Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

浦和REDS精一杯の“惜敗”

2007-12-30 | Weblog

FIFA Club World Cup の準決勝戦の行われた12月13日はミラニスタ、イタリアサッカー関係者には極東の島国のクラブチームが例えアジア王者とは言えイタリアの偉大な AC Milan が負けるなど考える事もなかっただろう。しかし我々から見れば “日本サッカーの存在”を世界に知らしめる絶好のチャンスであった。もし万が一浦和 REDS が AC Milan を破ってくれたら……

今から16年前の4月。生まれて初めて訪れた海外(といっても会社の業務命令の出張だった。)はポーランドの見本市で有名な Poznan市。当時はワールドカップイタリア大会の1ヶ月半前。ホテルで初めて視た EURO SPORTS CHANNEL では連日ワールドカップの歴史や前年行われたワールドカップ予選の再放送をしていて“さすが本場欧州”と当時の“ワールドカップ”と言えばバレーボールと言われていた日本との違いを感じた。ある日上司や駐在所長らがカジノに出掛け、一人ホテルに居残った夜、欧州 Champions Cup の準決勝戦 AC Milan 対 Bayern Munchen のゲームがロビーの大型テレビに映し出され、その前に5~6人の人集りが出来ていたのを見つけた。イタリアやドイツそして地元ポーランドと言った欧州人ばかりでビールや水割り等アルコールを片手に談笑とテレビ観戦を楽しんでいた。そこに“アジア人”の私が入って行ったのだ。まだビジネス英語半人前だったが毎月(当時のサッカー専門誌は月刊誌ばかり)サッカー雑誌を隅々まで読んでいたのでサッカーの知識なら、と彼らの輪に加わった。ワールドカップの話や欧州のカップ戦等の話をして楽しい時間を過ごした。やがてAC Milan が1-2 で敗れたもののアウェーゴール数でバイエルンを降し決勝進出を決めた試合の中継も終わり、そろそろ宴も潮時と、お互いに握手をして別れたが、その際に一人のイタリア人が私にこう言った。

“日本人なのに随分サッカーに詳しいなぁ。日本にもサッカー選手がいるのかぃ?” 

彼に悪気が無いのはよく解っていたがはっきり言ってショックだった。1968年にメキシコ五輪で銅メダルを獲得した事や70年代から80年代中盤にかけて奥寺が Bundesliga で活躍した事…….なんてしらなかっただろうなぁ……..

それが当時の世界のサッカー界における日本の地位であった。こあれから時は過ぎ、日本代表はアジア王者、ワールドカップの出場を果たし、日本はワールドカップのホスト国にもなり着実に“日本サッカー”は前進を続けている。そしてこの AC Milan 戦は“日本サッカー”がどれだけ世界に近づいているかを測る絶好の機会でもあった。 70年代に来日した海外のクラブチームの中には羽田空港に到着しそのまま国立競技場に直行して試合を行うという条件下でも日本代表を破ったと言うチームがいくつかあった。しかし、AC Milan はこの大会の為に UEFA にChampions League の日程変更依頼をしてまで最初の試合の1週間も前から日本入りをした。時差対策も専門医と相談し来日前の11月30日から調整して来たらしい。これで日本の数少ないアドヴァンテージが一つ減った。

12月1日には Serie A で Juventus と 12月4日には UEFA Champions League で Celtic との試合を こなし、そのメンバー構成を見てもこの大会と言うよりの浦和戦に照準を絞って来たのが想像できた。 GKはCeltic 戦で起用された元オーストラリア代表GKカラッチのスタメンかとも思ったがジダ。アトランタ五輪の日本戦ではアウダイールと交錯して日本に決勝点を献上する原因を作ってくれた。この試合ではどうだろう? 4バックのDF陣は左サイドバックがJuventus 戦でも Celtic 戦でも起用されなかったヤンクロフスキ。CBは右がネスタで左がカラーゼ、右サイドバックはオッド。中盤は左がアンブロシーニ、真中がピルロ。右にはガットゥーゾ。2列目はセードルフにカカー。この5人は Juventus , Celtic 戦共にスタメンで起用された。ただ Juventus 戦ではカカーとジラルディーノが2トップでセードルフがトップ下だった。そしてジラルディーノのワントップ。 Celtic 戦でワントップに起用されたインザーギはベンチスタート。一方の浦和は三日前の Sepahan 戦と同じスタメンだった。

歴史的な試合はキックオフの直後から浦和が攻勢に出た。開始直後には長谷部と細貝が連続してサイドからクロスを上げる。 Milan の選手がボールを持つと周囲を素早く囲み込み前に出させない様にする。4分には阿部がミドルを放つ。6分にはネスタからジラルディーノへのパスを闘莉王がインターセプトし攻撃に転じようとするところを闘莉王の右足首を後方からネスタが反則タックルで止め、イエローが出される。7分には右サイドで長谷部からボールを受けた細貝が粘り再び長谷部に繋ぎシュートに持ち込む。その直後にはピルロからカカーへ渡ったところをネネが奪い取る。カカーだけがこの試合のブラジル人選手ではないんだぞと言う意地もあるのか? 8分には細貝からペナルティーエリア内のワシントンに渡るがトラップが少し大きくシュートは撃てなかった。10分にはカカーがドルブル突破を図るがネネと阿部がストップ。大歓声に後押しされた浦和が立ちあがりいいリズムで Milan と渡り合うが
15分を過ぎるとそれまでは様子見に徹していたのか Milan が主導権を握りだす。
23分にはカカーが中央からドリブルで上がり阿倍とネネを引き付け右から上がって来たセードルフが闘莉王がマークに入る前にシュートを放つがGK都築がキャッチ。26分には相馬がピルロへのファールでFKを与えヤンクロフスキが撃ったFKは都築の正面に。27分ネスタからボールを受けたカカーが左サイドをドルブル突破。闘莉王、細貝、啓太がマークに入るが逆サイドに走り込んだアンブロジーニに渡り、中のジラルディーノに折り返されるが足下に入りすぎてコントロール出来ずGK都築が掴む。 40分には左サイドをヤンクロフスキ、アンブロジーニのパス交換で突破され中のカカー、ジラルディーノの待つゴール前にクロスが入るがここは坪井がヘッドでクリアー。Milan はロング、ミドルのパスそしてダイレクトパスを多用し、そして両サイドが高い位置に張り出してくるので細貝、相馬が押し込まれてしまう。
そんな中でも奮闘したのが阿倍。何度もカカーと対等にボールを奪い合い、32分と37分にはカカーが阿倍にファールで止める。

            


そして細貝が前に出られないとなるや永井が右サイドに流れてそこにボールが出ると長谷部が上がって来る。41分には浦和に良い形が出来た。ワシントンが中盤からドリブルで右から左へ斜めに上がる。ガットゥーゾ、オッド、カラーゼの3人がマークに着くがそのままキープし長谷部に下げる。長谷部から右サイドに流れた永井にクロスを入れ永井が頭で落とした所を啓太がボレーで撃ったが弾道はそれほど勢いがなくGKジダの正面に。そしてロスタイム1分を経て前半を無失点で終えた。前半32分に出たボール支配率では Milan の63% に対し浦和は 37% であった。浦和としてはワシントンが前半最後の攻撃で起点になった様に何とか良い位置でワシントンにボールが入れば…と後半期待する。

しかしながら後半は立ち上がりから Milan が更なる攻勢にでる。 48分にはカカーが右サイドを突破し、一旦後方のガットゥーゾに下げそこから逆サイドのヤンクロフスキに渡りダイレクトで撃たれるがファーサイドを狙ったシュートは僅かにポストの左に外れてくれる。50分には波状攻撃が浦和ゴールを襲う。ガットゥーゾからボールを受けたヤンクロフスキがアンブロジーニとのワンツーで抜け中のジラルディーノが撃ったシュートは戻ったネネが何とかブロック。そのこぼれ球を拾ったヤンクロフスキが再び中に入れるがフリーのセードルフにはオフサイドのホイッスルが鳴る。中2日での試合に浦和イレブンの動きが徐々に鈍ってきたのかそれともMilan がさらにテンポアップして来たのか。後半は開始早々からヤンクロフスキが高い位置に張り出して来る。そして1対1では競り負け、クリアーボールを高い位置に出て来たDFラインが容易に拾う。
それでも55分、ボールが Milan ゴール前に進む。左サイドを相馬が突破し阿倍に繋ぐ。阿倍はセードルフ、ガットゥーズをドリブルで振り切りオッドの来る前にシュートを放つ。そのシュートはGKジダの正面に飛ぶがジダは一旦前に落す。しかし永井が詰める前にカラーゼがジダとの間に入る。まだまだ阿倍の突破力は威力が残っているか?その間に何とかチャンスをつかめぬものかと思う。しかしその直後からも Milan の攻勢が続く。56分にはピルロからボールを受けたアンブロジーニが入れたロブをセードルフが胸でワントラップして相馬がブロックに入る前に放ったショットはサイドネットに。58分には坪井がチェックに入る直前にカラーゼがアンブロジーニに渡し、更に中のジラルディーノに渡るもそこからのシュートは大きく外れる。アテネ五輪では日本相手にアクロバティックなゴールを決めるなど2ゴールを決めたジラルディーノは当時パルマに所属していた。アテネ五輪の日本戦にはピルロもオーバーエイジ枠でエントリーされ出場した。浦和では闘莉王、阿部、小野そして田中達也がイタリア戦に出場し阿倍はゴールも決めた。ジラルディーノはその後 AC Milan に移籍しワールドカップ予選では8試合に出場し2得点。試合出場数ではルカ・トニに並んでFW選手では最多タイだった。2006年のワールドカップでも決勝戦こそ出場出来なかったが5試合に出場し302分間プレーした。この数字もワールドカップでもFWではルカ・トニに次ぐ数字。出場時間で言えばデルピエロやインザーギよりも長かった。しかしこの試合では思う様なパフォーマンスを披露出来なかったか62分にインザーギと交替でベンチに下がった。相手のワントップに仕事をさせなかった事は浦和イレブンに勇気を与えたか、65分には啓太からボールを受けた闘莉王が前線の永井にドンピシャのロングパスを送る。永井が入れようとしたクロスはネスタがコーナーに逃げる。67分には啓太からボールを受けたワシントンがアンブロジーニ、カラーゼの前でミドルを放つがジダがキャッチ。まだゴールは遠いが何とか先制点の希望が少し出て来る。しかし67分にはカカーが右サイドをドリブルで坪井、永井を振り切り中へ切れ込みシュートを放つ。これは戻った坪井がカバーに入りゴールインを防ぐが、その直後の68分、今度はカカーが左サイドを突破し坪井、闘莉王がマークに入るがゴール前に入れられ、走り込んできたセードルフがそのままプッシュし遂に先制ゴールを割られてしまった。

          

セードルフにボールが入る前に先にゴール前にいたインザーギにネネと相馬がマークに入りセードルフがフリーになってしまった。勝つためには絶対に先制ゴールが欲しかったのだが、そうさせないのはさすがに世界の Milan だ。
劣勢の中先制ゴールを許した浦和に更に追い討ちをかける様に76分には闘莉王が太腿を痛めたらしく山田と交替を余儀なくされる。

             

