Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

ワールドカップイヤァーなのになぁ… 愛するよまだ10試合以上あるぞ 横浜戦から

2010-08-29 | 京都サンガ J-League

今年は言わずと知れたワールドカップイヤァー。1か月に亘る熱戦もとっくに過ぎてとなるとやはり“本業の” J-League の結果により毎日の生活に影響が…ところが今年は、いや今年も、いややはり今年はサッカーの話題となると、いや街角でサッカー少年やサッカーボールすら目に入ると大変重たい気になってしまうのだ……
勝てない….愛するサンガが勝ってくれない。 Jリーグでは3月27日磐田戦以来勝利がない。 次こそは…何とか勝ってほしい、勝たせたい…こういう思いがもう何か月続いてくる事か…..

8月21日。 久々にNHK BS にてサンガの試合の中継があったので私は本当にこの中継が楽しみで待ち遠しかった。 相手はマリノス。中村俊輔がいる。 あぁ俺もこの試合見たかったなぁ… 西京極に俊輔が登場するなんて何年振りだろう…と思った。 しかし願うのは当然サンガの勝利だった。 この日の観客は 13,963 人。 浴衣姿の女性観客、サポーターの多かった。浴衣姿で来た方は…と云うイベントでもあったのかもしれない。
独身時代、まだJ-League が創設される前の日本リーグ時代。浴衣姿の女の子と一緒にサッカー観戦なんて、考えられなかったなぁ….でもあの時代、開幕は8月末か9月の初め、浴衣美人とは無縁の時代だった…

前節湘南相手に劇的な引分けを演じたサンガは中2日おいてホームでマリノスを迎えた。マリノスは中3日。だけど京都まで遠征で来ている。どちらにも疲労はあるだろうがそれをどう克服するか、それにあった戦術がはまるか…

サンガのスタメンはGK水谷、DFはこの日も3バックで左に森下、そしてCBには増嶋が入り水本が右。郭泰輝がベンチスタートとなった。ボランチには中山と安藤。湘南戦スタメンで後半にベンチに下がった加藤弘堅は累積警告でメンバーから外れた。 ワントップに金成勇が前節に続いて入り2列目は出場停止明けのディエゴと湘南戦後半から出場して良い動きを見せたドゥトラ。MF は湘南戦に続いて右に渡辺大剛、左に中村太亮。
一方のマリノスは前節ホーム三ッ沢で山形相手に 0-1 で敗れた試合から選手を3人変えて来たがトップを山瀬、長谷川アーリアジャスールから坂田と渡邉千真、2人とも替えて来た。昨年夏横浜スタジアムに観戦に行った時は長谷川アーリアジャスールにメタメタにやられたので彼が居ないのは少し安心した。私の好み坂田そして大剛の弟千真がスタメンかぁ…ちょっと不気味な気もしたんだなぁ…

マリノスのキックオフで始まった試合、立ち上がりのサンガは前節と異なりなかなか良かった。相手に走り勝つシーンが目に付き、マリノス陣内に攻め込み相手ボールになっても寄せが早くマリノスの攻撃を俊輔から先への繋ぎを遅らせ簡単にシュートを撃たせなかった。 7分32秒にはマリノスゴール前で成勇が高さを見せ、その直後にはドゥトラがドリブルシュートに持ち込み…マリノスは京都のあの蒸し暑さ (これは経験した者でないと解らない) に苦戦したのか….
しかしマリノスに先制ゴールを決められる。 21分右サイドの俊輔から小椋に繋がれ前線に走り込んだ松田に縦パスが入る。松田は太亮を振り切り中に入れるとそこには坂田が走り込む、そこにマークに入った森下に当たってゴールを割られた。森下に当たらなくてもフリーだった坂田が余裕をもって押し込んでいただろう。
あぁ立ち上がりの攻勢は何だったんだろう…..
そして以降はマリノスが攻勢を続ける。 23分35秒には兵藤のスルーパスを受けた千真が放ったシュートはサイドネットに。 25分15秒にはロビングを松田がヘッドで落としたところを俊輔にフリーで撃たれるがここはクロスバーを越えた。俊輔のトラップがやや大きいのが助かった。 29分8秒には俊輔が起点となり千真を経て坂田がシュートに持ち込むがポストの右に外れてくれた。
マリノスはボランチの松田、小椋がどんどん上がって来るので30分を過ぎたあたりから大剛と太亮をサイドバックに入れDFラインに入れ4バックにし増嶋を中盤に上げて安藤、中山の3人を並べる。 そのせいで前線の3人との間があいてしまい、攻撃が強引なディエゴのドリブルに頼らざるを得なくなってきた。 それでも30分48秒、ディエゴが右サイドからゴール前に入れたロングボールにドゥトラがフリーでヘッドを放つ。 しかし練習でも来ない様な素晴らしいロビングからのフリーのヘッドはゴールを捉えられなかった。あぁ…こういうチャンスを決められないとなぁ…..
39分頃から再び増嶋をDFラインに戻し 3-4-3 のに戻す。安藤と中山が縦への動きが大きくなり攻守に絡むようになった。そして前半はそのまま 0-1 で終わった。 シュート数は 5-5 、前節何も出来なかった湘南戦の前半よりは内容が良かったがビハインドを追う展開となった…..

