛西 239.2, 伊東 216.9 ) を上回る。 メダルどころか1回目が終わって上位8位内に入る事も何も保証されている訳では無かった。 メダル獲得条件は葛西にスーパージャンプを2本揃えて貰う事と他の3選手に自己ベストに近いジャンプをしてもらう事だった。 

前半終わって5位。しかしメダルは射程距離内。

日本のトップバッターは伊東大貴。 K点を越える 129.5m ( 122.1pt ) のジャンプはここにきて最高のジャンプだった。Austria のLoizel の138m ( 140.4pt ) は別格としてメダル争いをするドイツの Neumayer が 138m ( 135.6pt ) を飛んで 2位に入り、日本、フィンランド、ノルウェーとの差をつけるスタート。Norway は Bardel が 128m(118.4pt ) で 伊東を下回ったが フィンランドの Hautamaki が実力を見せ133.5m( 129.8pt )Poland の Hulla が129mながら飛型点が良く 122.2pt で4位に入り、日本は5位スタートだった。
日本の2人目は竹内。 NH, LH 共に2回目に進めなかった。竹内は 125.5m ( 113.4pt ) 飛んだが Hillde (118.5pt ) が飛んだ Norway とKoudelka ( 124.3pt ) が飛んだチェコに逆転された。ただ Poland の Rutkowski が 108.4pt で落ちて来て日本は順位を一つ落として6位に。3位 Finland とは 14.6pt 差となった。
3人目の栃本は 128m ( 118.4pt ) を飛んだが順位を上げる事は出来なかった。しかし Finland の Keituri が 123m ( 108.4pt ) に留まり4位に後退。J.R. Evensen が131.5m ( 127pt ) を飛んで3位に浮上。そして日本と3位 Norwayの差は9.7pt となった。何とかメダル圏内に近づいてきたが Slovenia の Peter Prevc が3人目の中では Morgenstern の 135.5m ( 135.9pt ) に次ぐ2番目の132m ( 127.1pt ) の大ジャンプで得点を稼ぎ Poland を抜いて7位に上がり6位の日本とは 2.9pt 差に迫って来た。さすがは N.H. 7位 の選手。
そして4人目、葛西が 133.5m ( 130.8pt ) を飛んで、チェコのJacob Janda ( 128m, 119.4pt ) を大きく上回り5位に浮上。そしてSlovenia のRobert Kranjec ( 129m 121.2pt ) も上回り後続を引き離す。ただ Poland のMalysz が 136.5m ( 137.2pt ) を飛んで Slovakia に替って日本と 0.7pt 差の7位に上がって来た。さすが Malysz と云うジャンプだった。 
そして上位陣は Finland Harri Olli が 134m ( 131.7pt ) , Norway のAnders Jacobsen 138m ( 140.4pt ) ドイツのUhrmann 135m ( 133.5pt ) そして Austraia の Schlirenzauer が 140.5m ( 144.9pt ) 。次々と葛西の記録を上回り徐々に引き離されてくる。 Schlirenzauer のジャンプはこの日初の Hill Size 越え。そして N.H. でスーツ違反で2回目に進めなかった Olli が意地を見せた。葛西としては Malysz と同じくらい飛びたかったかもしれない。そうすればこの時点で4位には上がれたかも……

1人目を全て終えての結果は下記の通りだった。

1. Austria      547.3pt
2. Germany    509.3pt
3. Norway      504.3pt
4. Finland       490.2pt
5. Japan        484.7pt
6. Poland       484.0pt
7. Czech        477.4pt
8. Slovenia     472.2pt

3位の Norway とは 20pt 開いた。2人目でどれだけ挽回できるか…しかし飛べば飛ぶほど差が開く様にも感じた。

差は縮まらず…メダルは遠かったのか…

2回目伊東は 133.5m ( 130.8pt ) を飛んだ。NH の2回目で失敗して以降少し生彩を欠いていたが Team L.Hでは力を発揮してくれた。彼の個人の記録 252.9pt ( 129.5m 133.5m ) は32人中16番目の成績だった。 Finland の Hautamaeki が 130m ( 123.5pt ) で日本が Finland を抜いて4位に。そして Norway の Bardel が127m ( 117.1pt ) に留まり総合で3位ながら 621.1pt で4位の日本は 5.6pt 差でメダル圏内に再び大きく近づいてきた。 

こうなると葛西の前の竹内、栃本のジャンプが非常に大切になって来た。 
竹内は1回目の 125.5m を上回る 129.5m ( 122.1 pt ) を飛ぶ。だが前を飛んだチェコの Kodelka が 135.5m ( 134.4pt ) の記録を出し、日本はチェコに抜かれた。そして更に Finland Happonen ( 139m 142.2pt ) Norway Hillde ( 139m 141.7 pt ) Germany Anders Wank ( 139m 141.7pt ) そして Austria Anders Kofler ( 142m 138.6pt ) とHill Size 付近、そして Hill Size 越えのジャンプが続く。Happonen の時から非常に良い向かい風が吹き出したと言う幸運に恵まれた。出来れば竹内の時からこういう風になって欲しかったが… 竹内の2回目の記録は2回目2人目8人の選手の中では最下位だった。 結果的のここでの結果が試合を大きく左右した。 日本は6位に後退した。そして3位 Norway とは25.2pt 離された。

3人目栃本。葛西に繋げる為に 1m でも遠くに飛んでくれ…と願う。栃本は 132m ( 126.6 pt ) 飛んでまず チェコを抜いた。続く実力者 Slovenia の Prevc は 127.5m ( 118pt ) に留まり日本を抜けない。Poland の Stoch は 2回目3人目の選手の中では Morgenstern に続く134.5m ( 132.6pt ) を出し日本と10.6 pt 差の7位に。最後の Malysz が大ジャンプをすれば5位の日本、6位チェコは抜かれてしまう。 Finland の Keituri は栃本と同じ 132m ( 126.6pt ) 飛んで日本を近づけさせない。 Norway の Evensen は 129.5m ( 122.1pt ) の記録を出しここでも差は少ししか詰められない。
2位のドイツは Schmitt がK点にも届かない 122m ( 106.6pt ) に沈んだ。1999,2001年世界選手権 L.H. 2連覇を達成したベテラン Schmitt はショックで中々立ち上がれない。そして次に飛ぶ Uhrmann の表情がアップになる。Schmitt は2009年の世界選手権の Team L.H.でも失敗していてそれが原因でドイツは10位に沈んだ。 
こんなことを言うのは不謹慎だが、Norway のEvensen がこういうジャンプだったら…日本のメダルの可能性も出て来たのだけど…..
次に飛んだ Morgenstern が 135m ( 135pt ) を飛び Austria は2位ドイツと 70.4 pt 差の 962.7pt となりこの種目ほぼ金メダルを決めた。

  

最後の選手の飛行を前に上位の得点は下記の通りだった。

1.Austria      962.7pt
2.Germany   892.3pt
3.Norway      884.9pt
4.Finland      882.5pt
5.Japan       864.2pt
6.Czech       860.1pt
7.Poland      853.6pt
8.Slovenia    816.6pt

日本は既にメダル争いから脱落していたかもしれない。
葛西が大飛行を見せて、Uhrmann( ドイツ ) Jacobsen ( ノルウェー ) のどちらかの選手に失敗が無い限りメダルの可能性は無いという状況になっていた。順番が変わる最後の4人目。まず Slovenia の Kranjec が 139m ( 142.2pt ) を飛べば続く Malysz も 139.5m ( 143.1pt ) を飛ぶ。チェコの Janda は 129m ( 121.7pt ) に留まり Poland がチェコを抜いた。

そして葛西がスタートを迎える。 これまで五輪では悔しい思い出しかないと語っていた。6回目の五輪の最後となるアプローチに入ると素晴らしい大飛行を見せ Hill Size Jumpの 140m ( 145.4 pt ) を飛んでガッツポーズを見せる。ここでも Kamikaze Kasai の存在を見せつけてくれた。さすがベテランと云うパフォーマンスだった…..

