Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

展示会も終わって一息ついて…..

2007-09-28 | Weblog
昨日27日シドニー Darling Harbor で開催された展示会が終わった。さすが大都市シドニーでの見本市は出展者数も入場者数も他の都市と比較して全く違う。第二の都市メルボルンと比較してもその差は目に見えて良く解る。
展示会の楽しみの一つは諸外国から参加する出展社の人達と親しくなる事。毎年、韓国、台湾の人達と展示会期間中、すぐに顔見知りとなり色々と話をする機会がある。我が社は食品加工用の機械メーカーなので自社出展機械で作った製品と他の出展社で作った製品をよく交換する。韓国の出展社からはキムチやブルコギそして韓国海苔をよくもらった。台湾出展社は自国のスナック菓子やちょっとしたつまみもの。そして香港の出展社からはお茶やインスタントラーメン(タイのもあったなぁ。)を分けて貰ったりする。 また地元オーストラリアや隣国ニュージーランドの出展社からはサーモンや肉類を。特に今年はラグビーのワールドカップが開催されているのでワールドカップ談議も。しかし彼らにとって1次リーグはまだまだ関心が低くスコアーを気にする程度。そして特にオーストラリアは9月30日にオージーフットボールのグランドファイナルがメルボルンで開催されるのでそちらの方に関心が向いているみたいだ。

展示会期間中は終日立ちっ放しの上、同じ機械の説明を訪問客に延べ何百回もするので開催時間が終わると本当に疲れてしまう。そして最終日は夜10時まで展示機械の梱包や後片付けなどに時間を取られる。 さすがに昨日、よる11時少し前にホテルに帰って来た時はもう疲れきってすぐにベッドに入った。 この展示会中の救いはラグビーワールドカップの日本の最終戦となったカナダ戦の劇的な同点劇。仕事が終わって着替えて食事に出かけるのだがその時はニュージーランドで入手したジャパンのユニフォームを着て街を闊歩する。ホテルで数人の白人(オージーかな??)がカナダ戦の事で声を掛けてくれた。さすがラグビー大国。

シドニーの街を歩いて思う事は “本当にここはどこなのだろう??” 街中を行くアジア系の特に若者は更に激増している気がしてならない。耳に飛び込んでくる言葉は韓国語や中国語が多い。英語はなかなか……. 一番の繁華街には China Town はともかく、ハングル文字の看板が本当に増えた。 夕飯は結局近所の何軒かある韓国風の定食屋で済ませる事が多かった。 中には日本語の日本食メニューもある定食屋もあり、カツカレーやかつ丼それにうどんも食べられる。味も決して悪くない。ウェイトレス、ウェイターそしてキッチンハンドには日本人のアルバイトもいる。 ただ値段が少し….. とんかつ定食は AS$12.00 ( 1,200円 ) カレーうどんは AS$8.50 ( 850円 ) ラーメンは AS$10.00 ( 1,000円 ) する。日本で1,000 円も出せばかなり高級なラーメンが食べられるが…… 原因は土地の価格高騰からくる家賃の上昇。中心街に定評の高い、人気の回転すし店舗があるのだがそこの家賃は銀座の一等地よりも高いらしい。 これでは日本の価格を持って来てはとても商売にならない。しかしこの1000 円のラーメンに850円のカレーうどん、そして1,200円のとんかつ定食のお店が実によく繁盛しているのだ。 展示会の最終日、後片付けを終えて着替えて夕飯をと思って外に出たのがもう午後11時半。この1,200 円のとんかつ定食のあるハングル文字の看板のかかった定食屋はまだやっていたのでそこに入った。このシドニー滞在中2回目の訪問だ。 周りは殆ど韓国人の若者達。恋人同士、友達同士そして数人の仲間連れも。一人で来ているのは私一人だった。 こういうのを完全アウェーと言うのか?? ちょっとちがうだろうな…..

すると奥から店のご主人らしき人が出てきた。一人でいる私に話しかけているけど韓国語なので何を話しているかは….. すると奥に引っ込んでしまった。悪い事をしたかな?しかし言葉わからんしなぁ…. そうしたらすぐに出て来て私の机にスープを置いた。そして一言 “サービス” と言った。私も“ Thank you 、カムサハムニダ。 I’m Japaese, イルボンサラムニダ”と言ったら、“あぁ、にほんじんですか??”と答えてくれた。 中国人と思われていたのかな?? 私が2回目に来た事を憶えていてくれてサービスでスープを出してくれたのだ。

あぁ、韓国語を話せればなぁ…….. 今度こそ勉強を始めよう。そしてこう言う時にコミュニケーションを取れる様になれば,もっと楽しめるのだから……



終了直前 炎の同点劇  ワールドカップラグビー 対カナダ戦

2007-09-27 | Weblog
時計の針はもう82分を指そうとしていた。ラインアウトから思い切ってオープンに展開。フランカー・マキリがインゴールへけり込んだ。ボールは右隅に転がる。FB有賀が追ったが、ボールはエンドラインを越えた。あぁもうこれで終わりやわ…と思った。しかし南アフリカ人の Jonathan Kaplan 主審がなにやら無線を通じて話をしている。テレビのレプレイには何度もマキリが蹴り込んだボールを追う日加の選手達が映し出される。広告看板に激突したカナダ選手もいたけど、怪我を心配するほどの事も無さあそうだった。すると主審はボールを追ったカナダ選手がボールをはじき出したとしての反則を取った。それを確認していた様だ。これはついていた。恐らく誰がボールを触らなくてもそのままボールはラインを割っていただろう。そしてそのままノーサイドとなっていただろう。
敵陣ゴール前5メートルライン上から九死に一生を得た日本が攻め込む。大観衆の声援に後押しされるようにしてFWがラックを連取。素早い球出しからSH金、マキリ、そしてCTB平とつながれたボールは、ついにゴールラインを越えた。ホテルで一人この試合中継をテレビ観戦していた私は思わずヨシ!! ヤッタ!ヤッタゾォ~!! と叫んだ。中継するオーストラリアチャンネル10のアナウンサーも “ Dramatic !! “ を連発する。



しかしまだリードされていたのだ。でももうなんだかそれで良いと思った。これで良いとも思ってしまった。しかしゴールキックをセットする大西が画面に映し出されると私は“大西、大西、大西”と何度も叫んだ。そしてゆっくりと時間をかけてこのキックに集中した大西が助走に入る。アナウンサーも“全ての日本のサポ―ターが見守る”と言葉を発する。カナダの選手達が突進をして来る中……. そういえば先制トライのあと、そんなに難しくないゴールキックを決められなかったなぁ..一瞬頭をよぎったけど



それよりも更に難易度の高そうな右タッチラインからほぼ5メートル内側のゴールキックはそのままポールの内側に吸い込まれ、同点に追いついた。
そしてノーサイド。 第2回大会のジンバブエ戦以来のワールドカップ連敗を13で止めた。あぁあれからもう16年が経つのか…俺はまだ20代だったなぁ………. 時計の針はもう午前4時近くになっていた。試合の余韻に浸る暇なく部屋の明かりとテレビを消して翌日の仕事に備えねばならなかった…….



日本を出発してオーストラリア入りして2日目の夜の“イベント”は ラグビーワールドカップ の日本対カナダ戦。Wallabies, Wales には歯が立たなかったが Fiji には健闘しただけに最後のカナダ戦には何とか….との思いが強かった。心配だったのはこの日本戦が現地で中継されるかということだったが、そこはラグビー先進国。日本対カナダ戦もしっかりとしかも地上波 Channel TEN で生中継されることに。キックオフは日本時間の午前1時。シドニーと日本の時差は+1時間だから午前2時試合開始だ。これが Wallabies のグループリーグだと現地時刻でのキックオフ時間が下記の通りになる。
初戦  9月  8日 日本   23:45  第2戦  9月15日 ウェールズ23:00
第3戦   9月23日 フィジー 22:00  第4戦 9月29日 カナダ   23:00  
これらの時刻は東部(シドニー)標準時刻なので西側のパースでは更に2時間早くなる。 また All Blacks の New Zealand は 下記の通りだ。
初戦   9月8日       イタリア 23:45  第2戦 9月15日 ポルトガル 23:00
第3戦 9月24日スコットランド 03:00   第4戦 9月29日 ルーマニア 23:00

試合時間も試合日程もかなり考慮されている気がする。まぁ試合日程はシード国だからかもしれないが Group A のイングランド、南アフリカ、 Group D のフランスよりも日程は恵まれているか????

選手達が入場する前にコイントスで日本が勝ったことが字幕に出て来る。これは縁起が良いか?そして日本の君が代が先に流れる。頼むぞ!!と思わず声が出る。日本のキックオフで始まった試合は前半12分に吉田のパスを受けた遠藤が40m の独走で先制トライを決めた。何度もRyan Smith と Adam Kleeberger そしてVan der Merwe を細かなステップでかわすところが映される幸先の良いスタートだ。



しかし以降は防戦一方。本当に足が徳俵にかかった状態が何度あったことか。前半の終盤に映し出さされたボールポセッションでは何と日本は36%しかなかった。 
前半を何とか無得点に凌いだもののこれは失点は時間の問題。その前にPGでもいいから何とか次の点を先に取ってほしかった。しかし49分に Pat Riordan にやや左側に同点のトライを決められてしまった。せめてあと5分持ちこたえてほしかったなぁ….しかしゴールキックは Ryan Smith がミスしてくれて同点どまり。まだツキはあるぞ….と思うもまだまだ防戦のシーンが続く。52分にはその前から目の上を切っていた相馬がベンチに下がる。相馬は英国紙には Key Player として名前が挙がっていただけに少し残念だ。 絶対絶命のピンチが箕内が身を呈して防ぐだシーンも…..
それでも60分過ぎに久々にカナダ陣内に侵入。ペナルティーを得てそれをコーナー付近に蹴り込みラインアウトからチャンスを伺う。ゴールラインまであと5mもない。しかし最後はバツベイの突進を押し返されてチャンスを生かせなかった。そして65分。遂に逆転ゴールを許す。ペナルティーを与えてしまい Morgan Williams の速いリスタートを直接左サイドに走り込んだ Van der Merwe に繋がれそのまま逆転のトライを許した。そして James Pritchard がゴールキックを決めて 5-12 とこの試合初めてリードを許した。しかし、ペナルティーとなったあの not release the ball の判定は少し疑問だ。その判定にブーイングも沸いたのだが。逆転されてからの日本は オープンに展開する様になりカナダ陣内で試合が展開されるようになる。76分過ぎには “ジャポン!ジャポン!!”の声援も沸く。これも体格で劣る日本への判官贔屓か?それともオープン攻撃を展開する日本への声援か? しかし試合時間は刻一刻と過ぎる。英国紙も書いていたなぁ

“体格がすべてでは無い。勇敢な Blossoms は大きなハートを持っている。しかし彼らの主な野望は2011年大会でのベスト8進出だ…。”

試合前の Channel 10 の解説者も

“日本が2015年にワールドカップを自国開催したいのであればこの試合は勝たねばならないだろう…”

あぁこれがワールドカップなのだろう。日本が“射程距離”と思う相手も“日本には勝てる”と思っているのだ。どんな競技でも………..