この交替はオジェク監督には痛かっただろう。小野伸二の投入時機がこれで遠のいてしまった。阿部が左のDFに入りネネがCBにそして長谷部がボランチに入り山田がトップ下に入った。阿倍が後方に下がったのは痛かったが、山田が投入直後に魅せる。都築からのフィードを頭で永井に落しそのまま右サイドからワシントンにクロスが入るがその前にカラーゼがクリアー。その直後にも相馬からボールを受け、左サイドを突破し切れ込んでシュートに持ち込むがコーナーに。10月28日の名古屋戦以来1カ月以上試合から遠ざかっていた山田だったがなんとかこの大会に間に合った様だ。
80分に Milan ベンチはヤンクロフスキに替えてマルディーニが投入されるがこれは想定内か想定外か? 81分には平川が相馬に替って投入される。なんとか同点ゴールをと思うが今季の Milan は残り10分で失点したの試合は Serie A でのパレルモ戦と Champions League のベンフィカ戦とセルティック戦の3試合あるが…..
しかしクロスは上げられるのだがなかなかシュートにまで至らない。ロスタイムの3分も過ぎようとする93分、カカーのスルーパスをカットした坪井がそのままドルブルで持ち込み山田を経由し細貝に。中に入れたクロスをカラーゼがヘッドでクリアーするがそれを平川が拾い山田に繋いでまたも右サイドの細貝に送られたところで無情のホイッスルが吹かれた。

やや安堵の表情を浮かべたが Milan イレブンではあったが、やはり“勝って当たり前”といった表情。カカーは“先輩セレソン”に敬意を表してかワシントンとユニフォームを交換していた。一方の浦和イレブンは無念の表情が消えない。

          

しかし前半は浦和の守備が機能していた。これは個々の能力がある程度のレベルの達しているからで1対1でまったく話にならない程個人差に開きがあればいくら守備が組織化されても機能はしない。個人では阿倍がミラニスタ達に印象を残したのでは無いか?前半はカカーと対等に競り合うシーンも。

          

ポンテがいればなぁ~、小野が万全の状態だったら、達也の怪我がなければ……そう言う思いが消えない。最後はカカーの個人能力1発にやられた様な結果だったが、全体では埋められない差が随所に合った様だ。浦和が三日前に試合をしていると言うエクスキューズがあるもののもし Milan が2点を挙げる必要があれば2点を取っていたかもしれないし、それ以上の得点が必要だったらその通りになっていたかもしれない。 Milan 相手に一人で状況を打開出来る選手はワシントンだけ。やはり日本人には難しいか?と思うもカカーもブラジル人だったっけ…….

翌日の新聞には“惜敗”の文字が躍っていたがそれが精一杯の報道だろう。この試合で少しはイタリア人に日本にもジョカトーレがいる事を示せただろうか………
だがサッカーは世界中にある。今度はアフリカ王者にアジア、日本の存在を示す番だった…….


浦和ドリームマッチを目指して vs Sepahan

2007-12-25 | Weblog
12月1日は我が親子にとっては “ Black Saturday “ であった。
12:00 Kick Off の J2 最終節で愛する京都サンガは草津相手にロスタイムで同点ゴールを喫し最終戦を白星で飾れずJ1昇格は入れ替え戦までお預けとなり、14:30 Kick Off の J1 最終節で浦和 REDS はJ2降格と最下位が決定している横浜FCにキングカズの“魂のクロス”に沈み手中にしかけいていた2年連続のJリーグタイトルを逸してしまった。この日失ったものは息子の応援する浦和の方が大きかった。
京都の方は対象チームの札幌が勝てばその時点で入れ替え戦に回る事となっており、結局札幌は逆転で水戸を降したのでその時点で京都の自動昇格は消滅していた。そして翌週のサンフレッチェ広島との入れ替え戦を制して見事にJ1復帰を果たしてくれた。
一方の浦和 REDS は11月14日さいたまスタジアム2002 でイランのSepahan を降しACL王者に戴冠して以降は11月28日に行われた天皇杯4回戦では愛媛FCに 0-2 で敗れるなど4試合では勝星は無くJリーグに関して言えば10月20日、第29節の千葉戦で 4-2 で勝って以来3分2敗。得点も11月11日の川崎戦でワシントンが決めたゴールのみだった。思い出したのは2002年の第二ステージ。第9節さいたまスタジアムでの名古屋戦、福田、トゥットのゴールで逆転勝を納め首位に躍り出て以降6連敗、しかもゴールもわずかに1得点のみで結局5位に沈んでしまった。 Jリーグ連覇を逃した悔しさを FIFA Club World Cup で“補填”出来るかは REDS サポーターでない私は解らないが、サッカーを30年以上観て来た私にとって公式戦で日本とアジアを代表する浦和 REDS が欧州王者の AC Milan とどういう試合をするのかは絶対に観てみたいものであり、こう言う機会を逸するといつまた巡って来るかわからない空前のチャンスでもあった。だが AC Milan と公式戦を行いたいのは浦和REDS だけではなく世界中に散在しており、この日対戦したイランの Sepahan も同じ思いである事はよく解る。それだけでなく ACL で浦和REDS に敗れたその“リベンジ”を果たす絶好の機会でもあり、12月10日の浦和戦に勝つ事が出来ればACL 決勝戦での敗戦を埋めて有り余る価値がある。
3日前の Waitakere United 戦を 3-1 と快勝した Sepahan の先発フォーメーションは11月14日のさいたまスタジアムでの 4-4-1-1 と異なりその前週のホームでの 4-2-3-1 と同じ布陣。そしてメンバーも替えて来た。Waitakere 戦も 4-2-3-1 のフォーメーションであったがトップはカリミでは無く Waitakere 戦では2列目の右であったイラク代表のエマド・モハメド。この日の浦和戦ではその位置にはガーナ代表のベロが起用された。モハメドはアテネ五輪のベスト4のメンバー今年のアジアカップでは最後にメンバーから外れた。怪我でもしていたのかな? しかし2000年のアジアカップではイラク代表入りを果たし、2000年 AFC U-19 では決勝の日本戦では延長Vゴールを含む2ゴールを決めて優勝の立役者となった。その時ゴールを決めた日本チームの選手が我が愛する京都サンガの田原豊であった。その後はAC Milan にスカウトされ契約締結直前まで行ったらしいが当時の独裁者サダム=フセインの長男ウダイの一声で Milan 行きを断念せざるを得なかったとの噂がある。そういえば何年か前に AFC の Web Site でイラクの選手が AC Milan と契約締結直前という記事を見つけたことがあった。だから彼も AC Milan と戦いたい選手の一人との事らしい。
GKはACL の浦和戦で起用されたアバス・モハマディではなく198cmのモハマド・サハリ。モハマディも 190cm だけどこれはワシントンの高さ対策か? 長身選手を揃えるWaitakere 戦もスタメンはサハリだった。4バックのDFラインは右サイドバックがACL決勝戦ではホーム、アウェーともにサエイド・バヤトだったがこの試合では Waitakere 戦と同じハジ・ジャファリ。CBのモーゼン・ベンガーとアジアカップイラン代表ハジ・アヒリィは共に191cmの長身DF。この二人はSepahan のCBを4年間務めているとの事。左サイドバックはグルジア共和国のジャバ・ムジリ。ジャファリ以外はACL決勝戦と同じDFライン。ボランチにはハジサフィとバハドラニ。17歳のハジサフィはACLの浦和戦でも同じポジションで起用された。ただ11月14日のさいたまスタジアムでの試合ではDFの前には4人の“中盤”ラインが並んでいた。バハドラニは浦和戦初出場だ。1トップのエマド・モハマドの後ろには右サイドにベロ、真中にイラク人のアルハイル、左サイドにACLでは5得点のサレヒが配置される。アルハイル以外はACLの浦和戦では登場しなかった。1トップのモハメドは11月7日のホームではWaitakere戦同様右サイドを、11月14日のアウェー戦ではこの日と同じ1トップのポジションを担った。 Sepahan は来日してからインフルエンザに襲われたらしいが昨年のワールドカップメンバーでもあったナビドキア(出場機会は無かったが) がベンチスタートなのはその影響か?だが足の故障が完治しないカリミまでベンチスタートとはクロアチア人のブナジッチ監督も頭が痛いか?イランサッカー界はクロアチアスタイルを師と仰いでいるのか昨年のワールドカップでも監督はクロアチア人のブランコビッチ氏で、その前任のブラセビッチ氏もクロアチア人だった。
  
      

一方の浦和REDS は闘莉王がCBに戻って来て坪井(右)ネネ(左)とDFラインを組み、闘莉王の替わりにCB等のポジションを担っていた阿部がボランチに入り鈴木啓太と組む。ACLではボランチの位置にいた長谷部が怪我で離脱中のポンテに替わってトップ下に。そして阿倍がACL決勝では2試合とも入った右サイドには磯貝が。左サイドには怪我でベンチスタートの平川に替って相馬が起用され、2トップはワシントンと永井。田中達也が怪我でベンチからも外れたのは痛いが、小野伸二そして山田がベンチに控えている。ACL決勝戦とはメンバーが変わっているのに戸惑ったのは浦和のオジェク監督でなく Sepahan のブナジッチ監督の方であろう。浦和は Sepahan がこの日とほぼ同じメンバーで3日前に Waitakere と戦ったのを観る事が出来たと言うアドヴァンテージもある。

Sepahan のキックオフで始まった試合は開始から浦和が試合を支配する。その起点となったのはCBの闘莉王と磯貝、相馬の左右の両サイド。開始7分には長谷部のスルーを受けたワシントンがアギリと競りながらしぶとくCKを得て、そのCKにはネネ、闘莉王がペナルティーエリアに入って来る。その間は啓太と阿部が守備に入る。啓太と阿倍のバランスも良い。啓太が11分に右サイドからクロスを上げると中で競る闘莉王とベンガーを越えて逆サイドのワシントンがジャフリの直前でヘッドで狙うが惜しくもポストの右。15分には永井のCKから闘莉王が折り返しネネがヘッドを撃つがGKサバリの正面。そこからSepahan がカウンター攻撃に転ずるが細貝、啓太そして阿部がカバーに入る。またこの日の REDS の選手は21分にはサレヒからアルハイルに出したパスを啓太がインターセプトで奪いそのままミドルを放つなど一歩の出だしが早く、Sepahan は前にボールが運べない。22分には永井がバハトラニと競り合いながらヘッドで落とした所をワシントンがアギリーら Sepahan 3人のDFをかわしてシュートに持ち込み、22分には阿部がアギリーからアルハイルへのパスをカットしそのままワシントンへ送るとスライディングをして来たベンガー、そしてハバトラニをかわしてドリブルシュート。その弾道は惜しくも右上コーナーポストの僅か上に外れて行った。浦和のボランチの阿部、啓太、サイドの相馬、磯貝そしてトップ下の長谷部の5人で構成された前線とDFの間の5人の攻守の切り替えとバランスが良く、またDFラインも押し上げが早くフィールド選手の10人がコンパクトな間で前後に動くので常に数的優位の場面が作れる。この良い時間帯に先制点が欲しいと思っていたら27分に Sepahan が浦和ゴールに迫る。CBのアギリーが入れたロブをベロが闘莉王と競りながらも落としアルハイルへ繋ぎ、右サイドに上ったエマド・モハマドに浮玉のミドルパスを出すとモハマドは足を一杯に伸ばしてゴールラインの直前でこのボールをコントロール。そしてゴール前に走り込んだ中のベロに低いライナー気味のクロスを送るとそこに坪井とネネが雪崩込む様にマークに入ったのでボールはベロには当たらずそのまま逆サイドに抜けて行った。REDSサポーター達が最もひやりとした瞬間では無いか???この攻撃を機にゴール前であわやのシーンが続く。30分には阿倍からボールを受けたワシントンがDF3人を引き付け左サイドの相馬に送る。相馬は絶妙のクロスを入れ永井が落とした所を走り込んだ長谷部が全くのフリーで放ったショットはクロスバーを大きく越えてしまった。そのゴール裏のREDSサポ達の落胆の声が響く。31分今度は Sepahan が浦和ゴールに迫る。中央からアルハイル、サレヒと繋がれ後方から上がって来た左サイドのムジリにスルーが送られるがここはオフサイド。リプレイを見るとムジリが入り込んでくる直前にネネがポジションを上げてムジリをオフサイドトラップに掛けたものであった。
この息詰まるゴール前の攻防戦の後に浦和が待望の先制点を挙げる。32分、阿部、長谷部と繋ぎ左サイドの相馬に渡り相馬はゴール前に早いグラウンダーのクロスを送るとCBベンガーとアギリーの間に割って走り込んだ永井が合わせて Sepahan ゴールネットを揺らし、11月14日ACL決勝戦での Sepahan 戦以来5試合ぶり411分間の空白を埋める得点が決まった。

