Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

コップンカァ~ップ ダエイ

2007-11-30 | FIFA World Cup

                         11月25日。南アフリカの Durban で行われたワールドカップ予選抽選会。カタール、イラク、中国と揃った Group 1 に入る第一シード国のポットの中からイランの英雄 アリ=ダエイ が引いた国はオーストラリアだった。この模様をバンコックのホテルで FIFA のホームページを通じてみていた私は思わず 

“ありがとうってペルシャ語でなんて言うのだろう..”

と口走った。 1993年ドーハ、そして1997年ジョホールバルでのワールドカップ予選で日本相手にゴールを決めている最も警戒すべきFW が今回は日本の為に良い仕事をしてくれた。その時はバンコックにいたのでタイ語で御礼を申し上げようか….と真剣に思った。
翌日の Bangkok Post 紙には“日本と韓国は微笑んだであろう。しかしオーストラリアと中国は幸せな出来事未満である。”との出だしで記事が始まった。
“最もタフなグループの一つだが同時にこれらの対戦国の情報は充分にあるのでしっかりとした準備が出来るだろう。”と語るのは Socceroos のRob Baan コーチだ。 “イラクが最もタフな相手と予想されるだろうがイラクはホームゲームを自国で出来ない。それが我々にも有利に働く。しかし我々は袖をまくらねばならない。(準備に取り掛からねばならないと言う意味か??)”
昨年のワールドカップで日本戦でゴールを決めた John Aloisi は
“これはアジアの美しい眺めだ。我々はタフな試合に取り組もうとしている。もし我々が自信を持って臨まねばならない予選を通過すればそれはワールドカップに向けての良い準備となる。” 
10月20日にA League の Central Coast Mariners と契約をした Aloisi だけどワールドカップ開催中には34歳になっている。次回のワールドカップにも出場の意思を燃やしているのか?そしてもう一人日本戦に出場し今季から A-League の Queensland Roar でプレーをする Craig Moore は Socceroos のユニフォームに袖を通す野望がまだあるのだろうか?彼も大会期間中には34歳になる。欧州ベースの選手でチームを組むとホームゲームでの試合のコンディション調整が非常に厳しいだろう。欧州から豪州までは少なくとも14時間くらいかかるのではないか?それだけに A- League 選手の底上げが一つのカギとなると思う。しかしその前に早く次期監督を探さないと。
中国の 尉少輝中国協会代表チームマネージャーは 

“中国代表史上最悪の組み分け”

と言いながらも新華社通信を通じて発せられたコメントでは 
“死のグループと言う言葉は受け入れられない。人は中国が多くの困難に面しているとしか言わないだろうが、チームとしてはこれを動機付けとする事を信じている。” アジアカップではベスト8に残れなかった中国だが、地元開催の五輪チームとの融合はどうするのだろう?そんな余裕のあるグループでも無いか….

アジアカップのイラクの英雄 Nashat Akrami はアジアカップの成功は

“何の保証にもならない”

とコメント。 Akram はチームメイトの Youris Mohmoud とサウジアラビアの Yasser Al Qahtani ( 日本戦でもゴールを決めた)と共に今年にのAFC Year of the Player にリストアップされておりその式典に参加する為に Sydney 入りしているらしい。 Neither Akram と Mahmoudはアジアカップ後まだ母国に戻っていないらしい。アジアカップではオーストラリアを1次リーグで 3-1 で破り快進撃が始まった。そしてまたワールドカップ予選で相対する。 Akram は UAE  の Al Ain と年棒約 US$100万(約1億800万円)+出来高払いで契約した。 “アジアカップの優勝でワールドカップの出場が決まった訳では無いがこの優勝により各国が警戒をし始めているので我々を困難にするであろう。 予測については何も言えない。” 翌年のチームスケジュールはまだ決まっていないが国内組をベースにしたチームで臨むのだろうか?
Youris Mohmound はカタールリーグの Al Gharrafain でプレーをしており、
“カタールは最近急成長をしている。ホームでプレーをする彼らは非常にタフな相手でカタールが easy なチームとは決して思えない。”
とコメントしている。このワールドカップ予選も五輪チームの中から何人もA代表に昇格するのだろう。しかしアジアカップでイラクを優勝に導いたポルトガル人の Jorvan Vieria 氏は今はイラクを離れており後任をノルウェー人コーチだった Egil Olsen が引き継ぐものと考えられている。そして Vieria 氏は次の Socceroos の監督候補でもあるらしい。
つい先日まで行われていた五輪予選で Olyroos はイラクを抑えて北京行きを決めた。これで少し“リベンジ”を果たせたかもしれない。11月17日の五輪予選、オーストラリア対イラク戦の後にホテルを抜け出してオーストラリアの亡命を希望している元イラク五輪代表のこの3人の選手Ali Abbas 、Ali Mansur, Ali Khadher そしてSadi Toma アシスタントコーチの心境はどうなのだろう……

対オーストラリア戦の直接対決は下記の通り。

中国 オーストラリアの5勝2敗
今年3月アウェーでオーストラリアが 2-0 で勝利をおさめたがその中国戦は1986年以来21年ぶりの試合であった。

イラク オーストラリアの2勝1敗1分

その1敗が今年のアジアカップの1次リーグでのイラク戦。
参考までに今年の五輪予選では1勝1敗。

カタール A代表の対戦なし
U-20で1回、U-17で3回対戦している。最近では 1999年FIFA U-17 New Zealand 大会の準々決勝でオーストラリアが 1-0 で勝っている。

このグループは全ての4カ国に1位通過も最下位予選落ちも考えられる。もし日本がオーストラリアの替わりにこの組に入っていたらと思うとぞっとする。しかもオシム監督が倒れた後なので。
だが今回のシード国、オーストラリア、日本、韓国、サウジアラビアそしてイラン。代表監督が決まっている国どこだったっけ….. そしてマスコミが言う様に日本の入れられた Group 2 は easy なグループなのだろうか……..


England 後任人事は….

2007-11-29 | EURO Football

Steve McClaren looks down in despair during the 2-0 defeat in Croatia



11月22日の早朝。(欧州時刻では21日)バンコックのホテルで England vs Croatia の一戦をテレビで見る事に。星勘定を計算するとこの試合に England が勝点を挙げれば本大会出場となる。この試合も天気が悪そうだ。England は4日前に行われたウィーンでのオーストリア戦のスタメンから負傷した Michael Owen, 左サイドの Wayne Bridge そしてBeckham を外した。試合前 McClaren 監督は”ルーニーやオーウェンをはじめ、負傷や出場停止の選手も当日は Wembly に来てもらう。”と言っていた通りルーニー達が映し出される。

一方の既に本大会出場を決めているクロアチはワールドカップで、あの灼熱の Nurunberg  での日本戦に出場した Kranjcar や Srna, Simunic をはじめ7人の選手が England 戦でもスタメンを。テレビから懐かしい選手名がこぼれて来る。
新しくなった Wembly で得点を重ねるのは Croatia の方であった。8分には Niko Kranjar の強烈なミドルを GK Scott Carson がファンブルして先制を許す。 GK はこれまで Paul Robinson が使われてきたがアウェーでの Croatia 戦で痛恨の空振りを演じたせいか、彼に替って使われた Carson の痛いミスであった。15分には ダシルバのスルーパスを受けた Olic が抜け出し、最後は Carson を交わしえ無人のゴールに流し込んだ。 天候が悪いとは言え、これほどの劣勢を誰が予想できただろう?England はボールを前線に送りだすスピードは悪く簡単にクロアチアDF陣の網に容易に引っかかる。DF陣も ダシルバがボールを持てば誰も取れない。 Gerrad は明らかにこの状況に苛立ちを隠せない。こう言う時に決定的なスルーパスを出せるBeckham がいれば違うのだけど……..
そして後半開始から McClaren 監督は Beckham を入れて状況打開を講じる。その効果がでたのか56分には同点ゴールを Lampard がPK 出決め、65分には Beckham の右からのクロスから Crouch が決めて約10分で今度は England がゴールを挙げたしかし Wembly の観衆が沸いたのはここまで。77分に Petric が強烈なミドルをゴールに捩じ込みCroatia がまたリードを奪うと、もう England には同点にする力は残っていなかった。1983年デンマークを相手に最後はアラン=シモンセンのPKによって翌年フランスで開催される欧州選手権への出場権を失って以来の EURO 予選落ちとなった。
昨年のワールドカップ以来 England はどうしてしまったのだろう? 
Major Championships の地区予選落ちは1994年アメリカワールドカップ以来だが、事態はその時よりも深刻だろう。アメリカワールドカップの欧州からの出場枠は13カ国。今の欧州選手権は出場枠が拡がり予選を勝ち抜いた14カ国に出場権を与えられる、要するに出場枠が拡大された欧州選手権で予選突破出来なかったと言う事だ。
そして英国4協会が全滅したがそれもあのワールドカップアメリカ大会以来だ。

そしてこの Wembly での敗北は史上何番目の悲劇に相当するか??と地元紙では報道されている。あのマジックマジャールに敗れた 3-6 の試合を筆頭に1973年ワールドカップ西ドイツ大会の予選でポーランドと引き分け予選落ちの憂き目にあった試合。そして上述したデンマーク戦…….

翌日バンコック市内で BTS に乗車していると英語で話している老夫婦が。England がクロアチアに敗れた事を話している。思わず私も口をはんさんでしまった。御主人は私に “ McClaren “ と言って首を切るポーズをした。テレビは観たのか?と聞いたら観ていないらしく反対にどうだったか訊かれた。そしてベッカムをリードされた後半から投入したと言うと彼は“最初から使うべきだ。点を取られる前に取らないと…” てなことを話した。 地元紙には次期監督候補が連日報道されている。 Mourinho, O’Neill, Scolrri, Hiddink, Allardyce, Capello ….. 今季限りでバルセロナを退団すると噂されているライカールトそしてしまいにはクリンスマンの名前も出て来た。

この Group E の明暗を分けたのはどの試合だったのだろう?
この組の台風の目となったイスラエルと上位3カ国の対戦成績は下記の通りだった。(ホーム&アウェーは上位3カ国から見たもの)

クロアチア   A 4-3  H 1-0 勝点 6
イングランド A 0-0  H 3-0 勝点 4
ロシア         A 1-2  H 1-1 勝点 1

しかし直接対決だと下記の通り

クロアチア
vs ロシア H 0-0 A 0-0    vs イングランド H 2-0 A 3-2  勝点8

ロシア
vs クロアチア H 0-0  A 0-0  vs イングランド H 2-1 A 0-3  勝点3

イングランド
vs クロアチア H 2-3 A 0-2   vs ロシア H 3-0 A 1-2  勝点1

やはり当面の敵を倒さねば勝ち抜けないか......
 
25日に行われたワールドカップ予選の組み分け抽選会で England は アンドラ、白ロシア、ウクライナそしてクロアチアと同組の Group 6に入った。マスコミは早速欧州選手権予選のリベンジ….と言った報道で溢れているが恐らく当事者である FA はそれどころではないだろう。まずは監督人事から…..
しかしこの組で予選突破出来ない様ではもう欧州の列強とは言えないかもしれないなぁ…… 連日欧州サッカーのテレビ観戦のハシゴで昼間眠くてしょうがない…….

早く帰りたくなって来た………..
 

Back pages from a selection of national daily newspapers showing their reaction to England failing to qualify for Euro 2008

EURO 予選終了 あぁ 英国4協会….