後半、サンガベンチは金成勇を下げて柳沢を投入した。 得点力の低い今シーズンのサンガ、やはり頼みはこの男のゴール前の動きと勝負強さだ…と思った。 サンガのキックオフで始まった後半は、立ち上がりこそ松田のポストプレー等マリノスの攻勢で始まったが、53分8秒、大剛が右サイドをえぐってシュートを放って以降、サンガがボールを繋ぎだし優勢に出る。柳沢が最前線でのボールのおさまりどころとなり押し上げに人数が掛けられる様になった。 62分には柳沢が前線に飛び出し上げたクロスからDF森下がヘッドを放った。ゴールには至らなかったが1人の選手の投入によってこれだけ好転するのかと思った。そして64分、サンガに同点ゴールが生まれる。
右サイドをドゥトラが突破し中に入れる。中央に走り込んだディエゴが後ろの中山に戻す。マークに入った小椋が中山を倒すがボールは左に走り込んだ中村太亮に送られ、太亮はそのまま放ったシュートがマリノスゴールネットに突き刺さった。 見事なゴールシーンだったが中山が倒された時、主審が良くアドヴァンテージを取ってくれたなぁ.. と思った。 
そして更にここから今シーズンと云うよりも私が初めてJ1でサンガが相手を圧倒し続けたシーンが繰り広げられる。
71分にはディエゴからボールを受けた太亮が天野を振り切りシュートを放つが日本代表CB中澤がクリアー。
72分にはドゥトラが右サイドを突破し大剛を経て柳沢に渡り中澤と縺れながらシュートを放つが惜しくも外れる。中澤のシュートコースを消すマークもさすがだった。74分37秒、カウンターから増嶋、太亮と渡り上げられたクロスにディエゴが頭で狙うが惜しくもゴールに至らない。 77分にはドゥトラが松田、天野に囲まれながらミドルを放つ。 
マリノスは運動量ががっくりと落ちて来た。そしてボールが前戦まで繋げなくなってきた。 マリノスベンチは81分松田を下げて河合を、86分には坂田に替えて齊藤を入れる。だがボールに触るのはサンガの選手ばかりだった。
このまま何とか2点目を、この試合に勝てばJ1残留が見えてくる…
しかし現実は厳しかった。90分、右サイド河田が前線に走り込む山瀬にボールを送り、山瀬が中に折り返すとそこに走り込んで来た河田が放ったシュートがサンガゴールに突き刺さった。
あぁあれだけ攻めていたのに…
一気に気の抜けた私は茫然とテレビ画面を眺めていた。 サンガの選手の何人かはピッチに崩れ落ちる。
ロスタイムに入りディエゴを下げて郭泰輝を最前線に入れる。 しかしスコアーは動かずまたも勝ち試合はお預けとなってしまった。
テレビからはマリノスサポーター達の歓喜の歓声が聞こえてくる。 交替選手の山瀬と河合の2人にやられたなぁ…
32歳ベテラン河合、今シーズン3試合目の出場試合だったがベテランの意地を見せつけられた。 でも俺はこういう選手が好きなんだなぁ…..

サンガは第21節の名古屋戦も 0-1 で敗れた。 これで5ヶ月間Jリーグで勝ち星がない….
こうなるともうずっと勝てないのではないか..と悲観的になってしまう。 でも止まない雨は降らないという、その言葉を信じるとしよう…..

あぁ栄冠は… 京都西健闘及ばず

2010-08-22 | 京都西高校

今年の夏は、いや今年の夏も暑い。強烈に暑い。
そんな中、甲子園球場では熱戦が繰り広げられた。いや甲子園だけでは無い、部活に頑張る中高生がたくさんいるのだ。しかし私が現役だった“スポーツ原始時代” とは違う、指導者達は適切な指導、“水を飲むとばてる”とか“暑さは精神力を鍛える”といった無駄な精神論は押しつけないでもらいたい。 まぁ最近の指導者なんて精神論は言わないか…..

7月末日、海外に商用で赴いている時に吉報が入って来た。
我が母校京都西高校が3年振りの全国高校野球選手権大会に進出を決めた。
準決勝の京都成章戦で競り勝った時点で大きく甲子園に前進したと思っていたけどやっぱり吉報を聞くと嬉しくてたまらない。 

毎年この季節になると思いだす。同級生の野球部の連中がこの3年間甲子園を目指して毎晩遅くまで練習に明け暮れていた事。それでも甲子園に届かなかった彼らの心中は…みんな元気にしているかなぁ…

卒業してから3年後、母校が甲子園の土をようやく踏む事が出来た時、まだ大学生だった自分は当然の様に甲子園球場に応援に出かけたその時に何人か同級生の野球部員と再会ししばし昔話をした…そしていつか俺も全国大会に出てやるぞぉ…と誓ったものだ。
組み分け抽選があり1回戦の相手は新潟明訓高校と決まった。 職場や知人の何人かは“組みし易し”ではないですか…と声を掛けてくれたが私は決してそう思えなかった。確かに一時新潟県の代表校はなかなか1回戦を突破出来ない時期が続いた。 しかし昨年の準優勝校、日本文理学園は新潟県代表。今は21世紀。もう都道府県名で相手の強さを測る時代はとっくに終わっている。そして我が母校が初めて全国大会に出場した昭和59年度の大会では1回戦で新潟南高校と対戦したのだ。試合内容はあまり覚えていないが先制されて、追い付いて…そして最後はサヨナラ負けだった。ランナー2塁にいてレフト前にヒットを打たれた。あぁサヨナラ負け..と思ったら当時の左翼手から矢の様な送球でセカンドランナーはホームイン出来なかった。 その時外野席から大拍手が送られていた。
しかし安堵もつかの間次の打者にも安打を喫し3塁んランナーがホームインし激戦に終止符が打たれた。翌日の新聞では喜んだ1塁ランナーが2塁に達する前に歓喜の輪に入り、もしそれに誰かが気がついて2塁を封殺すればホームインは取り消された…と書いてあった。
その試合後の思い出は忘れられない。 高校時代の担任がバスに乗せてやるから一緒に帰ろうと京都まで連れて行ってくれたのだが、駐車場までは対戦相手の新潟南高校の生徒と一緒になり私だけでなく多くの在校生達が新潟南高校の生徒達と仲良く話していた。今の様にデジカメがあればなぁ…
彼らは嵐山に宿泊しており、母校の前を通り京都西高校の生徒や京都市民達が彼らのバスに手を振っていた。そして新潟南高校の生徒達もそうだった。私は卒業していたけど、良い思い出だったなぁ….. 新潟南のチアガール、みんな可愛かったなぁ….当時京都西高校は男子校だった……

8月13日、大会6日目にようやく登場した我が母校。6日目まで待ちしかも大会第一試合という難しい試合。ただ対戦相手も同じ条件。よくは解らないが今年の京都西はどちらかと云うと守備のチーム。勿論京都府大会では逆転勝利も収めたが、全国大会では相手が違う。先制して何とか逃げ切って欲しいと思った。