      

このコンビネーションは見事であったがペナルティーエリア内に侵入したワシントンが一旦下がりCBのベンガー、アギリーの位置を僅かだが一旦下げさせた動きも上手かった。三度浦和に先制を許した Sepahan は前半途中からベロを上げてエマド・モハマドと2トップを組ませてアルハイルを右サイドに回し浦和の両サイドが上がった裏にロングボールを入れる様になったが阿倍と啓太の戻りが速いので決定機を多く作る事は出来ないまま無得点のまま前半を終えた。

後半に入って Sepahan ベンチはついにカリミをベロに替えて投入してワントップに。そしてエマドモハドは右サイドに回り右サイドバックをジャフリに替えてACL決勝では2試合ともこのポジションのスタメンを任されたバヤトが入った。もう一人サブにいるナビドキアの投入はあるのだろうか?47分に Sepahan はバハトラニからアルハイド、ハジサフィに繋ぎ右サイドに来たカリミに。カリミはバヤトにはたきそのバヤトから入れられたクロスは一度は闘莉王にクリアーされるがそのこぼれ球をそのままハジサフィーがダイレクトで右に送るとそこにはエマド・モハマドが。モハマドが坪井のタックルが入る前に放ったショットはポストの内側を叩いた。後半開始から Sepahan はツータッチそしてダイレクトのパス回しが増え、左右に大きく動く前線のカリミにボールを集めてそこを起点にする様になる。54分のハリサフィーのミドルシュートも左に回ったカリミからのボールを受けてのものであった。
Sepahan に主導権を握られそうな54分。左サイドの相馬から啓太を経由し阿部に渡り、逆サイドに走り込んだワシントンにミドルパスが通る。ワシントンはハジサフィをかわし、角度の無い所から放ったシュートはチェックに入ったアギリー、ベンガーをあざ笑うかの様に Sepahan ゴールに突き刺さり貴重な2点目が入った。

   

大柄なワシントンはその体格を生かしたポストプレーや空中戦が得意だがこのゴールやACL準決勝戦の城南一和戦でのゴールの様に器用にゴール前でボールを操る事も出来る。その見事な個人技からの追加点であった。 Sepahan は中2日。一方の浦和はJリーグ最終節以来9日振りの実戦。その違いも影響しているかもしれない。だが 残り時間は30分以上ある。しかも2点差が一番危険な点差とも言われている。58分には右サイド、バヤトが入れたクロスを一旦は都築が弾き出すがサレヒが拾ってハジサフィーに坪井、長谷部がマークに入る前に放ったミドルはポストの左に外れる。64分にはハバドラニのFKに191cmの長身CBベンガーが飛び込むが闘莉王、ネネそしてワシントンも自軍ゴール前に戻る。カリミのキープそしてサイドチェンジ、更に Sepahan 選手達の柔らかいトラップが目立ちだす。そして後半から入った右サイドからMFのエマド・モハマド、サイドバックのバヤトがよく上がってきて相馬の上がりを抑える。
しかし71分にはこの試合を決定づける3点目を“貰う”事に。ワシントンからボールを受けた相馬が上げたクロスをムジリに競り勝った永井のヘッドのクリアーを試みたアギリーのヘッドがそのまま自軍ゴールに飛び込んでしまった。
       
         

呆然とするアギリー。歓喜に沸く REDS サポーター達。いよいよ AC Milan との決戦が現実味を帯びて来た。このプレーで肩を少し痛めた永井は小野伸二と替ってベンチに下がった。小野の怪我の具合はどうなのだろう?AC Milan 戦では是非出場して欲しい選手だが。 78分にアルハイルに替って3人目の交替選手ロビニアンが投入される。ロビニアンはACL決勝の 1st Leg ではバヤトに変わって交替出場で、2nd Leg ではスタメンで2列目の右サイドで起用された選手だ。ロビニアンが右サイドに入りエマド・モハマドは再び右サイドからトップに戻りカリミと2トップを組むことに。
80分にハジサフィーからの縦パス1本がカリミに通りカリミは意地のドリブルシュートを決めて一矢を報いた。

                    
90分に長谷部に替わった岡野が入る。多くのイランサッカー関係者は岡野が1997年ジョホール・バルでのワールドカップ予選で決勝のゴールデンゴールを決めた事を未だ記憶しているらしい。あれから10年が経ったが当時浦和 REDS が AC Milan と公式戦を行う事を誰が想像しただろう…….. ロスタイム3分も過ぎタイムアップのホイッスルが鳴り響く。多くのサッカーファンが楽しみにしていた AC Milan との公式戦が実現した瞬間だ。Jリーグタイトルを逃し、この Sepahan 戦も苦戦は免れないと危惧する人も多かっただろうが、Jリーグ終盤の不振が嘘の様な快勝であった。三日後の13日がいよいよ楽しみになって来た……….

            

Club World Cup 2007 Final

2007-12-20 | Weblog
3回目を迎えた FIFA Club World Cup の Final は大方の予想通り、南米代表の Boca Juniors と欧州王者の AC Milan との間で行われた。
2003年の TOYOTA CUP 以来4年振りの顔合わせにマスコミはその時のBoca Juniors のPK勝を引き合いに出し “ AC Milan が借りを還すか?”との“リベンジ劇”を煽る。きっと日本を含めた(日本だけ?)多くのマスコミからこの様な質問されて閉口していると言うのが選手を含めた Milan 関係者の本音かもしれない。 
AC Milan のスタメンは準決勝の浦和 REDS 戦でサイドバックを担ったヤンクロブスキとオッドが外れ替わりにマルディーニが右に左にボネーラがそれぞれサイドバックで起用され浦和戦で途中出場のインザーギがジラルディーニョに替ってワントップを張った。
Boca Juniors は準決勝の Etoil Sahel 戦にボランチで起用されたバルガスが外され、そのポジションには中盤の右サイドで起用されたバタグリアが入り、 AC Milan 戦の右サイドにはゴンザレスがスタメン入りした。 
AC Milan アンチェロッティ監督のマルディーニ、ジラルディーニョのスタメン起用はこの大会の“決勝戦仕様”と対戦相手のBoca Juniors より“休養日”が1日短かった事とは無関係ではないだろう。この試合でも多くの人はカカーに注目した様だが私は“ベテラン”インザーギに注目をした。今季セリエA では AC Milan は13試合を消化してインザーギ自身のスタメン出場は3試合のみ。途中出場を含めた出場試合合計8試合を通じて得点はまだない。ただ UEFA Champions League ではスタメン3試合を含め4試合に出場し4ゴールを決めている。
Boca のミゲル・アンヘル・ルッソ監督がバタグリアをボランチで起用したのはカカー対策とEtoil Sahel 戦で起用されたバルガスのパフォーマンスを観ての事だろう。Boca Juniors ではバタグリアだけが4年前の AC Milan 戦に出場経験があり、 Milan では GK ジダをはじめ、ネスタ、マルディーニ、セードルフ、ガットゥーゾ、ピルロ、カカーの7人がその時のBoca Juniors 戦のスタメン。そしてアンブロジーニ、インザーギは途中交代出場であった。その試合での2トップはシェフチェンコとトマソンであった。

持ち味を出して同点で終えた前半

開始早々相手ゴールに迫ったのは Boca Juniors 。1分には トップ下バネガのCKからボネーラ、セードルフの間をぬうようにパラシオがヘッドを放つ。2分にはFKからパラシオが右サイドを上がったところを Milan の CB カラーゼがボールを奪い攻撃に転じるが今度はセードルフがボールを奪われ、バネガに繋がれる。バネガがボールを受けた自軍ゴール前では相手3人に囲まれるが上手くすり抜けドリブルで前線へ。バネガからのフィードは一旦はカラーゼに跳ね返されるがそこから攻撃に転じたマルディーニからゴンザレスがボールを奪い再びバネガへ。そしてバネガのドリブル突破をガットゥーゾがチェックに入る。 そこから前線に繋がれたボールはピルロに渡りゴール前へロブを言えたところを今度はCBのパレッタがカット。一連の攻守の切り替えの早さに思わず唸らされる。5分にインザーギがこの試合68,232人の観衆を最初に沸かせる。右からパレッタを振り切ってシュートを放ち、対角線上にゴロで撃たれたシュートは惜しくもゴールポストの左側を通過して行った。インザーギがシュートを放てば今度はマルディーニが Boca 右サイドバックのイバーラへ猛然とタックルを入れ、これを機にマルディーニが左サイドの高い位置に上がりチャンスを作る。7分にはカカーとのパス交換で右サイドを上がったマルディーニが中のインザーギにクロスを入れるがパレッタがヘッドでクリアー。8分にもマルディーニが起点となりインザーギに繋がれる。そこにBoca CB のマイタナがマークに入り、インザーギは一旦カカーに戻すとカカーは Boca DF 陣5人に囲まれながらもボールをキープしセードルフに。更にピルロ、ガットゥーゾそしてボネーラと右サイドに繋がれボネーラはそのままダイレクトで前方のカカーに。カカーはドリブルで上がりゴール前で待つインザーギにクロスを送るが今度はマイタナがヘッドでクリアー。さすがにカカーがボールを持つと複数のBoca 選手が囲む。ブラジルのエース、カカーをアルゼンチン勢が止めると言う構図だ。 マルディーニが前に出て来てから攻撃に転じられない Boca Juniors は11分バネガのボールキープから左サイドのガルドソに渡る。ガルドソのクロスは中で競り合うパレルモとマルディーニの頭上を越し右サイドを走り込んだゴンザレスがダイレクトでファーサイドにシュートを放つがポストの左に。 Boca としては Milan DFラインが上がった時の裏をとりたいところだが、 Milan DFの戻りが速いので縦パス1本で大きく前に出れなかった。
19分から試合は更に動いて行く。右サイドにいたカカーにボールが入るとパタグリアがしつこくマークに入るとカカーはボネーラにいったん預け、ポジションを変えても一度右サイドライン沿いでボールを受けライン沿いにドリブルで上がりピルロに。ピルロは逆サイドのインザーギに送るとインザーギはシュート気味に右サイドのカカーへ。カカーのシュートはパレッタのスライディングに阻まれる。その直後今度は Boca パラシオがドリブルで左サイドを上がりクロスを入れる。そのクロスは戻ったアンブロシーニに当たるがこぼれ球をパレルモがリフティングをしながら後ろに下がり放ったショットはジダが左に倒れこんでキャッチ。その直後のジダのゴールキックをインザーギがヘッドでカカーに落としカカーは中央をドリブルで上がりドリブルシュート。一旦はマイタナの足に当たるがボールはカカーの前にこぼれ、カカーが右に送ったボールはマークに入ったモレルの足下を抜けてカカーがドリブル突破を試みた時にその前を横切る様に右サイドへ走り込んだインザーギに。フリーでカカーからのパスを受けたインザーギは難なく Bocaゴールネットを揺さぶり AC Milan が先制点を挙げた。