試合後のコメントは下記の通り。

Japan coach John Kirwan:
"恐らくこの試合は日本、カナダ両国にとってワールドカップの決勝戦の様なものであっただろう。40,000人の観衆はきっと満足して帰途についたであろう。この試合のパフォーマンスについては極めて平均的だ。実質的によくやれたとは思えない。もっとやれたと思う。引き分けに終わったのはほろ苦い結果だ。しかし我々はまさに最後まで意地を見せ続けられたと。“

Canada coach Ric Suggitt:
"我々は自分たちを見つめ試合に勝つためには何をすべきかを遂行せねばならなかった。我々は後半引き離すチャンスがあったがそれをしなかった。“

Canada captain Morgan Williams:
"ボールが最後にラインを割ったのは81分だった。そしてその後更に3分試合が続けられた。主審の時計が壊れていたのか目が見えないのか私は知らない“

Williams が語った様にこの試合のロスタイムの長さが物議を醸しており、“勝利を盗まれた”と言うカナダ人サポーターも。まぁそれを言うならあの not release the ball も議論してくれよ。最後にこの試合の中継で日本では問題が発生していたらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070926-00000148-jij-spo

あぁあのシーンが中継されなかったのかぃ????? 日本のテレビ局は何をしているのだろう????この日、この試合をオーストラリアで見られた事に幸福を感じるよ。

ワールドカップ開催中なんだけど…..

2007-09-23 | Weblog
9月7日からフランスと英国で開催されているラグビーのワールドカップ。我がジャパンもアジア代表で参戦しているが、ここ日本ではなぜか全くと言っていいほど何も報道が伝わってこない。4年に一度開催されるラグビーでは世界最高の大会ではないのかな?? 日本でもラグビーは人気スポーツの一つだ。私が学生時代でもラグビーは大人気。私がしていた陸上競技なんて誰も見向きはしなかった。しかしよく考えれば昔から日本にあるラグビー人気は代表よりもむしろ学生ラグビーが主流だった気がする。それも関東勢の。結局テレビ局や政治家など世間に影響力を持つ人々が関東の“老舗大学”出身が多いのでそちらの方が主流なのだろう…..
今大会、大会開幕時は幸運にもオーストラリアに商用で滞在していた。おかげで日本の開幕戦である地元の Wallabies との試合は現地の地上波で観戦する事が出来た。第二戦の Fiji 戦。メンバーを替えて臨んだこの試合は激闘の末 31-35 で惜敗した。この試合の時は New Zealand の Christchurch に移動していた。
New Zealand と言えば All Blacks 。今大会は優勝候補で20年振りの優勝に地元も期待も大きく街を挙げて All Blacks に期待をよせているのがよくわかった。 Fiji との試合は現地時間の午前3時半キックオフ。しかし地上波で放映されるので是非見て下さいね、と地元の邦人の人に教えて貰いながら移動の疲れでこの試合を見逃してしまった。残念な事をしてしまった。 第三戦のウェールズ戦は日本時間の9月21日午前4時ごろから。この試合も出張の疲れで試合を録画して後に観たのだが、日本でテレビ観戦できるワールトカップは日本戦のみ。
もちろん CS放送 J Sports で全試合中継がなされているらしいが、どうもサッカーのワールドカップとはかなり報道に差があると思わずにいられない。 
昨年ドイツでのワールドカップでは連日日本選手の一挙手一挙動が非常に細かく伝えられたが、このラグビーのワールドカップでは何も報道されてこない。
また開幕戦はホスト国のフランスがアルゼンチンに 12-17 で敗れるという波乱のスタート。そしてグループリーグではベスト8を目指して連日熱戦が繰り広げられているが、さっぱりその様子が報道されてこない。
Group A では前回覇者の England が優勝候補の南アフリカに 0-36 で完敗するなど“予想通り”の苦戦。
28日にはトンガとベスト8を掛けてグループリーグ最終戦に臨む。
日本のいる Group B では Australia Wallabies が圧倒的な強さを見せ、2位を掛けて Wales と Fiji が 29日に対決する。 
Group C には New Zealand All Blacks が余裕の試合運び。2位も Scotland でほぼ決まりかもしれない。 Italy, Romaniaでは少し Scotland の相手にならないかも知れない。大会前日本にテストマッチで敗れたポルトガルは All Blacks 相手に13点を取って健闘した。
Gorup D は大波乱。地元フランスがアルゼンチンに敗れ一時はベスト8落ちも懸念されたが日本時間の22日にサンドニで行われたアイルランド戦で 25-3 と勝利を収め1次リーグ落ちは何とか免れそうだ。
こうした試合を思う様にテレビ観戦出来ないのは果たして今後のラグビー人気を考えたらどういう事かは言うまでもないと思う。 ラグビー少年達の心中を思うと…..
そうでなくても IRB は大会出場国枠を20から16に戻そうとしている。そうなると日本の出場の可能性は……
日本の報道陣にジャーナリズムはまだまだ宿らないね。俺がサラリーマンをしているうちは無理か?????

9月25日。我がジャパンはワールドカップ2勝目を目指してカナダ戦に臨む。
今大会はまだ3連敗中だけど選手達の奮起を期待する。

そして私は23日から再びオーストラリア出張に旅立ちます。25日はシドニーです。いきつけのバーでこの試合を観戦する予定。でも身体に発疹が出ない事を祈るよ……
でも日本が参加している大会をテレビ観戦するのでさえ国外の方が都合よく観られるなんて本当に日本のスポーツジャーナリズムはどないなっているのだろう??

ACL 準々決勝 好調J リーグ勢 そして俺は……

2007-09-23 | Football Asia
9月16日にニュージーランド、オーストラリアの商用の旅から帰国。
二日後の19日にはさいたまスタジアム2002に行って Asia Champions League の浦和レッズ対全北現代の試合を観戦する予定であった・・・・・・・

翌日17日は祝日だと言うのに野蛮な我社は出社日。朝の通勤ラッシュが避けられたのは唯一の救いか…. 会社に行って机上に山積みされた書類やら部品を片づけつつ出張中にペンディング事項になっていた事も優先順位をつけながら一つずつ……. しかし夕方から腹の調子が…… 俗に言われる飽満感にさいなまれ、帰宅しても食欲はさっぱりわかずそのまま寝入ってしまった。 そして深夜、強烈な腹痛で目がさめ脂汗がしたたり落ちる。激痛は半時間余りで鎮痛された。翌18日朝、食欲は無いものの痛みは無かったのでそのまま会社に。昼食も抜いたが夕飯時には食欲も出て来て軽くメシを食って寝た。19日朝起床時にはほぼ体調は普通に戻っており家族で朝食を摂ってそのまま出社。この日はさいたまスタジアムに行く予定でった。少しからだはだるいけど大丈夫だろう…….
昼食は久々に再会したアメリカ駐在員と近所の焼肉屋に食いに行った。ここの昼定食は肉の味もボリュームも良く定評があるのだ。おいしい定食を食いながら色々な話をしながら昼休み時間も過ぎて行き店を出てデスクに戻った。さて午後の仕事を片付けてあとはさいたまスタジアムに…….と思うと、なぜか身体中が少しずつ痒くなって来る。 その痒みはあっという間に全身にひろがり、後輩の“どうしたんですか?顔が真っ赤です….”の言葉に洗面所に行って鏡を見ると顔中に発疹が。そして首筋、腕、足のすねさらに足の裏(これは水虫か?)に発疹と痒みが広がっている。更に胴周りに背中…… そう言えば激しい腹痛が鎮まった深夜、少し身体が痒かったなぁ………. しかしこの時は痒みも発疹もなかなか引かない。結局一時間程度早く早退して近所の病院に直行する事に。 顔馴染の先生は私の発疹を見るや否や、”あぁこれ腸から来ていますね。腹痛が酷かったでしょう…..云々”と非常に的確にここ数日間の私の症状を言い当てた。この手の発疹は腸と直結しており、何か食べたものがあたって腸に来て腸が激しく膨張しそれが急激な激痛を引き起こす。今の状態で肉等の腹に堪えるものを食うとそれが腸などに負担がかかり発疹が急に出るとの事であった。注射を打って貰い、その後は整腸剤のおかげもあって発疹も腹痛も出てはいない………
しかしながら楽しみにしていた ACL の浦和戦は観戦できなかった。チケットまで買っていたのに。息子は特に興味湧かなかったのかこの試合には行かないと言っていたので自分一人分のチケットしか買っていなかったのがかえって良かった。

数日後にBSで録画中継された試合を観たが立ち上がりから浦和が主導権を握り優位に試合を進めていた。ロスタイムの失点は少し痛かったと思う。でもオジェク監督は気にしない旨のコメントを残した。 一方の全北の崔康熙監督は試合前日の午後11時。父親御逝去の連絡を家族から受けながらそれを隠して浦和戦の指揮を執っていたそうだ。

http://www.chosunonline.com/article/20070920000068

崔康熙といえば1990年ワールドカップイタリア大会の韓国代表メンバー。チームは1次リーグで帰国したが3試合(ベルギー、スペイン、ウルグアイ)に全てフル出場を果たした。1989,1991年の日韓定期戦にも出場したDF選手だ。

また翌日の朝鮮日報紙はさいたまスタジアムのレッズサポーターについても紙面に“日本にも赤い悪魔が”とのみ出して報道を。

http://www.chosunonline.com/article/20070920000024

9月26日、今度はレッズサポーター軍団が敵地に乗り込むだろうが、これには全北側も歓迎しながら胸算用をしていると思う。9月19日、ACLに臨んだ同じ韓国勢の城南一和はホームにシリアのアルカラマを迎え 2-1 と逆点勝利を収めたが、城南タンチョン総合運動場には数えるほどの観衆しか集まらなかったらしい。その原因は時ならぬ大雨だったらしい。  
今やレッズサポーターの名声はアジア諸国に轟こうとしている。来シーズン ACL 出場が決まっているオーストラリア A League のディフェンディング王者 Melbourne Victory のサポーター達は“是非日本のクラブチームと同じグループに入りたい。出来ればウラワ・レッズと同じグループでやり、Sydney FC 戦で彼らが見せたあの素晴らしいサポートを見たい。”と言っていた。レッズサポーター達は既にある歴史の1ページを作ったと言えるだろう。それは同じ日にナグシ・エジャハン・スタジアムに乗り込んで熱心な声援を送り続けたフロンターレサポーター達にも当てはまる事だ。 NHK BS の中継を観てロスタイムに入ると“最後 !最後!! もっと心の底から大きな声出そうよ”と鼓舞するリーダーの声に続いて御馴染の応援歌が声高に響き出した時に私は熱いものを感じた。

