Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

三連敗の男子サッカー ワールドカップは,次の五輪は大丈夫か…….

2008-08-30 | 夏季五輪

8月18日、準々決勝で中国を破ったなでしこジャパン達が北京の工人体育場に登場した。ここは思い出の競技場だ。(とは言うものの実際に行った事はないけど)  1992年8月、第二回ダイナスティカップに出場した日本代表はここ工人体育場で中国、北朝鮮を連破、決勝戦では韓国をPK戦の末に降してAFC発足以降初めての代表チームがアジアのタイトルを勝ち取った。アジアの列強を倒し続ける日が来るのはいつだろう、いつか来ないかと願いながらなかなか来なかった日がやっと来た、思い出の大会が開催された競技場であった………….

なでしこ達が準決勝のアメリカ戦に臨む8日前の8月10日、男子五輪チームはナイジェリアに敗れ1次リーグ敗退が決まってしまった。しかし1次リーグ最終戦のオランダ戦は是非とも意地を見せて欲しかった。オランダはそれまで2戦2分。最後の日本戦に勝たねば準々決勝進出は断たれる。日本の状況は4年前と同じ。あの時は最後のガーナ戦に勝ちガーナの決勝トーナメント進出を阻み意地を見せてくれた。その翌々年ワールドカップ観戦に出かけた私はケルンで行われたチェコ対ガーナ戦を観戦した。競技場に向かうトラムの中でガーナのサポーター達と話をする機会があった。皆五輪での日本戦をよく憶えており、私は少し嬉しかった。 もしオランの決勝トーナメント進出を阻む事が出来ればオランダ人に日本サッカーの存在価値を示せると期待していたのだった。

   

8月13日瀋陽五輪スポーツセンター競技場に登場した“最後の反町ジャパン”はついに豊田をスタメンワントプに据える。しかし安田、内田の両サイドバックが負傷、本田拓也が累積警告で出場停止の苦しい台所事情。左サイドバックには安田にはCBの森重が入り、右サイドには内田に替って長友が、CBには吉田が初登場で水本と組む。ボランチには本田拓也に替り梶山。2列目は右から本田圭祐、真ん中トップ下に谷口、左に岡崎が入った。GKは山本海人の初起用を予想するマスコミもあったが西川が3戦連続でゴールを守る事に。

一方ナイジェリア、アメリカと苦戦が続き本来ならこの2試合で既にベスト8を決めていたかっただろうオランダは2トップに  Sibon, Makaay の Over Age 選手をスタメンで起用。この試合が“背水の陣”である事が容易に想像できる。

 

 

GK Vermeer, MF Babel , Maduro, の3人は2005年地元開催の FIFA U-20 大会の日本戦に出場。 Babel にはゴールを許しており、EURO2008を怪我で辞退した為五輪に出場を決心したらしい。

 

所属クラブを見ても Ajax ( GK : Vermeer, Emanuelson, ) PSV Eindvohen ( Marcellis , Pieters, Bakkal, ) Feyenoord ( De Guzman, Makaay ) Real Madrid ( Drenthe ) Liverpool ( Babel ) と名前負けしそうなクラブ名が並ぶ。

しかしそんな相手に対しても反町ジャパンのメンバーは勇敢に戦い、ゴールを挙げられそうな期待をさせてくれた。前半にはあわやのシーンも見せてくれた。
オランダは左から Jaliens, Marcelis, Jong-A-Pin の3バック。両サイドバックを右はDe Guzman 左を Drenthe のMFがカバー。日本も本田、岡崎が積極的に上がってくるのでどちらかのサイドのMFが下げられる。そのせいかオランダはロングボールが多かった様な気がした。
65分を過ぎても無失点に抑えて 0-0 。このまま勝点1を拾えるかもと期待をした。
しかし70分 De Guzman からボールが出て右サイドを上がった Babel がボールを受けると前線に侵入。森重を振り切りエリア内に入った所を本田圭祐がマークに入る。そして Babel が倒れるとアルゼンチン人の Baldassi 主審はホイッスルを吹き、ペナルティースポットを指した。本田の方が身体が前に入っていたのでこれをPKととられるのは厳しい判定だと思った。それとも本田が Babel のシャツを引っ張ったのが悪かったか….. Babelは担架で運び出される“入念な演技”。

 


日本選手達は執拗に抗議をするが判定は覆らない。そして Sibon のセットしたPKの位置に就いてしつこく抗議した豊田にイエローカードが出されてしまった。それでもEURO2000 の準決勝戦では Frank de Boer, Kluviert が連続してPKを失敗しているオランダ選手はPKに弱いと勝手に思い込んでいる私はGK西川に期待をした。 
しかし Sibon は西川の動きをみたのか冷静に真正面にPKを蹴り込みまたも日本はビハインドを背負う事となった。安堵と喜びを隠さないオランダベンチ。そして Sibon に替えて Zuiverloon を投入し右サイドバックに入れて4バックにして日本のサイド攻撃を抑え逃げ切りを図る。

 

 

80分、日本ベンチは本田圭祐、谷口を下げて香川、森本を入れる。気になったのは下げられた2人がともに森本とタッチをしなかったことだけど……..
日本はこれで豊田、森本、岡崎を前線に置く。豊田はこの試合でもオランダDF陣にはしばしば競り勝っていたので特に空中戦で競り勝ったこぼれ球になんとか絡んでくれればと思った。しかしオランダも厳しい。前を向いてボールを持たせてくれない。
86分に岡崎が下がり李忠成が入る。その直後カウンターから Emanuelson の縦パスを受けた Makaay が滑り込みながら放ったミドルが日本ゴールを襲うがここは西川がナイスセーブ。それにしても Makaay のシュートはワールドクラスだった。
90分、細貝がバックラインからロングフィードを入れる。長友が飛び込むが頭に当たらずそのまま前に流れ1分前に投入された Pieters の前にうまく入り込んだ森本が倒れ込んでシュート体勢に入るがわずかに合わない。そして右から走り込んだ香川が Bakkal と競り合いながら足を出しつま先にボールが当たるがゴール内には押し込めなかった。惜しいシーンだった。

  

アメリカ戦の李、ナイジェリア戦の谷口そしてこのシーン、ロスタイムに入って数十センチ、数センチに泣かされた。これが“壁”なのかもしれない……..

反町ジャパンの五輪での戦績は3戦全敗、得点1に終わった…………..

試合後審判の判定、監督の“指示に背いた”発言をした本田圭祐のバッシングがすごかった。 期待が高堅田家に失望やその怒りの大きさもわからなくはないが、私は70年代~90年代の中頃までアジアの壁に跳ね返され続けた時代からサッカーを見続けていたのでまだ“五輪に出られるだけで幸福”となってしまう。
しかしなぜ日本男子サッカーは五輪で最悪の結果に終わってしまったのだろう…

メンバー構成は…
女子サッカーの澤穂希が言っていた。“代表は家族の様なもの”  
これを年齢制限のある五輪チームに求めるのは酷だろうが、結果論になるがメンバー18人中予選に出場していない選手が6人、出場歴のある選手でも長友と谷口は最終予選での召集歴はなかった。豊田,安田の様に召集歴は全くなくても“スタメンで使っていたらなぁ….” と言う選手もいるが、水野晃樹の様に移籍先 ( Celtic ) での出場機会問題のあった選手はともかく伊野波、柏木、青山敏弘、青山直晃らが相次いで選考から漏れるとは…….今シーズンは所属先でもほぼフル出場を果たしていた選手達なのだが….. 五輪直前に柏木が岡田ジャパンの代表候補合宿に招集された時はおいおいとも思ったけど。

 
 

グループ分け
日本のグループは確かに厳しかった。中国、韓国の入ったグループなら何とかなっていたのではとも思う。しかし初戦のアメリカ戦がすべてだった。それにしてもアジア勢には厳しい大会結果だった。アジアでの五輪だったのに……

これからの五輪
次回はロンドンでの開催。欧州勢にはより有利となる大会。それでなくても世界の列強が五輪に力を入れてきたように思えてならない北京五輪だった。次回はワールドカップ並みの準備が要求されると思う。しかしその前にアジアの壁を越えねばならない。今回は開催国の中国分を含めて4カ国あったアジア枠は次回は従来通りワールドカップよりも出場枠が少ない3カ国となる事は必至。(ソウル五輪のときは韓国を入れても3カ国だった。) オーストラリアが入って来たアジアの中で勝ち抜けるかが心配だ。

残念な結果に終わった五輪だったが今後一人でも多くフル代表のメンバーに定着し次のワールドカップ予選で活躍してくれることを願う。 

  

  


世界一の投手と世界一の失望……

2008-08-25 | 夏季五輪

1960年代末頃、東京五輪での“東洋の魔女”が世界を圧巻していた当時、ある遠征先の欧州の新聞に当地を遠征していた男女バレーボールチームが写真付きで紹介され、キャプションがついていた。その内容は ;

       “東洋の魔女とクズ” 

これは男女のバレーボール代表チームの当時のおかれた立場だった。
この記事を目にした当時の松平男子バレー監督はもう銅メダル(東京五輪で勝ち取った)は要らない、メキシコでは銀をそしてその次は金を狙うと誓ったそうだ。そしてミュンヘンで金メダルを勝ち取ったことを知る人は多いだろう。
今私は約40年前に欧州の記事に紹介されたキャプションをそのまま日本の新聞に使って頂きたい。ソフトボールチームの写真と今回の野球チームの写真、それから“魔女とクズ”のコント場を引用して。

8月22日、日本は準決勝で韓国に敗れ決勝進出を阻まれ、翌日の3位決定戦ではアメリカに力負け。金メダルどころかメダルそのものにまったく手が届かなかった。五輪での戦績は4勝5敗の負け越し。韓国、キューバそしてアメリカの上位3カ国には5戦5敗。日本のプロ野球のレベルの低さだけが確認された五輪であった。

韓国に連敗…… 1982年、韓国にプロ野球が創設された年、ある週刊誌に前年日本プロ野球を制したジャイアンツが韓国のチームと日韓決戦を行い韓国チームに敗れると言った内容のフィクションが短期であったが連載された。9年後の 1991年シーズンオフ、韓国プロ野球の選抜チームが日本に遠征し日本プロ野球選抜チームと7試合を行った。その韓国選抜チームには宣銅烈らがいた。その時に韓国からのゲスト解説だった方が何度も日本語で言った。

     “韓国に日本の野球を教えて下さい……”

プロがオープン参加する様になった2000年のシドニー五輪、日韓両国ともにプロ選手を擁してメダル、優勝を目指した大会。日本は松坂、黒木、中村紀洋らがメンバーにいた。しかし日本は1次リーグ、3位決定戦で韓国に敗れメダルを逸した。松坂が韓国打線を抑えられなかった。思えばその頃から韓国プロ野球は日本プロ野球を凌駕し始めていたのだった。2006年の WBC でも日本は優勝したとは言え韓国には2連敗を喫していた。

先制するも守り切れず…… 8月16日 1次リーグ 第4戦 日本 3-5 韓国
日本の先発は和田(ダイエー)、韓国は金広鉉 ( SK ) 昨年のコナミ杯では中日打線相手に6回 2/3 3安打1失点に抑えて勝ち投手となっている。今大会ではアメリカ戦で3番手(1イニング1被安打無失点)として登板していた。

  

両投手好投を見せた投手戦の均衡を破ったのは日本の4番打者新井。前日まで11打数2安打4三振。その2安打も“格下”オランダ戦で放った安打。見事に4番としての期待に応えた一発だった。だが新井の一発は先発金広鉉からでは無く二番手の尹錫。新井の打席から金広鉉がマウンドを降りたのだが、私は好投の金が替ってしめたと思った。そして尹から新井が本塁打を打った。こう言う一発は韓国ベンチに堪えたはずだった。
しかしその直後韓国は追い付く。7番DHの李大浩に同点2ランを浴びる。さすがに2006年の韓国プロ野球3冠王だと思ったがバッテリーももう少し工夫出来なかったか?相手はホームランバッターとはいえこの試合の前の打席まで7打数1安打2三振の不振をかこっていた打者だった。その前の金東進をストレートで歩かせたところでの交代が遅れたと試合後星野監督も後悔していたが李大浩の推定年棒は2億1千万ウォン。 ( 約2,158万円 ) 億単位の年棒をもらっているバッテリーなら抑えて欲しかった。

   