2007-11-29 | EURO Football

11月17日。ある英国紙に下記の様な見出しが躍った。

NOW GET US TO THE FINALS ! ( さぁ今度は我々のファイナルだ。) 

イスラエルが終了間際のゴールでロシアを 2-1 で降し、 England が21日の最終戦、ホームでのクロアチア戦に勝利すれば来年開催される EURO 2008 への出場権を得るところまで生き返って来たのだ。10月17日 Moscow のLuzhniki Stadium で行われたロシア戦ではルーニーのゴールで先制しながら69分に ルーニーが Zyrianov を引き倒してPKを献上。これをPavlynchenko に決められ、4分後に Zhirkov のパスを受けた Bereztsuki がPAのすぐ外ゴール正面やや左側からミドルを放つ。一旦は GK Robinson が弾くもこぼれ球を詰めていた Pavlynchenko が押し込んで逆転。短時間内でゴールを重ねるのはヒディングマジックか?



この敗戦により ロシアが勝点21となり勝点23の England には及ばないものの、試合を2つ残しており、しかも対戦相手がイスラエルとアンドラと格下な事から England は最終戦のクロアチア戦で勝っても来年の EURO 出場は絶望的との予測が容易に立てられた。
それでもイスラエルは昨年10月7日、Moscow の Dynamo Stadium でロシアに 1-1で引き分けており、 McClaren 監督は“テルアビブでイスラエルに勝つ事は容易では無い。彼ら(イスラエル代表)のプライドに期待する”とのコメントを残した。 England は今年9月8日にウェンブリーでイスラエルを 3-0 で破っているが3月24日はテルアビブで 0-0 と引き分けている。
かつては AFC に所属し、1970年メキシコワールドカップそしてモントリオール五輪にアジア代表で出場しているイスラエル。もしイスラエルがそのままAFCに所属していればアジアの勢力図は大きく変わっていただろう。
大観衆を含んだテルアビブの Ramat Gan Stadiumの後押しを受けてイスラエルは開始10分 Barak Itzhaki の針穴を通すようなスルーパスが前線の Elyaniv Barba に通ると、そのまま持ち込んで放たれたショットはロシアGK Vladimir Gablov を破って先制ゴールを挙げた。 この先制点に England 中が沸いた事だろう。
しかし61分、ロシアは Kostantin Zylianov がゴール前中央、PAの直前でボールを受けると左の Andrei Arshavin にはたく。 Arshavin はされに左から走りこんで来たDiniyar Bilyaletdinov に送り、 Bilyaletdinov のショットはイスラエルゴールの右上隅に突き刺さり同点とする。だがこのまま終わってもロシアは勝点で England に届かない。ロシアも勝利が欲しいとことろであった。だがMcClaren 監督の言うプロフェッショナリズムを見せたのはイスラエル。 ロスタイムも2分が過ぎ、引き分けが濃厚となった時間に先制ゴールを挙げた Balba から絶妙のスルーパスがフリーのOmer Golan に通り、 Golan はそのまま持ち込んでシュート決めてイスラエルが土壇場でリードを奪い返した。



大騒ぎの Rmat Gan Stadium。その直後も右から上げられたクロスに Albarman がジャンピングボレーで合わせるがこれはGK Gabarov がファインセーブで追加点を阻んだ。そしてタイムアップ。 この試合でロシアは England に勝点で追い付けず、England は最終戦、ホームでのクロアチア戦で勝てば EURO2008 に進出出来る所まで生き返った。この試合を Watfold にある代表チームのホテルで家族と共に生中継のテレビ観戦をしていた McClaren 監督はイスラエルのプロフェッショナリズムを称賛すると共に、崖っぷちからの生還を喜ぶコメントが地元紙に躍った。そして試合終了10分前から洗面所にこもり試合を見られなかった事が新聞に掲載される。そして彼の息子の歓声が聞こえ、試合が終わったと思った事も。
共産主義国家の名にふさわしく?まだまだロシアのプロフェッショナリズムはイスラエルより経験は浅かったのか??
ロシアの最終戦はアウェーゲームとは言え弱小のアンドラ。誰が考えてもロシアが勝点3を稼ぐ事は容易な事。しかし England は最終戦のクロアチア戦で引き分けさえすれば予選通過が決まる。この状況を地元マスコミは2001年のワールドカップ予選のホームでのギリシア戦を引き合いに出す。最終戦、試合はロスタイムに入っても 1-2 とリードを許していたが、終了直前、あのベッカムのFKが直接ギリシアゴールに決まり、フィンランドと引き分けたドイツを抑えて本大会出場を決めたのだった。

終了間際 不可解な判定で….Scotland
しかし同日の英国紙には Scotland の EURO 敗退が決まった試合も報道された。 “ Last-gap agony as Scotland dream dies ( 最後の息絶えつつ Scotland の夢潰える ) “ 私がワールドカップに興味を持ちだした1970年代中頃、英国4協会と言えば西ドイツ、アルゼンチン両大会の欧州予選で消えた England よりも Scotland だった。しかしワールドカップでは1998年フランス大会以来、EURO では 1996年 England 大会以来、Scotland はメジャーな大会(といっても欧州選手権とワールドカップなんだけど)は地区予選で敗退している。今もしワールドカップで同じ組となっても日本はいい勝負をするのではないか?本当に隔世の思いだ。
今回の欧州選手権はワールドカップの優勝国イタリアと準優勝国フランスが同居する厳しいグループだったが2006年10月6日地元 Hampden Park に迎えたフランスを G.Caldwel のヘッドで1-0 で破るなど3連勝のスタート。その後ウクライナ、イタリアにアウェーで敗れたものの、9月12日 Parc des Princes で再びフランスを McFadden のゴールで1-0で葬る。フランス代表ドメネク監督の“ラグビーのワールドカップのおかげでピッチが荒れていた。”と言う言い訳にならない言い訳が虚しいパリをあとにし10月13日、今度はウクライナをホームの Hampden Park で破り勝点を24に伸ばし、イタリア(勝点23)フランス(勝点22)を抑えてトップをキープ。4日後、アウェーで Georgia を降せば久々の Major Championships が目前に迫ると事であった。しかしここでまさかの 0-2 の完敗。それでも最終戦のイタリアをホームで破れば EURO が決まるところであった。
11月17日。雨の中のHanmpden Park に立ったアズーリ達はスタメン11人中ワールドカップ決勝戦のスタメンだったのは約半分の6人。もう1年5カ月前なのか。まだ1年5カ月前何のなのか….. 雨の中試合は開始直後、イタリアの Luca Toni が先制ゴールを決める。 Zambrotta のスローインをPA内で受けた Di Natale が そのまま低い弾道で入れたクロスにフォーレンチーナの Toni が合わせたもの。しかし Di Natale のクロスも見事に Scotland DF陣の間を抜けて行った。



しかし気を取り直して Scotland は勝利を目指す。Hutton のヘッドは数センチ外れ、 Di Natale のゴールインはオフサイドの判定に救われた。そして前半終了直前のDavid Weir のシュートはGK Buffon を破ったがゴール前に戻った Pirlo がヘッドでクリアー。そして65分 50,301 人の殆どを占める大観衆が怒涛の歓声を上げる。 Hutton の粘りからFKを得て、McFadden の入れたボールを McClloch がシュート。 GK Buffon が弾いたがそのこぼれ球を詰めていた Barry Fergason が押し込んで同点ゴールが生まれた。 Fergason はよくオフサイドにならないポジションを確保した。



その後交替出場の Kenney Miller が入れたクロスに McFadden が合わせる絶好のチャンスが、そして誰もが逆転ゴールと思ったシュートはゴールネットを揺らせられなかった。そしてロスタイムに入った91分、もう引き分けかと思われたその時 Scotland 中が悲劇で覆われる。それまでMVP級の活躍を見せていたAlan Hutton が Giorgio Chiellini に倒された様に見えたがスペイン人の Gonzalez 主審はイタリアに FKを与える。そしてPirlo が入れたFKに Panucci がヘッドで合わせイタリアが追加点を奪い勝負を決めてしまった。

Alan Hutton disputes the foul that led to Italy's winner 

そしてこの試合で全日程を終了した Scotland の勝点は24 のままでイタリア勝点26, フランス勝点25で両国を下回り、またも涙をのむことになった。
試合後 Scotland McLeish 監督は“審判の事で問題は起こしたくは無い。”と前置きした後で“ Hutton が倒されているのになぜイタリアにFKが与えられるのか?”と怒りは隠せない様だ。そして“我々が寒さに耐えている試合開始直後にイタリアは見事な立ち上がりを見せた。しかし我々は今夜やるだけの事はやったつもりだった。それは壮大な努力とファン達の支持だった。そして今日の選手達はこの日のパフォーマンスから多くの感動を与えた。そして我々は多くの事を学んだ。”とのコメントを残した。8日後南アフリカ Durban で行われたワールドカップ予選組分けで Scotland は Group 9 にオランダ、ノルウェー、アイスランド、マケドニアと共に組み入れられた。欧州の神がもう一度 Scotland にチャンスを与えたのだろうか?
だが11月28日の英国紙でScotland 代表監督の座を続投が確実と言われていた McLeish 氏が Birmingham City との契約に合意し代表監督を辞任すると発表した報道が。2年後南アフリカでタータンチェックの Scotland サポーターを何人見られるのだろうか??? 

英国紙 International Express の採点は下記の通り。

Scotland: Gordon, Hutton 6, Weir, McManus 6, Naysmith 6 , Brown 6 (Miller 74, 6 ), Fletcher 6 , Hartley 6, Ferguson 7, McCulloch 6 (Boyd 90), McFadden 7 . Subs Not Used: McGregor, Alexander, Caldwell, Pearson, Robson.

Italy: Buffon 6, Panucci 6, Cannavaro, Barzagli 7, Zambrotta 7, Camoranesi 6 (Chiellini 83), Gattuso 8 (De Rossi 87), Pirlo 7, Ambrosini 6, Di Natale 7 (Iaquinta 68, 6), Toni 7 . Subs Not Used: Amelia, Oddo, Perrotta, Gilardino.

21日 もし England がクロアチアに敗れてしまえば来年のEUROは英国勢が全滅となってしまう….. 続く


バンコクにて 吉報 五輪出場決定 やれやれ....