MCG にて Australia vs Argentina 後半 Adios Skoko

2007-09-15 | Aussie & Kiwi

ハーフタイム中にどこかもっと見易いところは無いかと競技場内を徘徊する。結局ゴール裏のオーストラリアサポーター席に紛れて立ってみる事にした。もちろんここには立見席は無く、彼らとてそこの座席を指定しているのだろうが。 ここ MCG はサッカーではあの 1997 年のワールドカップ予選のイラン戦、MCGの悲劇と呼ばれた舞台でシドニー五輪の際も Olyroo がここでイタリア戦を行った。そして Aussie Football の Grand Final が行われる競技場としてでも有名だ。昨シーズンは A League の Melbourne Victory が優勝し、 Telstar Dome でさえ満員札止めになるのだからここで開催してはと言う案もあるらしいが、サッカー観戦には少し大きすぎると感じた。



さてエンドが替わって後半、ゴール裏に回ったこちらにアルゼンチンが攻めて来る。アルゼンチンの攻勢を見越しての席替えなのだけど。49分にあっさりとアルゼンチンに先制点が入ってしまった。 Messi がドリブルで突破し倒されてFKを貰うとやや右サイドから Manchester United の Carlos Tevez が入れたFKのクロスに Martine Demichelis が飛び込んで頭で合わしてゴールネットを揺すった。 Tevez のFKは本当に早かったがそれを合わせた Demichelis も見事だった。 潮が引く様にサポーター達が静かになってしまった。
しかし51分に拍手が沸く。ベテラン Skoko がベンチに下がるのだ。大歓声に拍手で応えピッチを去る前に Zanetti と抱き合いそしてオーストラリアの選手達と握手をする Skoko 。この出身地 Melbourne はそして MCG は本当に思い出のスタジアムになるであろう。2000年はシドニー五輪をこの競技場でプレーし、昨年のワールドカップ前の壮行試合試合のギリシア戦ではゴールを決めた。ワールドカップでは出番が無かったがアジアカップ予選のバーレーン戦でもゴールを決めた。代表試合出場数は10年間渡って50を数える。また1人 オーストラリアのサッカー史を支えた選手が去った。



この Skoko の交替を機に?オーストラリアが攻勢に出る。52分には Carl が53分には FK からBreschiano が強烈なショットを放ちそれぞれ GK Abbondanzieri のファインセーブを引き出す。 さすがワールドカップでもアルゼンチンゴールを死守したGK。
準々決勝ではクローゼと激突し交替を余儀なくされた。もしそれが無ければ・・・・・Breschiano はこの日2本目の惜しい直接FKだった。58分にはその Breschiano に替って Holman が投入される。アジアカップにも出場した Holman は Socceroos 期待のFWだ。18歳の時に当時小野伸二のいた Feyenoord と契約するもすぐにレンタルに出されるたがオランダ生活も6シーズン目の今は NEC Nijmegen のレギュラーだ。67分には地元の大歓声を後に Thompson が下がり昨シーズンまで Newcastle Jets でプレーをし今はトルコリーグの Gencelerbirgli に移籍した Nick Carle が入る。 Carle もアジアカップの日本戦に出場した。
若い攻撃陣の投入に刺激されたのか David Carney の左サイド攻撃がこの時間から目立つ様になって来た。そのサイド突破から見事なクロスが入ったが僅かに Kennedy に合わなかったが、1対1でも堂々と渡り合う様になった。そして前半の終盤から Messi に対しても身体を張って突破を食い止めるシーンが。77分にはインターセプトを見せ、 Holman のシュートを引き出す。 
また Culina も負けじとアルゼンチンゴール前の右サイドでテクニックを見せDF二人をかわし観衆を喜ばす。

前半冴えに冴えた Messi のドリブルもやや陰りが。疲れが出てきたかな?何度か倒されてもファールを取ってもらえず主審に激しく抗議をする場面も。85分には Grella に倒されちょっとした小競り合いも。その直前には Tevez がアルゼンチンサポーターから大歓声を浴びながら Saviola と交替でベンチに下がる。その Saviola が90分に久々の Messi の左からの突破からシュートを打つがこれは力なく Shcwarzer が片手でキャッチ。そしてその直後に Messi が FIFA U-20 に出場した Sergio Agueroと替ってベンチに下がったがこの時ばかりはアルゼンチンサポーターだけでなく競技場全体から拍手が沸き起こる。 だが周りのサポーター達は何とか同点をと声援を送るが3分なったロスタイムも過ぎて 1-0 のままタイムアップとなった。 

翌日の新聞はこの試合を非常に肯定的に評価しており、特に Messi, Tevez にゴールを許さなかった事と、 Carney や Breschiano, Kennedy ら攻撃陣を評価。 Viduka, Aloisi 無き後の新戦力となるだろうか?この試合が最後の指揮になるかもしれない Arnold 監督は A League の進化こそ Socceroos の底上げとコメントしていた。彼が指揮した13ヶ月間で起用した選手は延べ53人となるらしい……
アルゼンチン側には何か収穫はあったのか??ノルウェー戦には敗れたがこの試合後も“今は勝敗は度外視する”といったコメントを寄せていたけど…..
この試合の勝利を最も喜んだのはアルゼンチンからのオーストラリアに移り住んだ移民達だろう。試合後もしばらく競技場の外で彼らの Fiesta が続いていた。  
この日私は Warren のユニフォームを着ていたけど、マラドーナのイラストの入った白と水色の縦じまのレアもののレプリカを着たらよかったかなぁ…….とも思った。




翌日私は朝6時の飛行機で再びニュージーランドに向かった……

Match Details Australia 0 Argentina 1 (Martin Demichelis 49’)

Australian line-up: GK 1 Mark Schwarzer ; 2 Lucas Neill (c), 4 David Carney,
5 Jason Culina, 6 Michael Beauchamp, 7 Luke Wilkshire, 8 Josip Skoko ( 17 Carl Valeri 51’), 9 Joshua Kennedy ( 22 Nik Mrdja 82’), 11 Archie Thompson ( 19 Nick Carle 62’), 13 Vince Grella, 23 Mark Bresciano (10 Brett Holman 58’)

Argentina line-up : GK 13 Roberto Abbondanzieri ; 2 Martin Demichels, 6 Gabriel Heinz, 8 Javier Zanetti, 11 Carlos Tevez ( 7 Javier Saviola 85’ ) 14 Javier Mascherano , 15 Gabriel Milton 17 Nicolas Burdisso, 18 Jonas Gutierrez
( 5 Fernando gago 72’ ) 19 Lionel Messi ( 2 Sergio Aguero 91’ ), 20 Federico Insua ( 16 Cristian Ledesma 82’ )

Referee: Michael Dean (England) 

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MCG にて Australia vs Argentina  前半 メッシの高速ドリブル

2007-09-15 | Aussie & Kiwi

9月11日。オーストラリア第二の都市 Melbourne の市街地にある Melbourne Cricket Ground にオーストラリア代表はアルゼンチン代表を迎えて親善試合を行った。このカードは元々アジアカップ前の6月6日に開催される予定であったが、アルゼンチン側が6月2日にスイスとの親善試合を組んでいた為、中3日で南半球まででかけ万全の調子で試合が出来ないと延期を申し入れてきた為にこの日の試合開催となった。
それなら初めから試合なんか組まなければ良いと思うのに、それに強く抗議出来ないのは FIFA ランク2位が相手だからか?
今オーストラリア国民の最大の関心はフランスで開催されているラグビーのワールドカップ。その地元フランスは初戦でアルゼンチンにまさかの敗戦を喫したので、ここにいるアルゼンチン系の市民は大いに沸いているそうだ。そしてかれらの英雄 “Los Gauchos “ ことサッカーの代表が来豪したのでメルボルンの街には白と水色の縦じまのユニフォームを着て闊歩する人がけっこう目立った。
ここでアルゼンチンサッカーの栄光を羅列するまでもないが、過去オーストラリアとは6回対戦してアルゼンチンの4勝1敗1分。得点はアルゼンチン11、オーストラリア7だ。そのうち2回は1993年行われたワールドカップアメリカ大会のプレーオフ。南米地区予選の最終戦、ブエノスアイレスにコロンビアを迎えたアルゼンチンは何と0-5 で敗れてしまい、オーストラリアとのプレーオフ戦にまわる事に。その試合をスタンドで観戦していたマラドーナがオーストラリア戦への代表復帰を表明した事を憶えている人も多いだろう。ホームゲームではアルゼンチンが1-0 で勝利を収め、シドニーで行われたゲームでも 1-1 で引き分けマラドーナは母国をワールドカップに導いたが、もし日本代表がワールドカップ予選の様な試合でアルゼンチンと戦った時にホームゲームででも引き分けられるだろうか??
そして1988年シドニーで行われた親善試合でオーストラリアはアルゼンチンを 4-1 で降している。マラドーナは居なかったが GK イスラス、オスカー・ルジェリ、ディエゴ・シメオネ、エルナンド・ディアスらがいたらしい。そしてオーストラリアは Charlie Yanko の30m のFKをイスラスの守るゴールに直接叩き込み、それは Socceroos の中でもトップ10にはいるゴールとされているらしい。 

仕事を何とか終えて MCG に向かうがここは到着してから入場口に辿り着くまでが時間がかかる。ようやく着席出来た時は既に試合が始まっていた。それにしても一番高い AS$150 ( 約16,500円 ) の席を買ったのに2階席で見通しが悪かった。救いはテレビモニターが随所にありリプレーをすぐに流してくれるところ。しかしここまで来てピッチでなくモニター観戦をしに来たわけではないのだが…..



