Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

29 May 2010 England vs Japan at Salzburg 決定 !??!

2009-12-30 | 夏季五輪

ワールドカップの組み分けが決定してはや3週間以上が経過した。
日本では1次リーグの“大予想”が一段落といったところ。それにしても楽観的な予想がどうしてこうも蔓延するのだろう….. 早々と日本のワールドカップが3試合で終わられてはマスコミもネタに困るところ。従って“オランダ戦でさえ勝機あり”とオランダ人が聞いたら嘲笑さえされないジョークとも取られない予想が湧いてくるのだろう…

ベスト4どころか優勝も狙えるEngland ではこの組み合わせをどう見ているのだろう…

高地での対策  England need a head for heights 

ワールドカップの組み分けが決まった時 Bookmaker 達はEngland へオッズを一斉に切り下げたが John Terry 主将がワールドカップトロフィーを持ち上げるチャンスは南アフリカの高地にいかに早く順応できるかに懸っている。
England の初戦は6月12日。海抜 1,403m のRustenburg にある Royal Bafokeng Stadium でアメリカ戦が行われる。 そして現地でのベースキャンプ地が重要でまだ Fabio Capello 監督は最終決定を行っていない。彼には二つのオプションがある。 Rustenburg にある新たに建てられる設備か Pretoria 大学構内にある最新設備の揃ったところか。それらは共に海抜 1,200 m のところに存在し高地に順化する為には完璧な場所である。
だが Capello はまだ決定を急いではいない。昨夏彼はアシスタントの Franco Baldini をBritish Lions が高地での準備をどうやっているか調べる為に南アフリカに派遣した。遠征期間中と後に帰国してから England のメディカルチームの代表はこの高度での練習と試合の効果に就いての報告を聞く為に Lions の選手達と会った。
Lions の遠征に同行したArsenal のチームドクターであるGary O’Driscoll はこう語っている。 “選手達はこの高度での試合に慣れるのに10日から14日を要しある選手はもう少し日数を要した。我々は海抜レベルにまで降りる前の2週間を高地で過ごし、その効果は2週間から3週間で無くなってしまう。"
Capello 監督にとって幸運なのはその2週間から3週間の高地で過ごした“恩恵”の間に1次リーグの残りの2試合をこなした後に次の決勝トーナメントに進出出来るする事だ。 アメリカ戦を高地で戦った後に残りの Group C の2試合、6日後の Algeria 戦は Cape Town で6月23日のSlovenia 戦は Port Elizabeth と共に海抜レベルの都市で行われる。もし England がBookmaker の予想通りに Group C を首位で勝ち抜けば決勝トーナメントの初戦は再び高地での“恩恵”にあやかれる Rustenburg に戻ってくる事となる。
南アフリカ入りする前のキャンプ地としてオーストリアの Irdning が採用される事はほぼ確実視されておりここは Capello 自身が以前 Real Madrid の監督時代に使ったキャンプ地でもある。 O’Driscoll は England が現地入りする前に必要な事がここで全て得られると信じている。
“普通のラグビー選手は1試合で9km から10km程度走る。しかしサッカー選手は例えより持続的にそしてあまり爆発的で無いにしろストライカーやディフェンダーは11kmは走る。しかしながら England の中盤の選手は15kmは走るだろう。そしてそれはEngland のコーチングスタッフはすぐにどの選手が高地への順応に最も時間が懸るかを掌握せねばならない。"
O’Driscoll は高地から海抜レベルに降りてくる方がその反対よりもずっと容易だと信じている。 それは大会前の Pre-tournament で対戦予定の優勝候補スペインそしてワールドカップスペシャリストのドイツ戦で解る事だろう。 
O’Driscoll の仲間でディフェンスコーチの Shaun Edwards は “薄い空気の中で8日間過ごすその効果は驚くべきものだ。まさに誰かがスイッチを入れた様になる。トレーニングはもちろん容易ではないが一旦順応すればそんなに難しくは無い。"
しかしながら Edwards は適切な準備を怠った時の事を警告する。南アフリカに遠征した New Zealand All Blacks の選手達は現地入り後24時間以内か8日間の順応期間を要してかのいずれかの条件で試合に臨む。
高地トレーニングの恩恵はアメリカ代表のLandon Donovan にも持っていないものではない。 その LA Galaxy の中盤選手は Rustenburg での Group C の開幕戦で England にとっては盗賊団の首領になりうるかもしれない。 Premiership で最も高地にある競技場は West Bromwich Albion のホームで海抜168mに過ぎない。だが Donovan は 海抜 1,500 m のところにあるMLS Colorado Rapids の ホームで試合をした経験を持つ。
“1マイルもの高度は私の経験からすこしは影響を及ぼすが Mexico City ほど劇的なものではない。しかし確かにその経験はアドバンテージにはなる。ワールドカップに向けて多くの事がコントロール不可能だ。組み分け、どこでプレーをするか、誰と相対するのか全てこちらでは決められない。しかし自分で決められる事がコントロールしたい事だ。”