2007-11-22 | 五輪 U-20, U-17
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11月17日。ハノイの My Dihn Stadium に入りパンとコーラを買って試合前の腹ごしらえをしようとテーブルに座るとそこには若い白人男性の二人連れが。一人はヴェトナム代表の赤いユニフォームを着ている。訊けば二人は英国人でバックパッカー。 偶然にこの試合が行われる事を知ってここに来たそうだ。ヴェトナム代表のレプリカ(と言ってもUS$2.00 で買ったコピー商品らしいけど)を着ていたお兄ちゃんはBlackburn Rovers そしてもう一人は Arsenal のサポーターとの事。しばし Premiership の話題に花が咲く。特に Arsenal サポのお兄ちゃんは今シーズンの好調ぶりに機嫌が良い。Rovers サポの方も今シーズンは開幕から上位につけているので来季の UEFA Champions League 出場を期待しているとの事。実現したらシアラーらを擁して Premiership のタイトルを勝ち取った 1994-95 シーズンの翌年以来では無いか…てな具合にどんどん話題が進む。英国人にとってはアジアでの五輪予選の熱狂ぶりはいまひとつピンとこない様だ。この試合もフル代表のゲームと思っていたらしく この日の日本代表に中村俊輔が入っていない事を少しがっかりしていた。しかし今年開催されたアジアカップでイラクが優勝した事は知っていた。彼らのもう一つの関心は17日と21日に欧州でも開催される欧州選手権の予選。 Rovers のお兄ちゃんの方は母親が Scotland 系なので久々に Scotland がメジャーな大会に出られそうだと言っていた。だが前節は Georgia 共和国にまさかの 0-3 での敗退。フランスにホーム&アウェーで勝っていながら何故 Georgia に敗れるのか??ってな話も。 (そしてイタリアに敗れてその夢も潰えた。)そして England のことも.....
そんな話をしていると時間が過ぎ共に着席に向かう事になったが彼らからは最後まで五輪の話は出なかった。 欧州人にとって五輪サッカーとはそんなものだろう。既に北京五輪予選にあたるU-21欧州選手権は終わっており上位4カ国に与えられる出場権もオランダ、ベルギー、セルビア、イタリアの4カ国が得ている。本当は England が4位であったが England としては出場権が無いのでポルトガルをPK戦で降し5位になったイタリアに出場権が与えられた。しかしこのU-21欧州選手権もエントリーしたのが先述の6カ国にイスラエルとチェコを合わせた8カ国のみ。欧州にしては寂しい限りか?国威掲揚の為に五輪出場権を旧共産圏諸国が競っていた時代がレベルが高かったかも知れない。

南米や欧州の様に所属クラブで地域レベルのハイレベルな争いが無いアジアでは五輪予選は大切な大会だ。昔、“アジア諸国の中では、殆どの競技種目はアジア大会に焦点を置くがサッカーは五輪を目指している国が多い”と著名な解説者が語っていた。いよいよ大詰めに入ったアジア地区予選。他の地域ではどうだったのだろう?

Group A
Australia が Sydney FC のMF Mark=Milligan のゴールで北朝鮮と引き分け五輪出場を決めた。 17日に Gosford の Central Coast Mariners の Bluetong Stadium で行われたイラクとの一戦を Adrian= Leijer, Mark=Milligan の2ゴールでものにした豪州五輪チ-ム, Olyroos は21日、平壌で行われた北朝鮮戦では引き分けで五輪出場が決まり所であった。北朝鮮とは9月の Newcastle の試合では 1-0 で降しているがこの試合での得点者も Mark=Milligan 。五輪予選では常に重要なゴールを決めて来た Milligan がここでも貴重な同点ゴールを決めてソウル五輪以来6大会連続の出場を決めた。イラクとの激戦を制した翌18日、Olyroos 一行は北京に向けて出発。同地で二日間滞在し北朝鮮対策を講じた後試合前日の20日に現地入りしたとの事。その北朝鮮対策とは金日成競技場の人工芝ピッチと平壌の寒さ。何しろ南半球はこれから夏を迎える上に人工芝の上でプレーをした選手は何名いたのだろう? Olyroos のスタメンは Arnold 監督が試合前日に語った通りイラク戦と同じスタメン。しかし試合は開始10分にロビングボールを上手くトラップした Pak Chol Min がGK Vukovic の頭上を越すゴールで北朝鮮が先制。 Pak Chol Min は9月の Newcastle でのオーストラリア戦には出場していない選手だった。 Olyroos が先制点を喫したのは五輪最終予選では初めて。北朝鮮はPal Chol Min の先制ゴール後も何度かチャンスを掴んだが追加点を挙げられず、70分に Kristian=Sarkies のFKに Mark=Milligan がヘッドで合わせた弾道がループ気味に北朝鮮ゴールに飛び込み同点。そのまま気温5度そして前日の豪雪により部分的に凍結した人工芝のピッチに悩ませられながらも引き分けに持ち込み五輪出場を決めた。ただ Milligan のシュートがゴールネットに吸い込まれる前にゴール前に詰めた Adrian=Leijer の手がボールに触れたように見え、北朝鮮の選手達もハンドをアピールしたがシリア人の Muhsen 主審はゴールを認めた。もしハンドを取られていたらどうなっていただろう…… この試合のダイジェストを私は今いるバンコックで ESPN の Football Asia の番組で観る事が出来た。 Olyroos はこの五輪予選8カ国相手に14試合無敗で日程を終了。見事に“アジア代表”として五輪出場を決めた。

Hero .. Mark Milligan scored the all-important equaliser.


Group B
韓国が安山で行われた最終戦のバーレーン戦を引き分け6大会連続の出場を決めた。17日、タシュケントで行われたウズベキスタン戦を 0-0 で引き分けたが同日バーレーンがマナマにシリアを迎えたホームゲームを 1-1 で引き分けてしまい、韓国はバーレーンとのホームでの最終戦を引き分けても五輪出場を決められた。 
この予選突破に朴成華監督の胸中はどうなのだろう。1980年マレーシアで行われたモスクワ五輪予選。下馬評では圧倒的な予選突破の本命とされながらマレーシアに敗れて出場権を逃した苦い思い出がある。(結局マレーシアも西側諸国に同調しモスクワ五輪をボイコット)現役選手時代、随分日本を苦しめてくれたが五輪、ワールドカップ予選は突破出来ず、指導者になってからはUAE で開催された2003年のFIFA U-20 の決勝トーナメント1回戦で日本に敗れるなどそれほど良い思いはなかっただろう。それだけに、今回の五輪出場には喜びもひとしおだろう。しかし韓国は最終予選3連勝のあと3試合連続のスコアレスドロー。朴成華監督も喜びに浸ってばかりはいられないだろう。

 

Group C
日本がサウジアラビアと引き分けた吉報を受けたのはこちらで代理店の方との食事中。二人でシンハビールで乾杯をした。ホテルに帰ってから ESPN で試合のダイジェストを観た。開始9分のユーセフのシュートをGK西川が弾きそのこぼれ球を詰めて来たアルゴワイニムに撃たれた絶対絶命のシュートを青山敏弘がブロックしたシーンを見た時は結果が判ってたとは言え背筋が凍りそうだった。

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その後は李忠成、細貝そして岡崎が決定的なチャンスをものに出来なかったシーンが続き、

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最後はフェースガードをした水本の感涙を流すシーンが映し出された。

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最終戦を勝利で飾れなかったが無事に予選を突破してくれて本当に良かったと思った。なにしろ28年間も五輪予選で敗れ続けたのを見て来たから。
これで五輪チームも一回りも2回りも強くなってくれただろう。そしてこれから北京五輪までの260日間で更に成長してくれる事を願っている。

それにしても今回の五輪予選で中近東、西アジア勢は全滅であった。1984年のロス五輪はイラク、カタール、サウジアラビアと中近東、西アジア勢で独占されて以来、今回からオーストラリアのAFC加盟もあったが、これまで考えられなかった事だ。

イラクフットボール協会は20日、3人の選手の海外移籍を認めない方針を発表した。この3人の選手は17日のオーストラリア戦の1時間後にホテルを抜け出し、大使館の庇護を求めた、要するに亡命を企てているとの事。その3選手の中には今年のアジアカップ優勝メンバーでもあった Ali Abbas が含まれており、他には Ali Mansur, Ali Khadher がおり、そしてSadi Toma アシスタントコーチの姿もないとの事。 Ahmed Abbas 協会事務局長は“ FIFA に3選手の移籍許可を発行しない様に求めた。この許可書が無いと海外へ移籍が出来ないらしい。 ロイター通信の電話インタビューで Abbas 氏は”3人が帰国して今の所属チームとの契約を履行し終えるまで許可証の発行を認めない。“と語ったらしい。また Kevin Andrews 豪州移民省大臣のスポークスウーマンは選手達と Toma コーチは3か月の豪州滞在ヴィザを持っていると語っており、 Toma はイラクチームの関係者に“自分はここに亡命しているイラク人で構成されたアマチュアクラブのコーチを務め、他の3選手もここに亡命を希望していると語ったとされている。オーストラリアの北朝鮮戦の結果いかんではまだ五輪への可能性も残されていたのにその前に選手達が亡命するとは……. でも彼らの気持は充分に理解できる。何しろイラクでは今年将来の五輪候補であるジュニア世代のアスリート達が約20人が合宿に向かう時にさらわれて全員が死体で発見されたらしいから。

改めて平和の有難さを感じるよ…. 明日からはマレーシアだ。 

 
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バンコックにてロンドン世代発進 !!

2007-11-21 | 五輪 U-20, U-17

五輪チームが北京行きに大きく1歩前進した地、ハノイからヴェトナム航空機でやく2時間弱。予定より10分程遅れてバンコックの Suvarnabh 空港に到着した。前に来たのはアジアカップ期間中の7月でジャカルタからのバンコック入り。今回はハノイから。ヴェトナム訪問は今回が初めてでインドネシアも数回足を運んだだけなので8年間に渡って何度も来ているバンコックは空港に到着した時から“ホームゲーム”に向かうような感覚だ。最近は世界中からこの地を目指す観光客が爆発的に増えているのでパスポートコントロールでの待ち時間が長くなった。ようやく入国スタンプを押して貰い現地通貨に両替をと思うも受付のお姉さんに “ ドン!ノー !、タイランド、ドン!ノー!“と言われてしまった。アララ知らなかった、Vietnam Don がここでは両替できないのか?まだ日本円で数千円分残っていたのだけど。次のマレーシアで替えられるかなぁ…...

ホテルにチェックインをしてから AFC U-19 予選の行われている Thai Japanese Stadium に向かおうとするが一抹の不安が。タクシーの運転手が解るかな?? ホテルの受付のお姉さんにタイ語で行き先を書いてもらおうと頼んだが、彼女がこの競技場を全く知らない上に英語も少し怪しいので全く通じなかった。しかしホテルの前にいたタクシーの運転手はすぐにわかってくれた。訊けば彼もサッカーが好きでアジアカップは観にいったらしい。競技場は繁華街のスックンビットから約20分程度のところ。日曜日のせいか幸運にも交通渋滞には捕まらなかった。
なぜ Thai-Japanese Stadium と言うのだろう? 日本が資金援助をしたのかな?もしそうだとしたらさすがタイと褒めてあげたい。中国政府なんてあれだけ日本にたかっていながら何一つ“日本の援助で”とは国民に教えない。ある時中国人に言われた。“日本は中国を侵略したのに戦後補償は何もしていない。インドネシアやフィリピンには資金援助しているのに。” “はい。おめでとう。貴方のとこの最近完成した空港は日本の援助なしでは建てられなかったのですよ。他にも沢山あるよ。” 彼の信じられないと言った硬直した表情が印象的だった。

競技場はあまり大規模でなく競技場の外ではジョギングをする人やバドミントンそして遊んでいる子供達も。50バーツの入場券を購入して中に入る、西ヶ丘競技場に陸上競技場のトラックが付いているって感じ。試合は既に始まっている。熱心に太鼓を叩いて応援するサポーター達も。ハノイから今朝入って来たのかな?在留邦人らしき人々も。この予選では既に日タイ両国共に来年サウジアラビアで開催されるアジアユース(U-19 )選手権への進出を決めているが両国共に勝利を目指しての一戦と期待をしていた。着席した時は既に試合が始まっていた。両チームのフォーメーションは…とピッチ上を目で追っているとタイのカウンター攻撃が始まり最後は14番の Jaroensuk が左サイドからドリブルシュートを決めてタイが先制点を挙げた。開始11分の事であった。タイの2トップは10番のK.Thawikan と24番の S.Ramkularbsk 。Ramkularbsk は長身で彼がボールを持つと2人、3人掛でなければ容易に止められない。 14分には左サイドを先制ゴールの Jaroensuk に突破され入れられたクロスをK.Thawikan に押し込まれ追加点を喫する。 GK 権田修一も一旦は手に当てたのだが弾き出す事が出来なかった。