アルゼンチンは8月21日のノルウェー戦のスタメンからLionle Messi, Gabriel Milton, Macherano そして Zanetti 以外はメンバーを入れ替えてきた。 Copa America のメンバーも Messi をはじめ9人入っている。そしてワールドカップには怪我で出られなかったJavier Zanetti もいる。

一方のオーストラリアは GK Schwarzer, そしてDF は4バック。左から Sydney FC から Sheffield United に移籍した David Carney, Beachamp, Lukas=Neil そして Willkshire とアジアカップと同じDFライン。ボランチに Grella と Culina を置き、昨年ワールドカップの日本戦に途中出場した長身 194cm の Kennedy がワントップ。2列目の右は地元 Melbourne Victory と言うよりも A League のエースストライカー Archie Thompson 左に Bresciano そして2列目やや後ろの真ん中にベテランの Josip Skoko が配置される。実はこの試合は Skoko の代表引退試合でもあった。

立ち上がりはどちらかと言えばオーストラリアが大歓声に後押しされて前の出るシーンが目立った。しかし10分を過ぎると Messi のドリブル突破が目立つようになる。16分には Grella, Carney をかわして放ったドリブルシュートが左ポストを直撃する。

そのシーンが何度もリプレーで映し出されその度にゴール裏のアルゼンチンサポーター達から大歓声が沸き起こる。オーストラリアは Kennedy の頭を執拗に狙う。20分には Kennedy が頭で落とした所を Bresciano から Thompson に繋がりシュートが惜しくも外れる。地元のエースに大歓声が沸く。23分にはまたも Kennedy にハイクロスが送られ、Burdisso, Gabriel Milton に挟み込むように倒されゴール正面でFKを得る。このFKを Bresciano が直接狙うと GK Abbondanzieri が何とか弾き出すもクロスバーの内側に当たりそのまま下に落ち再び Abbondanzieri の頭に当たりゴールの外に弾き出されたが、その時にゴールを割ったような気がした。このFKのリプレーに場内から大きな溜息が洩れる。すると今度はまたも Messi がドリブル突破を見せ Beachamp を振り切ってシュート。これをGK Schwarzer が何とかキャッチ。流石バルセロナの Messi はドリブルを始めるとファール以外では止まりそうにない。日本のDF陣だったらどう対応するのだろう??しかしオーストラリアの攻撃が続く。28分には左サイドを突破した Willksher がそしてその直後には FK から Lukas Neil が Kennedy の頭を狙う。その後も Kennedy が落とした所を Thompson が詰めて惜しいシュートを放つ。そうかと思えば35分に Kennedy は左サイドにより見事なクロスを入れるが僅かに Thompson に合わない。37分にはCKから攻撃参加の Neil がミドルを放つが大きく外れた。アルゼンチンは最前線と最後尾が非常にコンパクトなのでその間をパスで通そうとしてもすぐに網に引っ掛かってしまう。従って攻撃の糸口はセットプレーかサイドか後方から Kennedy の頭を狙って放り込む事しか選択肢が限られてくる。しかしその後がなかなか続かない。アルゼンチンのDF陣、Zanetti, Heinz, Milton, Burdisso も出足が早くてこぼれ球に寄れない。ベテラン Javier Zanetti の読みも良い。アルゼンチンの攻撃は Messi のドリブル突破からがほとんどだ。44分にはこの19番のドリブル突破から Heinz に渡りシュートに持ち込まれるがなんとかコーナーに逃げる。そして前半はスコアレスのままハーフタイムの笛が鳴った。 Viduka, Kewell, Cahill 抜きのオーストラリアは攻撃力がやや迫力不足か? それにしてもメッシのドリブルの印象が残る前半であった。 後半に続く

 

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Newcastle にて Olyroo vs 北朝鮮 後半

2007-09-13 | 五輪 U-20, U-17
ハーフタイムの間、この試合のメンバーリストを貰おうと“記者席”を探しに競技場内を徘徊し始めるが既存の記者席には Press 関係らしき人は誰も座っていない。そこで2階席に行きいくつか並んでいる小さなプレスルームらしきものの中で電気の点いている所に行くと2,3人記者らしき人がいた。5月にさいたまスタジアム2002で行われたACL の試合で顔見知りになり、バンコックではアジアカップのゲームで偶然再会した地元のジャーナリストを探したのだが彼は見当たらなかった。若い記者に彼の事を訊くと“多分まだ陸上競技の世界選手権の取材で大阪にいるのではないか?”とのことであった。大会が終了してからもう1週間以上が経過していたのに….. そこでその彼に事情を話してこの日のメンバーリストを書き写させてもらった。その替わりに私の知る限の北朝鮮の選手の事を教えたけど役に立ったかな……
ここに座って試合を観ても良いと言われたけど、2階席では全体の見通しは良いが選手間の迫力は伝わってこない。御礼を言って席に戻る事にした。でも本当に日本の五輪予選のゲームでは考えられない出来事の連続だなぁ……

後半に入って両チームメンバー交代は無かった。フォーメーションは… と確認しだす前の48分、オーストラリアが後半2本目のCKを得る。Sarkies が上げたCKを Milligan がドンピシャのタイミングで頭で合わせて北朝鮮ゴールネットを揺らした。前半の半ば過ぎから好セーブを見せていた Ri Myong Guk も成す術はない見事なヘッドだった。しかし北朝鮮DFのゴール前でのマークもやや甘かったか…..



ようやくの先制ゴールで湧き返る観客の後押しを受けて更にオーストラリアが攻勢に出る。53分には右サイドをドリブルで突破した Sarkies が Cha Jong Hyok と Pak Chol Jin に挟まれながらもフリーの Ward にスルーを通すが Ward のシュートはバーを越える。56分には Leijer のミドルが飛ぶ。北朝鮮も中盤でボールが回るのだがPA付近でのラストパスのタイミングが1歩遅い様な気がする。それでも59分、オーストラリアゴール前に持ち込み一旦はクリアーをされたボールをそのまま狙い澄まして放ったミドルはクロスバーを直撃にその真下に落ちたボールがオーストラリアDFにクリアーと言うよりも頭のてっぺんに当たってゴールを割れ無かった。完全に入ったと思った瞬間だった。このミドルを放った選手を見損ねてしまった…….そしてその直後のプレーで Kim Yu Chol にイエローが出された。まだ焦る時間じゃないんだけど… それともさっきの惜しいシュートを思い出したのか??
オーストラリアは64分 Ward に替えて61分頃から交替の為にピッチサイドで待機していたAdelaide United のストライカー Bruce Djite を投入した。追加点を狙う交代だ。 しかしこの時間から徐々に北朝鮮が前に出てこれるようになる。 Pak Nam Chol をトップにあげワントップだった Choe Chol Man と2トップを組み、2列目の右に Kim Yu Chol 左に An Chol Hyok を張り出させた。66分には Kim Yu Chol の上げたクロスを Leijer に競り勝った An Chol Hyok がヘッドで狙うがクロスバーを越えた。こうなるとまた Topor-Stanley が上がってきて中盤を抑えようとするが2列目の両サイドがワイドに開くので前半よりもボールが回る様になる。68分には An Chol Hyok が左サイドをドリブル突破。マークするDFに手を掴まれてもそれを引きずる重戦車の様に更にドリブルで持ちあがりファーサイドめがけてゴロのシュート。しかし僅かにポストの右を通過する。“あああああああぁぁぁぁ~”と大声を上げたのはあの韓国人女性。彼女を振り返ると本当に惜しそうな表情。やっぱり同じ民族なんだなぁ…目と目が合ってしまった。 “前半より良い。 Next ! Next !! “と声をかけると大きく頷いた。69分に Choe Chol Man に替って Kim Kwang Hyok が投入された。まだ時間は早いかもしれないがアジア大会でもベンチ入りした長身の Jong Su Hyok を前線に張らせてはとも思ったのだが… 74分には William に替って Perth Glory の David Micevski が投入される。後半の William はあまり目立たなかった。ここで中盤の守備固めか?? 75分から北朝鮮はパス回しが早くなるが得意のワンタッチで何本も繋ぐ展開がこの日はまだ見られない。オーストラリアは前線がやや引いて中盤を厚くし攻撃はカウンター狙いとなった78分には Zdkovich がカウンターからシュートを放つが GK Ri Myong Guk がブロック。79分には今度は北朝鮮が Pak Chol Man と Joh Kwang Ik の粘りからCKを得るが得点には結びつかない。オーストラリアのアーノルド監督は席を離れて大声でピッチの選手に指示を出しているが、北朝鮮ベンチはみな静かに座っている。87分には Kim Yu Chol に替って Kim Kyong Il が投入される。 Kim Kyong Il は7月の FIFA U-20 のメンバー。他に GK の Ju Kwang Min 、FW の Pak Nam Chol が FIFA U-20 のメンバーでベンチ入りを果たしている。



オーストラリアは89分に Celeski に替えて Perth Glory のLeigh Broxham を入れて逃げ切りをはかる。75分過ぎからボール支配率の上がった北朝鮮はPAエリア付近まで何度も迫るが、最後のパス、そして競り合いでボールが取れない。
結局2分あったロスタイムも過ぎてタイムアップ。そして大歓声があがる。オーストラリアはアウェーでのイラク戦の引き分けに続きホームゲームで勝利を収め勝点4とし、同日アウェーでレバノンを 5-0 と降したイラクに続いて得失点差で2位につける事に。12日に Gosford の Central Coast Mariners のホームスタジアム Bluetongue Stadium にレバノンを迎える。この試合に勝てばいよいよ予選A組はイラクとオーストラリアに絞られて来そうだ。 
一方の北朝鮮。試合後はオーストラリア選手達と握手を交わしスポーツマンらしくピッチを後にして行った。ホームのレバノン戦そしてこのオーストラリア戦と連敗スタートの苦しい展開。次はカタールに移動しイラク戦を迎える。ここからどういう経路でカタールに乗り込むのだろう?移動と時差の影響は少なくないと思う。しかしこれに打ち勝ちイラク戦に勝って、オーストラリア対レバノンが引き分ければまだまだ先は解らない。このチームに必要なのは強豪国との試合経験だろう。最後の1対1、ラストパスの差が勝敗を分けた。しかし後半は惜しいチャンスも作った。



試合後競技場の外で子供達を含めたサポーター達が選手の出て来るのを待っている。そして選手達は丁寧に一人一人にサインや写真撮影に応じている。この国の今後のサッカー人気を自分たちで更に盛り上げるのだ、“欧州組みばかりが Socceroo, Olyroo ではないぞ。”と、思っているのかもしれない。試合直後に子供達にサインをしているOlyroos 達を見ていて日本リーグ時代を思い出した。でもあの低迷していた時代には戻りたくない……. 日本も北京五輪に出場出来る事を祈るよ…….

Australia team: GK 1. Danny Vukovic , 2. Ruben Zadkovich, 3. Adrian Leijer,
4. Mark Milligan, 6. Stuart Musialik, 7. Kristian Sarkies, 9. Mark Bridge, 15. Nick Ward (11. Bruce Djite 64’), 19. David Williams (39. David Micevski 74’), 20. Nikolai Topor-Stanley, 22. Billy Celeski (16. Leigh Broxham 89’)

朝鮮民主主義人民共和国 : GK 1. Ri Myong Guk, 2 Cha Jong Hyok, 3 Ri Jun Il,
5 Ri Kwang Chon, 8 Kim Yu Chol, ( 23. Kim Kyong Il 87’ ) 9 Pak Nam Chol,
11 Joh Kwang Ik, 17 Choe Chol Man ( 7 Kim Kwang Hyok 69’ ) 19 Jong Su Hyok, 20 Pak Chol Jin, 22 An Chol Hyok

 

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Newcastle にて Olyroo vs 北朝鮮 前半

2007-09-11 | 五輪 U-20, U-17

来年の北京五輪に向けてアジア各地で予選が繰り広げられている。
9月8日にアウェーでサウジアラビアと引き分けた日本は、12日にホームでカタールを迎える。前半の正念場だろう。
1996年3月、28年振りにアジアの壁を突破してアトランタ五輪の出場を決めて以来シドニー、アテネと連続五輪出場を果たしているがその予選の組み合わせは少し恵まれていた様な気がした。それもアトランタ五輪出場以降日本のランクが上がりシード権を獲得し続けた恩恵かもしれない。それとも日本の政治力がついたのだろうか? この北京五輪予選サウジアラビア、カタールと同組になりこれまでの様に Easy な相手ばかりではなくなった。他組を見てみると韓国の所属するB組はバーレーン、シリア、ウズベキスタンが同居する。韓国にとっては対戦相手が比較的西側に集中しておりアウェーゲームの遠征が少し厳しいかも知れないが力からすると韓国は前回の様にイランや中国を相手にするよりかは容易かも知れない。早々と連勝をし次の12日、ホームでのシリア戦に勝てばかなり楽になる。
そしてA組、AFC 新加盟のオーストラリア、イラク、レバノンそして北朝鮮がいる。この組が最も激戦と言えるかもしれない。
候補の一つであるオーストラリアはアテネ(ベスト8)シドニー(1次リーグ)アトランタ(1次リーグ)バルセロナ(4位)ソウル(ベスト8)と5大会連続出場中だがそれは特にこれまでオセアニア枠でほぼ“自動的に”五輪出場を続けられてきたおかげと言えなくない。今回からはアジアの壁を乗り越えねばならない。
そして9月8日は Newcastle に朝鮮民主主義人民共和国を迎えた。北朝鮮は1976年モントリオール五輪に出場しベスト8に進出しているが、この時の五輪は多くのアフリカ諸国がボイコット、ガーナ、ナイジェリアと言った国が辞退し北朝鮮はソ連に0-3 で敗れたもののカナダを3-1 で破りベスト8に進出。そして準々決勝では前回金メダルでモントリオール五輪銀メダルのポーランドに 0-5 で敗れている。それ以来の五輪出場を狙うが、そもそもエントリーをする事が何大会ぶりなのだろう?