その他の南アフリカの高地でコントロールしにくい事象の一つが大会のオフィシャルボールだ。 海抜レベルでは公式球 adidas の Jubilani は他のボールとは変わらないが高地になればなるほど変化が及ぼされる。 adidas 社と 2002年大会以来共に公式球のデザイン等に取り組んでいるof the Loughborough University の Sports Technology Research Group に所属する Andy Harland博士は 高地ではより遠くにより早く飛ぶがカーブやスピンはやや落ちる。 ボールが飛んでいる時、引力を除くとボールに懸る抵抗は空気抵抗のみだ。だから高地では抵抗が低く遠くに早く飛ぶそして低地に比べてブレーキがかかりにくくスピンがかからない為 ” Beckham スタイルのカーブ“の様なカーブがかかりにくい。カーブの数値を表わすのは難しいがスピードと飛距離は約5%は伸びるだろう。"

 高地でのワールドカップと言えばメキシコ大会を思い出す。ただ England はメキシコでは1986年大会マラドーナの神の手により準々決勝で敗れるなど良い思い出が無い様だ。初戦のアメリカ戦は海抜 168m の位置に存在するWest Brom の Hawthorns stadium よりも9倍は高い海抜1500m以上の Rustenburg で迎える事となり,決勝戦に進出すれば更に高い海抜 1,750m に位置する Johannesburg で試合をせねばならない。1970年と1986年のメキシコ大会の事がその警告ともなっている。
1970 quarter-final England 2 West Germany 3 aet (Leon, 1,815m)
England はハーフタイムを迎えてAlan Mullery と Martin Peters のゴールで 2-0 リードをしていた。Sir Alf Ramsey 監督は Bobby Charlton を次戦に備えてベンチにひっこめたがとの途端にFranz Beckenbauer が前線にスペースを見つけ出した。病欠の正GKの Gordon Banks にかわって起用された Peter Bonetti は Beckenbauer ロングシュートの失点を喫し更に暑さと高地のなか攻め立てた西ドイツは Uwe Seeler のゴールで同点に追いつき延長戦に入った。 Gerd Miller の決勝ゴールで1966年大会決勝戦の雪辱をされてしまった。 
1986 quarter-final Argentina 2 England 1 (Mexico City , 2,240m)
England の注意深い試合の入りは50分にマラドーナによって台無しにされた。 Jorge Valdano とのワンツーで抜け出し GK Peter Silton との空中での競り合いとなった。Silton がパンチで弾き出そうとする前にマラドーナは手でボールをゴールネットの中に捻じ込んだ。この失点を機に反撃に出るもすぐに 2-0 とされてしまう。マラドーナが今度はドリブルで4人のディフェンダーを抜き去り、大会最高のゴールを決めた。残り時間が10分となり Gary Lineker が1点を返したが時は既に遅すぎた。

1970年大会の準々決勝戦はビデオでしか見たことがないが、地元紙の記事は少し誤りがある。2点目となった Peters のゴールは後半4分に記録されたもので、Bobby Charlton がベンチに下がったのは西ドイツが1-2 とした Beckenbauer のゴールの直後。 しかしこの交替が西ドイツにかなり優位に働いたのは事実で、この大会から選手の途中交代が認められ、西ドイツは当時その"新ルール" を実にうまく使っていたらしい。 GK Banks は”モクテスマの復讐”と言われるメキシコの水質からくる腹痛の為にベンチ入りを出来なかった。
1986年大会のマラドーナの神の手は多くの方がご存じだろう。

        

England get ready for lift -off

組み分け抽選は願っても無い結果となったが Fabi Cpaello はまだ自分の与えられたワールドカップの好運には完全に満足はしていない….. 世界ランク9位の England が今回のシード国の中では最も良い組み分けに恵まれたと言えるだろう。確かに POT 2 からは最も警戒すべき相手アメリカが Group Cに入って来たが….
しかしながらもし ドイツとアルゼンチンそしてスペインが下馬評通りにグループ首位で1次リーグを通過すれば決勝戦まで England と当たらない(もっとも England も1位通過せねばならないが。) “順当に進めば”恐らく準決勝ではブラジルとの対戦になるだろう。 Capello が心配するのは各クラブのシーズンスケジュールだ。 
5月22日にマドリードの Bernabeu で UEFA Champions League の決勝戦を迎えるが、優勝候補の一つスペインは幸運な組分けにより England よりも4日も遅く初戦を迎える事になる。 4日間は疲れをとり戦術を理解し体調を再調整するには充分な時間だ。それが組分けドローのあった日 Capello が微笑みはしたがにこやかに笑って賛意を表さなかった理由だ。
Capello が言うには“問題はもし Premiership のチームが Champions League の決勝戦に進出した場合だ。 二つの事が言える。 もし勝てば選手達は幸福となりそれは精神的に優位に働く。 しかしもし敗れたら、精神的にも肉体的にも回復するには厳しい。” 万が一 Arsenal が Bernabeu まで進出しても Theo Walcot だけが Capello 構想のメンバーに入りそうであるが、2008年の様に Manchester United と Chelsea の2チームが決勝進出する様な事になればほぼスタメン候補11人全員が Capello の元から離れてしまう。 
“England 代表候補の選手達の所属するチームが決勝戦に進出し彼らが happy になり精神的にも回復してくれる事を祈る。 もし敗れてもワールドカップまでの期間は短いのでがっかりしている暇もないだろう。それは弁解ではない。ワールドカップでは全ての試合に勝たねばならないし対戦相手をリスペクトせねばならない。大会前に終わった所属クラブでの結果を引きずっている暇はない。ワールドカップは全く別物だ。1次リーグの最初の試合が最も重要だ。しかし私は8人から9人の England 代表候補選手がもし決勝戦にまで残れば、最低でも4~5日間は休養が必要だと思うがそれでも Premier のチームが決勝戦に進出する事を望んでいる。”

