1次リーグの組み合わせ
これは少しタフなグループであったと言えないか?過去の組み合わせは下記の通り。
2006 ブラジル クロアチア オーストラリア
2002 ベルギー ロシア チュニジア
1998 アルゼンチン クロアチア ジャマイカ
組み合わせが決まった時、決勝トーナメント進出は1998年大会より可能性有りと思った。だが他のアジア代表と比較すると少し“不公平な”組み合わせ?とも感じた。
韓国 フランス スイス トーゴ
イラン ポルトガル メキシコ アンゴラ
サウジアラビア スペイン ウクライナ チュニジア
全ての組にアフリカ代表が入り、それぞれから勝ち点を挙げている。今大会のアフリカ代表国はチュニジア以外全て初出場だがその中でも比較的実力が劣るのがアンゴラとトーゴ。オーストラリアの替わりに上記アフリカ3カ国が入っていれば結果はもう少し変わったかもしれない。前回2002年大会は地元開催なのでシード国。これは世界のトップ6と戦わなくて済むアドヴァンテージがあった。それだけ地元開催以外のワールドカップは厳しいものなのだ。だがクロアチアから勝ち点を挙げた事はもう少し評価されても良いと思う。クロアチアでは“日本から勝ち星を挙げられなかった為に1次リーグで敗退した”と言われているからだ。
そして更に“不公平”を感じたのが試合時間だ。ブラジルは全てがナイトゲーム。日本は炎天下で2試合を行った。オーストラリアもクロアチアも日本戦以外の2試合はナイトゲーム(ブラジル対オーストラリア戦は午後6時開始)。これはセレソンを欧州のゴールデンタイムで放映すると言うスポンサー絡みの試合時間決定のわりを日本だけが食った形になったが、競技場もカイザースラウテルン(対オーストラリア)ニュルンベルグ(対クロアチア)とフィールドが屋根で覆われておらずピッチ上に直射日光をもろに受ける会場。フランクフルトやミュンヘン、シュツッツガルトの様に屋根付の競技場であればとも思われる。私が現地入りしたのはオーストラリア戦の後の6月16日。とてもとても暑く、ニュルンベルグでのクロアチア戦をスタンドで観戦したが、2階席のひさしで直射日光は避けられたもがスタンドに居るだけでも暑くてたまらない。ピッチ上の気温など想像もつかぬものだっただろう。そんな事も知らずに“運動量が少なく、覇気が感じられない。気力が感じられない。”と言う人には一度そこに立ってみろ言いたくなる。
大会前のコンディショニング
大きな大会になればなるほど直前の微調整は非常に大切だ。ブラジルが準々決勝で敗退したのもこれがあるのではないか?練習のほとんどを有料で公開していた。これでは選手達は集中して大会前の調整練習に臨めたのだろうか? 日本の大誤算の一つは大会直前のドイツ戦での加地の故障だろう。高原も古傷を悪化させた。 結果論だが2-0 とリードした時点でサブの選手を投入し彼らの試験場としても良かったか。まさか ZICO 監督は“ドイツでドイツ代表を破った日本代表監督”の称号が欲しかったのではあるまい。田中真の離脱も痛かっただろう。それに後で新聞判った事だが、カイザースラウテルン入りした際、試合前日に宿泊したホテルにクーラー設備が付いておらず寝苦しさを訴える選手もいたとの事。この辺りは今後の改善課題だろう。 また中村俊輔、高原らのコンディションも今一だったらしい。中村は初めて欧州で通年のレギュラー出場を果たし疲弊し切ってのワールドカップ、逆に高原は所属先でのHSVでの出場機会が激減しコンディショニングにどうしても影響を与えたのだろう。同じことは稲本、小野そして柳沢にも言えたかもしれない。
監督の戦術そして用兵