この五輪予選は Newcastle Jests のホーム Energy Australian Stadium で行われたが五輪予選にしては少し淋しい競技場であった。北朝鮮の選手達にとってはむしろ大規模な金日成競技場と比較していたのではないか?この日はどうしても試合前の練習が見たくて試合開始40分程前に競技場に入った。ピッチでは両チームの選手がアップを兼ねて練習をしている。ここはピッチと観客席が大変近く選手達の様子がよく解る。すると北朝鮮のコーチであろう何人かがこちらをじっと見ているのに気がついた。少ない観客の中でアジア人系の顔をしているのは皆目ゼロに近かった為であろう。思い切って彼らに“イルボンサラムニダ !! “ と叫んだ。発音が悪いせいか何度か聞き直す素振りを彼らがしたが最終的には頷いたので分かったと思う?? 選手達はピッチ上で体を動かし続けているがコーチや役員達はロッカールームに戻ったりしており、その度に私と目が合う。だが彼らは愛想よく笑うので私も思わず親指を立てたりVサインを出したりする。とても政治的に敵対する国同士の人間のやり取りとは思えないが彼らは拉致問題なんか知らないんだろうなぁ….



すると観客から東洋系の女性が役員の一人と話している。役員が離れてから彼女の所に走り寄り英語で”北朝鮮から来たのですか?それともここで北朝鮮チームのコーディネートをしているのですか?“と尋ねると彼女は韓国からオーストラリアに移住してきて地元のオージーと結婚し、この試合はただ家族と観戦に来ただけだと教えてくれた。すぐに亭主と子供達がやって来た。
それにしても観客が少ないなぁ。ワールドカップでベスト16に進出したとは言え地元の人々は五輪代表にはそれほど興味がないのだろうか?それとも Sydney でもMelbourne でもないNewcastle と言う街のせいなのか?それでも何人かのサポーター達はピッチ上の選手達に声援を送っている。やがて両国の選手達がロッカールームに戻る為に入退場口の方にやって来る。何人かの北朝鮮のコーチ達がこちらを見て笑っている。そしてさっきの在留の韓国人女性も何か韓国語で声援を送っていた。何か温かいものでも飲もうと競技場の外(といってもすぐに外にでれるのだけど)に行くと両国の国旗と Fair Play Please の旗を持って入場する子供達が待機している。全員が白いTシャツ1枚で寒そうだ。そしてみんな女の子だ。彼女達の夢は Matildas のユニフォームか?カメラを向けるとみな愛想よくポーズを取る。国立競技場では考えられない。 The Smaller is the better とはこのことか?



そして両国選手達が入場口の所に整列する。先頭は審判団。この日は日本人で構成されている。テカヤマヒロヨシ主審に線審はナギトシユキさんにテヅカヒロシさん。“お疲れ様です!! “ と声をかけると3人とも驚いたように”あぁどうも!! “と答えてくれた。”日本から来ているのは私だけですから。ジャッジ頑張ってください !! “と言うと。“ハイ。有難う御座います。”と話が出来た。本当に日本での五輪予選では考えられないなぁ…….



国歌演奏はまず北朝鮮からだ。昔趣味でよく聴いていた朝鮮中央放送の開始時にかかる聞き覚えのあるメロディーが流れる。しかしスタンドでは誰も一緒に歌える人はいない。演奏が終わった時にさっきの韓国人女性に向かって“金日成同志 ! 万歳 !! “ と言うと彼女も”金正日! 万歳 ! “ と笑いながら言った。二人でオーストラリア国歌が始まるまで “将軍! 万歳!”とか“労働党!万歳”とか言っておどけていたけど韓国ではこんなこと言えないだろうなぁ…..



オーストラリア国歌の大合唱?が終わりキックオフを迎える。両チームとも4バックの布陣。北朝鮮 GK Ri Myong Guk は昨年のアジア大会での日本戦は控えのGK. DFラインは右から Pak Chol Jin , Ri Jun Il, Ri Kwang Chon, Joh Kwang Ik 。Pak Chol Jin は日本U-22 も参加した8月の瀋陽での4カ国対抗の日本戦にも出場。 Ri Jun Il はアジア大会のメンバーだったけど控えだった。
一方のオーストラリア。 Sydney FC の右サイドバックMark Milligan が出場停止明けでスタメンに。他には Adelaide United のKristian Sarkies、地元 Newcastle Jets の Mark Bridgs, そして Perth Glory の Billy Celeski のレバノン戦に出ていない4人の選手が起用された。浦和レッズと ACL を戦った Ruben Zadkovich, Nikolai Topor-Stanley もいる。 Topor-Stanley はACL後には Perth Glory に移ったけど。DFラインは右から Zadkovich, Adrian Leijer, Milligan そして Celek。Leijier は Premierships の Fullham に所属する。
ピッチ上はややスリッピーだけどどちらに味方するのだろう?北朝鮮の攻撃陣は Choe Chol Man のワントップに2列目右が An Chol Hyok. 左が Pak Nam Chol 。 22歳の Choe Chol Man , 20歳のAn Chol Hyok は瀋陽の4カ国対抗に出場しアジア大会では控えの選手だった。 Pak Nam Chol はアジア大会でもレギュラーで、瀋陽4カ国大会も出場しているチームのエース的存在。開始3分にはカウンターから An Chol Hyok が左サイドを突破し Pak Nam Chol に繋いでオーストラリアゴールに迫った。すると今度はオーストラリアが Mark Bridge がドリブルで上がり逆サイドの デンマーク Brondby でプレーするWilliam David へ。William の折り返しは北朝鮮DF Pak Chol Jin がヘッドでコーナーに逃れた。その Sarkies が上げたCK、GK Ri Myong Gok が弾いたところを William がフリーで撃つがゴール枠を捉えられない。というよりもその浮玉が上手く足下に収まらなかった。
そして以降、Olyroo 達の攻撃が続く。16分には Mark Bridge にスルーが通り落とした所を Sarkies が撃つがGK正面。その直後も Bridge がインターセプトからミドルを放つ。22分には William からスルーパスが右サイドを上がった Zadkovich に渡りシュートを放つがGK Ri Myong Guk がセーブ。その直後にもスルーパスが Sarkies に渡りチャンスを迎えるが最後は Ri Jong Il がコーナーへ逃れた。28分にはACL で浦和のワシントンをマークした巨漢、 Nikolai Topr Stanley が攻撃参加し起点になりCKを得る。そのCKをGK Ri Myong Chol がパンチで弾くがそれを William にダイレクトで撃たれて危ないシーンが。北朝鮮は左右に動く Pak Nam Chol のボールキープが頼りで右サイドバックの Pak Chol Kin が相対する Sarkies のマークに腐心させられるので攻撃参加が出来ず、左サイドからしか相手コートに入れない。しかしそこには Zadkovich そして Leija がいるので左サイドバックの Joh Kwang Ik が上がって来て An Chol Hyok が絡んで来ても最終ラインが突破出来ない。 Olyroo はTopor-Stanley の上がって来る回数が増えるにつれてチャンスも多くなる。32分には England の QPR に所属する Nicholas Ward から Bridge, 地元 Jets に所属する Stuart Musialik そして最後は Topor-Stanley に渡り豪快なミドルシュートがさく裂した。そして37分、前半最大のチャンスが Olyroo に訪れる。 Bridge からのロビングを Celeski が頭で右に落すと William に当たって再びCeleski に渡る。Celeski からゴールラインはほんの数十センチ。しかしここは GK Ri Myong Guk が必至のブロックでCKに逃れる。そのCKも Ri Myong Guk が身を投げ出してキャッチした。不安定な立ち上がりだった Ri Myong Guk は次第に安定感を取り戻してきた。
この一方的な展開の中で38分北朝鮮がチャンスを迎える。右サイドによりドリブル突破を試みるPak Nam Chol が倒され良い位置でFKを得た。 Olyroo は5枚の壁を作る。Choe Chol Man と Pak Nam Chol がセットされたボールに寄るが Choe Chol Man の蹴ったFKはクロスバーを大きく越えてしまった。結局これが北朝鮮前半唯一のチャンスとなり、以降 Olyroo の猛攻が続く。42分にはCKを Ri Myong Guk が弾いたこぼれ球を Celesli が撃つがGK正面。44分にはカウンターから Celeski が再びドリブルでPAに侵入するが Ri Kwang Chon, Joh Kwang Ik の二人がかりでストップ。ロスタイムにはいった46分にもカウンターからまたも Cleeski がドルブルシュート。そおのこぼれ球を Bridge が撃つがゴールネットは揺らせなかった。そして前半がスコアレスのまま終了した。ロッカールームに戻る選手達に声援が送られる。北朝鮮の選手にはさっきの韓国人女性がなにやら声をかけている。“頑張って”とでも言っているのだろうか?やはり南北は分断されていても同じ民族なんだなぁ…… アーノルド監督にも声が飛ぶがあまり良い内容ではなさそうだ….  後半どちらが先に点を取るのだろう…..続く



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オーストラリアにて Wallabies vs Cherry Blossoms

2007-09-09 | Weblog
Windy Wellington からカンタスのフライトで約3時間半、オーストラリアのシドニーに到着。そしてここから約140km離れた都市 Newcastle にやって参りました。 Wellington からタスマニア海峡を越えて Sydney までが飛行機とは言え3時間半。そして空港からシドニー中央駅で乗り換えて Newcastle までが電車で約3時間。本当に疲労が増す行程だった。その上車窓からは5分おきに大雨と晴天が繰り返されていた。この地域の特徴か?それとも…. しかし目的地のここ海沿いの街 Newcastle は晴天で Wellington の様に強風、冷風でなく非常に穏やかな天気であった。