クラブシーズン終了後から南アフリカ出発前には Austria の Irding で合宿を行う事を望んでおり、5月29日には恐らく日本相手に Salzburg で調整試合を行う事を予定している。
そしてRustenburg にある Royal Bafokeng Sports Complex に向かうがそこには Football Association が約20万ポンド掛けて改造された設備が待っている。それはテニスコートを取り除き宿舎とグランドの間の見通しを良くし往来をし易い様に間にあるテニスコートを取り除いたり、練習用のグランドの芝生を改善したりされる。海抜1,200m の地にある Bafokeng のキャンパスは Capello が最も重要視している高地への順応に適したワールドカップのキャンプ地では最も高地にあり、故に現地入りする前はアルプスで合宿を張る。
初戦と Group C を首位で勝ち抜けば Rustenburg で試合を行う事が出来、1次リーグでは Cape Town, Port Elizabeth で試合を行う。 Royal Bafokeng Sports Complex は Pilanesberg 空港の近くに位置しており Cape Town や Port Elizabeth への移動は空路までを陸路を延々と旅する必要が無い。 
Capello は Slovenia に就いても熟知している。9月の親善試合で Matjaz Kek 監督率いる Slovenia を Wembly で破っているがその試合から相手を見下してはいけないという警告が発せられている。 Algeria に就いては大会までにプレーオフまでもつれ込んだ Egypt との試合を予定している。 
“ 私は Algeria に就いて学ばねばならない。なぜなら彼らを知らないからだ。 予選での彼らのゴールシーンは見たが試合全体は観ていない。 我々は Egypt 戦を考えている。なぜなら Egypt は Algeria と最後に戦った国だからだ。
” 準決勝で当たるかもしれないブラジルに就いては“1次リーグでは同じ組みではないブラジルに就いては今は語りたくない。”とのコメントを残している。
1990年ワールドカップイタリア大会以降、 England は準々決勝戦の見えない壁に跳ね返さ、その気ァンンイトルコ、韓国、クロアチア、スウェーデンそしてブルガリアが準決勝に進出してきたたが今回のドローは Capello に大きなハンマーをその見えない壁を打ち破る為に与えられたと言える。ここ数年間 England が失った勝利へのメンタリティーを彼は浸透させたとも言われている。

   

英国紙から5月29日には日本との調整試合という予想が見られた。 本当に日本がワールドカップに出られるようになったのだと改めて実感する。
日本はスイスの1800m の高地で約2週間に亘り合宿を張るらしい。 
そして6月14日の初戦、カメルーン戦は海抜約 1,500m の Bloemfontein , そして19日は海辺の街 Durban でオランダ戦、1次リーグ最終戦のデンマーク戦は England の初戦と同じ高地のRustenburg で行われる。
この試合会場の順番は日本にとっては不利ではない。高地の気温の低いところでカメルーン、海辺の気温の高いところでオランダ戦。 対戦相手3カ国は主力の所属クラブは欧州ベースの選手ばかりといっても過言ではない。高地への調整が大きく結果を左右するかもしれない。 

そして England はベッカムがメンバーに入るのだろうか....

     


FIFA Club World Cup Auckland City 次の挑戦に向けて

2009-12-24 | Aussie & Kiwi
Saturday 12 December
Zayed Sports City, Abu Dhabi
Auckland City 0 Atlante 3 ( Arreola 36, Bermundez 69, Silva 90 )

初勝利から中2日置いて次なる Auckland の対戦相手は北中米王者のメキシコの Atlante Futbol Club 。 Al Ahli とは異なり大陸王者が相手。
Rafael Marquez はメキシコ代表メンバーとしてアテネ五輪、2005年 FIFA Confederations Cup に出場。Santiago Solari はアルゼンチン代表の経歴を持つ。 Jose Guerrero Christian Bermudez の二人 は 2007年 FIFA U-20 にメキシコ代表として出場。ウルグアイ人の Horacio Peralta は1999年 FIFA U-17 のメンバー。 他にもGK Federico Vilar , Miguel Martinez, Gabriel Pereyra, がアルゼンチンからの助っ人で Lucas Silva はブラジル人。

