Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

年の瀬にワールドカップを振り返る その2

2006-12-30 | FIFA World Cup
1次リーグの組み合わせ
これは少しタフなグループであったと言えないか?過去の組み合わせは下記の通り。

2006 ブラジル クロアチア オーストラリア
2002 ベルギー ロシア チュニジア
1998 アルゼンチン クロアチア ジャマイカ

組み合わせが決まった時、決勝トーナメント進出は1998年大会より可能性有りと思った。だが他のアジア代表と比較すると少し“不公平な”組み合わせ?とも感じた。

韓国 フランス スイス トーゴ
イラン ポルトガル メキシコ アンゴラ
サウジアラビア スペイン ウクライナ チュニジア

全ての組にアフリカ代表が入り、それぞれから勝ち点を挙げている。今大会のアフリカ代表国はチュニジア以外全て初出場だがその中でも比較的実力が劣るのがアンゴラとトーゴ。オーストラリアの替わりに上記アフリカ3カ国が入っていれば結果はもう少し変わったかもしれない。前回2002年大会は地元開催なのでシード国。これは世界のトップ6と戦わなくて済むアドヴァンテージがあった。それだけ地元開催以外のワールドカップは厳しいものなのだ。だがクロアチアから勝ち点を挙げた事はもう少し評価されても良いと思う。クロアチアでは“日本から勝ち星を挙げられなかった為に1次リーグで敗退した”と言われているからだ。
そして更に“不公平”を感じたのが試合時間だ。ブラジルは全てがナイトゲーム。日本は炎天下で2試合を行った。オーストラリアもクロアチアも日本戦以外の2試合はナイトゲーム(ブラジル対オーストラリア戦は午後6時開始)。これはセレソンを欧州のゴールデンタイムで放映すると言うスポンサー絡みの試合時間決定のわりを日本だけが食った形になったが、競技場もカイザースラウテルン(対オーストラリア)ニュルンベルグ(対クロアチア)とフィールドが屋根で覆われておらずピッチ上に直射日光をもろに受ける会場。フランクフルトやミュンヘン、シュツッツガルトの様に屋根付の競技場であればとも思われる。私が現地入りしたのはオーストラリア戦の後の6月16日。とてもとても暑く、ニュルンベルグでのクロアチア戦をスタンドで観戦したが、2階席のひさしで直射日光は避けられたもがスタンドに居るだけでも暑くてたまらない。ピッチ上の気温など想像もつかぬものだっただろう。そんな事も知らずに“運動量が少なく、覇気が感じられない。気力が感じられない。”と言う人には一度そこに立ってみろ言いたくなる。

大会前のコンディショニング
大きな大会になればなるほど直前の微調整は非常に大切だ。ブラジルが準々決勝で敗退したのもこれがあるのではないか?練習のほとんどを有料で公開していた。これでは選手達は集中して大会前の調整練習に臨めたのだろうか? 日本の大誤算の一つは大会直前のドイツ戦での加地の故障だろう。高原も古傷を悪化させた。 結果論だが2-0 とリードした時点でサブの選手を投入し彼らの試験場としても良かったか。まさか ZICO 監督は“ドイツでドイツ代表を破った日本代表監督”の称号が欲しかったのではあるまい。田中真の離脱も痛かっただろう。それに後で新聞判った事だが、カイザースラウテルン入りした際、試合前日に宿泊したホテルにクーラー設備が付いておらず寝苦しさを訴える選手もいたとの事。この辺りは今後の改善課題だろう。 また中村俊輔、高原らのコンディションも今一だったらしい。中村は初めて欧州で通年のレギュラー出場を果たし疲弊し切ってのワールドカップ、逆に高原は所属先でのHSVでの出場機会が激減しコンディショニングにどうしても影響を与えたのだろう。同じことは稲本、小野そして柳沢にも言えたかもしれない。

監督の戦術そして用兵
全てを決めると言われた緒戦のオーストラリア戦。事実この試合の敗北が1次リーグ敗退を決めたが、試合は序盤から圧倒的に押される展開で川口のセーブが無ければいつ点を取られてもおかしくなかった。だがこのオーストラリアの猛攻もワントップ、ヴィドゥーカのポストプレー等に拠るもの。最初からもう少し対策は無かったか?幸運な先制点を挙げてからも劣勢は続いたが後半はオーストラリアの方がスタミナ切れを起こしていた。キューウェルなどはいつ下げられてもおかしくなかったが、ヒディンク監督がケーヒル、ケネディ、アロイージと攻撃の看板を増やし続けそれが功を奏した。だがその前に坪井が負傷退場し、加地、坪井の最終ラインが離脱したのが痛かった。これでヒディンク監督の攻撃的な交代策を容易にし、日本の交代が後手に回った。後日宮本が語っていたが“1-1 に追いつかれた時点でDF陣は勝ち点1を守ろうとするがFW陣はどうしても勝ちにいってしまう。”と前線と後衛での意思統一が図れなかった。だがオーストラリアも日本も引き分けでは1次リーグを突破出来ない。勝ちに行くのは間違いでも無いと思う。ただ逆転されてから大黒を投入するのならなぜもっと早く?とも思った。
クロアチア戦は“背水の陣”であったが、現地に乗り込んだ私は自然に”クロアチアに勝つんだ”と思った事が日本サッカーの進歩の表れだろう。クロアチアとは8年前も同組になったが、その時本気でクロアチアに勝てると思ったサッカー常識者は何人いただろう?結果は引き分けた。プルソのPKを川口がストップした。多くのシュートチャンスをクロアチアは失敗してくれた。しかし、相手を崩しての最大の決定機を作ったのは日本だった。あの柳沢のシュートミスのシーンだ。そして先にガス欠を起こしたのはクロアチアだった。試合内容はややクロアチアが押していたが、この試合を引き分けれられた事こそ日本サッカーの進歩の証拠だ。だが運動量を誇る日本がどちらかをナイトゲームで行えればと無念に思う。最後のブラジル戦。玉田の先制ゴールはこれまで日本サッカー界の積み重ねの結果だ。

ZICO采配
すっかり“戦犯”扱いされている ZICO 前監督。色々批判を浴びせられているが彼にも言い分があるだろう。

基礎体力の向上
そんなこと最初から判っていただろう?と多くの人が吐き捨てるが、朝日新聞に掲載されていた彼の言い分はこうだ。“私はもう50歳を越えているが、代表戦選手の中で私の体をぶつけてボールを取れた選手が何人いたか?” これはトルシエ前々監督も言っていた。世界のトップクラスが 300m走とクーパー走はどれぐらいの数字を残すのだろう?ちなみに私は現役時代クーパー走は 4200m 近く走った。(サッカー選手じゃなくて陸上選手だったからね。)

意識の違い
これは最も的を得ているのではないか?“セレソンの選手はワールドカップは優勝するものと考えているがまだ日本の選手はアジア地区予選を突破した事で満足をしている。” これは歴史が作るものだと思う。今後、アジア地区予選突破を重ねることによってその意識も替えられると思う。

私は全面的に彼を擁護しているのではない。ZICOはブラジルの様に選手たちの個の能力に試合結果を求めたのだろう。まだ日本はそこまで中田英寿の様にワールドカップを戦うだけの“個の能力”を備えた選手は少なかったのだろう。具体的な自分の戦術を持たない彼にワールドカップを託した協会に責任もあるかもしれない。だが良き指導者の指揮が無ければ世界で勝てないというのも少し寂しい気がするなぁ。

もし私が現地にまでワールドカップを観戦しに行かなければ川口がPKを止めたシーン以外は“なんだこんな大会”と思い出したくも無い大会になっていたのかもしれない。しかし日本がワールドカップを遠くから見ていた時代から、ワールドカップと言えばバレーボールと言われた時代からサッカーのワールドカップを観て来たのでまだ日本がワールドカップに出てくる事に幸せを感じる。今大会で日本が世界サッカー界での位置づけが判った人も多いだろう。そして4年後に向けて今度はイビチャ・オシム新監督が“救世主”として崇められているが私はそれには懐疑的だ。就任後の会見で“今の日本サッカーは故障した車を手押ししている。”例えたが果たしてそうであろうか?1990年ワールドカップのユーゴスラビアを実際に見た人がどれだけいるだろうか?ストイコビッチをはじめサビチェビチ、プロシネツキ、カタネッチ、プロシネツキ。これだけのメンバーがいた。それでベスト8に導いたと言うかベスト8止まりだったと思うかはお任せする。(ボバンがいなかったからと言われそうか?) 平和な限りサッカーはこれからも続く。これからもワールドカップに出続けることを願うよ。

年の瀬にワールドカップを振り返る その1

2006-12-30 | FIFA World Cup
今年も残すところあと数日。先日“あさまでテレビ”を看た。(まだ全編ビデオで見ていないけど。)かつての日本代表選手や著名な解説者、そしてサポーター代表が集い今年最大のサッカーイベント、FIFA World Cup の総括等を行なっていた。そして最近の一般紙の中でも今年のワールドカップを振り返る論説が出ていた。 何度思い返しても2敗1分 得点2失点7勝点1でグループ最下位は変わらない。(当たり前か?)そして世間では“ ZICO はダメだったオシムは日本サッカーの救世主”という風潮が渦巻いている。果たして本当にそうだろうか?今年のワールドカップは1次リーグ敗退で終わったが、ワールドカップはこれからも続く。いつの日か上位進出できる日もあるだろうが、アジア地区予選を突破出来ない時もまた来るかもしれない。世間で言われている様に ZICO JAPAN はダメだったのだろうか?