いつもながらゴールが決まる時はシンプルに決まるものだけどこう言う舞台でゴールを決めるインザーギもさすがだ。そしてカカーも見事なドリブル突破であった。しかしその1分後、 Boca が同点においつく。左サイドを上がったバネガからガルドソに送られるがボネーラがカットしてコーナーへ。ガルドソのショートコーナーを受けた左サイドバックのモレルがゴール前にクロスを上げるとパラシオがジダの守る Milan ゴールネットにヘッドを突き刺した。

   

このパラシオの動きは正に“南米らしい”振舞い。ガルドソがショートコーナーを出しても“我関せず”とばかりにMilan ゴールに背を向け、モレルがクロスを入れる瞬間にネスタ、ボネーラの間にさっと入り全くのフリーの状態でヘッドを放った。失点後のネスタ、ボネーラの唖然とした表情にこの試合を Buenos Airs のパブリックビューイングで観戦していた Boca サポーター達はさぞかし“してやったり”と思った事であろう。何しろワールドクラスのDFを欺いたのだから。
すぐさま同点にされた Milan はアンブロジーニが左へ、ボネーラが右に大きく開いた位置に張り出し、ガットゥーゾが積極的にドルブルで上がる様に。25分にはガットゥーゾのドリブル突破からゴール前のセードルフに送られるが僅かに合わない。しかし26分にはガットゥーゾのドリブルがカルドソに奪われクロスを上げられゴンザレスにヘッドを撃たれるがゴールには至らなかった。この時間帯からカカーのドリブル突破も顕著になるが、こちらは簡単には止まらない。28分にはセードルフからボールを受けたカカーがドリブルシュート。これはパレッタがブロック。30分にはマルディーニからボールを受けたカカーのドルブルからチャンスを掴み最後は右サイドのセードルフからのダイレクトパスにインザーギがシュート体勢に入るがパレッタと交錯し転倒。インザーギはレフリーにPKをアピールするがノ-ホイッスル。Milan DF 陣の押し上げから常に数的優位を作られるので Boca は防戦を強いられたが31分イバーラが入れたスローインを受けたゴンザレスが右サイドからクロスを入れる。中にいたネスタはパラシオの動きに惑わされそのクロスは左サイドのガルドソに。フリーのガルドソは胸でワントラップしショット放つがボネーラがスライディングで何とかブロック。マルディーニの裏の右サイドのスペースをゴンザレス、イバーラがドリブルで上がってチャンスを伺い、左サイドにはパラシオが流れてボールを中に入れる。パラシオは36分にガットゥーゾ、ボネーラをかわしてクロスを入れるなどこの日の Boca の出場選手の中では最高のパフォーマンスを披露していた。あとはパレルモに良いボールが入れば Boca も勝機はあったのだけど….. 結局前半はそのまま終わった。
後半、更にカカーのドリブルがさく裂するのか、 Boca が“南米らしさ”を披露し主導権を奪い返すのか、試合を面白くするためには Boca が先に2点目を上げる事を期待したのだが…..

カカー、ドリブル炸裂 Boca を突き放す 

しかし後半に入って相手ゴール前に迫ったのは Milan 。開始早々にはセードルフからのダイレクトパスを受けたカカーがドリブルシュート。これはマイタナがブロックでコーナーに逃げる。そのアンブロジーニが蹴ったCKはGKカランタがキャッチ。49分には右サイドを上ったセードルフにカルドッソ、モレルがチェックに入るが結局モレルのファールでしか止められず FK を献上する。そのFKをピルロが中に入れ、マイダナともつれたアンブロシーニにあたりそのこぼれダマをネスタが蹴りこんであっさりとMilan が追加点を挙げた。Boca にとっては立ち上がり5分。いわゆる“危険時間帯”における手痛い失点であった。しかし早い時間に同点に追いつけば休養日の1日長い Boca が優位に立てる。58分には右サイドをパレッタが上り左サイドから切れ込んだインザーラに渡りアンブロシーニを振り切り放ったシュートはポストを直撃。これが入っていれば試合の結果は異なったものになっていただろう。
60分にはカカーがスピードに乗った見事なドリブルで中央やや左を突破しマイダナを振り切りそのままシュート。GKカランタは一旦体に当てたがそのままボールはゴールラインを割り貴重な追加点がカカーの個人技から生まれた。

   

   

65分にはガットゥーゾがお役目御免?でエメルソンと替わってベンチに退く。交代時に何度か対峙したバネガと握手を交わすとこと少し余裕の交代か?
Boca のルッソ監督は67分にゴンザレスを下げてレディマスを入れ68分にはカルドソを下げてグラシアンを投入するが、カルドソは残しておいた方が良くなかったか? 70分にはパラシオがネスタをかわしてシュートを放つがアンブロシーニがブロック。カカーの個人技もハイレベルだが Boca にもパラシオがいると地元サポーター達は思っていただろう。ゴール前でパラシオにつなげば彼が何とかしてくれると願っていただろうが71分に試合を決定付ける4点目が入る。右サイドを上ったセードルフがカカーに、DFマイタナとバタグリアをひきつけて更に左でフリーのインザーギへ。そのままインザーギのシュートはゴールラインを割りミラニスタ達に“クラブ世界一”を確信させる。

   

Boca はカカーとセードルフの二人をマークし切れておらず、トップ下のバネガが最前線のパラシオ、パレルモと分断され攻守に渡って後手を踏む。
73分にはまたもカカーが高速ドリブルで Boca ゴールに迫り最後はパレッタがファールでストップ。しかしこの位置がペナルティーエリアのすぐ外のしかもま正面。ここで中村俊輔がいればとは思わないか? シードルフが壁の下を狙うが惜しくもポストの左へ外れる。76分には大歓声に送られてインザーギが下がりカフーが投入される。カフーは2003年の TOYOTA CUP のスタメンの一人。2002年のワールドカップ決勝戦ではキャプテンマークを巻いてプレーし、試合終了後の表彰式ではワールドカップを高々と掲げたのがここ横浜競技場。その決勝戦では逆にGKジダそしてカカーが控えの選手としてベンチにいた。

    

77分にはカラーゼの左足がドリブルで上ったグラシアンの右足首にまともに入りカラーゼは一発退場。しかしこれを故意のファールと取られてはカラーゼも少し気の毒か?何度もグラシアンの足を気遣いながらピッチを去るグルジア代表のカラーゼが印象的。80年代に旧ソ連邦代表で中心選手でもあったチバーゼ、シェンゲリアはグルジア共和国のディナモ=トビリシの選手であった。今日本代表がグルジアと試合をすればどういう結果になるだろう?カラーゼの退場で Milan DF ラインは右からカフー、マルディーニ、ネスタそしてボネーラとポジションを少し変える。
79分にはCKから81分にはゴール正面からようやく Boca のエース、パレルモが連続してシュートを撃つ。34歳のパレルモは2001年ビジャレアルに所属していたときのコパ・デルレイの試合でゴールを祝っていると興奮したファンが彼に押し寄せ策と壁が崩れその下敷きとなり全治半年の重傷を負ったばかりか2002年のワールドカップ出場を棒に振った悲しい過去がある。それだけに Boca で世界一の称号をと思っていたかもしれない。そのビジャレアルから11月26日に Boca Juniors に移籍してきたリケルメは結局 FIFA Club World Cup への登録が認められず苦戦を強いられる事に。
83分に右サイドのセードルフからのスルーを受けたカフーが入れたクロスをカカーが頭であわすが惜しくもはずれ、そのGKから Boca はボールを繋ぎ Milan ゴール前に迫り CK を得る。モレルが蹴った右CKをパラシオがワントラップしてうそ路に戻すと交代出場のグラシアンがミドルを放つ。GKジダが弾いたところをレディスマが撃ちブロックに入ったアンブロジーに当たりそのまま Milan ゴールを割り1点を還した。

   
残り時間はあと5分。一人少ない Milan 相手にもうあと2点…という雰囲気でも無かった。88分にはカカーにタックルに入ったレディスマが一発退場。これは先ほどのカラーゼと異なり明らかに….と言う匂いもした。そしてロスタイム3分が過ぎようとし、ミラニスタ達のカウントダウンの中ホイッスルが鳴り AC Milan の17年ぶり“クラブ世界一”の瞬間を迎えた。
17年ぶり、あのライカールとの活躍で勝って以来か?欧州のクラブタイトルを随分勝ち取り続けていた様に感じていたので少し以外に思った。1993年にサンパウロ、翌年にはベレス・サルスフィエルドそして2003年にはボカ・ジュニオルズと南米勢の軍門に降っていたのだった。最初に TOYOTA CUP を勝ち取った1989年大会からロッソネロのユニフォームを着続けていたマルディーニの偉大さを改めて感じた。

今年は12月13日が準決勝、決勝戦が12月16日と我が夫婦の誕生日とぴったりと重なってしまったので競技場に観戦に行けなかった。来年もこの大会は日本開催が決まっているので、その時も日本のクラブチームがアジア王者として出場出来て、日程がうまく合う事をこと祈るよ………

   



夢の対決 Club World Cup

2007-12-16 | Weblog
1975年1月。バイエルンミュンヘンが来日。日本代表と2試合の“親善試合”を行い2試合とも 1-0 の勝利を収めた。私は第一戦1月5日の試合をテレビで視た。その時にベッケンバウアーのプレーをとくと見た。
そして数週間後にこの試合の事を細当に紹介している専門誌を偶然本屋で見つけて立ち読みをした。
当時はワールドカップ西ドイツ大会が終わって半年も経っていなかったのでこのバイエルンミュンヘンの来日は大変なイベントであったと想像できる。
バイエルンの赤いユニフォームに胸には adidas の大きな宣伝ロゴが。まだ小学生だった私はその文字が何の事かさっぱり解らずそれがチーム名の“バイエルンミュンヘン”と書いているのか?と中学に入っても思っていた。するとサッカー部の連中の鞄にみなこの文字が入っている。クラスのサッカー部の友人にこの文字が“アディダス”と書かれていて何故バイエルンミュンヘンの胸に多大きく書かれていたのかも彼から教えて貰った。そう言えば当時ベルティ=フォックツがいたボルシアメンヘングラッドバッハのユニフォームには erdgas と書かれていたなぁと思った。
このバイエルンミュンヘンとの試合に就いてはかなり後になって色々な“裏話”を知った。
当初日本サッカー協会はワールドカップで優勝した西ドイツ代表を招待しようと計画していたが結局実現せず。その替わりにバイエルンミュンヘンが来日したと言う事だった。それでも当時のバイエルンミュンヘンは前のシーズン、 1973-74 のEurope Champions Cup で優勝を収め以降2大会連続して同大会に優勝し3連覇を飾る事に。前年のワールドカップでは優勝した西ドイツ代表のメンバーのうちGKのゼップ=マイヤー、主将のフランツ=ベッケンバウアーをはじめ、決勝のオランダ戦では決勝PKを決めたパウル=ブライトナー、鉄壁のDF、シュバルツェンベック、爆撃機、ゲルハルト=ミュラー、ウリ=ヘーネス、そしてハンス・ヨゼフ・カペルマンと7人の選手が当時のバイエルンミュンヘンから選出されていた。しかしマイヤーとヘーネス、カペルマンは怪我で来日出来ず、ブライトナーはワールドカップ後にレアル=マドリードに去り、メンバーは前のシーズンとは大きく替わっていた。そしてチームもこのシーズンでは13位と低迷しておりウド・ラテック監督は解任されケルンコーチが監督代行で指揮を執っていた。そして若き日のカールハインツ=ムンメニンゲがこのチームに随行してプレーをした。
試合内容は日本も釜本を中心に結構攻撃に転じ、森が結構ボールに絡んでいた。そして誰かのシュートがあわやゴールインしそうになったのを記憶していて健闘したと言う記憶があったが、後にこの国立競技場のピッチコンディションと来日直後の時差の影響でバイエルンがいいプレーを出来なかった為と知り、時差とピッチのコンディションが整った第二戦ではスコアこそ 1-0 であったが試合内容はかなりバイエルンが主導権を握っていたらしい。
初戦をテレビで見ながら父が“世界一のチームが相手だ。”と言っていたのを思い出すが、今でいえばバルセロナやACミランが来日した様なものであったのだろう。
あれから30年以上が経った。日本サッカーはワールドカップにも出場するだけでなく開催国にもなり今やワールドカップは国民的行事だ。そしてようやくクラブレベルでも世界のトップクラスと対戦出来る様になった。
ACミランが日本に本格的に紹介されたのはいつだっただろう??1989年 オランダトリオ、フリット、ファンバステン、ライカールトを擁して欧州を制覇しTOYOTA CUP に出場した時私はこの試合を国立競技場で観戦したがその時の日本はまだプロリーグは無くマスコミがサッカーを取り上げる事は皆無であった。それがたった18年前だ。
1990年ワールドカップイタリア大会後に WOW WOW がセリエAを中継し始めたがその目玉はやはり AC Milan であった。その AC Milan がまさか日本のクラブチームと公式の大会で対戦するなんて想像もしなかった。何度か来日した時にヴェルディ等のチームとは“親善試合”で対戦をしたけど……