尚も迎えたピンチは2番手川上憲伸が切り抜けたが最終回に登板した岩瀬が掴まり3点を失ったが失点の内容が頂けない。勝ち越しのタイムリー2アウトを取った後でその後も田村、阿部の連続エラーから追加点を失った。それでも最終回はこの回から登板した権奕の不安定な投球内容に乗じて1点を返してなおも無死2,3塁のチャンス。しかし阿部が低めのボール球を打ち上げ、続く G.G.佐藤、代打森野らが3番手の鄭大に討取られて同点機を逸した。悔やまれたのは阿部の一打。権奕はストライクが全く入らない状態。 1ストライク3ボールのバッティングチャンスとはいえ低めのボール球に手を出してしまった。あそこを見送っていれば無死満塁となっていたので悔やまれる打席だった。しかし、マスクをかぶる阿部にそこまで緻密さを求めるのは酷かもしれない。初戦のキューバ戦は里崎がマスクをかぶり以降阿倍がマスクをかぶったが、3試合連続捕手としてスタメンで使うよりもこの試合は里崎が捕手、阿部は打力を生かすべくDHとした方が良くは無かったか?
日本はこの韓国戦が4連戦目。韓国は2日目の中国戦が雨で途中で中止となりやや疲労度が違ったか?韓国の勝負強さを見せつけられた試合だったが日本の自滅とも言えなくもない。エラーで追加点、拙攻で追いつけず…..
だがこの時点では殆どの日本人が野球でメダルを逃す事を想像しなかっただろう。

もはや韓国に教えを乞う時代だ  8月22日 準決勝 日本 2-6 韓国
9回表、この回から登板した尹錫は GG佐藤を右翼飛、代打森野を三振、そして代打阿部も良い当たりではあったが右翼ライナーに討取り日本の金メダル獲得の夢を打ち砕いた。最後、阿部のライナーを掴んだ右翼手の李容圭はまさに拝み取り。この試合に勝った韓国チームいや韓国国民の心情を表していたと思う。

  

前日のアメリカ戦は“負けても良い。勝ってキューバと準決勝で当たるよりは……” 私自身もそう思った。そしてここからが本番。日本のプロ野球選手達は本領を発揮してくれるだろう、と言う期待を抱いていた。韓国の先発は1次リーグと同じ金広鉉、日本は杉内。オランダ戦以来の登板。中6日の間隔がどう影響するだろう??と少し心配であったが…….
試合は日本が2点を先に取れば、韓国も4回に1点を返す。この日の星野監督は先発の杉内が1点を失うとすぐに川上を投入する早目のスイッチ。6回に成瀬を挟んで7回から1点リードで藤川を投入したが、ここで何故藤川なのだろう? 8回からではダメだったのか??藤川の持ち味は時速 150km を越える剛速球。しかしデーゲームではその速球も威力が落ちる。それが藤川を“中継”にした理由か……. 藤川は先頭の金東進を討取り、この打席まで .429 とあたっていた李大浩に対しては自慢のストレートで押した。惜しまれるのは 1-1 からの3球目のアウトコース低めのきわどいところをボールと判定されたことだ。150km を越えるストレートを投じてもストライクはファールされ高めのボールは見送られ歩かせてしまった。ジャイアンツ戦で見せるようなフォークボールをまじえてもよかったのではないか?ランナーもいなかったので… 李大浩には1次リーグでは痛恨の同点本塁打を打たれたがこの試合は3打席3四球。警戒するのはわかるが日本の投手陣はもう少し攻め方は無かったか…….. 韓国の金卿文監督は李大浩に替えて鄭根宇を代走に送ったがこれが試合の流れを引き寄せた。続く高永にも詰まりながらストレートを左翼前に運ばれた姜鍋を討取った後、代打の李晋映を迎える。2006年のWBCでは西岡のライト線への飛球をダイビングキャッチした選手だ。この選手に対して藤川はフォークボールを投じるが 1-1 からの3球目を見送られたのが痛かった。2-2 からファールを打った後の6球目の変化球を右翼に引っ張られた。そして代走の鄭根宇がホームに駆け抜けた。ライト稲葉の返球がよかったので李大浩がそのままランナーに残っておればホームにはかえっていなかっただろう。藤川もこれだけ投げれば、そしてデーゲームでは最後はストレートも変化球も切れが鈍って来ただろう。 李晋映はその後遊撃手の位置についた。内野も出来るのか……

8回裏には何故か岩瀬がマウンドに。延長戦を見越して上原はまだ温存というのはわかるがベンチにはそんなに投手がいなかったのか……相手は怖い李大浩をベンチに下げていたと言うのに。案の定と言っては中日ファンに失礼か?岩瀬は李承に一発を浴びた。この前の打席まで全く不振だったというよりも今年全くバットが振れていなかった李承がここで撃つのは流石の一言。日本には今こう言う打者がいない。今シーズン李承は岩瀬に対して7打数無安打。しかしシーズン中の李承は故障から来るこれまでに例のない大スランプ、今の李承とは比べ物にならない悪い状態だったに違いない。李承はシドニー五輪、WBCそしてこの北京五輪と日本戦ではいつも試合を決める一打を放つ....... 後はジャイアンツの為に打ってくれ...

  

更に日本はGG佐藤の信じられないエラー等で2点を失い、この時点で金メダルの可能性は潰えていた。エラーは誰でもするが、ここ一番で打つ李承や李晋映と比較すると……… そして李大浩に替えて代走に鄭根宇を送った金卿文監督の采配も。岩瀬を投入した星野監督と比較すると…… 西岡が1番DHスタメンで出場したが西岡をDHで使うと阿部がベンチに下がる事に。本来は遊撃手で1番を任されるべき選手。彼の故障が日本の攻撃力を減少させた。日本の悩みは1次リーグを終えてチーム打率が2割4分2厘(参加国中4位)と貧打に苦しんでいることだった。しかし、1、2番で主に出場する西岡剛(ロッテ、4割3分8厘)、荒木(中日、3割0分8厘)は3割以上を打っており、中軸の新井貴浩(阪神、2割9分6厘)、稲葉篤紀(日本ハム、2割5分0厘)は長打力に優れていた。それだけに西岡の先発は優先させられたと思う。韓国は1次リーグを終えてチーム打率が2割8分6厘(参加国中2位)で、日本を上回っていた。李大浩(ロッテ)は .429で3本塁打を記録。金賢洙(斗山) .421、李容圭(起亜).450李鍾旭 (斗山)は.370 を打っており、また大舞台に強い李承がここぞと言うところで勝負強い一発を放つことができた。韓国が勝つべくして勝った試合、まさに実力の差を見せつけた試合だった。

完全に力負け、どこが最強のチームだったのだろう 8月23日 日本 4-8 アメリカ
打球の音が違う、前に飛んでも後ろに飛んでも、フェアーでもファールでも。荒木、青木の本塁打で 4-1 とリードを奪い主導権を握るもブラウンの2号3ランで追いつかれ5回に川上憲伸がティーガーデンに勝ち越しの2塁打、続くドナルドにレフトポール直撃の一発を浴びて 4-8 とされるともう日本はゲームセットの宣告を待つだけだった。3回のブラウンの3ランホームランはその前に G.G. 佐藤がまたもイージーなレフトフライを落球したエラーから。同じエラーも2度目なら何と言い訳するのだろう…..
このチームには他に左翼手がいなかったのか? 

   

5回に川上が打ち込まれたが先発投手でありながら中継ぎばかりこの試合が5試合目の登板。 ボールが思うように走らなかったのだろう。それにしてもセ・リーグを代表する投手川上がいとも簡単に打ち返されるのを見ると少し哀しくなった。相手はアメリカとはいえメジャーの選手では無いのに……..
韓国の打者もそうだけどアメリカの打者も思い切って振ってくる。この試合も10三振を喫しながら長打を本塁打3本を含む6本を放った。日本打線も4回以降は8回まで散発の3安打。そして併殺打が二つ。2塁を踏めなかった。最終回は先頭打者の青木が四球で出塁、新井、稲葉が討ちとられ中島がセンターにはじき返しようやく2塁にまでランナーを進めたが最後の阿倍が1塁ゴロに倒れて万事休す。 金メダルどころか表彰台にさえ立てなかった。日の丸を揚げることさえ出来なかった。 

   

その原因はなんだったのだろう………

選手の選考は……..
優勝した WBC とは明らかに戦力は落ちていた。イチロー、松坂、福留らが抜けた。それを埋めるだけの戦力は今の日本プロ野球界には存在しないのだろうか?? 今回10人の投手がエントリーされた。前回のアテネ大会は11人だったがシーズン中でも中継ぎ、抑えを担っていた投手が少なすぎなかったか?先発投手が多すぎなかったか?最後に川上憲伸が打ち込まれたのもそのツケが回って来たと思う。そして打者の方では絶対的な長距離砲が少なかった。期待の村田は打率が1割にも満たずに1次リーグの韓国戦の重要な場面で失策をするおまけ付き。新井は .257 だったが本塁打1本は寂しい。9試合を終えてチーム打率が .234 の貧打。これが中国、オランダと言った格下のチームを除いた数字ならどうなっていただろう。そして韓国、キューバ、アメリカ戦のみの数字を抜粋していたならば…… 3割を超えた打者は西岡 ( .455 ) だけであった。
またこの大事な五輪を前にどうして故障などしてしまうのだろう?故障をした選手を北京に連れて行く必要があったのだろうか?怪我をしない様にペナントレース中は手を抜けと言っているのではないが、マラソン選手の様に年に2回程度しかレース(試合)に出ないわけでなくほぼ毎日試合をしているのだから。もしこのメンバーが現在の日本プロ野球を代表するメンバーであれば日本のプロ野球は世界で4番目のランクと言う事だ。

モチベーションは???
金メダルの韓国はこれで兵役が免除される。キューバは五輪の野球が“国家行事”。日本はどうだったのだろう…. シーズン中に選手達を供出するのがどの球団もかなりの抵抗があったと思う。そんな中で選手を選考するのは大変なことだっただろう……. 韓国の様に国を挙げて、野球界を挙げて五輪に取組と言う姿勢は無かったはずだ。五輪で野球が再採用される確率はソフトボールのそれよりかなり低い。北京五輪のこの結果に、そしてこれからの五輪での野球の扱いに12球団のオーナー、そしてプロ野球コミッショナー達は安堵の息を漏らしていることだろう。シーズンオフになれば契約更改の席で五輪代表選手達は球団側からこう言われるだろう 

  “君達は君達の半分程度の選手達に負けたのだよ..”    

そして選手達は答えるだろう。“五輪は契約に入っていませんから……..”

監督は……
日本のマスコミは星野監督を高く評価していた。しかし高すぎやしなかったか? 
星野監督は現役時代からよくテレビでよく見ていた。しかし中日が優勝した 1974年以外はそんなに巨人打線が抑え込まれたという記憶が少ない。 1981年に優勝したジャイアンツ戦に5勝をしたけど、その2回くらいだ。確かに王、長嶋相手のシーズンが長かったが……. 唯一出場した1974年のロッテとの日本シリーズではけっして良いピッチング内容ではなかった。そして中日はロッテに敗れた。 
監督として3度リーグ優勝を果たしているが日本シリーズでは勝っていない。その辺に今回の結果が反映されているかも…….

  

来年3月に第2回目のWBCが開催される予定だが、五輪での汚点はどうやっても消えない。消す事は出来ない上に補填もなされないなす術もない。 選手達は現地の日系の一流ホテルに滞在していたらしい。食料も水も日本からの調達だったとか。勝つ為の投資は惜しまない。それは充分納得できる。しかしそれが結果に結び付かなかったときは全てが浪費と計上される。 そしてそれだけでなく.......

プロ野球ファンになって40年近くが過ぎるが準決勝終了後がもっともプロ野球に失望させられた日だった。 

   

   


32年ぶりの球技金メダルをもたらしたソフトボール もっと注目を !!