ZICO JAPAN
4年前の日韓ワールドカップで史上初の1次リーグ突破を果たしたが、結局はベスト16止まり。しかし中心メンバーの殆どは4年後のワールドカップでも戦えるだろう。いやむしろ円熟期を迎えるので非常に楽しみな大会になるだろうな、と思った。そこに“舞い降りた”のはブラジルの英雄で J リーグの看板選手でもあった神様 ZICO。最初に指揮を取ったジャマイカ戦では中盤には中村、中田、稲本、小野が並び1982年のセレソンの様に“和製黄金のカルテット”と呼ぶ人も多かった。だが実際に1982年スペイン大会でのセレソンのカルテットをテレビでさえ観たことのある人はどれだけいるだろう?ジーコ、ソクラテス、ファルカン、エデル(トニーニョ・セレーゾよりも攻撃面では圧倒的にエデルが貢献していた。今でも私はエデルがこの時の黄金に中盤の1員と思うんだけど。勿論トニーニョ・セレーゾも前回のアルゼンチン大会にも出場した素晴らしい選手。)彼らは華麗なテクニック、パス回しだけでなくミドルレンジからもがんがん鋭いシュートを放ちゴールを上げていた。(ソクラテス 2 エデル 2 ジーコ 4ファルカン 3 得点 ) だからとても82年大会のブラジルとは比較出来なかった。 まぁ“黄金のカルテット”はその後お披露目される事は無く、もしかするとあの中盤は ZICO JAPAN 旗揚げの“興行用”だったのかもしれない?だがドイツワールドカップに向けてのメンバーこそ史上最強の代表ではなかったか?想像だけどメキシゴ輪メンバーと試合をすれば面白いかな?(釜本が居る分メキシコ組が勝つか?) したがって期待が高くなるのは当然であった。アジアカップ優勝、コンフェデレーションズ杯での健闘もそれに欧州でプレーする選手も増えた事などが拍車をかけた。トルシエ前監督の“赤ワインに例えれば熟成を重ね今が飲み頃”という例えもうなづけた。

日本の位置付け
では何故日本は1次リーグも突破出来なかったのだろう?私が初めてワールドカップを観たのは1974年の西ドイツ大会。決勝戦だけがテレビ放映された。ただ当時小学生だった私はこの大会の権威は判らなかった。綺麗な緑の芝生の上にオレンジ色のオランダ選手のユニフォームが良く映えていた事だけを覚えている。“世界サッカー選手権”と何かに書かれていた。以降1978年アルゼンチン大会から4年に一度の大イベントとして楽しみにして来たが、最近のマスコミ諸氏の中には日本のワールドカップの位置づけ、サッカーのワールドカップがどれほどの大会なのかを明確に、そして正確に理解出来る人がどれだけいるだろうか? 今大会アジアからは韓国、サウジアラビア、イランが他にアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出てきた。確かに日本はメキシコ五輪銅メダルと言うアジアサッカー史上では3本の指に入るであろう快挙があるがこの3カ国と比較しても日本は“サッカー新興国”なのだ。サウジアラビアがワールドカップに初出場したのはあのドーハの悲劇に日本国中が涙にくれた予選を勝ち抜いての1994年アメリカ大会。その前の1988年(カタール)1984年(シンガポール)のアジアカップで2連覇を果たし、1989年10月シンガポールで開催されたワールドカップアジア最終地区予選に臨んだが中国、韓国に破れ6か国中5位に終わり更なる強化を施しようやくワールドカップ出場に漕ぎ着けた。イランも今回で3回目の出場だが、初出場は1978年アルゼンチン大会。まだアジア枠が1つしかない時代。当時のパーレビ国王が豊富なオイルダラーを強化に充ててのワールドカップ出場だったが、1968年のアジアカップから3連覇を果たし、1972年ミュンヘン五輪 1976年モントリオール五輪にも出場。そして1974年アジア大会での優勝を経てのワールドカップ初出場であった。アルゼンチンワールドカップ後に革命が勃発しパーレビ王朝は倒されたが、もし革命がなければイランはもっともっと強くなっていただろう。韓国のサッカー史はもう語るまでも無い。アジア諸国でさえこれだけの積み重ねを施してのワールドカップ出場だった。日本が国を挙げて本格的にサッカーに取り組み始めたのは1990年代に入ってから。70年代~80年代は選手や関係者達の血の滲む様な努力と犠牲によって韓国をはじめアジア諸国と戦ってきたのだ。韓国、イラン、サウジアラビアはアジア枠が1または2しか無い時すでにワールドカップ出場を果たしており、日本は出場枠が3に拡がったフランス大会にようやく出場を果たした。スポーツは全てが積み重ね。その時代を知らずして“ワールドカップで日本は惨敗だった”とか“ワールドカップとは….”等マスコミが講釈を垂れ流しているのを見ていると本当に腹が立つ。 月並み言葉だが“ワールドカップ”は甘いものでは無いのだ。 続く

ZICO 衝撃の復活

2006-12-27 | Weblog
ZICOと言っても前の日本代表監督では無い。キャティサック=セナムアン。タイ史上屈指のFWと言われる選手だ。しかしこの発音が難しい。地元ではキィティサックと言えと指導する人もおれば、キャティサックで良いのよと言う人もいる。彼の好きなサッカー選手はあの ZICO で、タイではキャティサックのニックネームであり、私のキャティサックの発音が現地人に通じなければ ZICO と言えばすぐにわかるくらいだ。最後にキャティサック・ZICO・セナムアンがタイ代表としてプレーしたのが2004年のワールドカップ予選の北朝鮮戦。バンコックで行われたホームゲームにもかかわらずタイは 1-4 で完敗。キャティサックはPKを外すなど良い所が無かった。そしてサッカー好きで知られる当時のタクシン首相は“スピリットの感じられない試合”と自国の代表を批判。それ以降、代表を離れていた。
タイ史上最高のプレーヤーは1984年シンガポールの五輪予選で日本を粉砕したピヤポン=プゥオンを挙げる人が多い。しかし、キャティサックも日本戦には実績を残している。1997年ワールドカップ1次予選のオマーン戦に臨む前の週にバンコックに立ち寄った日本代表はタイ代表とスパラチャイ競技場(昨年北朝鮮代表と無観客試合を行った競技場)で日本は 1-3 と敗れるのだが、この日本相手に2得点を決めたのがキャティサックだった。この年のワールドカップ1次予選でタイ代表は韓国と対戦するがその試合でも韓国DF相手に力強いボールキープからピヤポンのゴールを演出した。1998年のアジア大会準々決勝、タイは韓国を 2-1 で破ったがその試合でもゴールを挙げている。そして続く釜山大会でも1次リーグではイエメン、ヴェトナム、UAE戦と連続ゴールを挙げ3連勝で準々決勝進出に貢献。その他の代表での活躍の一つとして1996 , 2000, 2002年の ASEAN Cup ( Tiger Cup とも呼ばれるASEAN 諸国が集って行われるサッカーの国際大会)でタイを優勝に導いた事が上げられる。 
しかし、代表としての国際舞台での活躍はそこまでだ。2000年のアジアカップではエントリーされながら大会の試合には出場していない、と言うよりも大会に来なかった。それは当時所属していた England League の ハダーズフィールドタウンとの出場の調整がつかなかったらしい。しかしそれでもタイ史上、イングランドでプレーしたのは彼一人。その後2001年のシーズンに Bury (現在は3部リーグ) で少しプレーをしてからシンガポールSリーグの Singapore Armed Force FC に移籍。翌 2002年のシーズンには当時ヴェトナムリーグ2部だった Hoang Anh Gia Lai に移籍し、1年でチームを昇格させている。2005年の Asia Champions League ではジュビロ磐田との対戦で来日している。(試合はジュビロが 6-0 で圧勝 ) そして昨年は監督業も兼任したがらいシーズンからは元タイ代表監督のChatchai Paholpatが就任する事に。

一昨年中国で開催されたアジアカップでも国民の期待をよそに代表入りを固辞。1次リーグでタイは日本と同じグループであったのでもし彼がプレーをしていればもっともっと日本でも存在が知られただろう。

12月24日からタイの首都バンコックで開催されている第37回 King’s Cup 。ヴェトナム、シンガポール、カザフスタンを迎えて4年ぶりに優勝を狙う地元タイ代表はヴェトナムを 2-1 シンガポールを 2-0 で連覇し2位以内を確定させ決勝進出を決めた。28日の試合結果で(ヴェトナム対シンガポール、タイ対カザフスタン)の30日の決勝戦の相手が決まる。 この大会から背番号11を付けたキャティサックが2年ぶりに代表に復帰した。これで代表試合数は118を数えることに。これは同国での歴代1位記録だ。 
タイサッカーがアジア予選を突破し世界の舞台に出られたのは 1968年のメキシコ五輪のみ。今年6月、ワールドカップの日本対クロアチア戦を観戦した帰りニュルンベルグ駅でタイから試合観戦に来ていた数人の男女の若者達と一緒になったが彼らを含めてタイサッカーファンの夢は自国の代表が世界の舞台にもう一度出てくる事だろう。
来年1月からは ASEAN CUP ( Tiger Cup ) が始まる。前回2004年大会ではマレーシアに破れ、ミャンマーと引き分けグループリーグ3位となり準決勝には進めなかった。今年はその借りを返すべく1月12日のミャンマー戦から大会に臨む。 今年は五輪予選もあるが、地元サポーターの最大の関心は7月のアジアカップ。キャティサックも自らの存在をアジア諸国にもう一度見せたいところだろう。1次リーグの相手はイラク、オマーンそしてオーストラリア。ホームでは無類の強さを見せるタイだけに、オーストラリアとて楽観は出来ないだろう。大会直前の6月にはドイツで合宿を行う。 キャティサックがプレーをするのならますますアジアカップもスタンドで観戦したくなってきた。 その時までせめて彼の名前をタイ文字で書けるように勉強を始めよう…..

アジア大会回顧 低迷していた時代には戻らないでくれぃ

2006-12-25 | Football Asia
今年も残すところあと僅か。皆さんもこの1年の回顧を始めておられる事でしょう。今年行われた数々のスポーツイベント。競技を引退してしまった自分はもう他人の試合を観て一喜一憂するしかないが、やはり6月にドイツで開催されたワールドカップが一番の思い出。そして先々週に終わったドーハでのアジア大会も楽しみなイベントでもあった。サッカーファンにとっては地元カタールの優勝で終わったこのアジア大会の男子サッカーの結果に満足した人は少ないだろう。私は商用で不在にしていたが、準々決勝に残れば帰国後テレビ観戦出来る予定であった。希望的観測も含めて”せめてベスト8くらいは”と思っていたのだが。

しかし女子は中国を破って決勝に進み、北朝鮮と激戦の末に銀メダルを勝ち取った。男子の結果をあれほど批評するのなら女子のこの結果にはもっと評価を与えていいのではと思う。それでは男子サッカーのこの結果。果たしてマスコミ諸氏が降す様な批判的な結末だったのだろうか? 

アジア大会のサッカー
これまで日本のアジア大会での戦績はどうだったのだろう?前回釜山大会では準優勝したがこれが最高の成績。1970年代から振り返るとベスト4( 1970 ) ベスト8 ( 1982, 1990, 1994 ) 1次リーグ落ち ( 1974, 1978, 1986 1998 2006 1998, 2006 年大会は1次リーグを突破して2次リーグ落ち ) 1970年代以降の9大会でベスト8以上だったのが半分以下の4回。参考までにメキシコ五輪を目指した 1966年バンコック大会では3位に入っている。ベスト8に入った3大会でも1990年北京大会ではエントリー国の変更があったりして1次リーグは サウジアラビア, バングラデシュの3カ国のみ。弱小バングラデシュを 3-0 で一蹴した後にすでにベスト8進出を決めた国同士のサウジアラビア戦を 0-2 で落とし、続く準々決勝では優勝したイランに良い所なく 0-1 で敗れた。この時の代表にはカズ、ラモスら後のドーハ組が多く含まれていた。1994年大会は地元広島での開催。準々決勝では激戦の末、韓国に 2-3 で敗れた。 それではアジアではワールドカップ、五輪そしてアジアカップで最も戦績の良い韓国はどうだろう?優勝3回 ( 1970, 1978, 1986 ) 3位( 1990, 2002 ) 4位 ( 1994, 2006) ベスト 8 ( 1974, 1998 ) 1次リーグ落ち ( 1982 ) 優勝の内容は 1970 バンコック大会ではビルマと、1978 バンコック大会でも北朝鮮と決勝で引き分け、優勝を分け合い、1986年は地元ソウルでの開催。流石と言うか1次リーグで落ちたのは1回だけ。(1次リーグの最終戦で日本に逆転で敗れた為。)ベスト4以上に70年代以降7回も入賞している。優勝国を羅列すると、台湾 ( 1954 1958 ) インド ( 1951 1962 ) 韓国 ( 1970 1978 1986 ) ビルマ( 1966 1970 ) イラン ( 1974 1990 1998 2002 ) 北朝鮮 ( 1978 ) イラク ( 1982 ) ウズベキスタン ( 1994 ) カタール ( 2006 ) と9カ国も並ぶ。アジア大会の球技種目でこれだけ歴代優勝国が多いのはサッカーだけではないか? しかも、サウジアラビア、中国、クウェートUAEと言ったワールドカップ出場経験もある現在の列強国はここに含まれていない。(といってもサウジは82,86,90年大会以外はエントリーしていない。) アジアの中でもサッカーは過去にこれだけ多くの国々が力を入れていたという現われだろう。アジア大会も決してイージーな大会では無いという事は認識せねばならなかった。 それではこれだけ権威もあり、列強が犇めくアジア大会に我が代表はどの様に臨んだのだろう? 