12月13日。浦和レッドダイヤモンズがAC Milan と対戦を果たしたがそれまでどれだけの人がどれほどの積み重ねを果たした上で実現したのだろう……. バイエルンミュンヘンの来日からたった32年なのか、既に32年なのか?何十年もサッカーを観た人間には“たった32年”にしか感じない。
今本当に幸せな時代だと思う。その幸せな時代、浦和は AC Milan に惜敗したがまだ3位をかけてチュニジアのエトワール=サヘルとの試合が残っている。
今大会に出場したクラブチーム、 AC Milan ( イタリア ) Boca Juniors ( アルゼンチン ) Etoile Sportive Du Sahel ( チュニジア ) Sepahan ( イラン ) Pachuka ( メキシコ ) Waitakere United ( ニュージーランド ) そして浦和レッズ(日本 ) 。どこの国が一番最後にワールドカップ出場を果たしたのだろうか………..

正解は日本である。 今我々はサッカー界では世界でもっとも新興国の一つと言うポジションだ。

Waitakere United Football 振興の為に……

2007-12-13 | Weblog

3回目を迎える FIFA Club World Cup 。今回は浦和REDSが出場権を得た事によりこれまでとは比較にならない関心が寄せられ、私自身も非常に楽しみにしていた。
“クラブ世界一を決めるのに何故南米と欧州のチームで覇権を争うのですか?”と言う単純な質問に対しては。
“その他の地域とは力の差があり過ぎるのでもう少し力をつけて出直して来なさい。”と言う返答が単純に返ってきたのは5年も前では無かった。
まぁ今でもそう思う人も少なくない上に、 UEFA Champions League こそ Football Club 世界一を決める大会。と考える人(特に UEFA で働く人達??)は多いだろう。しかし Football の振興と言う意味ではFIFA Club World Cup は意義のある大会と思う関係者も多いはずだ。 CONMEBOL を含めてそしてUEFA 以外は。 

大会初日の12月7日、 New Zealand の Waitakere United がイランの Sepahan に挑んだ。公式入場者数は 24,788 人。昨年 Auckland City FC の初戦は29,912 人、一昨年の Sydney FC の時は28,538人。昨年は岩本、一昨年はキング=カズがゲストプレーヤーとして登場した事を割り引けばこの数字は上々と思う。まぁ今年は国立競技場ではあるが。
Australia の AFC 加入後は今やオセアニア地域は New Zealand とそれ以外と表現できる地域だろう。その New Zealand すら FIFA ランキングは95位。同地域内でそれに続く国は New Caledonia で 119位だ。AFC 加盟国の中ではイランが 32位、オーストラリアが39位。41位に日本、44位が韓国。そして87位のUAEまでの13カ国が New Zealand の上を行き、今度のワールドカップ予選で同組となるバーレーンが98位だ。著名なサッカー解説者によるとオーストラリアの抜けたオセアニア連盟から1チームの出場枠を与える事は大会の権威に関わる事になるらしい。 KIWI の人達が聞くと不機嫌な反応を示されそうなコメントだけど、決して否定はできない。ただ私の持論 “ Football は世界中どこにでも存在する。” と言う観点から見ればオセアニアのチームにも出場権を与える事は大会の意義を感じさせるものと言う見方も出来ると思う。試合前は“悲観的”な見方を払しょくする様なパファーマンスを Waitakere に期待をした。 
しかしふたを開ければ開始2分で2失点。この時点でこの試合に対する興味は半減、いやそれ以下になってしまった。3分のゴール前へのロングスローから Waitakare DF 選手が一旦は跳ね返したそのこぼれ球をエマド=モハメドに蹴り込まれた先制ゴールは仕方ないにしても、1分後にまたもエマド・モハメドに決められた失点は頂けない。左サイドのムジリからのロングフィードをCBのペリーがきちんとクリアー出て来ていれば防げた失点であった。

   

これでこの試合は何点はいるかわからんぞぉぉ、と思うが以降は何とか立て直し前半を何とか2失点で切り抜け、気を取り直して臨んだはずの後半開始直後の47分、ゴールキックをハジサフィが落とした所を走り込んだアルハイルがミドルシュート。それをGKイーディンがファンブルしてゴールを許し簡単に追加点を与えてしまった。格上のチームと戦う時は戦術云々よりもまずミスをしないこと。だれかが言っていたのを思い出した。この大会に向けて上のレベルのチームと練習試合を組むなど、大会前の準備はどうだったのだろう?セミプロチームの事情を考えればそれも厳しいのかもしれない。 同じニュージーランドの Wellington Phoenix に練習試合を申し込めばよかったのに。ニュージーランド代表監督を兼任する Ricky=Herbart 氏は受け入れてくれると思うけど。
しかしこれに目を醒ましたのがそれともセパハンがスローダウンしたのか、65分を過ぎたあたりから Waitakere が徐々にボール支配率を上げていく。単純ではあるが相手ゴール前にハイボールを入れて上背とフィジカルの高いエンブレン、ダニー=ヘイに当てると言う戦術がなかなか効果的であった。ダニー=ヘイはかつて Leeds United で4シーズン在籍。しかし度重なる怪我の影響で出場試合は4試合のみ。だがUEFA Champions League にも出場し、 Leeds United が Barcelona を4-0 で破った時のメンバー。   帰国後は A-League の New Zealand Knights そして渡英前に所属していた Perth Glory でもプレーした。 New Zealand 代表、 All Whites としては31試合に出場した。
     
                     ニール=エンブレンも Wolverhampton Wanderers, Crystal Palace 等に所属した189cm の England のユーティリティープレーヤーで昨シーズンまで2シーズンA-League の New Zealand Knights に所属した。
そして73分、ベンジャミン=トトリがあわやのシュートを放って観客を沸かせる。 トトリからダレン=ベーズリーにボールが渡り、ペナルティエリア付近のエンブレンへ、エンブレンが胸に当ててボールを落とした所に走り込んだトトリが地を這うようなスピードあふれるミドルシュートを放つ。おしくもそのショットは数十センチ右に外れた。ベンジャミン=トトリはソロモン諸島代表のFW 選手。かれも母国の Football 振興の為にこの大会で存在価値を示そうとする選手だ。 
  


このプレーによって判官贔屓の観衆の心を一気に掴む。そして1分後。ゴールマウスに入れられたべーズリーのFKはセパハン DF ジャバ=ムシリの背中にあたり、そのこぼれ球が追うダニー=ヘイ、セパハンDFモーゼン=ベンガー、そしてGKのモハメド=サバリの誰にも触れられずゴールネットに吸い込まれ、オセアニアサッカー史に歴史を刻むゴールが生まれる。このシーンがこの日一番歓声が上がったシーンだった。2分後の76分、今度はセパハンがチャンスを迎える。スルーパスを受けたこの日2得点のエマド=モハメドがミドルを放つがGK イーディがファインセーブ。後半開始早々には自らのミスで3点目を献上したが今度は見事なプレーであった。更にWaitakere への声援が大きくなる中、78分には波状攻撃を見せエンブレンのヘッドはGKサバリにキャッチされるが、その後サバリが遅延行為を取られて間接FKを得る。ダニー=ヘイが少し横に流し走り込んだエンブレンの強烈なショットは壁に跳ね返されるがそのこぼれ球を再びダニー=ヘイがゴール前に入れたところをセパハンDFがクリアー。そのクリアボールを走り込んだジョナサン=ペリーがダイレクトで撃つがサバリがナイスセーブを披露。このペリーは昨年来日した Auckland City FC からの移籍選手。他にも主将であった MF Neil Sykes, FW Paul Seaman そして63分から投入された Jason Hayne が昨年まで Auckland City FC で岩本輝夫の同僚であった。また DF Matt Cunneen もかつては Auckland City FC に在籍した。85分にはトトリが左サイドをべンガーを振り切ってクロスを入れるがエンブレンが頭で合わせる前にジャバ=ムジリに体を上手く入れられてシュートが撃てない。 その直後にDFグレハム=ピアースに替って注目のソロモン諸島代表のFWコミンス=メナピが投入される。もう少し長い時間観たかったけど。前線を一人増やしベーズリーが最終ラインに入る。87分には更にトトリが魅せる。左サイドのメナピから入れられたクロスをエウンブレンがバックヘッドですらした所をトトリが膝でワントラップしてシュートを放つが僅かにゴール枠を外れる。セパハンベンチはここでエマド=モハメドを下げてベロを入れて守備を固める。エマド=モハメドの大会初のハットトリック達成は成らなかったがその前に逃げ切りか… 勝敗にかかわらずあと1点を目指し、観客を味方につけた Waitakere は91分にシーマンを下げてFWのダニエル=コプリブチッチを入れる。なんどかゴール前にハイボールを入れてセパハンゴールに迫るが結局タイムアップ。ひたむきな 兆戦を続けた Waitakere に暖かい拍手が送られた。 この試合をテレビで視たニュージーランドのサッカー少年達に後半の Waitakere のプレーはどう映っただろう。9月のラグビーワールドカップで、悲劇的な敗退を喫した All Blacks 。その遠縁となるのはサッカーをはじめとする他のスポーツの振興。ワールドカップ後、五輪候補選手から All Blacks 候補を発掘していくと言うラグビー協会のコメントを地元紙で目にした。 弱い All Blacks は見たくはないけど、All Whites だって1982年スペイン大会以来のワールドカップ出場を本格的に目指す日はいつなのだろうか….. 12月15日、Club World Cup の決勝戦の前日に Waitakere は Otago United をホームに迎えて NZFC League の今季6試合目に臨む。 彼らの日本での経験が地元のサッカー少年達に引き継がれていくことだろう…


祝!!サンガ J1 復帰 第2戦 御苦労さま秋田。そしてありがとう。

2007-12-11 | 京都サンガ J-League
第2戦前半 広島J1の意地。サンガ凌いだ。
12月8日。気温が下がりそうな午後4時。テレビ画面の広島はまだ幾分か明るかった。広島ビッグアーチには 23,162 人の観衆が集まったらしい。そして京都からもバス7台、自家用車、新幹線を利用したサポーター約300人近くが詰め掛けたとの事。その場にいる彼らをうらやましく思う。この日は主催者のサンフレッチェ広島側が入場料を大人1,000 小中高校生 100で全席自由席と設定した上に市内からのシャトルバスを無料にしたそうだ。15年前アジアカップで日本代表がアジア王者の戴冠を受けたここ広島でサンガがJ1昇格を決めるのだという強い思いでこの試合のテレビ観戦を始めた。あのアジアカップの決勝戦の決勝ゴールを挙げた高木琢也は当時サンフレッチェの所属だったけど……