全てを決めると言われた緒戦のオーストラリア戦。事実この試合の敗北が1次リーグ敗退を決めたが、試合は序盤から圧倒的に押される展開で川口のセーブが無ければいつ点を取られてもおかしくなかった。だがこのオーストラリアの猛攻もワントップ、ヴィドゥーカのポストプレー等に拠るもの。最初からもう少し対策は無かったか?幸運な先制点を挙げてからも劣勢は続いたが後半はオーストラリアの方がスタミナ切れを起こしていた。キューウェルなどはいつ下げられてもおかしくなかったが、ヒディンク監督がケーヒル、ケネディ、アロイージと攻撃の看板を増やし続けそれが功を奏した。だがその前に坪井が負傷退場し、加地、坪井の最終ラインが離脱したのが痛かった。これでヒディンク監督の攻撃的な交代策を容易にし、日本の交代が後手に回った。後日宮本が語っていたが“1-1 に追いつかれた時点でDF陣は勝ち点1を守ろうとするがFW陣はどうしても勝ちにいってしまう。”と前線と後衛での意思統一が図れなかった。だがオーストラリアも日本も引き分けでは1次リーグを突破出来ない。勝ちに行くのは間違いでも無いと思う。ただ逆転されてから大黒を投入するのならなぜもっと早く?とも思った。
クロアチア戦は“背水の陣”であったが、現地に乗り込んだ私は自然に”クロアチアに勝つんだ”と思った事が日本サッカーの進歩の表れだろう。クロアチアとは8年前も同組になったが、その時本気でクロアチアに勝てると思ったサッカー常識者は何人いただろう?結果は引き分けた。プルソのPKを川口がストップした。多くのシュートチャンスをクロアチアは失敗してくれた。しかし、相手を崩しての最大の決定機を作ったのは日本だった。あの柳沢のシュートミスのシーンだ。そして先にガス欠を起こしたのはクロアチアだった。試合内容はややクロアチアが押していたが、この試合を引き分けれられた事こそ日本サッカーの進歩の証拠だ。だが運動量を誇る日本がどちらかをナイトゲームで行えればと無念に思う。最後のブラジル戦。玉田の先制ゴールはこれまで日本サッカー界の積み重ねの結果だ。
ZICO采配
すっかり“戦犯”扱いされている ZICO 前監督。色々批判を浴びせられているが彼にも言い分があるだろう。
基礎体力の向上
そんなこと最初から判っていただろう?と多くの人が吐き捨てるが、朝日新聞に掲載されていた彼の言い分はこうだ。“私はもう50歳を越えているが、代表戦選手の中で私の体をぶつけてボールを取れた選手が何人いたか?” これはトルシエ前々監督も言っていた。世界のトップクラスが 300m走とクーパー走はどれぐらいの数字を残すのだろう?ちなみに私は現役時代クーパー走は 4200m 近く走った。(サッカー選手じゃなくて陸上選手だったからね。)
意識の違い
これは最も的を得ているのではないか?“セレソンの選手はワールドカップは優勝するものと考えているがまだ日本の選手はアジア地区予選を突破した事で満足をしている。” これは歴史が作るものだと思う。今後、アジア地区予選突破を重ねることによってその意識も替えられると思う。
私は全面的に彼を擁護しているのではない。ZICOはブラジルの様に選手たちの個の能力に試合結果を求めたのだろう。まだ日本はそこまで中田英寿の様にワールドカップを戦うだけの“個の能力”を備えた選手は少なかったのだろう。具体的な自分の戦術を持たない彼にワールドカップを託した協会に責任もあるかもしれない。だが良き指導者の指揮が無ければ世界で勝てないというのも少し寂しい気がするなぁ。
もし私が現地にまでワールドカップを観戦しに行かなければ川口がPKを止めたシーン以外は“なんだこんな大会”と思い出したくも無い大会になっていたのかもしれない。しかし日本がワールドカップを遠くから見ていた時代から、ワールドカップと言えばバレーボールと言われた時代からサッカーのワールドカップを観て来たのでまだ日本がワールドカップに出てくる事に幸せを感じる。今大会で日本が世界サッカー界での位置づけが判った人も多いだろう。そして4年後に向けて今度はイビチャ・オシム新監督が“救世主”として崇められているが私はそれには懐疑的だ。就任後の会見で“今の日本サッカーは故障した車を手押ししている。”例えたが果たしてそうであろうか?1990年ワールドカップのユーゴスラビアを実際に見た人がどれだけいるだろうか?ストイコビッチをはじめサビチェビチ、プロシネツキ、カタネッチ、プロシネツキ。これだけのメンバーがいた。それでベスト8に導いたと言うかベスト8止まりだったと思うかはお任せする。(ボバンがいなかったからと言われそうか?) 平和な限りサッカーはこれからも続く。これからもワールドカップに出続けることを願うよ。