U-21 vs U-23 +Over Age
今大会に派遣されたメンバー20名は全て21歳以下、再来年の北京五輪に出場資格を持つ選手ばかり。他国はどうであったか?1次リーグの対戦相手は全て U-23 + Over Age 3名のチーム。パキスタンこそ代表Aマッチの経験者は居なかったが、シリア、北朝鮮は全員がAマッチ出場経験者。北朝鮮の SO Hyok chol ( 70試合/3得点 ) Hong Young Jo ( 45/13 ) CHOE Chol Man ( 38/15 ) やシリアの AL HUSSIEN Jehad, ( 100/40 ) AL KHATAB Firas ( 100/ 55 ) の様な経験者がいる。大会にベスト8進出を果たした国々の中でU-21チームが派遣されたのは中国のみ。2年後の地元開催の五輪強化の為だろう。中国にはA代表経験者もいなかった。韓国は李榮杓、李浩、朴主水、キムドヒュン, キムドンジン, キムヨングァン。イランは Borhani Arash GK Roadbahrian Hassanらがワールドカップメンバー。(他にいたらご指摘を。)日本は五輪予選への強化と言えどもアジアレベルでさえこういった強者相手に抗えたのだろうか?確かに前回は U-21 で Over Age 枠を使わずに準優勝。なら今大会は?との意見にはこう言い訳したい。Jリーグが優勝争い、降格争いのあのご時世。各チームから選手の派遣は1名ずつという縛りがあってのチーム編成。 他国は“アジア大会のタイトルを獲りに来たメンバー”日本は五輪代表崩れの強化試合ともあればベスト8を逃したのも致し方が無いか?

日程、組み合わせ 星勘定
これも言い訳になるかも知れないが、日本の入った組は少し厳しかったか?ベスト8への路は( 陸上競技風に言えば。)6組1着 + 2 最後は+2 を巡り得失点差の争いになり、イラク とカタールが +5 で準々決勝に進出した。イラクは初戦の中国戦に0-1と破れた後にオマーン 2-0 マレーシア 4-0 と連勝。一方のカタールは初戦でヨルダンを 3-0 で一蹴した後にウズベキスタンにまさかの 0-1 の敗戦で1次リーグ敗退の危機を迎えたが、地元の大声援の下続く強豪 UAE を 4-1 で降し無事に準決勝に進出。そして優勝の運びとなった。UAEはカタール戦を前にウズベキスタン 0-1 ヨルダン 1-1 を終え既にベスト8進出の可能性はなくなっていた。カタールに幸運が全く無かったと言えば嘘になるだろう。2連勝後の日本、最後は引き分けでもよかった北朝鮮戦を落とし、得失点差で涙を飲んだが、日程的に前日に A,B,C 組は全日程を終了しておりカタール、バーレーン、クウェートが勝点6で終了して降り星勘定は十分出来たはず。 また日本の所属したF組ではパキスタンが比較的、力が劣る国ではあったが、そこに2失点(しかも3得点後に)したのも痛かった。12月5日のマレーシアの地元紙 THE STAR にはイラクとの最終戦に臨むBakar Norizanマレーシア代表監督の“最後はプライドを見せる”と語ったコメントを読んで期待したのだが。アジアカップは大丈夫かな? 
まぁ日本の試合を看る機会が無かったので、細かいところはわからないがアジア大会で上位入賞する為にはそれなりのメンバーも必要ということだろう。
昨年ヴェトナムの国際大会に五輪チーム予備軍が派遣された。まだJリーグでのプレー経験の無い選手ばかりのチームだったらしいがタイ、ヴェトナムに連敗をした。東南アジア諸国とてこのレベルでは足元をすくわれる。 

前回も大会終盤は商用で不在だったので、アジア大会のサッカーの決勝戦は今回久々にテレビで観戦出来た。(まだゆっくり看ていないだけど。)決勝戦はカタール、イラク、両チームともなかなかしぶとそうな選手が揃っていた。カタールのウルグアイからの帰化人選手セバスチャンはアタッキングゾーンに入ると何が何でもシュートを撃つと言う典型的なFW選手だった。Pay TV やインターネット、マスコミュニケーション機器の発達で欧州や世界のトップクラスのサッカーシーンが本当に身近になった。70年代からサッカーを見続けてきた者にとって本当にありがたい世になった。しかし、アジアの中に深く埋もれていた日本がどうすれば五輪予選やアジア大会を勝ち抜けるのだろう?と思っていた時代もそこにあった。アジア大会の公式ホームページはなかなか充実しており、70年代にこういう資料があればなぁともいま述壊する。
来年から始まる五輪予選、そしてアジアカップ。アジアのサッカーシーンをもっと楽しめそうだ。しかし簡単に五輪予選を突破出来るとか、アジア大会3連覇と楽観しない方が良い。日本は終われる立場だ。だが追い抜かれて欲しくないなぁ。 あの低迷していた時代はもう沢山だから…..

アジアカップ 組分け決定 ヴェトナムは行ったこと無いなぁ

2006-12-20 | Football Asia
マレーシアの首都クアラルンプールの中心街にそびえ建つペトロナスツィンタワー(PETRONAS Twin Towers)。文字通り2本のビルが対になっており、タワー1を日本の建設会社ハザマ(昔の間組)、タワー2が韓国のサムスン物産建設部門がそれぞれ建設を請け負った。1998年に完成し20世紀の高層建築としては最も高い、高さ452mの88階建てで、オーナーはマレーシアの国立石油会社ペトロナス。ペトロナスタワー、ペトロナスタワーズとも呼ばれる。このビルの建設にあたり、随分とハザマは韓国のサムスン物産の非礼な振る舞いに手を焼いたらしい。そして今、韓国側が工事を請け負ったタワー2の方は耐用年数を懸念する地元識者も出ているらしい。 このツインタワーの階下には SURIA KLCC と言うショッピングセンターがあり、日本の伊勢丹や紀伊国屋もテナント入りしている。 12月19日。その“KLCC” Convention Centre で来年7月に開催されるアジアカップの組分けドローが行われた。伊勢丹の食品売り場には美味しいお持帰りの寿司を販売しているテナントがある。このドロー会場に登場した中田英寿氏はその旨い寿司をつまみながら紀伊国屋で日本の雑誌を読んだのだろうか? 12月初旬に放映されたCNNの Talk Asia のコーナーで久々に彼の姿をブラウン管を通して看た。現役時代とは全く異なった穏やかな様相で流暢な英語でインタビューに応えていた。現役時代は過剰な期待がたまに大きなプレッシャーにもなったと語っていた。でもあんまり英語上手に話さないでよ。スポーツも語学も上回られたらこっちは立場無いよ???(何の話や)
そのアジアカップのドローは以下の通り。

Group A タイ オーストラリア オマーン イラク
Group B ヴェトナム 日本 カタール UAE
Group C マレーシア イラン ウズベキスタン 中国
Group D インドネシア 韓国 サウジアラビア バーレーン

開催国の中でベスト8の期待が一番高いのは Group A のタイだろう。 オーストラリアとて欧州組をどれだけ合流させられるかによっては地元タイ相手に苦戦は免れない。 日本はアジア大会覇者のカタールらが同居するヴェトナム開催のグループに。ハノイの環境にいかに慣れるかが鍵だろう。日本が優勝すればアジアカップ3連覇となる。これまで2連覇は他に韓国 ( 1956,1960 ) サウジアラビア ( 1984, 1988 ) が果たしており。3連覇となるとイラン( 1968, 1972, 1976 ) が成し遂げているが、1968, 1976 大会は地元イランでの開催。また優勝3回は他にサウジアラビアと日本が記録しており。4回目の優勝となると新記録だ。
と、まぁ始まる前から景気の良い話ばかりだが、日本が本格的にこの大会に選手を送ったのは最近になってから。1970年代、アジアにも欧州選手権やコパアメリカの様な大陸での国別対抗の大会が無いか?と思っていたら専門誌に 1980年のアジアカップに日本サッカー協会は選手を派遣しない事を決めた、という記事を見つけ落胆したのものだった。当時、日本代表の最大の目標は五輪予選突破。選手達はアマチュアの日本リーグ、大学の所属であまり職場、学校を離れられないと言う事情もあった。それでも1975年には釜本、吉村といったヤンマー勢抜きで代表を構成し香港で行われた地区予選に出ている。(翌年開催された本戦には進めず。)1967年にはBチームを地区予選が開催された台湾に派遣。そのBチームが韓国を破った。しかし本戦には進めず。
1988年には井原、中山らを擁した大学選抜チームが1次予選に派遣され、クウェートに次いで2位に入り、史上初の本戦出場を決めた。1988年12月にカタールで開催されたアジアカップにはA代表でなく、同じ大学選抜チームが派遣され、初戦、強豪のイランと0-0 で引き分けるも以降、韓国 0-2 UAE 0-1 カタール 0-3 と勝点も得点も挙げることなく帰国する事に。他の参加諸国からは“日本は何故ベストメンバーを派遣しない?”と顰蹙をかった。確かに五輪至上主義の当時のサッカー協会にとって同年に開催されるアジアカップに力を入れられないのは判るが、こういったアジアを無視したやり方が後にワールドカップを単独で開催できなかった事に繋がったのだろう。1992年広島大会以降の日本の躍進はここに書き記すまでも無い。
今回、アジアカップが1年前倒しで開催され、これからワールドカップイヤァーの翌年にアジアカップが開催される。
出来れば日本が入るのはタイかマレーシアのラウンドであればよかった。そこなら馴染みもある地なので。さてこれからどうやって東南アジア諸国を転戦しよう? 今度は子供は来るかな?その前に下見も必要だなぁ….

アジア大会 陸上競技 もっと練習してたらなぁ?