キックオフの直前に広島の佐藤が胸のエンブレムを掴む。この日は広島がホームなので紫のユニフォームは広島が、そしてサンガは白いユニフォーム。しかし来年紫のユニフォームを着てJ1でプレーるのは我が愛するサンガと心の中で誓う。(俺が誓っても一緒か……)
広島のスタメンは戸田を外して盛田を左サイドバックに起用し田原対策に。森崎和幸をボランチのポジションに上げた。一方の愛する京都サンガは初戦と同じスタメン。12月6日に亡くなられた中谷選手の母親の喪に服し選手全員が喪章を付けての登場だ。注目は初戦でMVP級の活躍をした渡邊の位置。この試合では低めの位置からスタートだ。しかし中谷はやや高めに張っている。お互いに早い出だしでボールに寄る。開始1分30秒、ストヤノフが田原と交錯して倒れてファールを貰う。頭を抑えるストヤノフ。でも少し大げさすぎないか?リプレーでは田原は頭を触っていなかったぞ。サンガはこの日も前線の田原にボールを集めるがその田原には盛田が、そしてパウリーニョには槙野がそれぞれバイタルエリアでは密着している。
7分には盛田が田原へのチャージでイエローが出されれば8分にはウェズレイのドリブルを正面から森岡がガツンとタックルでしかもきれいにボールに当たる。立ち上がりは西京極での初戦とは明らかに異なる雰囲気であった。
そんな中ホームの広島が主導権を握る。柏木、槙野の U-20 コンビのパス交換から右サイドを崩し柏木がクロスを入れる。左から切れ込んだ佐藤のシュートは渡邊がブロック。12分には森崎和幸が田原へのファールでイエローを貰うが初戦よりも高い位置に配置され本人も積極的な動きの表れだ。13分には柏木が角田をかわして左サイドから右の佐藤に、佐藤はシュートを撃たずにクロスを入れるがそのまま撃たれた方が危なかった。14分にはこぼれダマを拾った柏木が角田をかわして右サイドの駒野へ、駒野のクロスを佐藤がヘッドで狙うがクロスバーの僅かに上。16分には森崎和幸からボールを受けた槙野がドリブルであがり右サイドから切れ込んだ駒野へ。角田がチェックに入る前にシュート体勢に入るがここはオフサイド。19分にはFKから駒野、右サイドの森崎和幸と渡り挙げられたクロスに槙野が飛び込むがそのヘッドはクロスバーの上に。 広島は佐藤が下がってためを作り、柏木が左右に出てきてそのボールキープから起点となる。また3バックも攻撃時はワイドに開いて押上げが早いので中盤での数的優位及びこぼれ球への対応が早い。そして渡邊、中谷の攻撃参加を封じる考えだ。また日本代表の駒野からクロスがよく上げられる。24分にはウェズレイが先ほどの仕返しとばかりに森岡にあたりイエローが出される。これがJリーグの最後の試合。この際イエローは関係ないか?? 26分には盛田からウェズレイ、駒野と左から右に繋がれ、もう一度左の森崎和幸そしてウェズレイと渡るが最後のシュートは森岡がカバー。29分には柏木のスルーが服部に通るがコーナーへ逃げる。その服部のCKに長身の盛田が頭で合わせるがこれはサンガDF陣がクリアー。30分にはストヤノフの縦パスに駒野が走りこむが中谷がディフェンスに入る。本当に心臓に悪いシーンが続くが、33分にはあっと叫ぶシーンが。インターセプトのこぼれダマを拾ったストヤノフが前線の森崎和幸につなぎ更に柏木、を経由してウェズレイに渡ったところで角田が倒してFKを献上する。ウェズレイが蹴ったFKを一旦は跳ね返したがそのこぼれダマを駒野に拾われ、中の盛田に。盛田は更に左の佐藤に頭で折り返すと佐藤は右から走りこんで来た柏木に落とす。柏木が手島が走りこんでくる前にダイレクトで撃ったグラウンダーのシュートにGK平井は反応できなかったがポストの右側に転がりゴールラインを割って行った。防戦一方のサンガだが広島は手を休めてくれない。34分には手島が佐藤を倒してFKを与える。森崎浩二がゴール前に入れたそのFKを守備に戻った田原がヘッドでコーナーへ逃げる。そのCKから槙野が頭で合わせるがクロスバーを越えていく。36分には中山からボールを奪った森崎和幸が斉藤がチャージに入る直前に服部とのワンツーで抜け右サイドの駒野へ、駒野のクロスからウェズレイが森岡、手島が飛び込んでくる直前にシュートを放つがそれはGK正面に。42分にはストヤノフのドリブルから森崎浩二、そして右サイドの駒野に繋ぎクロスを放り込まれるがこれは斉藤がクリアー。43分には槙野から森崎浩二、右サイドの駒野に繋がれクロスを入れられる。一旦は跳ね返すがこぼれたたところを森崎和幸に拾われ、柏木、ウェズレイと繋がれ最後は正面から森崎和幸が撃つがこれはクロスバーを越えていった。
前半は何とか無失点に抑えてほしい、と切に思う。ここで失点をきっすると後は守りを固められて逃げ切られてしまう。そう思った44分、サンガがチャンスを迎えた。左サイドの中山が斉藤に預けて前線へ、斉藤から中に入った中山にボールが送られると中山はワンタッチで前線のパウリーニョへ。パウリは抜け出しGKと1対1になるが下田にしかっかりと防がれ惜しい得点機を逃した。そしてロスタイムが1分過ぎ前半終了のホイッスルが鳴った。前半のこの戦いぶりが今の両者の実力差だと思った。シュート数で広島の8に対しわずか2本。サンガはよく凌いだといったところか…..



 
後半 ついに秋田登場。そしてフィナーレ、昇格決定!!
後半開始からメンバーを替えて来たのは広島。服部に替えて李漢宰を投入し右サイドに置き、駒野を左サイドへ。この交替とポジション替えは初戦では64分に見られたがこの日は後半開始から。初戦を落としている状況での選手交代だろう。京都は左から中谷、手島、森岡、渡邉の4バック。前半の様に攻められ放しで無い事と先にゴールを挙げる事を祈る。開始直後パウリーニョがドリブルで持ち込みペナルティーエリア付近正面の中山に。しかし広島DF陣が3人がかりでそこを潰しにかかり、そこからボールを繋いで柏木、中央の森崎和幸を経て右に流して李がシュート。その跳ね返りを再び森崎和幸が拾い今度は左の駒野へ。駒野の入れたクロスに佐藤と李が飛び込むがその前にGK平井がパンチでクリアー。そのクリアーボールを拾い、左サイドの駒野から盛田に送られ中央の佐藤に渡しもう一度左サイドの駒野に振りそこから放たれたクロスに李が飛び込むがやや合わなかった。
後半立ち上がりも劣勢のサンガ。50分には駒野が左サイドをドリブルで突破したところを角田がファールで止めてFKを与える。しかし左45度の角度からのFK、をウェズレイが蹴るがその跳ね返りをパウリーニョが拾って素早いドリブルで一気に広島ゴールに迫りCKのチャンスを得る。そのCKをパウリが中山を狙う。中山が頭で落とした所を角田が撃つがストヤノフがクリアー。一旦は攻め込まれるが、再び逆襲に転じ角田からパウリに繋ぐ。パウリはボールをキープし右サイドを上がって来る中山を待つふりをしながら素早く右足を振りぬきミドルを放つ。広島GK下田が何とかコーナーに逃げるがこのパウリーニョのドリブルに勇気づけられた。しかし勇気づけられたのは私だけでなくチームも同様で、徐々に主導権を握りだす。56分には渡邉がスローインを一度中山に当てて再び右サイドでボールを貰い中の斉藤へ。中谷とのパス交換から左サイドに走りこんでクロスを入れる。フリーだった田原はシュートを撃たずに、また前の中山にも落とさず走りこんできたパウリーニョに落としたがシュートは撃てなかった。ここはゴールを狙っても良かった気がしたが。57分には斉藤に替って長身FWアンドレが投入される。これで最前線が田原、アンドレの長身コンビで2トップ。その周囲をパウリーニョが周る布陣に。ただ中盤が手薄になるので守勢に回った時が不安だ。しかしここは加藤監督の“1点を取りに行く”と言うシグナルがサンガイレブンに伝わる。59分には田原が中央をドリブル突破。その前をパウリーニョが左前方に上がっていくが右のアンドレに流す。アンドレの強烈なショットにストヤノフがスライディングでブロックしコーナーに。61分には右サイドでボールを受けたパウリーニョがストヤノフをかわしてグラウンダーのセンタリングを入れると中にいた槙野が足を滑らせて転倒する。そこにはアンドレが走りこんでいたがボールが足下に収まりすぎてアンドレは行き過ぎてボールだけが残る。戻ったアンドレが広島ゴールに向かって蹴りこむが立ちあがった槙野が必死のスライディングでブロック。そのこぼれ球を田原が撃つがサイドネットに。初戦2得点の田原が点を仰ぐ。決定的な場面であった。サンガのFW3人、田原、パウリ、アンドレが前線から相手DFにプレスをかける状態になっているので広島は中盤でも数的優位が作れない。67分にサンガベンチは田原に替えて徳重を投入する。徳重のドリブルで前線をかき回してほしいものだ。
だが広島は今度は徹底的にサイドを使って来る。70分にストヤノフから右サイドの槙野にボールが渡ると槙野は徳重をかわして李に、李はもう一度槙野に戻すとワンタッチで柏木に柏木が李に戻しタッチライン沿いに上った槙野に出す。槙野は石井を振り切って中に入れるとそこでボールを受けた柏木が強烈なミドルを放つ。しかしボールはクロスバーを僅かに越えてくれた。今度はこっちが胸をなでおろす。72分にはウェズレイが下がって初戦でゴールを決めた平繁が入る。ウェズレイはこの試合もゴールが無く、自分のプレーに納得いかないと言った表情。しかしペトロヴィッチ監督は何故スタメンから平繁を使わなかったのだろう?ウェズレイと言う名前にサンガイレブンが脅威を感じる事を期待したか? 75分を過ぎると槙野が前線に絡んでくるなどして広島が押し返してくる。サンガは今季48試合中59失点。その3分の1に近い19失点が75分を過ぎてからだ。時間がたてば経つほど遅い時間に失点すると言う今季の戦いぶり、そして三日前の失点を思い出して不安が募る。NHKのアナウンサーが何度も“このまま行けば京都の昇格が決まります!”と連呼しだす。そして“広島が1点を取れば形勢はがらりと変わります。”とも言い出す。その不安を振り払うように中山からボールを受けた徳重が79分にストヤノフ、槙野が来る前にミドルを放つが、81分には今度は左サイド駒野からボールを受けた佐藤がスルーパスを送るが僅かに平繁には合わない。84分には森崎浩二から李に繋がり、李の入れたクロスは渡邉がヘッドでコーナーへ逃げる。その柏木からのCKに盛田が頭で合わすがポストの右に外れて行く。85分には今度はサンガが逆襲に転じ右サイドから渡邉がクロスを入れるが徳重の前でGK下田がキャッチ。
サンガベンチ前では秋田がユニフォーム姿になっている。しかし解説の宮澤氏は“サンガは控えの選手が全員ユニフォーム姿になっているのですよ。”と。ロスタイムが4分と表示される。広島は盛田がトップにあがりパワープレーに。盛田は1999年駒澤大学から期待のFWとして浦和レッズに入団したのだがその期待にこたえられたとは言えなかった。今季、広島ではDFとして17試合に出場している。そしてサンガベンチ前では秋田が準備をしているところが映し出される。
“よし、秋田。頼むぞ秋田。”その秋田が46分46秒、前線に出て来た盛田のマーク役としてパウリーニョに替って投入される。最後の最後に秋田が登場する、本当にしびれるシーンだ。J1昇格で秋田の選手生活の花道を飾ってくれと心の中で叫ぶ。しかし今シーズン何度もロスタイムで失点を許している事も忘れられない………. 