これは少しタフなグループであったと言えないか?過去の組み合わせは下記の通り。
2006 ブラジル クロアチア オーストラリア
2002 ベルギー ロシア チュニジア
1998 アルゼンチン クロアチア ジャマイカ
組み合わせが決まった時、決勝トーナメント進出は1998年大会より可能性有りと思った。だが他のアジア代表と比較すると少し“不公平な”組み合わせ?とも感じた。
韓国 フランス スイス トーゴ
イラン ポルトガル メキシコ アンゴラ
サウジアラビア スペイン ウクライナ チュニジア
全ての組にアフリカ代表が入り、それぞれから勝ち点を挙げている。今大会のアフリカ代表国はチュニジア以外全て初出場だがその中でも比較的実力が劣るのがアンゴラとトーゴ。オーストラリアの替わりに上記アフリカ3カ国が入っていれば結果はもう少し変わったかもしれない。前回2002年大会は地元開催なのでシード国。これは世界のトップ6と戦わなくて済むアドヴァンテージがあった。それだけ地元開催以外のワールドカップは厳しいものなのだ。だがクロアチアから勝ち点を挙げた事はもう少し評価されても良いと思う。クロアチアでは“日本から勝ち星を挙げられなかった為に1次リーグで敗退した”と言われているからだ。
そして更に“不公平”を感じたのが試合時間だ。ブラジルは全てがナイトゲーム。日本は炎天下で2試合を行った。オーストラリアもクロアチアも日本戦以外の2試合はナイトゲーム(ブラジル対オーストラリア戦は午後6時開始)。これはセレソンを欧州のゴールデンタイムで放映すると言うスポンサー絡みの試合時間決定のわりを日本だけが食った形になったが、競技場もカイザースラウテルン(対オーストラリア)ニュルンベルグ(対クロアチア)とフィールドが屋根で覆われておらずピッチ上に直射日光をもろに受ける会場。フランクフルトやミュンヘン、シュツッツガルトの様に屋根付の競技場であればとも思われる。私が現地入りしたのはオーストラリア戦の後の6月16日。とてもとても暑く、ニュルンベルグでのクロアチア戦をスタンドで観戦したが、2階席のひさしで直射日光は避けられたもがスタンドに居るだけでも暑くてたまらない。ピッチ上の気温など想像もつかぬものだっただろう。そんな事も知らずに“運動量が少なく、覇気が感じられない。気力が感じられない。”と言う人には一度そこに立ってみろ言いたくなる。
大会前のコンディショニング
大きな大会になればなるほど直前の微調整は非常に大切だ。ブラジルが準々決勝で敗退したのもこれがあるのではないか?練習のほとんどを有料で公開していた。これでは選手達は集中して大会前の調整練習に臨めたのだろうか? 日本の大誤算の一つは大会直前のドイツ戦での加地の故障だろう。高原も古傷を悪化させた。 結果論だが2-0 とリードした時点でサブの選手を投入し彼らの試験場としても良かったか。まさか ZICO 監督は“ドイツでドイツ代表を破った日本代表監督”の称号が欲しかったのではあるまい。田中真の離脱も痛かっただろう。それに後で新聞判った事だが、カイザースラウテルン入りした際、試合前日に宿泊したホテルにクーラー設備が付いておらず寝苦しさを訴える選手もいたとの事。この辺りは今後の改善課題だろう。 また中村俊輔、高原らのコンディションも今一だったらしい。中村は初めて欧州で通年のレギュラー出場を果たし疲弊し切ってのワールドカップ、逆に高原は所属先でのHSVでの出場機会が激減しコンディショニングにどうしても影響を与えたのだろう。同じことは稲本、小野そして柳沢にも言えたかもしれない。
監督の戦術そして用兵