2008-08-23 | 夏季五輪

8月22日付 アメリカの新聞記事から拾い読み

最後のソフトボールの試合が終わり見慣れた光景が繰り広げられた。勝者はピッチャーズマウンドに集まり抱き合い、喜びの涙を流しもう片方のチームダグアウトでその光景を静かに見ている。幅広く隊列を組んだファン達は立ち上がり声援を送り栄冠を勝ち取った自分たちの応援したチームに手を振り、静かに打ちひしがれたもう片方のチームの応援団達はそして再び激励のポーズを取ろうとする。 
メダルが授与され、国旗が掲揚される。しかし今回表彰台のてっぺんに立ったのはアメリカチームでなく最も高い位置に掲揚された国旗は星条旗でなく日の丸だった。涼しげで霧のかかった豊秦球場で 3-1 の勝利を得たのはアメリカで無く日本で、アトランタ五輪以来のアメリカの連勝を止めソフトボールの世界の勢力図を書き換えようとした。

   

  

先発投手の Osterman は5イニングスで9三振を奪ったもののこの大会はじめての先制点を含む2失点を喫し、攻撃では1死満塁のチャンスを生かせなかった。
“私の調子は悪くはなかった”試合後先発の Osterman は語った。アメリカが五輪で2点以上の「リードを許したのは初めてで、1点のビハインドでさえシドニー五輪の日本戦以来と今大会のカナダ戦と合わせて3試合目。ただカナダ戦も 8-1 で逆転勝ちを収めている。

その代りに日本はそつなく攻めて前日2試合に渡り21イニングスを投げたウエノユキコの疲れを知らない忘れられないピッチングが披露されたアメリカを5安打に抑えた。日本のミシナマスミが3回先頭打者として2塁打を放ち、カリノアユミの連続内野安打で先制すると4回には先頭打者のヤマダエリの本塁打で追加点を挙げた。

 

雨による18分間の中断のあと Crystl Bustos の本塁打で1点差に迫った。彼女の大会6号本塁打は五輪記録。6回には1死2塁からBuston 、Kelly Kreschman が連続して四球で歩いて満塁としたが後続の Andrea Duran そして Stacey Nuveman が断たれ同点のチャンスを逸した。
7回表に1死2,3塁の日本の好機にフジモトモトコのゴロを掴んだ Monica Abbott 投手がホームに悪送球 Nuveman は送球を取れず3塁小社のヒロセメグの生還を許した。 ( 続く三科はホームで刺された..... )

 
   

“3失点目を喫した時にちょっとこれは痛いかなと思った。” Nuveman は語った。 2死ながら1塁に走者がいた最後のチャンスにも Caitlin Lowe はサードゴロに倒れアメリカの大会連覇は途絶えた。アメリカが金メダルを勝ち取れなかった事は驚きであり、ソフトボールファンは日本が金メダルを勝ち取った事の驚きを感じない。ウエノは前日アメリカ打線を8回まで完封していた。

“彼女はただ私たちに投げ勝っただけ”先発の Cat Osterman は語る。
“私はこの事実にそんなに頭を抱えていられない。”

 

ウエノは前日21イニングを投げ24時間も経っていないこの日にも快投を見せて勝利に貢献した。サイトウハルカ監督に再びボールを渡された上野は、それ以外のオプションは対アメリカ戦には無いと考えたのだろう。しかしこのレベルの大会で二日連投をするのはまれだがウエノは耐えられた。中国の濃い大気からのみならずアメリカ、オーストラリアの連戦から来る肉体的な疲労に耐えられた。
“勝利は最大の回復”ウエノは通訳を通して答えた。 

  

しかし最後は本当に上野投手も限界だったと思う。7回、1死1塁からのワトリーの打球は完全に3塁線を抜かれたと思った。よく広瀬が抑えてくれたと思った。最後の打者の Lowe の打球も。アテネ五輪以降、対アメリカ戦では USA World Cup, Canadian Cup, 世界選手権、 Japan Cup 等を含めて5勝13敗だった。五輪ではアメリカは22連勝中だったらしい。 上野の力投と日本ソフトボールチームの偉業が世界のソフトボール界に大きく貢献してくれることを祈るけど……

Don Porter 世界ソフトボール連盟会長はアメリカがこの大会で負ければまた再び五輪にソフトボールが採用されるとは明言しなかった。ソフトボールは2005年の IOC委員会の会議でロンドン大会の種目から外されることに決まったが、2016年大会に再採用されるかは 2009年の IOC 委員会会議で決められる。しかしその為にはまだ解決せねばならない問題が残っている。今大会ついにアメリカの牙城が崩されたが世界選手権では16カ国が参加し、4~5カ国の拮抗した国がないとアピールに難しいらしい。 Don Porter 会長は IOC のJacques Rogge 氏やJuan Antonio Samaranch 前IOC 会長に決勝戦となった日米対決を観戦してもらったそうだ。しかし欧州人に複雑な球技のルールはわかるかな……

試合時間もひとつの課題らしい今大会の平均試合時間は1時間49分。これなら“及第点”らしいけど……サッカーも同じくらいなんだけどなぁ…..

これでソフトボールの五輪登場は少なくとも8年待たねばならなくなった。これは選手達の現役生活にも影響するだろう。表彰式後アメリカの Kelly Kretschman, Flower 達が自らのスパイクをホームベースに置き引退を表明した。 もし次の五輪が4年後ならばどうなっていただろう.......

   

私はさっそく日本リーグの日程を調べた。今年で41回目になるんだなぁ……. 球技の金メダルなんてもう何年振りだろう、あの“新東洋の魔女”と言われたモントリオール大会の女子バレー以来だとおもった。  

それだけ素晴らしい偉業なんだ。

日本国内のマスコミももっとソフトボールにスポットライトを当てろよ。世界1のレベルだぞ。

    


撫子 メダルには届かず しかし日本女性は素晴らしい

2008-08-23 | 夏季五輪
テレビ左上隅の時間の経過を示す数字は93分を過ぎようとしていた。そしてアルゼンチン人の Alvarez 主審の試合終了を告げるホイッスルが鳴り響き撫子達の挑戦が終わった。 残念ながら彼女達は日本サッカー界に40年振りの五輪メダルをもたらすことは出来なかったがその存在を世界に見せつけられたと思う。

中国の新聞は下記の通りに伝えた……

ドイツチームと3位決定戦で敗れた日本チームは残念ながら表彰台に上がることができなかったが、しかし彼女たちはアジア女子サッカーの新しい覇者の地位に上がった。私達は、中国の女子サッカー、朝鮮の女子サッカー、といったかつてのアジアの覇者達は、日本の女子サッカーの技術のサッカーの前に力及ばなかった事を認めなければなりません。 事実、今の世界の中のアジアのサッカーについて欧米のサッカーとの決定的な、体格が先天的に劣るその事実に対抗するため、国際大会の中で対抗するならば、必ずサッカーの技術を向上させねばなりません。日本のサッカーは真っ先に1歩先に技術向上をさせて、そして北京のオリンピックで初めて4強に入り成功を得ました。未来の日本の女子サッカーが更に私達を驚かせる事が出来得る(ありえる)ことを信じます。
日本の躍進はアジアのレベルを上げることとなるでしょう......


日本を破ったドイツの新聞では

ドイツ女子代表チームは3位決定戦で日本を 2-0 で破り3大会連続の銅メダルを勝ち取った。2得点の Fatmire Bajramaj は“金メダルを獲得できなくなった時は大いに失望したが勝ち取った銅メダルには満足してる。”と述べた。 Silvia Neid 監督は、前半日本に押され、後半何か手を打たねばと思い投入した2選手、Bajramal と Conny Pohlers の2人が試合の流れを引き寄せたことが勝因、と語った。 前半は準々決勝のスウェーデン戦同様守備的に戦った。 ドイツはたった1本のシュートを放っただけであったが日本には5本のシュートを撃たれた。21分、22分には宮間、近賀に連続してシュートを撃たれたが GK Nadine Anagerrler が凌ぎ、その後も澤に決定的なミドルシュートを撃たれたが三度 Anagerrler がファインセーブ、後半の Bajarmal の連続ゴールに繋げて試合を決めた………

上記に述べられている通り前半は日本の攻勢の時間が続いた。しかしそれはドイツに攻めさせられていたのだった。体格で勝る統率された最終ラインはミドルシュートこそ打たれはしたものの突破は許さなかった。しかしそれだけに澤の惜しいシュート等、日本のミドルが決まっておればと思われた。

後半投入された Bajramal は北京五輪では日本戦で4試合目の出場となるが全て途中出場。まさにスーパーサブ的存在。昨年のワールドカップ、グループリーグ戦の日本戦も57分から途中出場をしている。Bajramaj は1988 年旧ユーゴスラビア領のコソボで生まれたアルバニア系の移民。さぞ苦労があっただろうなぁ……….
3位決定戦では連続して得点を決められてしまった。2012年のロンドン五輪では金メダルを狙うと試合後インタビューに答えている。 

    

    

準決勝でブラジルに 1-4 で敗れ昨年のワールドカップ決勝戦( 2-0 でドイツの勝利)の雪辱をされてしまったドイツのスタメンはFWの Anja Mittag をベテランの Sandra Smisek に替えただけのメンバー。左サイドバックの Bebett Peter 以外は昨年ワールドカップでの日本戦に出場した選手。そして経験が豊富な選手が並ぶ。GK Nedine Anagerrler は昨年のワールドカップ経験者。 左サイドバックの Kerstin Stegeman はワールドカップ3大会( 1999, 2003, 2007 ) 五輪は4大会( アトランタ、シドニー、アテネ、北京)の経験者、FWの Birgit Priz は1995年大会から4大会ワールドカップに出場を果たしておりワールドカップ通算得点14は現時点で歴代1位。2003年から3年連続で FIFA Women’s World Player of the Year に選ばれている優秀な選手で昨年ワールドカップの日本戦では得点を挙げている。五輪もアトランタ大会から4大会連続出場中だ 中盤の Renate Lingor もワールドカップ3大会 ( 1999, 2003, 2007 ) そして五輪もアトランタ大会から4大会. CB の Arian Hingst もワールドカップ ( 1999, 2003, 2007 ) と五輪 ( 2000, 2004, 2008 ) に3大会ずつ出場実績がある。 CB の2人が経験者で揃っていたので前半の守備的な試合運びが出来たと思う。 まさに完成されたチーム…..と言うよりも完成されたのは昨年のワールドカップでその遺産でここまで来た、だから決勝に残れなかった…….と言えなくもないか…….. 2009年に Finland で欧州選手権があるが、 Priz をはじめ多くの選手がその大会を最後に代表から引退するものと思われているらしい。

  

一方の撫子達は準決勝のアメリカ戦と同じメンバーだった。 登録18人の中でMF加藤、FW丸山そして第二GKの海堀以外はすべて昨年のワールドカップメンバー。池田浩美 ( ワールドカップ、1999, 2003,2007 ) 五輪 ( 2004年)や澤,ワールドカップ4大会( 1995 ~2007 ) 五輪3大会 ( 1996, 2004,2008 )  の様に世界の大会を多く経験する選手は少なく、前回のアテネ五輪を経験した選手が他に6人( 矢野、柳田、安藤、新川、丸山) ワールドカップ2003年大会の経験者は7人 ( 宮間、澤、矢野、柳田、新川、丸山 池田 ) いた。ドイツ程ではないが新旧交代の時期にこれからさしかかってくると思われる。しかし澤と池田にはもっと続けて欲しいなぁ…. 

   

女子サッカーはみな五輪で勝ち進む事がその存在感を示す事になるという事をよく理解している。それは日本以外の選手も同じだ。
一昨年なでしこリーグの試合観戦に行った時に購入したプログラムを見るとほとんどの選手が他に仕事を持っておりそれで生計を立てているとの事。ある選手は地元の体育協会で、ある選手はボーリング場で……. それだけに日の丸の重みをよくしっているのだろうなぁ……… 

  

今年10月28日、ニュージーランドで第一回 FIFA U-17 Women’s World Cup が開催される。アジアからは日本、韓国、北朝鮮が出場権を得た。欧州からは England, Denmark, France, Germany 南米からはコロンビア、パラグアイ、ブラジル。北中米からはアメリカ、カナダ、コスタリカが出場。そしてアフリカ代表のナイジェリア、ガーナに開催国のニュージーランドを加えた16カ国が初代王者の覇を競う。 
日本は Group C に所属しアメリカ ( 10月30日) フランス ( 11月2日)パラグアイ ( 11月5日 ) と同組だ。次の撫子達がここから生まれることだろう、もっと撫子達を……と思う。 

女子の方が男子よりこの五輪では戦績が良い…..我が家の家内が言った言葉だ。多くの日本女性がそう思っているに違いない…….

撫子 ! 很好 !!  非常好 !!!