これで日本の総合得点は 1007.7 pt となった。続く Olli が125.2pt 約 132m 程度飛んでしまえば Finland に抜かれてしまう。そして Olli は134.5m ( 132.1pt ) 出し、6.9pt 日本を上回ってしまった。続く Jacobsen には何とか 130m 前で落ちてくれ… と願うも140.5m ( 145.4pt ) のHill Size Jump でこの時点でトップに立つ。そしてメダルを決めた。 日本は3位に後退するが、最後に飛ぶ Austria が控えているのでこの時点でメダルの可能性は潰えていた。 
ドイツの Uhrman は122.3pt , 約 130m 飛んで Finland を上回ればメダルが決まる。そして Uhrmann も Hill Size Jump の 140m ( 143.5pt ) でトップに立つ。 Uhrmann を囲んで勝ったかの様に喜ぶドイツ選手団。 特に Schmitt は本当に安心しただろう。 
そして最後の Schlirenzauer は Hill Size を大きく超える 146.5m ( 145.2pt ) 貫録のジャンプで締めくくった。

    

1.Austria     1107.9pt
2.Germany  1035.8pt
3.Norway    1030.3pt
4.Finland     1014.6pt
5.Japan      1007.7pt ( 伊東 252.9, 竹内 235.5, 栃本 245.0 葛西 274.3 )
6.Poland       996.7pt
7.Czech        981.8pt
8.Slovenia     958.8pt

World Cup Ranking の2位から5位を占める Austria の圧勝だった。2位ドイツとは 72.1pt も差がついた。 
 
  


2位のドイツは Schmitt が失敗をしたが Uhrmann, Neumayer が実力を発揮した。 そして個人種目では良いところが無かった Norway が3位に。同国ではWorld Cup Ranking トップである 9位の Jacobsen , そして LH 11位の Hilde がよくチームを引っ張った。 
Finland は 15.7 pt 差でメダルを逃した。Ahonenn が Team LH に出ていればメダルに届いたかもしれない。

そして日本はかえすがえす、竹内の2回目の風向きが悔まれる。 ここで上位4カ国と20点差がついてしまった。葛西、伊東に続く選手が上位国と比較すると少し層が薄かったか…しかしその思いを4年後に。長野五輪では葛西が補欠に回されるほど選手層が厚かったのだ…結果論だけど昨年世界選手権 Team L.H. 金メダルの Austria そして銀メダルのノルウェーはこの五輪も同じメンバーでそれぞれメダルを勝ち取った。 日本は岡部が外れた。今シーズンは大不調だったらしいが、昨年の世界選手権の2回目はLoitzl に次ぐ2番目の 135m を飛んで日本にメダルをもたらした。一発を持った選手に掛けても良くはなかったか…
4年後に向けてと云うよりの明日からに向けてまずコーチから替えないとなぁ…. フィンランド人のユリアンティラコーチは問題だらけだったらしい。詳しくは知らないけど、今年に入り来日したのは札幌でのWorld Cup の頃だけだったらしい。 先週の近くにいないコーチなんて意味あんのか?かつては英雄マッティ=ニッカネンを育て上げたと言う肩書があるらしいが、日本人はどうも名前と肩書に弱い。本当にニッカネンを育てたのかも怪しい。ただニッカネンがずば抜けた才能があって、代表クラスになった時にたまたまコーチだったのではないか? もし“ニッカネンの肩書”に頼るのなら、ニッカネンを無名から有名にしたコーチを連れてこないとなぁ…
無差別に大会社や大商社から役員、部長クラスとして人を迎える企業みたいだ。 大概はそういうのは役に立たない。 

  

だが最後の葛西は圧巻だった。彼の記録、274.3pt は全体の6位に相当する記録だった。
  1. Schlirenzauer : AUT   290.1pt 140.5m / 146.5m
  2. Jacobsen       : NOR  285.8pt 138.0m / 140.5m
  3. Loizel            : AUT   282.2pt 138.0m / 138.5m
  4. Malysz           : POL  280.3pt 136.5m / 139.5m
  5. Uhrmann        : FRG  277.0pt 140.0m / 135.0m
  6  葛西             : JPN  274.3pt 133.5m / 140.0m
  7  Morgenstern   : AUT  270.9pt 135.5m / 135.0m
  8. Neumayer       : FRG  270.3pt 137.0m / 136.5m
  9. Kofler            : AUT   264.7pt 138.0m / 142.0m
10.  Olli                : FIN     263.8pt 134m  / 134.5m

この後行われた Nordic 複合の団体戦も日本は6位に終わった。
この種目も昨年の世界選手権では金メダルだったんだけどなぁ.... だけどこの世界選手権の成績も素晴らしい成績。もっとマスコミは報道しろよ。
Team L.H. が終わった翌日偶然 Finland のお客と話す機会があった。そして話題は五輪の事にも及んだ。そして私は訊ねられた。 

         Kasai, how old ?

一般のフィンランド国民の間でもKamikaze Kasai は知られている事が解った。その事実が何だか一矢報いてくれた様でものすごく嬉しかった…… 

 

大飛行及ばず。残すは団体戦。

2010-02-21 | 冬季五輪

1回目飛距離 121.5m 得点105.7 で21位に沈んだエース葛西紀明は2回目11番目に登場した。はっきり言ってこの時点でメダルはほぼ不可能。しかし世界に“カミカゼカサイ”健在の大飛行を見せて欲しかった。 そして高い飛び出しから距離をぐんぐん伸ばす。“落ちるな!落ちるな!来い!来い!よし来たぁぁぁぁぁぁぁ!!”と叫んでしまったその大飛行は 135m 。この時点で Slovenia の Robert Kranijec の 233.7 点を上回る 239.2 点でトップに立った。1回目135m 以上飛んだのは首位の Simon Ammann と2位のPoland の Adam Malysz の二人だけだった。1回目3位の Finland の Matti Hautakaeki が 131.5 点。2回目102.2点を出せば葛西の記録に追いついてしまう。 117 ~ 118m も飛べば抜かれてしまうと言う事だ。ゲートが下がって距離が出にくいとは言え容易に出せなくない飛距離。あぁ葛西のメダルはやっぱり無いんだなぁ、1回目が勿体なかったなぁ… 前日の予選のジャンプを取っておいてほしかったなぁ…. と思ってしまった。

 

札幌五輪で表彰台独占の快挙を子供の時テレビで見て以来、私は Ski Jumping が大好きだ。勿論飛んだことも無ければスキーをしたことも無い。でも38年間、ほぼ毎冬日本人選手を始め世界トップクラスがどんな戦績を残すかを楽しみにしていた。
ワールドカップ等の世界大会は出来る限りテレビ観戦をしている。ただ最近はテレビ中継が激減したけど….. Olympic Year の今シーズン、 五輪直前時点のWorld Cup Ranking を見ると Top 10 と日本人選手は下記の通り。

 1. Amman Simon              SUI   1249
 2. Gregor Schlierenzauer   AUT  1192
 3. Thomas Morgenstern     AUT   749
 4. Andreas Kofler             AUT   721
 5. Wolfgang Loizel             AUT   641
 6. Adam Malysz                POL   542
 7. Janne Ahonen              FIN    490
 8. Martin Koch                 AUT   477
 9. Anders Jacobsen          NOR   470
10. Bjoern Einar Romoeren NOR   449

14. 伊東大貴                            324
18. 葛西紀明                            264
29. 栃本翔平                            124
36. 湯本文久                              77

ワールドカップポイントは文字通りワールドカップでの順位の総合ポイントであるが、主に開催されるのが欧州以外の選手はその遠征費用に金がかかる。
最近の不景気の煽りを受け、企業のスポーツ部閉鎖の波を受けて日本人選手の欧州遠征は長野五輪を境に厳しくなっており、出場できる大会も限られそれも日本勢が欧州の列強に水を開けられている原因の一つだ。
今シーズンの世界情勢を見てみると Austria 勢が上位に並ぶがやはり断トツはスイスの英雄 Amman Simon 。 五輪直前の Klingenthal 大会でも Adam Malysz に9点差をつけて優勝するなど今シーズンもこれまで World Cup 5勝を挙げている。それに対抗するのが World Cup Ranking 2位の Austria の Schlierenzauer 。今シーズンはランキングでは Amman の後塵を拝しているが Zakopane 大会で2連勝。 Innsbruck, Garmish-Partenkirchen , Engelberg 大会で Amman を抑えて優勝している。優勝回数は今シーズンは Amman を上回る8回( Oberstdorf 大会では Team HS123 で優勝 )。従ってこの五輪では Simon Amman vs Gregor Schlierenzauer それに前回トリノ五輪 Large Hill 銀メダルで今年のジャンプ週間 ( Viershanzen tournee, Four Hills Tournament ) で総合優勝した Andreas Kofler を初めとしたのオーストリア勢と Poland の英雄 Adam Malysz がどう絡むか、そこに復帰した Jaane Ahonenn らフィンランド勢そして Large Hill に強い Norway 勢がどこまで上位争いに入ってこられるか?そして最近低迷しているドイツ、日本勢は1発が出るか? が私見だった。
願わくば日本勢に一発が出て、上位の候補勢がこけてくれる事を願った。ただドイツ勢はここ数大会の五輪で金メダルを勝ち取ったのは 1994年 Lillehammel 大会の Weissflog が LH で勝った以来なく、個人種目でのメダルも 2002年 Salt Lake City 大会の NH で Hannawald が銅メダルを勝ち取っただけだ。まぁ日本も長野五輪以来メダルはないんだけれど。