この試合を勝てば準決勝の対戦相手はあの Barcelona 。それは両チームに言える事でそれが最大のモチベーションとなる試合。
だが予想通りに試合は圧倒的に Atalante が押す展開。20分までのボール支配率はAtlante 78 に対して Auckland 22 。14分には Gonzalezの強烈なミドルが飛ぶ。21分には縦パスを受けた Rojas が右サイドから入れたクロスに Marquez がCB 2人の間に割って入り合わせるがボールはクロスバーを越える。その後も攻撃の大波が押し寄せるがHogg, Coombes の両サイドそして Uhlmann, Vicelich のCBの二人が必死で相手の猛攻を跳ね返す。しかし 36 分 Atlante CK からMcGeorge のクリアーボールが小さく Arreola の前に落ちそのまま押し込まれて Atlante が先制ゴールを決めた。 耐えに耐えていた Auckland がミスから失点してしまった。
その直後今度は Auckland が相手PA すぐ外でFKを得る。李基珩がボールをセットするが CB の Uhlmann, Vicelich と云った長身選手が相手ゴール前に並ぶ。しかし李基珩からのFK は誰も触れられなかった。
後半開始早々、 Coombes が強烈なミドルを放つ。そしてGK Vilar がファインセーブで弾くと Dickinson の前にボールがこぼれるが上手くヒットせずにゴールを捕えられなかった。惜しいチャンスだった。だが61分更なる決定機を Auckland は作る。右サイド Coombes が Arreola を振り切り中に入れると逆サイドの Hayne に渡る。フリーの Hayne の放ったショットは Navarro が必死のスライディングで防ぎそのこぼれ球をMcGeorge がダイレクトで素晴らしいミドルを放つがここも GK Vilar がストップ。後半のこのどちらかが決まっていればと惜しまれるシーンだった。
後半はほぼ互角の試合展開を披露した Auckland であったが69分には Marquez がエリア内に入った Navarro にボールを預け相手ゴール前に入ったところをボールを受け李基珩、Vicelich のマークより一瞬早く放ったシュートが Auckland ゴールネットを揺らし。追加点を決められた。
2点差がついても何とかまず1点を還すぞと Auckland はキックオフの直後からボールを繋ぎ Coombes が入れたセンタリングに交代出場の Young が飛び込むがわずかに及ばず Navarro がクリアー。そして李基珩が入れたCK Coombes がダイレクトでシュートを撃つが Arreola に当たって再びCKを。その前に Arreola の腕にボールが当たったと Auckland の選手達は抗議するが受け入れられなかった。
そしてロスタイムに素晴らしいパス交換から Navarro が右サイドのエリア内に切れ込み中央に入れたところを Pereyra がスルー。最後はフリーの Silva が冷静に決めて試合を決めた。

後半は立ち上がり2列目の選手を積極的に挙げて攻勢に出る時間もあった Auckland だったが、最後の決定力そして地力の差が出てしまった。

Atlante Jose Cruz 監督試合後談
我々はこの試合が難しくなるものと解っていた。特に見ての通りおよそ1カ月ぶりのゲームであったから。しかし選手達は充分にやってくれた。 Auckland は良いチームだと言う事を見せた。しかし我々は勝利を挙げ、大変嬉しい。 Barca 戦が待ち遠しくてならない。 我々のコンディションは最高でよい試合を披露し勝利するだろう。われwれは世界でも最高のチームを破り自分達の世界での位置をしっかりと測りたい。

Auckland Paul Posa 監督試合後談
この試合を見ての通り、ベストのチームが勝った。 Atlante は我々が今まで戦った中で最高のチーム。 今夜ンは football のレッスンを受けた。 しかし私は選手達を誇りに思う。 彼らはやや自信無げにプレーしていたが前を向き続けいくつかのチャンスを作った。 たとえ試合には敗れたがそれは素晴らしい経験だ。選手達はここから多くの事を学ぶだろう。 

日本ではバルセロナ優勝報道でしか沸かなかったが Auckland の3試合をテレビ観戦しまた彼らの試合を観たくなった。 そして数日後地元紙では右サイドを何度も素晴らしい突破を見せた Coombes が来年のワールドカップメンバー入りか?と報道されていた。 
来年の大会でオセアニアからどういうチームが出てくるか。それも今から非常に楽しみである。

Auckland City
1-Jacob SPOONLEY (GK), 3-Ian HOGG, 5-Matt WILLIAMS, 6-LEE Ki Hyung (25-Milos NIKOLIC 78), 8-Chad COOMBES, 11-Daniel KOPRIVCIC (10-Grant YOUNG 66), 15-Ivan VICELICH (captain), 16-Jason HAYNE, 17-Adam MCGEORGE, 20-Greg UHLMANN, 22-Adam DICKINSON (9-Paul URLOVIC 88).
Substitutes not used: 4-Sam CAMPBELL, 7-James PRITCHETT, 12-Simon EADDY (RGK), 13-Alex FENERIDIS, 14-Keryn JORDAN, 18-Paul GOTHARD (RGK), 21-Riki VAN STEEDEN, 28-Daniel MORGAN.
Coach: Paul POSA
Cautions: Adam MCGEORGE

Atlante FC
3-Federico VILAR (GK/Captain), 2-Miguel MARTINEZ, 5-Jose GONZALEZ, 7-Fernando NAVARRO, 8-Rafael MARQUEZ (10-Gabriel PEREYRA 86), 11-Santiago SOLARI (63-Lucas SILVA 74), 17-Jose GUERRERO, 18-Christian BERMUDEZ, 19-Guillermo ROJAS, 21-Luis VELASQUEZ, 31-Daniel ARREOLA,
Substitutes not used: 1-Gerardo RUIZ (RGK), 9-Horacio PERALTA, 15-Arturo MUNOZ, 20-Andres CAREVIC, 23-Gerardo CASTILLO, 26-Clemente OVALLE, 27-Luis CARRILLO, 34-Saul GARCIA, 54-Fausto RUIZ, 58-Antonio PEREZ (RGK).
Coach: Jose CRUZ
Cautions: Rafael MARQUEZ, Daniel ARREOLA