2008-08-18 | 夏季五輪

約1年前の2007年8月17日、杭州の Hangzhou Dragon Stadium 。この試合でも終始 39,817 人の大観衆から言われなき理由でブーイングを浴び続けた日本女子代表チームは対戦相手のドイツに 0-2 で敗れ、FIFA Women’s World Cup での1次リーグ敗退が決まった。 この前の上海で行われた2試合でも彼女達は理由のないブーイングの嵐にさらされた。ドイツ戦を終えてピッチ上でブーイングを浴びせ続けた観客に向かって “ ARIGATO 謝謝 CHINA “ の横断幕を掲げ一礼する彼女たちに中国人の観客達は指を指して嘲笑していた。

   ”何やってんだ?負けたあいつらは??“ 

   

中国国内のネットに多くの書き込みが。“日本人は罪を認めろ” あまりの酷い書き込み、台湾人の友人達が教えてくれた。そして言った。“我々台湾人は誰に対してでもあんなことはしない。 日本政府は何をやっているんだ?もし日本で中国チームにあんなことをやったら大陸の人間はどんな反応をすると思う??”

しかし撫子達は泣き言を言わなかった。自分たちの力不足を認めそのリベンジを翌年の五輪に向けたのだと思う。そしてまさに彼女達の為にそのお膳立てが整っていた。

8月15日。何度も言わせて貰おう。日本人の殆どが忘れえぬ日。そして忘れてはならない日。終戦記念日。第二次世界大戦で日本が同盟国の無条件降伏を受け入れ敗戦が決まった日だ。しかし日本が屈したのは連合国ではなくアメリカのみ。中国、韓国、朝鮮に戦争で敗れたわけではないのだ。そし63年後のこの日、日本女子サッカー代表チームはベスト4進出をかけて地元中国代表と歴史を作るべく世紀の一戦に臨む。こんなに試合前に興奮と言うか燃え上がるような感覚があっただろうか……

撫子のスタメンはノルウェー戦と同じメンバー。5得点を挙げた攻撃陣のみならず強豪のノルウェーを1失点に抑えた守備陣もそのままだ。

   

一方の中国は1次リーグ最終戦のアルゼンチン戦でスタメンGKだった韓文霞に替って張艶茄を起用。しかし張はスウェーデン戦、カナダ戦ではスタメンGKだったこの大会ではレギュラーGK。昨年のワールドカップ、そして 2004,2006年のFIFA U-20 に出場している。ただ韓文霞もワールドカップは 2003, 2007 年大会に出しているベテランGKだ。CB 翁新芝 Weng Xinzhi は2004, 2006年のFIFA U-20 に出場したが昨年のワールドカップは予選に出場しながら本大会にはメンバー入り出来なかった。その翁とCBを組むのが、主将でCBの李潔 Li Jieはアテネ五輪、2003, 2007 年ワールドカップに出場した29歳のベテラン選手。右サイドバックの劉華娜 Liu Huapa は2007年ワールドカップ出場。 左サイドバック周高萍 Zhou Gaoping はワールドカップ出場経験は無いが 2006年FIFA U-20 準優勝メンバー(優勝は北朝鮮)ボランチは2003年、2007年ワールドカップそしてアテネ五輪も出場した毕妍 Bi Yan とワールドカップ3大会 ( 1999,2003,2007 年 ) そして五輪2大会 (シドニー、アテネ) にも出場した28歳のベテラン浦玮 Pu Wei 。
2列目右サイドは北京五輪が国際トーナメント初登場の24歳の張娜 Zhang Na 、左サイドはアテネ五輪、2007年ワールトカップメンバーの張颖 Zhang Ying 。2トップはアテネ五輪、ワールドカップ 2003年、2007年大会に出場した韓端 Han Duanと2004年FIFA U-20 準優勝メンバーの徐媛 Xu Yuan。
指揮を執るのは商端華監督。昨年ワールドカップ後に Domanski Lyfors Marika 氏からチームを引き継いだロワゼル氏の後を継いだ。やはり中国協会とは言葉の面も含めて中国人監督でなければ駄目か?しかし商監督の目は鋭く、五輪前に浦瑋をCBからボランチに戻し、劉華娜を右サイドバックに復帰させた。要注意は9番のFW韓端。北京五輪でもスウェーデン戦でゴールを挙げ、今年6月ヴェトナムでのアジアカップ準決勝の日本戦でも止めの3点目を挙げている。この試合2得点の王丹丹はベンチスタートだった。
  
  

緊張の中のキックオフ。秦皇島競技場は “加油 ! 加油 !! “ の大合唱が。そして日本選手がボールをキープするとブーイング。そのブーイングの中4分28秒には大野がドリブルシュートを放つとGK張艶茄が右に倒れこんでセーブ。7分15秒には近賀がクリアーボールを拾ってロングシュート。10分には李潔が後ろから澤にチャージに入ったのが反則に取られFKを得る。宮間が蹴ったFKは一旦跳ね返されるが澤が拾い右サイドライン沿いからゴール前の安藤梢に送る。ファーサイドを狙った安藤のミドルは惜しくもポストの左側を抜けて行った。14分にもCKを得て宮間が入れたショートコーナーはクリアーされたが、再び中国陣内に攻め込み大野が翁新芝の足に当てて再びCKを得る。その宮間がファーサイドに上げたCKに澤が飛び込み見事なヘッドが中国ゴールに飛び込み先制ゴールを挙げた。岩清水と大野がネアーサイドに走りディフェンスに入ったFW韓端、DF翁新芝、劉華娜、周高萍の3人をネアーサイドに引っ張りファーサイドに走り込んだ澤にスペースを作った。澤も競りに来た李潔、張颖の間に割って入って放った見事なヘッドであった。
 
     

     
  
しかし6月のアジアカップでは澤の先制ゴール後連続3失点で敗れている。失点後中国は韓端が左サイドに開き中に浦瑋が前線に上がってきたりするが日本のDF陣も対応よくラストパスを通させない。ロングパスを韓端に通そうとするのだが、低い位置からしかボールが出ないのでその前に日本のDF網に引っ掛かる。池田を中心にラインコントロールが良い様だ。またボランチに入った阪口がDFラインの前で相手攻撃に当たりに行くのでDFへの負担を軽くする。
日本は前半27分に大野がドリブルシュートを放ったり、矢野、近賀の両サイドバックの上がりもよく攻勢が続く。1対1で強い上に、ボール回しが良くボール支配率が時間を追って上がるので安心して見られた。
35分に反則を取られ毕妍のFKが攻撃参加した李潔を狙うがGK福元がパンチでクリアー、こぼれ球を徐媛にPA外から撃たれたが大きく外れた。これが初めてひやりとしたシーンだった。38分には周高萍のスルーパスに徐媛が走り込むが福元が判断良くスライディングで大きクリアー、この試合福元の好プレーも目立った。前半もこのまま日本リードでと思った44分34秒、韓端が後方からのロビングをヘッドで落としたところを池田が福元にバックパスをしたがコースが悪くゴールラインを割りCKを与えてしまう。あわや自殺点というところだった。そのCK、韓端がヘッドでファーサイドに送り走り込んだ張颖が放ったシュートはGK福元がパンチングでクリアーするが小さく、矢野が頭でもう一度クリアー、しかしこれも小さく至近距離から李潔に撃たれたがボールは大きくクロスバーを越えてくれた。 その前に阪口のボールを受けた永里のミドルが僅かにバーを越え、その直後にも永里のパスから安藤が放ったシュートが相手DFにあたり大きく弾んだ所を永里が走り込んだが惜しくもGK張艶茄に防がれたり連続して惜しいシーンがあっただけにここで失点していれば試合結果は判らなかっただろう。

後半に入っても一進一退の展開が続く中55分に張颖に替ってアジアカップ日本戦同点、逆転ゴールを連続して決めた王丹丹を投入し3トップ気味に、57分には張娜を下げて娄佳慧を入れて同点ゴールを狙うが日本選手の出足は悪くなく中国は日本ゴールに近付けない。日本も53分に矢野を下げて柳田美幸を入れ右サイドバックを替える。これで韓端は右サイドに開き辛くなった。
そして79分撫子に待望の追加点が生まれる。近賀のヘディングのクリアーボールを拾った大野が李潔をかわしてそのまま中央をドリブル突破、PAのすぐ外に待ち構えた永里とワンツーで抜け出す翁新芝と劉華娜がマークに入りもつれて倒れるがこぼれ球を拾った永里が周高萍をかわしてGK張艶茄の出鼻をファーポストにめがけて撃ったシュートはポストの内側にあたってゴール内に転がり込み試合を決定づける2点目が入った。

        

        

この得点を機に多くの地元観客が帰り支度を始めたとか…..
それでも中国は日本ゴールを目指す。83分には浦瑋のパスを受けた王丹丹が近賀がマークに入る前にミドルを放つがこれは福元が判断良く前に出て抑える。85分には韓端が岩清水をかわしてミドルを放つがこれも福元がパンチングで防ぐ。後半の半ばから中国は日本の右サイドを突く様になったがこれは安藤が攻撃参加した後の空いた所を狙ったもの。しかし近賀らの動きがよかったので失点には至らなかった。近賀はニュージーランド戦のミスをもう帳消しにしたことだろう。
日本ベンチは85分に大野に替って丸山佳理奈が、87分には永里に替ってボンバーヘッドの荒川恵理子が入る。中国は李潔を前線に上げて得点機を狙う。ロスタイムは4分と表示されたがどこにそんな時間があったのだろう?90分33秒には毕妍のFKに韓端をはじめ中国選手数人がなだれ込む中福元が出て来てボールを直接キャッチ。中国選手の中には髪留めのバンドを外す選手も。そしてついに試合終了のホイッスルが鳴り響き五輪ではあのメキシコ五輪以来の準決勝進出を撫子達が成し遂げた。シドニー五輪の出場権を失った時は所属先のチームが経営不振に陥り解散したチームもあり女子リーグ(当時はL リーグって言われていたっけ…..) の将来が危惧されたが反対に選手達は“サッカーを出来る喜び”を認識できた事だろう。

試合後中国のエース韓端は “中日(日中)の間には実力差がはっきりとある事をサッカーファンは理解してくれることを望む。”と地元紙に答え、“日本の技術がよくとても高いレベルを保持している。私はこの9年間まだ一度も世界の大会でベスト4に入った事がなく今回も成し遂げられなかった。あまりいい思い出はないがこれからも引き続き努力は続ける。” “日本選手達のボールの受け渡しの技術、試合の進め方等全てが私達よりすばらしかった。私達全てのメンバーはベストを尽くしたのですが目標のベスト4には進出出来なかった。最後に負けてしまったがこれも1種の現実です。中国の女子サッカーは再び世界の山頂に登る為にとても長い道がまだあります。” と述べたとの事。

  

また商端華監督も “日中間には実力的に開きがある、日本は世界の一流レベルを披露した。彼女達の技術は素晴らしくアジアサッカーの発展に寄与している。また人材発掘の体制が素晴らしくそれらは中国も見習うに値する” と日本の実力を事を試合後の記者会見で認めた発言をした。そしてこの9年間で五輪 、世界選手権でのベスト4入りを逃し続けていることにも言及し“いつの日か世界の4強に返り咲く”事も約束した。

    

そして李潔主将は“オリンピックのベスト4入りを目指してこの2年間に渡って備えたのだけど結果でなくて残念。”と記者会見でコメント。この大会で代表から退くのかという問いには“まだ判らない”と答えた。

1991年中国で開催された第1回 FIFA Women’s World Cup に日本の女子はアジア代表で出場を果たしている。Jリーグの開幕する2年前、男子五輪チームがメキシコ大会以来のアジアの壁を破る5年前、そして悲願の男子がワールドカップへの切符を手にする7年前の出来事だ。 男子より先に世界の扉を開いた女子サッカーの進撃はここで留まらず更なる進撃を今度は北京で見せて欲しいものだ。


     


なでしこ ナデシコ NADESHIKO 撫子 貴女達が大和魂を見せてくれぃ 

2008-08-16 | 夏季五輪
8月15日。日本人の殆どが忘れえぬ日。そして忘れてはならない日。終戦記念日。第二次世界大戦で日本が連合国の無条件降伏を受け入れ敗戦が決まった日だ。 63年後のこの日、日本女子サッカー代表チームはベスト4進出をかけて地元中国代表と世紀の一戦に臨む。サッカーファンを30年以上続けていて試合前にこんなに興奮と言うか燃え上がるような感覚を覚えたことが無い。 