貫録の Amman 金 Malysz 銀 オーストリア勢に一角 Schlierenzauer 銅 Normal Hill

2月14日に行われた Ski Jumping の Normal Hill HS105 では日本勢は伊東大貴が14位、葛西紀明が15位に終わった。 1回目を終えて Amman が 105m を飛んで1位。2位にはドイツの Michael Uhrmann 今シーズンはWorld Cup で3位が3回ある。 前回の Torino 五輪では NH で4位だった選手だ。3位には Adam Malysz 。札幌五輪の 90m 級で世界が驚いた Wojciech Fortuna 以来の金メダルが期待される Poland の英雄だが、Salt Lake から3度目の挑戦でその悲願達成はなるか?  Austria 勢はどうしたのだろう? Morgenstern が4位、Schlizerenzauer が7位、Loitzl が12位、Kofler が17位だった。 そして Finland の英雄 Ahonenn が5位に付けた。Norway 勢は Tom Hilde が13位、Anders Jacobsen が15位。 
北欧勢はどちらかと言えば LH や200m クラスの Flying を得意としている。だから日本勢は Normal Hill にチャンスありと見ていたんだけど、1回目を終わって3位の Malysz との差が伊東で 7.5 点、葛西が 12.5点空けられた。これでメダルの夢はちょっと...... Hill Size の 106m を飛んでも....
2回目は Amman がそのまま逃げ切るのか、 Uhrmann が 16年ぶりにドイツに金メダルをもたらすのか? 今度こそ Malysz が Amman に勝つのか?そして Austria 勢が巻き返すのか?はたまた Ahonen が個人種目で初めての五輪メダルを勝ち取るのか.... が楽しみだった。
1回目19位の葛西の2回目, 意地のジャンプを見せて欲しかったが 100.5m 1回目よりかは飛距離も飛型も決め、この時点ではトップの 244.5 点。ただこれではメダルどころか入賞も厳しい数字。Large Hill に期待するか....と気を取り直す。 1回目13位の Slovenia のPeter Prevc が2回目 104.5 mを飛ぶ。これは2回目だけで結局4位のポイントとなり合計 259.0 でトップに。そして最終順序は7位だった。1回目10位の伊東は2回目距離 100m 1回目の飛距離に及ばずこの時点で6位。葛西、伊東ともに Prevec くらい飛んでくれたらなぁ.... と思った。 
そして1回目7位の Schlierenzauer が2回目 106.5m の大ジャンプ。この時点で Prevec の得点を大きく上回る 268.0 でトップに。さすが Austria と思わせるジャンプだった。こうなると残りの選手にプレッシャーがかかる。 だけど1回目のジャンプは勿体なかったなぁ.. Slovenia の Kranjec , そして Ahonen らは Schlirenzauer を追い抜けない。そして1回目4位、前回 Torino 五輪 LH で金メダルの Morgenstern は 101.5m と失速しこの時点で258.5点で5位、最終順位は8位におわった。 
1回目3位の Malysz が105mを飛び Schlirenzauer を抑えて首位に。ただ続く Uhrmann そして最後の Ammann の事を考えるともう数メートル欲しくは無かったか? それでも Malysz はガッツポーズを。この時点で通算4つ目の五輪メダルが決まったからかもしれない。今シーズンはまだ World Cup で勝っていなかったからなぁ....。



そして1回目2位の Uhrmann は力が入りすぎたか 102.0 m と伸び悩みこの時点で4位。ドイツ勢8年振りの個人メダルの可能性が無くなった。あと5.5ポイント足りなかった。こうなるとこの時点で3位の Ahonen の心境はどうだったのだろう。だが最後に残るのが Ammann だったのでもう諦めていただろう。 Simon Ammann は2回目も 108m の最長不倒を飛び2位 Malysz に7点差をつけて貫録の金メダルを勝ち取った。 これで五輪3つ目の金メダル。前回 Torino 大会では不調だったが、見事な圧勝だった。 
Schlierenzauer は1回目、Morgenstern は2回目の失敗が響いた。 大喜びをするスイス人の観客達を見ていると、Large Hill では何とか日本勢に。そして葛西に。 Team Jump につなげるパファーマンスをと祈った。

  


意地を見せてくれた葛西。 世界は遠い。でも次の団体戦こそ.......

現地時間の2月20日。Large Hill HS140 の予選で日本の葛西、伊東が上位2位を独占し決勝進出を決めた事を伝えるニュースを聞いた。 特に葛西はNornal Hill の2回目にタイミングを掴みつつあるとのコメントを聞いていたので翌日の決勝は大いに期待できると思った。しかし予選免除の World Cup ランキング上位10人も飛んでいたらしい。特に Ammann はゲートを下げても 140m は飛んだとの事。しかし葛西、伊東も、予選のジャンプを2本そろえればチャンスがあると思った。
しかし、伊東は 117m で30位、2回目に進むのがやっと。期待の葛西はK点を越えたが 121.5m で 21位。 3位の Finland の Matti Hautamaeki とは26点も空き、この時点でメダルの可能性は非常に薄いものと考えざるを得なかった。 あぁあの大飛行は......


トップはまたも Simon Ammann 144m, 144.7 点の大ジャンプで 2位の 138.1 点のMalysz に6.6点の差をつけた。そして3位の Hauttamaeki は134m で131.7 点。以降 Austria 勢が4人続いた。 Hautamaki は Torino 五輪 Normal Hill の銀メダリスト。 しかし今シーズンの World Cup では Zakopane 大会の11位が最高で Ranking も32位。 久々のビッグジャンプだた。それにしても Ammann と Malysz は別格だ。そのなかでも Ammann は全く世界が違うパフォーマンス。どうやったらあんなに飛べるのだろう......


2回目、まず伊東が登場する。今度はK 点を大きく超える 128.5m 。2回目に限っては11番目の記録。もし同じジャンプを1回目に出来ていたら入賞出来ただろう。だがそれは胸算用だろう。
そして葛西を迎える。 昨日の再現を,,,と願うと 135m の大ジャンプ。総合得点は239.2 点、この時点トップのSlovenia の Kranjec を上回りトップに。だが残りはあと20人もいるんだなぁ...... Poland の Stefan Hula, ドイツの Martin Schmitt ( おいおいこんな順位なのか?? ) は葛西を上回れない。1回目 18位のドイツの Uhrmann も上回れない。そしてトップ10に入って来た。
1回目9位タイのチェコのAntonin Hajek が129m を飛んで総合 240.6 点でついに葛西を上回ってしまった。 続く Noraway のJacobsen は 122.5m で葛西を下回ったが次のWorld Cup Ranking 20位のドイツの Neumayer が130m を飛んで総合 245.5 点でトップに立つ。そして Austria の Morgenstern が129.5mを飛んで 246.7点。Neumayer を抜いて、葛西はメダル圏外に落ちてしまった。 
1回目5位の Schlierenzauer が 136m を飛んで262.2で首位に立つ。 ただAmmann が2回目に 117.5 点以上を出せば Schlierenzauer の記録を上回ってしまう。続くKofler は135mを飛んだが Schlierenzauer を上回れない。オーストリア勢の金メダルはこれで難しくなった。
そして 1回目3位の Hautamaeki が何と104m の大失敗ジャンプ。この時点で葛西の入賞が決まった。 
続いて1回目2位の Adam Malysz . Hill Size 近くは飛んで Ammann にプレッシャーを掛けたいところだけど 133.5m 。Schlierenzauer を上回り首位に立ったが総合得点 269.4 。Ammann が 130m を飛べばほぼ金メダル。そして Ammann は2回目もトップの 138.0 m を飛び 、総合得点 283.6 点は2位 Malysz に 14.2 点も差をつけての貫録の2種目制覇。 彼だけは全く別のパフォーマンスだった。3位には Austria の Schlierenzauer 、そして4位 Kofler, 5位 Morgenstern とオーストリア勢が続いた。 

     

上位3人は Normal Hill と同じメンバーが並んだ。 
葛西は8位。2回目と同じジャンプが1回目にも出来ておればメダルも可能だった。それは胸算用だけど、世界のトップクラスはそれが出来る。Neumayer 20位, Hajek 24位と云った World Cup Ranking で劣る選手に先を越されたのは悔しかったかもしれない。

   

葛西自身は次の団体戦に向けて勢いがつくかもしれないがこの種目も伊東と葛西以外の選手は2回目に進出出来なかった。 団体戦でメダルをとなるといよいよ岡部の登場か? と思いきや、メンバーから外れるとの事。ちょっと団体戦大丈夫かなぁ.....

団体戦は23日だ。  日本チームの奮起を祈る。

 

  


注目のスカンジナビア対決 SUMOEN 達は...