FIFA Club World Cup 2009 Auckland City 有終の逆転勝利

2009-12-23 | Aussie & Kiwi

Wednesday 16 December 2009
Zayed Sports City Abu Dhabi
Auckland City FC 3 TP Mazembe 2

時計の針はロスタイム3分を過ぎていた。このままPK戦と思われた。しかし Grant Young と Daniel Morgan のパス交換から左サイドを突破し中に入れたボールを受けた Rici van Steeden のショットが Mazembe ゴールに突き刺さり劇的な逆転ゴールが決まった。Van Steeden はかつてニュージーランド代表 All Whites のメンバーでワールドカップフランス大会予選に出場している。32 歳のベテラン DF 。
3年前日本で開催された FIFA Club World Cup にも岩元輝雄と共に出場した経験を持つが今大会は3試合目にして初登場だった。
これまでニュージーランドのチームがこの大会で勝利を収めた事が無かったが今大会は帰国する前に Auckland City が2つも勝利を挙げた。28年振りワールドカップ出場を決めた All Whites に続く快挙だ。
“2-1とリードを奪ったMazembe は少しペースダウンをした。そして我々にはまだチャンスがあると思った。 正直PK戦に入ることも考えたが。 Atlante 戦では上手くいかなかったが、我々はただそれよりいいプレーをしたかった。たとえどんな結果になろうとも。我々は自信を持ってプレーできた。それは我々が説き続けた事だ。 同点に追いついた事には驚いていない。 それはチームがこの12ヶ月間でやって来た事と何らかわりない。だが結果はセンセーショナルなもので Auckland City Football Club の歴史にとって偉大な夜であった。“ 

試合後 Auckland City の Paul Sosa 監督はこう語った。そして ”2006年に日本で開催されたこの大会に出場した経験が大きかった。“

とも付け加えた。 12月16日に行われたFIFA Club World Cup 5位決定戦は開始から全くの Mazembe ペースだった。前半20分ごろまでボール支配率は Mazenbe 75 に対して Auckland は 25 だった。話題の GK Kidiba, DF の要、主将の Mputu の二人はコンゴ代表でワールドカップ予選に出場。
Auckland もDF Ivan Vicelich が現役 All Whites そしてワールドカップフランス大会予選では日本とも戦った元韓国代表の 李基珩と云ったワールドクラスの選手はいるのだが…. 試合の分岐点となったのは24分、カウンターに転じた Auckland は中盤から李基の素晴らしいスルーパスが 完全にフリーのDaniel Koprovcic に通りそのままドリブルシュートの態勢に入るところを GK Kidiba がPA の外に飛び出し Koprovcic に向かってスライディングに入る。この出会いがしらに放った Loprovcic のシュートが Kidiba の上腕に当ったの事でメキシコ人の Archunda 主審はハンドを取ったばかりか Kidiba にレッドカードを示す。この判定は Kidiba に気の毒であった。ボールが当たったのはハンドとも取れないところ、ハンドだとしても故意に手ではたいたとは思えないプレーだったが….. 失意の Kidiba が第二GK Bakula とタッチをして控室に下がる時の表情は…
1人少なくなったというよりも守りの重鎮 GK Mputu を失った Mazenbe は目に見えて劣勢となる。そして5分後の29分 Coombers が右サイドから前線にフィードするとJason Hayne がまだ試合に入り切れていないGK Bakula との競り合いからこぼれ球をMazenbe ゴールに流し込み先制ゴールを挙げる。
これで Auckland がこの試合の主導権を握るものと思われた。しかし後半に入り地力に勝る Mazenbe が盛り返し 60分に Kasongo のミドルシュート、67 分にはMputu の素晴らしいヒールパスを受けたKasusula が Auckland ゴールに捻じ込み Mazenbe が逆転をする。7日間で3試合目となる Auckland の運動量が徐々に落ちて来ていた。それは Abu Dhabi の暑さだけでなくアマチュアの体力の限界に近いものがあったのだろう。
だが Paul Sosa 監督が試合後述べた通りここから今度は Mazenbe の動きが落ちてくる。そして逆転されてから5分後の 72分、交代出場の Grant Young のショットを一旦は Bakula にセーブされるがこぼれたところをエリア外から Hayne が Mazenbe ゴールに蹴り込みこの試合2ゴール目を挙げて試合を振り出しに戻し最後の劇的な逆転勝利に結びつけた。 

“我々は素晴らしいプレーをした、そして前の Atlante 戦よりも自信を持ってゲームに臨めた。  3年前のこの大会に参加した時はこの最高の大会を生かせなかったが今回は充分に準備を進めて来た。それはこの大会に参加した事で学べた事であって、また今回より多くの事を学べた。 我々はただ自分達のスタンダードを高めたい。 FIFA Club World Cup は我々の地域では自分達のスタンダードを上げるのに素晴らしい大会だ。Auckland は今この経験から多くの事を学び更によいチームとなり再びこの大会に戻って来るだろう。“

そしてこの勝利で大会賞金 US$150万 を得た Auckland FC は地元国内リーグNZFC 7チームと分け合うとの事。
“この報償は多くの人達のハードワークによって得られたものだ。New Zealand の他のチームは我々を押し上げ、また我々は彼らを押し上げ、そういう切磋琢磨したチームがあってこその事だ。” この Sosa 監督のコメントを聞いて恐らく多くの地元関係者が胸を打たれただろう。