ノルウェーを撃破堂々の準々決勝進出

8月12日。夏季休暇の前日。三日前に海外出張から帰国し溜まりにたまった仕事を片付けようやく自宅に辿り着きテレビのスイッチをつける。信じられないスコアーが上隅に。日本がノルウェーを 4-1 でリードしているではないか??私の部屋にあるテレビは独身時代に購入したNECの14型。これが今でも故障なく稼働しているがこの時ばかりはスコアーが映し出されている部分を拭いて再確認をした。しかし間違いなく日本がリードしていた。そして数分後の83分カウンター攻撃を見せる。澤穂希からのミドルパスを右サイドで大野忍が受けるとマークに戻ったボランチの Ingvild Stensland を振り切り逆サイドから走り込んできた原歩にボールを送る。原はマークに入った DF の Gunhild Folstad を交わしてそのまま放ったシュートはGK Erika Skarob を破り止めの5点目が入った。残り時間を考えればこれで撫子のベスト8進出は決定的となった。それにしても何と言う勝負強さなのだろう……

  

2試合を終えて1分1敗。

初戦のNew Zealand 代表 Ferns とは2-2 の引分け。格下相手に白星を計算していたようだったが Ferns とてFIFAランクは24位だが平均年齢22歳のチーム。伸びしろはこのグループのどのチームよりも大きく試合ごとに強くなるのは想像し易い。対戦相手を比較すれば日本が一番勝ち星への“射程距離内”。その上大会直前の7月には一度中国入りして中国代表と2試合行う等準備も入念だった。ゲームはFW の Emma Kete にロングボールを入れる戦術(と言うよりもこれしかないか?)が功を奏してなかなか撫子も思うようにプレーが出来ない。その上ベテランGK Jenny Bindon が好セーブを見せる。37分にはくるぶしの負傷が伝えられていた Ali Riley が柳田美幸を右サイドで交わしてクロスを送るとそのクリアーを躊躇した近賀ゆかりの前をボールは通過。そこに走り込んだ Kirsty Yallop が押し込んで撫子はまさかの先制を許す。56分にはCKからのポジション取りから不可解な反則を取られ南アフリカ人の Deidre Mitchell 主審はPKを献上する。それを元 Arsenal ストライカーの  Amber Hearnに決められ2点のビハインドを背負う予想もしない苦しい試合展開。
しかし撫子は幸運なPKを Mitchell 主審から貰う。72分、2失点目と同じ様な状況で今度はAbby Erceg のプレーがファールにとられ日本にPKが与えられ宮間あやがそれを決め1点差とした。これは Ferns 2点目の補償か?そして86分にはFKのチャンスから澤穂希が決めてなんとか試合を引き分ける事が出来た。日本にとっては痛い引き分けだったが負けなくてよかったとも思った。この試合があった日はまだ私は New Zealand の首都 Wellingotn にいたが現地ではテレビ中継は行われずスポーツニュースで数分間のダイジェストをみただけであった。 

  

続くアメリカ戦は健闘はしたが0-1 で落とし早くも“崖っぷち”と報道されたが私はまだベスト8のチャンスは十二分にあると思った。ノルウェーが初戦のアメリカ戦で勝利を収めたことから2試合を終了して早々と決勝トーナメント進出を決めたので第三戦の日本戦はメンバーもモチベーションも落としてくるだろう。このノルウェー戦には勝機ありと思っていた。 運命のノルウェー戦。 ノルウェーは2得点の Melissa Link と1得点の Siri Nordby がスタメンから外れただけで残りはニュージーランド戦と同じメンバー。もっと駒を落とすと思ったのだが……
Norway は2003年ワールドカップアメリカ大会ではベスト8、昨年のワールドカップ中国大会ではベスト4の世界ランク5位の強豪でこの日のスタメンの中ではGK Erika Skarbo 以外は全てワールドカップメンバー。Solveig Gulbrandsen はベスト4となった1999年のワールドカップアメリカ大会にも出場しグループリーグの日本戦には途中出場を果たした。この試合では安藤梢、澤穂希、原歩、柳田美幸らが出場しているが試合はノルウェーが4-0 で勝っている。その他 Standeland Horpestad, Folstad Trinne, Marti Fiane Christensen そしてLene Storlokken らが2003年、2007年大会に出場し、 Ingvild Stensland, Marie Knutsen, Leni Larsen Kaurin そしてLene Mykjaland らが2007年大会のみに出場したメンバーだった。
日本は左サイドバックに柳田に替って矢野が起用された以外はアメリカ戦と同じメンバー。 試合は立ち上がりからノルウェーがロングボールを使って日本ゴールに迫るシーンが目立つ。欧州の選手との比較では男子以上にフィジカルの差が現れ、それはロングキックの距離にはっきりと見られる。

27分ノルウェーに先制を許す。 Stangdeland Horpestad のスルーパスに開始10分に Marie Knutsen に替って投入された Guro Knutsen に走り込んで決められた。池田、岩清水のCBがよく戻ったのだけど…..

  

しかし4分後に撫子は追い付く。右サイド澤から安藤に繋いで坂口を経由して宮間に渡り、宮間が上げたクロスを走り込んだ近賀がボレーで叩き込んだ。近賀はニュージーランド戦で痛恨のミスを犯したがこのノルウェー戦は見事なパフォーマンスであった。

  

試合は後半に入ると開始からニュージーランドがロングボールを使って日本ゴールに攻め込む。しかし51分FKを得ると宮間がノルウェーゴール前に入れた所を一旦澤が左のエリア外にいた岩清水に出し、岩清水が再び中に入れると大野が受けて走り込んだ安藤に送る。そのスルーパスはマークに入った Folstad の足に当たりそのままノルウェーゴールに転がり込み逆転。

  

更にその1分後左サイドを宮間が永里とのパス交換で抜け出し前を走る大野へスルーパスを送る。そのパスを受けた大野はドリブルでゴール前に持ち込み Stangdeland Horpestad をかわして放ったシュートがノルウェーゴールネットを揺らし追加点。この2分間で2ゴールを挙げて一気に試合の主導権を握る事に。後半立ち上がり右サイドのポジションを安藤と近賀のポジションを前後に入れ替えたのが功を奏したか…..

  

しかしこの時間からノルウェーが攻勢に出る。1トップの Gulbrandsen に加えて2列目の Marie Knutsen そしてLene Stolokken が前線に出てくる。セットプレーになれば長身のDF Fiane Christensen が出て来る。しかしこの日の撫子はDFラインが安定し、澤、坂口も守備に戻り相手のチャンスの芽を摘み取る。70分には大野の突破から波状攻撃を見せ最後は澤がボレーで叩き込み 4-1 としこの試合をほぼ決定づけた。


   
それにしても何と言う決定力、そして土俵際の強さなのだろう……

大会前どれだけのマスコミが撫子達に注目したのだろう?専門誌でさえ対戦相手の分析記事など掲載しなかった。(それともただ調べる術が無かったのか??)この試合の翌日に1次リーグ最終戦を戦う男子のイレブンもこれで発奮してくれればと思ったのだけど…….. 準々決勝は中国が相手。かつては歯が立たなかった相手だけど今は日本の方がランキングが上だ。今年は1勝(東アジア選手権)1敗(女子アジアカップ)。 秦皇島オリンピックスポーツセンタースタジアムでは完全アウェーとなるだろうがそこに静寂をもたらす試合結果を期待する。


KOSUKEeeeeeee KITAJIMAaaaaaaaaaaa !!!!

2008-08-15 | 夏季五輪

こんな選手を待っていた。

初めて五輪を見た1972年ミュンヘン大会。 100m 平泳ぎで田口信孝選手が 世界記録で16年振りの男子水泳金メダルを勝ち取って以来ずっと思い続けていた。

全日本国民の期待に完璧に応えられる選手がもっと出てこないかなぁ…….

子供の時からずっと待っていた。北島康介の偉業を見てそれを思い出した。 五輪でしかも2種目でそして2大会連続で……… アナウンサーの言葉も永久保存版だ。 

北島強い、まさに無敵、大勝利……..解説者の“他の選手は銀メダル狙いでしょう” こんなセリフが日本人選手にむけてしかも五輪で聞く事が出来るなんて…………

   

スタートから約45mで先頭を行くオーストラリアのブレントン・リカードを捕らえるとあとは独泳、50m では世界記録に0.13 秒遅れたものの、100m では0.14秒上回り2位を 0.44 秒引き離す。 150m では0.19秒世界記録のラップタイムを上回り2位とは 0.84 秒差。もう足がつったりしない限り2冠達成は確実だった。優勝タイムは 2分7秒64最後は2位に 1秒24も差をつけて独泳となった為にラスト50mの記録が伸びず世界記録更新はならなかったが、北島の偉業の価値はなんら変わらない。 
こんなアスリートが出てくるのを日本中が待っていた…….

五輪水泳種目の平泳ぎは1908年ロンドン大会から採用されていたが当時は200mのみ。アムステル大会で日本の鶴田義行選手がこの種目で金メダルを勝ち取ったがこれは水泳競技のみならず日本人が初めて勝ち取った金メダル。鶴田選手は4年後のロスアンジェルス大会でも金メダルを勝ち取り大会2連覇。そして小池禮三選手が銀メダルで続いた。そして翌ベルリン大会でも葉室鉄夫選手が金メダル。小池禮三選手が銅メダル。3大会連続で日本人選手がこの種目を制し戦前の水泳ニッポンを支えた。
敗戦後日本が五輪参加を認められたヘルシンキ大会ではメダルこそ届かなかったが4位に平山綽保、5位梶原孝義、6位長澤二郎の3選手が入賞を果たした。
次のメルボルン大会からバタフライ種目が取り上げられ平泳ぎとバタフライが分けられる様になり予選では優勝候補の一人ドイツの Herbert Klein の泳法がバタフライとみなされ失格となった。 この大会では古川勝選手が金メダル、吉村昌弘選手が銀メダルを勝ち取り戦後の水泳ニッポンの復興の狼煙を上げた。古川選手の泳法は約150mを潜水する泳法だった。この泳法で2分31秒0と言う当時の世界記録をマークした。しかしこの泳法は翌年から禁止されることに。“新ルール”後の世界記録はオーストラリアの Teryy Gatherocole の2分36秒5で古川選手の記録には及ばなかった。戦前は自由型でもメダルを勝ち取ることが出来、戦後も“フジヤマのトビウオ”こと古橋広之進選手が世界記録を連発したり橋爪四郎選手がヘルシンキ大会の1500m で銀メダルを勝ち取ったりしたが、1960年代からアメリカやオーストラリアそして東ドイツを中心とした東欧勢の台頭で自由形はおろか平泳ぎでも世界とは水を開けられ、“水泳ニッポン” は過去のものと言われるようになった。
そして久々に快挙をもたらしたのも平泳ぎだった。1972年、私が小学校の時田口信教選手が100m 平泳ぎで金メダルを勝ち取ったのだ。ライバルはアメリカの John Hencken と Thomas Bruce. 準決勝第1組では Hencken が1分5秒68の世界記録をマークすれば、第2組に登場した田口が1分5秒43をマークし世界記録を更新する。翌日の決勝戦、50mのターンを8人中7位で折り返し残り25mでも Bruce, Hencken に遅れをとっており  “あぁもうあかんわ”  とテレビを見ていた子供の時の私は口に出してしまった。 しかしその直後アナウンサーの

   “ 田口一瞬リード!田口頭一つリード!!” 