2006-12-19 | 陸上競技
投擲種目 室伏がいればなぁ….
男子では槍投げで村上が銀メダル、ハンマー投げで土井が銅メダルを獲得。女子は槍投げで海老原、ハンマー投げでは綾真澄がそれぞれ銅メダルを勝ち取った。またメダルに届かなかったが室伏由佳が円盤投げとハンマー投げでそれぞれ4位に入賞した。 投擲で見ていて面白いのは槍投げ。(しかし、当の選手達は大変だろう。)この種目ほど大会までの個人記録があてにならない種目は無い。男子のベスト記録を持つウズベキスタンのボイノフ(男子 84m40 ) は66m89cm で9位に終わり、女子も中国の XUE Juan ( 女子 61m58 ) は55m12cm で6位に沈んだ。ドーハの予想以上に低い気温が災いしたのかもしれない。槍投げ以外の男子の投擲種目では中東勢がメダルを占めた。技術力の要する割合の高い槍投げでは優勝が韓国の朴 2位に村上、3位に中国の李と東アジア勢が占めた。村上は2大会連続の銀メダル。今大会こそはと、意気込んでいただろう。砲丸投げでは優勝したサウジアラビアの AL HEBSI  2位でアジア記録保持者の地元カタールの AL SUWAIDI 共に 20m スロワー。3位には台湾の CHANG Min Huang は自己ベストだが 19m45cm。 アジアでも20m を越える争いとなった。 女子はハンマー投げの ZHUANG Wen Xin は自己の持つアジア記録を更新する 74m15cm で貫禄の優勝するなど殆どの種目を上位独占。 そんな中で光ったのは槍投げの金メダリスト、タイの PAMAN Buoban 。身長166cm 体重56kg の華奢な体格ながらただ1人60m ラインを越す記録で優勝をさらった。3位の海老原も 164cm と小柄。この種目は体格で無い。技術力だ。来年の世界選手権でタイの PAMAN は上位に進出するか? この種目の男子のアジア記録は17年前、1989年5月に日本の溝口和洋が出した 87m60cm。槍の規格がまたまた変わったのかな?誰か教えてください。 ハンマー投げの室伏広治の欠場は痛かった。優勝したタジキスタンの NAZAROV の記録が 74m43だったので出ていれば確実に金メダルだっただろう。その分来年の大阪と再来年の北京で取替えして欲しい。
そして今夏急逝された女子砲丸投げアテネ五輪代表の森千夏さんの姿がここに無いのが残念だ。

跳躍 池田、沢野 世界を目指せ
男子の走り幅跳びは中東勢が上位を占めた。(1位 AL SABA 8m02 サウジアラビア 2位 ALHADAD 7m88 クウェート 3位 BIN MARZOUQ 7m69 ) 元来の身体能力の高さを生かす様になってきた。この大会には出ていないがアジア記録保持者のサウジの ALKHUWALDI の記録は 8m48cm 世界大会でも十分上位を狙えるハイレベルな記録だ。女子の走り幅跳びでは急逝された森千夏さんの親友池田久美子が 6m81cm の好記録でこの種目36年ぶりの金メダル。彼女の次なる目標は中国 YAO Wei Li の持つ 7m01cm 北京までにこの記録が出れば上位入賞も見えてくる。走り高飛びではただ1人2m30cmを越す記録を持つ男子の醍醐直幸が期待されたが2m23cmの同記録でレバノンの RABBATH カザフスタンの ZASSIMOVICH の後塵を拝した。 女子も青山幸は5位に終わった。しかし今大会、青山を含めて8人の選手が190cm 以上の自己記録を持つ。80年代、190cmを出せば世界年間50傑入り出来た。今はどうだろう? 過去のアジア大会では佐藤恵がソウル、北京大会と2連覇を収めた。三男子のアジア記録は1984年朱建華が当時の世界記録として樹立された 2m39cm だがこの朱建華でも五輪、世界選手権では3位が最高であった。 三段跳びでは男女共に今回は派遣選手はいなかった。大昔は日本の男子はお家芸。今の日本記録はどれくらいだろう?私が学生時代は筑波大の山下訓史が17m を飛んで大騒ぎした事を憶えている。 そして棒高跳び。ただ1人5m80cm以上の記録を持つ男子の澤野大地は3回の試技で5m60cmをクリアし貫禄の金メダル。続いて狙った5m80cm はクリアできなかった。彼の目標もアジア記録 YEGOROVが1993年の世界選手権で出した5m90cm だろう。この大会で跳躍種目でもアジアのトップクラスは世界で戦えるようになった事が証明された。でも跳躍の選手達。競技中は寒そうだったなぁ…

障害(短距離) 400mH はお家芸 
男子400mHで成迫健二が金メダルを獲得した以外の種目は中国勢が占めた。男子400mH では為末が出ていなかったが、成迫の47秒台はワールドクラス。私が高校の時に長尾隆史が49秒59を出して以来、吉田良一、大森重宣、山崎、苅部とワールドクラスの選手が続く。日本選手の目標は2000年にサウジアラビアの AL SOMAILY が出したアジア記録 47秒53だろう。この種目の更なるレベルアップがマイルリレーの好記録にも繋がる。110mH の中国の五輪金メダリスト LIU Xiang 。12秒台の走りを見たかったが13秒15 で余裕の1着。来年大阪の世界選手権では12秒台を出してくれるだろう。もちろん地元北京五輪でもだろう。 女子400mH で銀メダルを獲得した久保倉里美は福島大学出身。この大学は優秀な女子短距離選手を輩出している。何か秘策でもあるのかな?

競歩 10km と 50km は?
今大会は男女共に20km 種目のみ。共に中国勢が優勝した。日本勢も女子の坂倉良子が中国勢の間に割って入り銀メダル。男子は森岡が銅メダル。山崎が4位であった。女子は早くから 10km で世界のトップクラスに仲間入りしていた。かつては東ドイツ、メキシコ、ソ連が随分強かった。旧ソ連邦が崩壊した今、勢力図はどうなっているのだろう?

混成 出でよアスリート達
かつてアジアの選手がこの種目で世界のトップを争った事がある。Yang Chuan Kwang と言う台湾、高砂族の選手だ。1960年のローマ五輪では留学先の U.C.L.A. の僚友 Rafer Johnson と激戦の末銀メダル。この Rafer Johnson は後のロス五輪での最終聖火ランナーに選ばれた。4年後の東京五輪では不運が彼を襲う。棒高跳びが得意な Yanng を狙ってか? IAAF は棒高跳びのポイントを改正。その結果棒高跳びのポイントが 501点も低くなり、東京五輪では5位に終わった。これがアジアの選手でなく欧米の選手ならルール改正は無かっただろう。
スポーツの世界にあってはならない事では無いか? 世界と戦えるアジアの選手は出てこないか?出来れば日本から。 

中距離 移民勢が独占?
男子は800m, 1500m 中東勢が独占と言うよりも移民勢が独占だ。800m で優勝したアジア記録保持者バーレーンの KAMEL Yusuf Saad はケニヤ出身。カタールの AMER Albadori Salam はスーダンの生まれ。1500m ではアジア記録保持者で3位に終わった RAMEL はモロッコ出身。優勝したカタールの BASHAIR はケニヤ。銀メダルの カタールBELAL もアフリカ出身では無いか?1986年ソウルでのアジア大会1500m で本田技研所属の大志田が金メダルを勝ち取って以来日本人選手の中距離での金メダルは無いが、これだけアフリカ選手を輸入されれば彼以来の優勝者は非常に難しい。 女子も800m 1500m の2冠を制したバーレーンの JAMAL Maryan Yusuf はエチオピア生まれ。彼女に次いで2位となった日本の小林裕梨子は正真正銘のやまとなでしこで将来が楽しみな17歳の関西娘だ。 
だがそれよりも私はこの種目で、特に男子はもっと記録が向上しても良いと思う。400m, 400mH でワールドクラスの選手を出し、しかも高校生のレベルは物凄く上がっているからだ。問題は駅伝嗜好が大学以降は強すぎて、良い素材がそちらに獲られてしまう事だ。実業団レベルではもう中距離選手なんか興味を持ってもらえない。 私も大学時代はこの種目を専門にし、実業団に進んだがあっさり長距離に転向させられ、挫折した。 大学卒業してもまだ年齢的に伸びる予知のある種目と思うが。一時800m では森本葵先生の日本記録 1500m では石井隆士先生の記録が何十年も残っていた。欧州ではレース展開がよく変わり、その上スピィーディーな最も人気のある種目が中距離走だ。 日本と韓国、中国を入れて、中距離種目専門のグランプリをおこなってくれないかなぁ? 五輪標準記録挑戦会でも良い。20歳未満のジュニアの部も併設すれば幅が広がると思う。 このへんもっと陸連は考えてくれないかな?

来年は大阪で世界選手権が開催される。おそらく入場券は高い高い金額になるだろう。1991年の東京大会の時は 8,000円もしてたまげてしまった。 後に実業団時代のコーチから“何だ。入場券ならやったのに。”と言われた時は呆然としてしまった。 来年は先のコーチのお願いしよう。

こういう国際大会を見る度に思うのだ。“もっと練習しとけば良かったなぁ。” 練習を積めば国際クラスの選手になれたかは判らない。多分難しいと思う。だから辞めたんだけど。 でも応援する気持ちは変わらない。明日は久々に会社帰りに本屋で陸マガでも立ち読みしようかな…..