  

Auckland City FC: 3 (Jason HAYNE 29’, 72’, Riki VAN STEEDAN 90’+4)
TP Mazembe (Congo DR): 2 (Ngandu KASONGO 60', Kilitcho KASUSULA 67')

Auckland City FC
18. Paul GOTHARD (GK), 3. Ian HOGG (21. Riki VAN STEEDEN 75’), 4. Sam CAMPBELL, 7. James PRITCHETT, 5. Matt WILLIAMS, 6. Ki-Hyung LEE, 8. Chad COOMBES, 11. Daniel KOPRIVCIC (10. Grant YOUNG 46’), 15. Ivan VICELICH, 16. Jason HAYNE, 22. Adam DICKINSON (26. Daniel MORGAN 46’)
Substitutes not used: 1. Jacob SPOONLEY (GK), 9. Paul URLOVIC, 12. Simon EADDY (GK), 13. Alex FENERIDIS, 14. Keryn JORDAN, 17. Adam McGEORGE, 20. Greg UHLMANN, 25. Milos NIKOLIC
Coach: Paul POSA
Yellow cards: Daniel KOPRIVCIC 10’

TP Mazembe:
1. Muteba KIDIABA (GK) 3. Kilitcho KASUSULA, 8. Mabi MPUTU, 11. Mulota KABANGU (15. Dioko KALUYITUKA), 12. Bawaka MABELE, 13. Mbenza BEDI, 18. Luyeye MVETE (21. Aime BAKULA (GK) 26’), 20. Kazembe MIHAYO, 23. Sita MILANDU, 24. Amia EKANGA, 27. Ngandu KASONGO
Substitutes not used: 4. Miala NKULUKUTA, 5. Mukinay TSHANI, 6. A Mukok KANDA, 7. Mianga NDONGA, 16. Mbomboko NGOYI, 17. Lufuluabo KAYEMBE, 22. Mpinu IKAMBA (GK), 28. Kanyimbo TSHIZEU, 30. Basisila LUSADISU
Coach: Diego GARZITTO (FRA)
Yellow cards: Sita MILANDU 57’ Red cards: Muteba KIDIABA 24’

Wednesday 9 December 2009
Mohammed Bin Zayed Stadium Abu Dhabi 
Auckland City FC 2 Al Ahli FC 0

  

今年からついに日本を離れた “クラブ世界一決定戦“。オセアニアからは2006年以来3年振り出場となる Auckland City FC 。この前は Guest Player として岩本輝雄が参加した。今大会はJ League のチームが出場権を得られなかったので私は Auckland City FC の戦いぶりを最も楽しみにしていた。そして3年前と異なり経験も積みかなりやるのではないかと楽しみにしていた。
初戦の相手は開催国枠によって出場権を得た地元 Al Ahli 。結構なタレントを揃えたチームだった。 DF Saad Surour が今年地元で開催された FIFA U-20 のUAE 代表メンバー。Mohammad Qassim は28歳ながら2001年からUAE 代表メンバー。Onaid Khaleifa はUAE代表でこのワールドカップ予選には4試合出場した。18歳の Ahmed Khalil と Yousif Jaber , Mohamed Fawzi は今年の FIFA U-20 のメンバーで代表メンバー。 ワールドカップ予選にはKhalil は6試合出場 Jaber は韓国戦1試合のみの出場だった。Abbas はUAE 代表メンバーで2大会ワールドカップ予選に出場したがそれぞれ最終予選には出場歴は無かった。Salem Khamis も代表歴がある。 Mohamed Rashid は2003年地元開催の FIFA U-20 のメンバー。そして外国人助っ人を見るとHosny Abd Rabo が エジプト代表レギュラーで今年のワールドカップ予選では12試合に出場した実績を持つ。そして は日本ではお馴染み、甲府、ガンバ大阪でプレーしたブラジル人選手 Bare。入れ替え戦で柏レイソル相手に6ゴールを決めてJ1昇格を決めた後の泣きじゃくる姿は忘れられない。しかしこれだけの選手を揃えながら Al Ahli は今年の ACL では Group League を1分5敗の最下位で終わり決勝トーナメントには進めず、国内リーグでも今シーズンは8節を終了して3勝2分3敗。首位 Al Jazira から11勝点差の7位と苦戦している。ただこの“ホームゲーム”となる Auckland 戦はかなり楽観していたのではないかな…. テレビや日本の専門誌の解説を見ても Bare がいる事もあるが Al Ahli の事は書かれていても Auckland City FC に就いては誰も的確に解説しておらず、“フィジカルを前面に出した….” と同じことばかり書いている。
Auckland は前回は経験不足が露呈。 Al Ahly Sporting Club ( エジプト ) に 0-2, 全北現代に 0-3 と2連敗無得点で帰国したが。 今回はメンバーの経験値が違った。 GK Jacob Spoonley , DF Ian Hogg は北京五輪メンバーで3試合全てに出場した実績を持つ。DF 李基珩は1996年アトランタ五輪メンバー。翌年のワールドカップ予選にも日本戦を含めた10試合に出場。しかし翌年のワールドカップメンバーには残念ながら選ばれなかった。1995年香港でのダイナスティカップでは日本相手に2ゴールを決めた選手。 Chad Coombes, Jayson Hayne, Greg Uhlmann, James Pritchett, Paul Urlovic , Riki van Steeden , 南アフリカ人選手 Grant Young そして Keryn Jordan , Daniel Kopivic は3年前のこの大会経験者。Hayne は2007年にも Waitakere のメンバーとしてこの大会に出場。Pritchett は1999年地元開催の FIFA U-17 にも出場、今年のワールドカップ予選にも出場している。Kopivic は2007年から Waitakere FC に移籍し、何と3年連続この大会に出場することとなった。CB の Ivan Viclich は 現役 All Whites 。バーレーンとのプレーオフは2試合とも出場し連続完封、そしてワールドカップ出場権獲得の立役者の一人に。2003年の FIFA Confederations Cup の日本戦にも出場をしている。控え GK の Simon Eaddy も2007年 Waitakere のメンバーとして出場経験がある。 3年前とは国際経験が全く違う。(当たり前か?)