2006-02-26 | 冬季五輪
トリノ五輪もいよいよ大詰め。残す種目は数種目。日本は荒川静香が金メダルを勝取りホット一息の諸氏も多いことだろうが、日本時間の今夜行われるアイスホッケーの決勝戦 Sweden vs Finland を Finland 国民520万人は祈る気持ちでテレビ観戦等を行うことであろう。もしスウェーデンが勝てばフィンランドは札幌、リレハンメルに次いで3回目の金メダル無しの冬季五輪になってしまう。フィンランドのアイスホッケー人気は大変なものであるが五輪での成績は1988年カルガリ大会での銀メダルを筆頭に 1994年 リレハンメル、1998年 長野と連続して銅メダルを得たが、金メダルは未だ無い。世界選手権では 1995年、決勝戦で隣国のホスト国 Sweden を破り初優勝を収めた。これは1992年にプラハで開催された世界選手権の決勝戦、ペナルティーショット戦で敗れた雪辱戦でもあった。以降 1998 年スイス大会では決勝戦で今度は Sweden に敗れて3年前の雪辱を果たされてしまい、 1999年ノルウェー大会でもチェコの後塵を拝し優勝はならなかった。当時のチェコは全盛期でこの年から3年連続で世界選手権優勝を果たす。そして1996年から 2005年の10年間、チェコは世界選手権優勝5回。長野五輪金メダルと隆盛を誇っていた。今大会でもチェコが優勝候補と私は見ていた。しかし準決勝では Sweden に 3-7 で破れ決勝進出はならなかった。トリノ五輪の男子アイスホッケーは開催国イタリアを含めた12カ国に出場権を与えられた。6カ国ずつ2つのグループに分けられ.A組に イタリア、カナダ、スイス、フィンランド、ドイツ、チェコがB組にはカザフスタン、スウェーデン、ロシア、スロヴァキア、ラトビア、アメリカがそれぞれ振り分けられ総当りの戦績で順位が決められ各組上位4カ国が準々決勝に。A組ではフィンランドが5戦全勝と圧倒的な強さで準々決勝へ。そしてスイスが健闘。強豪チェコ、カナダを破り2位に。3位はカナダ。そして4位にはイタリア、ドイツといった下位チームから確実に連勝したチェコが入った。地元イタリアはスイスとドイツ相手に引分、勝点でドイツに並んだが得失点差で最下位に。この種目イタリアは女子も最下位に終わり今後、五輪でのアイスホッケー開催国出場枠が議論されることになった。B組は2002年スウェーデン世界選手権で優勝したスロヴァキアが旋風を起こしロシア、スウェーデンを破り全勝で準々決勝へ。スウェーデン、アメリカを破ったロシアが2位。アメリカを 2-1 で破ったスウェーデンが3位。そしてアメリカが4位で続いた。カザフスタンは強豪ロシア 0-1 スロヴァキア 1-2 に食い下がったがアメリカに 1-4 で敗れたのが痛く準々決勝進出はならなかった。ラトビアはアメリカに引分けただけの最下位に終わった。準々決勝ではスウェーデンが1次リーグで健闘したスイスを 6-2 と一蹴。アメリカ ( 3-4 フィンランド) カナダ ( 0-2 ロシア ) の北米勢は揃って姿を消し、注目のチェコスロヴァキアビロード対決は 3-1 でチェコに軍配が上がった。準決勝ではかつてアイスホッケーの決勝戦でほとんどかならず直接対戦したロシアとチェコが揃って敗れた。フィンランドが 4-0 でロシアを降した直後の選手、応援団の喜びようは第二次世界大戦前にフィンランドが旧ソ連の統治下にあったという背景がある。決勝戦はスカンジナビア対決となったが五輪、世界選手権での直接対決は何とスウェーデンの4勝2分け。五輪でフィンランドがスウェーデンを上回ったのは1976年インスブルック大会と1988年カルガリ大会そして1998年長野大会のみ。スウェーデンは五輪では1994年 リレハンメル 大会で,世界選手権では7回優勝をしている。特に1991年フィンランド大会、1992年チェコ大会では連覇を収めている。1962年アメリカでの世界選手権で優勝以降80年代末にかけて旧ソ連、チェコスロヴァキアが優勝争いを繰り返す中、優勝こそ無いが、世界選手権では1963 1964 1967 1969 1970 1973 1977 1981 1986 と9回2位に入っている。しかし、カルガリ五輪でのフィンランドは銀メダルに終わったが決勝リーグ最終戦でソ連を破り五輪での連勝記録を14で止めた。今大会もアイスホッケーには日本が出場権を得られなかったのでこの種目の中継が少なく資料が集らないので展望が難しいが、準々決勝以降先制点を上げたチームが勝利を収めている。これがかぎになるかもしれない。今大会7試合中5試合を完封したフィンランドの守備か?決勝トーナメント2試合で13点の攻撃力のスウェーデンか?個人的には SUOMI 達に頑張って欲しい。それにしても地元開催枠で出場した以外の五輪では1980年レークプラシッド大会以来五輪の舞台に立てない日本。いつになったらそこに還ってこられるのだろう??…

韓国におけるトリノ五輪での日本選手の報道

2006-02-26 | 冬季五輪
日本列島は未だ女子フィギュアースケートの快挙の興奮が冷めない。しかしこの事情は隣国、韓国にとっては苦々しい出来事らしい。 これまで韓国は合計6個の金メダルを獲得し今や冬季五輪でのアジアの盟主であると自負し始めている。確かにショートトラックの韓国のメダルラッシュは今大会に限らずこれまでの五輪、世界選手権の韓国の成績をみると世界のトップであると自他共に認めることの出来る種目という事に異論をはさむ余地など無い。日本のメダル0更新が続く2月23日の朝鮮日報の日本語版では

“祝賀パーティーに沸く韓国、喪中の日本。”と見出しに続いて下記の様な行が、“韓国はイタリア・トリノから伝えられる冬期五輪の朗報にホクホク顔だ。しかし、隣国だが永遠のライバル日本は水を打ったように静まり返っている。 「3・1節(1919年3月1日に起きた3・1独立運動記念日)」を目前に控え、日本に対する感情が今更ながらに沸き起こる今日この頃、韓国のスポーツファンとしては日本の苦戦が特別なものとして受け止められるのは事実だ。日本は23日(韓国時間)現在、今回のトリノ冬期五輪で1つもメダルを獲得できていない。 トリノ冬期五輪の公式ホームページがリアルタイムにメダル集計にともなう国家別順位を紹介しているが、日本は順位表に名前すら挙げることができなかった。 (中略) 今大会では最も信頼を集めていたスピードスケート男子500メートルの世界記録(34秒30)保持者、加藤条治と長野大会の英雄だった金メダルリスト清水宏保がともにメダル獲得に失敗、もつれる展開となった。 このため、日本のメディアには悲痛な空気が漂っているほか、冬期五輪のニュースに重きを置かない雰囲気だ。云々と、

日本の不振が愉快でたまらないみたいだ。男子500mスピードスケートに言及したのはこの種目でキム=ガンソクが銀メダルを獲得したからだ。これまで韓国内のテレビ局はソウル五輪以降、五輪、アジア大会のメダル獲得数報道をする時は必ず日本の成績も紹介し、国民に優越感を齎していた。しかし、その優越感もアテネ五輪では感じられなかっただろう。トリノ五輪での意外な日本の不振は韓国マスコミには格好のネタだったらしい。しかしそれも女子フィギュアで終止符が打たれた。2月24日付けの朝鮮日報は荒川の快挙を賞賛”2004年の世界選手権優勝に続き、トリノ五輪の舞台で世界の頂点に立った荒川静香の演技には、イリーナ・スルツカヤ、サーシャ・コーエンも及ばなかった。“の行に始まり”小学3年の時にトリプルサルコウをマスターし、天才少女と呼ばれた。日本ジュニア選手権でただ1人3連覇(1994年・1995年・1996年)を果たし“と彼女の先天性、”荒川は大会の数週間前、伝説的な「チャンピオンメーカー」、タチアナ・タラソワ(ロシア)に出会ったことが転機となった。荒川はコーエンがコーチを替えた後タラソワに師事し、驚異的な成長を遂げた。2004年末に北京で開かれたグランプリファイナルではスルツカヤに次ぐ2位となった。 荒川は昨年12月にコーチをニコライ・モロゾフ(ロシア)に替えた。モロゾフは、コーエンのトリノ五輪用演技の振り付けを担当した人物。“となかなか詳しく報道。恐らく日本人以外の協力もあっての金メダルと言いたいのだろう。安藤監督や佐藤久美子コーチの名前は出てこない。でもこの種目、北朝鮮でさえキム=ヨンスクという選手を派遣しているのに、中国選手も最近は世界の舞台に出てきた。しかし韓国が選手を送らないのは何故だろう?日本に負けるのがいやなのか?それとも女性が肌を露に人前にでるなと言う韓国での教えなのか?この教え云々というのはかつて女子マラソン選手が出てこない土壌だと教えてもらったのだが。(北朝鮮も女子マラソンは結構強い選手がいる。)
その北朝鮮。1964年インスブルック五輪女子3000m でハン=ピルゥファという選手が銀メダルを獲得した。彼女がアジアの女子で最初に冬季五輪のメダリストとなった。当時北朝鮮は女子800m走で幻の世界記録保持者といわれていた金辛丹やイングランドワールドカップでサッカーがベスト8入りするなどスポーツでも北朝鮮に開けられていた時代であった。先週釜山アジア大会や大邸ユニバーシアードで話題になった美女軍団の一部が収容所送りになったらしい。60年代に北朝鮮スポーツ界を飾った花達はどうしているのだろう

日本人はスポーツの競技性を知らない?