到着した9月8日はラグビーのワールドカップがフランスで開幕した。日本は第一回大会から6大会連続出場。しかし世界の壁は本当に厚くこれまでの戦績は1勝15敗。当然世界の8強である IRB 加盟国 England, Scotland, Ireland, Wales, France, Australia, New Zealand, South Africa との対戦では勝星は無く、1995年大会は New Zealand ALL BLACKS に 17-145 とワールドカップ記録の得点差をつけられて大敗している。健闘だったのは 1993年大会の Ireland との試合でこの時は 16-32 であった。
過去の IRB 加盟国以外との対戦は下記の通り
1987 年 vs アメリカ         21-18
1991 年 vs ジンバブエ     52-8
1999 年 vs サモア         9-43
1999 年 vs アルゼンチン 12-33
2003 年 vs フィジー       13-41
2003 年 vs アメリカ         26-39

1991年大会でのジンバブエ戦以外は勝利を挙げられていないがそれだけあの1勝は価値があると言う事なのかもしれない。きっと我々が考えているよりかワールドカップで勝利を挙げる事はずっと難しい事なのだろう。
ニュージーランドでもオーストラリアでも優勝候補の国らしく連日テレビ、新聞の報道ではワールドカップ特集を組んでいた。そしてここオーストラリア、期待の Wallabies の初戦はなんと我が日本代表であった。 9月8日の地元紙には Wallabies ready to shake off the rust ( Wallabies rust ( サビ ) を払い落す準備に入る。) と言う見出しが。この rust は大会前の合宿で選手達がよく口にしていた rusty ( へとへとに疲れる ) と言う単語と掛けているのだろう。そして選手達は7月21日に Auckland で ALL BLACKS に12-26 と破れて以来約7週間ゲームから離れている事がワールドカップ開幕に向けて肉体的にも精神的にも不安視されているとの事であるが、それならジャパンはどうなのだろう? 6月24日に Jr. ALL BLACKS に 3-51と完敗してから中1ヶ月半をおいた8月10日、格下のアジア・バーバリアンズを69-10 で一蹴し、欧州遠征に向かい8月18日にイタリアに 12-36 で敗れて8月25日に最後の調整試合となったポルトガルに 15-13 と勝利を収めている。オーストラリアが試合をしない7週間の間に3試合行ったが、問題は南半球のオーストラリアはまだまだシーズン真っ最中で日本は既にシーズンが終わって何か月も経っていると言う事だろう。確かに南半球の国々とは比較できないが日本のラグビーシーズンは短過ぎ無いか?? 日本選手権を含め最後まで勝ち残っても2月までがシーズンで殆どのチームが9月から12月までのわずか3カ月の間でシーズンが終わってしまう。まぁ学生の場合はどうしても2月迄に全ての行事を終える必要があるから仕方ないけど…..

この日本相手に勝敗よりも50点差をつけてられるかが一つの観点とされたとか… 社説には日本はスピードがあり、構造化されておらず(おそらく型にはまっていないと言う事か)小ぶりだがそのスクラムは多くの人々が考える以上のものである、としながらも50点差の勝利は現実的な点差だろうと書かれている。

日本の事で書かれているのはこれくらいで後はメンバーの事に触れていた。 NO.10 の Stephan Larkham のバックアップとして Tommy Tourist に替って抜擢された Berrick Burnes のこの試合での出番はあるのか?彼の出来次第では準々決勝以降に備えて Larkham を良い状態に保てる、要するに1次リーグの試合ごときで Larkham が怪我などで調子を落とされてはと言う事だろう。 Connolly 監督としても出来るだけ多くの選手を起用したい旨のコメントが。優勝候補国の余裕だろう。新聞にもピークに照準を合わせるのは開幕戦でないとの事が書かれている。
しかしメンバーの事なら日本の方が深刻だろう。大畑、安藤がポルトガル戦で離脱。大会までの2週間でどれだけBKラインの再構築などを施せるのだろう… そして経験のある大畑の精神的支柱の役割は誰が代行できるのだろう…….

不安一杯の中でついにキックオフを迎えた。私はこの日はAuckland の ALL BLACKS SHOP で買った桜のジャージーで過ごした。昼間には何人かの Wallabies のジャージーを着た人から話掛けられる事も。しかしその日はワールドカップやアジアカップ期間中で中村俊輔のユニフォームを着ていた比では無かった。殆どの Aussie 達は日本ではラグビーなんかやっていないと思っている。日本人でさえ ALL BLACKS のユニフォームは知っていもわれらが Cherry Blossoms のユニフォームは知らないだろう。そんな状況を少しでも好転させてくれればと思いテレビの前に座った。(正しくは寝ころんだ。) 




試合開始前にJohn Kirwan ジャパン監督が映し出され、彼の事が解説者に紹介される。昨年のドイツでのワールドカップ同様代表監督の知名度が一番高いのだろう。君が代が流れるときは私も起立した。 誰も日本が Wallabies に勝つなんて思っていない。勝てるのはPlay Station の世界だけだろう。でもラグビーのゲームソフトはあったかな?ニュージーランドでクリケットの Play Station 用ソフトは見たけど…..

立ち上がりは日本も素早い動きでよく対抗していた。少しでも見せ場を作ってくれよと僅かに期待する。最初のラインアウトは相手にボールを取られなかった。Wallabies の突進を一人で止められなくても後に二人目、三人目と続いて突破を防ぐ。8分にはGeorge Gregan がモールの上から飛び乗り反則を取られるがそのプレーに怒ったジャパンの選手達が Gregan 達に詰めよる。ここで大人しく引き下がると後が舐められるので大いに怒って欲しいところでもあった。




しかしその直後に渡辺泰憲が怪我で一旦下がり、10分にはPG を与えそれを Mortlock に決められ先制を許してしまった。



それでもまだ持ちこたえ苦手のラインアウトでも互角に渡り合う。PGでも何でもいいから早く得点を返してほしかったが16分にラックの中のボールを手で掻き出したと言う反則を取られまたもMortlock にPGを決められ 0-6 とされた。そして更に2分後に Nathan Sharp にトライをき決められ 0-11 とされた。しかしジャパンは次第にエンジンを吹かし始めた Wallabies 相手に大崩れせず、前半終了小野がPGを決めて 3-23 で前半を終えた。 

この調子で何とか後半もと思うも 41分にRocky Elsom 46分には Adam Ashley Cooper に連続トライを決められ 3-37 とされてしまった。そして50分を過ぎると Wallabies は選手交代を始める。53分には Chris Latham にトライを決められ、Mortlock にまたも Conversion を決められ 3-44 とされると注目の Berrick Burns が Larkham に替って登場した。中継アナウンサーも少し声高に彼の登場を紹介した。



日本もニュージーランド育ちの小野晃征が随所に細かいステップなどを見せるが相手陣内になかなか入れない。あの120kg の侍バツベイのタックルでさえ Wallabies の選手は跳ね飛ばしてしまう。私も朝3時半起きであったのが徐々に堪えて来てうとうとと寝入ってしまった。何点取られてもいいから、1トライを返してくれと願いながら…… 最終試合結果を知ったのは翌朝であった。

…….3-91……

60点くらい取られたのは覚えていたけどその後どうやって30点も取られたのだろう…. 時間はそんなにあったかな….72分からの3トライ、ゴールを含めて結局10連続トライ68失点を喫したのだった。 地元ニュースでも Perfect Start と称賛と言うよりも当たり前、50点差どころか88点差もつけての余裕の勝利。交替出場の Burns もトライを決め、また Lathma も2トライ、そのうちのトライがサッカー選手のドリブルの様にボールを前にゴロで蹴り出してそのまま持ち込んで決めたものでその2つのシーンが何度もテレビに映し出された。



そして68分に途中交代出場をしながら僅か1分後に怪我でピッチを去ったMark Gerrard の事も。でも Gerrard がピッチを離れてジャパンを1人少なかった Wallabies に更に3トライを喫したのか….

オーストラリアの解説者は日本について“何とか、ようやく ”コメントをしている。日本の課題であったラインアウトで少し進歩が見られたことと立ち上がりの動きを少し賞賛していた。そしてKiwan 監督の事も。これまでワールドカップで1勝しか上げていない日本ラグビーにワールドカップ2勝目を挙げる為に12日の FIJI 戦には違ったメンバー、モチベーションで臨むだろうと…..

大敗の翌日も私はジャパンのジャージーを着続けた。負けて脱ぐなら初めから着なければ良いのだから…. たのむぞこの次は....


 
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新生 Phoenix Wellington から

2007-09-07 | Aussie & Kiwi

猛暑、酷暑の日本の夏を逃れて8月末より南半球のニュージーランドに商用で来ております。今週前半は最大の都市 Auckland で見本市の出展参加やらで忙しい日々を送り、昨日より首都の Wellington 入りをしています。

最大都市 Auckland 市の人口は郊外地域を含めて130万人で国の総人口の約4分の1の人々が住んでいる事になるが、首都の Wellington は郊外地区を含めても40万人程度。まぁ隣国オーストラリアも首都は経済力や人口の最大の規模を誇る Sydney ではなく Canberra だ。ただしこれには歴史的ないきさつがあり、1901年英国から独立を果たしたときに1901年にオーストラリアがイギリスから独立した時、首都の座をめぐり、メルボルンとシドニーが対立。1911年にこの両都市間の首都争いに決着を付けるべく、キャンベラの建設が始まり、キャンベラはニューサウスウェールズ州から分割された。メルボルンとシドニーとの間に直線を引いたほぼ中間地点にあることから、この地にキャンベラが建設された。まぁニュージーランドの首都も元々 Auckland であったのが1865年に Wellington に遷されたのだがその経緯は私はよくは知らないが、1863年11月、アルフレッド・ドーメット がオークランドの議会に「政府の所在地を、クック海峡沿岸のどこか好適な地へ移すことが必要となった」という動議を提出したがそれは南島が金鉱脈の存在を背景に別個の植民地を形成するのではないかという懸念が明らかにあったので、オーストラリアから派遣された弁務官(中立の立場ということで選ばれていた)は、良港が存在し、国土の中央に位置することから、ウェリントンが首都にふさわしいという意見を述べ1865年7月26日、議会は初めて公式にウェリントンに置かれた。当時のウェリントンの人口は4900人であったらしい。 ( Wikipedia より )

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

この街の特徴は強風。飛行機が空港に着陸する時は必ずと言って良いほど強風を感じる。そして海岸線からわずかなところが丘陵地になっており都市開発が難しいと言われている。そしてクック海峡から強風にさらされている事からニュージーランドの人々からは Windy Wellington とも呼ばれている。また大きな断層が街の真ん中を走っており1848年と1855年には大地震がこの地を襲った。海岸線から遠くないところに丘陵地があるのも断層の影響と地元の人に教えて貰った。