との叫び声が聞こえそのまま田口が1着でゴールイン。アナウンサーの“田口1着!そして…….素晴らしいタイムが出ました。1分4秒94!” 中学、高校は水泳部に在籍した私は練習で苦しくなったらよくこの時の実況アナウンスを思い出したものだった。(もっとも私は水泳では大成しなかったけど) 
日本が平泳ぎで長年に渡って世界と戦えたのには理由がある。戦前の独特の潜水泳法もあるが平泳ぎだは他の種目と比較して技術が必要とされる割合が高い。
体格的そして体力的に劣る日本人はどうしても他の種目では劣勢は否めなかった。それだけにソウル五輪での鈴木大地の背泳ぎでの金メダルやアテネ大会から自由型やバタフライでメダルを勝ち取れるのは本当に驚かされる。

      

1968年メキシコ五輪から100m種目が採用され平泳ぎは100mと200mの2種目となった。しかし両種目を制した選手はシドニー大会でイタリアの Domenico Fioravanti が初めて。この時の100m平泳ぎで4位に入賞したのが北島康介だった。この2種目だが水泳の場合の100mの違いは陸上短距離の100mとはかなり違う。人によっては全く別種目と言う人もいる。考えてみれば陸上競技でも100m走と200m走の練習はかなりメニューが違う。五輪の平泳ぎを見ても同じ大会で平泳ぎで2個のメダルを勝ち取った選手達は;

1992年 バルセロナ        Norbert Rozza    ハンガリー   100m 銀 200m 銀
1984年 ロスアンジェルス Victor Davis        カナダ         100m 銀 200m 金
1980年 モスクワ            Arsens Miskarovs ソ連            100m 銀  200m 銅
1976年 モントリオール  John Hencken      米国           100m 金 200m 銀
1976年 モントリオール  David Wilkie         英国           100m 銀 200m 金
1972年 ミュンヘン         田口信教         日本          100m 金 200m 銅
1972年 ミュンヘン         John Hencken     米国            100m 銅  200m 金
1968年 メキシコ             Vladimir Kosinsky ソ連            100m 銀 200m 銀 

Fioravanti を含めてのべ9人の選手しか同大会で2種目のメダルを勝ち取る事が出来なかった。それだけに北島が2大会連続で2冠を達成した事がいかに素晴らしい事であるが再認識できる。

    

日本の水泳競技の進歩はまず室内プールの設備の充実にある。私が高校生の時は室内プールなどは数えるほどしか無く冬場は走り込みやウェイトトレーニングが当たり前で強豪の高校は自前の室内施設を持っていた。その室内プールも50mのものは見つけるのが大変だった。
それからスイミングスクールの発展に見られるジュニアの時代から同じコーチのもと一貫した指導が施されるのはうらやましい話だ。これは善し悪し、賛否両論があるが私がやっていた陸上競技を見ると中学生の金の卵や高校生の素晴らしい逸材がそれぞれ進学した高校や大学で指導力もない間抜けな馬鹿コーチ??どもに大量に潰されているのを見ているので陸上競技よりかはずっとましだと思うし結果が物語っている。 まぁ陸上競技なんてジュニアの時代から一生懸命やるものではないが.

兎に角北島の力泳に大いに感動し力を頂いて人達は多かっただろう。 私が言うまでもなく“素晴らしい”の一言だ。彼に続く選手がこれからも絶え間なく出てきてくれることを願ってやまない。

    


Hyundai A-League 2008 開幕間近  Pre-Season Cup 決勝戦

2008-08-14 | Aussie & Kiwi
8月6日、6000人以上の集客を目標にした Pre Season Cup の決勝戦。Melbourne Victoryを迎えたここ Wellington Phoenix の本拠地 Westpac Stadium は9,028 人の観客が集まった。少なく見積もっても95%が地元 Phoenix の勝利を期待する人々で占められたと思われる。試合は Phoenix が押す展開が続く中、 A-League の中では強豪の部類にはいる Victory が劣勢の中にもしっかりと耐えて得点機をうかがう展開が続いたが勝負は90分ではつかずそのままPK戦に突入した。
PK戦では Victory の最初のKicker 、主将の Rodrigo Vargas が決めた後 Phoenix の最初の Kicker 、エースストライカーの Shane Smeltz が大きく外してしまう。以降両チーム2人ずつが決めた後、Victory 4人目の Nick Ward がボールをセットすると相手チームの中心選手に向かって観客席からはひときわ大きなブーイングが飛ぶ。そしてそのブーイングは Ward のPKが大きくバーを越えた瞬間に大歓声に変わる。以降 Victory が Carlos Hernadez, Sebastian Ryall, Danny Allsopp, Mathew Kemp と連続して決めれば、後から蹴る Phoenix も Daniel, Michael Ferrnante, John McKain, Richard Johnson らが決めて食い下がる。6人目のサドンデスからは先攻の Victory が決め続けて後から蹴る Phoenix にプレッシャーがかかるのがよくわかるがそれを地元の観衆が後押しをする。しかしながらVictory 9人目の Evan Berger が決めた後の Phoenix 9人目 Kart Dodd がゴール左隅に狙ったショットを GK Michael Theoklitos がコースを読んでいたか右に倒れこんでセーブ。この瞬間この試合の勝負が就き、熱心に大歓声を送っていた観客は一斉に出口に向かい出した。ニュージーランドサッカー史上でも屈指のタイトル奪取がならなかった Wellington Phoenix の選手達は少し肩を落とした。そして A-League 史上初めて Grand Final, Preliminary Final ( リーグ戦 ) そして Pre Season Cup の3冠タイトルを勝ち取った Melbourne Victory のメンバー達は静かにこのタイトルを喜んでいた。
試合内容はPK戦で敗れた Phoenix が良かった。彼らの方がタイトル奪取のモチベーションが高い様に見えた。そして地元観客も彼らを大いに後押しをした。しかし悲願は届かなかった。しかし約10日後に開幕する今シーズンの A-League に向けて大いに自信となったのではないだろうか………

昨シーズン破綻した New Zealand Knights に替ってニュージーランドからA-League 入りした Wellington Phoenix は8チーム中最下位に終わり Australia のチームとの差を感じさせられたように見えたが、7位の Perth Glory とは同じ勝点で得失点差で7位の座を譲った。6位 Adelaide United とは勝点差が6で5位 Melbourne Victory とは7勝点差。Knights が参戦した2シーズンは共にダントツの最下位であった事と比較すれば“大躍進”とも言えなくもない。 昨シーズン終了後 Four Four Two Australia 誌が選んだ Year of the Coach には元ニュージーランド代表でワールドカップ出場経験もある Phoenix の Ricki Harbert が選ばれたのも納得が出来る。 Harbert 氏はニュージーランド代表 All Whites の監督も務めワールドカップ予選では日本と対戦するかもしれない….. いやアジア予選で出場を決めることを祈るけど……. まさに New Zealand サッカーの将来を担っていると言える人物だ。

今年の A-League の Pre Season Cup は他のチームが契約未締結等で戦力の整備が進まないなか Phoenix は早くから戦力の整備に取り掛かっており、その成果がまずあらわれたと言えるだろう。
1次リーグでは昨シーズンの Grand Finalist , Central Coast Mariners を 1-0 で破り続く Queensland Roar 戦は0-0 と引き分けたが第三戦の Sydney FC との試合では 0-2 の劣勢から3連続得点を挙げ逆転勝利で激戦を制し決勝戦進出を決めた。 Pre Season Cup とはいえこのタイトルを勝ち取ればニュージーランドクラブサッカー史上久々の歴史的勝利となると現地のサッカーファンの間では話題になっていたらしい。 8月6日の決勝戦を前にこの Pre Season Cup にはローテーションシステムを採り選手のテストを図りながらも決勝進出を果たした Phoenix の Herbert 監督は GK Glen Moss そして Andrew Durante, オーストラリア人のJon McKain のCBコンビ, MF Michael Fernante とMF Leo Bertons , FW の Shane Smeltz の All Whites コンビ以外のスタメンは未定とマスコミ達を煙に巻いた。オーストラリア人のCBで主将の Jon McKain は“我々はタイトルに飢えている。”選手達はみな決勝戦でプレーをする事を望んでいる。新しいクラブでチームメイト達と喜びを分かち合うのが我々の目的。“とタイトル奪取に執念を燃やす。 McKain は2003年から5シーズン に渡ってFC National Bucuresiti 等 Romanian League でプレー。アテネ五輪では Olyroos のメンバーとして出場。翌2005年ドイツで開催された FIFA Confederations Cup にも3試合出場した経歴がある Brisbane 出身の選手。何故 Queensland Roar に行かなかったのだろう?
対戦相手の Melbourne Victory は北京五輪に Archie ThompsonとBilly Cleleskiが北京五輪で不在, Leigh Broxham、Daniel Vasilevski , Grant Brebner そして主将の Kevin Mascut らが怪我で離脱と中心選手の多くが不在。この試合に帯同した選手は結局15人のみ。それでも Ernie Merrick 監督は“選手層の厚さには自信がある”とコメント。 

街の中心街にあるホテルから Westpac Stadium までは徒歩10分。途中 Wellington Station の構内を通ってスタジアムに向かうがスタジアムの照明の明かりが近付けば近付くほど黄色のレプリカや黄色と黒のマフラーを付けたサポーター達がどんどん増えてくる。彼らとてサッカーを愛する人達。地元チームの勝利を願ってやまない、言ってみればダメ息子が突然試験で100点を取ろうかと言う心境だろう。

   

Victory のスタメン発表に続き、地元 Phoenix のスタメン発表がサポーター達の大歓声と共に始まる。この日の Phoenix のフォーメーションはGKが以前は破綻したNew Zealand Knights のゴールを守ったGlen Moss。DFラインは4バックで左サイドバックが昨シーズンまでオーストラリア Victoria Premier でプレーした Emmanuel Muscut, CB はJon McKain,とKart Dodd で Andrew Durante はベンチスタート。 Doddは188cm の長身選手で昨シーズンは Scotland Premier League の Falkirk でプレー。中村俊輔とも対戦したか?その前は右サイドバックが Ben Sigmund。今年7年振りに N.Z. 代表 All Whites に復帰した本来はCBの選手。2006年岩本輝雄と共に New Zealand City FC のメンバーんの一員として来日し FIFA Club World Cup に出場した。ボランチがMichael Ferrante と Richard Johnson。Fernante は昨シーズンまでこの日対戦した Melbourne Victory に所属し、昨シーズンは16試合にスタメン出場した中心選手だった。 Johnson はEngland の Watford で12シーズンプレーをし Premiership も1シーズン経験している。その他 Queens Pars Rangers を含め都合 England で14シーズン5チームを過ごした。 2列目の左サイドには昨シーズンまで Central Coast Mariners に所属し今年2月に行われた Grand Final にも出場を果たした Adam Kwansnik, 真中には 北京国安にも所属した Leilei Gao。右サイドに ニュージーランド代表の Leo Bertos そしてShane Smeltz のワントップ。攻撃時には Gao が前線にあがり Smeltz と2トップに。 補強の充実ぶりがよくうかがえるメンバーだ。

一方の Melbourne Victory はGK Michael Theoklitos, 左サイドバックが Evan Berger。Australia U-20 にも選ばれた20歳の選手だが本来は中盤の選手。 CB は Sebastian Ryall と Rodorigo Vargas, Ryall は一時五輪代表候補にも入った選手。Vargas は昨シーズン20試合スタメン出場を果たした中心選手。 右サイドバックには19歳の新鋭 Nathan Elasi。しかし Elasi は本来FWの選手。 ボランチには Jose Luis Lopez と Nick Ward。 Lopez は今季コスタリカからやって来た助っ人で 2001 年のFIFA U-20、アテネ五輪にコスタリカ代表として出場。そして2005年のFIFA Club World Cup にも Deportivo Saprissa のメンバーとして来日。 KAZU のいたSydney FC と対戦した。Nick Ward は2005-06シーズンは Perth Glory に所属以降 Queens Park Rangers, Brighton と England でプレー。 Asian Cup 予選ではSocceroos のメンバーにも選ばれ、北京五輪最終予選でも6試合すべてに出場したにも関わらず最終メンバーには選ばれなかった。 このポジションは実績のある選手達で占められたがこの二人はどちらかと言えばDiffensive MF の様な働きだった。MFには左サイドに Carlos Hernandez, 右サイドに Matthew Kemp 。 Hernandez は昨シーズンからコスタリカの LD Alajuerense からローン契約でVictory の一員となったが、 Lopez 同様 FIFA U-20, アテネ五輪にも出場し2006年のワールドカップにもエクアドル戦、ポーランド戦に途中出場を果たした。Kemp は昨シーズンから Adelaide United より移籍し18試合スタメン出場を果たすなどチームの中心選手。しかし本来はフルバックの選手。 そして Danny Allsopp と Ney Fabiano が2トップ。Allsopp は1995年エクアドルで開催された FIFA U-17 の得点王。2年後のFIFA U-20 マレーシア大会にも出場。昨年 Asian Cup 直前のウルグアイ戦では遂にA代表に選ばれたが Asian Cup には選出されなかった。 Fabiano は今シーズン タイのChonburi から移籍したブラジル人FW。その前にもタイの Tabacco Monopoly でプレーした。 この日のメンバーを見ると Thompson, Celeski そして Mascut がいないと物足りない気がする。