2006-02-25 | 冬季五輪
「五輪は戦場」恩田祐一は言い切った。と、Yahoo Japan が特設している トリノ五輪コーナ―内のコラムを見つけた。非常に興味のあるコラムだった。彼、恩田祐一選手はクロスカントリー男子スプリントに出場。準々決勝第5ヒートで一時は2位まで上がりながらも競り合いで敗れ、最下位敗退した。「悔しさしか残っていない。五輪で上位に行く選手たちは、目や殺気が違う。僕に足りなかったのは、メダルへの思い。この悔しさは、五輪でしか晴らせない」との本音のコメントが伺えた。そしてその後のコメントをスポーツ界に直接携わる人はよく聴く事だ。「連盟やコーチも変わらないといけない。強化といっても、個人や企業任せ。具体的には何もしてくれていない。五輪イヤーだというのに、夏に国内合宿もなかった。冬に入ってからじゃ遅い。予算がないのは分かるけれど、皆で何とかしないと強くはならない。このままでは勝つ体制ではない。何かを変えていかないと。そのために僕が言えというなら、言う」。 スポーツは全てが積み重ねだ。五輪に出るまでのその過程がどれほど大変か?私が実業団時代に五輪を目指し、念願かなって五輪に出場した人も何人かいた。中には上位入賞、そしてメダルを勝取り、だが寸でのところで五輪出場を逃した人も多く観てきた。今からもう15年以上も昔の事だが。どうも日本はスポーツへの理解度はあまり進んでいない様だ。メダルを取ればいくら出すとか、五輪出場すればいくら強化費を支給するとかの話ではなく、国として施設を作るとか、遠征費を補助するとか、スポンサーを見つけてくるとかの努力が皆無だ。長野五輪のメイン会場となったエムウェーブが完成する前、日本には屋内の公式スケートリンクが無く、それすら知らない連盟役員もいた。岡崎らは“富士山の5合目に屋内リンクがあればなぁ”と何度も言っている。世界はそういう条件下のリンクで大会を開催している。シーズンが始まると選手たちが練習場を求めて海外に自腹あるいは所属先の企業の負担で出かけていく事をなんとも思わないのか??サッカーの例を取るとJリーグ発足前の時代そのままだ。全てが同じとは言わないがサッカーの成功を範と出来ないのか?
日本の役人は子供の頃ばかり勉強ばかりして運動神経の引きちぎれた連中ばかりだ。そういう奴らは運動神経の発達している人を妬みの対象でしか観ていない。まぁ無責任に無知なスポーツコラムを書いている輩もスポーツ経験、運動神経が無くのが多いが。五輪が終われば振り向かれない種目が山ほどある。かつて札幌五輪の複合競技で5位に入賞した勝呂選手は北欧では “ ユージ=スグロ” と言えばだれもが知っていたスーパースターだった。身近な所では競輪の中野公一もだ。彼が日本で有名になったのは世界選手権で5連覇を収めてからようやく。(私は1977年の初優勝の時から知っているけど)これが日本のスポーツを取り巻く環境だ。
スキーアルペン女子大回転のトリを飾ったのは、インドのネハ・アフジャだった。日本のスキー関係者の支援を受け、同国のアルペン競技女子選手としては、1988年カルガリー五輪以来、2人目の代表。ネハはコースアウトをすることもなく、しっかりと2本を滑り完走した。順位こそ最下位だったけれど、「今とても幸せな気分です。サポートしてくださった日本の方々には感謝の気持ちでいっぱい」と、五輪参加の喜びを語ったらしい。彼女はパキスタンとの国境付近で、常に紛争が絶えない、あのカシミール地方出身で当地で5歳からスキーを始めた日本のスキー関係者のサポートを得て、五輪参加の喜びを語ったネハ。こんな事まで民間に委ねている。中国にはいくらでも無駄に国民の税金を注ぎ込んでいるのに。毎年夏に中国役人から食欲と性欲を満たしてもらっている日本の国会議員さん達には日本の五輪の事を言ってほしくないなぁ。いっそ、北京五輪では紅星旗でも振って地元の人の顰蹙を買ってガス抜きの大役を果たして欲しいね。あぁ五輪の度に同じ原因で腹が立ってくる…..

五輪憲章は守られているのか?

2006-02-25 | 冬季五輪
荒川が劇的な金メダルを勝ち取る数日前、私的には少し期待していたジャンプの団体戦。日本は6位に終わった。優勝は個人ラージヒルの金、銀メダリストをそろえたオーストリア。2位は Finland 。点差わずか 7.4。距離にして約 4.5m 。一人当たり1m程度の僅差。3位には Norway 。2位と3位との差は 25.5 点。4位以下はドイツ、ポーランド、そして日本と続いた。スイスには勝ったのだがポーランドには僅か 1.3点。一人当たり約 25cm の差であった。日本はベテラン二人が意地を見せてくれた。3人目の2回目の試技で葛西の130m を上回ったのは Finland のアホネンのみ。しかし4人目の試技者でモルゲンシュテルン ( Austria ) が140.5m ハウタマキ ( Finland ) が 138m ヨケルソイ ( Norway ) 141m シュペート 134m ( ドイツ ) キュッテル ( スイス ) 136m 。岡部の 132m 大ジャンプも及ばなかった。3位 Norway と 6位日本との差は57点。飛距離では 51m。1人1回あたり約 6.5m ずつ差がついた勘定になる。ここで問題にしたいのはあの時のルール改正だ。小柄な選手は最高のパフォーマンスをしても、メダル争いには加われない。もはやスキージャンプは背の高い人たちだけが勝てる競技になってしまった。団体で金メダルを獲得したオーストリアの平均身長は182センチで、個人ラージヒル金のトーマス・モルゲンシュテルンは181センチ。それに比べて、団体6位の日本は平均身長が172センチ、エース岡部孝信はわずか165センチだ。スキージャンプでは、アプローチのスピード、空中で風を受けて浮力にするその表面積を考えると板は長い方が有利、その長さはルールで決められる。岡部は身長から76センチ長い、241センチのスキーを履かされているのに対し、モルゲンシュテルンは264センチ、身長から83センチも長い板を使っている。モルゲンシュテルンにならうなら、岡部は248センチの板を使ってもいいはず。長野五輪までのルールは、身長プラス80センチと、すべての選手に平等だった。岡部は245センチの板で飛んでいた。モルゲンシュテルンなら261センチになり、今より3センチ短くなる。現在は身長の146パーセント以内が、板の長さと決められるのだが、そもそもこの計算式は誰が何を根拠に生み出したのか、まったく理解できない。身長プラス80センチに、有利不利が生まれるかどうかは分からないが、日本が連勝するまではルール変更など提議されなかった。スポーツと言うのは定められたルールの中、練習で工夫、切磋琢磨して上を目指すものと考えているが、どうも欧州の連中はそうは考えていないようだ。彼らは日本製品が欧州市場に蔓延られる事を非常に嫌う。“欧州人は夏に1ヶ月程度休暇を取る中、日本人は三日しか休まず欧州市場に製品を売り込みに来る。だから労働時間を減らせ”と無茶苦茶な論理で日本政府に真顔で迫ってくる。欧州の人が日本製品を好んでくれるのはその性能、価格そして販売後のアフター体制が欧州企業では真似できないと言う事実は悔しくて触れられないのだ。彼らの倫理は“あの子は僕達が遊んでいる時に勉強をしているから成績が良い。それはアンフェアーだ。”と言っているのに等しい。この不思議なルール変更が行われている事をもっと世界にアピールせねばと思う。そういう意味では荻原健司氏がIOC選手委員選挙で落選したのは残念の一言。いや彼を入れたくなかったのかもしれない。私が不思議に思うのはJOCをはじめ関係者達が彼の選挙活動に全面的に支援をしたのかと言うことだ…..