全てを決めると言われた緒戦のオーストラリア戦。事実この試合の敗北が1次リーグ敗退を決めたが、試合は序盤から圧倒的に押される展開で川口のセーブが無ければいつ点を取られてもおかしくなかった。だがこのオーストラリアの猛攻もワントップ、ヴィドゥーカのポストプレー等に拠るもの。最初からもう少し対策は無かったか?幸運な先制点を挙げてからも劣勢は続いたが後半はオーストラリアの方がスタミナ切れを起こしていた。キューウェルなどはいつ下げられてもおかしくなかったが、ヒディンク監督がケーヒル、ケネディ、アロイージと攻撃の看板を増やし続けそれが功を奏した。だがその前に坪井が負傷退場し、加地、坪井の最終ラインが離脱したのが痛かった。これでヒディンク監督の攻撃的な交代策を容易にし、日本の交代が後手に回った。後日宮本が語っていたが“1-1 に追いつかれた時点でDF陣は勝ち点1を守ろうとするがFW陣はどうしても勝ちにいってしまう。”と前線と後衛での意思統一が図れなかった。だがオーストラリアも日本も引き分けでは1次リーグを突破出来ない。勝ちに行くのは間違いでも無いと思う。ただ逆転されてから大黒を投入するのならなぜもっと早く?とも思った。
クロアチア戦は“背水の陣”であったが、現地に乗り込んだ私は自然に”クロアチアに勝つんだ”と思った事が日本サッカーの進歩の表れだろう。クロアチアとは8年前も同組になったが、その時本気でクロアチアに勝てると思ったサッカー常識者は何人いただろう?結果は引き分けた。プルソのPKを川口がストップした。多くのシュートチャンスをクロアチアは失敗してくれた。しかし、相手を崩しての最大の決定機を作ったのは日本だった。あの柳沢のシュートミスのシーンだ。そして先にガス欠を起こしたのはクロアチアだった。試合内容はややクロアチアが押していたが、この試合を引き分けれられた事こそ日本サッカーの進歩の証拠だ。だが運動量を誇る日本がどちらかをナイトゲームで行えればと無念に思う。最後のブラジル戦。玉田の先制ゴールはこれまで日本サッカー界の積み重ねの結果だ。
ZICO采配
すっかり“戦犯”扱いされている ZICO 前監督。色々批判を浴びせられているが彼にも言い分があるだろう。
基礎体力の向上
そんなこと最初から判っていただろう?と多くの人が吐き捨てるが、朝日新聞に掲載されていた彼の言い分はこうだ。“私はもう50歳を越えているが、代表戦選手の中で私の体をぶつけてボールを取れた選手が何人いたか?” これはトルシエ前々監督も言っていた。世界のトップクラスが 300m走とクーパー走はどれぐらいの数字を残すのだろう?ちなみに私は現役時代クーパー走は 4200m 近く走った。(サッカー選手じゃなくて陸上選手だったからね。)
意識の違い
これは最も的を得ているのではないか?“セレソンの選手はワールドカップは優勝するものと考えているがまだ日本の選手はアジア地区予選を突破した事で満足をしている。” これは歴史が作るものだと思う。今後、アジア地区予選突破を重ねることによってその意識も替えられると思う。
私は全面的に彼を擁護しているのではない。ZICOはブラジルの様に選手たちの個の能力に試合結果を求めたのだろう。まだ日本はそこまで中田英寿の様にワールドカップを戦うだけの“個の能力”を備えた選手は少なかったのだろう。具体的な自分の戦術を持たない彼にワールドカップを託した協会に責任もあるかもしれない。だが良き指導者の指揮が無ければ世界で勝てないというのも少し寂しい気がするなぁ。
もし私が現地にまでワールドカップを観戦しに行かなければ川口がPKを止めたシーン以外は“なんだこんな大会”と思い出したくも無い大会になっていたのかもしれない。しかし日本がワールドカップを遠くから見ていた時代から、ワールドカップと言えばバレーボールと言われた時代からサッカーのワールドカップを観て来たのでまだ日本がワールドカップに出てくる事に幸せを感じる。今大会で日本が世界サッカー界での位置づけが判った人も多いだろう。そして4年後に向けて今度はイビチャ・オシム新監督が“救世主”として崇められているが私はそれには懐疑的だ。就任後の会見で“今の日本サッカーは故障した車を手押ししている。”例えたが果たしてそうであろうか?1990年ワールドカップのユーゴスラビアを実際に見た人がどれだけいるだろうか?ストイコビッチをはじめサビチェビチ、プロシネツキ、カタネッチ、プロシネツキ。これだけのメンバーがいた。それでベスト8に導いたと言うかベスト8止まりだったと思うかはお任せする。(ボバンがいなかったからと言われそうか?) 平和な限りサッカーはこれからも続く。これからもワールドカップに出続けることを願うよ。