Phoenix にとってはチャンスだった。 試合開始から地元サポーターの大歓声を受けて Phoenix の攻勢が続く。そして本来のレギュラーメンバーが少なく残されたメンバーでやりくりしている Victory はカウンター主体だが相手PA前ではスルーパスを通したりワンツーで抜け出たりしてチャンスを作る。11分にはスルーパスを受けた Allsopp がナイスクロスを上げるがGK Moss がキャッチ。23分にはFabiano が Allsopp とのワンツーで抜け出てゴール前に迫った所を E.Muscat に倒されたがここはノーホイッスル。 Phoenix はボール支配率が高く相手PA付近までよくボールを運ぶのだが足元へのパスが多く最後は Victory DF陣にラストパスを読まれてしまい決定機は作れない。26分には右サイドを Bertos がドリブルで上がるがフォローが無くチャンスが広がらなかった。この試合内容にエースストライカーの Smeltz が観客に声援をあおるジェスチャーを見せ大歓声が沸く。31分には Bertos から逆サイドの Kwansnik に送られた中の Gao に繋ぎ Gao は右に流れてシュートを放つが Victory DF にあたって得点には至らなかった。 33分頃から Phoenix は Gao と Kwasnik のポジションを替えた。これで Gao のボールキープ力と Kwansnik のシュート力を生かせるようになった。そして Smeltz との2トップに。しかし前半はロスタイム2分を加えても両者得点が入らずに終わった。

後半Phoenix ベンチはKwasnik に替えてベテラン FW Vaughan Coveny を投入する。 Coveny は地元Wellingotn 出身で2005-06 から2シーズンは New Castle Jets でプレーし、昨シーズン地元 Phoenix に移籍。All Whites 出場歴77試合20得点の実績がある。All Whites 出場歴77試合20得点の実績がある。 Coveny が Smeltz と2トップを組む事に。  53分この試合もっとも観客が沸いたシーンが。PAエリアのすぐ外でFKを得た Phoenix は Ben Sigmund に替って Troy Hearfield を投入。Hearfield はAustralia U-20 にも選ばれ一時は五輪代表候補にも選出された攻撃的MF。Victory ゴール前にFKが放り込まれ両軍の選手がボールの落下点に殺到するが結局GK Theokiltos がキャッチ。しかしこのあと Phoenix の選手が Theokiltios にぶつかったと両チーム入り乱れての小競り合いに。観客は大歓声を送るが Peter O’Leary 主審がMcKain にイエローカードを出すとブーイングに変わる。

   

64分 Phoenix は3人目の交代選手 Daniel を Gao に替えて投入すると大歓声が沸く。昨シーズンは4ゴールを挙げたチーム一の人気を誇るブラジル人選手だ。 Daniel が左右にポジションを取り高いボールキープ力を見せるので更に Phoenix にチャンスが生まれる。66分にはFKのチャンスから最後はこぼれ球をFerrante がシュートを放つが GK Theoklittos のファインセーブでCKに。 71分にはFerrante のスルーパスに抜け出したSmeltz がゴールに迫るがシュートを撃てない。75分にはFKをもらい早いリスタート Smeltz が左サイドからクロスを入れるが右に流れる。 Ferrante がフォローに入るがシュートは外れて行った。 Ferrante が完全に左サイドを制しているのでそちらからチャンスが多く生まれる。80分最大の得点チャンスシーンが。左サイドを抜け出したサイドバックの E. Muscat が絶妙のクロスを入れ、 Smeltz が頭で合わせる。誰もがゴールと思ったがGK Theoklittos が右に倒れこんで奇跡のセーブ。サポーター達のため息に続いて Smeltz そして Theoklittos ?? に拍手が送られる。結局後半も両チーム得点が入らず勝敗はPK戦に委ねられる事となった。

8月17日 Phoenix は Westpac Stadium に Queensland Roar を迎え、Hyundai A-League 2シーズン目に臨む。Kwasnik ( Central Coast ) , Durante ( Newcastle ) , Hearfield ( Newcastle ) , Gao ( My Pa Finland ) McKain ( Politethnica Timosoara Romania ) Sigmund ( Auckland City FC ) Mulligan ( Scunthorpe United, England ) Leo Bertos ( Perth Glory )新加入 8人の選手補強をみると今シーズンは期待できそうだ。もし A-League または Grand Final を制するとニュージーランドのチームが Asia Champions League を戦う事となるが……. 今シーズン何試合 A-League の試合を観戦できるだろう…….今年の楽しみだ。

  


反町 JAPAN 無念の……

2008-08-11 | 夏季五輪

ロスタイムは3分。1点のビハインド。テレビのブラウン管を通してでさえ雨粒は時間を追うごとにはっきりと映ってくる。時計の針は90分を回ろうとしていたがロスタイム3分の表示が。まだチャンスはあると思える時間が。91分25秒、本田圭祐がセンターライン付近で倒されてFKを得る。そのFKを左サイドの安田に繋ぎ、安田はゴール前に入れると豊田がナイジェリアの Onyekachi Apam に競り勝ち前に落とす。岡崎がナイジェリアDFを背負いながら豊田に戻すが豊田は空振り。惜しいチャンスであった。そして Solomon Okoronkwo のドリブルを許すが最後は森重がカットしてもう一度左サイドの安田にフィード。テレビのテロップには柔道女子52kg級で中村美里が銅メダルを勝ち取った速報が出る。男子サッカーも…..と思う92分30秒、真ん中の岡崎にボールが入り、岡崎は梶山に戻す。ナイジェリアDF陣はゴール前を固めているのでPAの付近にはスペースが出来ている。そして両サイドにも。 梶山が安田に戻すともう一度安田はPA内に侵入した豊田に入れる。ここでも豊田は空中戦に競り勝ったがこぼれ球に滑り込んだ谷口はわずかに届かずボールはゴールラインを割ってしまった。あと10cm もなかっただろうに…….谷口は足をつったか、ナイジェリアのDele Adeleye が谷口を気遣う。
GK Ambruse Vanzekin がボールをセットした時はもう93分になろうとしていた。
そして Vanzekin がボールを蹴りだしたときにイラン人 Moradi 主審のホイッスルが鳴り反町 JAPAN の1次リーグ敗退が決まった。 
途中出場でナイジェリアの2点目を決めた Victor Anichebe がユニフォームを脱ぐ、誰と交換するのだろう……..ピッチには日本選手が倒れこんでいる。やっぱり初戦のアメリカ戦の敗戦は痛かったなぁ……


8月9日夜に出張から帰国し、この試合をテレビ観戦するのを楽しみにしていた。できれば日本が初戦で勝っていればよかったのだけど……..8月6日のアメリカ戦は南半球の Wellington で Yahoo のサイトをじりじりしながら追い掛けていた。かえってすぐに録画していたその試合を見たのだが途中で寝てしまった………

あとが無い日本は左サイドの長友に替えてA代表での出場経験もある安田、ボランチの梶山に替って浦和REDSの細貝そしてFW森本に替って李忠成がスタメンに。細貝の怪我の回復具合が心配だった。それよりも不調が伝えられ、途中出場のアメリカ戦でも良いパフォーマンスを見せられなかったと報道された李がどうしてスタメン起用されたのだろう?
一方のナイジェリアは初戦のオランダ戦とは同じスタメン。GK Vanzenkin, DF Onyekachi Apam Dele Adeleye, Olubayo Adefemi, MF Sani Kaita, Promise Isaac, FW Solomon Okoronkwo, らは2005年FIFA U-20 のメンバー。 控え選手でも MF Monday James らが同大会にエントリーされており, FW Chinedu Ogbuke, DF Efe Ambrose, 第二GK Ikechukuwu Ezenwa と MF Oladapo Olufemi は 2007年FIFA U-20 で0-0 で引き分けた日本戦に出場。 Victor Obinna, Victor Anichebe Peter Odemwinge の3選手はワールドカップ予選でA 代表入り経験のある選手。 Odemwinge はOver Age 選手。
これだけの顔ぶれをみると“あぁ 日本もOver Age がいればなぁ…….” と思ってしまう。 

それでも立ち上がりは開始早々香川が切れ込んでシュートを放つなど“少なくとも勝ち点1は”と期待させてくれた。香川は4分にもミドルを放つ。5分には左サイドの安田が相手DFを振り切りクロスを入れるが走りこんだ谷口は相手DF2人のマークに遭いシュート体勢が不十分。8分には右サイドの空いたスペースにロングフィードが入り右サイドの内田が走りこむ。何とかこのリズムの時に先制点が欲しいと思うがしかし10分過ぎからナイジェリアが徐々にエンジンがかかって来る。20分には Odemwinge がクロスを上げて中にいる Issac を狙う。一旦日本DFがクリアーするもこぼれ球を拾われて再び入れたクロスのクリアーを拾った Adefemi がミドルを撃つがこれはGK西川の正面。22分にはOkoronkwoのFKが日本ゴール前に放り込まれファーサイドの Odemwinge の頭にあうがこのこぼれ球も何とかクリアー。しかし Odemwinge の高い打点はそれだけで強烈なシュートを打たれたような脅威を感じさせられる。24分にはボールを奪われ Okoronkwo のドリブル突破を許しなんとかPA前でカットするがそのこぼれ球を Odemwinge に拾われスルーパスを日本ゴール前に入れられる。しかし僅かに Okoronkwo に合わずに事なきを得る。29分には今度はスルーパスが Okoronkwo に通され、本田拓也をかわして中央にパスを通されそこには Odemwinge が走りこむが、そこから撃たれたショットはクロスバーを大きく越えてくれた。 31分日本が最初の決定機を掴む。左サイドに大きくフィードされたボールを安田がナイストラップで前に落としそのままドリブルで持ち込む。そして低いライナーのクロスが入り谷口が合わせるがGK Vanzenkin がブロック。しかし谷口もう少し強いシュートが打てなかったか?滅多に無い絶好のチャンスだったのに………
その後もナイジェリアの攻勢は続き36分には Obinna がドリブルで切れ込み森重と相対しボールがこぼれた所を走りこんできた Kaita が強烈なミドルを放ち、37分にはCKから Adefemi がヘッドで狙うがシュートはぞれぞれバーを越えてくれた。44分には Odemwinge が中盤でボールをキープ左サイドに走りこんだ Okoronkwo にボールが渡りそこから入れられたクロスを Adefemi がまたもヘッドで狙うがポストの右にはずれて行った。ナイジェリアの攻撃はほとんど Over Age のOdemwinge と Okoronkwo のパス交換から生まれるがそれを止められないのはやはりスピードの差か??? それでも日本はナイジェリアの両サイドを突きチャンスを伺う。特に安田のサイド突破から何度もチャンスを掴みかける。初戦のアメリカ戦で長友が起用されたのは五輪前のオーストララリア戦の良い残像が反町監督の頭に強く残り過ぎていたか…
本田圭祐はさすがに1対1でも引けを取らなかった。できれば相手ゴール前に近いところで後半はその能力を発揮してくれれば……と思った。

それにしても前半終盤から観客席から”加油 !! 加油!!" の歓声が聞こえてくるけど、どちらに送っているのかな???

後半先制点が取れないか?さもなくばナイジェリア攻撃陣を完封できまいか?それともシュートミスを続けてくれないか.....と願っていたが57分に先制ゴールを許してしまう。香川からボールを奪った Odemwinge が Okoronkwo に渡してそのまま右サイドを突破する。安田そして戻ってきた本田拓也がマークに入るが中の Isaac にボールが渡りそこに走りこんだ Odemwinge が体を反転させマーク二入った水本をブロックし再び Isaac にそして Isaac は森重を背負いながらワンタッチで走りこんできたObinna に戻しそのまま Obinna に日本ゴールに蹴り込まれた。この一連の速さと細かい繋ぎは見事であった。

  

日本は初戦に続いて先制ゴールを許す苦しい展開となった。負けたら後がないので早く攻撃の看板を増やして..と思う李と香川を下げて岡崎と豊田を投入する。これで2トップにしたのだが、このゲームはどうして2トップで臨まなかったのだろう….. 特に豊田は外人選手とは当たり負けしない事をアメリカ戦で証明したのでは…….
交替出場の岡崎、豊田が良い動きを見せるが74分に決定的な2失点目を喫してしまった。 岡崎から谷口へのパスを取られ途中出場の Chinedu Ogbuke に繋がれそして Obinna に渡り一気に日本ゴールにドリブルで運ばれる。CBの水本、森重が必死に戻るがファーサイドに走り込んできた Everton 所属の Anichebe にボールが渡りGK西川が果敢に飛び込んでが強烈なシュートを叩き込まれてしまい2点差とされてしまった。

  

   

74分、日本ベンチは細貝に替って梶山がピッチに入ったがもっと攻撃力のある選手を…… いないかぁ……あぁ Over Age が....... 
それでも日本は79分、ゴールキックを直接拾った谷口がドリブルで中央を突破し最後は裏から走り込んだ豊田にスルーパスを通す。豊田はナイジェリアCBの Apam, Adeleye の2人がマークに入る前に狙うしました様にファーサイドを狙った放ったシュートがゴールネットに突き刺さり北京五輪初得点が生まれた。 
残り時間は10分あるので同点に追いつけると思った。こうしてゴール前までボールを運べばチャンスはあると思った。83分にはカウンターから Ogbuke にフリーでシュートを撃たれるGK西川がまさに指先でシュートコースを変えてCKに逃れる。まだまだ幸運は残っていると思った。日本は内田があがってくる。豊田も特に空中戦ではひけをとらない。ここで同点に追い付けば次のオランダ戦はチャンスだ。オランダは調子が出ていないと報道されている。しかしその為にもまずは同点ゴールだ…………..