序盤 送りバントが明暗を分る…

高校野球というよりも負けたら終わりのトーナメント大会はバントが大切。それは4番打者でも同じと思う。初回、新潟明訓は3番田村君の2塁打で先制をし、2回は池田君の犠牲フライで、3回は柄沢君のライト前タイムリーで3回まで毎回得点を挙げ主導権を握ったが、京都西もチャンスはあった。初回は先頭打者の下村君が2回も先頭の渡辺君がそれぞれヒットで出塁するものの、続く打者がバント失敗で送れず、2点ビハインドの3回表には先頭の佐藤君が左翼線を破る2塁打で出塁する。 続く下村は送りバントに成功するも荻野君がスクイズに失敗。これで立ち上がり不安定だった新潟明訓の先発池田君を助けてしまった。 
新潟明訓が1,2回バントをきっちり決めてランナーを送って得点を挙げたのと全く対照的な立ち上がりだった。そして西校がスクイズ失敗でチャンスを逸した直後、新潟明訓に追加点を許し完全に主導権を握られる展開に。先頭の町屋君がヒットで出塁し盗塁を決め、続く田村君の犠牲フライで3塁に進んだ後に柄沢君にタイムリーを許した。柄沢君のバッティングも良かったがランナー3塁、犠打でも得点が入ると言う場面で打席に入れたのも大きかっただろう。 
ここで京都西は3年生の中村君にスイッチ。だが新潟明訓は続く漆原君がレフト前に弾き返し、渡辺君がファンブルする間に2,3塁とする。 続く伊藤君を3塁ファールフライに打ち取るも7番間藤君を歩かせ2死満塁のピンチ。前の打席で2塁打を打たれたのが気になったか。だが続く西山君を三振に切って取り追加点を何とか阻んだ。先制され、チャンスを逃し、追加点を許し..の悪循環。 先発佐藤君は2年生。それは問題ないのだろうが京都府大会でも先発した事がなかったらしい。 色々事情はありそうだけど、ここは….とも思った。 でも3回までのチャンス、どこか一つバントが決まっていれば…と思った。

   

中盤1点差にするも…

新潟明訓の先発池田君は相手の拙攻に助けられるが、投球内容も立ち上がりスライダーがよく切れていた。 4回には自らの悪送球で1死満塁のピンチを招くが後続の石山君と久須美君をスライダーで外野フライに打ち取り失点を許さなかった。 
4回裏これ以上失点を許したくない京都西、佐藤君はまたも先頭の池田君にレフト前にヒットを打たれ出塁を許す。続く山本君にきっちりと送りバントを決められ、更に脇谷君にはカーブをぶつけてしまい1死1,2塁としてしまい、初回先制の2塁打を放った田村君を迎える。だが何とかライトフライに打ち取った上に1塁走者の脇谷君が飛び出してしまっており、あっという間にピンチを脱する事になった。でもまだ安定感が… だがこの試合初めて新潟明訓のイニングに0がついた。 
そして5回表ようやく京都西が反撃に転じる。先頭の中村君が打ち取られたが、続く下村君がライトに弾き返し出塁すると後続の荻野君が頭部に死球を受ける。荻野君に替って一時的に石山君が代走に送られる。 続く打者は前の打席でヒットを打っている前田君。2-2 から打った当たりはショートの田村君に。2塁で封殺されたが2塁手山本君の1塁への送球がそれてしまい、2塁走者の下倉君が生還しようやく1点を返した。 更に続く金瀬戸君がストレートを見事にセンターに打ち返し 2塁に進んでいた前田君が生還し1点差に。 

  

更に続く渡部君が 2-0 と追い込まれながら1球見送った後のストレートを打ち幸運な内野安打となり同点のチャンスを迎えた。 
ここで京都西ベンチは渡部君に替えて柴田君を代走に送る。 柴田君が還れば同点となるが続く西下君はセンターフライに倒れた。 3安打に渡部君を下げてまで代走を送ったのに..と少し勿体ない気がした。だがこの回の池田君はスライダーの切れが悪くなったせいかスライダーを見送られる様になり、ストレートを打たれる様になった。中村君、金瀬戸君のヒットはいずれもストレートを打ったのも。 
京都西高2番手の中村君は前の回のピンチを三振で打ち取り調子が出たか5回裏は7球3者凡退で仕留め味方の反撃を待つ。6回表の京都西は先頭の石山君が 2-3 まで粘るも最後はストレートで投手ゴロに打ち取られた。ここで新潟明訓ベンチは2番手右腕投手の神田君を投入する。 試合後新潟明訓の佐藤監督は石山君の打席で捕手も取れない暴投をした時に替えようと思ったと話していたが私もその時握力が落ちて来てスライダーを含む変化球の切れが全くなくなっているのでこのイニングもチャンスありと思っていた。
2番手の神田君は伸びのあるストレートで久須美、中村の両君を打ち取った。 特に久須美君には全てストレートを投じて打ち取った。 こりゃもう次の1点は先にやれないなぁ…..と思った。

  

だが戦局はこちらに味方してくれない。前の回7球で終わらせた中村君が6回につかまってしまった。先頭の間藤君に 1-1 からのストレートをレフトに打ち返されると続く西山君に送りバントを決められた後に神田君には外角のカーブを右中間に運ばれ追加点を許すと続く山本君は何とかレフトフライに打ち取るが町屋君にはストレートをレフトに運ばれ5点目を失い更に2死2塁のピンチが続く。 

   


中村君に対し新潟明訓打線は2巡目、左打者の神田、町屋の両君に外角の球をレフトへ狙い打ちされた。 更に初回先制2塁打の田村君を迎える。そしてレフトへ弾き返される。またやられたと思うがここは左翼下村君から遊撃前田君を中継してストライクの返球で2塁走者の町屋君を本塁で刺し何とか6失点目は凌いだ。あの当たりでどうして突っ込ませたのだろう?しかもリードしているのに。あのまま二死ながら一、三塁に走者が残っていた方が更に失点が…と思った。しかしこのイニング4安打を浴び2失点を喫しまた3点差にされてしまった。 