アジア大会 陸上競技総括 その1

2006-12-18 | 陸上競技
ドーハで開催された第15回アジア大会は無事に終了した。金メダル獲得数では中国がダントツの 165 個。これは2位韓国 58 , 3位日本 50 , 4位 カザフスタン 23 、5位タイ 13 を足してもまだ及ばず、6位のイラン 11 7位ウズベキスタン 11 を合わせてようやく同数になる。それでも“まだまだ強化は途上段階に過ぎない”と関係者が語るように2年後の北京五輪を控えてまさに強化中といったところだ。

大会7日目より始まった陸上競技。日本の金メダル数は5個。前回の釜山大会では2個だったので躍進と言えるか?それでも70年代は二戦級を送ってもメダルを独占していたのが80年代に入り陸連が“トップクラスをおくらねば”とコメントしたのを思い出す。それだけに前回釜山大会は低迷したのだなぁとおもう。
大会前の日本陸連の試算では金メダルは5個~6個と言われていたが、ハンマー投げの室伏広治が怪我で棄権をしなければもうひとつ上積み出来たと考えられるので、順当な結果だったのかもしれない。しかし、ここ十年ではアジア陸上界も様変わりを見せている。

激変するアジアの長距離界
これまでトラックを含めたアジアの長距離界、かつては日本、それに韓国。女子は中国、日本といった東アジア勢が牽引してきた。今大会の長距離種目のメダリストは下記のとおりだ。

5000m
KURUI James Kavalic カタール
JAWHER Mucheru Salem  バーレーン
ZAMAN Sultan Khamis    カタール

10000m
MAHBOOB Hasam バーレーン
RASHED Essa Ismal カタール
ISA Aadam Ismael   バーレーン

マラソン
HAMI Mubarak Hassan カタール
YASEEN Khalid Kamel  バーレン
大崎悟史 NTT 西日本

3000mSC
SALEM Tareq Mubarak バーレーン
SALEM Gamal Belal カタール
LIN Xiang Qian    中国

カタール、バーレンのメダル争いに日本と中国が僅かに一矢報いる結末に。しかし、地元カタール勢では KURII, RASHED, HAMI, SALEM は2005年にケニアからそして ZAMAN がブルンジから“移民”してきた選手。バーレーン勢でもYASEEN が昨年にケニアからの移民組。他のメダリスト達もアフリカからの移民選手かも? アジア記録も今や 3000mSC, 5000m, 10000m はカタール勢が占める。日本陸連は今大会のマラソンで金メダルを獲れば日本代表に内定すると発表したものの内定者は決らなかった。ソウル、釜山、広島、北京でのアジア大会は秋季に開催されたがバンコックやドーハの様な暑い地域での開催は12月だ。実業団駅伝などのイベントが控えており、ベストメンバーを起用出来たかはわからない。かつてアジアではお家芸だった 3000m SC には選手がエントリーされていない。1986年のソウルでのアジア大会は中山、谷口、そして瀬古、新宅、金井らヱスビー勢が出場したが、それは2年後に控えたソウル五輪の“下見”を兼ねての出場だった。いまやカタール、バーレンの選手達は長距離トラック種目では“ワールドクラス”の実力だ。今年アジア記録を出したカタール Shaheen のタイムは12分51秒98 その他5000m 金メダルの KURUI, 銀メダルの JAWHER は12分台が自己ベスト。4位の前田が13分39秒42。レース展開を見ても 2000mから3000mのラップタイムが2分39秒に急激にペースがあがり、最後の1000m が再び2分31秒。ラスト1週が 53秒8 日本の国内レースでもラスト1周を55秒でカバーする選手を見たことはあるが、それまでのラップタイムで1000m が2分30秒台などと言うレース展開ではなかった。アジアでもトラックレースで日本人選手は太刀打ち出来ないのか?
女子は10000m で福士加代子が貫禄の金メダルを勝ち取ったのを始め、銀2個 ( 5000m 杉原 マラソン 島原 ) 銅2個 ( 10000m小南 マラソン小幡 ) と長距離王国の面目躍如だ。特に福士はレース開始から常にラップを取る独走。2年後の北京ではメダルなるか? 男女マラソンに言える事は今大会にはまだエース級を送っていない事で、これまで男子マラソン大会4連覇を続けていた韓国マラソン界は深刻な状況らしい。 しかし日本男子もエース級を送ったところで今回の HAMI , YASEEN と互角に走れただろうか? 更なる飛躍を期待したい。

進化する短距離陣
かつてこう言われたことがある。“マラソン、長距離はビジネスクラス。短距離、フィールドはエコノミー。中距離は席が無い。”しかし、今やビジネスクラスとエコノミークラスの席替えがなされている様だ。 100m (伊東10.00 ) 200m ( 末続 20.03 ) のアジア記録は日本人が保持している。 ただ不気味なのはサウジアラビ勢。男子100m 決勝の前は日本の塚原、小島が自己記録では1位、2位 だったが優勝をさらったのはサウジの HABEB 。カタールと言う“地の利”を生かしたのと、スタミナが有る様な感じがした。しかも大会公式ホームページには彼の自己記録が記されていない。不気味だった。レースを複数走る大会ではスタミナは大切だ。1本だけでよいグランプリレースには強いが何本もレースを走る五輪や世界選手権、アジア大会の様な大会で結果が出ない選手はスタミナ不足で肝心の決勝戦で結果が出ないという事。アテネ五輪で結果が出せなかった末続はまだスタミナが発展途上過程ではなかったか?このアジア大会から翌年の世界選手権、翌々年の北京五輪に向けて“持久力”の向上にも取り組んでいるのでは無いか? リレーは残念な結果に終わった。 4 x 100m リレーは日本では本命視されていたが、実は優勝したタイも今年に国内記録を更新したばかりでタイでは期待されていた種目。それに100mは3位に SONDEE が銅メダルを採っている。そして1970年代には日本のスプリンターと激戦を交えたラタナポールというランナーがいた短距離“伝統国”。マスコミが考えているほどの番狂わせでは無いと思う。
それよりも 4 x 400m リレーでメダルに届かなかったのが無念だ。男子400m では高野進以来、世界を走れるランナーが出てこなかったがここに来て底上げが出来てきた。山口有希が 45”18 金丸裕三が 45”41 。山口の記録はエントリーされたランナーの中では優勝した、ただ1人44秒台をマークするサウジアラビアの AL BISHI に次ぐ2番目だったのでメダルの期待もあったのだが。2人とも関西人。金丸はまだ19歳。更に進化を続けて欲しい。高校生諸君。君達にもチャンスはあるぞ。そして北京ではリレーでメダルを。
女子はかつて磯崎公美が1982年のアジア大会で 200, 400m を制した伝説がある。しかし、今は旧ソ連邦が入ってきたり、スリランカの英雄 SUSANTIHKA ( 1997年アテネ世界選手権200m 2位 シドニー五輪 200m 3位 ) らの地域の選手が台頭している。100m 金、200m銀 のウズベキスタンの KHUBBIEVA の自己ベストは11秒27。200m ではアジアではまだ23秒台で優勝争いをしているレベルだが 400m では51秒台でメダル争いをする様になってきた。そこに日本の丹野が銅メダルを採ったのは大きいと思う。私の現役時代、日本の女子は国内の大会では100mは12秒台 200m は24~25秒台。400m は55秒台で優勝を争っていた。リレーでは 4 x 100m で中国に次いで2位。アテネ五輪ではリレーが派遣されたが、次の北京でも。そして一つでも上のランクをと願う。
最近はフィリピン勢の名声を聞かない。女子100m ではリディアデ・ベガがニューデリー、ソウルとアジア大会2連覇を果たした。そして1960年代、戦前はフィリピンスプリンターといかに戦うかが日本短距離界の課題でもあったらしい。フィリピーナと結婚された知り合いが“嫁はんの弟が走るの早くて、フィリピンのある国内大会で優勝して、会社から褒美でスクーターを貰いよったわ。”と教えてもらったことがある。今、この国は陸上競技どころではないのかな?   続く

アジア大会 球技種目を総括

2006-12-14 | Football Asia
アジア大会も残すところあとわずか。昨日は金メダル確実と言われていた陸上競技、男子 4 x 100m リレーがまさかの銀メダルに終わった。メダル争いではまだ韓国に1つリードを許しているが、リレーで金メダルを獲っていれば銀メダル及びメダル総獲得数で上回れたのだが。 残る競技での追い込みに期待したい。初めて見たアジア大会は 1974年のテヘラン大会。しかし、見たというよりもこれはNHKの総集編の様なもので観たもの。競技の中継をテレビ観戦出来たのは翌 1978年のバンコック大会から。バンコックでは1970年、1998年もアジア大会が開催されているが、1978年大会は本来1972年のAGF総会で本命視されていた福岡を破ってシンガポールが開催地に決ったが翌年財政難から開催を返上。振替で決ったパキスタンのイスラマバードも財政危機で75年6月に返上され開催地が決らぬまま時が流れた。そして1977年7月にバンコックが開催に当たっての分担金を参加国から負担してもらう事を条件に開催を決め、日本を始め15カ国から約 US$ 268万の分担金を集め何とか開催に漕ぎ付けた。 しかし、この大会からイスラエルが締め出され、一時IAAF(世界陸上競技連盟)等は大会参加をした選手はモスクワ五輪出場を認めないと言い出した。しかし、結局その言い分は取り下げられ、しかもモスクワ五輪はソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議して日本を含む多くのアジア諸国がボイコットする事に。 

どうしたバレー、ハンド、バスケ
70年代のアジア大会を思い出せば、卓球以外の球技種目の殆どは日本が独占していた様に記憶する。そしてサッカーだけがメダルから大きく圏外に外れ、テヘラン大会、バンコック大会では1次リーグで落ちていた。テヘラン大会の総集編ではアナウンサーが“メキシゴ輪で銅メダルを獲得してから低下線を辿る一方”と言っていたのを思い出す。
昨日は女子バレーが中国にセットカウント 1-3 で敗れた。これで中国は7大会連続優勝。男子は決勝どころか準々決勝でサウジアラビアにストレート負け。世界選手権終了後のこのメンバーではと言いたくなるが、韓国、中国が準決勝に進んでいるのだからそれよりも早く消えて欲しくなかった。 
バスケットは男女共に決勝に届かず。女子は準決勝の台湾戦、70-59で敗れた。前回の釜山大会も台湾に破れて4位に終わっている。(この試合は台湾でテレビで観たぞ。) 今年の女子世界選手権にも台湾に破れて出場権を逃している。男子は準々決勝でイランに逆転負け。8月に日本で開催された世界選手権。決勝トーナメントに進出はならなかったが何とか今後につなげて欲しいと思って期待していた。ポイントガードの五十嵐らを外して佐古らベテランを入れたが結果は出なかった。北京五輪のアジア枠は(開催国中国を除くと)1つしか無い。大丈夫か?bjリーグからも選手を入れた方がいいんとちゃうか? 
ハンドボール男子は準決勝に進めなかった。リーグ戦で韓国と引き分けるなど健闘するも、今大会は中東勢が巻き返しており1次リーグではサウジアラビアに 25-26 で惜敗。そして2次リーグではクウェートに24-35 で完敗。韓国と引き分け、バーレーンには 25-24 で辛勝するも得失点差で上位2位に入れず、シリアとの5位決定戦に廻る事に。守備力が弱いのか?攻撃力をつけなければならないのか?ここ4大会遠ざかっている五輪に何とか近づいて欲しい。 女子は1次リーグで韓国に 21-28 で敗れるものの順当に台湾 ( 31-20 ) タイ ( 40-13 ) で破り準決勝のカザフスタン戦に臨んだ。前半は 14-17 と3点のビハインド後半も頑張ったが 32-38 で破れ中国との3位決定戦に。体格で劣るハンディを克服して何とか銅メダルをと思う。
ビーチバレーの男子はメダルに手が届かず。しかし女子は田中、小泉組が銀メダル。決勝戦は第1セットを選手したのだが。しかし個人的にはタイの Kulna, Sanok 組に銅メダルをとらせてあげたかった。結構地元タイでは期待されていたので。それに細身で可愛らしいのだ。