 
 


ホイッスルが鳴った瞬間思わず“勝ったぞぉぉぉぉぉ!!”と両手を上げた。 槙野のシュートがポストに当たって外に出た。最後の最後に幸運が残っていた。そして秋田に最後の花道も送る事が出来た。よかった。本当に良かった。シーズンの成績なんてJ1昇格で全て帳消しだ。来シーズン、何試合サンガの試合が競技場で見られるだろう?12歳の息子に言った。
“まってろよアジア王者。来年はサンガが相手だ。” 
そして今サンガサポーターの願いはただ一つ。
“もうJ2には陥落しないでくれよ。”…….

しかし今はこの幸福に浸りたい。ただただしばらく浸りたい……
最後に一言。秋田豊。本当に選手生活御苦労様。そしてサンガに来てくれてありがとう。私はあなたが最後に投入された瞬間を永遠に忘れられないだろうと思う。 
本当にありがとう………………………………..




祝 !! 京都サンガ J1 復帰 第1戦 またも終了直前の失点

2007-12-10 | 京都サンガ J-League
ロスタイムは4分。しかしもう47分を過ぎていた。途中出場の徳重がドリブルで突破をはかるがボールはGK下田の手へ、ストヤノフから逆襲に転じようとするのを石井がファールで止める。そしてイエローカードが出される。駒野が上げたFKは長身の盛田を狙う。身体を寄せた中谷のプレーがファールに取られる。時計は48分16秒だ。ゆっくりと森崎浩二ボールをセットする。ゴールマウスには9人の広島の選手が犇いている。そのFKが放たれたのは49分12秒だった。一旦は京都DFが跳ね返したがこぼれ球をペナルティーエリアの外に残っていた駒野が拾って左サイドのストヤノフに。ストヤノフが入れたクロスを槙野が見事なオーバーヘッドで捉える。あっっと思った瞬間だった。終了間際で手痛い失点を繰り返し続けていた京都だった。試合終了時間が近付けば近付くほどそんな事ばかり考えていた。しかしそのボールはポストに直撃し、そのままゴールラインを割ってくれた。ほっと息を吐いた。そして背筋がぞっとした。もう少しポストの内側を叩いていたら、ゴールインしていたかも、そしてゴールを割らずともそのままこぼれ球は詰めていた佐藤が押し込んだに違いない。その佐藤がボールを拾ってゴールキックのスポットにセットする。平井がゴールキックを蹴る前に遅延行為で警告を受ける。しかしもう49分は過ぎている。平井が蹴った時は49分54秒になっていた。そして50分が過ぎる。50分06秒。ようやく長い笛が吹かれ死闘に終止符が打たれると共に京都サンガのJ1復帰が決定した……….

J2最終戦の草津戦を前にサンガの自動昇格はほぼ絶望的であった。確かに前半途中までは札幌が水戸にリードを許しており、サンガは先制ゴールを挙げていた。しかし森岡がPKを失敗し、札幌がダヴィの連続ゴールで逆転しそのままJ1昇格をJ2優勝で花を添えた。そして京都は終了直前に寺田に失点を許し今シーズンの戦いぶりを表わすような試合内容で最終戦を終えた。対戦相手も最終戦を前に入れ替え戦出場がほぼ決定していたサンフレッチェ広島となった。 あぁ、広島か… 日本代表の駒野に佐藤、五輪代表の柏木、青山敏弘(負傷で入替戦には出場できなかった)U-20代表の槙野、平繁。これだけのメンバーが揃っていてどうして降格争いをせねばならなかったのだろう、こう言うチームからどうやって勝利を挙げれば良いのだろう…そんなことばかり入れ替え戦前の数日間は考えていた。

12月5日 前半 田原豊連続ゴールのサンガ先制

午後7時キックオフ。仕事をやりくりして何とかキックオフ直前に帰宅できた。本当は京都まで見に行こうかとも考えたがキックオフ時間が午後7時では最終の新幹線、シンデレラエクスプレス(古いか??)には間に合わないので(その上武蔵野線の最終電車にも間に合わない)テレビ観戦をする事に。まぁBSでの中継を知った時点で京都行きは断念したのだけど。開始3分には戸田からのロングパスが佐藤に通りそのままフリーでシュート。ボールはクロスバーの上を越えてくれた。6分には柏木がドリブル突破し前にいた佐藤にスルーを送るがそこは斉藤がカット。そのまま撃たれた方が危なかった。その直後にも佐藤のドリブル突破から最後はウェズレイのミドルが森岡、手島がチェックに入る前に炸裂する。8分には左サイドを上がった服部からのスルーがわずかに佐藤に合わなかった。愛する京都サンガはピンチの連続だ。さすがJ1と感心している場合ではなかったがミドルパスの正確さはリーグの違いを感じさせられた。広島はウェズレイが17得点、佐藤が12得点。その2トップが開いた位置に張り出し、2列目の柏木、森崎浩二がせり出してくる。 
サンガのDF陣は右から渡辺、角田、森岡そして手島の4人だが渡邉は高い位置に残っており3バック気味である。渡邉から田原を狙って入れられるクロスが何本良いのがあるかが一つのカギになると思われた。劣勢だったサンガも11分に負傷から復帰のパウリーニョがカウンター攻撃から右サイドを突破。戸田を外して逆サイドの中谷へ、中谷からのクロスは森崎和にクリアーされたが、そのまま撃っても良かったか。
16分には広島がチャンスを掴む。佐藤、森崎浩二と繋がったボールはウェズレーを経由して再び森崎浩二に渡りグラウンダーのシュートを撃つがクロスバーの左を通過していく。広島はサンガゴール前でもワンタッチでボールを回して行くのでサンガDF陣は捕まえ切れずに後手を踏む。こりゃ苦戦するぞと思うと18分、今度はサンガがポンポンといボールを繋ぐ。相手のトラップミスを拾った中山がパウリーニョに預け再び受けるといったん下げて中谷からまた左サイドの前線へ行く中山へ、柏木を振り切って中のパウリーニョに入れるとパウリは後ろの石井に下げる。石井は後方から上がっていた斉藤に。斉藤はそのまま左サイドを突破しクロスを入れる。槙野にクリアーされるもそのクリアボールをパウリが拾ってシュート。ブロックをされて跳ね返ったこぼれ球を渡辺が拾って右サイドから中の田原を狙ってクロスが入るが僅かに合わなかったがこの時間帯からサンガが主導権を握りだす。 右サイドには渡邉が左サイドには中山が高い位置に張っており中盤で数的優位を作る。そしてボランチの石井が前にあがる頻度が増え、中盤でも早い出足でこぼれ球を先に支配する。中山は駒野の上がりをケアーする。22分には駒野の突破から入れられたクロスをGK平井がしっかりと佐藤に届く前にキャッチをしたが、駒野の突破からピンチを招いたのは前半ではこれが最後だった。田原、パウリーニョ、渡邉の3人がハイポジションに位置するので広島の3バック、槙野、ストヤノフ、森崎和が中盤に絡めなくなった。そして29分。サンガが先制ゴールを挙げる。右から渡邉がクロスを入れるとストヤノフがクリアー。そのクリアボールを斉藤が拾って左の中谷へ、中谷が入れたクロスを田原がバックヘッドで右サイドの渡邉に送ると再び渡邉は服部を外して中にクロスを送る。そのクロスをGK下田が弾いたところをそのまま田原が頭で押し込む。森崎和幸がゴールに飛び込んでクリアーに入ったがその前にゴールネットを揺らした。田原は渡邉のクロスは下田がパンチでクリアーすると予測しクロスに合わせて飛び込まないで少し後ろに下がったその位置取りが非常に良く先制ゴールに結びつけた。

18分過ぎからの試合展開を見るとどちらがJ1のチームかわからない試合内容だ。サンガはこの先制ゴール後ラインを少し引き気味にし、相手の裏を中谷、渡邉が飛び出して狙う様に。一方の広島はストヤノフがドリブルで前方に上がる様になり柏木が左右に動いて現状打開を図ろうとする。しかし主導権はサンガのまま、40分にはパウリーニョのCKを一旦はクリアーされるがそれを拾った渡邉が右サイドからクロスを入れるとまたも田原が戸田、森崎和幸の間に割って入り高い打点から叩きつける様なヘッドを広島ゴールに叩き込み貴重な追加点を挙げる。
田原のヘッドも見事だが渡邉のクロスも素晴らしかった。更にロスタイムの47分平井のGKを田原が頭でパウリーニョに繋ぎ、そのまま角田そして渡邉と右サイドを前へつなぎ、渡邉からまたまた絶妙のグラウンダーのセンタリングが入る。中でフリーの田原がダイレクトで合わせたが今度はGK下田がしっかりとブロックし3点目は阻まれ、その直後に前半終了のホイッスルが鳴った。サンガがJ1チーム相手にこんな良い試合展開をするなんて何年振りに観るのだろう…. と思いまながらも3点目が入らなかった事を少し残念に思った。



後半 終了直前の失点。3点目がとれていればなぁ.....