粘るも挽回できず…

新潟明訓の2番手神田君は投入2イニングス目の7回もストレートと変化球が冴える。代打中沢君にライト前にヒットを許すも前の打席でタイムリーを放った金瀬戸君をストレートで三振に打ち取る。一方の中村君も7回裏は無失点に切り抜けるが、先頭の柄沢君が右中間に打ち返した打球をセンターの石山君が素早い送球で2塁を狙った柄沢君を刺した。見事な送球だったが柄沢君は何故走ったのだろう? さっきの町屋君もそうだったけど…
相手の拙攻に乗じて何とか1点でも返してほしいと思った8回表、先頭の柴田君が外角ストレートを打ち返し左中間を破る。 よしツーベースだっ、と思ったが柴田君は2塁も回る。一瞬3塁でクロスプレーにならないか?と案じたがなかなかの快足だ。
3安打に渡部君にどうして替えるんだろう…と思った事を後悔した。 
そして続く西下君が1,2塁間に鋭い打球を飛ばす。よしタイムリーと思ったが2塁手山本君が素晴らしい動きで打球を掴み西下君の出塁を許さない。この間柴田君がホームインし2点差とするがこれで走者が無くなった。無死1塁と1死無走者は大違い。山下君のナイスプレーがこの試合を大きく左右した。
神田君はこの回も外角変化球でストライクを取りに行くがストレートを芯で捉えられるようになってきた。その一方で中村君は8回裏の新潟明訓をあっさりと3人で討取ってくれた。そしてセカンド前田君のファインプレーもあった。

2点差はあるが最終回、まだまだチャンスはあると思ったのだが…. 先頭打者の中村君は初球129kmのストレート、2球目114kmの変化球でたちまち 2-0 と追い込まれ最後は 2-1 から外角低めのストレートを打ちあげてセンターフライに倒れる。続く1番下村君は初球、2球目と変化球が外れて 0-2 となるも3球目に134km の内角ストレート、続く131km の高めのストレートにバットを出してファールとなり 2-2 の並行カウントに。そして最後はインコースの変化球に手が出ず三振に切って取られた。
ここにきても変化球でストライクが取れる神田君はさすがだ。続く打者、代打森永君は3年生。県大会でも数度打席に立っただけらしい。しかし初球の133km のストレートを打ち返した打球はレフトの頭上を破る2塁打に。2死ながらクリーンアップの前にランナーが出た。それにしても森永君の思い切った振りは見事の一言。 きっと一生の思い出になるやろうなぁ…と思った。
新潟明訓の神田君は続く直前の守備でファインプレーを披露した前田君に初球132km ストレートでストライクを取る。 捕手の佐藤君、よくストレートを投げさせたなぁ…. 2球目は外角に変化球が外れ、3球目、ストレートが来ると私は思いそのストレートを前田君が打ち返した打球は快音を残す、よし抜けた !! と思ったがショートの田村君は左に上手く脚を運び打球を掴み1塁に送球し京都西高校の夏が終わった……

新潟明訓はベスト8まで残った。だからこの試合に勝っていればなぁ…と少し胸算用した。

京都西高校は敗れたがしかしこの日の出場メンバーの6人が2年生。来年以降も期待が出来そうだと思う。 両校の3年生達はどういう心境だろうなぁ….
今頃はもうこれで練習から解放されたぁ….と思っているだろうか?
夏休みもあと10日ほど残っている。 今から一般の高校生が味わった楽しさ2年半分をこの10日間で味わってくれれぃ….

そして私は会社の5日間の夏季休暇疲れが今でも取れずにいる……


沖縄 興南高校 春夏連続制覇 ……

2010-08-22 | Weblog

今年の全国高校野球選手権大会、注目されていた興南高校が史上6校目となる春夏制覇を達成した。両校とも打線は充実している一方で共に好投手を擁する高校の対戦なので一二三投手 ( 東海大相模高校 ) 島袋投手 ( 興南高校 ) の投手戦となるので打撃戦になるが投手戦になるか…と思った。

思い出の東海大相模…

私が初めて見た ( といってもテレビだけど ) 高校野球は40年前の決勝戦だった。
地元大阪代表のPL学園が決勝まで進出したので、と云う事でこの試合を途中から最後まで見たのだけど、その時の対戦相手が東海大相模だった。 
試合は東海大相模が先制し、PLがすぐに追い付いたけど打線に勝る東海大相模が追加点を重ねテレビを点けた時は 1-1 だったスコアーは 2-8 と点差がつき、PLが2点返して 4-8 となるが更に2点を追加され 4-10 とされ、最後はPLも頑張ったけど 6-10 で敗れた事を覚えている。東海大相模が優勝したというよりも子供心に大阪代表のPLが負けた….と云う印象がしばらく残った。
この時の東海大相模の監督が今の巨人軍の原辰徳監督の父親、原貢氏であった事はだいぶ後になって知った。そしてPL学園の投手は後に日拓ホームフライヤーズに入団し新人王も獲得した新美投手だった。(事も後で知った。)

小学校6年生の時に東海大相模が優勝した時以来甲子園に登場し、ガンガン打ちまくっていたのを覚えている。そして準々決勝で後にジャイアンツで活躍した定岡正二投手擁する鹿児島実業と対戦し延長15回の末惜敗するのだけど、この時に1年生でレギュラーで出場していたのが今の巨人軍原辰徳監督だった。監督は引き続き原貢氏でマスコミは“親子鷹”と紹介していた。 
この鹿児島実業戦もテレビでみていたのでけど、中継枠内に収まらず試合結果は翌日の朝刊で知った。この年の東海大相模は1回戦でも後に阪神タイガースで中心投手となった好投手工藤を擁する土浦日大と死闘を演じ延長戦の末勝利を収めた。今から考えたら後にプロで活躍する選手が何人もいた大会だった。
翌年から原辰徳人気がものすごくヒートアップし、クラスの(私も中学生になっていた)女の子達がキャーキャー言っていたのを思い出す。その人気を横眼で見て、ものすごく羨ましく、妬ましく思い、東海大相模なんて負けてしまえ…と友人達と言っていた。その怨念が通じたのか?東海大相模はこの間、選抜大会を含めて1度も優勝できなかった。今から考えればあれだけ強打者と好投手が揃っていても勝てなかったのが不思議なくらいだった。
しかし1980年のドラフトで愛するジャイアンツに原辰徳の入団が決まった時はものすごく嬉しかった…. 恐らく私と同世代は “東海大相模=原辰徳” と云うイメージがあると思う……

でもそんな東海大相模でさえ、2000年の選抜で優勝こそ果たしたが、夏の大会は33年も甲子園から遠ざかる時もあったんだなぁ……、俺が中学生の時以来の出場だったのかぁ….