試合開始から14,856 人の観衆が集まった大会開幕戦は地元 Al Ahli がやや優勢に見えたが 1 トップの Bare, そしてAli Abas 、Hosny Abd Rabo 達の個人能力に頼る戦術はすぐにわかった。相対する Auckland の CB Viclich, Uhlmamm らが1対1でもしっかりとケアー。また李基珩が攻守に実によく効いていた。 それでも26分にはゴールやや正面から Hassan Ali が Hayne, Koprivcic らのマークを掻い潜って放ったミドルが Auckland ゴールを襲うが、わずかにポストの左に外れる。このまま前半は 0-0 かと思われた 45分右サイドを Hayne がドリブルで上がり中に入れると Al Ahli DF Surour の前を過ぎ更に戻った Mohammed の左から走り込んだ Dickinson がダイレクトで押し込み3年前に挙げられなかったゴールを挙げ、 Auckland が先制した。 その直後のキックオフから Al Ahli は Bare が Dickinson を背負いながらも放ったシュートは GK Spoonley に防がれるがそのこぼれたダマを撃った Salem Khamis のショットはクロスバーを越えてくれた。 完全に1失点もののシーンだった。後半に入ってもほぼ“完全アウェー”の Auckland は堂々とした戦い。1対1でも決して引けを取らない。得意の空中戦は完全に自信を持っている。66分にはPAの少し外から右サイドドバックの Coombes が強烈なミドルシュートをゴール右上隅に突き刺しリードを広げた。 その後も懸命の挽回をはかる Al Ahli だったが左サイドバックの Matt Williams そして中盤の  Adam McGorge と李基珩の二人が中盤をケアー。シュート数 Al Ahli の24に対してボール支配率 41, シュート数 16 の Auckland が歴史的な勝利を収めた。

Paul Rosa Auckland City FC 監督のインタビューから
選手達は大変ハッピーで恍惚としている。 我々は勝つとは思われていなかったが今夜は我々のものだった、我々は Al Ahli のスタイルを解っていた。ただカウンターを狙っていてその通りになった。 ゲームの入り方を解っていてチャンスも造る事が出来た。それはただ我々に果たされた問いで、幸運にも今日はそれが出来た。  Atalante は素晴らしい相手である、 Barcelona と Estudiantes を除けば彼らこそ最上流のチームだ。だから本当にタフな試合になるだろう。出来れは彼らのリズムを崩したい。

Al Ahli Mahdi Redha 監督のインタビューから
我々は大変失望している。 選手達のコンディションをベストにしようと準備してきたが今夜は力が発揮でき無かった。 我々はパスを上手くつないだり、ポゼッションをキープしたりできなかった。もし前半最後の Salem Khamis が失敗したチャンスをきめら得ていたら結果は違っていただろう。 我々は自分達のミスから学び前を向かねばならない。

Al Ahli FC 0 Auckland City 2 (Adam Dickinson 45, Chad Coombes 67) 

Al Ahli:
1-Yosif ABDALLA (GK), 3-Saad SUROUR, 6-Kahled MOHAMMED (31-Waleed AHMED 84), 8-Ali ABBAS, 9-BARE, 12-Hosny ABD RABO, 14-Bader YAQOOT, 16-Hassan ALI (23-Mehrzad MADANCHI 53), 20-Yousif JABER, 26-Salem KHAMIS, 29-Ali HUSSAIN (30-Mohamed RASHID 46).
Substitutes not used: 5-Mohammad QASSIM, 7-Onaid KHALEIFA, 10-Ahmed KHALIL, 15-Ismail AL HAMMADI, 21-Mohammed FAWZI, 25-Abdulla AHMAD, 33-Saif YOUSUF (RGK), 35-Abdulla ABDULRAHMAN, 50-ALSUWADI (RGK)
Coach: Mahdi ALI

Auckland City
1-Jacob SPOONLEY (GK), 3-Ian HOGG, 5-Matt WILLIAMS, 6-Ki-Hyung LEE, 8-Chad COOMBES, 11-Daniel KOPRIVCIC (14-Keryn JORDAN 71), 15-Ivan VICELICH, 16-Jason HAYNE (13-Alex FENERIDIS 85), 17-Adam McGEORGE, 20-Greg UHLMANN (4-Sam CAMPBELL 90+1), 22-Adam DICKINSON
Substitutes not used: 18-Paul GOTHARD (RGK), 7-James PRITCHETT, 9-Paul URLOVIC, 10-Grant YOUNG, 12-Simon EADDY (RGK), 21-Riki VAN STEEDEN, 25-Milos NIKOLIC, 26-Daniel MORGAN.
Coach: Paul POSA

    

                           
 続く


SEA GAMES 2009 開幕  タイ伝説のスプリンター….