プレッシャーに弱かったスルスカヤ

2006-02-24 | 冬季五輪
今朝行なわれたトリノ五輪の女子フィギュアースケート。日本期待の荒川が見事に金メダル。女子フィギュアーのメダルは1992年アルベールビル大会の伊藤みどりの銀メダル以来。金メダルは史上初の快挙。一番安心したのは五輪狂想曲を奏で続けたマスコミとそのスポンサー達だろう。特に女子フィギュアーのスポンサーをしていたロッテは最も安堵の息を漏らしたに違いない。浅田真央ちゃんの五輪出場に向けて陰から邪魔をしたのは彼らだとイタリアの地元紙に書かれていたぐらいだから。ただこれが日本人でなくアメリカ人であったらブッシュ大統領を初め世界的に圧力を替えて特例を認めさせていただろう。 荒川の金メダルの価値は計り知れない。冬季五輪では夏季五輪の男子100m競争に匹敵するくらい注目の浴びるくらいの種目。三流芸能人の声で賞賛することなどおこがましいくらいだ。この日の彼女の演技は華麗というよりも堅実。プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の流れに乗り、伸びやかに手足が動く。序盤のジャンプでは、3回転-3回転の予定を、3回転-2回転に抑え、後半の、イナ・バウアーから続く3連続ジャンプに勝負をかけた。そして手を離すY字スパイラルや、ドーナツスピンとビールマンスピンを組み合わせるといった、オリジナルの技を次々と開発。演技が終わってNHKの解説をしていた佐藤有香(リレハンメル五輪5位)は“これはメダルの色は何色かというよりもメダルを狙うと言う内容の演技ですね。”と、そして得点がでるとコーエンを大きく上回った。この時点でスルスカヤに大きくプレッシャーを与えられることに。残り3選手となったところで村主が登場。この時点で日本選手のメダル獲得が決まった。彼女の事を“ずーっと日本のフィギュアをひっぱってきた(というか復活させた-伊藤みどり.佐藤由香以来ずっと低迷してたので)人なので、なんとかメダルをとってほしいなー”と祈っていた人も多いだろう。私もミキティ人気の中で彼女こそ最もメダルをとって欲しいと願った人だった。演技の終盤のジャンプを決めると佐藤解説から歓喜の悲鳴があがり私はこぶしを握った。最後の連続ジャンプを決めると、思わず白い歯がこぼれた。締めくくりは得意の高速スピンで、演技が終わると、いつもと同じように、こみ上げる涙を抑えるように両手で口元を覆い、観客席を見渡して引き上げる。リンク脇で待っていた佐藤信夫コーチに「もう(足が)動かない」と息を切らせて抱きついた。しかしコーエンには届かずこの時点で3位。前回ソルトレーク大会での5位は上回るだろうと思ったが、荒川の金メダルよりも彼女の銅メダルを私は願った。 最後のスルスカヤ。前回の五輪では金メダルを盗まれた、開催国がアメリカで無ければ、あの9.11 テロが無ければ彼女こそ金メダリストであるべきだった。大会前は彼女の金メダルを私は願ったがこの時点では村主を上回って欲しくないと思った。序盤で予定していた3回転の後の2回転ジャンプの省略は“高さが出過ぎた為”と佐藤解説員が。続く3回転-2回転は回転不足で2回転-2回転に。それでも彼女の演技は金メダルに向かって行ったが直後の3回転ループでは転倒した。この時点で荒川の金メダルは決まったのだろう。演技が終わって彼女の得点は 114.74 荒川を下回ったが村主を上回ってしまい村主のメダルはならなかった。しかし、コーエン、スルスカヤが転倒するなか日本の荒川、村主は転倒しなかった。それにしてもロシアの選手は旧ソ連邦時代からプレッシャーに弱い。女子の体操など表彰台を独占する様な種目は強いが他国の選手との競り合いになると以外にミスを連発する。日本が体操全盛期も最後にソ連の選手がミスをしたことも。あのセルゲイ=ブブカも五輪、世界選手権では楽勝は無く、晩年は記録無しも。サッカーでも五輪での金メダルはメルボルン、ソウルの2回だけでミュンヘン、モントリオールは銅メダル。地元開催のモスクワ五輪も銅メダル。今回の荒川の金メダルにも当てはまるが一人でなく複数がメダルを狙える選手層でなければ金メダルは取れない。今回もスルスカヤは不運に見舞われた。ショートプログラムでみせた、バックのインサイドエッジからスリーターン(半回転のそれ自体は難しくないターン)して、そのままエッジチェンジせず同じ足で踏み切ったアクセルジャンプは、彼女以外ありえない。コーエンですらまず不可能だ。そして彼女のショートプログラムの滑走順がおかしい。もし彼女の滑走順が終わりのほうだったら、絶対彼女がトップだったはず。あのショートプログラムでの点数は、絶対滑走順のせいだ!低すぎる!とおっしゃる方も多いだろう。 しかしだからといって荒川の金メダルの価値が低いわけではない。彼女も2004年の世界選手権覇者。長野で13位に終わり、前回のソルトレーク大会では出場できなかっただけに喜びもひとしおだろう。 それからミキティ。 4年後真央ちゃんと一緒に表彰台を独占してくれぃ。 最後にこの日の日本人の通勤を快適にしてくれた彼女達の活躍とこれまでの努力に敬意を表します。スポーツはすばらしい

スキージャンプ 団体戦に向けて 大和魂を

2006-02-20 | 冬季五輪
現地時間の18日に行われたスキージャンプ Large hill、日本人選手は 岡部が8位、葛西が15位とNormal Hill よりかは好成績を見せてくれた。前回の個人では船木が Normal, Large 共に9位が最高だったので前回よりは成績が上回ったといえよう。しかし結果を出したのはベテランの二人。来年以降のこの種目に向けての世代交代そしてジュニアクラスの強化が急務だ。岡部は3位 Normal Hill の覇者Norway の Lars=Bystoel とは14点差。距離にして5.5m空けられた。岡部、葛西共に2回目128.5mの大飛行は2回目の5位。それだけに1回目の試技が悔やまれる。圧巻だったのは オーストリア 勢。優勝した モルゲンシュテルン は1回目2位ながら2回目 140m で逆転。 2位の コフラー も139.5m で応戦するが、着地でテレマークが入らなかった分、飛型点で差が付き モルゲンシュルテン に追いつけなかった。 両者の差は僅かに 0.1 。そればかりか、3位の ビストル とは16.1点の差がつき、飛距離では 15m の差がつくほど オーストリア 勢の圧勝であった。オーストリア勢 の優勝は 1992 年の アルベールビル 大会 ノーマルヒル の ベットーリ, ヘルバルト のワンツーフィニッシュ 以来。2年後 リレハンメル では ゴールドベルガー が Large Hill で、長野では ヴィドヘルツェル が Normal Hill で、それぞれ銅メダルを取ったが、 ソルトレイク では Large Hill で ホルンガッヒャー が5位に入ったのが最高で団体も4位に終わり メダル に手が届かなかった。 優勝した モルゲンシュテルン は五輪直前の Willingen 大会( Large Hill ) で2位に入ったが今季のワールドカップでは優勝は無かった。2位の コフラー はその Willingen 大会で優勝をしたが、それ以外では Engelber 大会で3位に入ったのが目に付くくらい。昨シーズン、表彰台はおろか20位以上の成績が1度あるくらいで昨年世界選手権では、Normal, Large 共に団体優勝した メンバー には入っていなかった。今五輪の Normal Hill は11位だった。この勢いで今日の団体でも金メダルをと狙っているだろう。Large Hill の成績がそのまま団体でだせれば オーストリア の金メダルは確実だがそうはかないかも。Large Hill では上位20位までに全選手が入ったドイツ、TOP10 に3名が入った ノルウェー にもチャンスは十分にある。特に前回はわずか 0.1 で Finland を抑え優勝を収め、今大会はメダルが無いドイツは相当な意欲で臨んでくるだろう。その Finland , Normal Hill 銀メダルの ハウタマキ は5位、優勝候補 アホネン は 9位、最後の種目にかけてくるだろう。Austria , Norway, Germany , Finland の4強に次ぐのがスイスと日本だ。スイスは前回の王者 サイモン=アマン の様な大砲はいないが 6位の キュッテル 以下 TOP15 に3人が入っている。キュッテル は Normal Hill でも 5位に入った。全員が特に、3番手、4番手の選手がもう一ランク上の飛行をすればメダルも夢ではない。 そして日本であるが、 Large Hill での結果を引用すれば上位2位の選手だけを比較すれば、 Austria, Norway, Finalnd についで4位になる。従ってスイス同様3番手、4番手、伊東、一戸に結果を出してもらいたい。特に Large Hill が得意なはずの伊東は1回目で TOP30に入れない失敗ジャンプで2回目に進めなかった。その雪辱を期待する。そして岡部、葛西が2回目に見せた様な大飛行を2回揃え、伊東が本来の力を発揮すれば十分に メダル が見えてくると思う。ここで大和魂を見せて欲しいものだ。さもなければ、メダルの期待はいよいよ女子フィギュアしか無くなってくる。日本男児よ女の子に重圧をかけたまま終わるのかい?? 欧州勢にもう一度ルール変更打合せの場を作ってやろうではないか?