判官贔屓は沖縄代表を応援する…..

まだ沖縄が日本に返還される前から沖縄県の代表校は甲子園に出場していた。 物心が付いて沖縄が返還される前、数度テレビ中継で見た高校野球の試合で沖縄代表を一生懸命応援した事を覚えている。確か普天間高校と名護高校と云う名前を記憶している。 
昭和43年の大会で沖縄代表の興南高校がベスト4に進出した事を後で知ったが(準決勝で優勝した大阪代表の興国高校に敗れた。決勝戦は後にジャイアンツのエースになった新浦を擁した静岡商業が相手だった。) 

私が初めて“見た”強い沖縄県代表校“ は昭和50年選抜大会の豊見城高校だった。エース投手は卒業後ジャイアンツに入団した当時2年生の赤嶺投手だった。 
当時、広島カープに入団後、阪神でローテーション投手だった安仁屋宗八投手以来の沖縄出身の逸材投手と言われていたのを思いだす。 沖縄で海洋博が開催された年でもあったので非常に注目されていた事も覚えている。
その豊見城高校が準々決勝で原辰徳打者らのいた東海大相模高校と当たった。エース赤嶺投手は強打者を寄せ付けない快投を披露。9回表を終わって豊見城高校が 1-0 でリードしていた。 そして最終回の攻撃も先頭打者を投手ゴロに打ち取り続く原辰徳を何と三振に打ち取り勝利まであと1人と云うところまで漕ぎ着けた。 
しかし続く津末(後に大洋、巨人)に当たりは良くなかったが2塁打を打たれ、更に3連打浴び東海大相模が逆転サヨナラで勝ってしまった。
子供心にものすごく悲しくなったのを覚えている…
翌年の夏の大会3年生になった赤嶺投手はチームをベスト8に導くが準々決勝で後に中日のエースとなった当時2年生だった小松辰雄投手と投げ合い 0-1 で惜敗した。この試合、甲子園で実際に観戦をした…
だが豊見城高校の躍進以降、沖縄県代表校は比較的強いとの印象が持たれるようになり、高校野球で全国優勝をと云うのが沖縄県民の願いとなったと記憶している。 35年前の話だ……

両チーム好投手を擁し打線も準決勝戦まで東海大相模が4試合51安打34得点打率 .357 興南が5試合64安打37得点打率 .379 の強打を見せつけて来た。 
打撃戦になるか、投手戦になるかも見どころの一つ。ただ準決勝戦は興南・島袋君が報徳学園相手に2回までに5失点。東海大相模一二三君も3点の先制点を貰いながら中盤に打ちこまれ一旦は 3-6 のリードを背負った。 両チームともリードを許しても打線が爆発し決勝戦進出を決めた。 島袋、一二三両投手が完投していたので、やっぱり打撃戦になるかなぁ…と思った。

試合は序盤の3回まで共に無得点。東海大相模の方が初回と3回にチャンスを掴んでいた。均衡が破れたのは4回裏1死2,3塁から伊礼君がセンター前にタイムリーを放ったのだが、先頭打者の真栄平君が歩いた後に銘苅君のバント失敗の後を受けた山川君がヒットエンドランを決めて伊礼君に回したのが大きかった。更に続く島袋君の打席、スクイズを見破りながら、悪送球で2点目を許してしまった。
そして島袋君を打ち取った時にはこのまま2失点で済むかなぁ…と思ったけど、やはり連戦の疲れが残っていたんだろうなぁ…..自慢のストレートのスピードが 140km を割っていた。この回の先頭打者の真栄平君は4番だけどそれまで打率1割台だった。それでも四球を選んで出塁するあたりはさすがだとも思った。
いきなり7点のビハインドを背負った東海大相模だが以降も一二三君が打ちこまれてしまい6回までに13点差に広がっていた。 6回には準決勝の報徳戦で4安打の我如古君が試合を決定付ける3ラン本塁打を放ったが、一二三君をここまで引っ張るとはわなぁ…と少し気可哀そうに思ったけどここで降板させる方がもっと可哀そうだったかもしれない、いやそう思う事が失礼なのだと反省した。

   
 

だが7回から登板した3年生の江川君は3安打を打たれたが2回を無失点に抑えた。 きっと良い思い出になっただろうなぁ….

それにしても興南打線はこの日も良く打ちまくった。 特に1番国吉陸君、2番慶田城君そして3番我如古君の3人で9安打6打点。 準決勝の報徳戦も8安打4打点。 更に言えば彼ら3人と5番の銘苅君の4人が今大会10安打以上を放った。下位打線でも7番伊礼君が6打点、8番島袋君が4打点、9番大城君が5打点とどこからでもガンガン打ってくる打線だった。
そして決勝戦でも完投勝利を収めた先発の島袋君はこの試合は4奪三振に終わったが今大会は6試合に登板し51回を投げて53の三振を奪った。左投手で脚も早いのできっとプロが目をつける逸材だろうと思う。 

    


7回表、東海大相模の9番打者伊知地君が島袋君の低めの球をレフト前に運び1点を還す。 もちろん勝敗には直接関係する打点では無かったが、一矢報いた快打にスタンドからは拍手が送られる。 例え10点以上の点差が付いてもリードされている方は必死に次の1点を取りに行き、観客はその懸命なプレーに拍手を惜しまない。高校野球決勝戦だけでなく地区大会の試合でもそれは一緒だろう…

自分は最後は挫折して競技を辞めたのでどうしても敗者に目が言ってしまうなぁ…..