いつだったかここに商用でAuckland から移動する前にある御客に“ Wellington に行ったらハリケーンに気を付けろよ。”と言われた事がある。強風の事だと思ったのだがそれはその時開催されていた南半球3カ国 ( 南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア ) の14のクラブチームで行われるラグビーユニオンのリーグ戦で地元の Hurricanes の試合がその日に行われると言う事であった。街の中心街から徒歩5分足らずの中央駅のすぐ近くにある West Pac Stadium でその試合あ行われていたのだがホテルのレストランや全ての街のパブまで多くの人がスクリーンの前に集い試合を食い入る様に観ていた。試合終了後も競技場を後にしたのであろう多くの人々が帰途に着く為に街中を歩いていたのを覚えている。
この West Pac Stadium をホームにする新しいプロサッカーチームが今年誕生している。 3月19日にHyundai A-League に新加盟が認められたWellington Phoenix だ。それまで New Zealand から A-League に参戦していた Auckland をホームにする New Zealand Knights の解散に伴い、新たなリーグ加盟チームを探していた Federation Football Australia はいくつかあったオーストラリアの候補チームよりも New Zealand のチームの参加を選んだのだった。はっきり言って A-League 発足から2年間唯一 New Zealand から参加した Knights は悲惨だった。初年度はダントツの最下位。2年目も第17節を終えて僅か2勝でどうしようもなかったチームだった。しかし18節に元ニュージーランド代表でワールドカップにも出場経験のある Ricki Herbertが指揮を執ると残りの4試合を3勝1分けとし上位4チームが進出出来る Final Series 争いの台風の目となり終盤のリーグを大いに盛り上げた。例えそれがかつての横浜フリューゲルスの様にチーム解散が見えていて最後の有終の美を飾ろうとした輝きであったかもしれないが。
そして Ricki Herbert はそのまま新生 Wellington Phoenix の監督に就任する事になった。その開幕戦。ホーム West Pac Stadium に昨年度覇者の Melbourne Victory を迎えた。19分に Victory は主将の Kevin Muscat のPK で先制を許し、60分には Allsop に追加点を喫して 0-2 と劣勢のなか、79分に Daniel, 84分には S.Smeltz の連続ゴールで追い付き 14,421人集まった地元サポーター達を大いに沸かせた。しかし続くアウェーの Central Coast Mariners 戦では 0-3 と完敗。それでもその試合の Phoenix はシュートがクロスバー、ゴールポストを1度ずつ叩く惜しいチャンスがあり、続く9月9日のホームでの New Castle Jets 戦では期待できそうだと Herbert 監督は地元マスコミにコメントしている。
街中には Phoenix のゲームを告げる広告や到る所で Phoenix の旗が掲げられている。そしてスポーツ用品ショップでも ALL BLACKS Goods にならんで Phoenix の Goods が並んでいる。あるパブの前では9日の Jets 戦の中継を宣伝している。こう言う動きは Knights が存在した時の Auckland では見られなかった。

それは Stadium の立地条件も関係するかもしれない。 Knights がホームとしていた North Harbor Stadium は立派な競技場ではあるが街の中心街からかなり離れておりアクセスが悪かった。その上 Auckland に限らず New Zealand は公共交通機関が発達しておらず車が無ければここには行けないと言っても過言では無い。そう言う事もあって2011年のラグビーのワールドカップの地元開催に向けて街の中心街が面している海岸沿いに Water Front Stadium の建設計画が持ち上がったのだが。 しかしここ West Pac Stadium は上記した通り街の真ん中にある。それだけ市民も親近感を持っている事だろう。



その上の地元の人が言っていたが“元々サッカーは Wellington の方が盛んであったし良い選手も多かった。” 1982年のワールドカップスペイン大会にアジア、オセアニア地区代表で出場したニュージーランド代表チームの中には多くの Wellingtonの チーム所属選手がいた様に記憶する。代表チーム ALL WHITE の指揮を執るのも Ricki Herbert 氏。5月26日のアウェーでのウェールズ戦は 2-2 で引き分けている。 10月13日から早くも始まるワールドカップのオセアニア地区予選。中村俊輔の同僚 Celtic の Chris Killen をはじめ7人の欧州組そして Perth Glory 所属の Leo Bartos らに並んで8人の Phoenix の選手が召集される事になった。恐らく ALL WHITS はオセアニア地区を勝ち抜いて来るだろう。そして Asia 地区からの国とプレーオフをする事となる。現役A-League の監督の中でもワールドカップ経験者は Herbert 氏のほかには誰かいただろうか….? 9日の Jets 戦が楽しみだけど私は明日 Wellington を離れて Jets のホーム Newcastle に移動せねばなりません。朝6時の飛行機だわ……


土佐玲子 炎の激走 長距離陣と世界陸上を救う

2007-09-02 | 陸上競技
9月2日、大会最終日。期待の女子マラソン土佐玲子が銅メダルを勝ち取りようやくホスト国の面目を保つ事となった。この女子マラソンに就いては IAAF のホームページにも“Hosts looking to Women’s Marathon for Final Medal Hope ” と言う記事が掲載され、9月1日に行われた男子 4x100mR が5位になるものの、十種競技の田中が19位に終わり、大会初日の10000m も走った福士が、5000m でのミラクルを期待されたが14位終わり、いよいよ1995年イェテボリ大会以来開催国がメダルなしで終わる可能性が帯びてきたと述べられている。 そして日本最大の期待であったハンマー投げの室伏は、今夏技術的な問題があったにも関わらず誰もがそれを無視するなかシーズンベストのパフォーマンスを披露するも6位に終わったが翌年の北京五輪で再び好成績を上げれば許されるだろうとも書かれている。 そして開催国メダル無しを救う最後の砦として土佐玲子が最終日に登場すると昨年の東京女子マラソンのゴールシーンの写真と共に紹介されている。

http://osaka2007.iaaf.org/news/kind=2/newsid=41395.html

練習中に転倒して一時は松葉杖をついていた土佐が一時は5位に落ちるも最後は粘りを見せて3位に入った。それにしても最後に女子の活躍に救われるのは昨年のトリノ五輪の荒川静香を思い出す。しかしこの猛暑のレースで最後を粘り切った事で翌年での五輪レースに向けて土佐は自信になったのではないか?マラソンはいくら良い記録を持っていてもその選手が得手、不得手なコンディションがある。大概の五輪マラソンは高温の中で行われる。シドニー五輪で高橋尚子が金メダルを勝ち取ったのも1998年のバンコックでの高温多湿のアジア大会のレースで2時間21分47秒と言う驚異的な記録を出した事も自信になっていただろう。(本人に訊いた事ないけど。) これで北京五輪の女子マラソンの代表争いが一気に過熱してくる。前回女王の野口みずき、前々回女王の高橋、渋井陽子、弘山晴美あと候補選手だけでも何人いるのか? 
優勝はケニアのヌデレバ、2位には一時は出場しないのではと言われていた中国の周春秀が入った。銀メダルの周春秀は昨年12月のアジア大会でも金メダル。その時の2位がこの日6位に入った嶋原清子。アジア大会では嶋原は周に3分31秒開けられた。中国勢では4位に朱暁琳が入り来年の北京五輪では大きなライバルになりそうな気がする。特に周春秀は今年4月のロンドンマラソンにも出場しこれまでの2007年の世界最高記録を出すなど躍進著しい。
周の昨年からのマラソン戦績は下記の通り。

2006. 3.12 ソウルマラソン 2時間19分51秒  2006年 世界2位記録
2006.12. 9 ドーハアジア大会 2時間27分31秒  優勝
2007. 4.22 ロンドンマラソン 2時間20分38秒  2007年 1位記録 ( 9月2日現在 ) 2007. 9. 2 世界選手権    2時間30分45秒  2位

この1年半でマラソンレースを4本も出場している。そして好記録の連発。北京五輪優勝候補最右翼か?それとも今がピークで一年後は….. そして世界選手権にエントリーしなかった2006年世界最高記録、2時間19分36秒をロンドンマラソンで出した米国の Deena Kastor も候補の一人だろう。 2006年の女子マラソン世界20傑の中には日本人選手が4人(弘山、渋井、土佐、森本)含まれている。2位記録がこの世界選手権2位の周春秀。優勝したヌデレバの昨年の記録2時間25分5秒は19番目であったが、そのレースが大阪国際マラソン。しっかりと世界選手権の“試走”をしての金メダル獲りだった。
今大会少し残念だったのは北朝鮮の選手が出て来なかったこと。今の日朝間の政情を考えるとやってこないか?しかし北京には当然上位を狙って出て来るだろう。

一方の男子マラソンの北京五輪に向けての視界はどうだろう?記録を見ると2006年は奥谷が福岡国際マラソンで出した2時間8分49秒が日本最高記録だがこの記録は昨年の世界ランキング29位だ。2007年ではこれまで4月15日のロッテルダムマラソンで松宮が記録した2時間10分4秒が最高だがこれも28番目の記録。ただし、五輪代表を賭けてこれから候補選手が本格的にマラソンレースに臨んで来るので今年は2時間7分台の記録を期待したいし、そうでなければ五輪の上位入賞も厳しいか?不気味なのはアトランタ五輪銀メダルの韓国の李鳳柱が3月18日のソウルマラソンで2時間8分4秒で優勝している事。今年で37歳になるのにこの健在ぶり。 男子マラソンの注目と言うか五輪優勝候補はあの皇帝、エチオピアのハイレ=ゲブラシラシエ。昨年ベルリンマラソンで出した2時間5分56秒は2006年世界最高記録で世界歴代5位。知らない間に世界のマラソンは2時間4分台に突入している。一体全体何を食べたらそんなに早く走れるのだろう?? 日本選手では高岡寿成の2時間6分16秒が歴代11位だけど、それは彼が2002年に出した記録。また2時間6分台が出せるだろうか?日本歴代2位記録は藤田敦の2時間6分51秒。しかしこれも2000年の福岡国際で出された記録。日本マラソン陣の記録の奮起が期待されるところだ。
それにしてもアフリカ勢のマラソンの強さに更に強化されている。2006年の世界30傑の中ではエチオピアが3人ケニアが12人もいる。 またアジア大会優勝でこの世界選手権も2位だったカタールのシャミ・ムバラク・ハッサンも候補の一人だろう。今年4月パリマラソンで出した2時間7分19分はこれまでの2007年最高記録だ。ハッサンはアジア大会、パリマラソン、世界選手権と中4か月でマラソンレースに出場している。そしてたぶんこのハッサンもカタールの他の長距離選手同様アフリカからの帰化人選手だろう。セバスチャン=キンターナの様に。

5000m, 10000m 男子トラック種目は
5000,1000m はもう日本男子は太刀打ち出来ないのか?世界記録をみてがっかりしたというよりも驚いてしまった。5000m が12分37秒35, 10000m が26分20秒31 共にエチオピアのケネニサ=ベケレが持っている記録だが、この数字を見たとき。“俺は何の為に陸上をやっていたんやろう?”と思ってしまった。そのベケレをしても5000m は5位に終わった。予選を見ても強烈にスピードアップするあのレース展開は日本のレースではお目に掛れないレースだ。従って日本選手は“練習の試用が無い”と言うのが本音だろう。本当にこの種目で外国人選手と対抗するのならが実業団の外国人撤廃なんて言っていられないと思うけど。 トラック選手は実業団から離れてアフリカに単身トレーニングの為に移住…というよりも陸連がこの辺はなんとかしないとなぁ???  しかし箱根駅伝の選手の記録を見ると10000m を28分台で走る選手がごろごろいる。私が学生の時は29分を切る選手が学生ではその年に二人いただけだった。それも我が関西学連の選手だった。従って27分台の選手がもっと出て来ても良いと思う。これも箱根駅伝の弊害かもしれないけど、自分がもし関東学連の大学生だったら世界選手権よりも箱根にかけるだろうなぁ…. 今年の世界選手権、隔世の思いで見た。男女の短距離陣にあれだけ期待が集まり、そして男女の中距離選手もかつてよりも進歩がみられたが長距離は相変わらず男女のマラソン、それもメダルは女子のみ、だけが世界に太刀打ち出来る種目であった。 来年の北京五輪はもっと厳しい戦いになると思う。まだまだ、いや更に世界のトップアスリート達は五輪で勝つ事を重きに置いている。 

しかしそんな事は俺が偉そうに言って良い事では無いとも思う……

最後に俺は陸上をやっていて良かったと思っている。  

陸上競技万歳。

不振なのか実力なのかそれとも….