後半、広島のペトロヴィッチ監督は森崎和幸に替わって長身の盛田を投入し田原のマークに付ける。好調のサンガはもちろんそのままだ。次のアウェーゲームを考えると何とか先に点を上げて3点差にしてほしいと願った。その願いが通じたか52分後方からのロングパスを左サイドで受けたパウリーニョがそのバウンドを利用してウェズレイをうまくかわして中に入れられたクロスを中山がワントラップし体を捻って豪快にボレーを放つがそのショットはクロスバーを直撃しゴールインには至らなかった。願いが足らなかったか? 
ペナルティーエリアまでボールが運べない広島はミドルを撃つ様になる。9分にはストヤノフのドリブル突破からボールを受けた森崎浩二がミドルを放つがこれはGK平井がセーブ。11分には柏木のドリブルからウェズレイがボールを受け放ったショットは森岡が顔面でクリアーをした。後半に入って柏木とDFストヤノフがドリブルで上がるようになった。62分サンガはまた決定的なチャンスを掴む。左サイドから中山がストヤノフをはずしてクロスを入れると中にいた盛田、服部を越えてフリーの石井に。しかし石井はやや体が前に入りすぎたか空振り。しかしそのまま右に流れたボールを渡辺が拾ったところを柏木に倒されてFKを。パウリーニョがそのFKを渡邊に戻し、またも渡邊が絶妙のクロスを入れ、角田のヘッドが広島ゴールを襲うがこれもポストを叩いた。これでサンガは前半終了直前の田原のシュートから3度追加点のチャンスを逸したことに。これが後の苦戦を招く。
何とか1点を還したい広島は64分に服部を下げて北朝鮮代表の李漢宰を投入する。今シーズンは怪我のせいか出場は6試合に限られスタメンフル出場はJリーグ最終節のガンバ大阪でようやく果たした。これで駒野が左サイドに回り李が右サイドに入った。そして70分にはウェズレイが下がりFIFA U-20 日本代表メンバーの平繁が投入される。今季17得点のウェズレイだが9月15日の第25節の浦和戦以降ゴールを挙げていない。交代したウェズレイはベンチに帰らずそのまま控え室に直行。その心中は理解できなくも無いが… しかしこれで広島は左からの駒野、右から李がサイド攻撃をしかけ、平繁が前線で動くことにより攻撃のバリエーションが増えた。76分には柏木、平繁のU-20 コンビのワンツーを見せる。さすがこれからの黄金世代早かったなぁ.. 80分には佐藤がドリブルで上がったところを中谷がファールで止めてイエローをもらってしまう。そしてそのFKを森崎浩二が入れ盛田の頭を狙うがそのヘッドはクリアーされるがそのこぼれダマを駒野が拾ってミドルを放つ。そのショットは平井がセーブを。今日も平井は当たっている。しかし83分にはストヤノフのドリブル突破から森崎浩二に渡り斉藤をかわして放ったミドルはクロスバーの上をかすめて肝を冷やした。徐々に押され始めた京都は75分に田原を下げて同じ長身FWの西野を投入、そして85分にはパウリーニョを下げてMFの倉貫を入れる。西野には前線からプレスをかけさせ、倉貫の投入で中盤を厚くし逃げ切り体制に入る。その直後には盛田からボールを受けた柏木がミドルを放つがこれは森岡がブロック。残り時間5分を切ったあたりから広島は焦りが生じてきたか戸田が石井へのファールでイエローを貰い、左サイドで渡邊と対峙した紺野がファールで倒す。88分には右サイドを抜けた槙野がクロスを入れるがGK平井がキャッチ。中には佐藤一人しかいなかった。柏木のドリブルも疲れのせいか切れが無くなって来た。このまま2点差のまま、と思った89分、中央やや左から森崎浩二の縦パスが通りすばやく反応した佐藤がシュート。いったんは平井がセーブをしたがこぼれダマに平繁が反応しそのまま押し込まれて1点を還されてしまった。佐藤に通る前に少し平繁が触ってコースを変えたかもしれないがその平繁に角田、森岡の二人がついてしまい佐藤がフリーになった。そしてその直後の平繁の動きも機敏でこぼれダマにうまく反応されてしまった。
この失点は痛かった。しかもロスタイムが3分と表示される。これで一気に広島は生き返りサンガは浮き足立ってしまいそうになる。広島の選手が雪崩れ込んでくるのをサンガが最終ラインを6人で守る。西野以外はすべて自陣コートに入る。シーズン中サンガが終了直前で失点するのはこういう雰囲気になるからか、と思った。
パウリーニョも田原もベンチに下がっている。田原の心配そうな表情が画面に映し出されるが、48分13秒、ホイッスルが響き第1戦を勝利で終えることが出来た。
試合後のインタビューを受ける田原も森岡も勝利の喜びよりもまだ終わっていないことと終了直前の失点を悔やむ表情が見て取れる。
サンガが先勝を収めたが次戦、広島が 1-0 で勝てばサンガの昇格は無くなる。アウェーゲームで終了直前に得点を決め1点差でホームに帰る広島はかなり勇気付けられただろう。
久しぶりにサンガの勝ち試合を見たが、“勝つには勝ったがあと1試合”と言うのが試合後の私の本音であった・・・



第二戦に続く  

日本3次予選は Group B

2007-12-07 | Weblog

11月25日の抽選会で日本と同組になったのはバーレーン、オマーンそしてタイ。
マスコミは早くも与し易しとの報道を発信している。バーレーン、オマーンは前回のワールドカップ予選でも対戦し負けていない。しかし決して楽な試合内容ではなかったはずだ。ホームでのオマーン戦は中田英寿、中村俊輔、高原ら欧州組みを擁しながら中村がPKを失敗するなど大苦戦。ロスタイムに久保の起死回生のゴールで勝利を何とかものにした。バーレン戦も最後はオウンゴールで勝利を収める辛勝。確かに日本の方が実力は一枚上手だが、10回やって10回とも勝てる相手ではなさそうだし、相手もこの数年間で日本を研究していることだろう。もし協会がそれなりの組織力を持っていれば。
この組み分けの結果をタイで知った私は地元テレビでも翌日から連日この報道が…. と思ったけどそうでもなかった。その前に言葉が解らないか……
タイはGroup B では第4シード。要するに一番ランクが下がると言う事だけと70年代からタイを見ているとそうそう easy な相手ではないと思ってしまう。 1970年代にヤンマーディーゼルにタイからビタヤ=ラオハクルと言うタイの選手が入団した。その時の印象はあまりないけど、タイから選手が来た事を覚えている。その後帰国しタイ代表としてアルゼンチンワールドカップ予選に出場していたのを当時の雑誌で見つけた。あぁやっぱり凄い選手だったんだなぁ…. と思った。
1979年マレーシアで開催されたムルデカ大会で日本はタイと対戦したがなんとか2- 1で勝利を飾る。しかし試合後タイは主審の判定を不服とし大会当局に提訴をしたが勿論結果は覆らない。その時のタイ代表にはビタヤ=ラオハクルがいたのは大会後に発行された専門誌でわかった。当時は試合中継なんてなかったので数週間後に発刊される専門誌でその試合内容を把握するしかなかった。
そして1984年4月、シンガポールで開催されたロス五輪予選。日本は初戦、ピヤポン率いるタイに 2-5 と粉砕されてしまう。何度もこのブログでも書いたけどあの時の衝撃は忘れられない。ピヤポンがボールを持てば日本のDF陣は簡単に振り切られる。高温多湿のシンガポールで全日本イレブンは動きが悪く、同じ気候のタイの選手達がピヤポンだけでなく生き生きと動くのを呆然とテレビで見ていた。予選前のあの楽観視は何だったのだろう?これ以来私はタイが不気味に思えてならない。

        

3年後の1987年ソウル五輪東地区予選でも日本は中国、タイそしてネパールと同じ組になりその開幕戦はバンコックでのタイ戦。ここでもピヤポンが登場する。緊張の中、日本は何とか0-0の引き分けに持ち込んだ。そして東京で行われたホームゲームでは水沼のゴールで1-0 と勝利を収めたが最終戦雨の中の国立競技場で中国に 0-2 と破れ五輪出場はならなかった。中国との直接対決は1勝1敗だったがタイとの対戦成績において日本が1勝1分けだったのに対し中国はホーム、アウェー共に勝利を収めたのが両国の明暗を分けた。
翌1988年はソウル五輪イヤーだった。この年はよくサッカーの日本リーグを観戦しに行った。観客も少ないのでのんびりと座席を3つほど占領して観ていた。そして松下電器にビタヤ=ラオハクルの姿を見つけた。再来日して古巣のヤンマーに戻らず松下に入団したのは当時松下の監督だった水口氏との関係である事がすぐに分かった。水口氏も元ヤンマーの選手で日本代表にも選ばれている。しかし松下電器サッカー部創設と共に松下に移籍しその後のガンバ大阪の礎を築いた。水口、ビタヤ両氏の関係はその後も続き8月17日にはJFLのガイナーレ鳥取の新監督にビタヤ氏が就任したが、その前任は水口氏で彼の解任の後を受けての就任であった。

1993年ワールドカップアメリカ大会1次予選。Jリーグの開幕を約2ヶ月後に控えて完全にプロ化された日本代表は是非とも1次予選を突破して欲しいところであった。東京で開催された開幕戦。相手はタイ。2年前のキリンカップでは終了直前、柱谷のPKで勝利を収めるが完勝とは言えなかった。ワールドカップ予選のために来日したタイ代表のメンバーにはピヤポンの名前もあったが、日本戦には出場しなかった。緊張で動きの硬い日本だったがなんとかキングカズのゴールで初戦を勝利で飾り日本ラウンドを全勝で終え、UAEラウンドに。ここでの初戦もタイ。この時はピヤポンがスタメン入りしたが、井原が技ありの反則でピヤポンと共に退場処分となり、堀池のゴールで日本はタイを連破した。しかし御周知の通り日本はドーハの悲劇に散る。
1997年、ワールドカップ予選突破を目指す日本はバンコックで開催された Kings Cup に出場する。ここではタイと激戦の末 1-1 で引き分ける。終盤優勢に試合の主導権を握ったタイ代表に地元観衆からは大歓声が送られたらしい。そして1次予選、オマーンラウンドに向かう途中にバンコックによりタイとの調整試合を行うがここで日本は何と 1-3 と破れてしまう。この時はもうあのピヤポンは出場していなかったが若き日の Kiatisuk ZICO Senamuang がおり2ゴールを決めた。
こしてみるとタイは他の ASEAN 諸国と異なり何点差も付けて勝てる相手では無い事がよくわかる。そのタイ相手に完勝を収めた試合となると2004年のアジアカップまで待たねばならなかった。
11月27日の Bangkok Post によるとこの組み合わせにアジアカップでも指揮を執った Chanvit Phalajivin 監督は自信のコメントを。
“勝点10を挙げれば最終予選に進出出来ると思う。ホームゲームの3試合で勝点7、アウェーゲームの3試合で勝点3。ホームゲームでは日本と引き分け、オマーン、バーレーンから勝利を挙げたい。”
日本戦をホームで引き分けとは他国よりもランクを上と見てくれている様だ。12月初旬には代表チームを召集しトレーニングを行い12月5日から16日にマンチェスターに遠征し 地元開催のKing’s Cup に臨むとの事。中近東諸国に打診し翌年1月にオマーン、バーレーン対策としてのテストマッチを予定しているとの事。協会の Kittiratt Na Ranong マネージャーは日本が最終予選進出の最右翼としながらも2004年に自身がチームに同行した草薙での AFC U-17の試合で日本を 2-1で破った事に自信を見出している。この時のメンバーが何人か代表入りしているのか?
“私は日本を恐れてはいない。オマーンはアジアカップで破った。バーレンも強豪だが私は彼らを乗り越えられると信じている。” とのコメントを残す。

11月26日に開幕した SEA Games 東南アジア11カ国がタイの Bangkok, Chonburi に集い45の競技の覇を競う大会であるが、サッカーは29日に始まり、現在エントリーした8カ国が4カ国ずつ2つのグループに分かれた予選リーグを行っている。タイの所属するグループAは タイ、インドネシア、ミャンマー、カンボジアの4カ国。タイは初戦のミャンマー戦を 3-2 と辛勝した2日後の12月4日にカンボジアを 8-0 と一蹴し準決勝進出を決めた。
一方シンガポール、ヴェトナム、マレーシア、ラオスの入ったB組はシンガポールがラオスと0-0で引き分ける波乱の幕開け。日本と五輪予選を戦ったベトナムは初戦で強豪のマレーシアを 3-1 で破るも続くシンガポール戦では 2-3 と破れてしまう。12月8日に行われる最終節ではシンガポールがマレーシアと、ベトナムがラオスと試合を行うが4カ国とも準決勝進出に向けて手を抜けない最終戦だ。
この大会スポンサーからは勝利給が1試合あたり THB500,000 ( 約 167万円 ) そして決勝戦で勝てば THB1,000,000 ( 約335万円)のボーナスが支給される予定だ。この SEA Games に臨むタイ U-23 のメンバーは下記の通り。

GK : Sivaluk Terdsungnern, Veera Kerdputsa 
DF : Prat Samakrat, Kiatprawut Saiwaew, Jira Jaroensuk, Weerayut Jitkuntod, Chonlatid Chantakam, Suthinan Pukhom Nattapong Samana 
MF : Sarawut Jantaphan, Adul Lahso, Thana Chanaboot, Ittipol Poolsap, Wisarut Phannasri, Arthit Suthornpit , Wuthichai Tathong  
FW : Teerathep Winothai, Teerasil Dangda, Anon Sangsanoi and Sompong Sorleb

GK Veera Kerdputsa, DFの Kiatprawut Saiwaeo, Nattapong Samana, FW のTeerasil Dangda , Teerathep Winothaiらが Asian Cup のメンバー 

  

そして11月27日付の Bangkok Post 紙にタクシン元首相が懲役26年の刑に直面している記事がトップで伝えられていた……..