頑張れ水球、ソフトボールになでしこ
大会前半の球技種目、野球は大健闘。大学、社会人で形成されたアマチュア軍団が韓国のプロリーグを打撃の末最後は34歳ベテランの西郷泰之のサヨナラ3ランで葬りさる最高のスタート。優勝をかけた最後の台湾戦でもプロ相手に堂々の打撃戦。9回表まで 7-6 とリードしていたが林智勝にサヨナラ逆転打を許して3大会ぶりの金メダルは届かなかったがプロの韓国、台湾相手にこの成績は立派だと思う。 
男子のホッケーは準決勝でアジア王者の韓国に 0-2 と完封負けを。しかし、強豪パキスタン(ベストメンバーでは無かったが)マレーシアと互角に渡り、北京五輪予選に明るい材料か?
アテネ五輪メンバー10名が残る女子。1次リーグでは韓国と引き分けた以外は5試合全て完封勝利で1位で決勝に進出。現地時間の13日には1次リーグ2位の中国と決勝戦。1次リーグで 3-0 で破っているとは言え油断は禁物。既に北京五輪出場を決めているがここは金メダルで花を添えて欲しい。
セパタクローは青木沙和、中川茉里、奥千春の女子のダブルスが銅メダル。今大会セパタクローにはコーチ2名、男子9名女子7名の選手団が派遣された。彼らは普段どこで練習をし、どうやって稼いでいるのだろう?非五輪種目であるセパタクロー。アジア大会が最も存在価値を示す大会だろう。これからもがんばれ!!。
ソフトボールは決勝戦で中国を 3-0 で降し、貫禄の決勝進出。1塁手の伊藤幸子以外は22歳から26歳までの選手。監督もこれまでの宇津木氏からトヨタ自動車の井川英富氏に。アテネ五輪銅メダルのメンバーから残ったのは乾、山田、上野の3名のみ。そして増淵はシドニー五輪銀メダルのメンバー。新生ジャパンソフト。ここでドーハで金メダルを2年後は北京で金メダルだ。そしてロンドン五輪の次からは野球と共に五輪に復活じゃ。欧州の五輪委員をこれから毎年招待し、素晴らしい日本プロ野球を見学させよ。
ラグビーは7人制とは言え貫禄の金メダル。香港あたりはもっとやると思ったのだが。前回は平尾(当時)監督の“選手が揃わない”と言う悩みも今年は聞こえてこない。
そして水球。1次リーグ初戦の中国戦は 13-16 で落とすも以降は4連勝。そして準決勝のカザフスタンはアテネ五輪予選、そして釜山アジア大会で破れた相手。試合は第4Qを終えても決着が着かず PS 戦へ。5人全員決めた日本に対しカザフスタンは3人目の Ivan Zaitev のシュートをGK江口朝永がストップ。Askar Olazarinov カザフスタン監督は“ P.S.戦はルーレットの様なもの。幸運が日本の勝利をもたらした。しかし、強いチームが勝つ”とコメント。14日は28年ぶりの金メダルを賭けてもう1つの準決勝戦でイランを 12-7 で降した中国と対戦する。中国は前回釜山大会3位決定戦では 6-10 で破れている。1982年ニューデリーでのアジア大会決勝で、日本は中国に破れて銀メダル。この試合を日本水球界の重鎮である日体大の清原先生から“あの試合は審判がいかさましよったんですわ。”と直接教えて貰った事がある。明日の中国戦では是非積年の雪辱を果たし、男子に初の球技種目金メダルをもたらしていただきたい。 
サッカーはなでしこが北朝鮮との決勝戦に今夜臨む。今度こそアジア女王の座に。 男子のサッカーは色々書きたいので別の項で????  

テレマカシ 20年目の親娘金メダル

2006-12-12 | Football Asia
アジア大会も終盤を迎える。昨日は女子レスリングで3階級そして末続が大会2連覇を果たすなどの報道がなされたが大会11日目を終わって韓国に金メダル獲得数を1つ上回られてしまった我が日本チーム、陸上競技が始まりメダル争い、6大会ぶりに2位の座を奪い返したい日本はここから何とか巻き返したい。 
そんな中でも話題を呼んでいるのが男女のホッケー。 女子はこの大会で北京五輪出場を決め、男子は今日の準決勝で勝てばメキシゴ輪以来実に40年振りの五輪進出となる。 しかし、相手の韓国はアジア王者。70年代からアジアと言うよりも世界のホッケー界をリードしていたのはインドとパキスタン。 しかし、今年ドイツのメンヘングラッドバッハで行なわれた男子の World Cup ではドイツ、オーストラリア、スペインが上位3カ国を占め、パキスタンは6位、インドは11位に終わった。 他のアジア勢では韓国が4位、それに日本が9位に入っている。欧州勢の台頭の裏にはフィールドが人工芝になった事が大きい。これでスピードと体力の優位性がより幅を利かせる様になり、テクニックに勝るパキスタン、インド勢は苦戦をする羽目に。それよりも後進国の彼らには練習しようにも人工芝競技場が限られており
参考までにマドリードで開催された女子の World Cup ではオランダが優勝、2位オーストリア、3位アルゼンチン。4位に地元スペイン。オランダの女子チームを Real Madrid のファン・ニステル・ロイが応援に駆けつけた事が報道された。そして5位に我が日本女子が入賞している。他のアジア勢では韓国が9位、10位が中国。日本女子ホッケーは世界ランクではバレーボールと同等いや勝っていると言えるのだ。そんな代表が貧困にあえいでいるとは信じられない。2年前に和田アキ子、大黒摩季らが援助に乗り出したがここはもっと援助に乗り出してあげて欲しい。 
大会開始直後に商用でマレーシアのペナンとクアラルンプールに訪れた。マレーシアでもアジア大会は注目のイベント。おそらく日本以上にこの高いに関心を寄せているのではなかったかな? 彼らの期待種目は男子のバドミントンに男子のホッケーそしてボーリングにセパタクロー。 特にバドミントンはマレーシアのお家芸。今年日本でバドミントンのワールドカップと言われる国別対抗戦トマス杯(男子)、ユーバー杯(女子)が開催された。過去マレーシアはトマス杯で5度優勝しているがこれはインドネシアの13度、中国の6度に次いで3番目の成績だ。今年の大会では準決勝で2位になったデンマークに敗れたがベスト4に入っている。準々決勝の韓国戦で2003年バーミンガムでの世界選手権シングル2位のエースウォン・チューンハンがアキレス腱断裂で試合続行不可能と言うアクシデントがなければ決勝進出もと言われていたのだが。 今大会でも決勝進出を目標としており、日本、香港を無難に退け準決勝の韓国戦に臨んだ。シングルス初戦は韓国、イ・ヒュンイル対マレーシアはリ・チョンウェイ。これは5月のトーマス杯の再現でマレーシアのリーが勝ったがこの試合はイ・ヒュンイルが雪辱を果たす。続くダブルスでは第1セットを先取するものの第二、第三セットを失い逆転負け。後が無いマレーシアは続くシングルスに登場したハシム・ムハマド・ハフィスがパク・ソンファンを 2-1 で破り望みを繋ぐ。続くダブルス戦。韓国はトマス杯で起用しなかったイ・ジャジンを使ってきた。第1セットを 14-21 で落とすと第2セットは20-18 とセットポイントを取るが追いつかれ、更に 21-20とアドバンテージを取る。このセットを取り、ダブルスに勝てば最後のシングルスは怪我から戻ってきたエースのウオォン・チューハンが控えている。しかし、雪辱に燃える韓国はその後3連続ポイントを上げて試合を決めてしまった。試合後十字を切る韓国選手達。 イスラム教徒?のマレーシア選手達はどういう手つきをするのかな? 結局、この種目でのマレーシア勢の金メダルは男子ダブルスにみに終わった。もう一つの強豪インドネシアは男子シングルスの Hidayat Taufik の1つのみ。しかし、現地で出会ったインドネシア人によれば“ベストメンバーではない”とのことであったが、 Taufik はアテネ五輪の金メダリスト。バドミントンが五輪種目になった事で中国の卓球選手の様に海外に移民し、国籍を取得し五輪や国際大会を目指す選手が増えた。それによって底辺が浅くなってしまったと言う人も少なくない。 
男子のホッケーは、今年のワールドカップの出場権を逃したのでその雪辱を期しての大会であった。マレーシアにはインド系の移民も多いが、インドのホッケー選手がここに移ってきて国籍を取得し代表入りするケースも有るとの事。マレーシアはかつてはパキスタン、インドに次いでアジアでは3番目につけていた。 初戦はパキスタン。前回の釜山でのアジア大会では3位決定戦でPS戦の末パキスタンを破り銅メダルを勝ち取った。昨年の Sultan Azlan Shah トーナメント、そして今年メルボルンで開催された Commonwealth Game で連勝している。そしてパキスタンは今大会4人のレギュラークラスを外しているので、マレーシアにとっては強豪とはいえむしろ勝ちたい相手であった。 23分に Youfzai Imran に先制を許すも43分にAbdulah Moha Sharun Nabil のゴールで追いつく。しかし後半は双方得点を挙げられず 1-1 のドロー。続く日本とは“まさかの”引き分け。そしてさらに草刈場の香港に 2-1 で辛勝したのが痛かった。台湾に 9-0 バングラデッシュに 6-1 で勝ったものの、パキスタン、日本、マレーシアは 3勝2分で並び得失点差でパキスタン、日本の後塵を拝し、準決勝に進めなかった。日本男子は頑張った。パキスタンに引き分け、香港からは15点も取り準決勝に。マレーシアはこの敗退にショックを隠せないだろう。 
セパタクローではタイの牙城を崩せない。かわりにヴェトナムが女子の団体戦でタイ破って金メダルを。残るは男女のダブルス。男子は予選リーグでタイペアに 0-2 でやぶれたものの韓国、インドを破り、続くフィリピンを破れば準決勝進出。最後の金メダルに望みを掛ける。
大会序盤、マレーシアを沸かせたのはボーリングであった。12月3日に行なわれた最初の決勝種目女子のシングルスでは 20歳の Cheah Mei Lan Esther が自己記録の 1,444 点で金メダルを飾った。父親であり、コーチでもある Holloway 氏は1978年バンコックでのアジア大会での団体戦での金メダリスト。昨年の世界選手権でも優勝している Esther はマレーシア期待の出場選手だった。午前中の競技でインドネシアの Putty Armein が 1395 点でトップに立ち、午後に登場した Esther は第1、第2ゲームを 243,243 と快調に飛ばすが、第3ゲームを 213 と落としてしまう。その後 258, 233 と得点を重ね、最後の第6ゲームは205 得点が必要であった。その最終ゲームを 254点で仕上げ、2位の Amerin に49ピン差を着けての圧勝。感涙に咽びながらこの勝利でマレーシアチームに勢いがつけばとコメント。 Holloway コーチも“この大会の為に半年間大学を休学したのだがら。”喜びもひとしお。 しかし、翌々日のトリオでは韓国チームに43ピン及ばず銀メダル。 エースの Esther はスコア-を1299 と落とし、チームでは最低得点。 第2ゲームで 267点を出しながら 第3ゲームで 181点、第5ゲームで 195 と崩れたのが痛かった。しかし Five Player Team では韓国に 239 ピン差を就けて 6555 点で雪辱。更にタイトルを狙ったが韓国のチェ・ジンアシングルス、ダブルス、トリオ、Five 団体での総得点を競う All Event’s では43ピン届かず、最後のマスターズでも決勝にすすむものの韓国の チェ・ジンアに 482-397 で完敗し3つ目の金メダルはならなかった。 しかし、次回広州で開催予定のアジア大会では最有力候補なのは間違いない。 帰国後は彼女の家族を初め多くの人が KLIA で迎えることだろう。 それにしてもスコア188 で大崩とは恐れ入る。さすが世界の頂点は違うなぁ。

もうすこしここに居たいなぁ.....