地元サポーターからは歓声と拍手が。しかし日本のサポーターも声援を送り選手達を鼓舞する。日本のスタメンはGK権田修一(FC東京)DFは4バックで左サイドが中田健太郎(名古屋U-18) CB が鈴木大輔(星稜)須崎恭平(磐田Y)右サイドバックが金井貢史(横浜FM Y )。ボランチには山本康祐(磐田 Y ) と金崎夢生(大分)。2列目左が鈴木惇(福岡U-18 ) 右が 比嘉厚平(柏U-18 ) そして2トップが白谷建人( 国見 ) と宮澤裕樹(室蘭大谷 ) 。立ち上がりのタイの攻勢に気圧されているのを見ると日本代表とは言え彼らは19歳以下で高校生が多く、現地入りして10日以上が経っているので子を持つ親の立場としては“現地で飯はきちんと食えているか?替わった気候で体調は崩していないか?洗濯はどうしているのか?”などと心配をしてしまう。 
タイの出だしが良いので日本はボールがつながらずなかなかタイゴールに迫れない。FKのチャンスも壁に当たってしまう。一方でJaroensuk, Thawikan そしてSrichaloung らに右サイドを崩されてピンチを招く。



25分には長身の Ramkularbsuk が強烈なミドルを放ち、その直後には Jaroensuk の左からのクロスから Ramkularbsuk がゴールを狙うがマークに入った鈴木を倒したとホイッスルが鳴り助かる。29分には Srichaloung に左サイド突破を許し、須崎がマークに入るがゴール前のシュート気味のクロスは鈴木の足に当たって正面でフリーの Ramkularbuk に。危ない!!と思わず立ち上がるが、金井が身を挺して Ramkularbuk のシュートコースに入ってブロック。3点目が先に入ってしまえば本当に苦しくなるだけに金井のナイスブロックであった。
劣勢の日本は37分にようやく宮澤が右サイドをドリブルで上がってクロスを入れるが中にいた白谷の前でクリアーされる。そしてそこからカウンターをくらい Srichaloung にシュートまで持ち込まれるがゴールには至らなかった。何とか現状を打開したい日本は37分に宮澤が Kaewsookate に倒されてPAの右側でFKを得る。鈴木惇がファーサイドに上げたFKを金井がダイビングヘッドでタイゴールを割り1点を返した。



相手の攻勢を凌いぎ追加点を決められる前に得点を挙げたのでこれから同点、逆点が期待されそうな展開となった。40分にはその右サイドバックの金井が逆サイドの金崎に大きく振り、金崎はクロスを入れるが僅かに宮澤には届かない。金崎が左サイドによって鈴木惇が中に入って来た。
しばし攻撃の手が緩んでいたタイだが、41分には Ramkularbsuk から Srichalong に渡りチャンスとなりかけるがマークに入った須崎を倒してファール。42分には日本ゴール前で Thawikan が倒されるがノ-ファール。そいてロスタイムに入った46分には比嘉がJaroensuk にタイゴール前で倒されたがこれもPKにはならずに前半が終わった。立ちあがり、タイは攻勢を見せたが同じ選手で攻撃を形成していたでの日本ベンチもそれに対する指示がハーフタイム中に出されるであろう。

ロスタイム中にすぐ後ろに座っていた人と話す。訊けばバンコックの日本人学校の先生とか。私が持参していた専門誌を見せてあげると喜んでくれた。福岡出身との事でアビスパのサポーターらしい。今シーズンは昇格出来なかったけど福岡は若手選手の育成に力を入れているのでよしとしているとの事だった。横断幕も福岡のサポーターらしき人が掲げたものがあった。前半途中から増えて来た在留邦人の少年達の為にもこの試合を勝利で終わってほしい、と節に思った。



そしてこの試合のメンバーリストを求めて競技場内をうろつく。タイ人報道関係者らしき人がメンバーリストを持っていたので英語で書き写させてほしいと頼むと彼は2枚持っているのでと、気前よくリストをくれた。これは助かり有難かった。英語が話せたのでしばしサッカー談議を。先日 Manchester City とタイの3選手が契約した事を話すと“あれは選挙の為だ。”と。12月に選挙があるのだがタクシン前首相がいた政党の人気取りのためだ、と冷ややかに思う人が多いらしい。彼も日本のサッカーは素晴らしいと言ってくれたけど..

後半に入っても両チームメンバー交代は無かった。開始20秒。Srichaloung が右サイドを突破してシュートを放つがGK権田がパンチングで弾き出す。タイ側席に移って来て分かったのだが、熱心に声援を送るのは女の子達だった。羨ましいなぁ…



51分には Srichaliong が鈴木大輔を交わして日本ゴールに迫る。女の子達の声援が飛ぶ、そしてPA内で倒されたがノーホイッスル。彼女達が一斉に立ち上がってなにか審判に叫んでいた。53分に左サイドから何度から突破して来た Jaroensuk が下がってDF登録のSrisaiが投入され、右サイドバックに入った。これは左サイドに回って来た金崎への対策か?しかし金崎が左サイドに入ってから日本のチャンスが増えだしたのだ。その金崎は56分に Madputeh を交わしてゴール前に迫ったところをCB の Cumsokcheak に倒されてFKを得る。そのFKから金崎が飛び込むがGK Cunnigham がブロック。おしいチャンスだったが63分、金井のスルーパスが宮澤に通り、更に鈴木惇へ。鈴木惇はやや距離があったがそのまま放ったシュートがタイゴールネットを揺らし、同点ゴールが生まれた。この右からの崩しは見事だった。



“アウェー”で2点のビハインドを追い付くあたりは日本サッカーの成長の証明だろう。残り時間はまだ30分弱。引き分けでも1位通過だけど、来年のアジアユースを勝ち抜いて再来年のFIFA U-20を考えればやはり逆転勝利は収めてほしいところだ。それはタイも同じだろう。特にホームであるので。
66分には CB Kaewsookate が強烈なミドルを放つ。最近では東南アジアの選手のシュートレンジも長くなって来た。そして周囲が暗くなって来たので照明に明かりが灯り出した。タイはボールキープの出来る Thawikan にボールを集める様になる。日本は70分宮澤に替えて福岡大の永井建祐が投入される。がんばれ大学生。そう言えばこの試合には出ていないがGKの松本拓也も順天堂大学生だ。バンコックに来てお金足りているかな???
タイベンチも72分。運動量の落ちた巨漢FW Ramkularsuk を下げて Namuengrak を投入し Srichaloung と2トップを組む。11月のタイは4月の地獄の様な高温多湿では無く過ごしやすいほうだがそれでもピッチの選手達の消耗も止められない。試合が中断するたびに水分補給にいそしむ選手が少なくない。 77分にはタイの2トップ Namuengrak とSrichaloung で左サイドを突破してくるが金井、須崎が踏ん張る。女の子達は“ Thailand !! Thailand !! “ の大声援を送る。日本のサポーター達も負けていない。金崎が下がって山崎亮平(磐田)が投入される。しかし、その直前に比嘉が相手選手のチャージにあって立てない。牧内監督も山崎に一旦下がる様に命じるが、結局最初の届出通りに金崎が下がり山崎が入った。その直後に水沼がピッチサイドに出て来る。水沼と言えば私はむしろユース、日本代表で活躍した彼の父親の方を思い出す。もし彼が FIFA U-20 でゴールを決めるような事になれば親子2代に渡っての得点者となる。あぁなんて親孝行なのだろう…. その前に私がもっと家族の事を考えないとなぁ…. メンバー表をくれた地元の記者に、“あの28番の父親は有名で日本代表でもプレーをした。20年前には日本代表メンバーとしてバンコックに来てタイ代表と五輪予選の試合に出場した。その試合は 0-0 だったけど、後日東京で行われたタイ戦でゴールを決めた。”と教えてあげたら頷きながら何かメモっていたけど活字になったかな?
その水沼が痛んだ比嘉に替ってピッチにはいる。時間が少なくなり、どちらも負けて失うものは何もないので勝利を目指してプレーが激しくなる。87分 Thanwikan が鈴木大輔を振り切りシュートに持ち込むが枠を捉えられない。ロスタイムの表示が4分と出る。まだまだ両チームにチャンスはある。91分には途中出場の Namueangrak が下がってDF登録のSompittayanurak が投入される。
時間が過ぎ、このまま引き分けかと思われた93分にドラマが起こった。右サイドで水沼からボールを受けた永井が中にクロスを入れる。そのまま逆サイドに流れたところには山崎がおり、山崎が持ち込んで放ったシュートはタイゴールに突き刺さりこの試合日本が初めてリードを奪った。
狂喜するピッチの選手達。そして観客席の日本人達。しかしタイの選手達は諦めてはいない様に見えた。すぐにボールをセットしキックオフに備える。そのリスタート後にFKを得るがそれを巡って日本選手と小競り合いを。日本ゴール前に一旦は迫るがそこでタイムアップ。観客席では在留邦人を始め、日本人が勝利の拍手を送るが、ピッチ上では文字通り激しい乱闘が始まった。



日本が逆転ゴールを決めた時にすでにブチ切れていたのだろう。GK権田が頭を叩かれたりしたらしい。 しかし選手達が自軍ベンチ前に戻って来るとそこで歓喜の輪が広がり、スタンドからは再び大きな拍手が彼らに送られる。

“アウェーゲーム”で2点のビハインドを引っくり返した事は今後の自信に繋がるだろう。しかし来年のアジアユースではタイよりも強い相手と戦わねばならない。彼らが更にレベルアップし、5年後のロンドン五輪にも出場してくれる事を祈っている。
帰りにメンバー表をくれた記者と握手をして別れ、タイサポーターの女の子達に声をかける。最後の乱闘を表現すると彼女達は “ムエタイ!タイボクシング!!”と言ってファイティングポーズを取った。ポンサクレックを破ったのは日本の内藤だぞ、とタイ語が話せれば言い返したのだけど…..




この試合は著名なサポーターやジャーナリストも観戦していたらしい。あぁ、良く見てあいさつしとけば良かったなぁ..