試合終了後の記者会見で反町監督は “全部出した……..” と語っていた。しかしその言葉はオランダ戦の後で言って欲しかったなぁ…..

   


日本は1次リーグ敗退が決まった。オランダはアメリカ戦ではロスタイムに Geral Sibon のゴールで何とか引き分け準々決勝進出の可能性を残した。日本だけがグループ内で敗退が既に決まっており4年前と同じ状況だけどあの時は最後のガーナ戦で大久保のゴールで意地の1勝を挙げた。 オランダ戦で最後の意地を見せてくれることを願う。

   


EURO 2008 7.1 セブンイレブン Stockholm

2008-08-02 | EURO Football

朝4時半に携帯のアラームをセットし、ホテルをチェックアウトし Wien Westbanhof 駅前のバス停留所に徒歩で向かう。夏至から1週間程度が過ぎたばかりなので当たり前と言えば当たり前なのだが午前5時を少し過ぎたばかりと言うのにもう完全に夜が明けていた。それでも夏時間だから普通は午前4時。やはり欧州だ。
Westbanhof から空港までバスで予定では約35分。早朝だから渋滞は無いと思っていたし、渋滞に巻き込まれればフライトが午前7時過ぎなので少しピンチだった。ハイウェィから空港方面の出口に分かれるところで多少の渋滞はあったが空港の到着ロビーに辿り着いたのが出発の1時間半前だった。しかし安心は出来なかった。ここはいつも膨大な搭乗客で溢れかえっていて、この日も全く状況は同じ。何年か前は1時間も搭乗窓口の順番待ちで待たされた揚句“チェックイン時間が過ぎましたのでこの便には登場出来ません。”と言われ、腹が立って思いきりカウンターを蹴り上げた事があった。その時は結局荷物を機内預けにせずそのまま搭乗口まで行きすべて機内持ち込みにして何とか離陸に間に合ったのだった…….
この日も大変な数の搭乗客達が。ここも他の国際空港の様に Self Check In の機械が何台も設置されている。そして係員が何人かいてその扱い方法を搭乗客に説明しているのだが、機械も全てが正常に稼働している訳でもなく、発券時の条件などからどうしても搭乗カウンターに行く必要のチケットだったりして思うように列が短くならない。更に “どうしても並びで3席取りたい。”と係員にゴネる家族づれがいる始末。一人旅の私は “スムースに“ 数分とかからず自分で手続きを終え、横に立っていた係員にピースサインを出すと、彼女もにっこり笑って“ Danke Schön !! ”と返してきた。 しかしまだ機内預けの荷物をカウンターに持っていかねばならず搭乗口に就いた時は出発定刻の20分前を切っていた。 しかし、私がそこに着くや否や出発が20分遅れとの表示が映し出された………..

機内では水平飛行に入りベルト着用のサインが消えるとすぐにコーヒー類と軽食が出て、それを食べると機体が着陸態勢に入った時にベルト着用とテーブルを元に戻すことを促しに来たフライトアテンダントに起こされるまで眠ってしまった。そしてテーブルの上は綺麗に片づけられていた…..( 当り前か…….)
スウェーデンでは通貨が EURO でないので両替をせねばならなかった。EURO はまだ一般に流通していなかったと記憶する2000年頃EURO は一時100円を切りそうな時があった。その時は北欧の通貨を含めた欧州の通貨はが軒並み日本円に弱かった。2000年の8月は 1SEK = 11円台だったのが今は18円近くする。その上北欧圏の物価の高さ……….

空港から顧客に電話を入れると迎えに行くから30分ほど待っていてほしい、市内のホテルまで送るから…..と言われたのでここで待つことに。スウェーデンにはセブンイレブンが広く普及しているのが特徴で空港内にもある。と言っても大きくはないし、日本の様にほぼ何でもそろっていると言う訳でもないが…….. サンドイッチとコーラを買ったけどやっぱり 1,000 円近くした。日本ならこの半額も行かないのだが。  

       

顧客は初めて会う顧客、身長が190cm近くある長身の紳士。さすが北欧と思っていると何と彼はオーストラリア人で御夫人がスウェーデンの女性。もともとスウェーデンと貿易のビジネスをしていたので現地の女性と知り合い結婚に至ったそうだ。ビジネスは好調でほぼ2カ月おきにオーストラリアとここを往復しているとの事。6月初旬にはオーストラリアの Gold Coast, Brisbane に行っており、私もその時期にそこに行っていたことを告げ、その時記録的な雨にあった事など“オーストラリアネタ”で車中盛り上がった。彼の出身である Gold Coast はほぼ年中太陽が輝いているが北欧の夏は快適だが、夏季は短く、冬の寒さと日照時間の短さは堪えるのでその時期はオーストラリアに行く様にしていると話していた。 彼の好きなスポーツはラグビーだが、ここでは誰もラグビーの事を知らないので話し相手がいないとも言っていた。昨年のラグビーのワールドカップはフランスまで観に行ったそうだが日本戦は観なかったとの事。まぁ結果はわかりきっているからなぁ……. サッカーはワールドカップ前後に興味を持ち始め一昨年のワールドカップ、そして昨年のアジアカップの事もよく知っていた。やはり故国を離れるとアイデンティティティ精神が芽生えるのかな……… 

    

市内に着いてランチを一緒に摂りながら商談を済ませ、ホテルに入ったのは午後2時。さすがにオーストリアと比較しても気温の低さはすぐに感じ取れて北欧の短い夏の快適さを堪能…… と行きたかったが、次にアポイントまであと数時間あったこともあり、睡眠不足も手伝い一旦寝ることに……
夕方、次の顧客に会いに出かけたが太陽はまだ高い位置にある。それでいて暑さは感じない。街ゆく人々の中には長袖の人も。 
次に会った顧客はここに20年以上在留されているKさんと言う日本人男性の方でいろいろ北欧事情に詳しい方だ。スウェーデンの人気のスポーツはやはりサッカーらしい。最近はハンドボールやアイスホッケーが五輪や世界選手権で優勝を競う様になったがやはりサッカー人気は根強いらしい。
私が初めてワールドカップに触れた1978年アルゼンチン大会では予選でノルウェー、スウェーデンを寄せ付けず本大会に進出して来た。ブラジル ( 1-1 ) オーストリア ( 0-1 ) スペイン ( 0-1 ) と同組になり2次リーグには進めなかったがテレビで観たブラジル戦でファインセーブを何度か見せた 当時1FC Kaiserslautern 所属のGK ローニー=ヘルストレームのプレーが忘れられない。ブラジル戦では 1-1 のロスタイム、最後のブラジルのCK のチャンスからジーコのヘディングシュートが決まったがウェールズ人の John=Thomas 主審は CK のボールが空中にある時に試合終了のホイッスルを吹きノーゴール。リベリーノを始めブラジルの選手達が主審に詰め寄ったがThomas 氏は腕時計を指すだけでもちろん判定は変わらず。対照的にヘルストレームの元に駆け寄り喜びを露わにするスウェーデンイレブンが印象的だった。
スウェーデンは1970年大会にはフランス、ノルウェーを抑えて準優勝を収めた地元開催以来12年ぶりに本大会出場を決めたが1次リーグで敗退となった。
その翌1974年大会ではオーストリアをプレーオフで降し欧州予選を突破。1次リーグをオランダと共に勝ち抜き2次リーグに進出。豪雨で試合開始時間が延期された西ドイツ戦では死闘を演じ 2-4 で敗れたが、この試合の先制ゴールとなった当時の中心選手エドストレームのロングシュートは“大会で最も美しかったゴール”との評価を得たらしい。西ドイツ大会では4得点を挙げたエドストレームは次のアルゼンチン大会にも出場したが大会前の負傷の為に充分な活躍が出来なかった。
1978年のワールドカップ後のシーズンに始まった Europe Champion Cup ではスウェーデンの Malmö が AS Monaco, Dynamo Kiev, Wisla Krakow, Austria Wien を降して決勝戦にまで進出、Nottingham Forest との決勝戦ではトレーバー=フランシス のヘッドに沈んだがその健闘ぶりは大いに湛えられた。 この数年前に日本でも“サッカー小僧”のタイトルで上映されたスウェーデンのサッカーを題材にした映画 ”FIMPEN" が作成され、試合のシーンでは当時の現役選手エドストレーム等が実名でアナウンスされたシーンがあったがその当時まだワールドカップに16カ国しか出場資格がなかった次回3大会連続で欧州予選を勝ち抜いたスウェーデンサッカーの興隆の時期であったと思う。 

その後しばらく低迷に時期に入ったが1992年の地元開催の EURO では準決勝に進出しドイツと死闘の据え2-3 で敗れたが1次リーグで強豪のEngland, France を抑えて準決勝に進出した事は欧州でも評価された。特に1次リーグ最終戦の England 戦はPlatt のゴールで先制されながらブローリンのゴールで逆転勝利を収めた試合。Gary Lineker の最後の代表での試合であった。
そして前回に続いて連続して本戦出場を果たした1994年ワールドカップアメリカ大会では準々決勝でルーマニアをPK 戦で降し(私はその試合をブカレストでテレビ観戦していた)地元開催の1958年大会以来のベスト4に進出。準決勝ではブラジルに敗れたが3位決定戦ではブルガリアを 4-0 で破り(といってもブルガリアのモチベーションはかなり低かった。)久々のワールドカップでの好成績に大いに国が沸いたらしい。
GK Raveli, FW Brolin らが名を挙げた大会であった。

 今回の EURO では最低でも準々決勝進出が期待されていたらしい。ギリシア ( 2-0 ) 、スペイン戦 ( 1-2 ) を終えロシア戦を迎える前でもベスト8は……と思われていたらしい。日本の専門誌もロシアよりもスウェーデンの有利を伝えるものばかりが目立っていた。 しかしスウェーデンの前には復活したアルシャビンを擁したロシアが立ちはだかり前回の様にベスト8進出はならなかった。2004年大会はイタリアを抑えてデンマーク、スウェーデンが揃って1次リーグを突破し、観客が試合後 Scandinavia 2-0 Italy と言うプラカードを掲げていたが……. 

 

Kさんによると地元の人々は “1次リーグ敗退は仕方ないが最後にロシアに敗れたのは……” と思っているらしい。ロシア対スウェーデンと言うと一時期のアイスホッケーの決勝戦で両国がよく激突していたが歴史的に見ても因縁が深いらしいが、第二次大戦中は武装中立政策をとるものの反ナチ、レジスタンスを匿い、ユダヤ人保護の態度を貫いた。

Kさんと色々話し込んで時計を見るともう10時を回っていた。それでも外はまだ薄明るい。ホテルに送ってもらったら時計は10時半を回っている。それでも丁度日没直後も様だ。Kさんと飲んだビールのおかげで睡魔が襲ってきてそのままベッドに倒れこんでしまい、翌朝は5時に目が醒めた。まだもう一寝入り出来る時刻だったけどそのまま起きていることに。あとは日本に帰るだけ、帰りの機内か日本に就いてからゆっくり眠れると思っていた。 しかしまとまった睡眠時間を確保できたのは帰国して何日も経ったからだった……….

やっぱり欧州は良いなぁ……ここに来る度に思う事はいつか移住したいという思い。

でも何年か経てば日本が恋しくなるだろう……しかしその前に家内が付いてきてくれるかな?? 

その心配は移住しなくても消えないか???