2006-12-10 | Football Asia
アジア大会も中日を過ぎた。相変わらず中国が“金メダル狩り”を続けているが、いよいよ陸上競技が始まる。陸上競技経験者としては楽しみな日程が続く。 こちらタイでの大会8日目のハイライトはなんと言っても女子のバレーボール。準々決勝でアジアの強豪韓国を何とセットカウント 3-1 で破って準決勝進出を決めた。こちらで中継を観ての感想だがタイの選手は本当に良くボールを拾う。また平均身長では韓国より劣っているはずだがクイックやブロックの合間をぬうように打ち込むアタックが非常に効果的であった。特にセットカウント 2-1 でリードの第4セットはデュース、デュースの大接戦。(こんな台詞かつてエースを狙えであったなぁ?)何度もセットポイントを握られながら最後のマッチポイントが決ったときは27点目であった。 実はホテルのテレビの映りが非常に悪く肝心のスコアの数字が良く見えず、私はまだ試合が決っていなかったのかと思っていた。テレビ局のアナウンサーも落ち着いた口調でその模様を伝えていたので次のセットがあると思っていた。するとコートの真中でタイの選手達が抱き合って大喜び。韓国の選手がなかなかコートに現れないのでおかしいな?と思っていたら大きくタイ国旗の上に 3と出て大極旗の下に1と出て直ぐにトーナメント表が国旗つきで写されたのでタイの勝利と次の準決勝の対戦相手は日本との組み合わせが判った。かつておかまで構成されたバレーボールチームを題材にしたスポ根というか?スポ根コメディなタイの映画があったがまさかこのチームにおかまちゃんはいないだろう。それにしても韓国の女子バレーは一体どうしてしまったのだろう?今年の世界選手権では1次リーグで敗退し、アジア大会でもベスト8止まり。平均身長では日本に劣っても高い跳躍力で日本を寄せ付けない時もあったのだが。 タイと言い世界選手権での台湾と言いアジアの中で台頭してくる足音が聞こえそうだ。
そしてタイ期待の種目の一つボクシング。アテネ五輪銀メダルの Worapoj Petchakoom と前回のアジア大会王者 Suban Pannon は準決勝に進出し目標としている“金メダル3個”にまた1歩近づいた。 バンタム級の Worapoj は地元カタールの Adel Chakeri を第1ラウンド 8-3 第2ラウンドを 11-2 3ラウンド途中で 28-8 と20点のリードしたところで Referee Stopped the Contest で試合を決めた。しかし、自分のボクシングには納得の行かない模様。カタール入りして雨が続いておりコンディショニングが容易で無いとコメント。準決勝の相手はフィリピンの Joan Tipon 強豪北朝鮮の キム・ウォン・グックを破ってのベスト4進出だ。8年前の地元開催のアジア大会で優勝したライトフライ級の Suban はイラクの Ali Hajah を 30-21 で退けた。準決勝の相手はこれまたフィリピンの Godfrey Castro 。“彼は右利きのボクサーで難しい相手ではないが油断は出来ない。”とコメント。 Castro は準々決勝ではサウジアラビアの Ali Saad Al Ahmry を2ラウンドでストップしたが、この Al Ahmry は大会直前になって地元では英雄の Harry Tanamor に替わって大会にエントリーされた。戒律の厳しいサウジアラビア。Tanamor は禁酒を破ったのかな?またこの大会で最も人気のボクサーと言われているタイの Angkhan Chomphuphuang は前回釜山大会では武術競技の金メダリスト。今回はボクシングのライトウェルター級で出場し、前回王者の韓国のキム・ジュン・ジョを 22-16 で破るなどしての準々決勝進出。相手はタジキスタンの Sherai Mamadaliev 。これまでの2試合を通じてもたった3ラウンドしか擁していない強豪だ。他にも既に準決勝にはアテネ五輪ライトウェルター級王者の Manus Boonjumnong そして 2003年世界選手権のフライ級王者 Somjit Jongjohohor らも進出を決めており、アマチュアでも“ボクシング王国”は健在だ。いやアマチュアが充実しているからプロも層が厚いのか? また非五輪種目であるが東南アジアではたいへんさかんなセパタクロー。個人種目に入り男子はヴェトナムを女子はフィリピンにそれぞれ快勝しそろって開幕戦を飾った。今度こそアベック優勝を目指す。男子の次の相手は日本そして韓国。韓国は要注意らしい。女子は日本が相手だ。 日本の男女も大和魂を見せて欲しいぞ。
そしてタイ期待のサッカーの準々決勝カタール戦がバンコック時間の午後11時にキックオフ。当初の予定ではバンコック時間の午後8時だったが、観客をより集めるため為に3時間繰り下げられた。Charnavit Phalajivin 監督は“カタールは FIFA ランク 75位だが (日本は何位だったっけ?)地元の声援がかえってプレッシャーになるであろう。要注意人物はウルグアイ生まれのストライカー Sebastian Quintana と中盤の Abdulrahman Hussin Yaser と Ibrahim Khalfan Al Khalfan ( 名前長いなぁ ) 。我々のDF Darsakorn Thonglao と Hadtaporn Suwan はかれらにスペースを与えてはならない。そしてペナルティーエリアに入れてもいけない。それにペナルティエリア付近でファウルを犯してはならない。 中盤の要 Suchao Nutnum が怪我で起用できないのは痛いが Ekaphan Inthasen を右にまわして、 Anon Sangsanoi を Teerathep Winothai と2トップを組ませる。”と記者団に答えたらしい。そして前日はPK戦の練習にも時間を使ったとか。地元新聞によるとカタール戦の GK Hathairattanakool はタイの守護神になれるか?そして Sutee Suksomkit が怪我から回復して起用できそうなのが吉報だ。 
女子は準決勝の組み合わせが決った。なでしこジャパンは韓国と。そしてもう一方の組み合わせは中国と北朝鮮。この試合はおもしろい。9月のAFC女子選手権のあの準決勝の再現だ。 
それにしてもなぜ準々決勝の試合時間をずらすのだろう?午後11時。私は機内の人となっている。 もうすこしアジア大会を“楽しみたい”のだが….

サワディ~カップ 国王の誕生日

2006-12-09 | Weblog
最近,アジアの空港の充実振りを見ると成田空港がかすんで見える。シンガポールのチャンギ空港は言うまでも無くクアラルンプールの KLIA 。ジャカルタの空港も大変な大きさだ。しかしクアラルンプールから私の搭乗した航空会社は Air Asia 。発着空港は KLIA ではなく、 LCCT 。それは Low Cost Carrier Terminal という名の文字通り安いキャリアーのターミナル。空港内は見送りと出迎えの人も含めて大変な人だった。チェックインをする時に“当機の1人当たりの機内預け重量は 15kg までです”、とエクセスチャージをしっかりと取られた。機中は1杯の水から有料。2時間のフライトを過ぎて到着したのはこれまでのドンアン空港と異なり新しくなったバンコック国際空港。この日も相変わらず大変な人だ。しかしその規模の大きさはそんな訪問客の多さなど気にならない。そして両替所を含めた全ての施設が超近代的の見える。パスポートコントロールもスムースに抜けて外に出るとわんさと人が。しかも着ている物は殆ど黄色だ。12月4日はプミポン=アドンヤッデ国王の79回目の誕生日。そして即位60周年。国民は王家の色である黄色の衣料を身に纏い国王の誕生日と今後の健康を祈願しているのだ。国民から絶大なる支持を受け続けている国王。先の軍事クーデターも国王の“退任勧告”を無視したタクシン前首相を追い出す為と言われており、その銃口は一般市民には一切向けられなかった。その絶対的な支持は近隣諸国が欧州列強の植民地にされながら、タイだけは植民地にされることは無く、それは国王のおかげと信じられている。しかし“この地域はフランス領とイギリス領との緩衝地帯になっており、両国列強は手が出しづらかった事もある”と言う歴史家もいる。 
12月1日よりカタールの首都ドーハで開幕した第15回アジア大会。丁度1週間を過ぎたメダル争いは相変わらず中国が87個とダントツでトップを快走しており、日本の23、韓国17、カザフスタン10、更に北朝鮮そしてインドに続いてタイが6番目にいるが、タイの金メダルは4個。アジア大会とは言え上位3カ国とは競技力の差が歴然だ。 それでも大会3日目の女子重量挙げ 63 kg 級では Pawina Thogsuk がジャークで 142kg の世界記録を樹立し金メダル。しかもこのクラスには世界王者の中国のオウヤン=シャオファンがおり、彼女を破り、これまで6階級の女子重量挙げ金メダルを独占し続けた中国勢に待ったをかけた。そしてこのミャンマーの Faw Thaw Yae が3位に入った。アジアの選手で世界に通用する選手は多くは無いが、ここタイにもそういう選手がいるのだ。マレーシアの New Straights Times は Thongsuk の世界記録は “国王への完璧なプレゼント”と紹介している。女子 50m ライフル団体でも金メダルを獲得。女子の射撃競技では中国とカザフスタンが抜きん出た実力国とされているが、その両国の間にタイ女性達が割って入った。同種目の個人競技で銀メダルを獲得した16歳の Thanyalak Chotpaibunsin が“この金メダルを私は国王に送る。これより良いプレゼントは贈れない。”とコメント。もし日本の選手が“このメダルを天皇陛下に…” などと公式の場で言おうものなら左翼連中は何と言うだろう?タイでは誰も彼女に非難の声を浴びせない。 そして大会六日目のタイ国民のハイライトはサッカーの1次リーグ最終戦のクウェート戦だろう。いつもは青か赤のユニフォームを着るタイ代表だがこの日のユニフォームはもちろん黄色。前半37分に Teeratep Winothai のPKで先制するも、後はクウェートの攻撃に押される苦しい展開。しかも55分にはベテランFW Nutchum Suchaoを怪我で失う。1次リーグのこれまでの相手、パレスティナ、キルギスタンとは明らかに実力差が異なる相手。しかしそれはクウェートも同じ事。イエローカードが6枚出されたタフな試合はそのままタイが逃げ切り準々決勝進出を決めた。試合終了後スタンドの応援団の前に平伏し感謝の意を表わすタイイレブン。来年開催される ASIA CUP の開催国の中でただ1ヵ国ベスト8進出を決めた。 タイのサッカーはアジア大会では無類の強さを見せこれまで2大会連続してベスト4に進出している。12月8日の準々決勝戦は開催国カタールが相手だ。しかし上述した Suchao のみならず Sutee Suksomkit , Hadtaporn Suwan, Thana Chanabut が怪我で出場が危ぶまれる。Charnavit Phalajivin 監督もカタール戦に向けて特に Suchao の代役探しに苦悩しそうだ。この準々決勝に日本がいないのが寂しい。 
そしてこの地域では盛んな よく空き地で子供達が竹で編んだボールを足でコントロールして遊んでいる東南アジアで盛んな競技、セパタクロー。タイではタクロゥーとクにアクセントがかかりタは小さく発音する。そして“セパ”は言わないらしい。 決勝戦はマレーシア。この両国がこの世界では1,2を争うがこの宿敵を 2-0 ( 21-15, 21-15 ) 2-0 ( 22-20, 21-12 ) で破り金メダルを獲得した。 しかし、いいことばかりは続かない。女子の決勝戦はヴェトナムが 2-1 ( 13-21, 21-14, 15-11 ) 0-2 ( 12-21, 15-21 ) 2-1 ( 12-21, 21-15, 15-11 ) でタイを破り大会3連覇を阻止した。ヴェトナム女子は1998年バンコック大会銅メダル。2002年釜山大会銀メダル、と着実に力をつけ、昨年のバンコックでの世界選手権、マニラでの SEA GAME でもタイに続いて2位になり、遂に今大会タイを破った。 Chucheep Kongmeechon ヘッドコーチは“緊迫した試合だった。ヴェトナムの精神的なアプローチが勝敗を決めた。最後まで集中を切らさなかった。ヴェトナムの選手達は勝つべく資質を兼ね備えていた。我々(タイ)の選手は出だしは良かったが次第にプレッシャーに襲われた。各チームのストライカー達は思い切りを保持できなかった。選手起用に迷いがあった私の責任だ。”とコメントを残した。この競技のおかげで東南アジアのサッカー選手の足元は大変器用だ。欧州勢はどうだろう?しかし、欧州で、もしこの競技がメジャーになれば国際ルールを彼等の都合の良い様に変えられてしまうだろう。このままが良いのかも?最後に、タイテニス界の英雄 Paradorn Srichaphan が団体戦で日本の添田に敗れた。そして痛めていた手首が悪化し、個人戦を含めた以降の試合をパスする事に。4年前、久し振りにバンコックに来たとき、彼はテニスの4大大会でも結構上位に進出していた。 もうピークは過ぎたのだろうか…… 今日も競技は続く。そして暑いバンコックの夜も…..