そして私は競技場の外に小走りで出た。タクシーがすぐに拾えることを祈りながら……


日本快勝。五輪に王手.... vs ヴェトナム戦 後半

2007-11-20 | 五輪 U-20, U-17

21日の最終戦と言うよりも数時間後に試合を行うサウジアラビア、カタールにプレッシャーをかける意味でもあと何得点入れても多すぎはしない。前半の展開から後半は大いに期待できそう…であった…
しかし立ちあがりからゴール前に迫るのは赤いユニフォームのヴェトナム。開始早々に水野のクロスに岡崎が飛び込むチャンスがあったが(結局岡崎のファール)、以降はヴェトナムの攻撃シーンが続く。48分にはLe Cong Vinhが左から入れたクロスにPhan Thanh Binhが狙うがヘッドが合わない。その直後にもLe Cong Vinhがまた左サイドを突破し入れたクロスはPhan Thanh Binhの頭上を越すがそとから走り込んだフリーのNguyen Vu Phongがそれを空振り。56分には本田圭祐がDoan Viet Cong を倒してFKを与え、そのFKから Doan Viet Cong がクロスをゴール前に上げるとLe Cong Vinhがヘッド。しかしこれは西川のファインセーブに阻まれる。59分にはLe Cong Vinh が、61分にはVo Nhuat Than がそれぞれ強烈なミドルを放つ。前半は静かに終わったヴェトナムサポーター達が俄然活気着いて来た。
後半のヴェトナムはLe Cong Vinh、Phan Thanh Binhの2トップそしてサイドのポジションの選手がワイドに開く様になり、空いた所に後列から味方がどんどん上がって来るので前線に人が増えて日本を防戦に追いこむ。64分には Nguyen Vu Phong が下がり Chau Phong Hoa が入る。 Nguyen Vu Phong は怪我が回復しなかったのか?それとも SEA Games に向けて温存か? Chau Phong Hoa が右のサイドバックに入り、Doang Viet Cuong が前に出て来て2列目の右にそしてPhan Thanh Binhのワントップにし、左にLe Cong Vinh、 最中にVo Duy Nam を置く布陣に替えて来た。65分には右から Phong Cong Minh が低い弾道のライナーのクロスを入れ Doang Viet Cong がゴールを狙うがコーナーに。



ここで失点するとヴェトナムも調子付いてしまうのでしっかりと凌いでほしい..と思う68分。リードル監督は何故かLe Cong Vinhを下げてNguyen Minh Chuyenを投入する。Le Cong Vinhは間違いなく ASEAN 地域で今 Number 1 のFWに違いない。そして今後日本と対戦する事があったら更に厄介な選手になるだろう。Le Cong Vinhの交替は SEA Games の為の温存か??膝の故障があったNguyen Minh Chuyen は8月の日本戦以来の五輪予選出場だ。
その直後日本ベンチは伊野波を下げて梅崎を入れる。この五輪予選初登場だ。Le Cong Vinhを下げてPhan Thanh BinhとNguyen Minh Chuyen の2トップに戻したせいか、中盤で梅崎が効いたのかヴェトナムの攻勢はぱったり止まってしまった。 74分には梅崎が放った強烈なミドルがポストを直撃する、そのこぼれ球を完全にフリーな岡崎がコントロールするもヴェトナムDF陣が必死に守ってゴールを割らしてくれない。完全に1点ものだったのだけど…..多くの日本人サポが立ちあがったが落胆の着席を…すると地元サポーター達から歓声が上がる。
75分には青山敏弘に入って細貝が入る。そしてヴェトナムは中盤の Vo Duy Nam を下げて FW のNguyen Anh Duc ( グェン・アン・ドク) を入れて右の前線に張らせる。 Nguyen Anh Duc は8月の日本戦のスタメン選手だった。日本は3人目の交替選手興梠が投入された。平山の登場はこれで無くなったなぁ……. 85分にはNguyen Anh Duc の突破を青山直晃がファールで止めてFKを。Nguyen Anh Duc がそのFKをゴール前に入れ、こぼれ球をPhan Thanh Binhが狙ったがそのシュートは外れた。これがこの試合ヴェトナム最後のチャンスであった。
87分に梅崎が Chau Phong Hoa のファールを受けてFKを。水野が蹴ったFKに細貝がヘッドで合わせてゴールイン。ようやく日本が4点目を奪った。日本サポーターからは安堵の歓声があがる。



するとタイミングよく前の英語を話すヴェトナム人から“このチームでウラワレッズの選手はいるか?”と訊かれたので“今決めた2番の選手が URAWA REDS の選手だ。”と教えた。でも細貝は五輪予選遠征もあってACLの決勝戦は2試合とも出ていないんだけど…..その欝憤を晴らせたか… さらにその直後Vo Nhuat Than のファールでPKを得る。日本人サポーター達は大歓声だ。ゴールは多くても多すぎる事は全くない。 しかし本田圭祐の蹴ったPKを GK T.D.Cuong が右に倒れこんでナイスセーブ。この日一番の大歓声が地元サポーター達から沸き上がった。おいおいこれぐらい決めてくれよ….と溜息が洩れる… 89分には左からのCKに興梠が飛び込むがその強烈なヘッドはポストの左を通過した。そして2分あったロスタイムも過ぎてホイッスルが鳴る。
日越両国のサポーター達の拍手の中両国の選手達が握手を交わしている…良い風景だ。 得点力不足を指摘される日本はカタール、サウジアラビアが勝てなかったハノイで4点差で勝利を納めた事で少し優位に立てたと思った。まぁ世界中で得点が入って仕方がないと言う代表は数が本当に少ないのだけど….

ヴェトナム代表のリードル監督は SEA Games に向けてこの試合に収穫は得られただろうか…..でも彼らのサイド攻撃そして2トップの強さは2014年のワールドカップに向けて期待できるかも知れない。八百長などの不祥事がなくてASEAN 以外の地域のクラブでプレーする選手が増えれば….A-League を目指せ !! そしてその次は J-League だ。K-League は東南アジア蔑視がすごいから辞めた方がいいけど……

この勝利は特に在留邦人の人々にとって良いエネルギーになったに違いない。試合終了後はヴェトナムサポーター達と何度も握手し記念撮影をした。すると警備員達に早くでろとばかりに追い立てられる。同様に記念撮影をしていた日本人サポーターの人まで。早く照明を消したいのかな?????

翌朝、サウジアラビアがカタールを破ってくれたのでカタールの予選突破はこれで無くなった。 21日、東京でのサウジアラビア戦に引き分ければ日本の北京行きは決まる。 20年前のソウル五輪予選の最終戦。五輪に王手をかけた日本は最後の東京での中国戦に引き分ければ20年振りの五輪出場が決まるところだったが雨の中の試合は 0-2 で完敗してしまった。あの10月26日だった。しかし今の五輪チームはあの時と違う。日本も積み重ねがある。そして試合は11月だ…..関係ないか??

11月21日は吉報が届けられる事を祈るよ。 

そして私は翌日次の訪問地タイのバンコックに向かった…..

 


日本快勝。五輪に近づいたか?? vs ヴェトナム戦 前半

2007-11-20 | 五輪 U-20, U-17
雨が降らない限り17日の My Dinh Stadium での日本戦は満員になるであろう…. 専門誌に書かれてあったヴェトナム代表、リードル監督の言葉を“信じて” My Dinh Stadium にはキックオフ1時間前に競技場入りした。チケットを購入してスタジアム内に入ると広いロビーが。そこでサンドイッチとコーラを買って腹ごしらえを。勘定は VND30,000 日本円で約200円。競技場の最も高いチケット代金が VND100,000 約670円。物価は隣国タイよりもまだ下だ。試合開始約20分前に席に向かう。2003年の SEA Games のメイン競技場として建てられたこのモダンな巨大なそして立派な競技場に集った人は….まばらであった。それでも数はここに訪れた在留の邦人、日本から応援に来た人々と合わせたくらいだけど地元ヴェトナムのサポーター達は試合前から熱心に声援を送る。陸上競技用のトラックがあるのでピッチ上の選手の表情は解らないが日本は誰がスタメンなのだろう…
昼間の蒸し暑さと異なりキックオフ時間の午後7時15分頃には気温も下がり観戦し易い気候であった。やがて歓声の中両チームの選手達が入場して来る。そして国歌。昨年のワールドカップ以来の君が代を競技場で斉唱させてもらい、続いて私の後方に陣取った地元ヴェトナムのサポーター達のヴェトナム国家の大合唱が始まった。現在のヴェトナムの国家は昔北ヴェトナムと言われていたヴェトナム民主共和国の国家なのだろうか….. スクリーンに両チームのスタメンが映し出されるが小さすぎて見えない。背番号で確認しようにも日本と異なり試合のプログラムなど販売されていないのでその場では確認できなかった。




ヴェトナム五輪チームは GKがこの五輪予選ずっとゴールを守るTran Duc Cong。DFは Centre Back がNguyen Thanh Long Giang ( グェン・タイン・ロン・ザン) とMai Xuan Hop(マイ・スアン・ホップ)。M.X.Hopはスタメン入りしないのではと新聞に書かれていたが…。左サイドバックが Vo Nhat Tan ( ボー・ニャット・タン ) 右サイドバックが CB に入ると思われたDoan Viet Cong (ドゥアン・ヴェト・クォン) 。結局8月の東京での試合と同じDFラインであった。その試合の日本の2トップは李忠成と平山相太であった。中盤の二人は結局膝の故障の回復が報道されていたゲームメーカーの Nguyen Minh Chuyen ( グェン・ミン・チュェン ) はベンチスタートでVo Duy Nam ( ボ・ズィ・ナム ) と中盤を組んだのは 8月の日本戦でもスタメン出場したPhung Cong Minh ( フン・コン・ミン)。2列目の左サイドはサイドバックも出来るMai Tien Thanh ( マイ・ティエン・タン) 左にはふくらはぎの怪我から回復せず欠場かと報道されていた五輪予選で通算5ゴールを決めている Nguyen Vu Phong ( グェン・ブー・フォン ) 。8月の東京での試合で終了直前に強烈なFK放ち我々を震撼させたまた7月のアジアカップでも堂々のレギュラー入りを果たし日本戦を含め4試合全てにスタメン出場した選手だ。そして2トップはLe Cong Vinh ( レ・コン・ビン) Phan Thanh Binh (ファン・タン・ビン ) 。 Le Cong Vinh はオーバーワークで欠場かと言われが出て来た。数日前には結婚(婚約?)をしたとの事。11人中9人が8月の日本戦のスタメン選手。
一方我らが日本五輪代表は、注目のFWは李忠成と清水エスパルズの岡崎慎二。噂されたカレン・ロバート、はベンチ入り出来ず、平山相太はベンチスタート。岡崎の調子が良かったのだろう。DF陣は内田、青山直晃、水本、伊野波とカタール戦のスタメンがそのまま入った。特にカタール戦では痛恨のハンドをロスタイムに犯してしまった伊野波には奮起して欲しかった。中盤はボランチに青山敏弘と柏木。伊野波のボランチも試されたらしいが….2列目の右サイドには怪我が心配された水野。左サイドには本田圭祐。この2人のサイド攻撃に期待がかかる。そしてGKは最終予選初登場の西川周作。背番号41番がなんだか初々しく見えるが2次予選では3試合ゴールを守り、出場停止となったマレーシア戦以降、最終予選でも怪我があったりで出番がなくようやく前節のカタール戦でベンチ入りを果たしこの試合でスタメンに復帰した。しかし、西川が活躍するシーンは少ない方が有難いのだけど….
試合開始前から私のすぐ後ろに陣取るヴェトナムサポーター達は“ヴィェトナム!! XXXX !! “ と熱心に大声援を送っている。そのXXXX の部分は何と言っているのかと後で英語を話すヴェトナム人の一人に尋ねると、”Vietnam !! 2-0 !! “ とのことだった。東京で 0-1 で負け たのでハノイでは 2-0 でリベンジと言う事か??ヴェトナムボールのキックオフで始まる。