女性の輝きは三十路から

2006-02-17 | 冬季五輪
大会7日目が終わったトリノ五輪。まだメダルは無い。一番狼狽しているのはテレビ局をはじめマスコミの連中だろう。だがそんな中、日本列島がマスコミの煽るメダル無しの狼狽に影響され話題にも上らないが大会4日目のクロスカントリー女子団体スプリントでは8位に入賞する快挙。これは本当に歴史的なことなのだが。冬場に北欧やオランダに訪れた事のある人は心当たりがあるだろう。日本で週末や早朝草野球が行われる光景が珍しく無い様に、北欧などでは朝、通勤、通学の為に人々が普通にスキーで雪道を行くのが、子供達が氷上でかけっこの様にスケートで競争に興じているのを目にする。日本が野球でフィンランドやノルウェーに負けることが考えられない様に、彼らはつい最近まで 複合競技 や スピードスケート で日本に負けることなど考えたことも無かった。あるオランダ人が言っていた”オランダで一番有名な日本人は誰だと思う?スピードスケートの SHIMIZU だ。”と、当人の主観も有るだろうが、(私は当時 フェイエノールト にいた小野伸二を期待したが。)日本では4年に1度オリンピックの時にしか話題にされない清水が当地ではスーパースターだ。また昨日は女子スケルトンで英国のシェリー=ラッドマンが銀メダルを勝ち取ったがこれは今大会英国初のメダル。これまで英国は通算10個の金メダルを冬季五輪で勝ち取っている。日本は8個。その8個を上回る英国が今大会これまでメダルが無かったとは信じられるかい?極東の日本が北欧やアルプス麓諸国とメダル争いをしかもルールを変えられてまで演じるなんてすごいことだとは誰も思わない様だ。大会4日目の スピードスケート 女子500m 岡崎朋美の4位は掲揚ものだ。特に1回目の滑走はスタートダッシュ、コーナーリングそして最後の直線の伸びで見事なスケーティングで3位に。2回目はラストの伸びが少し足らず1回目4位の任慧に逆転され僅かの差で4位に終わったが彼女の長野五輪銅メダルを含む3大会連続入賞は他に誰がいた?ボニー=ブレア ( USA ) スーザン=アオフ,モニク=ガルブレヒト ( ドイツ ) カリン=エンケ ( 東ドイツ ) ら4名 World Class ばかりではないか。私の専門である陸上競技の例を上げてみよう。持ちタイムはナンバーワン でも五輪や世界選手権では勝てない選手を山ほど見たが、欧州等で開催されるグランプリレースは1発勝負。五輪、世界選手権は予選、準決勝と勝ち抜かねばならない。こういう大会で好成績を収めるには総合的な体力や筋持久力的が必要だ。五輪のレースでは恐らくWorld Cup を含めた他の大会の2倍、3倍の体力、精神力が要されるのだろう。岡崎にはこういうもに対処する力が備わっていたのだろう。男子の加藤が6位に終わったのもなにか関係有るかもしれない。男子500mは1回目も2回目も上位3名は順番の違いこそあれ結果メダリストで占められ、1回目の4位が及川、2回目の4位は清水であった。だが日本勢のみでなく、今回の500m では他の候補も芳しくなかった。ウォーザースプーン は9位に終わり、オランダのヤン=ボスは11位、連覇を狙ったフィッツランドルフは12位。 女子でも優勝候補の王曼利は2位、もう一人の候補選手 マリアン=ティメル はフライングで失格に終わった。世界の世代交代は想像以上に早いのかもしれない。男女の500mを見て感じたのは韓国勢の台頭だ。男子は李カンソクが銅メダル。80年代後半黒岩彰の ライバル ペ=ギテ ( カルガリー五輪 5位)でも成し得なかった快挙だ。女子では リレハンメル 五輪5位のヨ=スンヒ 以来、李相花が岡崎に次いで5位に入ったが李カンソクは1回目アウトスタートの同走の選手にクロスするときにやや進路を塞がれ、李相花も最後のコーナーでバランスを少し崩し二人ともそれが無ければもっと上位に行けたかもしれない。また中国勢の躍進も目を見張る。特に女子は王曼利、任慧が2位、3位を占めた。かつて喬葉波と言う世界でもトップクラスの選手がおりアルベールビル五輪では銀メダルだった。男子も于鳳桐が加藤の上を行く5位に入った。アジアの中でも3番手に落ちはしないかと心配させられる。だがこの日の岡崎そして優勝したロシアのスベトラーナ ジュロワ(彼女も34歳)2位の王(32歳)を見て言いたい。女性は三十路から輝くと。(但しこれは嫌味に受け取られるかな??)

男子は届かず。さて女子は スピードスケート 500m

2006-02-15 | 冬季五輪
大会4日目最もメダルに近いと思っていたスピードスケート男子500m。 及川の4位が最高で世界記録保持者の加藤は6位。長島は13位。ベテラン清水は18位に終わった。 米国誌Sports Illustrated が予想したとおり今大会は銅メダル2個、いやそれ以下に終わる可能性も出てきた。 Sports Illustrated でさえこの種目で銅メダルをよそうしていたのだ。日本勢だけではない Jerremy = Wootherspoon ( Canada ) も9位に終わった。優勝したアメリカの Joe Cheek は昨年の世界スプリント総合3位。そして韓国のキム=ガンソク が銅メダル。1992年のアルベールビル大会1000m キム=ユンマン(銅) 以来のメダルとなった。しかしアルベールビル大会のキムのメダルは多大なる幸運に恵まれた。当時屋外で行われたこの種目は強風が吹いており、キムの滑走の時のみ無風であった。今回のキム=ガンソクのメダル、韓国では大いに沸いているだろう。何しろ世界記録保持者の日本人に勝ったのだから。80年代終わり頃登場した大型の韓国人スケーター ペ=ギテ を思い出す。黒岩彰の良きライバルであったが、五輪でのメダルは届かなかった。加藤、清水らが何故メダルに手が届かなかったのだろう?思うに最近の日本人選手は 1000m で好成績を収められなくなった。500m, 1000m の両種目の総合ポイントで優勝を争う世界スプリント選手権。かつて黒岩彰が2回優勝している( 1983, 1987 ) 。2001年 Inzell での世界スプリントで清水宏保が総合2位に入って以来、この4年間日本人選手は3位以内に入っていない。 1998年長野五輪では清水は銅メダルを取っている。しかし2000年ソウルでの世界スプリント2日目で清水が1000mで2位に入って以来、同大会のこの種目で3位以内には入っていない。(2005年 Salt Lake City 大会初日の1000m で小林正明が3位に入ったがトリノ五輪には出場していない。)五輪と言う独特の雰囲気の中ではスピードの切れは鈍ることがあるので、スピードの持続性に優れている方が好成績が残せるのではないか?これは陸上競技(コンティはこちらが専門分野なのです。)から引用した理屈だ。100m の選手は 200m を200mの選手は100mか400mをそして800m 選手は 400m 或いは1500m のレースにも参加するがこういう種目を“補強種目”と呼ぶ。スピードスケート にも当てはまりはしないか?そう言う理屈では今夜の女子500m はどうだろう?過去世界スプリントでの総合優勝者はいない。2001年に三宮恵理子が総合2位になった。3位では1989年 Heerenveen 大会での橋本聖子、2003年 Calgary 大会の新屋志保美がそれぞれ入っている。しかし、この大会の種目別 ( 500m ) ではここ2年、大菅小百合 ( 2004年長野初日1位、2日目2位 ) 吉井小百合 ( 2005年 Salt Lake City 初日1位、2日目3位) 岡崎朋美が ( 2005年 初日3位、2日目2位) と好成績を残している。これは男子では見られなかった事だ。ライバル筆頭は中国の王曼麗、オランダの Marianne Timmer そしてドイツの Sabine Völker 。 Canada の 女王 Catrina Lemay Doan の様な絶対的な強さを持った選手がいないので各選手チャンスはあるが、やはり王曼麗が最も強敵だろう。しかし過去短距離では長野五輪の岡崎の銅メダルのみ。マスコミの異様な煽りに選手も我々も飲まれぬように……



日の丸飛行隊再浮上はなるのか?

2006-02-14 | 冬季五輪
現地時間の11日に行われたスキージャンプ Normal hill、日本人選手はトップ10内に一人も入らなかった。ノーマルヒル でのこの結果は1992年アルベールビル以来だ。優勝は Norway の Lars=Bystoel 。Lillehammer 大会の Bredesen ( Large Hill ) 以来の金メダルを母国に齎した。今季 World Cup では岡部が4位に入った1月4日の Innsbruck 大会で優勝したが、まさか Ahonen ( Finland ) らを抑えて勝つとは思わなかった。前回の Salt Lake 大会以降、世界では若手の台頭や Ahonen Hautamaeki ら Finland のベテランの巻き返し、そして Poland のAdam Malysz がやや停滞気味(今季 World Cup では未勝利 )で激戦の年であった。要するに絶対的な優勝候補がいないと言う事で日本人選手にもチャンスはあると見ていたのだが。2位には Finalnd の Hautamaeky 3位には1月21日、22日の World Cup 札幌大会に出場し Normal 2位、 Large で優勝した Norway の Ljoekelsoey が3位に入り、 Ahonen は6位、 Malyszは7位に終わった。前回2冠の Simon Amann ( Switzerland ) は本五輪には出場しておらずと言うよりも前回五輪以降姿を殆ど見せていない。 日本で最高位だった伊東大貴は18位。3位 Ljokelsoey とは21点離された。飛距離を比較すると9.0m 空けられた。やはり2本とも100m以上の距離を出さないとメダルは届かないと言うことか。元々ジャンプ競技は Norway の独断場であった。戦前は Norway にRuud=Birger と言うジャンプの神様と呼ばれる選手がおり、1932年の Lake Placid 1936年のGarmisch-Partenkirchen 大会で金メダルを連続して勝ち取った。その Birger に迫った日本人選選手がいた。1932 Lake Placid 大会で8位に入った安達五郎だ。小柄な安達の飛型に欧州関係者は驚いたと言われる。そして翌 Garmisch-Partenkirchen 大会では伊黒正治が7位に入る。金メダルの神様 Briger とは2.5m差しかなかったらしい。そして転倒をしてしまったがもう一人の参加選手龍田俊次は飛距離では Briger を上回っただけに悔やまれた。しかし当時伊黒、安達22歳 龍田21歳 もう一人の 宮嶋巌は20歳 で次回1940年に開催予定であった地元札幌五輪に大いに期待が寄せられた。しかし、ご存知の通り戦争は全てを持っていってしまう。戦後、敗戦国日本も様々な面で復興を果たすが冬季五輪のメダルは遠かった。しかし戦前から冬季競技の中で体の軽い日本人の特徴を生かせる種目と当時から関係者に期待されていた種目であった。 そしてついに1966年 Oslo での世界選手権。藤沢隆が2位に入る。2年前の Insbruck 五輪では複合競技に出場した
選手だった。この世界選手権1回目は4位につけ、その後天候が悪化。2回目の試技が行なわれるかのジュリー会議が開かれた。日本コーチ陣はひたすら打ち切りを願ったらしい。そうすれば史上初の五輪、世界選手権での入賞者が誕生する。しかし天候が回復し2回目が行なわれる。すると藤沢は大飛行を披露 Norway のWilkora に次いで2位に入った。しかし2年後の Grenoble 五輪では70m級で26位、90m級で18位とメダルには遠く届かない。時を同時にして後に日本史上初の金メダルをもたらした笠谷幸雄が出現する。しかしそれも長い道のりを経ての事だった。Insbruck 五輪では70m級23位、90m級11位。Grenoble 五輪では70m級23位、90m級20位に終わっていた。しかし1970年 世界選手権Vysoke Tatra 大会でついに 70m 級で2位にはいる。そして90m級では藤沢が6位に。その後の札幌五輪での快挙はここに記すまでも無い。だがその栄光の陰にはこれだけの積み重ねがあった。そして笠谷の快挙には藤沢といったライバルがあったから生まれたのは言うまでも無い。札幌五輪で日本人に独占された表彰台には戦後の先駆者藤沢の姿は無かった。1回目4位につけながら(1位~4位までを1回目は日本が寡占した)2回目の失敗で23位に沈んだ。しかし、報道陣で沸く試合後メダリスト達は彼を表彰台に呼んだ。藤沢を含めて日の丸飛行隊だった。 そして24年後の今。ラージヒル、団体で何とか巻き返しをはかるジャンプ陣に奮起を期待したい。。

男子短距離スケート陣 発進 !!