アジア諸国で見るアジア大会

2006-12-08 | Weblog
11月下旬より南半球のニュージーランドより東南アジアに移動しました。シンガポール、ペナン、クアラルンプールを経て今はタイの首都バンコック。アジア大会も開幕して7日目を終え、日本以外の国で見るアジア大会もなかなかおつなもの。仕事が忙しくてゆっくり見る暇も無いけど、これからご期待に応えて(誰も期待していないか?)現地レポートを?順次送ります。あぁそれにしても暑い。

あぁ Knights

2006-12-08 | Aussie & Kiwi
“お荷物球団”の正しい使い方は判るだろうか? 東京六大学の東京大学。1980年代終盤から90年代の阪神タイガース。J リーグ発足直後の浦和レッズ。これらは負けても負けても所属するリーグから降格する事が無い。だから“お荷物”と呼ばれるのだ。Jリーグ発足直後のシーズン、鹿島アントラーズが大方の予想を裏切りステージ優勝したが、無知な解説者やマスコミはこぞって“日本リーグ時代はお荷物球団だった、住友金属を母体にした鹿島が優勝した。ジーコは素晴らしい。”とほざいていた。日本リーグの1部は降格も2部からの昇格もあるので、この場合“お荷物球団”とは言わない。また住友金属は当時木村和司や水沼、柱谷らのいた日産自動車が苦手にしており、けっこう面白い存在である時期もあった。 我が愛する京都パープルサンガ改め京都サンガFCは降格が決ってしまった。第33節のガンバ戦は意地を見せたもののロスタイムに決勝ゴールを決められ一貫の終わり。この試合に勝てば下位3チームが勝点2差の中に並ぶスリリングな最終節になるところだったのにそれは完全に後の祭り。来年、いや今からしっかり建て直し来年末には再々々昇格を決めて欲しい。さて昨年発足した8チームが集うHyundai A-League。上位4チームに入れば優勝の可能性があるだけに下位に低迷していてもまだまだチャンスはあるリーグ戦だ。首位を勝点37で快走するのは Melbourne Victory 。次いで昨シーズンの覇者 Sydney FCが勝点24, 3位勝点23 のNewcastle, そして4位の Adelaideは勝点22だが7位の Perth Glory が勝点17で残り6試合で勝点5の中に4チームがひしめく激戦。しかしながらその下の最下位に低迷するのは今年もニュージーランドから唯一参加の New Zealand Knights で2勝2分11敗勝点8のダントツ最下位だ。昨シーズンも11連敗を含む1勝3分け17敗の勝点5。今年は幸先良く開幕2連戦を1勝分けでスタートしたのだがその次の Melbourne Victory 戦から8連敗。しかもその Melbourne 戦から6試合連続で無得点。第10節の Adelaide 戦でようやく2得点を挙げたが4失点で連敗は止まらなかった。
オークランドのダウンタウンから車で橋を越えて約半時間。北部の North Harbor Stadium が彼等の本拠地だ。Perth Glory の Members Equity Stadium とは比較にならない立派な競技場。11月18日に Knights は Central Coast Mariners をここに迎えた。最下位を独走するとは言え熱心な観客が集る。公式入場者数 2139人の中でほんの10数人を除けば全て“地元” Knights のサポートだ。今年最初に England の Charlton と“技術提携”を交わし、同チームのコーチも務めたPaul Nevin新監督を迎えるもこの低迷振り。しかも中心選手であるかつて Leeds United でもプレーした GK Danny Milosevic はチームを去り、守備的MF Jonas Sally は怪我で戦線を離脱して守備陣の再整備が必要だ。それでも3バックの左サイド Che Bunce はAll Whites ことニュージーランド代表DF. センターバックの Sime Kovacevic は Dinamo Zagreb にも所属した。右サイドの Darren Bazeley は経験豊かなDF。そして攻撃陣にはカナダ国籍でかつてはギリシャの PAOKA サロニカに所属した Alen Marcina と ニュージーランド U-17, U-20 にも選ばれたDustin Wells の新加入選手を擁した。 開始9分には Marcina のシュート、17分には Wells のドリブルシュートがゴールを襲う。23分にはスルーを受けた Marcina がドリブルシュートを放つがGK Vukovic がナイスセーブ。 Vukovic はこれまでトンプソン( Melbourne ) ヨーク ( Sydney FC ) のPKをストップした実績がある。オーストラリア五輪代表候補でもあり来年の五輪予選で日本の前に立ちはだかるのか?35分にはMF White が DF Jedinek を交わしてスルーを送るとそれを受けた Wells がシュートを放つがGKの正面に。 Knights 攻勢の時間が続く。このまま何とか先制点に結びつけばと思うが39分には Mariners が決定機を。スルーを受けた Hutchinson がフリーで撃たれるがポストの僅か左側に外れる。28分にも Knights DF Bunce のヘッドでのバックパスがあわやオウンゴールと思わせるようなシーンもあり、ゴールにより近いシーンは Mariners が演ずる。前半は無得点だったが失点も0に抑え、何とか後半に期待を持たせた。スタンドのサポーター達からも大きな歓声が送られる。 この競技場はゴール裏が芝生席になっており、子供達の格好の遊び場になっている。そして私は幸運にも?記者席に堂々と座っての取材。それだけ報道陣が少ないのだ。そしてもう1人日本人ではなさそうだがアジア系の人が熱心にメモを取っている。こちらは報道関係の様だ。あぁ中国語が話せればサッカーの話が出来たのに? 後半にはいっても両軍選手交替は無い。 Knights は地元サポーターの為にも先制点を奪い優位に進めたいところだ。しかし、後半は一転して地力に優る Mariners の攻勢が続く。51分には Brown の CK からかつての Leeds United のスター選手 McMaster にミドルを撃たれるがGK Turnbull がセーブ。55分には Kwansik から Jedlinka に渡り Hutchison にスルーが入るがまたも GK Turnbull がセーブ。その1分後にはまたもや Kwansik に左サイドを破られる。最後は Bunce がクリアーに入るがそれがCKになってしまい、Petrie からのCK Mori が頭で合わせるがわずかにポストの左に外れて命拾い。その直後にも Hutchinson からサイドチェンジのロングパスが Petrie に通り、上げられたロビングに走り込んだ Mori が頭で合わせられるがこれもGK Turnbull がキャッチ。DF陣にミスが増えて相手にボールを渡してしまい、マークもずれており容易にシュートを撃たせてしまう。前半効果的な上がりを見せた Buari, Wells の右からの攻撃陣が相手の攻撃に押さえ込まれてしまいチャンスが作れない。現状を打開すべく選手交替でも試みればと思った64分。 Hutchinson のスルーに反応した Mori が抜け出してフリーに。そのままドリブルで独走し難なく先制ゴールを献上してしまった。献上してはならない先制点を決められてしまった。その後も Knights はチャンスが作れない。ドリブルで持ちすぎて前に進まず、たまに前線にボールが入ってもそこには Vidmar ら屈強なDF陣が待ち構えており、サポートが遅く突破が出来ない。71分にはミスパスを Mori に拾われ逆サイドの Kwansnik に繋がれてシュートを撃たれるがサイドネットに。その1分後にはファールで得たFKのチャンスに Jedinak がクリアーミスであわや同点のオウンゴールかと思わせたがこれがこの試合地元サポーターがもっとも沸いたシーンだった。74分には途中出場の Nik Mrdja がDF2人をかわしてフリーで。83分にも Kovacevis を抜いてシュートを撃たれる。そして89分にはクリアボールをまたも Mrdja に拾われ撃たれるがゴールポストを直撃し何とか追加点を凌ぐ。Mrdja は188 cm の長身ストライカーで、2000年から4年間 Perth Gloryでプレーしその後1年スウェーデンの Solna でプレーした後に Mariners に入団したがこれまで怪我で満足にプレーできなかった選手だ。 ロスタイムは4分と表示された。同点のチャンスはあるはずだ。それにしても Knights ベンチは全く動かない。MF の Neil Emblen は私が見ていても後半開始早々から動きが悪い。これ以上ピッチにおいておくべきではないと思われた。 Wolverhampton Wanderers やCristal Palace を渡り歩いたベテランも、故障でもしているのか?そして93分。ゴール正面で Kovacevic が Mori を倒して与えたFKを Mori 自身が直接叩き込み万事休す。観客が帰り支度を始めると共にタイムアップのホイッスルが吹かれた。後半は全く良い所無く破れた Knights 。愛する京都サンガFCを見ているようであった。 All Blacks の欧州遠征で話題をさらっているニュージーランドだったが、今のところ降格の無い A-League 。彼等が“お荷物”にならないことを祈るよ。 Mariners の Tony Vidmar がまだまだ元気なところを見せてくれたのが嬉しかった……