開始2分、いきなり Le Cong Vinh の右サイド突破からCKのチャンスを迎え、ハイボールを入れるがもう一度コーナーへ。Nguyen Vu Phongが次のCKをライナーで入れLe Cong Vinhに頭で合わせられるが枠を外れた。最初のゴールチャンスに後方の地元サポーター達からは大歓声が。
しかし以降は日本がゴール前に迫る。4分には岡崎がクロスを6分には内田がスルーをPA内に入れてチャンスを作るがヴェトナムDFがクリアー。そして7分30秒、岡崎がPA外側左で倒されてFKを得る。水野と柏木がボールの後ろに立ったが水野がFKをゴール前に高く上げると走りこんで来た李忠成が頭で合わせて先制ゴールを奪った。今度は邦人の応援団が大歓声を上げる番だ。FW陣の得点力不足が指摘されていたが早い時間に先制ゴールを挙げてくれた。これで試合展開が楽になると思ったが、地元の歓声を受けるヴェトナムがゴール前に迫るシーンが続く。
Phan Thanh Binh,、Le Cong Vinhの強引なドリブル突破、そして左サイドから Vo Nhat Than , Mai Tien Than が攻め上がる。20分には Doan Viet Cong が右サイドから入れたクロスからPhan Thanh Binh,にジャンピングボレーを撃たれるがGK西川が何とかセーブ。 ヴェトナムがショート、ロングパスを繋ぎだしリズムをつかもうとしていた。23分には伊野波がNguyen Vu Phongを倒して警告を受ける。Nguyen Vu Phongはすぐには立てず外に出されるがそのFKからCB のMai Xuan Hopが日本ゴール前に鋭いクロスを入れるがPhan Thanh Binh,が合わせる前にGK西川がキャッチ。ここで同点に追い付かれるとこの勝負の行方が大きく傾くと思われた。
しかし25分に追加点が入る左サイドを本田圭祐が突破し入れたクロスをまたも走りこんできた李忠成が頭でGK Tran Duc Congの前で合わせてこの試合2点目を決めた。この五輪予選1試合で2点を挙げたのが初めて。得点力不足とマスコミが指摘し続けたその欝憤を晴らすかの様な見事なシュート練習の様なゴールであった。
試合開始前から Vietnam !! 2-0 !! と叫んでいたサポーター達は先に 2-0 とされてすっかり大人しくなってしまった。そしてこれから日本のテンポの良い攻撃が続いた。27分には内田の右からのクロスを水野がヘッドを放つがポストの右に外れる。31分には水野が入れた右からのクロスに青山直晃が走りこむがGKT.D.Cuong が青山と激突しながらセーブ。34分には右サイドからまたも水野がクロスを入れるが岡崎が空振り。37分、ワンツーから抜け出した本田圭祐が撃つがこれもGK T.D. Cuong がブロック。39分にも右の本田圭祐から逆サイドの内田にボールが送られそのまま中の李忠成に渡るがまたもT.D. Cuong がセーブ。GKのT.D.Cuong はこの14分間で3度の決定機を防いだ。その度のヴェトナムサポーターから歓声が上がる。しかし、40分ゴール前でダイレクトパスをつなぎ最後は本田圭祐からボールを受けた岡崎が Mai Xuan Hop に倒されてPKを得る。そしてこれまで好セーブを連発していた T.D. Cuong ではあったがこの本田圭祐のPKの前にはなす術無く日本がリードを3点に広げた。



私を含めた日本からのサポーター達そして現地在留であろう、熱心な声援を送る子供たちも大喜びだ。後ろのヴェトナムサポーター達は更に静寂してしまった。ヴェトナムも悪い展開をしていなかった。時折日本のパスをインターセプトし逆襲に転じようとするがその次、または次の次のパスが簡単に日本の網に引っ掛かってしまい日本ゴールに迫れない。そして日本は願ってもないゲーム展開に後半更なるゴールラッシュを期待するところであった。



後半に続く.....

ヴェトナム戦。対戦相手のスタメンは….

2007-11-17 | 五輪 U-20, U-17
ヴェトナム入りして4日目。この日は My Dinh National Stadium に日本五輪チームが乗り込んで北京行きを賭けた大事な試合に臨む。
こちらは乾季で湿度が低くて過ごしやすいと言われていたが何の何の、夜でもホテルの部屋に帰れば空調は点けっ放し。とてもこれ無しでは過ごせない。外にでれば時折心地よい涼風は吹くけど……
Ho Chi Minh から Hanoi に移動するとさすがに街の人は17日の日本戦の事を口にする。顧客の所に寄った帰りに歩いていると新聞と雑誌を売っているスタンドがあったのでふと足を止めた。ヴェトナムにも当然スポーツ新聞はいくつかあり、一面はサッカーの記事だ。つい先日まで Ho Chi Minh ではU-18の1次予選が行われていた。残念ながら地元ヴェトナム U-18はオーストラリア、韓国の後塵を拝して来年サウジアラビアで開催されるアジアユース(言い方古いか?)に進出出来なかった。そして10月末から11月初旬にかけてインドネシアのジャカルタで開催された U-16 アジアユースの決勝大会進出を賭けた U-15 予選でも最終戦のインドネシアに 4-0 で敗れるなど次戦へ駒を進める事が出来なかった。こうなって来るといよいよ地元のサッカーファンは11月末からバンコックで開催される SEA Games での金メダル獲得に期待がかかる。そう言う意味で、この日本戦はどうとらられているのだろう?

地元紙によると11月12日のヴェトナム五輪チームの練習ではサイド攻撃とペナルティーエリア内からのシュート練習を行ったらしい。 Alfred Riedl 監督によるとゲームメーカーの Nguyen Minh Chuyen ( グェン・ミン・チュェン ) の膝の故障回復が大きいらしく Vo Duy Nam ( ボ・ズィ・ナム ) と中盤を組ませるらいい。Nguyen Minh Chuyenはこの五輪予選では初戦の日本戦に71分間プレーした以外は出場出来なかった選手だ。そしてアジアカップでも代表入りしており日本戦ではスタメン出場を果たしている。厄介な選手が回復してきた。

しかし、この五輪予選で通算5ゴールを決めている Nguyen Vu Phong ( グェン・ブー・フォン ) は痛めたふくらはぎが回復せず日本戦は欠場すると思われる。まぁSEA Games に出られれば良しとされているのかもしれない。Nguyen Vu Phongと言えば8月の東京での試合で終了直前に強烈なFK放ち我々を震撼させた選手。 7月のアジアカップでも堂々のレギュラー入りを果たし日本戦を含め4試合全てにスタメン出場。この選手の欠場は日本にとっては吉報だ。

そしてDF陣がヴェトナムチームのアキレス腱となっている。センターバックの Nguyen Thanh Long Giang ( グェン・タイン・ロン・ザン) と今回コンビを組むのは数試合コンビを組んだ Mai Xuan Hop(マイ・スアン・ホップ)ではなく、Doan Viet Cuong ( ドゥアン・ヴェト・クォン)か Nguyen Dai Dong ( グェン・ダイ・ドン ) のどちらかになるが ドゥアン・ヴェト・クォン はサイドバックの選手だ。そして Nguyen Dai Dong が出場したの10月17日のサウジアラビア戦のみ。おそらく Doan Viet Cuong がCBに入るのではないか? 2トップは日本でも御馴染のLe Cong Vinh ( レ・コン・ビン) Phan Thanh Binh (ファン・タン・ビン ) で決まりだが、サイドを張る選手もタレントぞろいだ。2列目左のLe Tan Tai ( レ・タン・タイ ) そして2列目右のグェン・ブー・フォンの代役を務めるHuynh Quang Thanh, (フィン・クアン・タン) 左サイドバック候補のChau Phong Hoa ( チョー・フォン・フォア), Vo Nhat Tan(ボー・ニィェッ・タン)そして 右サイドバックのMai Tien Thanh ( マイ・ティエン・タン) 。日本の両サイドは誰が務めるのか… 右は水野晃樹、内田篤人、左は本田圭祐、安田理大となるのだろうか?足先が起用で攻守の切り替えが早いサイド攻撃を抑えられれば日本の勝機も見えて来ると思われる。ただ Phan Thanh Binh は東京での試合は後半26分から約20分程度の出場。今度スタメンで来られるとどうだろう…
そしてもう一人のFW Le Cong Vinh はアジアカップでも代表レギュラーで4試合すべてスタメン出場。UAE戦ではゴールも決めている。
そして Le Tan Tai はアジアカップで4試合スタメン出場を果たしながら五輪最終予選にはまだ出場がなかった。怪我でもしたのか?しかしこの日本戦には出場して来るらしい。う~ん厄介な選手だ。
また地元紙では平山、水野、細貝と言った東京でのヴェトナム戦で“活躍”した選手に注意を払っている。東京でのヴェトナム戦で出場しなかった李忠成の怪我も伝えられている。










SEA Games target

日本でも知られている通りヴェトナムサッカーファンの関心は SEA Game のタイトル奪取。優勝ボーナスとして11月14日Sai Gon Shopping Centre がUS$100,000 を支払う事を発表。そして優秀選手にはベンツも用意されているとか。 SEA Games では Group B に入りマレーシア、ラオス、シンガポールと対戦する。そして初戦のマレーシア戦は12月1日だ。
ヴェトナムチームが本格的に強化され出したのは2003年に地元で開催された SEA Games への強化がきっかけだ。この大会では決勝戦では激戦に末にタイに 1-2 で敗れたがその熱狂ぶりは当時この試合をテレビで見ていてひしひしと感じられた。その地元開催された大会で活躍したのが今年の五輪チームと言うよりもヴェトナム代表のエース Phan Tan Binh 。当時はまだ18歳だった。他にもLe Quoc Vuong, Phan Van Tai Em, Phan Thanh Binh, Nguyen Huy Hoang そして Phan Van Quyen ら前日のタイの英字新聞では “ DANGERMEN “ と指摘された選手達のプレーを楽しめた。特に当時19歳であった Van Quyen の動きは大変に目立っており、彼がボールを持てばタイのDF数人を擁しないと彼の動きは止められず、今後の成長が楽しみであった。実際に彼は2か月前の10月にオマーンの首都マスカットで開催されたアジアカップ予選では韓国相手に決勝ゴールを決めている。そして2005年にはヴェトナム遠征をしたジュビロ磐田がヴェトナム代表との間で親善試合を行ったが、名波、服部、藤田、崔龍朱を擁した磐田は Phan Van Quyen のゴールなどで 1-2 で敗れている。そして横浜FCが Van Quyen に入団のオファーを出したとの事….. 私はホスト国となる事が既に決まっていたアジア大会で Phan Van Quyen が見れる事を大いに楽しみにしていた。しかし、激震がヴェトナムサッカー界を襲う。今年の1月、代表チーム選手を含む7名のヴェトナム選手が八百長事件に連座していたとの事で処分されてしまう。Le Quoc Vuong, Thulong Thanh Hai, Phnoc Vinh, Phunoc Vinh, Hai Lam, Le Bat Hiem そして Phan Van Quyen の名前も含まれていた。 2003年の SEA Games で後半終了直前に退場となった Le Quoc Vuong には7年の重い実刑判決が下されThanh Hai には3年の実刑判決が、そしてVan Quyen も残りの他の選手同様執行猶予付きの判決が下された。

地元スポーツ紙には過去2大会のメンバーと今年のメンバーの比較が当時のフォーメーションを元に書かれている。2003年の SEA Games の話やら新聞の選手の名前を指さしてスタンドのおばさんとおじさんとした。勿論言葉は通じない。でも新聞を手に話す私を見て二人は私が何を言おうとするかよく判ってくれた。驚いた事にタイのキャティサックの発音が一発で通じた。タイでは何度も訊き直されるのに。そうだった。彼はヴェトナムのホアンアイン・ジャーライでプレーしていたっけ。
そして日本の選手もよく知っている。ナカムラ、ナカタ、タカハラ….
あぁそうか、アジアカップで日本はここで戦ったんだな。あの時ハノイだけは来れなかったんだ。 中田は引退していたけど……
言葉は通じなくとも….サッカーは世界の言葉。昨日11月16日は10年前ジョホール・バルで日本がワールドカップ出場を決めた記念すべき日だった。その翌日の今日、五輪チームの健闘を願うよ。  オシム監督の為にも……..