2007-09-02 | 陸上競技

大会8日目を終えて日本チームはまだメダルゼロ。入賞者もハンマー投げの室伏と男子マラソン陣くらいでマスコミとTBSが期待する様なメダルラッシュには程遠い結果だ。この結果、果たしてどうなのだろう?

日本選手のランキング

そもそも大会を中継するTBSをはじめマスコミが期待した様なメダルラッシュは現実的だったのだのだろうか?大会開幕早々に幸先良く朝原が男子100m で準決勝に進出。決勝進出はならなかったがベテランの快走に以降の好成績が期待された。しかし、400mHの為末は予選に沈み、マスコミが“ヒロイン”に仕立て上げたようとイケクミは7m どころか決勝に進めず、最もメダルに近いと思われた室伏は6位に終わる。かつてのメダリスト末次は2次予選で失速。エアー大地は痙攣で飛ぶことが出来ず、私がひそかに期待した高跳びの醍醐直幸もダウン。するとマスコミは“不振、不振。”と騒ぎたて出した。 ここで考えてみれば良い。不振とは元々力のあった選手が持っている力を出せなかった時に使う言葉だ。昨年、そして今年のこれまでで何人の日本人選手が世界ランクのトップテンに入っていただろう? 

2006年度の記録

池田久美子  6m86cm  7位  ( 1位 Tatyana Kotova ロシア7m12cm )
室伏広治      82m01cm  4位    ( 1位 Vadim Devyatovskiy ベラルーシ82m95cm )
末續信吾   20秒25    14位 ( 1位 Xavier Carter 米国 19秒63 )
成迫健二      47秒93      4位 ( 1位 Kerron Clement 米国 47秒93 )
澤野大地        5m75cm 19位 ( 1位 Brad Walker 米国 6m00cm )
醍醐直幸        2m33cm  7位 ( 1位 Andrey Silnov ロシア 2m37cm )

2007年度の記録 ( 世界選手権前 まで)
池田久美子 6m73cm 22位 ( 1位 Lyudmila Kolchanova  ロシア7m21cm )
室伏広治    79m01cm 10位  ( 1位 Vadim Devyatovskiy ベラルーシ 82m94cm )
末續信吾   20秒20      9位 ( 1位 Tyson Gay 米国 19秒62 )
成迫健二    49秒01    20位 ( 1位 James Carter 米国 47秒72 )
為末大      48秒73    16位 ( 1位 James Carter 米国 47秒72 )
澤野大地      5m75cm 16位 ( 1位 Brad Walker 米国 5m95cm )
醍醐直幸      2m30cm 13位 ( 1位 Donald Thomas バハマ 2m35cm )

上記の数字を見ると成迫の健闘そして室伏の6位入賞は理解出来る。成迫が準決勝で出したシーズンベストの48秒44は今季世界ランク13番目の記録だ。ただ末續は今季20秒20を出していただけに2次予選で消えたのは残念であった。醍醐も飛べていたらチャンスだったと思う。
また池田の目指す7mとはどんな記録かと言うと、昨シーズンは3人の選手が、そして今シーズンは4人の選手だけが出した記録でメダルに直結する記録。それだけ険しい挑戦ということだ。
女子の走り幅跳びの世界記録は1988年にソ連の Chistyakova が出した7m52cm で昨年の年間最高記録より40cm も優れた記録。そして歴代2位の Jacky Joiner Kersey は7m49cmで 1994年に記録したもの。そして歴代上位10位までの中で5人の選手が共産圏時代の東側諸国の選手だった。あの有名だった東ドイツの Heike Drecshler のベスト記録7m48cm は1988年に出されたもの。 う~ん、薬の臭いがするなぁ。同様の事は男子のハンマー投げにも当てはまる。世界記録の 86m74cm は1986年に当時ソ連の Yuriy Sedylch が出したもので 1cm 差で今大会優勝したベラルーシの Ivan Tshikhan が2005年に出した記録で続くが、歴代10傑にはソ連時代の選手が4名もいる。そして我らが室伏の84m86cm は歴代5位の記録だ。歴代4位で今大会4位だったベラルーシの Devyatvskiy らとともに来年の五輪のメダル争いはヒートアップするであろう。
こうしてみるとメダルラッシュを期待すること事態がおかしいと思うが、それを最も判っていたのは選手自身だろう。しかし地元で開催される大会を前に、“メダルは期待されると…”とは言えないだろう。それに表彰台を目指さないのなら初めからこの大会には出て来なかっただろう。 
確かに末續、為末は世界選手権で銅メダルを勝ち取った。しかしそれらの競技レベルを維持し続けるのは容易な事でなく、更に次々にワールドクラスの世アスリートが台頭してきて、彼らに苦杯を喫した選手達も巻き返しをはかる。



大会開催時期は…

はっきり言おう。8月下旬は世界選手権が開催される時期では絶対にない。日本国内の大会でさえこの時期に陸上競技の試合があるのはまれだ。今夏の日本列島は例年と比較しても異常と言える最高気温が連日40度近い日々。しかしそれを差し引いてもこの時期に なぜ世界選手権なのだろう?前回のヘルシンキ大会が8月6日から14日。その前のパリ大会は8月23日から31日。2001年エドモントン大会が8月3日から12日。そして第1回のヘルシンキ大会は8月7日から14日に開催されたが、欧米の8月お日本の8月はかなり天候が異なる。 第3回の東京大会は8月26日から9月2日だった。まだ記憶に残る東京大会も非常に暑い気候の中で開催された。世界選手権は8月に開催されているがこの大会は陸上競技では最高権威の大会であると考えられるならば、選手達がベストパフォーマンスを発揮できるコンディションの下で行われるべきで、摂氏40度近い天候での陸上競技大会、しかも世界選手権が行われるのが疑問だ。9月は既に欧州では陸上競技シーズンの終盤を迎えるのであれば、7月開催でも良いと思うが、7月に世界選手権が開催出来ない深い理由がありそうだ。7月はIAAF が主催するグランプリレースが目白押しだ。

7月 2日 Grand Prix : アテネ
7月 4日 Grand Prix : ザグレブ
7月 6日 Golden League : パリ
7月10日 Super Grand Prix : ローザンヌ
7月13日 Golden League : ローマ
7月15日 Grand Prix : シェフィールド
7月21日 Grand Prix : マドリード
7月25日 Super Grand Prix : モナコ

7月の欧州は恐らく陸上競技の大会を開催するにはベストなシーズンと思われる。その時期に上記の様なグランプリレースを開催し好記録を連発する事で陸上競技が“プロフェッショナル”として確立される。IAAFも本音は世界選手権を最適な季節に開催したいところだろう。 しかし今やプロ化の推進なくして競技の発展は無い。このままでは世界選手権の権威は下がり、オリンピックとの“格差”は拡大される一方だ。やはり五輪に勝るスポーツイベントはサッカーのワールドカップだけなのだろうか…..
しかしそんなコンディションの中でも世界のトップアスリートはきっちりと結果を出してくる。最終調整が上手く行かずに力を出し切れない日本選手と比較すると……。 
今大会前に上記のグランプリレースに参加し実戦を兼ねた調整を行える事もトップアスリートの強みか? その様な大会に転戦し結果を残す日本人アスリートが多く輩出されることを祈るよ。
しかし、世界選手権の開催も大会を追うごとに権威が低下している気がする。今大会は五輪前でコンディションを崩したくないのか、エントリー選手が少ない気がする。そして次回は2009年、五輪の翌年。ポスト五輪イヤーに開催される大会は新旧交代の時期でそれ自身は興味があるのだが、もう一つ迫力欠ける気がする。(それは前年の五輪と比較するからか?) ここはひとつ、五輪イヤーの2年後に開催してくれることを願うけど、誰も耳を貸さないやろなぁ……



男子 4 x 100m R 日本新の5位
短距離陣期待の 4 x 100m R はメダルに手が届かなかった。しかし日本記録。これこそ来年に期待できると思う。 ただ昨年のアジア大会で日本と同タイムながらタイ国記録で優勝したタイ・チームが参加していなかったのが少し残念。39秒21の記録では今大会エントリーした13カ国の中で勝てたのはカナダチームのみだけど、暑さに強いであろう彼らの挑戦もみたかったなぁ…. それとも今年行われる SEA Gamesに照準を絞っているのか?



4 x 400mR は決勝に届かなかったけどこのメンバーで3分2秒76は好タイムだと思う。1996年にアトランタ五輪でだした日本記録3分00秒76 更新を来年の北京五輪で目指して欲しいが、それには“大砲”が必要だ。かつて44秒台を出した高野進の様な。金丸裕三、山口有希の二人が45秒1台を出せる様になってもチャンスはあると思うけど、俺も自分が走れもしないのに無責任に解説するなぁ…..女房に怒られたわ。それにしてもリレーで期待が出来る様になるなんて私が学生時代には全く考えられなかった。



それに女子が五輪、世界選手権のリレーにエントリーする事も。女子のマイルリレーも日本新記録。今年5月5日の大阪国際グランプリで出した記録をさらに更新したわけだけど、“丹野麻美”があと3人いれば世界でも十分に戦える記録になる。メキシコ五輪のサッカーの準決勝戦でハンガリーが日本を 5-0 と粉砕したその試合後、ハンガリーの新聞記者が長沼(当時)代表監督に“カマモトが5人いればニッポンはハンガリーに勝てると思うか?”との質問に“釜本をあと4人創るのが私の仕事。”と答えたらしい。 “丹野”を創るのは誰の仕事なのだろう…. あぁまた偉そうなこといってもうた。 嫁ハンにまた怒られるわ….