だがその拍手が沖縄代表校でなく東海大相模に送られた事が時代の流れを感じる。そしてこんな展開になると予想した人は殆どいないのではないかなぁ…

そして9回表の東海大相模の攻撃も2死。3年生の宮崎大将君が代打に送られるが三振に打ち取られる。 それでも3年生になって最後に甲子園で打席に立てた事は後で良い思い出になると思う…

優勝旗が遂に沖縄県に渡る事になった。沖縄県民の喜ぶ姿が連日伝えられる、優勝した興南高校も準優勝となった東海大相模も本当におめでとうだ。 
甲子園の夏は終わったけど、まだまだ猛暑の日は終わってくれない。  
息子は来年から高校生だ。 自分が中学から高校になった時、高校野球の見方がはっきりと変わった。 

今度は親として自分の子供が高校生になった時にどんな見方になるんだろう…

それが今は楽しみなのである。  

    


New Zealand All Whites ここにあり 楽しみは4年後に....

2010-08-15 | 夏季五輪

イタリアベンチは後半に Gilardino に替えて Di Natale , Pepe に替って Camoranesi を投入したけど、 Pepe はどうして替えるのか?と思った。
それでもイタリアの総攻撃で後半の幕が開けた。48分47秒 Montolivo から右サイドの Di Natale に送られ Tommy Smith がマークに入る前にシュートを放つがPaston の正面に。55分には Criscito が左サイドからクロスを入れるが Vicelich がクリアー。 55分47秒には Lochhead が Camoranesi を倒してFKを与える。しかしここも長身揃いの All Whites DF, MF陣が跳ね返す。All Whites とは言え空中戦ではアズーリ相手でも大いに分があったがそれだけでない、肘をせり出す“イタリア的なタフ“ なプレーもこれは日本を含む今大会参加国全てにあるわけではない彼らの Advantage だった。
しかし Bertos のドリブル以外攻撃は列強のイタリアDF陣を破る事はほぼ不可能に見えた。60分9秒 De Rossi から Iaquinta にスルーパスが入りフリーでシュートを放つが痛恨のミス。
その直後に Lippi 監督は最後の交替選手 Pazzini を Marchiso に替えて投入する。すると Herbert 監督も FW Fallon を下げて FW Chris Wood を投入する。まだまだ守備の選手を増やさない。まだまだ戦うぞと云うサインだ。 62分40秒には Cannavaro のスローインから Criscito がシュートを放つが僅かに外れる。 69分52秒には Montolivo のミドルがさく裂するが Paston がまたも右手一本でセーブ。72分、久々に All Whites がイタリアゴール前にまで迫るがそこからイタリアはカウンターに転ずる。しかし最後は Nelsen が必死に戻ってクリアー。その前に Smith が倒されたけど笛は鳴らなかった。
79分、CKから Iaquinta がヘッドで Camoranesi に折り返そうとするがその直前に Reid が高さで制してヘッドでコーナーに。そのCKから Camoranesi がシュートに持ち込もうとするが今度は Vicelich がブロック。 
81分 Vicelich に替ってJeremy Christie が投入される。 Christie は中盤の選手。これで Elliot がDFラインに入った。だがまだまだ専守防衛に移りはしない。
そして82分ニュージーランド国民が一斉に身を乗り出すシーンが。PA付近で縦パスを受けた Chris Wood が Cannavaro を振り切り右ポストを目がけて放ったシュートはスロービデオを見ている様に右ポストをめがけて転がるがポストの左を通過してしまった。イタリア国民は心臓が凍る思いだっただろう。だがこのシュートがAll Whites の選手達を勇気付けたのは言うまでも無い。そしてイタリアDF陣も容易に後ろを開けられなくなって来た。
85分、 イタリアの猛攻に立ち向かい続けた Nelsen が倒れて動けない。脚がつったようだ。担架が持ち出されるが、これに乗せられると一時的に All Whites は1人少ない状態で戦わねばならない。なかなか動かない Nelsen に Batres 主審からイエローカードが出される。 時間稼ぎと取られたか?
87分55秒 Camoranesi のミドルが飛びCKに。そのCKから Iaquinta がヘッドを放つがゴールポスト左に外れる。89分57秒には右サイドから中に切れ込んだ Zambrotta が Smith を外して放ったシュートは Camoranesi の前で Nelsen が身を呈してブロック。 ロスタイムは4分と表示された、イタリアが逆転するには充分な時間だ。 90分55秒には Montolivo が放ったシュートは Paton がキャッチ。スタンドの白色の衣装をまとっていた All Whites サポーター達はその白いシャツ等を振りまわして声援を送る。その中に女性1人、彼女のブラは Black だったけど…

そして91分55秒、今大会私が日本戦以外で最もエキサイトをした瞬間が訪れる。  Herbert 監督が13番 Andy Barronを伴ってピッチサイドに出て来た。 昨年11月 Play Off のバーレーン戦にも途中出場をしたアマチュアの選手だ。 普段は Wellington の Westpac Bankに勤めるサラリーマン選手だ。 彼の年棒は知らないが対戦相手の選手達の給料は彼の何十倍、何百倍。 それでなくても選手の年棒が激増する中で彼の様な選手がワールドカップでプレーする事がたまらなく痛快だ。  94分27秒両者に異なる意味の勝点1ずつが与えられるホイッスルが鳴った。



Herbert 監督がすぐに Lippi 監督の元に寄り握手を求める。2人は何語でどんな話をしたのだろう…… ピッチ上、観客席では明暗が分かれる。 
CK 数はイタリア15に対してニュージーランド 0 。シュート数はイタリア23に対してニュージーランドは3 が示す通りイタリアが圧倒的に試合を支配していた。イタリアは1次リーグ敗退の可能性が出て来た。
そして All Whites は決勝トーナメント進出も夢では無くなって来た…だとしたら次から Moss が出場出来るのだけど次のパラグアイ戦もGKは Paston だろうあぁ…