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京都サンガ昇格への正念場

2007-11-17 | 京都サンガ J-League
今年1月西が丘競技場にインカレの観戦に行った時の出来事。
数日前に終わったばかりの全国高校サッカーとは比較にならない少ない観客。参加していた大学関係はを除けば何人の一般客がいたのだろう?しかし記者席周辺にはJリーグも天皇杯も終わっていた事もあり名の知れた人達が何人かいた。
そして記者席に座っていたある男性に私の視線は釘づけになった。
昨シーズン途中に解任された柱谷幸二氏の後を受けた京都サンガの美濃部監督であった。私は早速彼の元に行き、サインを貰う事に。彼は快くサインを書いてくれた。サンガはJ2落ちとなっていたが美濃部監督の留任は決まっておりサンガサポーターとしての願いはただ一つ。1年でのJ1復帰であった。丁寧にサインをしてくれた美濃部監督に
“私は今は関東に住んでいますが大阪出身で京都で学生時代を過ごしました。サンガがJリーグ入りする前からサンガサポーターです。”
と言うと美濃部監督の方から右手を差し出してくれた。その右手を両手で握り、私は頭を深く深く下げた。
“お願いします。サンガをお願いします。今年でもう一度J1に復帰させてください。サンガをお願いします。本当にお願いします….”
最後は不覚にも涙声になってしまった。美濃部監督は私の手を強く握り、左手で私の肩に手を置いてくれた。そして
”わかっています。応援お願いします。“
”ありがとうございます。我々は応援するしかありません。お願いします。“と言った….
まるで我が子を預ける親の様な心境。でもすべてのサポーターは同じ心境になると思う。

サンガが3回目のJ2陥落から数か月が過ぎ、長い長いJ2の戦いが始まったのは美濃部監督にお会いしてから約2ヶ月後の3月3日。札幌をホームに迎えた開幕戦は幸先よく 2-0 で勝利を収めた。その後は3試合連続で引き分け第5節のC大阪戦では終了直前に前田和哉のゴールで 2-3 と破れてしまいおやおやと心配もしたが、その後は順調に勝点を伸ばし第30節を終えて17勝6分5敗勝点57。首位札幌の 17勝3敗7分勝点58 に次いで2位につけており。これで昇格は頂きだな….とすっかり楽観していた。
しかし以降の17試合が6勝6分け5敗と大失速。特に32節からはC大阪に 2-3 で敗れると、ホームでの草津戦は 1-1で引き分け、続くホームでの札幌戦も一時は逆転するものの連続失点で再逆転負けを喫し、続く小雨の中の国立競技場でのヴェルディ戦はロスタイムにディエゴに同点ゴールを許し勝試合を引き分けた。
この引き分けは大きく、これでヴェルディが息を吹き返してしまった。この4試合で2分2敗。さらに42節からも4試合で3分1敗と大ブレーキ。9月26日西京極でのヴェルディ戦では相手を5本上回る15本のシュートを放ちながら2点のアヘッドを挽回出来ずヴェルディに連敗。続く湘南 2-2, 福岡 1-1, C大阪 2-2 と3連続引き分けだが全て試合終了直前に失点を喫し勝点を失うと言う信じられない悪夢が続く。湘南戦は 2-0 でリードのまま残り6分で連続失点を喫してしまった。 
この結果、首位を行く札幌ははるか先を行かれ、ヴェルディには抜かれ仙台には背中に着かれ、自動昇格はおろか入れ替え戦出場も危なくなって来た。 
この危機に京都フロントは遂に美濃部監督を更迭。後任を加藤久氏が引き継ぐ事となった。
加藤新体制のもと、徳島、愛媛の四国勢に連勝したものの鳥栖に 0-3 と完敗し仙台にも抜けれて4位に陥落してしまった。 

今季のサンガは終了直前の失点が目立つ。J2の試合数はJ1よりも14試合多い48試合。時にはチーム数が13と奇数ある事から試合がない節もあるが、それでも週に2回リーグ戦がある時も少なくなく、その上北は札幌から南は九州まで移動距離もあり結構体力勝負、コンディショニングが大事になって来る。シーズンが深まれば深まるほどその傾向は強くなるが、第5節のC大阪戦での負け方が今シーズンの苦戦を予期していたのかも知れない。 
また選手の起用法もどうなのだろう?関西勢のJ2の試合は関東ではあまりお目に掛れず試合内容をいまいちつかめぬままにコメントをするのは心苦しいが、DF陣では元日本代表の森岡が4バックに悩んでいる様に見える。FW陣も相変わらずのパウリーニョ頼み。第47節の愛媛戦で豪快なバイシクルを決めた田原豊は次節の鳥栖戦ではスタメンでは起用されず3失点を喫した後の前半37分に投入された。
しかしこの鳥栖戦からは中2週間が空いた事から加藤監督曰く“フィジカル面を鍛えた”との効果が出たか、第48節、天皇杯でガンバを苦しめ調子に乗っているはずの山形に2-1 で勝利を収め、前日行われたヴェルディ対ベガルタが 1-1 で引き分けたので再びサンガが3位に浮上する事になった。
J2の昇格争いはこれから正念場を迎える。前節では札幌が鳥栖に敗れサンガの首位の可能性も出て来た。これからの昇格争いのカギはなんであろう?

直接対決
次節第50節は札幌ドームでコンサドーレ札幌と、第51節は西京極でベガルタ仙台との直接対決を控えている。札幌とは開幕戦こそ 2-0 で快勝するも、以降は 0-2, 2-3 で連敗。この敗戦には森岡が出ていなかったので次戦は彼の奮起に期待したい。 仙台との対戦はこれまで2勝1敗。1敗は地元ベガルタ大サポーターの後押しを受けたユアテックスタジアム仙台での敗戦。次はホーム。勝利を計算するのは難しくないはずだ。

他力本願??
ベルディは愛媛、C大阪との試合を残している。愛媛には1勝1分1敗だがC大阪には3連勝中だ。
ただし怪物フッキがベガルタ戦の警告で残り試合を出られない。そしてここ2試合草津、仙台と引き分けている。仙台戦はともかく、草津がよく頑張ってくれた。しかしヴェルディはシーズン序盤に7連敗を喫したのにここまで立て直してくるとはさすがラモス監督….でもその“育ての親”は第14節で 4-1 で白星を献上した京都サンガなのだけど….あの試合はホームだったのになぁ….この試合か第35節の国立でのヴェルディ戦、どちらか勝っていればヴェルディの今シーズンは終わっていたのになぁ…..
札幌は京都戦の次は最終節の水戸戦を残す。鳥栖が京都だけでなく札幌も食ってくれたので助かった。
仙台は25日の京都戦の前は18日にユアテックスタジアムで湘南と最終節もホームで徳島を迎える。湘南に奮闘してもらいたいが..仙台は湘南に3連勝中だしなぁ….大サポーターの後押しをするホームで2試合残しているベガルタがものすごく不気味だ…..

昇格争いをする当該チームとの直接対決2試合を残す我が京都サンガはあえて“有利な立場”と言わせて頂きたい。しかし、ここで勝てないようでは来シーズンJ1で戦おうとするチームの資格は当然ない訳で….
我々はただ応援するしかないのだ、そう選手達がやってくれることを信じて…….

ヴェトナムにて届いた朗報 浦和戴冠

2007-11-17 | Football Asia

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11月14日。シンガポールのチャンギ空港を夕方に出発したシンガポール航空機は予定時刻より少し早くヴェトナム最大の商業都市ホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着した。 11月のヴェトナム南部は乾季に入っていると出発前に聞いたが小雨が降っていた。
タンソンニャット空港はクアラルンプール、バンコック、そしてシンガポールのチャンギ食空港と言った他の東南アジア諸国の空港に負けず劣らず立派な規模のまさに“国際空港”でいよいよ成田空港がかすんでしまう。シンガポールで邦人顧客が
“アジアの近隣諸国がどんどん発展しているので日本が置いて行かれている様に見えてしまう。”と言っていたのを思い出す。
大空港のおかげでパスポートコントロールカウンターも多く、入国もスムースであった。しかし隣のカウンターにいたフィリピン人はなかなか通して貰えず、彼の後に並んでいた人達は次々に空いているカウンターの列の後ろに付き出していた。
荷物のピックアップも時間がかからず、税関の入国審査でも書類荷物をX線装置に通しただけで何も言われずすぐに外に抜けられた。インドネシアのジャカルタならここでわんさと“タクシー!タクシー!”と人が群がってくるのだが、ここではそんな状況ではなく、ガイドブックに書かれていたタクシーカウンターに行き行き先を告げチケットを貰って案内されるがままタクシー乗り場に向かった。これはクアラルンプールの KLIA と同じだ。タクシーが走りだすが雨脚が少し強くなった様だった。時計の針を見ると午後7時少し過ぎ。日本時間は午後9時過ぎ。慌てて家に電話を入れる。すると12歳の息子がすぐに出てきた。
“おい。REDS はどうなった?”
“勝ってる。 2-0 で勝ってる。”
“おぉそうか。今何分だ?あとどれだけ時間残っている?”
“あと5分くらいかなぁ?…ロスタイム入れてもそれくらいかなぁ?….”
“REDSは誰が入れた?“ “永井が1点目で、2点目は…..”
“ワシントンか?それとも達也か?”
“達也は今日出ていない….あっ…今、達也が出てきた。2点目は阿倍が決めた….” “おぉそうか。よかったなぁ。ママは何している?“
“DSでゲームしている……”

テレビ朝日が緊急生中継を慣行してくれたおかげで息子を含めてより多くの人達がこの歴史的瞬間を目にする事が出来たのだ…….. チェックインしたホテルは有難い事に衛星チャンネルが多く受信できてNHKも受信出来た。スポーツニュースで浦和REDSがアジア王者に輝いたニュースもそして試合のダイジェストも観る事が出来た。さいたまスタジアムが赤一色で染まり、子供の時から夢見ていた欧州並みの雰囲気が醸し出されている事に感激した。