2006-02-13 | 冬季五輪
10日に開幕したトリノ冬季五輪。マスコミの期待するようなメダルラッシュはまだ見られない。しかしモーグルの上村愛子は少し気の毒な結果だと思う。それからジャンプノーマルヒルもトップ10内に一人も入らなかった。ノーマルヒル でのこの結果は1992年アルベールビル以来だ。今夜行なわれる男子 500m 。これでメダルを逃せばメダル無しの可能性も出てくる。確かに加藤条治は持ちタイム参加選手最高の世界記録 34秒30 を持っているが、五輪出場は初めて。長野の清水(金)カルガリーの黒岩彰(銅)は五輪を既に経験した後の快挙。女子の橋本聖子もメダルに手が届いたのは3回目の五輪。確かにサラエボの北沢欣浩(銀)リレハンメルの堀井学(銅)カルガリーの黒岩敏幸(銀)井上純一(銅)宮部行範(銅)らは初めての五輪でメダルを勝ち取ったが、当時の日本短距離陣は当時世界で最高の選手層と質を誇っており五輪日本代表に入ること自体が大変な競争だった時代であった。加藤をはじめ日本選手陣には上位独占の勢いを見せて欲しいが、悲観主義な私はサラエボ五輪での黒岩彰を思い出してしまう。前年Helsinki で開催された世界スプリント選手権で日本人初の総合優勝を果たし翌年のサラエボ五輪では金メダル候補を大いに期待された。しかし当日は雪が降りしきる悪天候。競技時間が順延されるなどの悪コンディションそして4組“アウト”スタートで力を出せず10位に沈んだ。レース直後中継アナウンサーの“この時点で黒岩4位。メダルの夢は無くなりました。”と言ったのを覚えている。しかし、後に登場したのが上記した北沢欣浩。見事に銀メダルを獲得。中継していたNHKアナウンサーは北沢のレース直後“やりました北沢。一発の北沢”と言うように100分の5以内に十数名の選手が居並ぶこの種目。五輪では一発屋が良いのかも知れない。しかし、北沢、黒岩の時代の前にもチャンスが無いわけでは無かった。1964年から1969年の6年間に渡って世界選手権王者の座を守った(1966年Oslo 大会だけ2位)日本人選手がいる。現在の短距離コーチ鈴木恵一氏だ。更に鈴木恵一の前に長久保文雄が1961 Gothenburg 大会で3位 1951年の Davos 大会では内藤進が Holland の Wim van der Voort, 西ドイツの Cronshey を抑えて優勝を収め翌年の Hamar 大会では青木正則が3位に入った。スピードスケート の世界は戦前は Norway, Finland の選手の寡占状態であった。戦後に入り Holland, USA そしてソ連が台頭してきて群雄割拠の時代に入ったがそこに“敗戦国”日本が狼煙を上げた。しかし五輪でのメダルは本当に遠かった。1952年 Oslo 五輪では 500m で青木が12位。長久保は Squaw Valley ,Innsbruckに出場したが Squaw Valley の500m 9位が最高。Innsbruck, Grenoble に出場した世界王者鈴木恵一はInnsbruck では5位、 Grenoble では8位に終わった。どちらの五輪か忘れたがレース前のアップの時にリンク上の小石を踏んでスケート靴の刃が欠けると言うアクシデントにも見舞われたらしい。また当時は 1000m 種目は無く、これがあればとも思われた。ピークを過ぎた1972年札幌五輪は19位に終わる。五輪では幸運に恵まれなかった鈴木恵一のミニドキュメントを数年前 EURO SPORTS Channel で看た。欧州でも名が通った選手だった。 この五輪は Holland の英雄 Ard Schenk の快走を覚えている。同年世界選手権3位に入った肥田隆行もメダルに遠く及ばず14位だった。札幌以降、少しの光明が見えてくる。1973年 Denventer の世界選手権で鈴木正樹が3位に入り翌年の Inzell では鈴木恵一以来5年ぶりの優勝を果たし、1976年の Innsbruck 五輪に期待されたが、500mで11位 1000m で19位に終わった。この様な積み重ねを経て黒岩彰時代に繋がり今日に至る。そして今大会、記録保持者の加藤、ベテランの清水。そして一発の及川、長島圭一郎らが王者Jerremy Wootherspoon ( Canada ) Erben = Wemmemars ( Holland ) らと相見えるが、前回明らかなフライングで星条旗の為に清水から金メダルを盗んだ Fritzrandolph には絶対に勝って欲しい。今五輪から500mは二日間に跨らず同日2本滑る事になった。これが金メダルのこれが吉と出るか凶と出るか。大吉と出ることを祈る。

トリノ五輪開幕 がんばれニッポン

2006-02-11 | 冬季五輪
イタリア北部のSeeie A の強豪 Juventus をホームチームの持つトリノ。この街で第20回冬季五輪が始まった。開会式はさすがイタリアと思わせる演出であった。日本選手団の旗手はスピードスケート代表の岡崎朋美。最近の日本選手団は女子選手が旗手を努めるのが恒例となっているけど風邪は大丈夫なのかな? 2月26日までの17日間に渡って15競技が繰り広げられるが日本はいくつメダルを獲得できるかな? 大会前からマスコミは史上最強の代表団とか10個以上獲得とか女子のフィギュアースケートは表彰台独占とか無責任で無知な事を言っているが子供のとき見た札幌五輪からの道程を考えると世間が考える様に簡単にはいかないと悲観的な考えしか思いつかない。確かにアテネ五輪は16個の金メダルを勝ち取った、だからといってトリノでもメダルラッシュと考えるのは早計だ。1972年、70m級純ジャンプ(ノーマルヒル)で笠谷が金メダルを史上初めて勝ち取る前は1956年、コルティナダンペツッォ のスキー回転種目で今や伝説となっている猪谷千春(現IOC 副会長というとても偉いポジションにいる)が銀メダルを勝ち取っただけであった。笠谷以降も 1976年インスブルック大会はメダル、6位以内入賞者無し、1980年レークプラシッド大会は70m級純ジャンプで八木が銀メダル、1984年サラエボ大会は男子 500m スピードスケートで北沢が銀メダル。1988年カルガリー大会では500m スピードスケートで黒岩彰が銅メダル。と金メダルに届かず、メダル数も2個以上は取れなかった。ようやく1992年アルベールビル大会になってノルディック複合団体で金メダルを20年ぶりに勝取り、フィギュアスケートで伊藤みどりが スピードスケート で黒岩が銀メダル(男子500m ) 井上(男子500m)と宮下(男子 500m )橋本 ( 女子 1500m ) で銅メダル と複数のメダルを勝ち取り大いに勇気を与えてくれた。以降、1994年のリレハンメル、そして1998年の長野五輪へと続いていくが日本の快進撃の前に立ちはだかるのは欧州諸国が結託して行うルール変更だった。自国が勝ち続けているときは何もしないのに、勝てなくなるとルールを変えてしまう。1994年リレハンメル五輪前のノルティック複合、1998年長野五輪後のスキージャンプのルール変更。これらは欧州というよりもスカンジナビア諸国を勝たせる為以外の何物でもない。それだけに前回、ソルトレーク大会のジャンプでスイスのシモン=アマンがノーマル、ラージ2種目制覇した時はザマァミロと思った。(本音は日本人選手に勝って欲しかったが)元々冬季五輪の優勝争いは欧州勢とアメリカ以外は及びでない時代が続き、そこに日本が割って入って来る種目が出て来た。確かにその背景には経済大国という事もあるが、それ以上に日本人独特の物事に対する探究心と技術力があった事を見逃してはならない。老舗の欧州勢の対抗策はルール変更とか、野球やソフトボールの様に競技種目から外したりとスポーツマン精神には乗っとっていない事。ただ外国語にはスポーツマン精神と言う単語は無いのかもしれない。参加選手はそれに打ち勝って頂きたい。市場経済の競争は歴戦の外国製品との競争に勝利を続けてきた我々ビジネスマンに任せて頂きたい。日本の力を世界に見せ付けてくれぃ。