後日ある新聞には両チームスタメンの年棒は16倍も差があったらしい… さらにイタリアの footballer ( 恐らく登録者だともうけど ) 登録はプロ選手 3,541 人を含めて490万人でニュージーランドの人口を上回るそうだ。
試合後、 Herbet 監督は Andy Barron の起用はアマチュア選手が億万長者に対抗できる証明をする為だと認めたらしい。大会前の最終メンバー決定の過程でかつての代表選手、 Wynton Rufer や Danny Hay らはアマチュア選手はワールドカップに連れて行くべきではないと語っていたらしいが。
“まさにそれが我々の全てだ。 確かに Ryan Nelsen の様なプロのスター選手がいるが、これまでの2試合の様にハードワークの元に好結果を捻りだすのが私達のやり方だ。それがニュージーランドで、我々のスピリットの全てだ。それはニュージーランドスポーツの特別な瞬間だった。 我々がここでやり遂げた事全ての瞬間が歴史を作っている。” 
Barron は“我々は昨年ここでイタリアと試合をしているその時に破っておくべきであった。” それは FIFA Confederations Cup 前の調整試合で 3-4 で敗れた試合の事であった。イタリアから3度リード奪っていたのだけど… “ 以上の様に語った。

我々はワールドカップには不充分でプレーすべきでないと言われていたアマチュア選手を含むチームにOKが出されようとしている。我々はただ4度世界王者となったチームと戦い引き分けただけだ。多くの人達は我々はワールドカップに出場に値しない、我々は簡単に予選を突破したと..ならば自分のストーリーを書きつづれば良いだろう。しかし掲示板の示されたのは最も信じられない結果だ。“  Nelsen のコメントだが同時にPKの判定に怒りを隠さない。

“ペナルティーはあんまりだ。 Di Rossi でさえ私に向かって笑っていた。彼もPKを信じられなかったのだろう。明らかに主審は我々を助けなかった。 もし彼がFIFAが勧めた最高の主審であったとしたらそれが最悪と見なければならないだろう。 それは残念なことだろうが試合を台無しにしてしまった。 我々は空中戦が得意だ。イタリア人達はそれを知っている。だから競り合った後に地面に倒れてひじ打ちを受けた様に振舞う必要があった。主審は最初からそうだった。もし我々に不利なミスジャッジをしても世界は誰も指示しないがそれがイタリアに不利になるジャッジであれば世界中が指摘する。 彼はそれを解っていたのだ。 “



そして続くパラグアイ戦に臨むにあたり、“我々は引き分けても次のラウンドに進出する可能性が出て来た。それは素晴らしいチャンスだ。 誰が考えただろう?最終戦に我々がまだ真剣勝負が出来るだなんて?パラグアイ戦は難しくなるだろう。 前にチームメイト( Blackburn Rovers ) であった Roque ( Santa Cruz ) と話を既にした。次に彼と対戦するのが楽しみだ。”….. そしてこう付け加えた。

“我々は数合わせの為にやって来たのではない事が証明された。”

最終戦のパラグアイ戦は引き分けたがスロヴァキアがイタリアを破った為に All Whites の挑戦はそこで幕を閉じた。だが世界にニュージーランド人は楕円形以外のボールを扱える事を証明しただろう。日本のジャーナリストにはそれが難しい事なのだろう。

8月6日、West Ham はスロヴァキア戦で同点ゴールを決めた Winston Reid の所属するデンマークのFC Midtjylland から獲得をしたとの報道があった。移籍金は £400万 ( 約 5億2千万円 ) だったらしい。この金額は新シーズンに向けて West Ham が獲得した Thomas Hitzlsperger ( Lazio £248万 ) Pablo Barrera ( Pumas Mexico £389万 ) らよりも高額だ。 

     

そして Rickie Herbert 監督以下多くの All Whites メンバーを含む Wellington Phoenix のタイトルを狙う A-League が開幕した。 
10月9日にパラグアイ代表がオーストラリア・シドニーで親善試合を行った3日後の12日には Wellington で All Whites との試合が組まれる事となった。

しかし今大会の All Whites で残念なことが一つあった。それはそこで Haka が演じられなかった事。ラグビー以外の球技で何度か見た事があったのだけれど…

しかしそれは4年後ブラジルでの楽しみとって置く事にしよう?


New Zealand All Whites ここにあり 

2010-08-15 | 夏季五輪

ロスタイム4分は過ぎていた。いつ終了のホイッスルが鳴ってもいいはずだった。
そしてついにグアテマラ人の Carlos Batres 主審の長いホイッスルが吹かれた。
その瞬間私はテレビに向かって思わずこう言った。

ざまぁ見ろ、 本当にざまぁ見ろだ。

イタリア選手に対してでは当然ない。スポーツを実際やった事がある人は、例え五輪に出場した事がある人でも高校までしか出来なかった人でも対戦相手に敬意を払う事は、例え世界選手権でも地区大会の初戦でも現役中でも引退してからでもそれが一番大切な事と理解しているはずだ。
イタリアサポーター達にでもない。対戦相手のサポーターや応援団も対戦相手同様と私は考えている。 

イタリア代表の事なら恐らくイタリア人を除くと世界で最も詳しく述べる事が出来るであろう日本の“スポーツジャーナリスト”と名がついて彼らの書いた行で金銭を受領する輩達に対してだ。
New Zealand All Whites に就いてはどうだろう?昨年11月バーレーンとの大陸間プレーオフを現場で観戦したジャーナリストはいたのだろうか? Wellington でその瞬間を見た私はそれらしき人は確認出来なかった。もしいたとしても All Whites の事を詳しく知る“専門家”は皆無に近い事は容易に想像できる。
本大会に入る前もオセアニアから唯一やって来たこの“島国”の事を正確に述べられる“ジャーナリスト”は皆無だった。

イタリア、パラグアイ、スロヴァキアそしてニュージーランドが並ぶGroup F は本命イタリア、対抗がパラグアイ、ニュージーランドは番外、これが一般的な予想だ。 
ニュージーランド国民でさえ1勝点、1得点が上げられるかどうかが関の山だったと思われていただろう。
私は日本人だがそうは思わなかった。初戦は対戦相手で最も力の劣るスロヴァキア戦。本大会の緊張がほぐれないうちにイタリアや南米の強豪パラグアイを相手にするよりはここで勝点を挙げれば…と思った。しかし反対にスロヴァキアとて決勝トーナメントに進む為には初戦のニュージーランド戦は絶対に勝ちたい相手。ここで“取りこぼす”事は出来ない、やっぱり3連敗の可能性も低くはないなぁ…とも思った。(どっちや?)
しかしこんな結果になるとは、大会前だれも予想なんて、いや想像なんて出来ない事だった。(当たり前か?)