私が初めて浦和REDSの試合を観戦したのは1992年12月、天皇杯の準決勝戦のヴェルディ戦であった。場所は国立競技場。家内と一緒にゴール裏で観戦していた。Jリーグの開幕を5か月後に控えて競技場の雰囲気は長年慣れていた日本リーグ時代のそれとは大きく変わっていた。当時は両チームのサポーターはゴール裏では無くバックスタンドのゴールよりにそれぞれ陣取って声援を送り続けていたが、ヴェルディには読売クラブ時代から御馴染であったサンバ隊がまだそこにいて、REDSは熱心な大声援を送り続けスタンドを見ているだけでも楽しかった。
その当時から“うら~わレッズ!!”うら~わレッズ!!” の大声援が聞かれて一緒に観戦した家内からは“なんで浦和っていっているの??”と尋ねられた。
試合はヴェルディが先制し、レッズが連続得点で逆転。そしてキングカズのゴールでヴェルディが追い付く。ゴール後の定番“カズダンス”生で観る事が出来た。そのカズがFKやCKのボールをセットする度に浦和サポーターは大ブーイング。しかし、カズの口元には微笑みさえ浮かび、“俺はこの雰囲気を待っていたんだ。”とでも言いたげだった。 その後試合はREDS が押しまくるが追加点が奪えずゲームはPK戦へ。浦和サポーターの声援むなしくヴェルディがPK戦を制して決勝戦へ駒を進めた。 Jリーグ開幕直前の天皇杯でベスト4に進出したのは前身の三菱自工、三菱重工時代を含めても確か優勝した1978年度以来14シーズンぶりであったのでJリーグでの好成績が期待された。
そして開幕したJリーグ。歴史的な1993年5月15日のマリノス vs ヴェルディ戦(私は幸運にもこの試合を国立で観戦出来た。)の翌日。満員の万博競技場でのガンバ大阪対浦和レッズ戦。試合前の予想では天皇杯ベスト4の浦和が有利。試合は浦和が押す展開に。しかし先制したのはガンバ。ハーフタイム中に照明機が故障して後半の開始が遅くなった事故もあったが後半に入っても優勢に試合を進める浦和。だが1点を返せず、開幕戦を勝利で飾れなかった。それでもホームに帰って仕切り直し、また連勝街道が始まるはず….であったが…. 始まったのは連敗街道。ファーストステージでは鹿島アントラーズに駒場で敗れて目の前で胴上げを拝む羽目に。当時同じ様に連敗を続け再会を争っていた名古屋グランパスにも駒場で 0-5 で大敗し熱狂的なサポーター達からの愛想を突かされ、しまいには川淵チェアマンからチーム力の改善要求を出される始末。当時まだJリーグ入りしていなかった柏や磐田のサポーターである友人は“俺達の方が強い。絶対に強い。今すぐ試合をしてどちらがJリーグでやるかを決めたい。”とまで言っていた。
あれから14年。一時はJ2に陥落する事のあったがチームは着実に強くなりナビスコ杯で優勝を果たし、遂にJリーグでも優勝を。そしてアジア王者の美酒に酔い。他のアジアのクラブチームのサポーター達から“一度は対戦したいクラブチーム。”と言われるようになった。変わらないのはサポーター達の熱い思いだけだろう。 

夢は叶う、と言う事実を浦和 REDS が教えてくれたと思う。

そして世界クラブ選手権。ニュージーランドのワイタケレと今回決勝で対戦したセパハンとの試合の勝者と12月10日豊田スタジアムで試合を行い、勝てば横浜国際競技場で12月13日にACミランとの一戦に臨めるが、16~17年前まではそんなこと夢でもなければ実現しなかった。でもその日はママの誕生日なのだよ。世紀の試合をテレビで観戦しよう、我が息子よ……..

それにしてもヴェトナムは蒸し暑い……… 本当に乾季なのでろうか??


URAWA REDS は憧れの対戦相手???

2007-11-11 | Aussie & Kiwi
11月7日。イランの Esfahan で開催された ACL Champions League の決勝戦 1st LEG で浦和REDSは1-1 で引き分け、やや有利の状況で14日さいたまスタジアム2002での第二戦に臨む事となった。対戦相手の Sepahan には後半はかなり押し込まれ終盤には防戦一方。何度か遭遇した決定的なピンチもなんとか凌いでドローで厳しいアウェーゲームの戦いを終えた。 14日はアジア王者に戴冠すべく好プレーを期待したい。

10月6日、Sydney で行われたA Leagueの大一番 Sydney FC 対 Melbourne Victory の試合翌日、メルボルン空港で前日の激戦を終え Sydney から帰途についていた Victory の選手達と Melbourne 空港で遭遇する機会に恵まれた。
早速私は選手団に接近。すると Victory の中心選手 Kevin Muscat と目が合い、サインと記念撮影を依頼した。 Kevin Muscat と言えば昨年の ワールドカップ には選出されなかったが,かつては Scotland Premier の Glasgow Rangersでもプレーをするなど長くオーストラリア代表の中心選手を務め、2001年11月のウルグアイとのワールドカップ日韓大会最終予選の1st Leg のホームゲームではPKを決めてチームを勝利に導いた。(残念ながら 2nd LEGのアウェー戦では 0-3 で敗れウルグアイが予選を通過。) Muscat の特徴は激しいディフェンス。対戦相手のエースストライカーを抑えるのが彼の仕事で、相手サポーターからすれば憎い存在で反対に Victory サポーターからすれば頼れる Centre Back である。しかし、空港で話した Muscat はピッチ上でのタフなプレーとは全く異なった紳士でサインにも写真にも快く応じてくれた。その上他の選手達にもサインを促してくれ、おかげで前日の Match Day Program, “90 minutes “ には Victory 選手達のサインが書き込まれ大切な宝物となった。そして Muscat とはしばし談議に花が咲いた。まだ34歳なのだからJリーグでプレーしてくれないか?と言うと、 Steve=Corica や Nedijeliko= Zelic Mattew= Bingley そして Graham=Arnol dと言ったかつて J League でプレーしたことのある選手から日本の事を聞いた事があると教えてくれた。そして驚いた事に Muscat の方から“ You は URAWA REDS のサポーターか?”と訊いて来たので。

“もちろん(これは嘘だけど)。3月にはシドニーまでAsia Champions League を観戦に来た。でも URAWA REDS の事なら子供方が詳しい(これは本当)”と話をすると、
“URAWA REDS のホームスタジアムは 50,000人以上入ると聞いたが本当か?そしてリーグ戦ではほぼ 40,000人以上の観客が入るときいたけど….”
“それは本当だ。 Capacity は55,000 人でワールドカップでも使われた。そしてREDSの試合では40,000 人以上が詰めかける。私の家からも近いので何度も息子と言った。 Sydney FC との試合も見に行った。 Sydney FCのサポーターも来ていた。“
と答えた。すると Muscat は ” ワォォォォ….” とばかりに両手を広げて横にいたチームメイトに説明を始めた。そして Melbourne Victory は既に来シーズンの Asia Champions League 出場を決めており、“是非 URAWA REDS とゲームをしたい。”と言っていた。(しかし帰国後この話を息子にすると、 “ さいたまスタジアム 2002の観客収容能力は62,000 以上だ。”と指摘を受けた。)さらに Ernie Merirck 監督にもサインを頂き、
“ 来年URAWA にお越しになる日をまっております。”と言い握手も交わしてきた。 

10分程ではあったが貴重な出来事でもあった。前日、アウェーで宿敵 Sydney FC を 1-0 で降した事もあり選手達の表情は明るく、他にも数人の人々から求められたサインや記念写真にきさくに応じていた。
その日 Victory の熱心なサポーターでもある顧客にこの空港での出来事を話すと凄く興奮していた。そして Muscat に URAWA REDS の事を訊ねられた事を話すと数日前に地元テレビ局 SBS で King of Club と言う特番が放映されそれが浦和レッズの事を特集した番組でオーストラリアのサッカーファンの間では結構話題になっている。おそらくその影響もあるだろう。と教えてくれた。その King of Club と題名されたレッズの特集番組を私も現地で視たが、それほどの反響だとは思わなかった。
そしてVictory のサポーターの顧客も
“ Asia Champions League では是非 URAWA REDS と同じ組に入ってほしい。そしてさいたまスタジアムに行くのを楽しみにしている。”と言っていた。
来シーズンの ACL への Jリーグからの参加枠は2チームであるが、REDS がSepahan を降して優勝すれば3チームが来シーズンの ACL に出場し、 Melbourne Victoryそして Adelaide United の両オーストラリア勢はかならずJリーグのチームと同じ組になる事に。他のサポーター達も“日本のチームと同じ組になってほしい。そして出来れば URAWA とやりたい。”と異口同音に言っていた。

あれから約1カ月。 A League は12節が終了し Central Coast Mariners が勝点23で勝点17のAdelaide United , Newcatle Unitedを6勝点上回って首位を走っている。昨シーズンの覇者 Melbourne Victory は開幕5試合連続で引き分け、以降Queensland Roar, Sydney FCに連勝したあと、1勝1分3敗と失速気味で勝点15で6位に甘んじている。また今年浦和レッズとACLを戦い話題になった Sydney FC は今シーズンは元ブラジル代表のジュニーニョを擁してシーズンに臨むもいま一つ調子に乗れず第8節を終えて2勝3分3敗。遂に10月24日には Culina 監督が更迭され John=Kosmina が新監督に迎えられた。以降 Sydney FC は2連勝を飾り、11月10日のアウェーの Telester Stadium での宿敵 Melbourne Victory 戦に臨んだ。昨年 Kosmina が監督をしてた Adelaide United がここで試合をした時、サイドラインを割ったボールの処遇を巡って Muscat と小競り合いをしたのがこの Kosmina 監督。試合前から宿敵 Sydney FCを迎えた Victory サポーター達の熱狂ぶりが更にヒートアップしたことは想像するに容易だ。




この試合はスコアレスドローに終わり、Sydney FC は勝点を16とし、 Victoryを一つ上回る5位に。もちろん先述したメルボルン空港で Muscat に遭遇した時にこの一件を知った上で、“あなたは John=Kosmina が好きですか?”と意地悪な質問をぶつけると彼は苦笑しながら、“もちろん I like “ と答えた。
A League は残り9試合。来年2月には Grand Final が行われ覇者が決まるが、再来年の ACL 出場権そしてJ League チームとの対戦を目指して残りの9試合に臨むのだろうか……

最後に Sydney FC サポーターのみなさん、 Victory の選手達と仲良くしてごめんなさい…..


この屈辱を忘れるな!!!!

2007-11-01 | 日本代表

今韓国ではアジアカップ大会期間中、一部の選手達が試合前に飲酒をしたことが明らかになりの飲酒が試合前の明らかになり、その真相究明、責任の所在、そしてどの様な処分がなされるのかが話題になっている。
その騒動を引き起こした選手がGKの李雲在それから禹成用、先日ACL浦和戦にも出場した城南一和の金相植そしてプレミアのミドルスブラ所属の李東国の4選手。この問題は韓国サッカー界の問題で我々日本人には関係のないところだ。

しかし見過ごすことの出来ない記事が朝鮮日報に。
”やっぱり日本は一枚下”という見出しで上記の漫画が掲載されていた。キャプションが付いており

”アジアカップ3位決定戦でPK戦の末日本を破った韓国。ほろ酔い状態で勝利を喜び合う韓国の選手たち。一方、試合に負けた日本の選手たちが悔しそうに一言。

「酒を飲んで酔っ払ってるのに…」

ウリナラは酒を飲んでいても日本に勝てるということか??

http://www.chosunonline.com/article/20071031000022

日本代表に、いやすべてのカテゴリーの代表選手にお願いしたい!! 我々はこれほどに侮辱されているのだ。この悔しさを晴らすのは何をすべきか??
これほどまでの屈辱を晴らしてくれるのは代表選手のあなたたちだけなのだ。

次の韓国代表戦で勝利以外の結果は何を意味するかを考えてくれぃ!!