2009-12-13 | 陸上競技
2年に一度 11カ国のASEAN 諸国のアスリートが集うスポーツの祭典 SEA GAMES が12月9日に開幕をした。今回はラオスの首都ヴィエンチャンでの開催。12月18日まで28競技の熱戦が繰り広げられる。 2003年の12月にベトナムで開催された SEA GAMES のサッカーの決勝戦、ベトナム vs タイ戦をバンコックでテレビ観戦した事があるが、スタジアムの熱気はテレビのブラウン管を通じても充分に伝わって来た。

先月商用でバンコックを訪問した時、地元英字新聞の中に懐かしいタイのスプリンターの写真を見つけた。 Anat Ratanapol だった。 
1951年、インドのニューデリーで最初のアジア競技大会、所謂 Asian Games が開催され、以降多くの競技で日本人選手が素晴らしい活躍を積み重ねて来た。しかし男子 100m だけはなかなか金メダルを勝ち取る事が出来なかった。 1970年タイのバンコックで開催された第6回大会、日本の神野正英氏が日本人初の同種目金メダリストを目指して大会に臨んだ。その時のライバルが地元タイの英雄 Anat Ratanapol であった。  1970年代、日本をはじめアジアのスプリンター達が最も恐れたのがアジア NO.1 の実力を持つと言われたこの Ratanapol だった。 
レースは激戦の末、10秒5の同タイムながら神野氏が地元の大歓声を受けた Ratanapol を破り日本陸上界に最初のアジア大会100m金メダルをもたらした。
この時の様子を学生時代に本で読んだ事がある。しかし Ratanapol は200mでは神野氏を抑えて金メダルを勝ち取る。優勝タイムは 21秒1 。2位の神野氏は21秒5だった。更に 4 x 100m リレーでも Ratanapol を擁したタイチームは2位日本に 0秒3 の差をつけ40秒4の優勝タイムで金メダル。 Ratanapol は 200m そして 4 x 100m リレーの2種目にタイ史上初のアジア大会金メダルをもたらした。  Ratanapol の全盛は4年後、テヘランで開催されたアジア大会。 100m では神野氏, 200m では石沢氏ら日本人選手を全く寄せ付けず圧勝で金メダル。さらに 4x 100m でも優勝を果たし、3冠を達成した。 2年後のモントリオール五輪にも Ratanapol は出場し2次予選に進出した。 また 4 x 100m リレーにもエントリーしたタイチームはアフリカ勢のボイコットもあったが準決勝に進出した。 もちろん Ratanapol もそのメンバーであった。 
1978年の再びバンコックで開催されたアジア大会では全盛期を過ぎた Ratanapol は 200m で銅メダルを獲得したに留まったが、彼の後に台頭してきた同じタイの Suchat Chairsuvaparb が金メダル。 4 x 100m でも Chaisuvaparb と Ratanapol を擁したタイチームが日本チームを100分の1秒差でかわして金メダルを勝ち取った。またこの大会のタイリレーチームは女子も 4 x 100m リレーで日本を抑えて優勝し男女2冠を達成した。

    

日本人選手のその後のスプリント種目の金メダルは1998年三度バンコックで開催されたアジア大会での 100m, 200m で2冠の輝いた伊東浩二の偉業を待たねばならなかった。 

しかし1970年代興隆を見せたタイ短距離界は1980年以降凋落を見せ、1998年のアジア大会 100m で Seeharwong Reanchai が伊東に次いで2位に入っただけである。それでも 4 x 100m リレーでは 1998年バンコック大会で日本に次いで2位に入ると、2002年、2006年大会と連続して金メダルを勝ち取っている。 個人種目となるとここしばらくSEA GAMES より大きな大会では目立った戦績を上げられないタイスプリンター達だがこれには他のアジア諸国が台頭してきた事。そして今後の対策として、外国からのコーチを招へいしたりジュニア世代からの育成から始めなければならないと Ratanapol は語っていた。

2007年大阪で陸上競技の世界選手権が開催された。その時のタイチームの短距離コーチとして Suchat Chairsuvaparb 氏が来日していた。 前年のアジア大会では日本チームを同タイムながら抑えて 4 x 100m で2連覇を飾ったタイチームの“走り”を期待していたが、出場はしなかった。理由はわからない。

商用で訪れたニュージーランドで、タイの女性がホテルのレセプションに勤めていた。彼女に Ratanapol の話をすると非常に喜んで、1978年地元で開催された大会の事を話してくれた。特に 4 x 100m リレーの時の事は良く覚えているとの事だった。 しかし彼女は Ratanapol よりもその時 100m で優勝した Chairsuvaparb の方が好きだと言っていた。理由は彼の人間性が良いからとの事。 後に代表チームのコーチを務めたのでそれは当たっているかもしれない。 

SEA GAMES の男子100m決勝は12月13日だ。 誰が優勝のテープを切るのだろう。  そしてまた Ratanapol の様な伝説のスプリンターは生まれてくるのだろうか……..