おそらくイタリア人サポーター達は第二戦の相手ニュージーランド戦は当然勝つ、負けるわけがない、問題は何得点を奪えるか?そう期待していただろう。 日本の“イタリア通”もそうだったに違いない。初戦のスロヴァキア戦、九分九厘負けていた試合を Winston Reid の起死回生のヘッドで悲願の1勝点、1得点を挙げた All Whites はもう何も失うものは無い、このイタリア戦は大量失点さえ喫しなければ….とおもった。

The day New Zealand finally fell in love with that round-ball game
Guardian

ブブゼラ?いやイタリア人にとってはこれで充分だ。 Nuova Zealand ,この発音はこの試合の翌朝イタリア人達にとっては充分に醜く響いただろう。 
試合は引分けに終わっただろう。しかしニュージーランドにとっては偉大な勝利だった。ラグビーとクリケットが世界に誇れる小さな島国のスポーツ史上1987年のラグビーワールドカップで優勝した時以来の快挙である。スロヴァキア戦では試合終了間際に同点に追いつ頭を上げる事が出来た。 例え憎きオースオトラリアと言えども 0-4 で大敗したのに Sydney Morning Herald 紙は Australia 1 Slovakia 1 の見出しが躍る謙虚さを見せた。
しかしイタリア人にとってはそれは被害を最小限に抑える為の対策でしかなかった。 確かにロンドン東部のパブでイタリア人達は 3-0, 4-0 そして 5-0 を予測していた。 ニュージーランド人達はとにかく 0-3 までなら良い事だと言った。 1823年 William Webb Ellis 少年はサッカーボールを拾い上げ走り出した。 ニュージーランドのラグ
ビーファンの今の心配はニュージーランド選手がボールを置いて走りだしたりしないかだ。


両チームとも初戦と同じスタメン。All Whites は最終予選のバーレーン戦から3バックを敷いていた。CBには重鎮 Premiership Blackburn Rovers の Ryan Nelsen そして左SBはプレーオフ前に代表復帰のベテラン Ivan Vicelich 。そして右SB は Wellington Phoenix の Ben Sigmund ではなく長身187cmの Tommy Smith ボランチには 190cm のWinston Reid と36歳ベテランの Simon Elliot を起用。Reid がパラグアイ戦でゴールを挙げ、この試合の Elliot の深い読みの守備をみれば Herbert 監督の抜擢がよく理解できる。 
2列目と云うよりも今大会守備的MFの役割時間が長かったのは右の Leo Bertos と左の Tony Lochhead 。そしてFWは A-League Gold Coast United の得点王 185cm のShane Smletz が1トップ。右に 188cm Ray Fallon , 左に 183cm Chirs Killen と長身が並ぶ。 
砦を文字通り守り続けたのは Wellington Phoenix の Mark Paston 。ワールドカップ予選途中までと FIFA Confederations Cup でレギュラーだった Melbourne Victory の Glen Moss はまだワールドカップ予選のフィジー戦で退場処分をくらいこの試合まで出場停止中だった。

イタリア国歌に続いてニュージーランド国歌が。世界的に知られており“一般”サポーターを取り込んでいるにアズーリ対する All Whites のサポーター達もスロヴァキア戦の引分けでようやくワールドカップでの“市民権”を手に入れられたか? だが列強相手に大敗して競技場を後にだけはしたくなかっただろうなぁ….
しかし試合は思わぬ、そして第三者にも最高の立ち上がりを見せる。5分45秒、 Paston からのGKを Tommy Smith と競った Zambrotta がファールに取られ All Whites にFKが与えられる。直接狙うには距離があるが、ゴール前には Nelsen , Reid ら長身選手が入る。そして Elliot がゴール前に上げたボールは Cannavaro に当たりこぼれたところを Smelz が押し込み見事に All Whites が先制ゴールを挙げた。




Cannavaro が前の選手のブラインドになりボールが出てくるところを見失いコントロール出来なかったのだろうが、彼の前で飛びあがったのは Zambrotta , しかしその後ろにいた Reid が Zambrotta の背中を押していいた。 その分 Cannavaro はボールが入って来るコースが見えなかったのだろう。 



先制を許してからのイタリアは目を醒まされた様に一気に攻勢にでる。
18分11秒 CK から Chiellini が惜しいシュートを放ち、21分34秒Montolivo からボールを受けた Zambrotta がLcohhead, Elliot, Smith に囲まれながらシュートを放つ。 Pepe が右サイドに開いたのを Lochhead が気に取られマークが甘くなった瞬間だった。26分10秒に Montolivo が De Rossi の縦パスを受けて放ったミドルがポストの内側を叩くがゴールネットには至らない。ここも Lochhead の位置が中途半端だった。 
そして27分21秒、 Chiellini の左からのクロスがゴール前に上がる。そこに走り込んだ De Rossi が倒れる。Batres 主審がすかさずペナルティースポットを指してイエローカードを出す。出された相手は Tommy Smith 。リプレーを見ると、確かに De Rossi に振り切られた Smith はユニフォームを掴んだが、ボールが足元に来た時は既に“振り切った”後。 足元にボールが入る瞬間に前に倒れ込んだ。 まさに技ありのプレー。しかしこれがイタリアがこの試合最もイタリアらしさを見せた瞬間だった。



ここで得たPKをIaquinta が決めてイタリアがようやく同点に追い付いた。
GK Paston, プレーオフでは見事PKをストップしたんだけど、やはりワールドカップはレベルが違うか…

試合を振り出しに戻した後もイタリアの猛攻は続く。 34分35秒 Montolovo のパスから De Rossi がシュート。両サイド、特にAll Whites の左サイドを Pepe, Zambrotta が徹底的に狙ってくる。37分にもこのサイドが崩されたが最後は Elliot がクリアー。40分には Iaquinta のスルーパスが Gilardino に入りシュートに持ち込むがGK Paston がキャッチ。
終了直前にもスローインを受けた Pepe が De Rossi のミドルを演出するが Paston がCKに逃れる。そのCKがネアー入るが今度は Nelsen がブロック。 こうして何とか同点のまま前半が終わったが、おそらくイタリア、ニュージーランド両国サポーター達はイタリアが逆転するのも時間の問題と思った事だろう。    後半に続く